Friday, December 1, 2017

私はチョコレートが好きだ。 主語はないのか?


このポストは前回のポスト” 私は何も見えない-2、対格をを示す<が>-2 ” の続編。

私はチョコレートが好きだ。

文法的には<私は>の<私>は、<は>が係助詞(または副助詞)なので、主語ではなく、主題と呼ばれる。主題とは文のなかでの<主な題目で>、<私についていえば>となる。したがって

チョコレートが好きだ。

は<私についていえば>ということだ。それでは<チョコレートが好きだ>の主語はなにか?<が>は<は>とは違って格を示す格助詞。格助詞は主格を示すとは限らない。格助詞<を>は目的、または対象を示す格助詞。<に>や<へ>や<で>も格助詞だ。初級の日本語文法では出てこないが、英語以外の西洋語では主格、対格、与格、所有格、場(所)格、属格、奪格などがある。英語は格変化がほとんどなくなってしまっているが、代名詞ではいくらか残っている。

I(主格)、my(所有格)、me(目的格)、mine (独立所有格)

対応する日本語は

私(わたし)、私の、私を/私に、私のもの

<私のもの>は格とはいえない。独立所有格というのはとってつけた感じがする。

日本語は格変化はないが格助詞が大活躍する。これは日本語の大きな特徴。日本語での説明はコピー、ペイストすると長くなるので、ここでは中国語の説明をコピー、ペイストしておく。(Wiki繁体字版)

"
  • が:通常表示句子的主語
  • を:表示動作的對象,即句子中的受詞
  • に:表示動作的目標、場所、方向
  • で:表示動作的場所、工具、方法,或原因
  • へ:表示動作的方向、對象、歸著點
  • と:表示共事者、結果、引用的內容
  • から:表示動作的起點、原料、原因
  • より:表示比較的基準

"

<が>は通常は主語を表示する、ということ。<通常は>とあるのは例外があるからだろう。
日本語版Wikiの<が>の説明は

"
<が> 最も基本的な格助詞である。動作や状態の主体/要求や願望の対象を示す。
咲く。水飲みたい。
"

私はチョコレートが好きだ。に戻ると

前回のポストで書いたが、<が>が対象を示すのは要求や願望以外に<好(す)き嫌(きら)い>がある。<好き>なものは<欲しい(要求や願望)>し、<嫌い>なものは<欲しく>ない。したがってこの<が>は<好きだ>の対象を示すのだ。意味的にも<チョコレートを好く>で<好く>の対象を示す。他動詞<好く>の場合は<を>をとる。

格助詞<を>は中国語版Wiki は" 動作の對象を表示する "

と簡単だが、実際にはそう簡単ではなく、日本語版Wiki は

"
動作の直接的な対象や知覚・思考活動の対象、移動時の経路を示す。移動の起点や経由点も示すが、この場合には当着点を想定していない場合となる。 本読む。橋渡る。家出る。
"

<チョコレートが好きだ>はチョコレートが主語であれば<私はチョコレートが好きだ>は文法上問題ない。

主題(私)、主語(チョコレート)+が+述語(好きだ)

だが<チョコレート>は主語ではない。ではこの文に主語はないのか? という問題になる。これが前回ポストでの宿題。このポストで答を出さないといけない。

私がチョコレートが好きだ。

というのは、<が>が二回でてくるが、可能だ。 <誰がチョコレートが好きか?>という質問に対する回答だ。<私がチョコレートが好きだ>は

主語(私)+が+目的語(チョコレート)+が+述語(好きだ)

<私はチョコレートが好きだ>と<私がチョコレートが好きだ>は<は>と<が>の一字の違いだが、内容は明らかに違う。

私はチョコレートが好きだ。

は係助詞<は>の特徴として報告調になる。<私について>の説明なのだ。したがって<私についていえば>となる。つけ足せば

私いついていえば、チョコレートが好き(チョコレートを好く)、という性質、特徴、属性がある(の)だ

という報告調になる。下線部のつけ足しに注目してもらいたい。 <xxがある>で<xx>が主語となる。この主語は人物そのものではなく、<私という人物のxxxxという性質、特徴、属性>が主語なのだ。この<つけ足し>はこじつけ、まがいもの、ごまかしのように見えるが、文法解釈ではときにはこのような<こじつけ>が必要になってくる、というのが私の持論だ。ここでは断定の助動詞<だ>が効(き)いている。さらに報告調を強調すれば

私はチョコレートが好きなんだよ。(男)
私はチョコレートが好きなのよね(女)

<だ>のない

私はチョコレートが好き。

は強調はないが、<私は>の<は>があるので報告調はたもたれる。一方<誰がチョコレートが好きか?>という質問に対する回答の

私がチョコレートが好きだ。

は<私についての>第三者的な報告ではなく、<私そのもの>が<チョコレートが好きだ>と言っている。なぜなら<私が>の<が>は主語を示しているからだ。

I like chocolate. の<I>なのだ。

英語にはこの区別が基本的にない。しいて区別すると、Who likes chocolate ?  に対する回答は<I >に stress がおかれる。第三者的な報告は、I think that I like chocolate. とでもなるか?

追加

イタリア語で<私はチョコレートが好きだ>はなんというか?

Mi piace il cioccolato.

なぜか定冠詞の il がつく。なくても絶対まちがい、通じないということはないだろう。さてこの文、文法構造はたいへん参考になる。この文の主語はil cioccolato で、動詞は piace で、これは原形(不定形) liacere の3人称単数に対応した変化。主語の il cioccolato は3人称単数だからだ。Mi はなにかというと、多分<わたしを>で直接目的格(対格)だろう。直訳すると

チョコレートがわたしをたのしむ。 

で、とんでもない日本語になる。だが、主語のない(了解されているときは省略される)<Mi piace.>は頻繁に使われる。

以上はわたしの独断で、調べてみると、、piecere は頻繁に使われるが、そう簡単ではない。一筋縄ではいかないのだ。Reverso Italian - English の解説をコピー、ペイストすると、

piacere

 vi irreg, (aus essere)  
  (persona)   
piacere a qn      to be liked by sb  
mi piace        (lavoro, film)    I like o enjoy it,   (progetto)    it suits me,   (sport, attività)    I enjoy it  
quei ragazzi non mi piacciono      I don't like those boys  
mi piace molto questo quadro      I like this picture very much  
non credo gli piaccia      I don't think he likes it  
mi piace di più così      I like it better this way  
un gusto che piace      a pleasant o agreeable flavour  
una ragazza che piace        (piacevole)    a likeable girl,   (attraente)    an attractive girl  
il suo discorso è piaciuto molto      his speech was well received  
che ti piaccia o no, ti piaccia o non ti piaccia      whether you like it or not  
che cosa ti piacerebbe fare?      what would you like to do?, what do you fancy doing?  
gli piacerebbe andare al cinema      he would like to go to the cinema  
mi sarebbe piaciuto andarci      I would have liked to go  
fa' come ti pare e piace      do as you please o like  
a Dio piacendo      God willing  

<vi irreg>は自動詞、不規則変化の意。

つまりは piacere は他動詞ではなく自動詞なのだ。<xx をたのしむ>で<を>をとるので日本語の<たのしむ>は他動詞だ。<たのしむ>に対応する自動詞はなにか。<xxがたのしい>の<たのしい>は動詞ではなく形容詞だ。一語ではないが、<たのしくなる>が<たのしむ>に対応する自動詞といえそう。だが<チョコレートがたのしくなる>は童話の世界だ。

チョコレートがわたしをたのしませる。

が間違った直訳とすると、

Mi piace il cioccolato.

の正しい直訳は

チョコレートがわたしにたのしくなる。

だが、これはきわめてシュールな表現で、理解できるひとはごく少ないだろう。だがイタリア語の Mi piace il cioccolato. はこういう意味だろう。

私はチョコレートが好きだ。

にもどると、<好き>は動詞ではない。<好く>は他動詞だが<好き>はなにか?

静かな、静かだ、静かに、静かになる、静かにする
好きな、好きだ、好きに、好きになる、好きにする

で形容動詞のようだ。だが

<好きだ>の<だ>を断定の助動詞とすると<好き>という語があることになる。断定しない

私はチョコレートが好き。

は成りたつ。一方

夜は外が静か。

はなりたつか?

<チョコレートが>で主語がはっきりしているのは同じなので、<わたしは>の<わたし>が主語ではないのは間違いないようだ。



sptt


Thursday, November 30, 2017

私は何も見えない-2、対格をを示す<が>-2


このポストは前回の<I can't see anything.  私は何も見えない>の続き。前回のポストで次のように書いた。


私は何も見えない。あるいは
私はxxが見えない。

は対象、対格を示す<が>ともいえる。 対象、対格をを示す<が>の例としては


花子はチョコレートが好きだ。 <好き>はあまり使わないが動詞<好く>の連用形の体言、名詞用法に断定の助動詞<だ>が付いたものと解釈しておく

太郎は数学が嫌いだ。 <嫌い>は<嫌う>の連用形の体言、名詞用法
花子は勉強ができる。
太郎は勉強ができない。
私は時間が欲しい。
私は昼寝がしたい。  
花子はピアノが上手(じょうず)だ、うまい。
太郎は字が下手(へた)だ、ダメ(だ)

がある。<が>をとる<できる>については別のポストで検討したことがある。




以上の例文は手もとの辞書で 対象、対格をを示す<が>が使われる場合として、可能、希望、好き嫌い、巧拙(上手下手)とあるのを参考にして私が作ったもの対象、対格をを示す<が>についてはのところで幾度か書いたようなするが、結論のようなものは出ていない。スパッと割り切れないところが多い。何度目かの挑戦になる。

まだある。

はこれがわかるか? (わかることができる、で可能)

どれがいい? これがいい。(これが欲しい、の意だろう)

だが、<これがいい>は単純に<これ>は<いい>の主語で問題なさそうだが、<これがいい>は<これはいい>にならない

これはいいが、 あれはだめだ。 

これいいが、 あれだめだ。>はおかしい。一方<これはいいが、 あれはだめだ。>は問題なく、これとあれの一般的な評価の表明で助詞<は>の特徴だ。

これいいが、 あれだめだ。 は問題ない。

<これいいが、 あれだめだ。> はこれはいいが、 あれはだめだ。>と同じにならない。前半の<これがいい>は<これが欲しいの意を含んでしまうようだ。また否定のこれがよくない>、<これがダメ >は<これが欲しくない>、<これは欲しくない>の意にならない。話がこんがらかってきているが、形容詞<いい>は形容詞<欲しい>に近いといえる。

どれがきれい? これがきれい。 <きれい>は最後に<い>があるが形容詞ではない。形容動詞<きれいだ>の語幹。もともとは漢語で<綺麗>。<これがダメ>の<ダメ>も同じようなことが言える。<xxは(が)ダメ>でも<<xxは(が)ダメだ>でもいい。

どれが大きい? これが大きい

これは<これ>=<大きい>で<これ>は単純に大きい>の主語でいいだろう。
 
どこが痛い? 頭が痛い

これ=<痛い>で<>は単純に痛い>主語、と言いたいが微妙なところがある。<頭が痛い>は

頭が痛い
 
ともいえるというか、じつのところはこういう意味だ。発話者が直接的に絡んでくるのだ。<これが大きい>とは根本的に違うと言っていいだろう。日本語では

花子は頭が痛い。

という言い方はしない。発話者には、たとえ医者や母親やボーイフレンドでも、<花子の頭が痛い>のは直接的にはわからないのだ。英語はこの辺は無頓着で、第三者花子具合わからないのに(この第三者花子具合わからない>も構造上同類だ)。

Hanako has a headache.

と言って済ましてしまう。  

発話者が直接的に絡んでくる<頭が痛い>にもどる
 
頭が痛い

この文構造は<象は鼻が長い>、<キリンは首が長い>と同じ

私はといえば(主題)、頭(主語)が(格助詞)痛い形容詞述語)

<頭>は<痛い>の目的語ではない。だが、実際のところ<痛い>と感じているのは<頭>ではなく<私>だ。こう考えると<頭が痛い>はどうも変だ。<目が見えない>も同じようなところがあり実際のところ<見えない>のは<目>ではなく<私>だ。ここで<が>が使われているのに注目したい。これは上記のこんがらかった<これがいい><これはいい>の違いが説明できる。

 <これがいい>は<私はこれがいい>の<私は>を省略したもの。一方<これいい>は<私はは(が)いいと思う>の<私は>と<思う>を省略したものと考えたらどうか。

1)私はこれがいい。
2)私はいいと思う。
3)私はいいと思う

1)と3)がまぎらわしいが、状況が違う場面での発話だ。1)<私はこれがいいは意見ではなく、意思、希望、欲望の表明。主観的な心情の表明なのだ。3)<私はいいと思う>は

私は思う、これがいい、と。

<が>を使っているが、<が><これがいい>の主語<これ>を示す。これ=いい、と思うだ。2)<私はいいと思う>はまさしくこれだ。これ=いい、と思う。さて1)私はこれがいい>だが

私はどうかといえば、これ=いい、ではない。またこの<が><これがいい>の主語<これ>を示すわけではない。形態上は主語を示しているようだが、意味上は<これ>は上で述べた<欲しい>の意の<いい>の対象を示しているといえないか?

 <いい>が<欲しい>の意になる飛躍、こじつけのようにみえるかも知れないが、文法上の疑問を解き明かすには、ときにこの<こじつけ>が必要なのだ。 <いい(よい)>、<よくない>、<わるい>は好き嫌いの問題ともいえる。

現在イタリア語文法を再勉強中だが、好き嫌いは

Mi piace la choccolata.  ( I like chocolate.)
Non mi  piace la choccolata. ( I do not like chocolate.)


という。piace は動詞、他動詞で三人称単数。原形は piacere で<喜ばせる、楽しくさせる>の意に近い。英語では to please が相当。I am happy. よりは I am pleased. が大人の少しさめた言い方だ。さてpiacere なぜ三人称単数piace になるかというと、主語は最後にある la choccolata だからだ。語順を変えれば

La choccolata mi piace.

mi は<私を>で<チョコレートは私を喜ばす>で<チョコレートが好きだ>となる。

I like chocolate.
Mi piace la choccolata
チョコレートが好きだ

以上は他のポストでも検討して書いた。一部繰り返しになるが

1)英語は冠詞がないが、イタリア語は冠詞 la がある。日本語はそもそも冠詞が存在しない。(ここでは詮索しない。)

2)英語は I が主語で I が全文を支配してる。  

3)イタリア語は la choccolata が主語のMi は人称代名詞で目的語(私を)。 <私>は補語のようになっており、文を支配していない。

4)日本語は

<私は>の<は>主語を示す格助詞ではなく係助詞(または副助詞)で<私はといえば>といった意味。したがって<私>は主語ではなく、文を支配していない<チョコレートが>の<が>は格助詞で<チョコレートが>が主語のようだが、上で説明したように、こは対格をを示す<が>となる。<チョコレートが>が<好き>の対象となるのだ。だが問題はある。

問題1 - 主語はないのか?

問題2 - <好き>はこれまた上で説明したように、<好き>はあまり使わないが動詞<好く>の連用形の体言、名詞用法に断定の助動詞<だ>が付いたもの。この<好きだ>は目的格をとることができるのか?

チョコレートが好きだ

の文法的解析は難しい。

<好き>はあまり使わないが動詞<好く>の連用形の体言、名詞用法なので、体言名詞)とはいえ動詞<好く>の動詞的意味は保存している。純体言名詞)的な<好きなこと>ではないだ。

<行きはよいよい、帰りはこわい>は<行くことはいい、帰ることはこわい>ではない。

<好く>はあまり使わないが、他動詞で<xxを好く>のように使う。したがって

私はといえばチョコレートが好きだ。 - 私はといえばチョコレートを好く(だ)。

右の文も左の文も主語がない。

私はといえばチョコレートが好きだ。

イタリア語にならって

チョコレートが私を喜ばせる。 はおかしい。

私はといえばチョコレート好きだ。 もおかしい。

チョコレートが私を好きだ。 も変で、翻訳調っぽいが可能だ。しかもこの場合<私はといえば>はいらない。<チョコレートが>で<チョコレート>が主語。<好きだ>は<を>もとれることになる。これは<好き>が動詞<好く>の意味を保存しているからだろう。文法的にはおちどがない。

チョコレートが私が好きだ。 はダメ。<が>が重なる。


チョコレートは私が好きだ。  は変だが、文法的にOK<xxはyyが好き>の構文だ。
 
まだ宿題が残っている。

チョコレートが好きだ

問題1 - 主語はないのか?

次回へ続く。

sptt