Thursday, October 8, 2020

<と>は日本語の大発明 -2

 

だいぶ前のポスト ”<と>は日本語の大発明”  で格助詞の<と>については書いたが、接続助詞の<と>というのもある。

前回のポスト ”<xx (し)ておく>とはいったいどういう意味か?”  で次の部分を挿入した。

<完了仮定>がでてきたところで、仮定の構造をチェックしてみる。簡単な仮定文は

1)(もし)xx(す)ると、 (もし)行くと、 (もし)すると

2)(もし)xx(す)れば、 (もし)行けば、 (もし)すれば

 3)(もし)xx なら(ば)、  (もし)行くなら(ば)、 (もし)するなら(ば)、 (もし)Aなら(ば)      

4)(もし)xx(し)たら (もし)行いったら、 (もし)したら

 などが考えられるが、1)は<もし>をつけても仮定らしくない。<もし>を取り去ると

1)xx(す)ると、行くと、 来ると (食べると、やめると、etc)

で仮定ではなくなる。これは助詞<と>に起因するようだ。だがいくつか例文を作って検討してみる。

0)風が吹くと桶屋がもうかる。 (これは落語かなにかのコピー)
1)手から石をはなすと石は落ちる。
2)雨が降ると地がぬれる。
3)食べるとねむたくなる。食べてばかりいるとふとる。
4)会社をやめると月々の収入がなくなり、家計がなりたない。
5)学校に行くと友達に会える。学校に行くと先生にしかられる。
6)雨が降ると運動会は中止だ。
7)花子が来ると助かる。太郎が来るとやっかいだ。

仮定部はないが、言葉に現れていない隠れた仮定に基づいた推論とも考えられるのでやっかいだ。だが、明らかに仮定をしめすと

0)もし風が吹けば桶屋がもうかる。
1)もし手から石をはなせば、石は落ちる。
2)もし雨が降れば地はぬれる。
3)もし食べれば、ねむたくなる。もし食べてばかりいれば、ふとる。
4)もし会社をやめれば、月々の収入がなくなり、家計がなりたない。
5)もし学校に行けば、友達に会える。もし学校に行けば、先生にしかられる。
6)もし雨が降れば、運動会は中止だ。
7)もし花子が来れば、助かる。もし太郎が来れば、やっかいだ。

で日本語として怪しげなのがある。説明を加えてみる。

1)もし手から石をはなせば、石は落ちる。 - 自然の成り行き、物理法則。これは試さなくても想像がつく。だがなぜか仮定部にあまり変な感じはない。
2)もし雨が降れば地はぬれる。- この仮定部は変だ。この現象はほぼ自然の成り行きなのだ。
3)もし食べれば、眠くなる。 - この仮定部も変だ。<食べる->眠くなる>もほぼ自然の成り行きなのだ。 もし食べてばかりいれば(いたら)、ふとる。(ので、食べないでおく)。だが、これも何か変で不自然だ。
4)もし会社をやめれば(やめたら)、月々の収入がなくなり、家計がなりたなくなる。(だからやめないだろう)
5)もし学校に行けば、友達に会える。(だから行く)
もし学校に行けば(行ったら)、先生にしかられる。(だから行かない)
6)もし雨が降れば、運動会は中止だ。(雨は降りそうもないが、もし雨が降ったら、運動会は中止になる。)
7)もし花子が来れば、助かる。(だから来てほしい)。もし太郎が来れば、やっかいだ。(だから来ないでほしい)

1)、2)、3)は仮定文とはいいがたい。自然現象は大体法則があり、現象はこれにしたがうので仮定が成り立ちにくいといえる。

0)もし風が吹けば桶屋がもうかる。

は前半の仮定部は自然現象だが、後半は人事(社会現象)だ。 解説は読者にまかせることにしておく

4)、5)、6)、7)は仮定の意味がなりたち、解説のような<含み>がある。大体人事(社会現象)だ。人事、社会現象は不確実性の世界だ。

ポイントは仮定を使った文は多分に不確実性の世界を表現する。一方

1)手から石をはなすと石は落ちる。
2)雨が降ると地がぬれる。
3)食べるとねむたくなる。食べてばかりいるとふとる。

はかなり確実性の高い世界だ。前半の行為、行動、作用、現象がほぼ後半の結果をもたらす因果関係がある。ここで接続助詞の<と>が使われる。だから<もし . . . . . 動詞仮定形+ば>としても、仮定の世界が成り立ちにくい。これは一種の文法違反だ。文法的には正しいがそうは言わない、言っても聞く方は<変な感じ>を受ける。この因果関係に基づいて使われる<と>は、何の接続助詞<と>と言ったらいいか?

高確実性の接続助詞<と>
高実現確率の接続助詞<と>

物理用語で potential というのがある。

まだ実現はされてはいないが、実現されるとほぼ間違いなく<そう>なる実現前の状態。

因果関係を強調すると

まだ実現はされてはいないが、条件が満たされれば、ほぼ間違いなく<そう>させる実現前の状態。

のこと(状態)をいうようだ。 

potential は物理ではなぜかポテンシャルとそのまま使われる。物理を離れれば大体<潜在能力>と訳されている。<潜在能力>は文字通りでは<潜在している能力>、言い換えれば、まだ実現(顕在化)はしていないが、条件満たされれば<力>が実現(顕在化)する。<力>は目に見える何らかの作用をする。

潜在能力の接続助詞<と>

長くなるが 

潜在能力を示す接続助詞<と>

が考えらるが、的はずれだ。

一方<可能性>と言う言葉がある。<可能>は文法用語で使われるのでまぎらわしくなるが

高い可能性を示す接続助詞<と>

で意味内容は伝わる。 だがこれでは長すぎて文法用語にならない。

さて、エネルギーは中国語で何と言うかというと、物理学もふくめて普通は<能源>というようだ。エネルギー関連会社の名前には大抵<能源>の字がつく。能源>は<>の字があるのでポテンシャルエネルギーの意になりそうだが、調べてみるとポテンシャルエネルギーの中国語は<勢能>。とすると<能>がエネルギーの意にりそうだが、<勢能>の能>は能源>の略だろう。<勢>の字は何となく<なろうとする>といった意味が感じられる。能>の字は中国語の初級テキストで<できる>の項目で

能 -  能力的にできる(できない)。 <能不 xxxx> で疑問文になる。

一方

可以 - できる(できない)。してもいい(許されている)。 <可以  xxxx> で疑問文になる。

だがオーバーラップしているところもありともに「条件や状況からできる」。

という解説がある。<条件や状況>には<能力的に>、<許されている>をふくめることができ、一般化すると(普遍性をもたせる)と<条件や状況からできる>という意味になる。これは何のことはない日本語の<できる>で

できる -  能力的に、許されて(という条件や状況から)<できる>となる。

英語の can は

Can you swim ? は大体<きみは水泳ができますか(水泳ができる能力がありますか)?>

となるが、 条件や状況から

Can I swim here ?  は大体<私はここでおよいでもいいですか?>となる。

のように使われる。したがって英語の can も日本語の<できる>と同じく

 can   - 能力的に、許されて(という条件や状況から)<できる>となる。

日本語の<可能>は「条件や状況からできる」、<可能性>は「条件や状況からできる」度合、を意味するといえる。

高い可能性を示す接続助詞<と>

はさらに長くなるが大和言葉を多くすると

条件や状況が満たされれば、ほぼ決まって<そう>なることを示す接続助詞<と>

と言い直すことができる。

-----

念のため手もとの辞書にあたってみた。

1)因果関係を示さない<と>がある。

家をでると雨が降りだした。
近づいてよく見ると花子は泣いていた。

2)<高い可能性を示す接続助詞<と>>にあたるもの。例文では<決まって>という副詞が使われており、高い実現可能性をしめしている。いいかえれば<因果>は<決まって>いるのだ。

3)<仮定>を示す。後に想定される帰結、結果が述べられる。

今行かないと、遅れる。

<花子と太郎>の<と>は格助詞または並列助詞ということになっている。

 

<おまけ> 格助詞の<と>

”<と>は日本語の大発明” のコピー

<と>が日本語の大発明であるのを発見したのは大分前で2012年9月に<日本語の助詞>という大きなタイトルのポストを書いているときだ。前回のポスト ”<言う>は自動詞、他動詞?” を書いているときに<xxx と言う>のが出てきたので 念のため<と>を手もとの辞書(三省堂、新字解、第6版)で確認してみた。格助詞の解説は次のようになっている。

① 動作、作用をする上で必要とされる相手(対象)であることを表わす、

例) xx と会う、 xx と結婚する、 xx と遊ぶ、 xx と戦う

おおしろいのは英語との対比で<xx と会う>と<xx と結婚する>は、試験問題によく出てくるようだが、

to meet xx
to meet with xx

to marry xx
to get married with xx

の二通りある。

さて今問題にしている<と>は②の解説になる。

② 思考、表現、行動の内容がそれであること表わす。

この辞書を引き慣れていない人のは、これでは何のことだかわからないだろう。 特に<内容がそれである>の<それ>だ。何が<それ>なのか? この辞書はよくわからない<それ>が解説のなかでよく出て来る。

② 例として


xx と思う、xx と見る、xx と考える、xx と想像する、xx と言う、xx と伝える、xx と呼ぶ(*注)、
xx と決める、xx と判定する



があげられている。 簡単に解釈すると<xx>のところが<それ>なのだろう。これを言い換えて、

<と>は思考、表現、行動の内容であること表わす。

としたらどうか?<xx と決める>と<xx と判定する>は思考、表現、行動と言うよりは<決定(の内容)>でいいと思うが、決定を思考の結果といれば<決定>がなくてもよさそう。だが、

<と>は思考、表現、行動の内容であること表わす。

は簡単でよさそうだが、少し、または少しよく考えるとこれも何かおかしい。何かが抜けているような感じがする。何かとは何か? 結論を言うと、<それ>が抜けているのだ。<と>は内容あらわしているのではないのだ。細かく言うと、<xx>が内容に当たるが、<と>は内容を表わしているわけではない。内容は<xx>なのだ。これでは堂々めぐりになりそう。ここで<と>は格助詞であることを再認識しよう。助詞とは何か? <日本語の助詞>でもしつこく書いたが、

sptt Notes on Gramar<日本語の助詞>


助詞の特徴はなんども述べてきたが、<内包された(implied)意味、または同じ文の中の他の語との関係を示す>ということだ。助詞自体に明示された(explicit)意味はない。


<助詞自体に明示された(explicit)意味はない> のだ。つまり

<と>は<思考、表現、行動の内容であること表わす>働きをする
 <と>は前にある<思考、表現、行動の内容>と後ろにある動詞(思う、見る、考える、etc )の関係を示す

ということだ。 何のことはない。


(*)注

<xx と呼ぶ>はやや違うようだがが、この<呼ぶ>は<yy を xx と呼ぶ>という使い方で、yy と xx 関係を示しており、xx が内容と見れればいい。

英語をまた引き合いに出す。

I think that xxxx

は<私は xxxx と考える>なので

that = と

となる。それではこの that は何か。おそら that 以下の内容(xxxx)を示す接続詞だろう。しかし、上記の<と>の機能からは接続詞というよりは "関係詞" だ。関係詞といえば関係代名詞がすぐ思い浮かぶが、 that は関係代名詞だろうか? 実は、隠れた関係代名詞なのだ。英語の辞書や教科書には説明がないようだが(よく調べてはいない)、 この that はもともと(古くは)

I think that xxxx で

I think that xxxx ではないのだ。つまりは

 I think that (that is) xxxx  = 私はそれを考える それとは xxxx だ。

とうことだ。この説明は相良独和大辞典で見つけた。

xxxxen (動詞) das xxxx  ----> xxxxen (動詞), daß (dass)


<と>は手もとの辞書では格助詞としてさらに③、④、⑤、⑥ の意味(内包された(implied)意味)があり、さらに接続助詞としてロジックにも使われる( xxx になる yyy )。<と>は単音節(to)の一字に過ぎないが、文法上もさることながら、日本語のなかで大活躍しており、その機能を考えると日本語の大発明と言える。

 

sptt

 

Sunday, October 4, 2020

<xx (し)ておく>とはいったいどういう意味か?

 

別のところで<とりあえず xx (し)ておく>を検討したが、<xx (し)ておく>はかなり複雑、意味ありげなので調査、分析することにした。

これを 英語に訳すと<(temporarily) to put it done (this way and wait and see)>とでもなるか。<xx (し)ておく>の使用ははいろいろな場面が考えられる。

<とりあえず xx (し)ておく>は

例文

とりあえず早めに行っておこう。
今日はとりあえずここまでにしておきましょう。
とりあえずうまくいった(成功した)ことにしておきましょう。
とりあえず<よし>ということにしておこう。
勝ち負けがつかないので、とりあえず引き分けということにしておこう。
大雨なので、とりあえず今日は出かけないことにしておこう(行くのはやめにしておこう)。
(生死にかかわるゆゆしき場面だが)とりあえず生かしておくことにしよう。

場面は大体<決定>に関しており(このあとすぐに<する-しないの行動>がとられる場合もある)。したがって実生活では重要な場面で使われる、といえる。ところがこの<決定>は考えられる最善のものではない。最善のものではないことは承知のうえ、あるいは最善のものが考えつかない場合でも<決定>したほうがいい、<決定>しておいたほうがいいと考えての決定だ。漢語では<次善策>というのがあるが、これに相当するか。<とりあえず>がつくと時間の制約が加わるようだ。最善策を考えているヒマがないのだ。時間の制約がなくとも最善策をとれない状況にある場合もある。


<とりあえず>がない場合。

早めに行っておこう。
今日はここまでにしておきましょう。
うまくいった(成功した)ことにしておきましょう。
<よし>ということにしておこう。
勝ち負けがつかないので、引き分けということにしておこう。
大雨なので、今日は出かけないことにしておこう(行くのはやめにしておこう)。
生かしておくことにしよう。

上記の例文から<とりあえず>をとっただけなのだが、<とりあえず>感というか、<とり急ぎ>感はないが意味は十分伝わる。よく見ると、例文の最後は<ましょう、う、しよう>となっている。今度はこれらを除いてみる。

早めに行っておく。
今日はここまでにしておく。
うまくいった(成功した)ことにしておく。
<よし>ということにしておく。
勝ち負けがつかないので、引き分けということにしておく。
大雨なので、今日は出かけないことにしておく(行くのはやめにしておく)。
生かしておくことにする。

これらは言いきり(決断)で<未来(これからどうなる>、<含(ふく)み)>が感じられれない。それでもまだ、意味はたもたれている。実際の場では、こういうぶっきら棒な発話は少ないだろう。ということは、<xx(し)ておく>と<(まし)ょう、う、(し)よう>は相性がいいと言うか、一種の<かかり言葉>的表現とも言える。

今度はさらに<おく>と除いてみる。

早めに行く。
今日はここまでにする。
うまくいった(成功した)ことにする。
<よし>ということにする。
勝ち負けがつかないので、引き分けということにする。
大雨なので、今日は出かけないことにする(行くのはやめにする)。
生かすことにする。

意味が通じるのもあれば意味が通じないのもある。したがって<xx ておく>は大きな意味をもっている、ということになる。冒頭に英語訳の例をあげておいた。

冒頭に書いたが、<とりあえず xx (し)ておく>を英語に訳すと<(temporarily) to put it done (this way and wait and see)>とでもなるが、最後の<and wait and see >に<未来(これからどうなる)>、<含(ふく)み)>があるようだ。< xx (し)ておく>にこのような意味が隠されているとすると<ましょう、う、しよう>末尾、さらにはこの<かかり結び>表現が俄然(ガゼン)精彩をあびてくる。

手もとの辞書(三省堂新辞解)の末尾に助動詞リストがあり、このリストでは簡単に

う、よう - 時制、未来。未然形につく。

という解説がある。一方助動詞<う>、助動詞<よう>の単独項目ではくわしい解説があるが、項目の解説では<時制、未来>はでてこない。<う>も<よう>も似たりよったりで、

1)主体の意志をあらわす。
2)主体の推量、判断をあらわす

これらは英語のwill、shall の簡単な解説と同じでわかったようでよくわからない。

1)主体の意志をあらわす

比較のため

1)私はしよう。私は行こう。(一人称)
2)君はしよう。君は行こう(二人称)
3)太郎はしよう。太郎は行こう。(三人称)
4)君と僕は一緒にしよう。君と僕は一緒に行こう。(一人称、二人称の複数)

の例文がつくれるが、 <君と僕は一緒に行こう。>以外は実際には使いそうもない。

<私は行こう>は<私は行きましょう>ならいいそう。<私は行く>、<私は行きます>は意志かつ未来を表わすといえる。むしろ<私は行きましょう>は意志が脆弱(ぜいじゃく)になる。

2)主体の推量、判断をあらわす

主体を発話者とすると

1)私はしよう。私は行こう。(一人称)
2)君はしよう。君は行こう。(二人称)
3)太郎はしよう。太郎は行こう。(三人称)

は<主体の推量、判断>になりうりうるが、これらもまたこのようにはいいそうもない。主体 (発話者) の判断であれば、簡潔に

1)私はする。私は行く。(一人称)
2)君はする。君は行く。(二人称)
3)太郎はする。太郎は行く。(三人称)

でいい。日本語の動詞現在形(正式にはこのような文法用語はないようだ)は習慣、未来、主体(発話者)の意志、推量を表わす。意味上<現在形>がないとすると<現在形>よりは終止形という文法用語を使った方がいい。終止形は<言い切りの形>で使われ方の用語で、意味を示しているわけではない。またこの形で常に終止するかというと、終止形に接続する助詞などもあるようだ(チェック要。終止形と連体形は同じになる場合が多い)。

太郎が行く。
太郎は行く。
太郎が行くなら
太郎が行くとすれば . . . . . 

さて話がずれて行きそうなので<係り結び>の話にもどる。

辞書の末尾に助動詞リストの簡単解説にもどると

う、よう - 時制、未来。未然形につく。

<未然形につく>とあり、こちらの方が重要なカギをにぎっているのではないか。私は習慣的に未然形をチェックするには<xx ない> で探し出す。

行かない (5段)
起きない (上二段)
染めない (下二段)
しない (変格)
こない (変格)

未然は<いまだしからず> (まだそうなっていない) の意だが、これは<そうなる予定、はず>の意が隠れている。<そうなる予定、はず>のこととの暗黙の比較がなされている。<まだ (いまだ) >を加えると

まだ行かない
まだ起きない
まだ染めない
まだしない
まだこない

で活用は変わらない。 <いまだしからず>は重要な意味をもっており、係り結びの後半<う、よう>がつく動詞の未然形はこの意味を含んでいるとみていい。さてこの<う、よう>はわけがわからなくなっているが、古語の簡潔は助動詞<む>由来だ。前々回のポスト<まる-める動詞 - III >からの引用部の再引用になるが

さてこの形容詞の語幹につく<む>だが、これが古語の助詞の<む>だろう。 ネット辞典にあったてみたがいろいろの意味 (推量、意志、etc) がありどうもはっきりしない。

 https://kobun.weblio.jp/content/%E3%82%80

ほかも似たりよったり。


① 〔推量〕…だろう。…う。

② 〔意志〕…(し)よう。…(する)つもりだ。

③ 〔仮定・婉曲(えんきよく)〕…としたら、その…。…のような。▽主として連体形の用法。

④ 〔適当・勧誘〕…するのがよい。…したらどうだ。…であるはずだ。

注意

主語が一人称の場合は②の意に、二人称の場合は④の意に、三人称の場合には①の意になることが多い。

参考

中世以降は、「ん」と表記する。

語の歴史

中古末期から中世前期にかけて発音が「ン」から「ウ」に変化し、助動詞「う」の形が生じた。

https://kobun.weblio.jp/content/%E3%82%80

このネット辞書の最後に


-む

接尾語マ・四、マ・下二

形容詞の語幹などに付いて、…のような状態になる(させる)、…のように振る舞う、の意の動詞を作る。「あか(赤)む」「かなしむ」「にがむ」「ひろむ」

” 

という<おまけ>がある。<注意>のうち形容詞由来<xx む>は三人称の場合が多いので

<三人称の場合には①の意になることが多い。>に注目。また<おまけ>も大いに参考になる。<形容詞の語幹などに付いて>と<など>があるが、例は形容詞由来の<xx む>だ。

手もとの辞書(三省堂:新辞解 第6版)では

古語(雅)の助動詞<む>の解説として

1)客観的な事柄について想像したり仮定したりすることをあらわす。

2)主体の意志をあらわす。 

話が別の方向ににいみそなので、 もう一度例文を見てみる。

とりあえず早めに行っておこう。
今日はここまでにしておきましょう。
うまくいった(成功した)ことにしておきましょう。
<よし>ということにしておこう。
勝ち負けがつかないので、引き分けということにしておこう。
大雨なので、今日は出かけないことにしておこう(行くのはやめにしておこう)。
生かしておくことにしよう。

主語が明示されていないが、あえて探すと

私は(我々は)とりあえず早めに行っておこう。
授業は今日はここまでにしておきましょう。
この計画はうまくいった(成功した)ことにしておきましょう。
この作品の出来ばえは<よし>ということにしておこう。
この試合は勝ち負けがつかないので、引き分けということにしておこう。
私は大雨なので、今日は出かけないことにする(行くのはやめにする)。
太郎は生かしておくことにしよう。

の下線部が主語に見えるが、<が>ではなく<は>が使われているので文法的にはこれらは主語ではなく主題。下線部に主体 (私、我々) が出てこない例文は、変な日本語になるが

今日は授業をここまでにしておきましょう。
この計画をうまくいった(成功した)ことにしておきましょう。
この作品の出来ばえ<よし>ということにしておこう。
勝ち負けがつかないので、この試合を引き分けということにしておこう。
太郎を生かしておくことにしよう。

とすると下線部は目的語になる。

以上はチェックのためにしたもので、実際の発話内容は、(明示されていないが) 発話者の判断、決定なので一人称だ。したがって

主語が一人称の場合は②( 〔意志〕…(し)よう。…(する)つもりだ。)、手元辞書の2)主体の意志をあらわす、の意が該当するようだ。またネット辞書の

④ 〔適当・勧誘〕…するのがよい。…したらどうだ。…であるはずだ。

でもよさそう。 だが〔適当・勧誘〕は文法用語ではあまり聞かない。しかも<…であるはずだ>は適当・勧誘でもない。<…であるはずだ>確率の高い推測、場合によっては希望をあらわす。

ネット辞書の

三人称の場合には①( 〔推量〕…だろう。…う。)の意になることが多い。

と手元の辞書の

客観的な事柄について想像したり仮定したりすることをあらわす。

は共通するところがある。

三人称は人の場合もあるがモノ、コトの場合もあり、客観的な事柄といえる。そしてこの<想像したり仮定したりする>のは発話者なのだ。話が、まだ結論が出ていないが<う、よう>の方に行き過ぎたので、ここで一旦<xx (し)ておく>に戻る。

<xx (し)ておく>の<て>は何かというと、これは単なる<つなぎ語>ではない。

xx (し)てみる>はよく使う。試す(試してみる)ことなので未来のことを言っていることになるが

行ってみればわかる - この場合は<行って見る>ともとれるが<行って見てみればわかる >とすると<見る>が独立する。この<見てみる>の<みる>の方は and wait and see の see に似ていないこともない。目で実際に見るのとは違う。

実際にすればわかる。
実際に行けばばわかる。

実際にしてみればわかる。
実際に言ってみればわかる。

は似て非なるもので

実際にすればわかる。
実際に行けばわかる。

の前半<実際にすれば(行けば)>は単純仮定ともいえる。一方 

実際にしてみればわかる。
実際に行ってみればわかる。

の前半<実際にしてみれば(行ってみれば)>は完了仮定といえる。<完了仮定>は聞きなれないが文字どおりxxが済んだ><xx (し)た>ことを仮定するのだ。<仮定>は頭の中ですることなので自由度が高く、現実の制約に制限されることなくできる。<て>はこの完了の意を含んだ<つなぎ語>なのだ。現代語の<た>と関連があろう。さてこの完了の意を含んだつなぎ語<て>は<xx (し) ておく>に使われている。<みる>と<おく>では違うが <おく>は<置く>で、<置く>動作をかんがえると、一般的には<手に持っている何かを、手から放して、ある場所にとどまらせる>ことと言える。置いた後、その何かに関心がある場合もあればない場合もある。<xx (し) ておく>の<xx>はあるもの (何か) ではなく動詞の内容だが、動詞の内容のコトとすれば、<て>は完了の意なので

早めに行っておく。 -> 早めに<行った>をおく。
今日はここまでにしておく。 -> 今日はここまでに<した>をおく。
うまくいった (成功した) ことにしておく。 ー> うまく<いったこと> (成功<した>) をおく。
<よし>ということにしておく。-> <よし>ということに<した>をおく。
勝ち負けがつかないので、引き分けということにしておく。->、引き分けということに<した>おく。
大雨なので、今日は出かけないことにしておく (行くのはやめにしておく) 。出かけないことに<した>をおく(行くのはやめに<した>をおく)
生かしておくことにする。 -> <生かした>をおくことにする。

となる。 またまた変な日本語だが、頭の中では無意識にこの<xx (し) た>がある。こうすると、まだ頭の中とはいえ、ことの完了なので決定度合が高まる。高まったとはいえ頭の決定度合なので完了した現実ではなく、まだ仮定の話なのだ。だが単なる仮定ではなく<完了仮定>だ。ここでこれに<う、よう>が文末に加わると<完了仮定>を主体 (発話者) の意志をもってすること表わすということになる。これでは筋は通っているようだが、安っぽい哲学をしているようで、何のことだかわからない。これでは意味的に<かかり結び>が成り立たないし、<表現が俄然(ガゼン)精彩をあびてくる>は論外だ。どうも<う、よう>を<主体 (発話者) の意志をあらわす>を流用したしたのが悪いようだ。 

行き詰ったところで、結論を急がず気分転換に、<完了仮定>がでてきたところで、仮定の構造をチェックしてみる。簡単な仮定文は

1)(もし)xx(す)ると、 (もし)行くと、 (もし)すると

2)(もし)xx(す)れば、 (もし)行けば、 (もし)すれば

 3)(もし)xx なら(ば)、  (もし)行くなら(ば)、 (もし)するなら(ば)、 (もし)Aなら(ば)      

4)(もし)xx(し)たら (もし)行いったら、 (もし)したら

 などが考えられるが、1)は<もし>をつけても仮定らしくない。<もし>を取り去ると

 1)xx(す)ると、行くと、 来ると (食べると、やめると、etc)

で仮定ではなくなる。これは助詞<と>に起因するようだ。だがいくつか例文を作って検討してみる。

0)風が吹くと桶屋がもうかる。 (これは落語かなにかのコピー)
1)手から石をはなすと石は落ちる。
2)雨が降ると地がぬれる。
3)食べるとねむたくなる。食べてばかりいるとふとる。
4)会社をやめると月々の収入がなくなり、家計がなりたない。
5)学校に行くと友達に会える。学校に行くと先生にしかられる。
6)雨が降ると運動会は中止だ。
7)花子が来ると助かる。太郎が来るとやっかいだ。

仮定部はないが、言葉に現れていない隠れた仮定に基づいた推論とも考えられるのでやっかいだ。だが、明らかに仮定をしめすと

0)もし風が吹けば桶屋がもうかる。
1)もし手から石をはなせば、石は落ちる。
2)もし雨が降れば地はぬれる。
3)もし食べれば、ねむたくなる。もし食べてばかりいれば、ふとる。
4)もし会社をやめれば、月々の収入がなくなり、家計がなりたない。
5)もし学校に行けば、友達に会える。もし学校に行けば、先生にしかられる。
6)もし雨が降れば、運動会は中止だ。
7)もし花子が来れば、助かる。もし太郎が来れば、やっかいだ。

で日本語として怪しげなのがある。説明を加えてみる。

1)もし手から石をはなせば、石は落ちる。 - 自然の成り行き、物理法則。これは試さなくても想像がつく。だがなぜか仮定部にあまり変な感じはない。
2)もし雨が降れば地はぬれる。- この仮定部は変だ。この現象はほぼ自然の成り行きなのだ。
3)もし食べれば、眠くなる。 - この仮定部も変だ。<食べる->眠くなる>もほぼ自然の成り行きなのだ。 もしたべてばかりいれば(いたら)、ふとる。(ので、食べないでおく)
4)もし会社をやめれば(やめたら)、月々の収入がなくなり、家計がなりたなくなる。(だからやめないだろう)
5)もし学校に行けば、友達に会える。(だから行く)
もし学校に行けば(行ったら)、先生にしかられる。(だから行かない)
6)もし雨が降れば、運動会は中止だ。(雨は降りそうもないが、もし雨がふったら、運動会は中止になる。)
7)もし花子が来れば、助かる。(だから来てほしい)。もし太郎が来れば、やっかいだ。(だから来ないでほしい)

1)、2)、3)の前半は仮定文とはいいがたい。自然現象は大体法則があり、現象はこれにしたがうので仮定が成り立ちにくいといえる。

0)もし風が吹けば桶屋がもうかる。

は前半の仮定部は自然現象だが、後半は人事(社会現象)だ。 解説は読者にまかせることにしておく

3)の後半、4)、5)、6)、7)は仮定の意味がなりたち、解説のような<含み>がある。大体人事(社会現象)だ。人事(社会現象)は不確実性の世界だ。

さて、中途ハンパだが、気分転換が済んだところで

. . . . . 頭の中では無意識にこの<xx (し)た>がある。こうすると、まだ頭の中とはいえ、ことの完了なので決定度合が高まる。高まったとはいえ頭の決定度合なので完了した現実ではなく、まだ仮定の話なのだ。だが単なる仮定ではなく<完了仮定>だ。ここでこれに<う、よう>が文末に加わると<完了仮定>を主体(発話者)の意志をもってすること表わすということになる。これでは筋は通っているようだが、安っぽい哲学をしているようで、何のことだかわからない。これでは意味的に<かかり結び>が成り立たないし、<表現が俄然(ガゼン)精彩をあびてくる>は論外だ。どうも<う、よう>を<主体(発話者)の意志をあらわす>を流用したしたのが悪いようだ。

にもどる。この箇所で行きづまった、袋小路に入ってしまったのだが、解決策がある。このような場合に私がよく使う <こじつけ法>だ。<こじつけ法>はその名のとおり理由を無理やり見つけ出して説明するのだ。まわりくどくなり、ごまかし、まやかしに見えるが、少なくとも一部はスジが通っている。今回の場合、問題は<xx  (し) ておく>(完了仮定)に<う、よう>が文末に加わると<完了仮定>を主体(発話者)の意志をもってすること表わすということになる、そしてこれは<かかり結びとも言える>がうまく説明できないなのだ。

さて<う、よう>が<主体 (発話者) の意志を表わす>をもう少しつっこんで考えて見る。<主体 (発話者) の意志>は大体<xx する>意志の表明で、<xx する>内容は大方いいことだ。ここが肝心なところで、<xx (し)ておく>内容は大方いいことだ、といえる。例文を使うと

早めに行っておこう。
今日はここまでにしておきましょう。
うまくいった(成功した)ことにしておきましょう。
<よし>ということにしておこう。
勝ち負けがつかないので、引き分けということにしておこう。
大雨なので、今日は出かけないことにしておこう(行くのはやめにしておこう)。
生かしておくことにしよう。

は <xx  (し) ておく>内容は大方いいことだ。すくなくとも主体(発話者)が頭の中で比較しているものよりは相対的にいいと考えている内容なのだ。ここも肝心なところで、

比較が頭の中でほぼ無意識で行われ、これが作用して発話内容の言葉になるのだが、この頭の中の比較は言葉に出てこない。

(遅れるといけないので、遅れよりは)早めに行っておこう。
(続けると能率が落ちるので、続けるよりは)今日はここまでにしておきましょう。
(これ以上続けてうまくいかなくなるよりは)うまくいった(成功した)ことにしておきましょう。
(これ以上続けてよくならないよりは)<よし>ということにしておこう。
勝ち負けがつかないので、(これ以上続けてそれでも勝ち負けがつかないよりは)引き分けということにしておこう。
大雨なので、(出かけて濡れるよりは)今日は出かけないことにしておこう(行くのはやめにしておこう)。
(殺して話が聞けなくなるよりは)生かしておくことにしよう。 

主体(発話者)が頭の中で比較しているものよりは相対的にいいと考えている内容>に例外はないといえる。<いいと考えていること>の実行予定の表明には<う、よう>が適している。ここからさらに<こじつけ>になるが、たとえば泥棒が

<さあこれからひとはたらきしよう>と意志を表明した場合、<ひとはたらき>は<盗みをはたらく>ことなので、社会的にはよくないことだ。また盗まれた方(被害者)は迷惑や損失をこうむるのでこれまたよくないことだ。しかし泥棒の立場に立ってみると

 <さあこれからひとはたらきしよう>はうまくいけば金銭や金になる高価な宝石が手に入り、裕福になる、といういいことをすることの表明になる。貧乏な泥棒であれば家族にの家計の助けになる。極端な場合には家でおなかをすかしている子供に食べ物を買ってやれる。<しよう>は<いいことをするのだ>という表明だ。

これでツジツマが合う。したがって、残念ながら係結びとまでは行かないが、<xx  (し) ておく>と<う、よう>はうまが合うのだ。

もう一つ係結びとまでは行かないが、<xx (し)ておく>とうまが合うのは<xx 方がいい>だ。これは明らかに上記の<xx  (し) ておく>と<う、よう>の組み合わせに関連する。

早めに行っておいた方がいい。
今日はここまでにしておいた方がいい。
うまくいった(成功した)ことにしておいた方がいい。
<よし>ということにしておいた方がいい。
勝ち負けがつかないので、引き分けということにしておいた方がいい。
大雨なので、今日は出かけないことにしておいた方がいい(行くのはやめにしておいた方がいい)。
生かしておいた方がいい。。

以上も<すくなくとも主体(発話者)が頭の中で比較しているものよりは相対的にいいと考えている内容>は<xx  (し) ておく>で、この場合は<xx  (し) ておいた方がいい>と言葉に出して表明しているのだ。

 

sptt