Thursday, October 8, 2020

<と>は日本語の大発明 -2

 

だいぶ前のポスト ”<と>は日本語の大発明”  で格助詞の<と>については書いたが、接続助詞の<と>というのもある。

前回のポスト ”<xx (し)ておく>とはいったいどういう意味か?”  で次の部分を挿入した。

<完了仮定>がでてきたところで、仮定の構造をチェックしてみる。簡単な仮定文は

1)(もし)xx(す)ると、 (もし)行くと、 (もし)すると

2)(もし)xx(す)れば、 (もし)行けば、 (もし)すれば

 3)(もし)xx なら(ば)、  (もし)行くなら(ば)、 (もし)するなら(ば)、 (もし)Aなら(ば)      

4)(もし)xx(し)たら (もし)行いったら、 (もし)したら

 などが考えられるが、1)は<もし>をつけても仮定らしくない。<もし>を取り去ると

1)xx(す)ると、行くと、 来ると (食べると、やめると、etc)

で仮定ではなくなる。これは助詞<と>に起因するようだ。だがいくつか例文を作って検討してみる。

0)風が吹くと桶屋がもうかる。 (これは落語かなにかのコピー)
1)手から石をはなすと石は落ちる。
2)雨が降ると地がぬれる。
3)食べるとねむたくなる。食べてばかりいるとふとる。
4)会社をやめると月々の収入がなくなり、家計がなりたない。
5)学校に行くと友達に会える。学校に行くと先生にしかられる。
6)雨が降ると運動会は中止だ。
7)花子が来ると助かる。太郎が来るとやっかいだ。

仮定部はないが、言葉に現れていない隠れた仮定に基づいた推論とも考えられるのでやっかいだ。だが、明らかに仮定をしめすと

0)もし風が吹けば桶屋がもうかる。
1)もし手から石をはなせば、石は落ちる。
2)もし雨が降れば地はぬれる。
3)もし食べれば、ねむたくなる。もし食べてばかりいれば、ふとる。
4)もし会社をやめれば、月々の収入がなくなり、家計がなりたない。
5)もし学校に行けば、友達に会える。もし学校に行けば、先生にしかられる。
6)もし雨が降れば、運動会は中止だ。
7)もし花子が来れば、助かる。もし太郎が来れば、やっかいだ。

で日本語として怪しげなのがある。説明を加えてみる。

1)もし手から石をはなせば、石は落ちる。 - 自然の成り行き、物理法則。これは試さなくても想像がつく。だがなぜか仮定部にあまり変な感じはない。
2)もし雨が降れば地はぬれる。- この仮定部は変だ。この現象はほぼ自然の成り行きなのだ。
3)もし食べれば、眠くなる。 - この仮定部も変だ。<食べる->眠くなる>もほぼ自然の成り行きなのだ。 もし食べてばかりいれば(いたら)、ふとる。(ので、食べないでおく)。だが、これも何か変で不自然だ。
4)もし会社をやめれば(やめたら)、月々の収入がなくなり、家計がなりたなくなる。(だからやめないだろう)
5)もし学校に行けば、友達に会える。(だから行く)
もし学校に行けば(行ったら)、先生にしかられる。(だから行かない)
6)もし雨が降れば、運動会は中止だ。(雨は降りそうもないが、もし雨が降ったら、運動会は中止になる。)
7)もし花子が来れば、助かる。(だから来てほしい)。もし太郎が来れば、やっかいだ。(だから来ないでほしい)

1)、2)、3)は仮定文とはいいがたい。自然現象は大体法則があり、現象はこれにしたがうので仮定が成り立ちにくいといえる。

0)もし風が吹けば桶屋がもうかる。

は前半の仮定部は自然現象だが、後半は人事(社会現象)だ。 解説は読者にまかせることにしておく

4)、5)、6)、7)は仮定の意味がなりたち、解説のような<含み>がある。大体人事(社会現象)だ。人事、社会現象は不確実性の世界だ。

ポイントは仮定を使った文は多分に不確実性の世界を表現する。一方

1)手から石をはなすと石は落ちる。
2)雨が降ると地がぬれる。
3)食べるとねむたくなる。食べてばかりいるとふとる。

はかなり確実性の高い世界だ。前半の行為、行動、作用、現象がほぼ後半の結果をもたらす因果関係がある。ここで接続助詞の<と>が使われる。だから<もし . . . . . 動詞仮定形+ば>としても、仮定の世界が成り立ちにくい。これは一種の文法違反だ。文法的には正しいがそうは言わない、言っても聞く方は<変な感じ>を受ける。この因果関係に基づいて使われる<と>は、何の接続助詞<と>と言ったらいいか?

高確実性の接続助詞<と>
高実現確率の接続助詞<と>

物理用語で potential というのがある。

まだ実現はされてはいないが、実現されるとほぼ間違いなく<そう>なる実現前の状態。

因果関係を強調すると

まだ実現はされてはいないが、条件が満たされれば、ほぼ間違いなく<そう>させる実現前の状態。

のこと(状態)をいうようだ。 

potential は物理ではなぜかポテンシャルとそのまま使われる。物理を離れれば大体<潜在能力>と訳されている。<潜在能力>は文字通りでは<潜在している能力>、言い換えれば、まだ実現(顕在化)はしていないが、条件満たされれば<力>が実現(顕在化)する。<力>は目に見える何らかの作用をする。

潜在能力の接続助詞<と>

長くなるが 

潜在能力を示す接続助詞<と>

が考えらるが、的はずれだ。

一方<可能性>と言う言葉がある。<可能>は文法用語で使われるのでまぎらわしくなるが

高い可能性を示す接続助詞<と>

で意味内容は伝わる。 だがこれでは長すぎて文法用語にならない。

さて、エネルギーは中国語で何と言うかというと、物理学もふくめて普通は<能源>というようだ。エネルギー関連会社の名前には大抵<能源>の字がつく。能源>は<>の字があるのでポテンシャルエネルギーの意になりそうだが、調べてみるとポテンシャルエネルギーの中国語は<勢能>。とすると<能>がエネルギーの意にりそうだが、<勢能>の能>は能源>の略だろう。<勢>の字は何となく<なろうとする>といった意味が感じられる。能>の字は中国語の初級テキストで<できる>の項目で

能 -  能力的にできる(できない)。 <能不 xxxx> で疑問文になる。

一方

可以 - できる(できない)。してもいい(許されている)。 <可以  xxxx> で疑問文になる。

だがオーバーラップしているところもありともに「条件や状況からできる」。

という解説がある。<条件や状況>には<能力的に>、<許されている>をふくめることができ、一般化すると(普遍性をもたせる)と<条件や状況からできる>という意味になる。これは何のことはない日本語の<できる>で

できる -  能力的に、許されて(という条件や状況から)<できる>となる。

英語の can は

Can you swim ? は大体<きみは水泳ができますか(水泳ができる能力がありますか)?>

となるが、 条件や状況から

Can I swim here ?  は大体<私はここでおよいでもいいですか?>となる。

のように使われる。したがって英語の can も日本語の<できる>と同じく

 can   - 能力的に、許されて(という条件や状況から)<できる>となる。

日本語の<可能>は「条件や状況からできる」、<可能性>は「条件や状況からできる」度合、を意味するといえる。

高い可能性を示す接続助詞<と>

はさらに長くなるが大和言葉を多くすると

条件や状況が満たされれば、ほぼ決まって<そう>なることを示す接続助詞<と>

と言い直すことができる。

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念のため手もとの辞書にあたってみた。

1)因果関係を示さない<と>がある。

家をでると雨が降りだした。
近づいてよく見ると花子は泣いていた。

2)<高い可能性を示す接続助詞<と>>にあたるもの。例文では<決まって>という副詞が使われており、高い実現可能性をしめしている。いいかえれば<因果>は<決まって>いるのだ。

3)<仮定>を示す。後に想定される帰結、結果が述べられる。

今行かないと、遅れる。

<花子と太郎>の<と>は格助詞または並列助詞ということになっている。

 

<おまけ> 格助詞の<と>

”<と>は日本語の大発明” のコピー

<と>が日本語の大発明であるのを発見したのは大分前で2012年9月に<日本語の助詞>という大きなタイトルのポストを書いているときだ。前回のポスト ”<言う>は自動詞、他動詞?” を書いているときに<xxx と言う>のが出てきたので 念のため<と>を手もとの辞書(三省堂、新字解、第6版)で確認してみた。格助詞の解説は次のようになっている。

① 動作、作用をする上で必要とされる相手(対象)であることを表わす、

例) xx と会う、 xx と結婚する、 xx と遊ぶ、 xx と戦う

おおしろいのは英語との対比で<xx と会う>と<xx と結婚する>は、試験問題によく出てくるようだが、

to meet xx
to meet with xx

to marry xx
to get married with xx

の二通りある。

さて今問題にしている<と>は②の解説になる。

② 思考、表現、行動の内容がそれであること表わす。

この辞書を引き慣れていない人のは、これでは何のことだかわからないだろう。 特に<内容がそれである>の<それ>だ。何が<それ>なのか? この辞書はよくわからない<それ>が解説のなかでよく出て来る。

② 例として


xx と思う、xx と見る、xx と考える、xx と想像する、xx と言う、xx と伝える、xx と呼ぶ(*注)、
xx と決める、xx と判定する



があげられている。 簡単に解釈すると<xx>のところが<それ>なのだろう。これを言い換えて、

<と>は思考、表現、行動の内容であること表わす。

としたらどうか?<xx と決める>と<xx と判定する>は思考、表現、行動と言うよりは<決定(の内容)>でいいと思うが、決定を思考の結果といれば<決定>がなくてもよさそう。だが、

<と>は思考、表現、行動の内容であること表わす。

は簡単でよさそうだが、少し、または少しよく考えるとこれも何かおかしい。何かが抜けているような感じがする。何かとは何か? 結論を言うと、<それ>が抜けているのだ。<と>は内容あらわしているのではないのだ。細かく言うと、<xx>が内容に当たるが、<と>は内容を表わしているわけではない。内容は<xx>なのだ。これでは堂々めぐりになりそう。ここで<と>は格助詞であることを再認識しよう。助詞とは何か? <日本語の助詞>でもしつこく書いたが、

sptt Notes on Gramar<日本語の助詞>


助詞の特徴はなんども述べてきたが、<内包された(implied)意味、または同じ文の中の他の語との関係を示す>ということだ。助詞自体に明示された(explicit)意味はない。


<助詞自体に明示された(explicit)意味はない> のだ。つまり

<と>は<思考、表現、行動の内容であること表わす>働きをする
 <と>は前にある<思考、表現、行動の内容>と後ろにある動詞(思う、見る、考える、etc )の関係を示す

ということだ。 何のことはない。


(*)注

<xx と呼ぶ>はやや違うようだがが、この<呼ぶ>は<yy を xx と呼ぶ>という使い方で、yy と xx 関係を示しており、xx が内容と見れればいい。

英語をまた引き合いに出す。

I think that xxxx

は<私は xxxx と考える>なので

that = と

となる。それではこの that は何か。おそら that 以下の内容(xxxx)を示す接続詞だろう。しかし、上記の<と>の機能からは接続詞というよりは "関係詞" だ。関係詞といえば関係代名詞がすぐ思い浮かぶが、 that は関係代名詞だろうか? 実は、隠れた関係代名詞なのだ。英語の辞書や教科書には説明がないようだが(よく調べてはいない)、 この that はもともと(古くは)

I think that xxxx で

I think that xxxx ではないのだ。つまりは

 I think that (that is) xxxx  = 私はそれを考える それとは xxxx だ。

とうことだ。この説明は相良独和大辞典で見つけた。

xxxxen (動詞) das xxxx  ----> xxxxen (動詞), daß (dass)


<と>は手もとの辞書では格助詞としてさらに③、④、⑤、⑥ の意味(内包された(implied)意味)があり、さらに接続助詞としてロジックにも使われる( xxx になる yyy )。<と>は単音節(to)の一字に過ぎないが、文法上もさることながら、日本語のなかで大活躍しており、その機能を考えると日本語の大発明と言える。

 

sptt

 

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