Saturday, June 26, 2021

<キジも鳴かずば>の<も>について、<も>は大助詞-3

<キジも鳴かずばうたれまい>がふと頭にうかんできたので、ネットで調べていたら、下記の英語による説明にヒットした。

https://landofnu.com/2018/12/23/if-this-post-is-too-long-i-cant-say-i-wasnt-warned/

雉も鳴かずば撃たれまい
(Kiji mo nakazuba utaremai;
“Even the pheasant, if it doesn’t cry out, won’t be shot”)

相当長く詳しい、いい解説なのだが、<も>のところは


も (mo) in its emphatic role


と簡単だ。 また<“Even the pheasant>も苦心の訳で<譲歩>的な訳となっている。 だが<雉も鳴かずば撃たれまい>の<も>に譲歩的な意味をとるのは難しい。この英訳を日本語に直すと

雉でさえも、鳴かなければ、撃たれることはないだろう。

となり<雉も鳴かずば撃たれまい>にはならない。そもそもこの日本語はすんなり英語いならないのだ。

というわけで、私なりに挑戦してみた。 

少し前に ” 譲歩の大助詞<も> ” というポストを書いたが、その中で<も>について考えて

菊もかおる季節 - これは少し難しい。菊以外にかおるものがあることを言外に表わしているだろうか?<バラがかおる、クチナシがかおる、キンモクセイがかおる>を言外に表わしているだろうか?

<菊もかおる季節>は<菊がかおる季節>、少し詩的に<菊かおる季節>と言えるが、<菊もかおる季節>は<菊かおる季節>に相当近い。上で<たり>で少しふれたが<余韻を残す>レトリックと言えないか。<余韻を残す>レトリックは歌によくつかわれる。<菊がかおる季節>は明確、間違いなくていいが、余韻が残らない。この明確さをさけて余韻を残す手法は詩や歌の歌詞に多い。多分作詞家も無意識のうちにやっているのだろう。


と書いた。<余韻を残す>では文法的でないので、もう少し大助詞<も>について文法的に検討してみることにした。

入れ替えやってみる。

雉が鳴かずば撃たれまい。

ほとんどまったくダメ、日本語としてナンセンスのようだ。

<雉が鳴かずば>は現代語では文脈がないので<雉が鳴かなければ>でも<雉が鳴かなかなかったならば>でもよさそうだ。後半は

<雉が鳴かなければ>であれば<撃たれないだろう>

<雉が鳴かなかなかったならば>であれば<撃たれなかったであろう>。続けてみると

雉が鳴かなければ撃たれないだろう。

まったくダメ、日本語としてナンセンス。<が>は一般論的な説明(この場合は教訓)にむかないのだ。

雉が鳴かなかなかったならば撃たれなかったであろう。

これは一般論的な説明ではなく<過去のできごとの言及>を想定させるので、<まったくダメ>というわけではない。だがこれもかなり日本語としてナンセンスだ。それは後半の<撃たれなかったであろう>が<過去のできごとの言及>ではなく、話者の現在の意見だからだろう。

雉が鳴かなかなかったならば、わたしは撃たなかった。

ならば後半も<過去のできごとの言及>でナンセンスでなくなる。これが<が>の用法で、<は>では

雉は鳴かなかなかったならば、わたしは撃たなかった。

となり、なにか変だ。変でなくするには

雉は鳴かなかなかったならば、わたしは撃たなかった、のに。

あるいは

雉は、鳴かなかなかったならば、わたしは撃たなかった。

でなんとかなるが、暗黙のうちに

 (あの撃たれた)雉は鳴かなかなかったならば、わたしは撃たなかった、のに。

 (あの撃たれた)雉は、鳴かなかなかったならば、わたしは撃たなかった、のに。

となる。一方上で述べた 

雉が鳴かなかなかったならば撃たれなかったであろう。

あの撃たれた雉が鳴かなかなかったならば撃たれなかったであろう。

はやや変になる。これは<が>のなせるわざで、あえて<暗黙のうちに>にを加えると、

(特にどの雉とは言わないが)雉が鳴かなかなかったならば撃たれなかったであろう。

 となるが、これも変だ。なぜ変かといいうと、撃たれてしまった雉は特定されているからだ。

現在形(正確には<一般叙述形>か)

雉が鳴かなかないならば、わたしは撃たない。

は文法的にはよさそうだが、意味的にはナンセンスだ。

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。
鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス。
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス。 

というのがあるが、言い換えをしてみると、

雉が鳴かぬなら殺してしまえ。
雉が鳴かぬなら鳴かせてみよう。
雉が鳴かぬなら鳴くまで待とう。

で問題ないようだ。<は>を使うと、

雉は鳴かぬなら殺してしまえ。
雉は鳴かぬなら鳴かせてみよう。
雉は鳴かぬなら鳴くまで待とう。

これはナンセンスのようだが、暗黙のうちに

(その)雉は鳴かぬなら殺してしまえ。
(その)雉は鳴かぬなら鳴かせてみよう。
(その)雉は鳴かぬなら鳴くまで待とう。

の意であればよさそう。しつこいが、これを<が>で置き換えてみると

その雉が鳴かぬなら殺してしまえ。
その雉が鳴かぬなら鳴かせてみよう。
その雉が鳴かぬなら鳴くまで待とう。

どういうわけか、これもよさそう。 <は>と<が>の違いはどこにある?文、言い方の切り方によるところもある。

(その)雉は、鳴かぬなら殺してしまえ。
(その)雉は、鳴かぬなら鳴かせてみよう。
(その)雉は、鳴かぬなら鳴くまで待とう。 

その雉が鳴かぬなら、殺してしまえ。
その雉が鳴かぬなら、鳴かせてみよう。
その雉が鳴かぬなら、鳴くまで待とう。

さて

雉も鳴かずば撃たれまい 。

にもどって、<も>を検討してみる。

これも、撃たれてしまった雉について

雉も鳴かずば撃たれまい 。 

-> 雉も鳴かなかったならば、撃たれなっか(のに)

といっているとも、一般的に(一般叙述形)

雉も鳴かずば撃たれまい 。

 -> 雉も鳴かなければ、撃たれない。

といっているとも解釈できる。うえの英語訳はこの一般叙述形の訳だ。

雉が鳴かぬなら殺してしまえ。
雉は鳴かぬなら殺してしまえ。


雉も鳴かぬなら殺してしまえ。 

を比較してみる。

雉が鳴かぬなら殺してしまえ。 

の<雉>は基本的には特定されていない。暗黙のうちに

(どの雉でもいいが)雉が鳴かぬなら殺してしまえ。

(どの雉でもいいが)雉が鳴かぬなら、殺してしまえ。

雉は鳴かぬなら殺してしまえ。

の<雉>は基本的に特定されている。暗黙のうちに

(その)雉は鳴かぬなら殺してしまえ。

(その)雉は、鳴かぬなら殺してしまえ。

なのだ。だが

(どの雉でもいいが)雉は鳴かぬなら殺してしまえ。

でも変ではない。どうしたことか?これは 

どの雉でもいいが鳴かぬ雉は殺してしまえ。

の意に近い。これは<が>で置き換えができない。 

どの雉でもいいが鳴かぬ雉が殺してしまえ。

文法的にナンセンス。 

どの雉でもいいが鳴かぬ雉がいたら殺してしまえ。

ならいい。 どうどうめぐりなりそうだが、これを<は>で置き換えてみる。

どの雉でもいいが鳴かぬ雉はいたら殺してしまえ。

はナンセンスのようだ。だが内容はまったく同じだが

どの雉でもいいが鳴かぬ雉は、いたら殺してしまえ。

とすると、 ナンセンスでなくなる。これは<は>に特徴といえる。つけたすと

どの雉でもいいが鳴かぬ雉は、いたらそれ殺してしまえ。

かなりしつこいが、これを<が>でお置き換える

どの雉でもいいが鳴かぬ雉がいたら、それ殺してしまえ。

で<は>と<が>に違いをしめしている。 日本語の<が>と<は>はどうなっているのか。収拾がつかなくなってきたので<も>にもどる。

雉も鳴かぬなら殺してしまえ。 

はいったいどういう意味か?

(その)雉も鳴かぬなら殺してしまえ。 

なら、同類の<も>でよさそう。 この短い文章では同類は他の雉とはかぎらず、殺された、あるいは殺される運命にある他の小動物でもよさそう。<その>がない

雉も鳴かぬなら殺してしまえ。

の<も>は

雉も鳴かずば撃たれまい。

の<も>に近い。

Even the pheasant, if it doesn’t cry out, shoot it.

Even the pheasant, if it doesn’t cry out, (it) won’t be shot.

の意ではない。Even をとってみると

The pheasant, if it doesn’t cry out, shoot it.

The pheasant, if it doesn’t cry out, (it) won’t be shot.

the は特定化の働きがあるが(だから定冠詞)、ここは、特に背景がないので

その雉は、鳴かぬなら、殺してしまえ。

その雉は、鳴かずば、撃たれまい。

というよりは

雉(というもの)は、鳴かぬなら、殺してしまえ。

雉(というもの)は、鳴かずば、撃たれまい。

の意に近い。 さて、<も>にこの二番目の特定化の働きがないだろうか?

雉も鳴かぬなら殺してしまえ。

雉も鳴かずば撃たれまい。

を 

雉(というもの)は、鳴かぬなら、殺してしまえ。

雉(というもの)は、鳴かずば、撃たれまい。

と解釈するのだ。これは<同類>の意味がある。だがこの説明もまだ十分ではない。<同類>をもう少し広げて、上でふれた<殺された、あるいは殺される運命にある他の小動物>、さらには もっと広げて<(殺された、あるいは)殺される運命にある、この雉と同じような状況に(あった)ある他のモノ>として解釈するのだ。したがって

雉も、鳴かずば、撃たれまい。

雉も(そうだが、雉にかぎらず、撃たれる運命にある雉と同じような状況にあるモノはみな)、鳴かずば、撃たれまい。

ということになる。この<も>は(  )内にあるような背景を背負った助詞といえる。 これで教訓性がでる。とりわけ雉でなくてもいいのだ。

これは、私の新発見か、と思って調べたが、残念ながらそうではない。” 譲歩の大助詞<も> ” のポストで紹介しているが、手もとの辞書<三省堂新明解>の助詞<も>の解説の一番目に

1) 類似した事柄を列挙したり、同様の事柄がまだあることを言外に表わしたり、する。

とあり、まさしくこの<同様の事柄がまだあることを言外に表わし>だ。英訳者の


も (mo) in its emphatic role

ではない。英訳者がこれを知っていれば

雉も鳴かずば撃たれまい
“Even the pheasant, if it doesn’t cry out, won’t be shot”

という訳にはならなかったはずだ。助詞は一語(一音節)が多いが、その働きからして大助詞が少なくない。
  

さて、以上を参考に

菊もかおる季節 - これは少し難しい。菊以外にかおるものがあることを言外に表わしているだろうか?<バラがかおる、クチナシがかおる、キンモクセイがかおる>を言外に表わしているだろうか?

 ”

をもう一度考えてみる。 <菊もかおる季節>は秋を想定させる。同類の範囲を狭めて、あるいは広げて

菊もかおる季節

 菊も(そうだが、菊にかぎらず、秋に花を咲かせてかおる花々が)かおる季節

とならないか?


sptt

Tuesday, June 15, 2021

<遊ぶ>は自動詞、他動詞?<遊ぶ>の文法分析

 

<遊ぶ>は他動詞っぽいが、自動詞ということになっている。<xx を遊ぶ>ではなく、<xx をして遊ぶ>、<xx(遊び:たとえば、かくれんぼ、おにごっこ)で遊ぶ>、<xx(遊び道具:たとえば、こま、かるた、トランプ)で遊ぶ>、<xx(場所)で遊ぶ> というので自動詞ということになっている。

たまたま、<遊ぶ>関連で手もとの辞書(三省堂新明解6版)で<なまける>、<ずるける>、<さぼる>を調べてみたところ、なぜかすべて自動詞なっているのでおどろいた。(末尾注:参照)

<xx を遊ぶ>、<何を遊んでいるんだ?>は聞かないが

勉強をなまける。
仕事をずるける。
任務をさぼる。

と言う。 それでも自動詞か?<なまける>、<ずるける>、<さぼる>が<遊ぶ>と同じようことだからか?

<遊ぶ>が他動詞っぽいのは<遊ぶ>対象があるからだろう。この対象はかなりはっきり意識されている。対象の意識という点では

本を読む。
お菓子を食べる。
水を飲む。
相手をなぐる。
まりを蹴(け)る。

などと大差ないようだ。違うのは<xx を遊ぶ>と言わないことだ。<遊ぶ>とは文法的にどういうことか?読んだことはないが<遊びのヒト>ともいうべき Homo Ludens というベストセラーがあろくらいだから、<遊ぶ>は人間にとって重要な動詞だ。

自動詞の特徴はいくつかある。前回のポスト<自動詞は自発動詞か?>ではしつこく自動詞は<自発>について検討した。

自動詞の特徴で考えられるのは、他動詞と対照させると、直接的な対象(直接目的語)がないことだろう。

<道を歩く>は、いわゆる移動動詞で、<歩く>は自動詞だが<道を>と<を>をとる特別な自動詞ということになっている。<道を歩く>は<道の上で歩く>、<道にそって歩く>ともいえ、このような場合は<を>をとらず、<歩く>自体が独立した動詞となりで、自動詞らしくなる。<遊ぶ>も<xx をして遊ぶ>、<xx(遊び)で遊ぶ>、<xx(遊び道具)で遊ぶ>、<xx(場所)で遊ぶ>の

xx をして
xx(遊び)で
xx(遊び道具)で
xx(場所)で

は付帯事項で<遊ぶ>自体が独立した動詞となる。

ヒトは放っておくと自然と遊ぶようになる。

とすると、<遊ぶ>は自発動詞となる。 自発動詞は基本的に自動詞だ。

似たようなというか、もっとシリアスな動詞に<生きる>がある。 <生きる>は<戦国時代を生きた>というような言い方はあるが、<生きる>は基本的に自動詞。これまた

ヒトは放っておくと自然と生きるようになる。

とすると、<生きる>は自発動詞となる。

だがことはそう簡単ではないだろう。<生きる>と<遊ぶ>は<ある(いる)>、<なる>の二大自動詞に次ぐ重要自動詞と言えるかもしれない。看板にいつわりありだが、<遊ぶ>の文法分析は<後日再検討予定>ということにする。

 

(末尾注)

<なまける>、<ずるける>、<さぼる>はおもしろい動詞で、おそらく<なまける>がオリジン。<なまぐさ(ぼうず)>という言い方がある。<ずるける>は<ずれる>のもとの語<ずる(自他兼用)>に<なまける>の<ける>の語感がついたものか。

<ずれる-ずらす>の自他コンビは自他兼用動詞<ずる>由来だろう。

<さぼる>は<サボタージュ>からの造語だが、 <サボタージュ>が意識にのぼることはほとんどない。

 さて<なまける>だが、 手もとの辞書(三省堂新明解6版)の解説では

 ”

(. . . . . . 時間を)本来すべきことをしないでむだに過ごす。

となっており、 <過ごす>はこの辞書では他動詞となっている。だが

週末は家で過ごした。

という言い方があり、この<過ごす>は自動詞っぽい。 

週末は家で遊んでいた。

という言い方は問題ない。

 

sptt

 

 

Sunday, June 13, 2021

自動詞は自発動詞か?


前回のポスと "<目をさます>と<目がさめる>はどこが、どう違う。" の最後に


<めがさめる>の<さめる>は自動詞で、<しようと思わないで><さめる>ので大方<自発動詞>と」いえる。

次回は別の<自発動詞>をチェックしてみる。


と書いたのでチェックしてみる。

<日本語の自動詞、他動詞>シリーズとしてだいぶ前に(2014)<日本語の自動詞、他動詞-15、自発表現>というポストを書いている。読み返してみたが、書きかえる必要はないようだ。進歩がないということか。これを参考にすると進歩がないので、これを無視して話を進める。

目をさます - <さます>他動詞 <を>をとる
目がさめる - <さめる>自動詞 <が>をとる

似たようなのに

スープをさます - <さます>他動詞 <を>をとる
スープがさめる - <さめる>自動詞 <が>をとる

さらには

スープの温度をさげる - <さげる>他動詞 <を>をとる
スープの温度がさがる - <さがる>自動詞 <が>をとる 

以上は文法上の法則と言える。ところで日本文法では<自発の助動詞>というのがある。手もとの辞書の説明と例文は以下の通り。

しようと思わないのに自然とそうなる。

例)昔のことがしのばれる。


これは動詞につく助動詞についてだが、自発の定義ともいうべき<しようと思わないのに自然とそうなる>を当てはめてみると

目がさめる - さまそうとしないのに自然とそうなる(さめる)
スープがさめる  - さまそうとしないのに自然とそうなる(さめる)
スープの温度が下(さ)がる - 下げようとしないのに自然とそうなる(下がる)

下線部は他動詞だ。トリッキーなところがあるので、念のため、自動詞を使ってみる。 

目がさめる - さめようとしないのに自然とそうなる(さめる)
スープがさめる  - さめようとしないのに自然とそうなる(さめる)
スープの温度が下(さ)がる - 下がろうとしないのに自然とそうなる(下がる)

上に三つは間違い、ナンセンスといえる。<下線部は他動詞だ。トリッキーなところ>とは、他動詞の例は、正確には

目がさめる - 人(ひと)が目をさまそうとしないのに自然とそうなる(さめる)
スープがさめる  - 人がスープをさまそうとしないのに自然とそうなる(さめる)
スープの温度が下(さ)がる - 人がスープの温度を下げようとしないのに自然とそうなる(下がる)

で<人(ひと)>がでてくる。<しようと思わないのに自然とそうなる。><思う、思わない>は人がすることだ。これが大きなちがいなのだが、ここでは人の関与が否定されている。これがキーポイントの一つだろう。もう一つのポイントは、上の<自発の助動詞>の解説の中にある<自然とそうなる>の<なる>で、<なる>は<xx が yy になる>で自動詞、というか自動詞の代表なのだ。 

なせばなる、なさねばならね、なにごとも。ナセルはアラブの大統領。

というのが昔(アラブの大統領がナセルのころ)あった。これを漢字を使って書くと、

為せば成る、為さねば成らぬ、何事も。

で<為す>が他動詞,<成る>が自動詞。

さて、日本語の動詞を調べてみると

さめる(自) - さます(他)
さがる(自) - さげる(他)

という自他ペア動詞はたまたまこうなっているのではなく、やたらある。山ほどあるのだ。これは前にいろいろ調べたことがあるので<ビッグデータ>がある。

ごく一部の例をあげると、

<自動詞、他動詞-6 日本語の他動詞、自動詞の作られ方>(2013)から(わずらわしくなるので細かい説明はおおかた省(はぶ)いてある) 抜き出すと
 

 ”
一方日本語では自動詞、他動詞が組みになっている自他動詞ペアがやたらたくさんあり分析が必要。(中略)

自動詞 - 他動詞

上がる - 上げる
開(あ)く - 開ける
当たる - 当てる
現(あら)われる - 現わす
表(あら)われる - 表わす
生きる - 生かす
浮く - 浮かす
埋まる - 埋める
動く - 動かす
売れる - 売る
起きる - 起こす
興(起)こる - 興(起)こす
落ちる - 落とす
折れる - 折る
終わる - 終える
返(かえ)る -返す (今回追加) <もどる - もどす>に近い。
かぶる(自/他) - かぶす
枯れる - 枯らす
乾く - 乾かす
変わる、代わる、替わる (自/他)- 変える、 代える、替える。
消える - 消す
決まる - 決める
切れる - 切る。切らす。 
崩(くず)れる - 崩す
焦げる - 焦がす
壊(こわ)れる - 壊す
下がる - 下げる
咲く - 咲かす
沈(しず)む - 沈める  (今回追加)
死ぬ - 死なす (今回追加)
絞(し)まる - 絞める
閉(し)まる - 閉める
過ぎる - 過ごす <一時間が過ぎる>の<過ぎる>は明らかに自動詞だが、 <一時を過ぎる>の<過ぎる>も<を>をとるが自動詞。<一時間を過ごす>の<過ごす>は他動詞。これはややこしい。
住む -住まわす、住まわせる
済む - 済ます
澄む - 澄ます
染まる - 染める
それる(そる) - そらす
倒(たお)れる - 倒す
立つ - 立てる (立たす)
貯(た)まる - 貯める
溜(た)まる - 溜める
垂(た)れる - 垂らす (今回追加)
縮(ちぢ)む - 縮める
掴(つか)まる-、掴む
捕(つか)まる-捕まえる
付く - 付ける (巻きつく-巻きつける、取り付く-取り付ける、etc)
つぶれる - つぶす(今回追加)
つまる - つめる
通る - 通す
とどまる - とどめる
閉じる(自/他) - 閉ざす <閉じる> は<xxが閉じる>、<xxを閉じる>で自/他動動詞。<開(ひら)く>も<xxが開く>、<xxを開く>で自/他動動詞。
飛ぶ - 飛ばす
富む - 富ます
止まる - 止める
泊まる - 泊める
留まる - 留める
流れる - 流す
泣く - 泣かす (今回追加)
鳴く - 鳴かす (今回追加)
鳴る - 鳴らす
にごる - にごす
ぬれる - ぬらす
ねじれる -ねじる (今回追加)
残る - 残す
伸びる - 伸ばす
始まる - 始める
働く (自/他) - 働かす
離(はな)れる - 離(はな)す
はまる - はめる
冷える - 冷やす
(ひっくり)返る - (ひっくり)返す
響く - 響かす
ふえる - ふやす
震える - 震わす
ふくらむ - ふくらます
ぼける - ぼかす
曲がる - 曲げる  (今回追加)
またがる - またぐ
向く - 向ける、向かす
もどる - もどす  (今回追加)
燃える - 燃やす
漏(も)れる -  漏らす (今回追加)
休まる - 休める。 <休む>
よごれる - よごす
よじれる - よじる  (今回追加)
渡る - 渡す<川を渡る>は<を>をとるが自動詞(いわゆる移動動詞)。<渡す>は<橋を渡す(かける)>よりも<xx に yy を渡す(与える、あげる、やる>でよく使う。

(後略)

これだけあればとりあえず十分だろう。今回追加したのは

返(かえ)る -返す
沈(しず)む - 沈める
死ぬ - 死なす
垂(た)れる - 垂らす
つぶれる - つぶす
泣く - 泣かす
鳴く - 鳴かす
ねじれる -ねじる
曲がる - 曲げる
もどる - もどす
漏(も)れる -  漏らす
よじれる - よじる

でモノの変形に関するのがあるが、これらは<自発の助動詞>の例文の

昔のことがしのばれる。

とは対照的で

人(ひと)ではなく、モノが<しようと思わないのに自然とそうなる>ともいえる。

船が沈(しず)む
家がつぶれる
柱(はしら)がねじれる
鉄パイプが曲がる
バネがもどる
ヒモがよじれる

返(かえ)る -返す

はおもしろい。複合動詞が多い。

とりかえる - とりかえす

これは

xx を取り換える(他) - xx を取り返す(他)
引き換(か)える (xx を yy に引き換える。他動詞か? - 引き返す (xx に引き返す、自動詞)

自他ペアになっていない。 

<帰(かえ)る>は自動詞だ。<もとにもどる>といった意味だ。これには他動詞<もとにもどす>が対応する。

ひっくり返(かえ)る - ひっくり返す
裏(うら)がえる - 裏がえす

でんぐりかえる - でんぐりがえし(名詞) <でんぐりがえす>という動詞は聞かない。<トンボがえり>というのもある。 

垂れる - 垂らす

もおもしろい動詞で、人の生理現象関係で

汗が垂れる - 汗をたらす
鼻が垂れる - 鼻をたらす
くそが垂れる - くそを垂らす  注)<くそを垂れる>という例外的言い方がある。

というのがあり、これは自動詞はもちろん他動詞の

 汗をたらす、鼻をたらす

でも<しようと思わないのに自然とそうなる>のだ。<そうする>ではない。これにならうと

涙が流れる - 涙を流す
せきが出る - せきをする
くしゃみが出る -  くしゃみをする

の他動詞表現も<しようと思わないのに自然とそうなる>と言える。だが<わざと、せきをする>問う言い方がある。

<くそを垂れる>は文法的に、” <を>をとる自動詞 ”  で検討すべき言い方だが、話が横道にそれてきたので、本題にもどる。上記の自他ペア動詞のうち

現(あら)われる - 現わす
表(あら)われる - 表わす
売れる - 売る

折れる - 折る
枯れる - 枯らす
切れる - 切る

崩(くず)れる - 崩す

壊(こわ)れる - 壊す
それる - そらす
倒れる - 倒す
つぶれる - つぶす
流れる - 流す

ぬれる - ぬらす

離れる - 離す
よごれる - よごす
よじれる - よじる 

は<xxれる>で

<昔のことがしのばれる。>の

しのばれる - しのぶ

に似ている。 他動詞の受身形を調べてみる。


現(あら)われる - 現わされる - 現わす
表(あら)われる - 表わされる - 表わす
売れる - 売られる - 売る   <売らされる>、<売らさせられる>は<売らす><売らさす)の受身

折れる - 折られる - 折る
枯れる - 枯らされる - 枯らす
切れる - 切られる - 切る
崩(くず)れる - 崩される - 崩す
壊(こわ)れる - 壊される - 壊す
それる - そらされる - そらす
倒れる - 倒される - 倒す
つぶれる - つぶされる - つぶす
流れる - 流される - 流す
ぬれる - ぬらされる - ぬらす
離れる - 離される - 離す
よごれる - よごされる - よごす
よじれる - よじられる - よじる  <よじらされる>、<よじらさせられる>は<よじらす><よじらさす)の受身。

で自動詞と他動詞の受身形は区別できる。自動詞とは違うのだ。ここが肝心。受身形に<しようと思わないのに自然とそうなる>の意はない。むしろあるのは<被害>の意だ。これは日本語の受身の特徴。

<しのぶ>は<xx をしのぶ>で他動詞。その受身形は<しのばれる>だが自発の<しのばれる>と同じだ。<しのぶ>の使役形は<しのばす>、<しのばさす>で、<しのばされる>、<しにばさせらる>は受身の強調のような感じだが、<自発>の感じも残っている。 

一方自動詞の方は<自然とそうなる>の意が感じらる。

つぎに<xx れる>以外の自動詞を調べてみる。

上がる - 上げる
開(あ)く - 開ける
当たる - 当てる
生きる - 生かす
浮く - 浮かす
埋まる - 埋める
動く - 動かす
起きる - 起こす
興(起)こる - 興(起)こす
落ちる - 落とす
終わる - 終える
返(かえ)る -返す (今回追加) <もどる - もどす>に近い。
かぶる(自/他) - かぶす
乾く - 乾かす
変わる、代わる、替わる (自/他)- 変える、 代える、替える。
消える - 消す
決まる - 決める
焦げる - 焦がす
下がる - 下げる
咲く - 咲かす
沈(しず)む - 沈める  (今回追加)

死ぬ - 死なす (今回追加)
絞(し)まる - 絞める
閉(し)まる - 閉める
過ぎる - 過ごす <一時間が過ぎる>の<過ぎる>は明らかに自動詞だが、 <一時を過ぎる>の<過ぎる>も<を>をとるが自動詞。<一時間を過ごす>の<過ごす>は他動詞。これはややこしい。
住む -住まわす、住まわせる
済む - 済ます
澄む - 澄ます
染まる - 染める
立つ - 立てる (立たす)
貯(た)まる - 貯める
溜まる - 溜める
縮(ちぢ)む - 縮める
掴(つか)まる-、掴む
捕(つか)まる-捕まえる
付く - 付ける (巻きつく-巻きつける、取り付く-取り付ける、etc)
つまる - つめる
通る - 通す
とどまる - とどめる
閉じる(自/他) - 閉ざす <閉じる> は<xxが閉じる>、<xxを閉じる>で自/他動動詞。<開(ひら)く>も<xxが開く>、<xxを開く>で自/他動動詞。
飛ぶ - 飛ばす
富む - 富ます
止まる - 止める
泊まる - 泊める
留まる - 留める 

泣く - 泣かす (今回追加)
鳴く - 鳴かす (今回追加)
鳴る - 鳴らす
にごる - にごす
残る - 残す
伸びる - 伸ばす
始まる - 始める
働く (自/他) - 働かす
はまる - はめる
冷える - 冷やす
(ひっくり)返る - (ひっくり)返す
響く - 響かす
ふえる - ふやす
震える - 震わす
ふくらむ - ふくらます
ぼける - ぼかす
曲がる - 曲げる  (今回追加)
またがる - またぐ
向く - 向ける、向かす
もどる - もどす  (今回追加)
燃える - 燃やす
休まる - 休める。 <休む>
渡る - 渡す<川を渡る>は<を>ととるが自動詞(いわゆる移動動詞)。<渡す>は<橋を渡す(かける)>よりも<xx に yy を渡す>でよく使う。

<生きる>は例外で、人はもちろん、動物も

魚は川や海で生きる。

自動詞だが<自然とそうなる>とうことはない。

<住む>も自動詞だが<生きる>と同じように

魚は川や海に住む。

<自然とそうなる>とうことはない。

<またがる> 

<またがる>は<馬にまたがる>のように使い、<を>をとらないので自動詞扱いなのだろうが、<歩く>、<行く>、<泳ぐ>、<動く>、<起きる>、<来る>、<すわる>、<立つ>、<飛ぶ>、<走る>と同じで<自然とそうなる>とう意味にはならない。これらは主に人、動物の行動、動作で、<なんらかの意思が働いている>。またはおおまかに<人、動物が関与した自動詞>と言える。

<歩く>、<泳ぐ>、<動く>、<起きる>、<すわる>、<立つ>、<飛ぶ>、<走る>

は基本動詞だがすべてが自他ペアではなく

歩く - 歩かす
行く - 行かす
泳ぐ- 泳がす
動く - 動かす
来る - 来(こ)さす
すわる - すわらす
立つ - 立たす
飛ぶ - 飛ばす
走る - 走らす

で他動詞の方は使役がかっている。<す>を動詞の未然形につく<使役助詞 >とみることもできる。<行く>、<来る>は超基本自動詞だが<行く><来る>が自発動詞とは言い難い。

泊(と)まる
留(とど)まる

もおおくは<人>が 関与している。また

返(かえ)る
帰(かえ)る
過(す)ぎる
通(とお)る
向く
もどる
渡(わた)る

のような自動詞<多くは移動関連動詞>もいつも、必ず<自然とそうなる>とうことは限らない。北に向く。家に返る、帰る、もどる。

<休まる>も特別だ。<休まる>は<寝(ね)る>に似たところがある。

<寝(ね)る>は自動詞だが<自然とそうなる>とうことは限らない。だが非常に眠たいときは<自然とそうなる>。

<休まる>は

こうすると(大きなやわらかい椅子に座ると)からだが休まる。

というように使うが必ずしも<自然とそうなる>という意味にはならない。

<働(はたら)く>は自/他兼用動詞。

悪知恵(わるぢえ)がはたらく。で自動詞。悪事を働く。で他動詞。

<働(はたら)く>に対応する<遊(あそ)ぶ>は基本的に自動詞。<xx(誰々) を遊ばす>使役になる。これは意味がありそうだが、また横道にそれるので、別途検討予定。<生きる>に似たようなところがあるが、<遊ぶ>には自由が必要のようだ。

さて、以上の自発動詞でないような自動詞を除いてもまだかなり残っている。これらは

何々が自然と

上がる
開(あ)く
当たる
浮く
埋まる
興(起)こる
落ちる
終わる
かぶる(自/他)
乾く
変わる、代わる、替わる (自/他)
消える
決まる
焦げる
下がる
咲く
沈(しず)む
絞(し)まる
閉(し)まる
済(す)む
澄む
染まる
貯(た)まる
溜(た)まる
縮(ちぢ)む
掴(つか)まる
捕(つか)まる
付く (巻きつく、取り付く、etc)
つまる
とどまる 
閉じる(自/他)
富む
止まる
鳴る
にごる
残る
伸びる
始まる
はまる
冷える
(ひっくり)返る
響く
ふえる
震える
ふくらむ
ぼける
曲がる
燃える

で基本的に問題ないので、以上の自動詞は自発動詞といえる。

一方人(ヒト)、動物が関与する動詞に感覚、感情、認識、知覚動詞がある。

見える - 見る
聞こえる - 聞く
におう - におわす
味わえる (味がする) - 味わう
触れる ‐ 触れさす  <xxに手を触れる>で<触れる>は他動詞になるが<xxに手で触れる>とも言う。

感じられる - 感じる

泣く (xx を泣く、というのもある) -  泣く - 泣かす
笑う (xx を笑う、というのもある)- 笑う - 笑わす
悲しむ (xx を悲しむ、ともいう、悲しまれる、ともいう)- 悲します
よろこぶ (xx をよろこぶ、ともいう) - よろこぶ - よろこばす

思われる - 思う
考えられる - 考える
思い出される - 思い出す
しのばれる - しのぶ


以上の人、動物が関与する動詞ペアの自動詞も基本的に

何々が自然と

見える
聞こえる
におう
味わえる
触れる
感じられる

泣く
笑う
悲しむ
よろこぶ

想われる
考えられる
思い出される
しのばれる

と言えるので自発動詞と言える。

こう見ると、大きな例外は

歩く - 歩かす
行く - 行かす
泳ぐ- 泳がす
動く - 動かす
来る - 来(こ)さす
すわる - すわらす
立つ - 立たす
飛ぶ - 飛ばす
走る - 走らす

-----

返(かえ)る
帰(かえ)る
過(す)ぎる
通(とお)る
向く
もどる
渡(わた)る

 のような自動詞<多くは移動関連動詞>

のグループの自動詞になる。

 さらに重要自動詞としては

生きる
住む

寝(ね)る、眠(ねむ)る

遊ぶ

がある。 

これで終わりと言いたいが、まだまだ終わりではなく、検証が必要だ。<自動詞は自発動詞か?>は大問題なので、時間をかけても検証するだけの価値はあるだろう。

<自動詞は自発動詞>の検証

上がる
開(あ)く
当たる
浮く
埋まる
落ちる
かぶる(自/他)
乾く
変わる、代わる、替わる (自/他)
消える
下がる
沈(しず)む
溜(た)まる
縮(ちぢ)む
付く (巻きつく、取り付く、etc)
つまる
とどまる 
止まる
鳴る
(ひっくり)返る
響く
震える
ふくらむ
曲がる

以上は、ヒトが関与しない物理現象とみれば、 <自然とxxxx>で問題ない、自発動詞だ。ここでは抜けているが、物理現象の基本は力(ちから)が作用しておこる<まわる>だ。

まわる - まわす

地球は人が関与しなくても<まわっている>ので自発だ。

ヒトが関与しない化学変化も同じようなことが言えそうだ。

乾く
焦げる
澄む
染まる
にごる
冷える
燃える

ためしてみればわかるが、以上は<何々はxx>で自発表現(動詞)になる。

また、調理場は化学の実験室みたいな場所で、別のところで<炊事のやまとことば>というポストを書いたことがある。

炊(た)く - 炊かれる(受身)  - 炊ける(自動詞) (炊けている)
焼(や)く - 焼かれる  - 焼ける (焼けている)
煮(に)る - 煮られる  - 煮える (煮えている)
ゆでる(うでる) - ゆでられる(うでられる)  - ゆだる(うだる)(ゆだっている、うだっている
蒸(む)す - 蒸される  - (蒸す - 蒸している)
揚(あ)げる - 揚げられる  - 揚がる (揚がっている)
炒(いた)める - 炒められる - 炒まる(炒めっている)
あぶる - あぶられる - あぶれる (あぶれている)
漬(つ)ける - 漬けられる  - 漬かる (漬かっている)
浸(ひた)す  - 浸される  - 浸たる (浸っている)

で、みごとな自他動詞ペアだ。調理は人がするものだが上の自動詞の例は調理されているモノが主語で自発動詞といえる。

物理、化学に続いて生物学関連動詞をチェックしてみる。

生まれる、始まる
生きる

育(そだ)つ 

おとろえる 

死ぬ、終(お)わる、消える
おとろえる 
枯れる
(花が)咲く
(鳥が)鳴く
伸びる
ふえる


ヒトが関与するとややこしくなりそうだが、動物や植物を考えると、自発動詞といえそう。だが対応する他動詞はかなり複雑だ。

生まれる - 生ます
生きる -生かす(活かす)

育(そだ)つ  - 育てる

死ぬ - 死なす (殺す、殺される)
終(お)わる - 終える、終わらす
おとろえる ((他動詞が見あたらない)<おとろえさす>は使役で、しかもほとんど聞かない。
枯れる - 枯らす
消える - 消す


(花が)咲く - 咲かす

xxが芽を出す  - 稲の目が出る。稲が目を出す。<出す>は自動詞か他動詞か?

(鳥が)鳴く - 鳴かす
伸びる - 伸ばす
ふえる - ふやす

次は社会、経済現象

興(起)こる
変わる、代わる、替わる (自/他)
貯(た)まる
富む

自然(気象)現象は当然ながら<自然とそうなる>で自発だ。

(雨、雪)が降(ふ)る - 降らす
(風が)吹く - 吹かす
(氷が)張る - 張らす
霜(しも)が降(お)りる - 降ろさす、降りさす、(<降ろす>はダメか)
(氷、雪)がとける - とかす
(日が)出る - 出す

他動詞の方は

天は xx を降らす、吹かす、張らす、降ろさす(<降ろす>はダメか)、とかす、

上で取り上げ物理、化学現象は基本的に自然現象だ。

 

 

sptt

 




 

 

 

 

 

<目をさます>と<目がさめる>はどこが、どう違う。


前回のポスト ” 自責動詞 -なくす、アキレス腱を切る ” の最後に

<自発動詞みたいな自動詞>を検討する予定。

と書いたので、検討してみる。 その前に、関連がある

<目をさます>と<目がさめる>はどこが、どう違う。

を検討してみる。

<目をさます>の<さます>は<目を>と<を>をとるので他動詞。文法的には<だれの目>をさますのかを決めておかないといけない。たとえば<わたしの目>、<太郎の目>

<わたしの目>をさます。
<太郎の目を>さます。 

次が、<だれが>さますのかを決めておかないといけない。

普通、ある特定の状況が与えられれば

 けさ朝6時に目をさました。 

で問題はない。詳しく言うと、普通は

わたしはけさ朝6時にわたしの目をさました。 

の意だ。だが状況によっては

母はけさ朝6時にわたしの目をさました。 

となるが

母はけさ朝6時に目をさました。 

母はけさ朝6時に母の目をさました。 

の意になる。なんだかかなりややこしい。簡単なようでかなりややこしいのだ。

次、<目がさめる>。<さめる>は自動詞で主語は<が>の前の<目>だ。<目>が主語というと驚く人もいるのではないかと思うが、文法的には<さめる>の主語は<目>なのだ。だれの<目>かというと、これもある特定の状況が与えられれば

 けさ朝6時に目がさめた。 

で問題はない。詳しく言うと、普通は

わたしは けさ朝6時に目がさめた。 だが状況によっては

母はけさ朝6時に目がさめた。 

となる。<目がさめる>の場合は<だれの>目かを明示する必要はない。なぜなら

わたしはけさ朝6時に母の目がさめた。
母はけさ朝6時にわたしの目がさめた。 

はナンセンスだ。念のためチェックすると

わたしはけさ朝6時にわたしの目がさめた。
母はけさ朝6時に母の目がさめた。 

もナンセンスだ。ナンセンスになるのは<わたしは>の<わたし>(いわゆる主題>と<わたしの目が>の<わたしの目>(文法上の主語)があるためかもしれない。これまた簡単なようでかなりややこしいのだ。

<目がさめる>の<さめる>は自発動詞ともいえる。 前回のポストでとりあげた<自発の助動詞>の解説


しようと思わないのに自然とそうなる。

目がさめる


目が、 しようと思わないのに自然と、さめる。

といえる。だが、<目がさめる>の主語は<目>で、<しようと思わない>人のことは無関係だ。

昔のことがしのばれる

の方は<しようと思わない>人が関係してくる。関係はしてくるが、この例文<昔のことがしのばれる>の主語はなにか?たとえば

わたしは昔のことがしのばれる。

の主語は、例によって<わたしは>の<は>は係助詞で、格を示す格助詞ではない。したがって<わたし>は主語ではない。

わたしは昔のことがしのばれる。

わたしはといえば、昔のことがしのばれる。

で、格助詞<が>の前の<昔のこと>が主語。では自発で肝心な<しようと思わない>人、<しのぼうとしない>人のことはどう考えたらいいのか?これまたかなりややこしい。

わたしは朝6時に目がさめる
母は朝6時に目がさめる。

は、同じよに考えると

わたしはといえば、朝6時に目がさめる。
母はといえば、朝6時に目がさめる。  

ごまかしのようだが、これでなんとかなる。<目>は<さめる>の主語。そして<さめる>は自動詞。

自然と(目が)<さめる>

で問題ない。一方他動詞の<さます>はこうはいかない。

自然と(目を)<さます>

はナンセンス、のように見える。だが本当にナンセンスだろうか?

わたしは、自然と<しようと思わないで>、(目を)<さます>

は可能のようだ。いったいどうなっているのか? 

<目がさめる>、<目をさます>はある意味では特別な例かもしれない。というのは英語では

目がさめる = to wake up (自動詞) I wake up at 6 AM every day.
目をさます = to wake up (他動詞) My mother wakes me up at 6 AM every day.

で to wake up が自動詞 / 他動詞兼用になっている。これは大きな英語の特徴。また<目>は出てこない。また

My mother wakes me up at 6 AM every day.

は使役ともとれる。

My mother makes me wake up at 6 AM every day. (この (to wake up) は自動詞)

が使役だが、意味はほぼ同じだ。 

さてつぎに参考に再帰動詞表現のあるイタリア語をみてみる。実をいうと、このポストを書き始めたのは、前回のポスと同じように次のような表現をみつけたからだ。

 ピノキオの冒険原文(イタリア語)第22章

http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/pin_22.htm

Ed era già più di due ore che dormiva saporitamente; quando verso la mezzanotte fu svegliato da un bisbiglio e da un pissi-pissi di vocine strane, che gli parve di sentire nell'aia.

英訳

He had been sleeping soundly for more than two hours when, towards midnight, he was roused by a whispering and by a prittle-prattle of strange little voices, which seemed to come from the courtyard.

イタリア語のfu svegliato は過去(歴史過去)の受身形で<目をさまさせられた>。<目をさまさせられた>は<目をさめさせらた>でも、さらには<さまされた>でもよさそう。これまたややこしい。

もとの動詞は svegliare で、 Reverso Italian - English Dictionary では

svegliare

1       vt     (persona)    to wake (up), waken     (fig)     (sentimenti)    to awaken, arouse
svegliami alle 7      wake me up at 7  
la camminata ha svegliato il suo appetito      the walk gave him an appetite  
2    svegliarsi      vr   to wake up     (fig)   to waken o.s. up  
mi sveglio sempre presto      I always wake up early 

という解説になっている。基本的には svegliare は他動詞。

<fu svegliato >は上述のように過去(歴史過去)の受身形。一方 svegliarsi はこの動詞の再帰用法で

svegliare (他動詞) +  si (自分自身)

で意味としては自動詞になる。英語訳もそうなっている。

mi sveglio sempre presto     I always wake up early.  (自動詞)

再帰用法のsvegliarsi を文字どおり訳すと

自分自身に対して<目をさまさす>
(自分の目をさまさす)

これは可能だろうか?これは上の疑問

自然と(目を)<さます>

はナンセンス、のように見える。だが本当にナンセンスだろうか?

わたしは、自然と<しようと思わないで>、(目を)<さます>

は可能のようだ。いったいどうなっているのか?

 ”

と同じような疑問だ。

この問題は以前に考えたことがあり、

誰か(神様、天)が<目をさめさす>で<目がさめる>になる、といった解釈をしたことがある。ここはこれ以上深入りしない。

このポストのまとめは

<めがさめる>の<さめる>は自動詞で、<しようと思わないで><おきる>ので大方<自発動詞>と」いえる。

次回は別の<自発動詞>をチェックしてみる。

 

sptt

 

 

 

 


 

 

 


 


 


Thursday, June 10, 2021

自責動詞 -なくす、アキレス腱を切る

 

自責動詞というのはない。日本語文法では<自発の助動詞>があり、これになぞらえて自責動詞としたが、特定の動詞が自責動詞というわけではないので、正確には自責表現だが、これでは文法(規則)にならない。

自責動詞(表現)の代表は<なくす>で

わたしは財布をなくした。

なくそうとして財布をなくす人はまずいないが、なぜか<財布をなくした>という。英語もなぜか日本語に近く

I lost my wallet.

中国語は

 钱包不见了。(多分)

財布が見えなくなった。

主語は財布で<わたし>は出てこない。すこし考えて見ると、なくそうとして財布をなくす人はまずいないので、中国語の方が理にかなっている。だがもう少し考えて見ると中国語の表現は<責任のがれ表現>だ。一方日本語のほうは<責任負い表現>、自責的な表現だ。

もう一つ。

太郎は高価な骨董品の花瓶を落として割ってしまった。 

さらにもう一つ。

花子は階段から落ちてケガをした。

以上は、自責という言葉は使っていないが別のところでもっとくわしく書いている。

 

今回は次の表現を検討してみる。

わたしはテニス中にアキレス腱(けん)を切ってしまった。

わたし自身テニス中ではないがアキレス腱を切って入院、手術したことがある。(若い人は自然治癒で手術の必要はない)。当然ながら切ろうとしてアキレス腱を切ったわけではない。だが表現としては

わたしはアキレス腱を切ってしまった。
わたしはアキレス腱を切った。
アキレス腱を切る。

となる。 <しまった>は<取り返しのないことをした>のような意味があるが

わたしはアキレス腱を切った。

と<しまった>なしで言える、言う。

(わたしは)財布をなくした。

(わたしは)アキレス腱を切った。

も<わたしは>は有っても無くても基本的には同じで、トラブルの責任は自分にあることを認めているような表現だ。 <つい>とか<うっかりして>とか<運わるく>などを加えても自責表現であることにかわりはないだろう。

他にこれらに似た自責表現はあるだろう。

ところで、以上は次のような表現をみつけたからだ。

 ピノキオの冒険原文(イタリア語)第20章

http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/pin_20.htm

il Serpente fu preso da una tal convulsione di risa, che ridi, ridi, ridi, alla fine, dallo sforzo del troppo ridere, gli si strappò una vena sul petto: e quella volta morì davvero.

英訳
the Serpent was taken by such a convulsion of laughter, that laugh, laugh, laugh, in the end, from the strain of too much laughing, a vein burst in his chest: and this time he did die for real.

 

il Serpente (ヘビ) . . . . . gli (ヘビ自身)si strappò (切った)una vena (静脈)sul petto (胸):

これはいわゆる再帰表現で

(笑いすぎて)ヘビは自分の身の胸の静脈を切った:

というような表現。<アキレス腱を切った>に似た表現だ。

英語訳は直訳だとわかりにくくなるためか文構造を変えており

the Serpent . . . . . a vein burst in his chest:

ヘビは . . . . .、胸の静脈が破裂した:

という表現になっている。

原語によっていろいろな言い方がある。

 

上で<他にこれらに似た自責表現はあるだろう>と書いたので、調べてみた。

<アキレス腱を切る>に似た自責表現にはつぎのような例がある。

足(脚)をくじく
足(脚)をいためる、頭をいためる
足(脚)を傷つける

体(からだ)をこわす

糖尿病をわずらう

小便をもらす
鼻をたらす
屁をひる(する)
せきをする

いずれも身体、健康、病気関連で、うえのイタリア語の再帰動詞表現と関連がありそう。

その他では

(こどもはすぐ)

おもちゃをこわす
部屋をよごす、衣服をよごす
おかしに手を出す

たいていはこどもはしようとしてするわけではない。これは<ピノキオの冒険>の主要テーマとなっている。簡単に<わるいこととは知りながら>とは言えないのだ。<トラブルの責任>の表現の検討は国民性を反映しているかもしれない。そうまでいわずとも文法的におもしろい。

一方<しまった>は中立でいいことにも使われる。

負けると思っていたが運よく勝ってしまった。
この試験には落ちるを思っていたが受かってしまった。

<しまった>は<しまう>の過去形で、

負けてしまうかもしれない。
勝ってしまうかもしれない。

などと言える。さらに<しまう>は

この不景気では店をしまうしかない。
この仕事は明日までにやってしまおう。
あんなやつは殺してしまおう。

と多彩に使われる。

しまった(、しまった)

はほぼ無意識で口から出て来る。 

<しまう>は純大和言葉だと思うが、似て非なる漢語と思われる語に<始末(しまつ)>がある。

あんなやつは始末(しまつ)してしまおう。 

ところで、以上は自責動詞というのがありそうなことを示唆しているが、反論は意外と簡単にみつかる。

わたしは財布をなくした。

は自責に関連しているが、<なくす>という動詞自体は

交通事故(暴力)をなくす
欠点、弱点をなくす

の<なくす>は自責に関係ない。

<こわす>も中立で

古い建物をこわす

の<こわす>は自責に関係ない。<アキレス腱を切る>の<切る>も例を挙げるまでもなく中立だ。

自責動詞の文法説明ができていないが、できそうにない。少し考えてみたが、日本文法では<自発の助動詞>というのがある。手もとの辞書の説明と例文は以下の通り。

しようと思わないのに自然とそうなる。

昔のことがしのばれる。

<しのばれる>は<しのぶ>の未然形<しのば>+自発の助動詞<れる>ということだろう。

だが、

昔のことしのぶ。 

で<しのぶ>は他動詞。一方

昔のことしのばれる。

の<しのばれる>は他動詞<しのぶ>に対応する自動詞とも解釈できる。 上の文法用語<自発の助動詞>の解説

しようと思わないのに自然とそうなる。

は大いに参考になる。次は自責動詞もふくめて、自発の助動詞、<自発動詞みたいな自動詞>を検討する予定。

 

sptt



 

 

 

 


Wednesday, June 2, 2021

<in spite of>の spite について -2、xx のくせに

 最近書いた(書いている)一連の<逆接と譲歩のあいまいさ>シリーズはその少し前のポスト ”<in spite of>の spite について” から始まっている。<in spite of>の spite について” に最近次の部分を追加しておいた。

"

xx のくせに

上で<この英語の even は曲者(くせもの)で>と書いたが、曲者(くせもの)の<くせ>も曲者だ。

太郎は男のくせに勇気がない。
花子は女のくせにめったに涙をみせない。

これはやや翻訳調になるが

太郎は男にもかかわらず勇気がない。
花子は女にもかかわらずめったに涙をみせない。

と言い換えられる。<くせ>はいくつか違った意味があるが、中毒に似た意味がある。

<くせ>自体は中立のようで

良いくせをを身につける。
悪いくせは直す。 

というが、実際には <悪いくせ>が主だ。中毒とは

xxするのは悪い、やめたほうがいいと、わかっているがやめられない。
xxであるのは悪い、直したがいいと、わかっているが直せない。

この中毒、中毒症状は悪意(spite)がなせるわざと言えないことはない。悪意(spite)は意地がわるく、人がいいことをしようとするのをさまたげるのだ。

太郎は男のくせに勇気がない。 

を言い換えると、

太郎は本来の男のように勇気があるのがいいとわかって入るが、勇気がない。

だが spite = くせ、ではない。ここは言葉のおもしろいところで、何かのヒントになりそうだ。

"

以上は一種のゴマカシで、<にもかかわらず>の意味がある spite の隠れた意味の説明にはなりうるが、<くせ>がなぜ<にもかかわらず>になるのかの説明になっていない。

<何かのヒント>の何かとは何かを考えてみた。 spite (悪意)= くせ、ではないが、まったく関係ないというわけではない。

(くせは中毒、中毒症状といえるが)この中毒、中毒症状は悪意(spite)がなせるわざと言えないことはない。悪意(spite)は意地がわるく、人がいいことをしようとするのをさまたげるのだ。

太郎は男のくせに勇気がない。 


太郎は男だが勇気がない。 

で譲歩とういよりは逆接。太郎は男だから勇気があるはずだ(予想されること)が、実際は勇気がない(予想されることは反対の事実)。

太郎は男なのに勇気がない。 

これは譲歩気味になる。

雨が降るのにでかけた。

も譲歩気味になるので、<のに>が譲歩の助詞、複合助詞、助詞句といっていい。<のに>は簡単だけに分析が難しい。

悪意(spite)は意地がわるく、人がいいことをしようとするのをさまたげるのだ。

と書いたが、<くせ>も人がいいことをしようとするのをさまたげる。

と言える。

いいことをしようとするにもかかわらず、クセのため、そのいいことをしない、できない。
いいことをしようとするのに、クセのため、そのいいことをしない、できない。

上でも書いたが<くせ>自体は中立のようで

良いくせをを身につける。

したがって

悪いことをしようとするにもかかわらず、クセのため、その悪いことをしない、できない。

は成り立つ。ここは<クセ>の意味の一般化で肝心なところだ。 言い換えると、習慣化、傾向化だが、漢字を使うと言い替えでゴマカシのようになる。<クセ>は

xx しようとするのをさまたげる
xx になることをさまたげる 

でいわば<反対(勢)力>。

太郎は男で勇気があるべきだが、(あるはずだが)、クセの<反対(勢)力>がはたらいて、勇気がない。  

 これで

太郎は男のくせに勇気がない。  

の<くせ>の譲歩の意味の説明になる。

(証明終わり)

花子は女のくせにめったに涙をみせない。

花子は女だてらにずめったに涙をみせない。

という言い方がある。少し調べてみたが<だてらに>はよくわからない。

-----

<くせ>の例文をもう探してみる。

美代子はおとなのくせして泣いてばかりで赤ん坊みたいだ。

次郎は他人がやらないことの文句をいうばかりだ。そのくせ自分はできない、やらない。

この<そのくせ>は nevertheless のニュアンスがある。

佐藤はすこしくせのある男だ。 ひとくせもふたくせもある。

鈴木はくせも(曲者)のだ。   (もとは<くすしきもの>、<くしきもの)か?)


<くせ>の関連語

くさい、臭(くさ)み

くす、くず

くそ

くしゃみ <- くさめ(古語)、といわれるが本当か?

くしゃくしゃ(ぐしゃぐしゃ)、くちゃくちゃ、(ぐちゃぐちゃ)


 sptt