Monday, May 18, 2020

格助詞<に>の超多面性


前回のポスト ”<背に腹はかえられぬ>の文法解釈” で ”<に>は格助詞だが超多用途” と書いたので助詞(格助詞)<に>についいて考えて見る。”超多用途” はこのポストでは、<に>と一字ながらいろいろな顔をもつ ”超多面性” とした。格助詞<に>は、けんけんがくがく(喧々諤々)の<が>と<は>の違いほどではないが、<へ>と<に>の違いがよく取り上げられる。

学校へ行く



学校に行く

はどこが違う。

わたしの解釈では<学校へ行く>は物理的に<学校へ行く>で

(家にいったんかえってからまた)学校へ遊びにいく。
今日は日曜だが学校へ校庭の掃除に行く。

以上は<学校に>でも間違いではないが<学校へ行く>のほうがよさそう。

一方

太郎いま学校に行っている。



1)太郎いま学校にいる。(多分に今勉強している)

以外に状況によっては

2)太郎は(まだ)学生だ。

の意味さえある。これは<太郎いま学校へ行っている>からは想像しずらい。<学校へ行く>が<物理的な学校へ、行く>であるのにたいして<学校に行く>は物理的な場所の学校以外の学校の意味(主に勉強するところ)が含まれてい要るようだ。大人が行く<会社(仕事をするところ)>についても同じようなことが言えそう。

太郎はきょうも会社に行っている。 (多分に仕事をしている、の意味)
太郎はきょうも会社へ行っている。 (仕事をしていなくてもいいが、会社にいる。たとえば<クビ>になっても。)

物理的な場所ではない<仕事(しごと)>の場合はどうか?

太郎は今仕事に行っている。
太郎は今仕事へ行っている。 はややおかしい。

<へ>と<に>の違いは微妙で大体<へ>は<に>で置き換えられるようだ。

ついでに<山>はどうか?

山へ登る。
山に登る。

に加え

山を登る。

がある。<登る>は英語 to climb も自他兼用動詞。自動詞の場合は<to>がつく。微妙なところがあるが

午後は山に行ってくる。

は仕事(木こり、木を切る)に行く感じがするが

午後は山へ行ってくる。

仕事以外のことが多分に含まれる、ようだ。


さて本題。

1.変化を示す<に>

<に>は多用途で多面性があるが、基本的意味(役割)の一つは<変化を示す>、<変化した結果を示す>格助詞といえる。

<背に腹はかえられぬ>もいいかえると<背を腹にする><背が腹になる>で<に>は<変化を示して>いる。

xx になる
xx に変わる(変える)

<xx へなる>はダメ
<xx へ変わる>もあまり聞かない。<xx へと変わる>、<xx へと変わっていく>ならいい。

1)名詞(体言)につく

(天気が)雨になる。

<雨>は名詞(体言)。普通は<雲(水蒸気)が雨になる(変わる)>の意味ではなく、<雨がふる状態、雨ふりになる>といった意味だ。細かくいえば<<雨が降っていない状態から、雨がふる状態になる、変わる>といった意味だ。

晴になる。夜になる。朝になる。(いくらでもある)


2)形容詞につく

暗くなる。 明るくなる。寒くなる。暑くなる。 良くなる。悪くなる。 (いくらでもある)

<暗く>以下は形容詞の連用形だ。これはに<に>がいらない。形容詞と<なる>は助詞を介在せずに結びついているといえる。結合度が高いのだ。以上も意味としては変化、変化した状態を示している。

3)形容動詞につく

ところが、いわゆる形容動詞は

静かになる。おだやかになる。きれいになる。(<きれい>は<綺麗>)、すなおになる(<すなお>は<素直>とも書けるが、漢語ではない。おそらくまっすぐ>の<すぐ>+<なお>で純大和言葉ではないか。)

<静かに>の<静か>をどう解釈するかは形容動詞の問題のひとつ。<きれいな><きれいだ>をどう解釈するかも形容動詞の問題のひとつだが<きれい>はあきらかに<綺麗>由来。この<綺麗>は形容動詞の<語幹>といえるが、そうすると<静か>も語幹ということができる。<静か>だけでは使われないが(静かは、とか、きれいは、とは言わない)、ある程度の独立性はもっている。ここが形容動詞の特徴と言える。さて話はもどって<に>はこの語幹につくといえる。形容動詞と<なる>は助詞<に>を介して<なる>と結びつくといえる。形容動詞と<なる>は結合度が低いのだ。意味的には形容詞+<に>とほぼ同じで、変化、変化した状態を示すといえる。これは形容動詞の判別、または判定基準として使えるだろう。

4)動詞につく

さてそれでは動詞と<なる>の結びつきはどうか?

なるようになる。
xxするようになる。
それ以来花子は太郎のもとにしばしば来るようになった。
それ以来次郎は学校をさぼるようになった。

<なるようになる>は<なるようになれ>だと自暴自棄、ギブアップ宣言となるが、<なるようになる>は簡単な言い方だが<万物生成の極意>とも哲学的、禅的ともいえる。日本語の名言ではないか? <なんとかなるさ>も楽観的な人生哲学といえないか?

さて構造は

<動詞(の連体形)(*)>+<よう>+<に>+<なる>

でみごとに統一されている。文法(文構成法則)だ。さらによくみると

<よう>は漢語の<様>由来だとすると、意味はは様子、様態、さらには上で使った状態(変化した状態)だ。意味上も統一がとれている。だが ”<よう>は漢語の<様>由来” というのは少し疑問がのこる。<よう>は純大和言葉由来>ともかんがえられるからだ。別途検討したことがあるような気がするが、ここではこれ以上進めない。

大げさだが、以上は日本語の<に>の使われ方の意味も含めた文法上の見事な統一(論)と言える。

(*) 動詞(の連体形)

連体形と書いたがが、別に次のような言い方がある。

落ちそうになる。
けんかしそうになる。
倒れそうになる。

予想される差し迫った状態の変化といえるが

<動詞(の連用形)>+<そう>+<に>+<なる>

の構成だ。<そう>は<さよう>の変化か?


2.間接目的語を示す<に>

間接目的語というのは英文法にでてくる。これを勉強しているときに英文法の学習というのは文法用語を学び覚えることか?と思ったとがある。目的語が二つある場合の区別で長い文法用語だが難しいことはない。

Taro gave a book to Hanako.
Taro gave her a book.

この場合 a book が直接目的語、花子が間接目的語。日本語に訳すと

太郎は(一冊の)本を花子にあげた。

ではおかしく

太郎は花子に(一冊の)本をあげた。

と花子と本を入れ替えるだろう。

もう少し日本語らしくすると

太郎は花子に本を一冊あげた。

少しひねって

Taro purchased a book to Hanako.
Taro purchased her a book.

とすると二番目は彼女(花子)を買ったになりかねない。I will buy you a beer (a glass of bear). もよく聞く。


英語では人称代名詞の(格)変化があって

I  - may  - me  - mime
you - your - you - yours
she - her  - her - hers
he - his - him - his
we - our - us - ours
you  - your - you - yours
they - their - them - theirs

というのを口ずさんで覚える。

主格 -(所有格)-目的格 -( 所有格代名詞か?

文法的に格と言えるには主格と目的格だけで、しかも英語の場合、直接(対格)と間接(与格)の形態上の区別がなくなっている。一方日本語の方はたいてい

太郎は花子(一冊の)本あげた。

で<に>と<を>がある。 だがこれは翻訳調の場合で、口語では
 
この本君にあげる。

と名前からして肝心と思われる直接目的語を示す<を>が省かれる。一方属と思われる間接目的語を示す<に>は省くわけにはいかない。この<に>があるため、語順を変えた

君にこの本あげる。

でも誤解をまねかない。<に>がないと

君この本あげる。
この本君あげる。

で語順を変えるわけにはいかない。<この本君あげる>はナンセンスだ。

手元にある三省堂新明解には格助<に>の解説の3番目に

(3)動作、作用が、相手に対して(から)おこなわれることをあらわす。

というのがある。(から)は

動作、作用が、相手からおこなわれることをあらわす。

という意味。 ( )内にあるが、これはゆゆしきことだ。<に>は<xxに対して>も<xxから>も示す、英語でいえば

に: to, from

<に>が from 相当というのは変だが、例文をみると了解する。

先生にしかられる
母に教(おそ)わる
---
さらに加えれば(辞書にはない)

この本は太郎にもらった。
こうするよう花子に言われた。 - これはややあいまいで、<花子に告(つ)げられた>と<花子から告げられた>では意味が違う。
おもちゃは次郎こわされた。

受身は

誰々にxxされた

英語では普通 xxxxed by yy で from ではなく by が使われる。だが be given、be sent などは from でもよさそう。

花子に言う - 花子に言われる

が成り立つのは<に>の極端な多面性といえる。<花子から言われる>はやや翻訳調。<から>は純助詞ではなく from の訳語だろう。<から>に似た<より>はやまとことばらしい。

母に教(おそ)わる
花子に言われる

はやまとことば的ないいかただ。


英語から離れてドイツをみると、ドイツ語は人称代名詞もそうだが冠詞に格の語尾(語形)変化がある。形容詞や名詞も格の語尾(語形)変化が少しあるが<を>と<に>の区別では冠詞が活躍する。このため語順規制はすくなくなるようだ。基本的に冠詞がないラテン語では名詞の格語尾(語形)変化がかなりある。その分前置詞が少ない、あるいは英語のようには活躍しない。<に>は<to>相当の前置詞 ではなく名詞の格語尾変化で間に合わせるのだ。言語の歴史的変化とは逆になるが<に>、<to>が名詞に吸収されているといえる。さてこのラテン語の直接的な子孫のイタリア語はこの名詞の格語尾変化がなくなって前置詞が活躍する。<に>に相当するのは<a>だ。だがこの<a>は英語の<to>相当というよりは日本語の<に>相当といえるほど多面的に活躍する。伊英辞典は大いに参考になる。まったくのコーピー / ペイストになるがCollins 伊英辞典 Reverso を見てみる。

"
a  prep  
a+il=al, a+lo=allo, a+l'=all', a+la=alla, a+i=ai, a+gli=agli, a+le=alle     
a      (complemento di termine)    to   (spesso omesso)     
dare qc a qn      to give sth to sb, give sb sth  
ho dato un giocattolo a Sandro      I gave Sandro a toy, I gave a toy to Sandro  
b      (stato in luogo, posizione)    at  ,   (in)    in,   (su)    on
abitare a Milano/al terzo piano      to live in Milan/on the third floor  
è a 10 chilometri da qui      it's 10 kilometres from here  
essere a scuola/a casa/al cinema      to be at school/at home/at the cinema  
lavora alle poste/alle ferrovie      he works at the Post Office/for the railway  
alla radio      on the radio  
alla televisione      on television  
c      (moto a luogo)    to  
andare a casa/a Roma/al mare      to go home/to Rome/to the seaside  
d      (tempo)    at  ,   (epoca, stagione)    in,   (fino a)    to, till, until
alle 3      at 3 o'clock  
all'alba      at dawn  
a 18 anni si diventa maggiorenni      at 18 you come of age  
dalle 3 alle 5      from 3 to o till 5 (o'clock)  
a domani!      see you tomorrow!  
tornerà a giorni      he'll be back in a few days  
a lunedì!      see you on Monday!  
a maggio      in May  
a mezzanotte      at midnight  
tornerà a minuti      he'll be back in a few minutes  
a Natale      at Christmas  
a primavera      in spring  
e      (mezzo, modo)    andare a cavallo      to go on horseback  
bistecca ai ferri      grilled steak  
bistecca alla fiorentina      T-bone steak  
fatto a mano      made by hand, handmade  
scrivere qc a matita      to write sth in pencil o with a pencil  
alla milanese      Milanese-style, in the Milanese fashion  
una barca a motore      a motorboat  
andare a piedi      to go on foot  
gonna a pieghe      pleated skirt  
pasta al pomodoro      pasta with o in tomato sauce  
gonna a righe      striped skirt  
entrare a uno a uno      to come in one by one  
f      (rapporto)    by, per  ,   (con prezzi)    at
essere pagato a giornata      to be paid by the day  
vendere qc a 6 euro il chilo      to sell sth at 6 euros a o per kilo  
prendo 2000 euro al mese      I get 2000 euros a o per month  
viaggiare a 100 km all'ora      to travel at 100 km an o per hour  
essere pagato a ore      to be paid by the hour  
g      (scopo, fine)    for, to  
restare a cena      to stay for o to dinner

"

この解説は、おどろくほど、わたしの手元にある三省堂新明解に酷似しているのだ。

a      (complemento di termine)    to   (spesso omesso)     
dare qc a qn      to give sth to sb, give sb sth  
ho dato un giocattolo a Sandro      I gave Sandro a toy, I gave a toy to Sandro
は上でとりあげた間接目的語を示す a で英語では to で訳されている。

complemento di termine は complemento <助詞>と言える。termine は目的(地)。 
spesso omesso は<よく省かれる>の意。これは英語の<to>の背説明で to him が to なしの him になるこを言っている。



新明解の方は上で紹介したが、これは3番目にきている。

(3)動作、作用が、相手に対して(から)おこなわれることをあらわす。

b      (stato in luogo, posizione)    at  ,   (in)    in,   (su)    on
abitare a Milano/al terzo piano      to live in Milan/on the third floor  
è a 10 chilometri da qui      it's 10 kilometres from here  
essere a scuola/a casa/al cinema      to be at school/at home/at the cinema  
lavora alle poste/alle ferrovie      he works at the Post Office/for the railway  
alla radio      on the radio  
alla televisione      on television  

stato in luogo は場所にいる
posizione は位置、場所、ところ

これは<a>が英語の at、 in、 on 相当ということでイタリア語<a>の多面性を示している 

新明解ではこれは1番目にきている。解説は綿密で 

(1)動作、作用を受けた結果、その事物が存在する場所をあらわす。

となっている。

abitare a Milano/al terzo piano      to live in Milan/on the third floor  

ミラノに住む、住んでいる
3階に住む、住んでいる

è a 10 chilometri da qui      it's 10 kilometres from here

ここから10キロメータのところにある。<10キロメータにある>とは言わない。辞書の解説では
存在する場所をあらわす>となっている。だが<に>のないここから10キロメータだ>ならいい。

essere a scuola/a casa/al cinema      to be at school/at home/at the cinema 

学校にいる、家にいる、映画館にいる。

これだけだと<動作、作用を受けた結果、その事物が存在する場所をあらわす>の<動作、作用を受けた結果>はほとんど関係なく、<その事物が存在する場所をあらわす>だけでよさそう。

lavora alle poste/alle ferrovie      he works at the Post Office/for the railway

郵便局で / 鉄道(会社)で働く、働いている

xx<に>働く、yyするはダメで

xx<で>働く、yyする

になる。<に>は超多面的につかわれるが、<その事物が存在する場所をあらわす>で<動作、作用がなされる、なされている>場所は<に>ではなく<で>が使われる。


lla radio      on the radio    ラジオで
alla televisione      on television   テレビで

最近はインターネットが普及しており、英語ではon the net と言うようだ。

 at は点(の場所)に、で、in は内(の場所)に、で、on は上(の場所)に、で、のようだがそう簡単ではない。ラジオの上で、テレビの上で、は明らかにおかしい。

<に>と<で>の区別を見ておこう。

1)どこにある。 - その事物が存在する場所をあらわす。

われどこにあり? (哲学的だ)
太郎はどこにいる?

くりかえしになるが<動作、作用を受けた結果>は関係ない。

2)どこである。 -動作、作用がなされる、なされている場所を示す。

次のオリンピックはどこである?
そこでなにをしている!

一字違いだが大きな違いだ。

動作、作用を受けた結果>は関係ない、と一方的に書いたが、手もとの辞書の例をみると、

自動車が門の前にとまっている。
本棚に本が並べてある。
バスに乗る。
壁に地図を貼る。

となっている。 <動作、作用を受けた結果>といえなくはないが、<に>を使うときに<動作、作用を受けた結果>はほとんど意識されていないといっていい。なんとなく意識されているのは<場所>だ。そして基本的には事物、ひとが存在している場所だ。

c      (moto a luogo)    to  

moto a luogo はある場所への移動
 
andare a casa/a Roma/al mare      to go home/to Rome/to the seaside 

家に、ローマに、海に行く
家へ、ローマへ、海へ行く

これは冒頭に書いた<に>と<へ>に相当する。イタリア語や英語では<に>と<へ>の区別がないといえる。

手もとの辞書でとりたてて<ある場所への移動を示す>という解説の項目はない。したがって例文もない。1)<動作、作用を受けた結果、その事物が存在する場所をあらわす>にふくまれている、と見ておこう。

d      (tempo)    at  ,   (epoca, stagione)    in,   (fino a)    to, till, until
alle 3      at 3 o'clock  
all'alba      at dawn  
a 18 anni si diventa maggiorenni      at 18 you come of age  
dalle 3 alle 5      from 3 to o till 5 (o'clock)  
a domani!      see you tomorrow!  
tornerà a giorni      he'll be back in a few days  
a lunedì!      see you on Monday!  
a maggio      in May  
a mezzanotte      at midnight  
tornerà a minuti      he'll be back in a few minutes  
a Natale      at Christmas  
a primavera      in spring 


tempo は時(とき)、epoca は時期(epoch)、 stagione 場面、段階(stage), fino a) は<xxまで>

alle 3      at 3 o'clock   3時に
all'alba      at dawn    夜明けに
a 18 anni si diventa maggiorenni  at 18 you come of age 18歳になって、か?
dalle 3 alle 5      from 3 to o till 5 (o'clock)   3時から5時まで
a domani!      see you tomorrow!   では(また)明日(に)

これは <明日>の中に<に>が含まれていると解釈してもいい。<明日>が主格(明日は)でも、対格(明日を)でもない。英語のここの morning にも同じようなことがいえる。この論議どこかで読んだことがある。

tornerà a giorni      he'll be back in a few days   彼は2-3日中に(2-3日後に)もどってくる。 この英語の<in>は自然につかえるようになるには時間がかかる。2-3日後の後(after)にひきずられてしまうのだ。

a lunedì!      see you on Monday!  ではまた月曜(に)。

a maggio      in May    五月に
a mezzanotte      at midnight   真夜中に tornerà a minuti      he'll be back in a few minutes  彼は2-3分して(2-3分後に)もどってくる。これも英語の<in>の用法に注意。
a Natale      at Christmas   クリスマスに(は)
a primavera      in spring   春に(は)

イタリア語では例文が多いが手もとの辞書では独立した時(とき)関連の項目の解説がない。動作、作用がなされる、なされている時(とき)を示す>となるか。


e      (mezzo, modo)    andare a cavallo      to go on horseback  
bistecca ai ferri      grilled steak  
bistecca alla fiorentina      T-bone steak  
fatto a mano      made by hand, handmade  
scrivere qc a matita      to write sth in pencil o with a pencil  
alla milanese      Milanese-style, in the Milanese fashion  
una barca a motore      a motorboat  
andare a piedi      to go on foot  
gonna a pieghe      pleated skirt  
pasta al pomodoro      pasta with o in tomato sauce  
gonna a righe      striped skirt  
entrare a uno a uno      to come in one by one

mezzo は方法、手段、modo はやり方。 対応する英語の前置詞が出ていない。

andare a cavallo      to go on horseback   馬に乗って行く、馬で行く
bistecca ai ferri      grilled steak    焼き(グリル)肉、あぶり肉、焼いた(あぶった)肉。ferro(pl. ferri)は鉄
bistecca alla fiorentina      T-bone steak   フィレンツェ式/風ステーキ
fatto a mano      made by hand, handmade   手作り、手で作った
scrivere qc a matita      to write sth in pencil o with a pencil  ペン、または鉛筆で書く
alla milanese      Milanese-style, in the Milanese fashion  ミラノ風に、ミラノ風で
una barca a motore      a motorboat     モータで動くボート (普通はエンジンだ)
andare a piedi      to go on foot   徒歩で行く
gonna a pieghe      pleated skirt     プリーツスカート、しわ(折り目)をつけたスカート
pasta al pomodoro      pasta with o in tomato sauce   略
gonna a righe      striped skirt     (たて)縞模様のスカートか?
entrare a uno a uno      to come in one by one   一人ずつ入る <a uno a uno>は方法、手段というより様態だ、


イタリア語では<a>が活躍するが日本語では<で>相当がすくなくない。<に>で訳せないものがほとんどだ。もう少しよく見てみよう。
alla milanese      Milanese-style, in the Milanese fashion   ミラノ風に、ミラノ風で

英語はは Milanese-style に前置詞がなく、これでは名詞になってしまう。おそらく、in this style (way) というので in the Milanese style というだろう。日本語は<に>でも<で>でもいい。さらに日本語は

ミラノ式に、ミラノ式で

でもよさそうだが、少しニュアンスが違いう。

ミラノ方式に、ミラノ方式で

は<ミラノ方式に>はだめだ。だが<<ミラノ方式にする>ならよさそう。かなりこんがらかって
いるので整理する。

いったい方法、手段(mezzo)と mode は違う。 mode は(見える)様子に近い。英語の style は様式だがこれは mode :見える)様子に近い。<やり方><し方>というのもあるが、方法、手段とはすこし違いうようだ。

和風、洋風というい方がある。
結婚式は和風、洋風にする。結婚式は和風、洋風でする。- どちらもOK.
<結婚式は和風、洋風でする>は<結婚式は和風、洋風でおこなう>の意。一方<結婚式は和風、洋風にする>は<おこなう>というよりは<xxにしておく>。
家は(を)和風、洋風にする。OK。 <家は(を)和風、洋風でする>はダメ。<家は和風、洋風で建てる>ならよさそう。<家は(を)和風、洋風にする>は<建てる>というよりはこれまた<xxにしておく>といった感じだ。
だがこの<xxしておく>とはどういうことか?ここで<に>が使われている。

イタリア語<a>は区別がないが英語、日本語では方法/手段と様子/様式で区別があり、違った前置詞や前置詞句(英語)、助詞、助詞句(日本語)が使われる。

方法/手段    with、by
                            で
様子/様式     in xxxx style、fashion、way、manner
          xxxx 風に、式に

手もとの辞書を参考にすると、5番目に

(5)動作、作用が、どんな状態、状況で行われるか、ということを表わす。

というのがある。 <様子/様式、xxxx 風に、式に>はこれと大いに関係がありそう。例文は

暗いうちに起きる
卒業に際して
言うなりになる
会わずに帰る
用心に用心を重ねる(いやがうえにも用心する)
泣くに(=泣こうとしても)泣けぬ思い
言うに言われぬ(筆舌を尽くせぬ)苦しみ
行くに(=こと)は行くが、少し遅れる
大揺れに揺れる

以上の例文は<に>について示唆するところが多い。<動作、作用が、どんな状態、状況で行われるか、ということを表わ>しているのは

暗いうちに起きる
会わずに帰る
大揺れに揺れる (大きく揺れる、だが<大揺れに揺れる>は慣用的な言い方だ。)

の<に>だけと言っていい。

卒業に際して

は<に際して>が<動作、作用が、どんな状態、状況で行われるか、ということを表わし>ており、<に>はこの<際して>に関連している。

会わずに帰る



会わないで帰る

と<で>を使ってもいい。ということは<で>も<動作、作用が、どんな状態、状況で行われるか、ということを表わす>のだ。やっかいだ。

その他は慣用的な言い方で一般的な<動作、作用が、どんな状態、状況で行われるか、ということを表わしている>とは言いがたい。そのためか( )内の解説がある。

言うなりになる
用心に用心を重ねる(いやが上にも用心する)
泣くに(=泣こうとしても)泣けぬ思い
言うに言われぬ(筆舌を尽くせぬ)苦しみ
行くに(=こと)は行くが、少し遅れる


言うなりになる

は第一の解説

1.変化を示す<に>

で説明がつく。<xxになる>だ。

上記のやっかいな問題

<会わずに帰る>は<会わないで帰る>

と<で>を使ってもいい。ということは<で>も<動作、作用が、どんな状態、状況で行われるか、ということを表わす>ことについて考えてみる。これは上で取とり上げた

ミラノ式に、ミラノ式で
結婚式は和風、洋風にする。結婚式は和風、洋風でする。- どちらもOK.
家は(を)和風、洋風にする。OK。 <家は(を)和風、洋風でする>はダメ。<家は和風、洋風で建てる>ならよさそう。
(中略)
<xxにしておく>といった感じだ。
だがこの<xxしておく>とはどういうことか?ここで<に>が使われている。

に関連する。

ミラノ式でスパゲッティを作る。
結婚式は和風、洋風でする。
家は和風、洋風で建てる。

の<で>はまさに<動作、作用が、どんな状態、状況で行われるか>を示している。

ミラノ式スパゲッティを作る。
結婚式は和風、洋風する。
家は和風、洋風建てる。

の<に>は<動作、作用が、どんな状態、状況で行われるか>を示しているか? 答えは No と言える。少なくとも<動作、作用が、どんな状態、状況で行われるかのプロセス>は示してない。<に>は予想される<動作、作用の結果>の状態、状況を示すのだ。

新明解の一番目の解説 

1)動作、作用を受けた結果、その事物が存在する場所をあらわす。

を少し変えて、

動作、作用を受けた(受ける)結果の状態、状況をあらわす。

となる。

では

5)動作、作用が、どんな状態、状況で行われるか、ということを表わす。

は間違いかというと、まったく間違いとはいえないが<どんな状態、状況>が示唆するように、これは<で>が主役なのだ。<に>は

xxのよう動作、作用が行われる

動作、作用が、xxのように(様子、様式、mode) 行われる

のようにつかわれる。<に>と<で>の違いは別途もっと詳しく検討したほうがよさそうだが、少し調べたかぎりでは次のような違がある。

(yy を)xx にする
(yy を)xx でする

今とり上げた。

(yy は)xx にある   存在(する場所)
(yy は)xx である   定義

 (yy は)xx ようにする  mode
 (yy は)xx ようになる  変化
 (yy は)xx ようである  推測

xx (し)そうになる   予想せれる差し迫った変化
xx (し)そうである   推測



f      (rapporto)    by, per  ,   (con prezzi)    at
essere pagato a giornata      to be paid by the day  
vendere qc a 6 euro il chilo      to sell sth at 6 euros a o per kilo  
prendo 2000 euro al mese      I get 2000 euros a o per month  
viaggiare a 100 km all'ora      to travel at 100 km an o per hour  
essere pagato a ore      to be paid by the hour 


 rapporto はリポートではなく<関係>の意。 prezzi は価格、値段。

e  (mezzo, modo)  の最後に

entrare a uno a uno      to come in one by one   一人ずつ入る <a uno a uno>は方法、手段というより様態だ、

というのがあったが、これは広い意味で<関係>と言える。

essere pagato a giornata      to be paid by the day        日給で払われる
vendere qc a 6 euro il chilo      to sell sth at 6 euros a o per kilo    1キロ6ユーロで売る
prendo 2000 euro al mese      I get 2000 euros a o per month     ひと月(に)2000ユーロ取る(給料) 月給
viaggiare a 100 km all'ora      to travel at 100 km an o per hour    1時間(に)100キロで旅する
essere pagato a ore      to be paid by the hour      時給で払われる


日本語の方は<で>で間に合う。他に<xx あたり>というのがある。場合によっては<に>が省略されるともいえる。

日本語では

3個100円 (3個で100円)

というが

香港(中国語)では

10元3個 (<で>に相当する語はない、10元と3個を並べるだけだ)

さて、イタリア語から離れて一部紹介した手もとに辞書(三省堂新明解)の解説を見てみる。上でいくつかは取り上げたの繰り返しになるが、順序も意味があると思うので1番目から並べてみる。


三省堂新明解 <に>(格助)

1)動作、作用を受けた結果、その事物が存在する場所をあらわす。

(3)動作、作用が、相手に対して(から)おこなわれることをあらわす。

(5)動作、作用が、どんな状態、状況で行われるか、ということを表わす。

 -----

2番目は取り上げなかったが、このポストでは ” さて本題。1.変化を示す<に> ” と1番目に取り上げているもの。

(2)変化の結果、生じたものであることを表わす。

これが<に>の役割の代表といっていいだろう。<に>は生成、変化の大動詞<なる>と関連があるのではないだろうか?

4番目は

(4)問題として取り上げる対象の範囲を限定することを表わす。

問題のある係助詞<は>の解説のようだが、辞書の例文をみてみる。

その点に関しては(ついては)検討の余地がある。
京都における講演
即刻改める分には格別とがめるものではない。
先生には(間接的な表現をとることによる一種の尊敬表現)お変わりなくお過ごしのことと存じます。

<に>に <問題として取り上げる対象の範囲を限定することを表わす>という長い内容の意味はないだろう。

その点に関しては(ついては)検討の余地がある。

では<関して>、<関係して>が<問題として取り上げる対象の範囲を限定>しているとみるべきだろう。また<問題として取り上げる>は<検討>と意味的に関係がある。だが

その点に検討の余地がある。

としても<に>は<対象の範囲を限定>しているといえる。ここでも<検討>があると<問題として取り上げる>の意がからんでくる。さらに簡単に

その点に余地がある。

とすると、かなり一般的になり

(xxする)余地がその点にある。

でかなりすっきりする。そうすると<に>は

1)動作、作用を受けた結果、その事物が存在する場所をあらわす。

をすこし変えて

1)動作、作用を受ける結果、その事物が存在する場所をあらわす。
  
で間に合うだろう。

京都における講演

の<に>も<問題として取り上げる対象の範囲を限定することを表わす>といっただいそれたものではなく、簡単に<その事物が存在する場所をあらわす>でいいだろう。

即刻改める分には格別とがめるものではない。

<即刻改める分には>は条件文(節)といえる。条件は<(問題として)取り上げる対象の範囲を限定する>。限定して話を進めるたり、結論を出したりする。この文

即刻改めるには格別とがめるものではない。

でもなんとか通じる。だが

即刻改めるなら、格別とがめるものではない。
もし即刻改めるなら、格別とがめるものではない。

<もし>をつけると仮定文になるようだが、肝心なのは<なら>のほうだ。この<なら>は<なる>の未然形とみる。未然は仮定とみる。そして大きな推測だが<に>は<なる>由来、関連の語とみる。

先生には(間接的な表現をとることによる一種の尊敬表現)お変わりなくお過ごしのことと存じます。

これは前回のポスト ”<背に腹はかえられぬ>の文法解釈” でふれた<に>の<かくれた>用法だ。

繰り返しになるが、中間まとめして辞書の解説(1)-(5)を書いておく。

1)動作、作用を受けた結果、その事物が存在する場所をあらわす。

(2)変化の結果、生じたものであることを表わす。

(3)動作、作用が、相手に対して(から)おこなわれることをあらわす。

(4)問題として取り上げる対象の範囲を限定することを表わす。

(5)動作、作用が、どんな状態、状況で行われるか、ということを表わす。

さて、6番目。

(6)その状態を認めさせるものとしての基準や対象をあらわす。

なにを言っているのかわかりずらい。辞書の例文は

AはBに等しい。
海に近い町
父に似た子
日に一度
きびしさに欠ける
才能に恵まれる
私にはよくわかる
本にもいろいろあって、まったく無益なものが多い

以上の例文に<その状態を認めさせるものとしての基準や対象をあらわす><に>があるだろうか?そもそも<その状態>とはどういう状態か?この辞書の編者は<そのxxx>という解説が好きなようで、そこここに<そのxx>がでてくるが、大体<そのxx>は<あるxx>と置き換えた方がわかりやすい。置き換えると

ある状態を認めさせるものとしての基準や対象をあらわす。

となる。しかし、こうしてもこれらの例文の中の<に>が<ある状態を認めさせるものとしての基準や対象をあらわす>と解釈するのはかなり困難だ。基準や対象を使って言い換えると

AはBに等しい。 -> Bを基準として、Aは等しい。
海に近い町  ->  海を基準として、近い町
父に似た子 ->   父を基準として、似た子
日に一度  ->   日を基準として、一度
きびしさに欠ける -> きびしさを対象とすると、それは欠けてる。
才能に恵まれる -> 才能を対象とすると、それは恵まれている。
私にはよくわかる ->  私を基準とすると、よくわかる。
本にもいろいろあって -> 本を対象とすると、それはいろいろある。

でなんとかなる。それでは<ある状態を認めさせるものとして>とはどういうことか?認識は認識できないもやもやした、不特定のモノやコトや状態からある程度はっきりした、特定されたモノやコトや状態へ移行することになる。<ある状態を認めさせる>とはこの認識論的移行をさせる(認めさせる、見止める、見定める)(ものとしての)基準や対象をあらわすのに<に>が使われるということなる。大げさに言うと<に>は ” 認識のための助詞<に>” ということになる。

このように<に>はこの認識化、特定化に使われるということになる。これを使って言い換えると

AはBに等しい。 -> ほかでもないB、 それにAは等しい。
海に近い町  ->  ほかでもない海、 それに近い町
父に似た子 ->   ほかでもない父、 それに似た子
日に一度  ->   ほかでもない日を基準として、日一度
きびしさに欠ける -> ほかでもないきびしさ、 (それ)が欠けてる。
才能に恵まれる -> ほかでもない才能、、(それ)は恵まれている。
私にはよくわかる ->  ほかでもない私、(その私)はよくわかる。
本にもいろいろあって -> ほかでもない本、(それは)はいろいろある。(この本は元来不特定だ)

のようになる。もっとも

日に一度

の<に>が ” 認識のための助詞<に>” とはすぐには結びつかない。 英語では

once a day

で前置詞なしで済むが

 once per day

という言い方がある。per が” 認識のための前置詞 per ” にはならないだろう。上のイタリア語<a>では

f      (rapporto)    by, per  ,   (con prezzi)    at
essere pagato a giornata      to be paid by the day 

で rapporto (=関係)としている。

ところで、すこし前に

<に>は生成、変化の大動詞<なる>と関連があるのではないだろうか?

と書いた。<に>の語源をさぐるひとは多くないと思うが、<なる>に加えて<似る>も<に>の語源候補だ。<似る>は<xxのようだ>に通じ、<よう>は様子だ。繰り返しになるが

 (yy は)xx ようになる  変化

は<に>の基本的な用法の一つだ。 <似成る>は<になる>だ。

上で

以上の例文に<その状態を認めさせるものとしての基準や対象をあらわす><に>があるだろうか?

とかいたが例文の一つ<私にはよくわかる>をもう少しよく調べてみる。これは限定の係助詞<は>を除くいて<に>だけにすると

私によくわかる

となり、なにか日本語習いたての外国人の日本語のようだ。多分日本語としては不合格、ナンセンスだ。したがって助詞<に>単独の解説にはならない。同類と思われる言い方を並べてみる。

私にはできる。
それは、私にはできる。
それは、私にできる。

3番目<は>なしだ。 不合格、ナンセンスといった<私によくわかる>も

それは、私によくわかる。

で不合格、ナンセンスではなくなる。<それ>は<わかる>の対象だ。では<私に>の<に>は何を示しているのか?<わかる>は対象として<が>も<は>もとる。

太郎はそれはわかるが、あれがわからない。
太郎はそれがわかる。太郎にはそれがわかる。
わたしは言われたことはわかるが、実行はできない。
おまえは言われたことがわかる(か?)
高等数学はわかるが、抽象絵画はわからない。
花子は高等数学がわかる。

疑問にもどって

<私に>の<に>は何を示しているのか?

(6)ある状態を認めさせるものとしての基準や対象をあらわす。

の<解説>からすると<それ>が対象、<私に>は主体と言いたいが、

私にはよくわかる ->  私を基準とすると、よくわかる。

でもなんとか説明がつく。

私にはよくわかる ->  ほかでもない私、(その私)はよくわかる。

これは<は>を除いて

(それは)、私によくわかる ->  (それは)、ほかでもない私、(その私)はよくわかる

 で<それは>があれば、これまたでもなんとか説明がつく。 だがこれは

私によくわかる -> 私はよくわかる

の言い換えで<私に>の<に>の説明になっていない。どうも堂々めぐりになってきた。<わかる>、<できる>以外で同様ではないが以下ののような似たような言い方がある。

(xxが、xxのように)私には見える、私に見える - 私は見る

(xxが、xxのように)私には聞こえる、 私に聞こえる - 私は聞く

(xxのように)私には感じられる、私に感じられる- わたしは感じる

(xxのように)私には思える - 私は思う

(xxのように)私には考えられる - 私は考える

日本語では右側の言い方が自然だ。<見える>、<聞こえる>は自動詞。<える>は可能とも受身とも自発ともとれる。<れる><られる>は可能、受け身、自発、尊敬の<助動詞>とされている。さらには次のような言い方がある。

xx には驚(おどろ)いた
xx に驚(おどろ)いた

xx には参(まい)った
xx に参(まい)った

xx には困った   (太郎のいい加減さには困った)
xx に困った    (金に困った)

xx には負けた
xx に負けた

xx には及(およ)ばない
xx に及(およ)ばない

 xx には心配させらfれる

これらは英語の受身で使われる(be surprised by)の by 相当だ。辞書の解説では

(3)動作、作用が、相手に対して(から)おこなわれることをあらわす。

の(から)の方だ。日本語では

先生にしかられる。

が普通で

先生からしかられる。

はまれだ。意味的には解説にあるように<から>だが、なぜか<に>が使われるのだ。

冗長になるが、

<xxによって>も 受身文の by の訳語としてつかわれる。 こうしないと試験では×か△になるかもしれない。

<xxにyyyy>は多い。

xx にあわせて
xx に加えて
xx にしたがって
xx につき、xx について、xx に関して
xx に逆(さか)らって、xx に反対して
xx によって
xx によっては
xx により


7番目。

(7)動作、作用が何を目的として行われるかを表わす。

昼は食事に帰る。
駅まで迎えに出る。
本を買いに行く。

6番目と違って解説と例文は合致している。

食事は名詞(体言)。<迎え>は<迎える>の連用形とも連用形の体言(名詞)用法ともとれる。<買い>も同じく<買う>の連用形とも連用形の体言(名詞)用法ともとれる。

昼は食事に帰る。



昼は食事しに帰る。

とも言えこの場合は<し>はこれまた<する>の連用形とも連用形の体言(名詞)用法ともとれる。

簡単なようだが、この用法(目的を表わす)は極めて簡単、効率的だ。英語でも

to stop to smoke (タバコを吸うために止まる)

to stop smoking  (タバコ吸うのをやめる)

というのがある。 <タバコを吸うために止まる>は簡単化して<タバコを吸いに止まる>になる。自然な日本語だ。

(8)そのものに、さらに何かを添える意をあらわす。

これも、<あるものに、さらに何かを添える意をあらわす>が自然だ。

竹に雀
鬼に金棒
パンにミルク

(9)動作の継続、反復を表わす。

待ちに待った
揉みに揉む
揺れに揺れている


おもしろい表現だが、だいぶ長くなってきたので検討は別の機会にする。


追記

話をますます混乱させるようだが、だいぶ前のポスト ”日本語の自動詞、他動詞-2” の中で、


<英語は他動詞、日本語は自動詞>

to reach - xxxに着く (to arrive は自動詞で to arrive at (in) となる)。
to touch - xxxにふれる(さわる)
to win a game - xxx勝負に勝つ (だれだれに勝つ、はまた別)
to lose a game- xxx勝負に負ける (だれだれに負ける、はまた別)

こうみると、<に>は対格を示す助詞のようだ。


と書いている。

追記-2

いろはカルタ

調べてみたら<鬼に金棒>と<背に腹はかえられぬ>は江戸版<いろはカルタ>にあった。この江戸版<いろはカルタ>で<に>が使われているものを抜き出しておく。

犬も歩けば棒にあたる
憎まれっ子世にはばかる (これは別のポストで取り上げたことがある)
老いては子に従え
割れ鍋にとじ蓋 (これはに聞いたことあるが、どういう意味か知らなかった)
良薬は口に苦し
月夜に釜を抜く  (これはまれに聞いたことがあるような気がするが、どういう意味かまったく知らなかった)
念には念を入れ
泣きっ面に蜂
臭いものに蓋
えてに帆をあげる (これはに聞いたことあるが、<えて>は得手で得意(とくい)なこと。これはいままで意味を知らなかった)
三べん廻って煙草にせう (これはまったく聞いたことがなかった。<せう>は<しよう>と読む)

<に>は、上で検討した用法で大体分類できるが、大活躍しているといっていいだろう。


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