自責動詞というのはない。日本語文法では<自発の助動詞>があり、これになぞらえて自責動詞としたが、特定の動詞が自責動詞というわけではないので、正確には自責表現だが、これでは文法(規則)にならない。
自責動詞(表現)の代表は<なくす>で
わたしは財布をなくした。
なくそうとして財布をなくす人はまずいないが、なぜか<財布をなくした>という。英語もなぜか日本語に近く
I lost my wallet.
中国語は
钱包不见了。(多分)
財布が見えなくなった。
主語は財布で<わたし>は出てこない。すこし考えて見ると、なくそうとして財布をなくす人はまずいないので、中国語の方が理にかなっている。だがもう少し考えて見ると中国語の表現は<責任のがれ表現>だ。一方日本語のほうは<責任負い表現>、自責的な表現だ。
もう一つ。
太郎は高価な骨董品の花瓶を落として割ってしまった。
さらにもう一つ。
花子は階段から落ちてケガをした。
以上は、自責という言葉は使っていないが別のところでもっとくわしく書いている。
今回は次の表現を検討してみる。
わたしはテニス中にアキレス腱(けん)を切ってしまった。
わたし自身テニス中ではないがアキレス腱を切って入院、手術したことがある。(若い人は自然治癒で手術の必要はない)。当然ながら切ろうとしてアキレス腱を切ったわけではない。だが表現としては
わたしはアキレス腱を切ってしまった。わたしはアキレス腱を切った。
アキレス腱を切る。
となる。 <しまった>は<取り返しのないことをした>のような意味があるが
わたしはアキレス腱を切った。
と<しまった>なしで言える、言う。
(わたしは)財布をなくした。
も
(わたしは)アキレス腱を切った。
も<わたしは>は有っても無くても基本的には同じで、トラブルの責任は自分にあることを認めているような表現だ。 <つい>とか<うっかりして>とか<運わるく>などを加えても自責表現であることにかわりはないだろう。
他にこれらに似た自責表現はあるだろう。
ところで、以上は次のような表現をみつけたからだ。
ピノキオの冒険原文(イタリア語)第20章
http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/pin_20.htm
il Serpente fu preso da una tal convulsione di risa, che ridi, ridi, ridi, alla fine, dallo sforzo del troppo ridere, gli si
strappò una vena sul petto: e quella volta morì davvero.
英訳
the Serpent
was taken by such a convulsion of laughter, that laugh, laugh, laugh, in the end, from the strain of too much laughing, a vein
burst in his chest: and this time he did die for real.
il Serpente (ヘビ) . . . . . gli (ヘビ自身)si strappò (切った)una vena (静脈)sul petto (胸):
これはいわゆる再帰表現で
(笑いすぎて)ヘビは自分の身の胸の静脈を切った:
というような表現。<アキレス腱を切った>に似た表現だ。
英語訳は直訳だとわかりにくくなるためか文構造を変えており
the Serpent . . . . . a vein burst in his chest:
ヘビは . . . . .、胸の静脈が破裂した:
という表現になっている。
原語によっていろいろな言い方がある。
上で<他にこれらに似た自責表現はあるだろう>と書いたので、調べてみた。
<アキレス腱を切る>に似た自責表現にはつぎのような例がある。
足(脚)をくじく
足(脚)をいためる、頭をいためる
足(脚)を傷つける
体(からだ)をこわす
糖尿病をわずらう
小便をもらす
鼻をたらす
屁をひる(する)
せきをする
いずれも身体、健康、病気関連で、うえのイタリア語の再帰動詞表現と関連がありそう。
その他では
(こどもはすぐ)
おもちゃをこわす
部屋をよごす、衣服をよごす
おかしに手を出す
たいていはこどもはしようとしてするわけではない。これは<ピノキオの冒険>の主要テーマとなっている。簡単に<わるいこととは知りながら>とは言えないのだ。<トラブルの責任>の表現の検討は国民性を反映しているかもしれない。そうまでいわずとも文法的におもしろい。
一方<しまった>は中立でいいことにも使われる。
負けると思っていたが運よく勝ってしまった。
この試験には落ちるを思っていたが受かってしまった。
<しまった>は<しまう>の過去形で、
負けてしまうかもしれない。
勝ってしまうかもしれない。
などと言える。さらに<しまう>は
この不景気では店をしまうしかない。
この仕事は明日までにやってしまおう。
あんなやつは殺してしまおう。
と多彩に使われる。
しまった(、しまった)
はほぼ無意識で口から出て来る。
<しまう>は純大和言葉だと思うが、似て非なる漢語と思われる語に<始末(しまつ)>がある。
あんなやつは始末(しまつ)してしまおう。
ところで、以上は自責動詞というのがありそうなことを示唆しているが、反論は意外と簡単にみつかる。
わたしは財布をなくした。
は自責に関連しているが、<なくす>という動詞自体は
交通事故(暴力)をなくす欠点、弱点をなくす
の<なくす>は自責に関係ない。
<こわす>も中立で
古い建物をこわす
の<こわす>は自責に関係ない。<アキレス腱を切る>の<切る>も例を挙げるまでもなく中立だ。
自責動詞の文法説明ができていないが、できそうにない。少し考えてみたが、日本文法では<自発の助動詞>というのがある。手もとの辞書の説明と例文は以下の通り。
”
しようと思わないのに自然とそうなる。
昔のことがしのばれる。
”
<しのばれる>は<しのぶ>の未然形<しのば>+自発の助動詞<れる>ということだろう。
だが、
昔のことをしのぶ。
で<しのぶ>は他動詞。一方
昔のことがしのばれる。
の<しのばれる>は他動詞<しのぶ>に対応する自動詞とも解釈できる。 上の文法用語<自発の助動詞>の解説
しようと思わないのに自然とそうなる。
は大いに参考になる。次は自責動詞もふくめて、自発の助動詞、<自発動詞みたいな自動詞>を検討する予定。
sptt
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