前回のポスト ” 自責動詞 -なくす、アキレス腱を切る ” の最後に
<自発動詞みたいな自動詞>を検討する予定。
と書いたので、検討してみる。 その前に、関連がある
<目をさます>と<目がさめる>はどこが、どう違う。
を検討してみる。
<目をさます>の<さます>は<目を>と<を>をとるので他動詞。文法的には<だれの目>をさますのかを決めておかないといけない。たとえば<わたしの目>、<太郎の目>
<わたしの目>をさます。
<太郎の目を>さます。
次が、<だれが>さますのかを決めておかないといけない。
普通、ある特定の状況が与えられれば
けさ朝6時に目をさました。
で問題はない。詳しく言うと、普通は
わたしはけさ朝6時にわたしの目をさました。
の意だ。だが状況によっては
母はけさ朝6時にわたしの目をさました。
となるが
母はけさ朝6時に目をさました。
は
母はけさ朝6時に母の目をさました。
の意になる。なんだかかなりややこしい。簡単なようでかなりややこしいのだ。
次、<目がさめる>。<さめる>は自動詞で主語は<が>の前の<目>だ。<目>が主語というと驚く人もいるのではないかと思うが、文法的には<さめる>の主語は<目>なのだ。だれの<目>かというと、これもある特定の状況が与えられれば
けさ朝6時に目がさめた。
で問題はない。詳しく言うと、普通は
わたしは けさ朝6時に目がさめた。 だが状況によっては
母はけさ朝6時に目がさめた。
となる。<目がさめる>の場合は<だれの>目かを明示する必要はない。なぜなら
わたしはけさ朝6時に母の目がさめた。
母はけさ朝6時にわたしの目がさめた。
はナンセンスだ。念のためチェックすると
わたしはけさ朝6時にわたしの目がさめた。
母はけさ朝6時に母の目がさめた。
もナンセンスだ。ナンセンスになるのは<わたしは>の<わたし>(いわゆる主題>と<わたしの目が>の<わたしの目>(文法上の主語)があるためかもしれない。これまた簡単なようでかなりややこしいのだ。
<目がさめる>の<さめる>は自発動詞ともいえる。 前回のポストでとりあげた<自発の助動詞>の解説
”
しようと思わないのに自然とそうなる。
”
目がさめる
は
目が、 しようと思わないのに自然と、さめる。
といえる。だが、<目がさめる>の主語は<目>で、<しようと思わない>人のことは無関係だ。
昔のことがしのばれる
の方は<しようと思わない>人が関係してくる。関係はしてくるが、この例文<昔のことがしのばれる>の主語はなにか?たとえば
わたしは昔のことがしのばれる。
の主語は、例によって<わたしは>の<は>は係助詞で、格を示す格助詞ではない。したがって<わたし>は主語ではない。
わたしは昔のことがしのばれる。
は
わたしはといえば、昔のことがしのばれる。
で、格助詞<が>の前の<昔のこと>が主語。では自発で肝心な<しようと思わない>人、<しのぼうとしない>人のことはどう考えたらいいのか?これまたかなりややこしい。
わたしは朝6時に目がさめる母は朝6時に目がさめる。
は、同じよに考えると
わたしはといえば、朝6時に目がさめる。
母はといえば、朝6時に目がさめる。
ごまかしのようだが、これでなんとかなる。<目>は<さめる>の主語。そして<さめる>は自動詞。
自然と(目が)<さめる>
で問題ない。一方他動詞の<さます>はこうはいかない。
自然と(目を)<さます>
はナンセンス、のように見える。だが本当にナンセンスだろうか?
わたしは、自然と<しようと思わないで>、(目を)<さます>
は可能のようだ。いったいどうなっているのか?
<目がさめる>、<目をさます>はある意味では特別な例かもしれない。というのは英語では
目がさめる = to wake up (自動詞) I wake up at 6 AM every day.
目をさます = to wake up (他動詞) My mother wakes me up at 6 AM every day.
で to wake up が自動詞 / 他動詞兼用になっている。これは大きな英語の特徴。また<目>は出てこない。また
My mother wakes me up at 6 AM every day.
は使役ともとれる。
My mother makes me wake up at 6 AM every day. (この (to wake up) は自動詞)
が使役だが、意味はほぼ同じだ。
さてつぎに参考に再帰動詞表現のあるイタリア語をみてみる。実をいうと、このポストを書き始めたのは、前回のポスと同じように次のような表現をみつけたからだ。
ピノキオの冒険原文(イタリア語)第22章
http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/pin_22.htm
Ed era già più di due ore che dormiva saporitamente; quando verso la mezzanotte fu
svegliato da un bisbiglio e da un pissi-pissi di vocine strane, che gli parve di sentire nell'aia.
英訳
He had been sleeping soundly for more than two hours when, towards midnight, he was roused by a whispering and by a prittle-prattle of strange little voices, which seemed to come from the courtyard.
イタリア語のfu svegliato は過去(歴史過去)の受身形で<目をさまさせられた>。<目をさまさせられた>は<目をさめさせらた>でも、さらには<さまされた>でもよさそう。これまたややこしい。
もとの動詞は svegliare で、 Reverso Italian - English Dictionary では
svegliare
svegliami alle 7 wake me up at 7
la camminata ha svegliato il suo appetito the walk gave him an appetite
mi sveglio sempre presto I always wake up early
という解説になっている。基本的には svegliare は他動詞。
<fu svegliato >は上述のように過去(歴史過去)の受身形。一方 svegliarsi はこの動詞の再帰用法で
svegliare (他動詞) + si (自分自身)
で意味としては自動詞になる。英語訳もそうなっている。
mi sveglio sempre presto I always wake up early. (自動詞)
再帰用法のsvegliarsi を文字どおり訳すと
自分自身に対して<目をさまさす>
(自分の目をさまさす)
これは可能だろうか?これは上の疑問
”
自然と(目を)<さます>
はナンセンス、のように見える。だが本当にナンセンスだろうか?
わたしは、自然と<しようと思わないで>、(目を)<さます>
は可能のようだ。いったいどうなっているのか?
”
と同じような疑問だ。
この問題は以前に考えたことがあり、
誰か(神様、天)が<目をさめさす>で<目がさめる>になる、といった解釈をしたことがある。ここはこれ以上深入りしない。
このポストのまとめは
<めがさめる>の<さめる>は自動詞で、<しようと思わないで><おきる>ので大方<自発動詞>と」いえる。
次回は別の<自発動詞>をチェックしてみる。
sptt
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