Thursday, November 30, 2017

私は何も見えない-2、対格をを示す<が>-2


このポストは前回の<I can't see anything.  私は何も見えない>の続き。前回のポストで次のように書いた。


私は何も見えない。あるいは
私はxxが見えない。

は対象、対格を示す<が>ともいえる。 対象、対格をを示す<が>の例としては


花子はチョコレートが好きだ。 <好き>はあまり使わないが動詞<好く>の連用形の体言、名詞用法に断定の助動詞<だ>が付いたものと解釈しておく

太郎は数学が嫌いだ。 <嫌い>は<嫌う>の連用形の体言、名詞用法
花子は勉強ができる。
太郎は勉強ができない。
私は時間が欲しい。
私は昼寝がしたい。  
花子はピアノが上手(じょうず)だ、うまい。
太郎は字が下手(へた)だ、ダメ(だ)

がある。<が>をとる<できる>については別のポストで検討したことがある。




以上の例文は手もとの辞書で 対象、対格をを示す<が>が使われる場合として、可能、希望、好き嫌い、巧拙(上手下手)とあるのを参考にして私が作ったもの対象、対格をを示す<が>についてはのところで幾度か書いたようなするが、結論のようなものは出ていない。スパッと割り切れないところが多い。何度目かの挑戦になる。

まだある。

はこれがわかるか? (わかることができる、で可能)

どれがいい? これがいい。(これが欲しい、の意だろう)

だが、<これがいい>は単純に<これ>は<いい>の主語で問題なさそうだが、<これがいい>は<これはいい>にならない

これはいいが、 あれはだめだ。 

これいいが、 あれだめだ。>はおかしい。一方<これはいいが、 あれはだめだ。>は問題なく、これとあれの一般的な評価の表明で助詞<は>の特徴だ。

これいいが、 あれだめだ。 は問題ない。

<これいいが、 あれだめだ。> はこれはいいが、 あれはだめだ。>と同じにならない。前半の<これがいい>は<これが欲しいの意を含んでしまうようだ。また否定のこれがよくない>、<これがダメ >は<これが欲しくない>、<これは欲しくない>の意にならない。話がこんがらかってきているが、形容詞<いい>は形容詞<欲しい>に近いといえる。

どれがきれい? これがきれい。 <きれい>は最後に<い>があるが形容詞ではない。形容動詞<きれいだ>の語幹。もともとは漢語で<綺麗>。<これがダメ>の<ダメ>も同じようなことが言える。<xxは(が)ダメ>でも<<xxは(が)ダメだ>でもいい。

どれが大きい? これが大きい

これは<これ>=<大きい>で<これ>は単純に大きい>の主語でいいだろう。
 
どこが痛い? 頭が痛い

これ=<痛い>で<>は単純に痛い>主語、と言いたいが微妙なところがある。<頭が痛い>は

頭が痛い
 
ともいえるというか、じつのところはこういう意味だ。発話者が直接的に絡んでくるのだ。<これが大きい>とは根本的に違うと言っていいだろう。日本語では

花子は頭が痛い。

という言い方はしない。発話者には、たとえ医者や母親やボーイフレンドでも、<花子の頭が痛い>のは直接的にはわからないのだ。英語はこの辺は無頓着で、第三者花子具合わからないのに(この第三者花子具合わからない>も構造上同類だ)。

Hanako has a headache.

と言って済ましてしまう。  

発話者が直接的に絡んでくる<頭が痛い>にもどる
 
頭が痛い

この文構造は<象は鼻が長い>、<キリンは首が長い>と同じ

私はといえば(主題)、頭(主語)が(格助詞)痛い形容詞述語)

<頭>は<痛い>の目的語ではない。だが、実際のところ<痛い>と感じているのは<頭>ではなく<私>だ。こう考えると<頭が痛い>はどうも変だ。<目が見えない>も同じようなところがあり実際のところ<見えない>のは<目>ではなく<私>だ。ここで<が>が使われているのに注目したい。これは上記のこんがらかった<これがいい><これはいい>の違いが説明できる。

 <これがいい>は<私はこれがいい>の<私は>を省略したもの。一方<これいい>は<私はは(が)いいと思う>の<私は>と<思う>を省略したものと考えたらどうか。

1)私はこれがいい。
2)私はいいと思う。
3)私はいいと思う

1)と3)がまぎらわしいが、状況が違う場面での発話だ。1)<私はこれがいいは意見ではなく、意思、希望、欲望の表明。主観的な心情の表明なのだ。3)<私はいいと思う>は

私は思う、これがいい、と。

<が>を使っているが、<が><これがいい>の主語<これ>を示す。これ=いい、と思うだ。2)<私はいいと思う>はまさしくこれだ。これ=いい、と思う。さて1)私はこれがいい>だが

私はどうかといえば、これ=いい、ではない。またこの<が><これがいい>の主語<これ>を示すわけではない。形態上は主語を示しているようだが、意味上は<これ>は上で述べた<欲しい>の意の<いい>の対象を示しているといえないか?

 <いい>が<欲しい>の意になる飛躍、こじつけのようにみえるかも知れないが、文法上の疑問を解き明かすには、ときにこの<こじつけ>が必要なのだ。 <いい(よい)>、<よくない>、<わるい>は好き嫌いの問題ともいえる。

現在イタリア語文法を再勉強中だが、好き嫌いは

Mi piace la choccolata.  ( I like chocolate.)
Non mi  piace la choccolata. ( I do not like chocolate.)


という。piace は動詞、他動詞で三人称単数。原形は piacere で<喜ばせる、楽しくさせる>の意に近い。英語では to please が相当。I am happy. よりは I am pleased. が大人の少しさめた言い方だ。さてpiacere なぜ三人称単数piace になるかというと、主語は最後にある la choccolata だからだ。語順を変えれば

La choccolata mi piace.

mi は<私を>で<チョコレートは私を喜ばす>で<チョコレートが好きだ>となる。

I like chocolate.
Mi piace la choccolata
チョコレートが好きだ

以上は他のポストでも検討して書いた。一部繰り返しになるが

1)英語は冠詞がないが、イタリア語は冠詞 la がある。日本語はそもそも冠詞が存在しない。(ここでは詮索しない。)

2)英語は I が主語で I が全文を支配してる。  

3)イタリア語は la choccolata が主語のMi は人称代名詞で目的語(私を)。 <私>は補語のようになっており、文を支配していない。

4)日本語は

<私は>の<は>主語を示す格助詞ではなく係助詞(または副助詞)で<私はといえば>といった意味。したがって<私>は主語ではなく、文を支配していない<チョコレートが>の<が>は格助詞で<チョコレートが>が主語のようだが、上で説明したように、こは対格をを示す<が>となる。<チョコレートが>が<好き>の対象となるのだ。だが問題はある。

問題1 - 主語はないのか?

問題2 - <好き>はこれまた上で説明したように、<好き>はあまり使わないが動詞<好く>の連用形の体言、名詞用法に断定の助動詞<だ>が付いたもの。この<好きだ>は目的格をとることができるのか?

チョコレートが好きだ

の文法的解析は難しい。

<好き>はあまり使わないが動詞<好く>の連用形の体言、名詞用法なので、体言名詞)とはいえ動詞<好く>の動詞的意味は保存している。純体言名詞)的な<好きなこと>ではないだ。

<行きはよいよい、帰りはこわい>は<行くことはいい、帰ることはこわい>ではない。

<好く>はあまり使わないが、他動詞で<xxを好く>のように使う。したがって

私はといえばチョコレートが好きだ。 - 私はといえばチョコレートを好く(だ)。

右の文も左の文も主語がない。

私はといえばチョコレートが好きだ。

イタリア語にならって

チョコレートが私を喜ばせる。 はおかしい。

私はといえばチョコレート好きだ。 もおかしい。

チョコレートが私を好きだ。 も変で、翻訳調っぽいが可能だ。しかもこの場合<私はといえば>はいらない。<チョコレートが>で<チョコレート>が主語。<好きだ>は<を>もとれることになる。これは<好き>が動詞<好く>の意味を保存しているからだろう。文法的にはおちどがない。

チョコレートが私が好きだ。 はダメ。<が>が重なる。


チョコレートは私が好きだ。  は変だが、文法的にOK<xxはyyが好き>の構文だ。
 
まだ宿題が残っている。

チョコレートが好きだ

問題1 - 主語はないのか?

次回へ続く。

sptt 

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