Saturday, November 4, 2017

好き、嫌いの文法分析


好き、嫌いは、大げさに言うと、科学や技術の進歩を除いて、社会、歴史を作る原動力だ。<何事も好き嫌いの問題に落ち着く>と言える。客観的であるべき厳密な数学や科学や技術にも好き嫌いが入り込むことがある。また<好きこそものの上手なり>ともいう。それほど<好き><嫌い>にはポテンシャルがあるのだが、<好き><嫌い>を文法的に分析してみる。

花子はチョコレートが好きだ。
太郎はタマネギが嫌(きら)いだ。

これは

象は鼻が長い。キリンは首が長い。

の構造に似ている。象、キリンの文は

主語は<鼻>、<首>。象、キリンは助詞<は>がついていわゆる<主題>で<象についていえば>、<キリンにつていえば>の意味で主語ではない。この助詞<は>は係助詞(文法書によては副助詞)とよばれる。主題を除くと

鼻が長い。首が長い。

となり、<が>は主語を示す格助詞。文法的に間違いないが、簡単すぎて何を言っているのかわからなくなるので、主題は必要なのだ。

象についていえば、鼻が長い。キリンについていえば、首が長い。

で意味が通じるが、まずこうは言わない。花子、太郎の場合はどうか。象、キリンの例文と同じように<花子>、<太郎>を主題として<花子についていえば>、<太郎につていえば>で主語ではなく主題とし、

花子についていえば、チョコレートが好きだ。
太郎につていえば、タマネギが嫌いだ。

で意味が通じるが、これまたこうはまず言わない。<象、キリン>の例文と<花子、太郎>の例文はどこが違う?大きな違いは

<長い>は形容詞であるのに対して<好きだ><嫌いだ>は何か?形容詞か?<好き><嫌い>は

好きな食べ物
嫌いな食べ物

で<好きな>、<嫌いな>が体言(名詞)を修飾する形容詞のようだが、 <好きな>、<嫌いな>は分類上形容動詞に近い、純形容動詞の代表<静かだ>(これは形容動詞の終止形ということになっている)と比べてみる

推定
静かだろう
好きだろう
嫌いだろう

否定(打消し)
静かでない(静かじゃない)
好きでない(好きじゃない)
嫌いでない(嫌いじゃない)

連用形
静かに、静かにする、静かになる、静かに話す、、静かに歩く
好きに、好きにする、好きになる、好きに話す、好きに歩く
嫌いに、嫌いにする、嫌いになる、嫌いに話す、嫌いに歩く

終止形
静かだ
好きだ
嫌いだ

連体形
静かな
好きな
嫌いな

仮定形
静かなら
好きなら
嫌いなら

連用形は問題があるが、その他は<静かだ>とまったく同じ。<好きだ>、<嫌いだ>は分類上形容動詞に近い、といえる。だが連用形に問題があるので、<好きだ>、<嫌いだ>=形容動詞とは言えない。<静かだ>は様子や状況、状態を表すので<形容>言葉と言える、<好きだ>、<嫌いだ>も、考えてみると、やはり様子や状況、状態を表すようだ。違いはなにか?

花子は静かだ。
花子はチョコレートが好きだ。
太郎はタマネギが嫌いだ。

<花子は静かだ>は、これまた<は>を主題を示す係助詞(副助詞)とすると、

花子についていえば、静かだ。(変な日本語だが、まあいいとしよう。)

これは花子の性格、特徴、属性を第三者が形容して言っているのだ。人についてに限らず、一般に人、モノ、コトの性格、特徴、属性を解説するように述べる場合は<が>ではなく<は>が使われる。一方

花子が静かだ。

は、

1)<誰が静かだ?>の答え
2)いつもはよくしゃべる花子が、どういうわけか静かである場合。<おや、花子が静かだ。>
これは発見に近い時の発話で、これには<が>が使われる。<おお、太郎が来た。> これは性格、特徴、属性ではなく、出来事を述べているのだ。

事件が起きた。 どのように事故が起きたのか? 火事が発生した。

これに対し<は>は

こうして事件は起きた。事故はこうして起きた。思わぬところから火事は発生した。

つけたせば

こうしてその事件は起きた。その事故はこうして起きた。思わぬところからその火事は発生した。

英語では、このような場合<必ず>定冠詞の the がつくが、日本語に定冠詞はない。この定冠詞の働き(既知のモノ、コトを示す)を<は>が果たしていることになる。また既知の事件、事故、火事のことを解説するように述べている。

以上は<が>と<は>の違いで、<は>が主語を示す格助詞ではなく、主題を示す係助詞(副助詞)に分類される根拠になっている。だが<花子は静かだ>は<花子についていえば、静かだ>で、<花子についていえば、(その性格は、が)静かだ>とでも解釈すれば主題になるが、かなり持って回った解釈だ。<誰静かなのか?>の問いは主語を問うていると考えられる。答えは<花子静かだ>で<花子は静かだ>ではない。こういう問いはまれだが<誰についていえば、その性格静かなのか?>の答は<花子についていえば、その性格静かだ>となる。最後の<が>と<は>の違いは微妙で、一応<問い>は不定(誰かの性格で不定)で<が>をとる、回答は既知のモノ(者)の解説になるので<は>をとる、としておく。

さて形容動詞の話に戻る。繰り返しになるが

花子は静かだ。
花子はチョコレートが好きだ。
太郎はタマネギが嫌いだ。

の違いだ。 <花子は>、<太郎は>の<は>は、この場合そのあと<チョコレートが好きだ>、<タマネギが嫌いだ>と簡単ながら文になっているので、<は>はその文内容が<何、誰について>なのかを示すことになり、主語を示す格助詞ではないのがわかる。

チョコレートが好きだ。
タマネギが嫌いだ。

について考える。ここで<が>が出てくる。これは<花子が静かだ>とは大いに違う。

1)<が>は主語を示す格助詞か?
2)活用上は似ているが<好きだ>、<嫌いだ>は形容動詞か?

1)<が>は主語を示す格助詞か?

これは別のポストで書いたが、答えは No。<好き、嫌い>に関しては対象、対格を示すのだ。

別のポスト ”対格の格助詞<が>”

" <が>は格助詞の代表選手だが(文法書ではたいてい格助詞の一番目にある)、対格としての用法は主格の説明の後に来る。<が>と<は>の違いの説明でもたいていは主格の場合についての議論だ。このポストでは対格の格助詞<が>について調べてみる。文法の説明は大体次のようになっている。

Japan-wiki (as of 01-May-2013)


”” 

格助詞
  1. 主格であることを表す。
    • 来る。
  2. 好悪要求能力などの対象であることを表す。
    • 私は、ご飯食べたい。
    • 彼女は、ピアノうまい。

””

<など>のなかには重要な<感覚動詞>がある。

海が見える。
海鳴りが聞こえる

また好悪の代表的な例としては

太郎は花子が好きだ。
花子は太郎がきらいだ。

能力の代表的な例としては

次郎は英語ができる。

ところで、上記のJapan-wiki の説明もそうだが、たいていの比較的簡単な文法書では<対象であることを表す>という説明はあるが<対格>という文法用語が出てこない。一番目として<主格であることを表す>としているのだから、文法解説としては二番目として<対格を表す>の方がいい。

(後略)



注)<が>が格助詞であることに変わりはない。

2)活用上は似ているが<好きだ>、<嫌いだ>は形容動詞か?

<好き><嫌い>にはあまり使わないが <好く>、<嫌う>という立派な動詞がある。<好き><嫌い>に共通しているのは、<好き>は<好く>の、<嫌い>は<嫌う>の、いづれも連用形の体言(名詞)用法で、動詞由来。逆の<好き><嫌い>が<好く>、<嫌う>という動詞になったとは考えにくい。<静かだ>は<静か>または<静(しず)>が語幹だが、<しずまる>、<しずめる>、<しずむ>と関連はあるかも知れないが、動詞由来ではないだろう。むしろ<しずまる>、<しずめる>はいわゆる<まる、める>動詞で<静(しず)>由来と考えられる。

もう一つ。

花子は静かだ。

は花子について述べているが、花子が<静かだ>に直接関与はしていない。あくまで第三者の花子についての描写なのだ。一方

花子はチョコレートが好きだ。
太郎はタマネギが嫌いだ。

の方は、同じく第三者の花子についての描写なのだが、花子は<好きだ>に、太郎は<嫌いだ>に直接関与している。実際

花子は<(私は)チョコレートが好きだ。>と言った。
太郎は<(私は)タマネギが嫌いだ。 >と言った。

と直接話法にすると、直接関与はもっと強まるが、第三者の発話でも直接関与度合が少し弱まる程度で、発話の内容は直接関与に変わりはない。それでは<好きだ><嫌いだ>は形容動詞ではないのか?多分形容動詞ではない。かなり前に取り上げたが、形容動詞まがいの<きれいだ>を取り上げる。<きれい>は<綺麗>だ。大和言葉ではなく漢語だ。<うつくしい>という大和言葉はあるが、長すぎて発音がめんどうなためか、kirei (kilei)という発音が耳に心地よいのか、<うつくしい>より<きれい>が圧倒的に多く使われている。

推定
静かだろう
きれいだろう

否定(打消し)
静かでない(静かじゃない)
きれいでない(きれいじゃない)

連用形
静かに、静かにする、静かになる、静かに話す、静かに歩く
きれいに、きれいにする、きれいになる、きれいに話す、きれいに歩く

終止形
静かだ
きれいだ

連体形
静かな
きれいな

仮定形
静かなら
きれいなら

連用形の<きれいにする>が<掃除してきれいにする>の意味があり、少しずれがある。だが美容整形で<顔をきれいする>はもとの意味(うつくしい)をたもっている。また、<きれいだ>は<静かだ>と同じく形容専用だ。由来は漢語の綺麗でこれは名詞の<美>(美麗というのもある)に相当し、動詞は関与していないとみていい。形容能力のある名詞を形容動詞にするのは簡単で、名詞にそのまま形容動詞語尾を付ければいい。ここがポイントで、形容動詞ではなく、名詞にこのような語尾を付けたものということもできるのだ。ここが形容動詞の大きな問題点。<静か>を名詞と見るのだ。手もとの辞書(三省堂、新明解、第6版)では<すき>を動詞<好く>の連用形の名詞用法としているが、名詞とはしていない。ここでも、この問題に深入りせず<好き、嫌い>の問題に戻る。(動詞の連用形の名詞用法はおもしろい文法上の問題で、別のところで深入りする予定。)

チョコレートが好きだ。
タマネギが嫌いだ。

<xxを好く>とはまず言わないが、<xxを好かない>は言いそうだが、これも<xxは(が)好きでない(じゃない)>が普通だろう。<を>が使わない受身形も使う。<xxに好かれる>。

一方<嫌い>は<xxを嫌う>、<xxを嫌わない>とはあまり言わないがが、<xxは(が)嫌いで(ない(じゃない)>はよく使う。<を>がつかない受身形も使う。<xxに嫌われる>。

したがって、普通の肯定的な言い方<好く>、<嫌う>は<好きだ>、<嫌いだ>にとって代わられた、あるいはじめからこういう言い方をした、と考えられる。<動詞の連用形の名詞用法はおもしろい文法上の問題>に少しふれると、

行きはよいよい、帰りはこわい。

の<行き>、<帰り>は<行くこと>、<帰ること>でなない。では何か?ここがおもしろいところなのだが、ここは<行くとき>、<帰るとき>の方がしっくりする。

同じように<好き>、<嫌い>は<好くこと>、<嫌うこと>ではない。 <好いているとき>、<嫌っているとき>もおかしいが、<(チョコレートを)好いている>、<(タマネギを)嫌っている>ならよさそう。これは英語の現在進行形<(チョコレートを)好いているところだ>、<(タマネギを)嫌っているところだ>の意味ではない。<xxxxている>は進行中を示すのではなく、状態、状況を表すのだ。もっとも<状態、状況が続いている、進行している>ことを表す、とも言えるが、状態、状況は大体もともと<続いている、進行している>ことを意味している。動詞の連用形の名詞用法は状態、状況に深くかかわっている。長くなり、横道にそれるので詳しくは書かないが、<行き><帰り>以外にいくつかの例を見てみる。

xxが+動詞の連用形の名詞用法

読みが深い、読みが足りない (読む)
話が長い、話がつまらない (話す)
考えが深い、考えがあまい (考える)

負けがこむ (負ける)
勝ちが続く  (勝つ)

動きが速い、動きが止まる (動く)
曲げが足りない(曲げる)
走りが足りない、走りがいい車 (走る)

痛みがひどい、痛みが続く (痛む)

まだまだたくさんありそうだが、 これくらいにして上記の意味を考えると。以上いずれも<読むこと>、<話すこと>、<考えること>、<負けること>、<勝つこと>、<動くこと>、<曲げること>、<走ること>ではない。意味を考慮すると、

読み (読むこと) -> 読んでいる度合
話し (話すこと) -> 話している状況、内容、
考え (考えること) ->考えている度合、内容
負け (負けること) -> 負けている状態、状況
勝ち (勝つこと) -> 勝っている状態、状況
動き (動くこと) -> 動いている度合、状態、状況
曲げ (曲げること) -> 曲げている度合、状態、状況
走り (走ること) -> 走っている度合、状態、状況

助けが必用 (助ける) - 助けられている様態、状況。明らかに<助けること>が必要、にならない。
飲みが足りない - 飲んでいる度合。<飲むこと>にならない。

多くは<xxxx している状況>でまにあう。 注意したいのは

<xxxx している>となること。<xxxxする>ではない。
この<状態、状況>は<様子>でなく、動詞の意味そのものの意味内容(言動)が継続している状態、状況、ときによってはその内容。もともと状態、状況には継続している意味がふくまれている。<様子>でないのは、これらがもともと形容詞ではなく動詞由来のためだ。

そこで<好き>、<嫌い>にこれらを適用すると

好くこと -> 好いている状況
嫌うこと -> 嫌っている状況

となる。

英語の場合を調べてみる。<xxを好く>、<xxを嫌う>なので<好く>、<嫌う>は他動詞。<花子、太郎>の例文を動詞で置き換えると、

花子はチョコレートを好く。
太郎はタマネギを嫌う。

で、 これは英語の直訳に近い。<は>は英語の主語を示す、としておく。英語では<花子についていえば、チョコレートを好く>とは普通言わないのだ。

Hanako likes chocolate.
Taro hates onions.

チョコレートは a piece of chocolate というので、基本的に複数形はない。もっとも最近は梱包方法が進歩し、小さいチョコレートが一個一個になっているものがある。タマネギもチョコレートに似たところがあり、オニオンリングはa piece of onion だろう。辞書にようると、<C、U)、Countable、Uncountable で場合により使い分けるようだ。ここでは一般化したタマネギで、複数形にしていておく。Taro hates a piece of onion. はおかしいが、Taro hates onion. (Uncountable として単数形)でもいい。この辺は英語になれないと判断が難しい。

英語文法では

Hanako、Taro が主語、 likes、 hates が動詞(他動詞) 、chocolate、onions が目的語でマル。

今度はこれを日本語に当てはめると

花子、太郎が主語、 <好く、嫌う>が動詞(他動詞)、チョコレート、タマネギが目的語となる。

日本語での問題は助詞で、上述のように、<花子は>、<太郎は>の<は>は主格を示す格助詞ではなく、主題を示す>係助詞(副助詞)。

<チョコレートを>、<タマネギを>の<を>は目的を示す格助詞。目的格を作る格助詞<を>でもいい。これは問題ないだろう。

さて上で


花子はチョコレートを好く。
太郎はタマネギを嫌う。

で実際にはほとんどこうは言わず、xxxx


と書いたが、<は>に問題があるので主語を示す<が>で置き換えてみる。

花子がチョコレートを好く。
太郎がタマネギを嫌う。

で、これまた実際には(英語の直訳としても)こうは言わい。<は>よりも具合が悪いようだ。<好く>、<嫌う>という他動詞は<純日本語>としてほとんど使わないので、実際に使う冒頭の日本語に戻る。

花子はチョコレートが好きだ。
太郎はタマネギが嫌(きら)いだ。

話はすこし戻って、動詞の連用形の名詞用法を適用してみる。

花子はチョコレートを好く。
太郎はタマネギを嫌う。



<好き>- <好くこと>ではなく -> 好いている(状態)状況
<嫌い>- <嫌うこと>ではなく -> 嫌っている(状態)状況

を適用すると

花子はチョコレートを好く。-> 花子は、チョコレートを 好いている(状態)状況。
太郎はタマネギを嫌う。 -> 太郎は、タマネギを 嫌っている(状態)状況。

となり、こうは言わないが意味は通じる。また、この言い方だと、<は>が<xx といえば>がふさわしくなる。

花子といえば、チョコレートを 好いている状況(だ)。
太郎といえば、タマネギを 嫌っている状況(だ)。

これを短くしたのが

花子はチョコレートが好きだ。
太郎はタマネギが嫌いだ。

ではないか?逆にいえば、これを文法分析したのが

花子といえば、チョコレートを 好いている状況(だ)。
太郎といえば、タマネギを 嫌っている状況(だ)。

となる。表題の<好き、嫌いの文法分析>はかなりの堂々めぐり、いったん泥沼にはいってしまったようであるが、これがこのポストの結論。

だが、まだ終わらない。

(読むのに飽きてしまったひとは、以上で終わり。ひまと興味のある人は続いて読んでください。)


意味にとらわれると文法分析のさまたげ、弊害になることが往々にしてあるが、ここで<好き><嫌い>の意味を考えてみる。手もとの辞書の解説はつぎのとおり。


<すき、好き>
動詞<好く>の連用形の名詞用法。
自分の感覚や感情に合うものとして心が引きつけられ、積極的に受け入れよう(接しよう)とする気持ちにさせられる様子だ。


頭に、動詞<好く>の連用形の名詞用法。という文法説明がある。意味の方はかなり心理分析した解説と言える。大体正しいと思うが、最後の<様子だ>はおかししく、<様子だ>では<好きらしい>になってしまう。ここは<. . . . . とする気持ちにさせられる>心理状態。
(さらに正確にいえば、<. . . . . とする気持ちにさせられる>心理状態を表現するときに使う名詞相当の言葉、となる。)

一方この辞書の<きらい、嫌い>は


嫌うこと(様子)。


と、きわめて簡単で辞書の説明になってい。 当然<嫌う>を調べる必要がある。この辞書の<嫌う>は

” 
そのもの(状態、行為)をすんなり受け入れことができず、避けようとする。



<そのもの>は<あるもの、あること>と読んだ方がいい。また同じ引用になるが、


  1. 好悪要求能力などの対象であることを表す。
    • 私は、ご飯食べたい。
    • 彼女は、ピアノうまい。

また好悪の代表的な例としては

太郎は花子が好きだ。
花子は太郎がきらいだ。



<好き><嫌い>は好悪(悪という字があるは好嫌の意味)だが、<好き>は<xx したい、xx がしたい>、<嫌い>は<xx したくない、xx はしたくない>と言い換えられる場合がある。またまた<は>、<が>の問題になるが

xx はしたい
xx がしたくない

はあまり一般的でないようだ。この問題ここでは深入りしない。<好き><嫌い>の意味だが、いくつか考え方があると思うが、上記の辞書の説明を参考にすると磁石のプラス/マイナスが思い浮かぶ。

磁石のプラス/マイナスは引きつけ合う。プラス同士、マイナス同士は反発し合う。

<好き>は<引きつけ合う>というか、好きな対象に<引きつけられる>ような感じ。

<嫌い>は<反発し合う>というか、嫌いな対象を<反発する>ような感じ、あるいは、嫌いな対象に対して<反発がおこる><反発がおこされる>ような感じ。

もって回ったようないいかたもあるが、このような感情がおこる、またはおこされる表現は言語によってかなり違う。
 
英語

<好きだ>というような表現はなく、I like xxxx. I like xxxx(動詞)ing となる。また<xx したい>は I want to do xxxx. I like to do xxxx. となる。I like は花子の場合 Hanako likes でもいい。

イタリア語 (現在イタリア語再勉強中)

<好きだ>というような表現はなく、I like xxxx. は piacere という動詞(なぜか自動詞)を使って Mi piace xxxx. ( Mi piace il cioccolato.)となる。特徴的なのは xxxx は目的語ではなく主語。Mi piace xxxx. は<xxxx が(は)私に好ましい(欲しがらせるような)感情をひきおこす>だが(piacere はなぜか自動詞なので)ていねいに直訳すると<xxxx が(は)私に好ましい(欲しがらせるような)感情がおこる>と変てこな文になる。<xxxx によって私に好ましい(欲しがらせるような)感情がおこる>で意味が通るが、これだと<xxxx >は主語にならない。ラテン語には奪格というのがあって<xxxによって>の意味もある。主語ではなくこの奪格かもしれない。だがそうすと主語がなくなってしまう。イタリア語は動詞が人称、単複によって語尾変化するので、人称代名詞は特に強調したい場合を除きはぶかれる。これまた持って回ったようないいかただが、 Mi piace xxxx. は I like xxxx. <好きだ>と同じように日常多用される。イタリア人(あるいはこのような表現を使う言語を母国語とする人々)にとって、I like xxxx. と I を使って<好きだ>を表現するのはおかしいのだ。感情は自分の中に起こるとも考えられるが、何かによって起こされると考えるのも自然なことなのだ。

英語でも次のような表現が多用される。

I am interested in xxxx.
I am pleased in xxxx, xx+ing.
I was surprised by xxxx.

感情は何かによって起こされる、と考える。 感情は何かによって起こされる、と考えてそのような言語表現をするようになるのだ。

I am interested in xxxx. は I am interested by xxxx. ではないので、

Something (何か)  makes me interested in xxxx. と考えた方がいい。

だが to like は<感情は自分の中に起こると考える>表現だ。<嫌う>は to hate が相当し、これも to like と同じようだ。

to like 、to hate のもう一つの特徴は to be liking、to be hating という現在進行形がないこと。もっとも to be xxxx+ing のような現在進行形は英語表現の特徴のひとつ。ふつうの現在形で普遍的な事実も習慣も現在進行形で表すことが多い。<xxxx しているところ(だ)>は翻訳調だ。

日本語の<好き、嫌い>をこのような観点(<好き、嫌い>の感情はどのようにおこる、おこされる)から考えてみる。

 

sptt

No comments:

Post a Comment