Friday, November 3, 2017

to lack <欠ける>、<欠く>


最近、イタリア語の再帰表現(mancarsi)に関連して英語の to miss の使われ方を復習しているが、 to miss に似た動詞に to lack がある。

英語の to lack は自動詞、他動詞の両刀使いでややこしい。

1. 自動詞の場合

日本語の<欠ける>は<xxが欠ける、xxが欠けている>で自動詞。

Taro lacks in courage. 太郎は勇気が欠けている。

これは<象は鼻が長い(キリンは首が長い)>の形式。

太郎には勇気が欠けている。

ともいえるので、<太郎>は主語でないことがわかる。 いわゆる<太郎について言えば>の主題でもいいが所属でも、場所でもいい。

勇気が太郎にはない。

も自然な日本語だ。

Taro lacks in courage. の<in>の位置を活かすと

太郎は勇気に欠ける。
太郎は勇気に欠けている。

となり、これも日本語らしいが、文法的にどう解釈したらいいのか?

Courage is lacking in Taro. (Courage lacks in Taro. とは言わないようだ)

<勇気が太郎に欠ける。>とはあまり言わず

勇気が太郎に欠けている。
勇気が太郎には欠けている。

となる。<欠ける(欠けている)>は依然として自動詞。こう見ると日本語もかなりわかりずらい。


2. 他動詞の場合

日本語には対応する他動詞があり、<欠く>だ。

太郎は勇気を欠いている。

英語は

Taro lacks courage.

でいいのだが、

これを逆に日本語にすると

太郎は勇気を欠く。

となるが(間違いではないが)ややおかしく、

太郎は勇気を欠いている。

が普通。 <欠いている>は<be lacking>相当で、これを再度英語にすると

Taro is lacking courage.

となるが、これはややおかしく(間違いか)

Courage is lacking in Taro.

となる。lacking は<欠けている>という意の形容詞と考えた方がいい。英語では to lack は<xxを欠いている>という他動詞の現在形(be lacking)はないようだ。考え方、モノの見方の問題だが、<欠いて>いれば、常に<欠いて>いるのだ。<欠く>は一時の言動ではなく、状態、様態をしめす形容詞的な動詞なのだ。<ない>は<なけ>れば、つねに<ない>のに似ている。だが、<欠くようになる(なくなる)>という場合がある。

太郎はあの事件以来勇気を欠くようになった。

Taro has become lacking courage since that event.

でいいだろうが、この lacking は何か。少しおかしい。

Taro has become courage absent since that event.

はどうか?


以上は結論がでていないが、手もとの(伊英辞典)で、<他動詞 to lack には受身形がない>という短い解説に出くわして考えたもの。


sptt

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