Sunday, November 26, 2017

I can't see anything. 私は何も見えない


I can't see anything. 直訳は<私は何も見ることができない>となるが、あまりこうは言わず、普通の日本語は<私は何も見えない>、私を強調すると<私には何も見えない>となるだろう。文法的に解析してみる。

私は何も見ることができない。
単純に肯定にすると

私は何も見ることができる。

は変で
 
私は何でも見ることができる。一方

私は何も見えない。

という日本語らしい言い方がある。この<見えない>は

1)他動詞<xxを見る>の未然形<見(み)>+可能の<える>の未然形<え>+<ない>で<見ることができない>となる。他動詞<xxを見る>の可能(できる)の否定。したがってこの<も>は対格を表す格助詞となるか?<xxもyy(動詞)ない>は一種の係り結びで<も>と<ない>は強い関係にある。

2)自動詞<xxが見える>の否定。<見える>の未然形<見え>+<ない>。<見える>は<xxが見える>で自動詞だが<える>はかなり可能の意を含んでいる。

<私>が主語のようだが、<私は>は<私には>。係助詞(副助詞)の<は>を強調すると<私>はいわゆる主題で<私はと言えば>。<何>が主語か?<何が見えるか?>の回答なので<も>は主格を示す格助詞ということになるが、<も>は副次的な意味を加える副助詞。どうなっているのか?

ところで、この<が>だが、主格を示す格助詞とは限らない。
私は目が見えない。

この<が>は<目>が主格をあらわすようだ。言い換えると

私はといえば、目が見ることができない。一方

私は何も見えない。あるいは
私はxxが見えない。

は対象、対格をを示す<が>ともいえる。 対象、対格をを示す<が>の例としては

花子はチョコレートが好きだ。 (<好き>はあまり使わないが動詞<好く>の連用形の体言、名詞用法に断定の助動詞<だ>が付いたものと解釈しておく
太郎は数学が嫌いだ。 (<嫌い>は<嫌う>の連用形の体言、名詞用法
花子は勉強ができる。
私は時間が欲しい。
私は昼寝がしたい。  
花子はピアノが上手(じょうず)だ、うまい。
太郎は字が下手(へた)だ。

 
がある。<できる>については別のポストで検討したことがある。
<何が見えるか?>は逆に英語にすると

What can be seen ?

What が主語だが、受身なっている。これを正直に日本語に訳すと

何が見られることができるか?

長すぎるし、何か変なので

何が見られるか?

<見られる>は可能(can) あるいは受身(be seen)で、 見られる=can be seen ではない。最近は<何が見れるか?>でもいいが、<見れる>は可能で、いまのところ受身の意はない。

<見られる>に可能(can) と受身(be seen)の意を持たせようとすると

見られ+える -> 見られえる。だがこうは言わないだろう。 <見られることができる>もおかしい。受身の意が伝わってこない。

一方もとの答を考慮すると、疑問文は What can you see ? だ。これだと you が主語で what は目的語になる。これを再び日本語に戻すと<あなたは何を見ることがきるか?>だが、これも日本語らしくない。<あなたは何が見えるか?>となる。この質問は文法上理にかなっているが、英語とは構造がまったく違う。

あなたは何が見えるか?

<あなたは>で<あなたと言えば>、何(主語)+ が(主語または対格を示す格助詞)+ 見える(自動詞)。自動詞に対格(xxを相当)がつくというのは合点(がてん)が行かないが、ここでは詮索(せんさく)しない。

さて、最初に戻って<私は何も見えない>は文法的にどうなっているのかの疑問。繰り返しになるが、

<私>はいわゆる主題で<私はと言えば>。<何>が主語か?<何が見えるか?>の回答なので<も>は主格または対格を示す格助詞ということになるが、(文法上)<も>は副次的な意味を加える副助詞。どうなっているのか?

私(に)はxxが見える。
私(に)はxxが見えない。

以上は問題ない。

私(に)は何が見える?
私(に)は何が見えない?

以上は自分自身に言う(問う)独(ひと)り言とすれば問題ない。<何>が主語。さて、<も>の場合だが、

私(に)は何も見える。
私(に)は何も見えない。

<私(に)は何も見える>は意味的におかしい。これは普通

私(に)は何でも見える。

となるが、<も>と<でも>は違う。<でも>は、日本語文法でどういうのか調べていないが、<何>の後について<何でも>。これは英語では不定代名詞 anything 相当になる。<何でも>を分解すると、何=thing、でも=any となるか。英語の anything はかなり特殊な言葉。これも別のポストで検討したことがある。

I can see anything.

<も>と同じく、複合助詞の<でも>が主格、対格を示す格助詞とは思えない。any に似た意味をもつ助詞のようだ。

さて<私(に)は何も見えない>だが、<xxもyyない>は一種の係り結び。<まったくない(xx(動詞の未然形)ない)>、<ちっともない(xxない)>、<すこしもない(xxない)>なども係り結びといえよう。

ここに回答がないか。

<xxもyyない>のような係り結びを使った場合、<が>や<を>の格助詞はいらない。

私(に)は何でも見える。

の<でも>はどうか?英語はどうか?

1) I can see everything.
2) I can see anything.

どちらも正しいようだが、微妙ににニュアンスが違う。この詮索も別の機会にするとして、everythinganything は目的語。上で、<も>や<でも>は主格、対格を示す格助詞ではなく、any に似た意味をもつ助詞のようだ、と書いたが、このような場合、主格、対格を示す格助詞ははぶかれる、としたらどうか? 助詞が二つも、三つもつながることになる。助詞がなくとも意味は通じるのだ。

sptt

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