Sunday, October 27, 2013
<すます>、擬似完了動詞
前回のポストで<完了>の補助助詞<しまう>について書いた。<すます>も面白い動詞で、<しまう>以上に慣用用法が多く、これまた相当こなれた動詞だ。語源上はにごりや不純物がなくなってきれいになる、の意の<すむ(澄む)>も同じグループ。
<すます>は漢字を使うと<済ます>で<済>の字から<xx を終わりにする>、<xx の決まりつける>の意が強くなるが、かなりの多義語だ。
1) xx を終わりにする、xx の決まりつける、完了の意味がある。
借金の返済をすます。
借金の返済をすました。(過去、あるいは過去の完了)。<借金の返済をした>とは明らかに違う。
夕食をすます。
夕食をすました。(過去、あるいは過去の完了)。<夕食をした>とは明らかに違う。
2)擬似完了
a)とりえず XX を終わらしておく(の決まりつけておく)。 実際には(事実上は)終わっていない(決まりが付いていない)。これを<擬似完了>とする。
b)とりえず XX で間に合わせておく、XX したことにしておく、の意。これも 実際には(事実上は)終わっていない(決まりが付いていない)の意があり、基本的には擬似完了だ。
以上の説明で<おく>という動詞をなんどもつかっているが<おく>はアスペクトのからむ日本語の重要動詞。
<すます>はさらに発展、派生して
xx になりすます
という表現があるがこれも擬似完了といえる。
太郎は悪いことをしてもすましている(すました顔をしている)。
花子はいつもツンとすましている。
という表現もあるがこの2例は<済む>と<澄む>の二つの意が重なり合っているようだが、いづれのしても大和言葉では<すむ>だ。
といった表現があるがこれらもも擬似完了といえる。
擬似完了からの派生に<すみません>、<すまない>がある。
<すみません>は社会生活できわめてよく使われる言葉だ。分解すると
<すむ>の連用形<すみ> + <ます>の未然形<ませ> + 否定の<ん>(<ない>の音便か?)。
男性は簡潔な<すまない>もよく使うが、これは<すむ>の未然形<すま>+ 否定の<ない>の終止形。
したがって<すみません>、<すまない>は<すむ>の否定形だ。<すむ>の否定、とはいったい何か?
1) xx を終わりにする、xx の決まりつける、完了の意味がある。
の否定とすると、
xx を終わりにしない、xx の決まりつけない、の意になる。また完了の意味がなくなる。
一方、2)の擬似完了の否定とすると話がややこしくなるが
a)(とりあえず)XX を終わらしておかない(の決まりつけておかない)の意。
b)(とりえず) XX で間に合わせておかない、の意。
<すみません>、<すまない>には1)と2)の両方の意味がありそう。
a)(とりあえず)XX を終わらしておかない(の決まりつけておかない)の意で、時間的にまだ終わったわけではない、の意を相手に伝えている。
b)(とりえず) XX で間に合わせておかない、の意で、 実際には(事実上は)終わっていない(決まりが付いていない)ことを相手に伝えている。
a)にしても b))にしてもシリアスな発話だ。これは漢語由来の<失礼(しました)>と比べれば雲泥の差だ。
ちなみに中国語では<すみません>は<对不起>が対応し、<失礼(しました)>は最近はやりだした<不好意思>(広東語の影響)が対応するようで、<对不起>の方は<对>(正しいこと)が<立たない>の意味からしてシリアスで、対人関係、さらには正義感が関係してきており、<すまない>と合い通じるものがある。
ところで、英語の I am sorry. は個人の感情表現になっている。
sptt
Friday, October 25, 2013
<しまう>、完了の補助動詞
だいぶ前のポスト<する、やる>で次のように書いた。
”
<始末>意味からしていかにも漢語のようだ。発音も現代中国語で<shi-mo>、 広東語で<zhi-mat>。ただし、中国語圏で使われているのを聞いたことがはない。たぶん、日本語では他の漢語<顛末>の意に近い。かなりの推測だ が、<始末>おそらく<仕まう>と関連がありそう。<始末する>は<処理する>、<終わらす>だ。<始末が悪い>は<処理に困る>といった意味だ。<仕ま う>の関連語に<収める>がある。<仕舞う>の<舞う>は不適当。
”
<しまう>についてもう少し考えてみる。
本動詞としては
1.<やめる>、<おえる>、<おわらす>の意で他動詞。対応する自動詞はなさそうだが<閉める>の自動詞形<閉まる>が対応しそう。
例
店をしまう - 1)閉店する(繰り返しの行為)と、2)商売をやめる、の意がある。<閉める>。
店がしまる (自動詞)
<しまう>の連用形は音便で現在は<しまって>だが、昔はあるいは地方によっては<しまい>で、この連用形の体言(名詞)化<しまい>は今でもよく使う。
例
店<じまい>
今日の授業はこれでお<しまい>にする。
<しまい>には怒り出した。
2.中にいれておく、収める、の意だが<閉める>行為、動作がからんで<外から見えないようにしておく>といった意味が内包されている。
例
金を金庫にしまう。
ただし大事なものを<しまう>場合には念入りに<しまっておく>という複合動詞用法が多いようだ。
金を金庫にしまっておく。
これは秘密だから心の中にしまっておいてだれにも言うな。
<しめる(閉める)>は関連語には<閉まる>、<締まる>、<締める>、<占める>があるが、大和言葉(漢字をつかわなければ)いずれも<しまる>、<しめる>で、大きく考えれば、あるいは一般化を進めれば上記の1)と2)の意味に関連してくる。また<しまう>、<しまる>、<しめる>は
これは<しめ>たものだ。
しめしめ
しまった
と慣用的用法があり、相当こなれた言葉で、<終わる>、<終える>はよそよそしいところがある。
(またアクセントは違うが<湿る>がある。この<湿る>の関連語には<しむ(染む)>がある。)
さて、手元の辞書によると、<しまう>には上記の<本動詞>以外に<補助動詞>の意味、用法がある。
基本的には<しまう>に完了という文法上大きな意味があり<補助>を超えてアスペクト形成の働きがある。
接続をみると
してしまう - し終える
食べてしまう - 食べ終える
読んでしまう - 読み終える
書いてしまう - 書き終える
のように、<しまう>は<動詞の連用形(音便化する場合がある>+<て>につく。一方<終える>は<動詞の連用形(音便化がない>につく。<て>は過去(または完了)の助動詞<た>と関連があり、<XXてしまう>は形態的に完了の強調と言える。
意味も少し違う。
<し終える>、<食べ終える>、<食べ終える>、<書き終える>があらたまった(よそよそしい)感じがする以外に完了とはいいながら<終えるまで>の経過が含まれていて継続的、<線的>な感じがするのに対して<してしまう >、<食べてしまう>、<読んでしまう>、<書いてしまう>は<終えるまで>の経過は考慮されずに完了が強調されており、<点的>な完了の感じだ。
<しまう>の面白いのは、時制をからめるとある意味で意味が逆転する場合があることだ。
現在(未来)の場合(日本語では現在形で未来をあらわす/せる)
してしまう、やってしまう、書いてしまう、見てしまう、捨ててしまう、食べてしまう
中立的な<終わらせる>でも使うが、<終わらせよう>という意図が含まれている場合が多い。
過去
してしまった、やってしまった、書いてしまった、見てしまった、捨ててしまった、食べてしまった
現在と同じように中立的な<終わらせるた>でも使うが、<終わらせようとした>という意図が含まれておらず、むしろ意図に反して<終わった>の意が加わる。
これはどういうことか?<しまう>が補助ではなく重要な動詞であるわけがここにないか?
アスペクトとも関連してくるが、完了(終わる、終わらせる)には成功、不成功の区別が往々にしてある。ロシア語はこの辺(完了、成功、不成功のアスペクト)が発達しているようだが、中国語にもある。
买(買)得到 - 買った。買えた(完了、成功)。
买(買)不到 - 買わなかった。買えなかった(完了、不成功)。
戒得到煙 - 禁煙した。禁煙できた。禁煙に成功した。
戒不到煙 - 禁煙しなかった。禁煙できなかった。禁煙に成功しなかった(失敗した)。
日本語の場合結構いい加減で、<買った>が中国語のゲンミツな観点からは実際には<買えた>の意味の場合がある。一方<買わなかった>と<買えなっかた>、<禁煙しなかった>と<禁煙できなかった>では大きな意味の違いがある。
中国語に慣れていない人のために、ゲンミツにいうと、
xx を買った - purchased (bought) xx
xx が買えた - was (were) able to purchase (buy) xx
英語も日本語に近く、成功不成功を強調しなければ Hanako purchased the dress which she (had) liked. で<花子は好きなドレスを買った>とも<花子は好きなドレスが買えた>ともなる。<花子は好きなドレスを買えた>はまちがい。<が>の対格用法。
1)禁煙した - stopped smoking
日本語や英語ではこれで<禁煙できた>の意を含むことができるがゲンミツにいうと、
2)禁煙できた - was (were) able to stop smoking
となる。ただし、 、成功不成功を取り立てて言わない場合は1)を使う。
ところで、<しまう>の<し>はいいとして、<まう>はいったい何か?<まる>の音便といえそうだが、別のポストで書いた<みまう(見舞う)の語源>、<ふるまう(振る舞う)の語源>(*)の<まう>と関連はないか?
(*)
sptt やまとことばじてん:<ふるまい>の語源
sptt やまとことばじてん:<見舞う>の語源
sptt やまとことばじてん:<見舞う>の語源
sptt
Saturday, October 5, 2013
日本語文法とロジック - 5, 接続詞
前回のポスト<日本語文法とロジック - 4, 接続助詞>の続編。前回<英語ではロジック用の語は接続詞だが、日本語では多くは接続助詞で間に合う>と書いたが、英語の接続詞を翻訳しようとすると日本語でも接続助詞ではなく接続詞を使おうとするようで、話や文章が長くなりまた翻訳調になる。
英語の接続詞の代表は
1)ロジック関係
and - また
(and) then - それから、それに
besides - さらに、加えて
or - または、あるいは、もしくは
so - それで、したがって、(そう)だから
therefore - したがって、(こう、そう)なので、(こう、そう)だから
but - が(しかし)、だが、しかし、しかしながら、ところが
however - しかし、しかしながら
nevertheless - しかし、しかしながら
though、although XX - XX だが、XX にもかかわらず
(if XX) then - (もし、かりに)XX なら(ば)
if - もし XX なら(ば)
as XX - XX(な)ので、だから
since XX - XX(な)ので、だから
meanwhile - さて、ところで
because XX - XX (な)ので、(だ)から、なぜなら XX なので、だから
2)時間関係
then - それから
after XX - XX のあと(に、で、から)
before XX - XX のまえ(に、で、から)
when XX - XX(の)とき(に)
while XX- XX(の)間(に)
besides、therefore、however、except、meanwhile、because を除けばもともと一語の語に近く、それ自体狭義の明確な意味はなく日本語の助詞に近い。一方日本語の方は<また>と<が>を除けば一語の語はない。
その他にロジック関係では、英語では上記の however グループの
whatever
whoever
whereever
whenever
whichever
があるが however ほど独立しては使われず従属(副)文、節用だ。
二語になるが
even if XXX - (かりに、たとえ) XX だとしても
even though XX -(たとえ) XX でも
三語になるが
no matter what
no matter who
no matter where
no matter when
no matter how
ロジック用の日本語は多くは接続助詞で間に合うのだが日本語の接続詞は英語より多いといえる。漢文調でも大和言葉が使われているのがおもしろい。
やや古風な日本語の接続詞
1)ロジック関係
and - かつ、かつまた
(and) then - しかして
besides - くわうるに
or - さもなくば、しかざれば
so - それゆえ、かくなるうえは
therefore - ゆえに、それゆえ(に)、しかるがゆえ(に)
but、however、nevertheless - さりながら、さはありながら、しかれども、あにはからんや
though、although XX - XX といえども、XX なれども
if XX then - もしや XX なれば
if XX at least then - いやしくも XX なれば
if so - しからば, さすれば
even (if) not so - さなきだに
as XX - XX なるゆえ
since XX - XX なるゆえ
meanwhile - 時(とき)に
because XX - XX ゆえに
2)時間関係
then - のちに、しかして、しかるのち(に)
after XX - XX したるのち(に)
before XX - XX せんとするまえ(に)
when XX - XX せる(せし)とき(に)
while XX- XX せる(せし)間(ま)に
sptt
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