Friday, June 30, 2017

<も>は大助詞


前回のポスト ”<かもしれない>について” で


以前に<と>については別のポスト"<と>は日本語の大発明" (2015年)でその重要性をのべたが、 以上は急ぎの分析だが、<と>と並んで<も>も大助詞であることがわかる。 別途検討予定。


と書いたので、忘れないうちに検討しておく。<も>は大助詞だけにかなり長くなりそうだが、混乱しないように気を入れて書く。

<かもしれない>の<かも>は

疑問の助詞<か> + <も>

<かもしれない>だけではわかりにくいが<かもしれないが xxxx>とすると譲歩の意味がでてくる。<それでも>も譲歩表現。譲歩表現、譲歩レトリックはどの言語にもあり、しゃべり始めの幼児は別としてその後は無意識のうちにかなり多用するようになる。日本語の<も>は譲歩表現で大活躍する。<xxx にもかかわらず>は英語の訳で出てくる決まり文句の譲歩表現だが、これは中国語(漢語)の<不管(かかわらず)>由来だろう。だが日本語では<かかわらず>だけではダメで、<にも>が必要。<にも>はあとで検討するとして、 <も>が出てくる譲歩表現には

努力する、無駄に終わった。
どんなに頑張ってみて、ダメだ。
いかに頑張ろうと、君にはできまい。
汲(く)めども汲めど、尽きない泉。

一番目<>はやや古い表現だが<も>の譲歩表現がよく表れている。2番目以降は他の助詞との組み合わせだが、どれのも<も>が使われ日本語の譲歩表現の主役は<も>といえる。<も>が大助詞であるわけは、辞書を当たってみればいい。手もととの辞書の<も>の説明はかなりながく、6種に分類されれている。そのうちいくつかはは解説の内容がよくわからない。おそらく書いた人もよくわっかていないか、期限に追われてかなり急いで書いたのだろう。ここではあまり辞書には頼らずに話を進める。

A. <も>の単独用法

1.追加の<も>

<も>の使用については、簡単なところでは

これも欲しい。
太郎も行く。

<これが欲しい>と<これも欲しい>の違いは

 <これが欲しい>は単純な発話で背景は特にいらない。一方<これも欲しい>という発話の背景、条件には<これ>以外に別になにか欲しいものがあり、<これ>は追加だ。したがって<も>は追加の意の助詞と言える。<太郎も行く>も同じようなことが言える。

追加的な<も>を使った言い方としては

太郎はやっと一匹魚を釣り上げた。それも大きいやつだ。

追加的な<も>の強調は<xxx もまた>。中国語では<还有 xxx>がこれに相当するが、文字通りの意味は<まだある>で、否定は<还没有>でこれは<まだない>の意。つまりは

还有太郎   太郎もまた(ある、いる)
还没有太郎または太郎、还没有   太郎はまだいない。

話がずれていくように見えるが、そうではなく中国語の<还>に<もまた>の意があることを記憶しておいてもらいたい。

<还>はかなりこなれた語で、 上記以外に

还好   どちらかというといい(よい)、悪くはない  (比較の過程を経た発話)
还是  1)それでも(still, yet)、2)まだ ない(not yet)、3)疑問文での or 。你想什么吃,A还是B?

でよく出てくる。


2.列挙の<も>、<ひとつにまとめる><も>

それでは

あれもこれも欲しい。
太郎も花子も行く。

はどうか。

<あれもこれも欲しい>の場合、<あれ><これ>以外に以外に別になにか欲しいものは必ずしも要(い)らない。<太郎も花子も行く>の場合も<太郎><花子>以外に別に誰か行く必要はない。したがってこの場合<も>は追加の意の助詞とは言えない。

あれが欲しい。これも欲しい。
太郎が行く。花子も行く。

であれば<も>は追加の意の助詞といえる。<も>が使われる背景、条件が表に出てきたのだ。では

あれもこれも欲しい。
太郎も花子も行く。

の<も>、特に前半の<も>はいった何か? 追加の強調<もまた>に入れ替えてみる。

あれもまたこれもまた欲しい。
太郎もまた花子もまた行く。

とはまず言わないだろう。とくに前半の<あれもまた>、<太郎もまた>は変だ。つまり、前半の<も>が追加というのは変なのだ。

あれもこれもまた欲しい。
太郎も花子もまた行く。

は変ではなく、こう言うかもしれないが、可能性は低い。

列挙という修辞法がある。

A、B、C、D、E は(が)xxxx。
山田、鈴木、佐藤、中島、阿部は(が) xxxx。

<も>を加えてみる。

AもBもCもDもEも xxxx。
山田も鈴木も佐藤も中島も阿部も xxxx。

<もは>は具合がわるく、<は>は除いた。<もが>とは言いそう。

さてこれらの<も>は列挙か? 列挙の助詞には<や>がある。

AやBやCやDやEやは(が) xxxx。
山田もや鈴木や佐藤や中島や阿部やは(が) xxxx。

は列挙で問題ない。したがって<も>は単純な列挙の助詞ではなさそう。<も>の方は

AもBもCもDもEも みな xxxx。
山田も鈴木も佐藤も中島も阿部も みな xxxx。

と<みな>がつけられる。一方<や>の方はどか?

AやBやCやDやEやは(が) みな xxxx。
山田もや鈴木や佐藤や中島や阿部やは(が) みな xxxx。

これも間違いではなさそうだが、

AもBもCもDもEも みな OK (ダメ)。
山田も鈴木も佐藤も中島も阿部も みな 行く(行かない)。

はいいが

AやBやCやDやEやは(が) みな OK (ダメ)。
山田もや鈴木や佐藤や中島や阿部やは(が) みな 行く(行かない)。

は変だ。<も>はいったい何だ? 一方<みな>のない

AやBやCやDやEやは(が) OK (ダメ)。
山田もや鈴木や佐藤や中島や阿部やは(が) 行く(行かない)。

は変ではないが、個々がバラバラの感じでまとまったところがなく、明らかに<も>の場合と違う。

あれもこれも欲しい。
太郎も花子も行く。

の<も>、特に前半の<も>はいったい何か?の答はここにありそう。二つでは<まとめる>がつかみにくいので三つ、四つしてみる。

あれもこれもそれも欲しい。
太郎も次郎も花子も美代子も行く。

二番目は四人がまとまって行く感じがあるが、よく考える、まとまって行かなくても四人がみな行けばこう言う。<も>の意味というよりは<はたらき>を<まとめる>とするのはどうも適切でないようだ。だが

太郎や次郎や花子や美代子(や)が行く。

は繰り返しになるが個々がまったくバラバラの感じだ。<も>が<まとめる>、<まとまる>の意でないとすると

太郎も次郎も花子も美代子も行く。

とはいったいどういう意味なのか?

これはどうも数学の集合の考えかたが必要のようだ。<も>の場合構成員以外があまり考えられていない、という意味で<まとまって>いるのだ。一方<や>の方は場合構成員以外にも目が向いている、あるいは言及は少なくとも太郎、次郎、花子、美代子の四人だけに限定されているわけではない。

太郎や次郎や花子や美代子(や)が行く。

の場合は背景は必ずしもこの4人に限らず、三郎、四朗、春子、夏子その他がいる可能性が高い。 一方

太郎も次郎も花子も美代子も行く。

はその他の構成員には目が向いていない、あるいはその他の構成員はいない、と考えれないだろうか?

あれもこれもそれも欲しい。
あれやこれやそれやが欲しい。

も同じことが言える。

以上をまとめると、<も>には個々の構成員を<まとめる>働きがあるが、さらに<まとめた>構成員以外を除外する働きがる、と言えそう。構成員がもともと<まとめる>モノ、者に限られていれば除外作用は必要ない。譲歩を考えた場合文法的には<まとめる>よりも<除外する>方が重要のようだ。<除外する>ことによってあとに残ったものだけが話の内容の主役になり、強調される。これが譲歩のレトリック、あるいはトリックになる。これはこのポストの主題でもある。

以上が助詞<も>の基本的な使われ方だろう。だが、それ以外の意味も多いところが<も>の大助詞たるゆえんなのだ。

ところで、手元の辞書では

菊もかおる季節。

の例文で、<(菊以外の)ほかの同類のものがあることを示唆する> という解説がある。

雨も降る。

では、雨以外に

風も吹く。

が容易に想像される。

だが、<菊もかおる季節>に他の解釈はないだろうか?<(菊以外の)ほかの同類のものがあることを示唆する>は間違いではないが、どこか表面的な解釈だ。少なくとも詞的ではない。

敵もさるもの。

の<も>はどう意味か? <(敵以外の)ほかの同類のものがあることを示唆する>だけだろうか?
 
a)それがそうだ。
b)それはそうだ。
c)それもそうだ。

の<も>は<が>、<は>とどこが違う?

a)それがそうだ。

これは突然の発話としてもおかしくない。そして初回登場の時に使われる<が>が使われている。ただし意味を成すには背景が必要で、背景としては

何かをさがしていて見つかった。

が考えられる。 英語では That's it. と似たような表現だ。

b)それはそうだ。くだけた言い方に<そりゃーそうだよ>というのがある。

背景としては

ある発話の意見や説明に同意、(なるほどと)納得する、賛同する。

c)それもそうだ。

背景としては<b)それはそうだ>と同じ

ある発話の意見や説明に同意、納得する、賛同する。

が考えられるが微妙な違いがある。

(そういわれてみると)それもそうだ。
 それも(また)そうだ。

のような意味があり、 <b)それはそうだ。>にはこのような意味はない。

a)b)c)に逆接の助詞<が>をつけてみる。

a')それがそうだが
b')それはそうだが、
c')それもそうだが、

 これに続く発話はいろいろ考えられるが、試験的に<これもそうだ>をつけてみる。

a'')それがそうだが、これもそうだ。
b'')それはそうだが、これもそうだ。
c'')それもそうだが、これもそうだ。

解釈のしかたは個人差があろうが、多分

b'')それはそうだが、これもそうだ。

という言い方はしないだろう。 なぜか? なぜなら理屈に合わない、レトリックにならないのだ。一般化をするため、A、B を使うことにする。

a''')Aがそうだが、Bもそうだ。
b''')Aはそうだが、Bもそうだ。
c''')Aもそうだが、Bもそうだ。

後半の<も>はとりあえず追加の<も>としておく。

a''')Aがそうだが、Bもそうだ。

この場合<が>は逆接の助詞というよりは<つなぎ>の助詞だ。Aが(はじめて)出てきて、これにBを加える。集合を考えた場合AもBも同じグループのメンバーとみる。

b''')Aはそうだが、Bもそうだ。

これが変なのはAとBが同じグループのメンバーにならないからだ。<は>は独立性が強くBの方に<も>を使ってもBを仲間に入れないのだ。これがポイント。

c''')Aもそうだが、Bもそうだ。

前半に<は>ではなく<も>を使うとAとBが同じグループのメンバーになる。<a''')Aがそうだが、Bもそうだ>と違うところは、譲歩的なレトリックがすこしあり、同じ仲間だがAを踏み台にしてBを引き立たせることになる。Bが主眼なのだ。また上の方で述べた

<も>には個々の構成員を<まとめる>働きがあるが、さらに<まとめた>構成員以外を除外する働きがる、

とも関連があり、話題をAとBだけに限るのだ。これは<a''')Aがそうだが、Bもそうだ>の<が>にはこの働きがない。これまたこれがポイント。

これで

菊もかおる季節。
敵もさるもの。

の解釈に広がりと深みが出てくる。

(菊以外の)ほかの同類のものがあることを示唆する以外に

(菊以外の)ほかの同類のものを仲間に入れると同時に自分(菊)を引き立たせるのだ。

(敵以外の)自分(自軍)を含めほかの同類のものを仲間に入れると同時に敵を引き立たせるのだ。自虐的、非愛国的だが敵の言動に同意、(なるほどと)納得する、賛同するのだ。

蛇足的になるが、

菊もかおる季節。--->ほかの花もかおるが、菊もかおる、季節。

敵もさるもの。--->自分(自軍)を含めほかの人(軍隊)さるもの(相当なもの)だが、敵もさるもの、だ。

と、前半の<xxxx が>はないが譲歩的なレトリックが隠れているのだ。次の例が参考になる。これは手元の辞書からの引用だが、<も>の解釈として子は6種に分類されれている最後にあり<そのものの場合を一応肯定する>と言うよくわからない解説だ。おそらく譲歩表現の前半のことを言っているのだろう。

a)飯(めし)も飯だが、まず酒だ。(飯もたべたいのもやまやまだが、まずは酒だ。)

これは飯と酒は同じグループにあるが、酒を優先する、という<も>を使ったレトリック。つまりは繰り返しになるが、<も>には個々の構成員を<まとめる>働きがあり、さらに他を除外し(話題を飯と酒に限定し)、さらに酒を取り立てて言うというレトリック。

b)子も子だが、親も親だ。

これは後半にも<も>があり、短い発話だが隠れた内容は複雑そう。 前半は表面的には<そのものの場合を一応肯定する>(譲歩表現の前半)でよさそう。話が少しずれるが<が>と<は>、<だが>のかわりに<なら>も試してみる。

子が子だが、親も親だ。   これは今度はダメ。 
子が子なら、親も親だ。   これはOK

この<なら>は<ならば>の略で普通は仮定の意だが、ここは仮定では意味をなさない。<それなら>という表現があり<それならば>で仮定ではなく<確定>になる。昔は已然形で<なれば>で確定(已然)をあらわし、発音(形態)上違いがあった。さらに話がずれてしまったが、

子が子なら、親も親だ。 

は子がそのようであるが(そのような子であるが)、(一方)親も親だ。

の意に近く、子とは対照的な親が想像されるが、大体子ともに非難的な内容の発話だろう。

<親も親だ>の<も>は説明が難しい。子とは対照的な親であるにもかかわらず(譲歩表現の前半)、子と同じく(子とともに)非難的な内容のためか? <なら>も検討対象になりそうだが、話がますます混乱するおそれがあるので、ここでは検討しない。

子は子だが、親も親だ。   これはまたダメ。
子は子なら、親も親だ。   これも引き続きダメ。

<は>は上で述べたように独立性が高く、<も>と相性が悪い。<も>の仲間に入らないのだ。

子は子、親は親。 

はこの<は>の独立性をよく示している。

子も子なら、親も親だ。

これは上で検討した<子が子なら、親も親だ>と微妙に違う。子と親は同類であることが想像される。 これまた大体非難的発話が想像される。

子もどうしようもない(手に負えない)が、親もまたどうしようもない(手に負えない)。

<子も>の<も>で同類のモノ(者)、コトがあとから言及されることを暗示する。


3.比較の<も>

文法的な比較を意識するには英文法の学習時だろう。形容詞、副詞が語尾変化して比較級を覚えなければならない。さらに than を使わないといけない。一方対応する日本語訳の方はかなりい簡単。形容詞、副詞が変化しないのだ。

A is better than B.   (A は B よりいい。)
Hanako runs faster than Taro. (花子は太郎より速く走る。)

より速く(faster)、より高く(higher)、より強く(stronger)という変な日本語もある。

英文法の比較は<より>ですまされてしまうが、日常の日本語では<より>よりも<よりも>の方が使用頻度が高いだろう。ここで<も>が出てくるが、この<も>はなにか?

A は B よりもいい。
花子は太郎よりも速く走る。

これで日本語口語らしくなる。 ここで<も>が出てくるが、この<も>はなにか?<より>の強調ではない。上で述べたように<も>にはいったんまとめてから除外する働きがある。これを適用すると、

A は B (を除いて)よりいい。
花子は太郎(を除いて)より速く走る。

ヘンテコな日本語だが、これまたBや太郎を<除いて>しまったら比較の対象がなくなってしまう。ここで英語を流用すると、

よりいい - better
より速く走る - to run faster

で、<を除いて>が than に相当することになる。もちろん than に<を除いて>の意味はない。  than を詳しくしらべていないが<比較を明示する語>といえよう。これにも流用する(こじつける)と<も>は<比較を明示する語>ということになる。文法解釈で以前に<こじつけ法>について書いたことがある。<こじつけ法>は予期せぬ成果を得ることがある。

A は B よりもいい。

は<こじつけ法>を使えば

一旦 B を含めて(勘定にいれて、一緒にまとめて)から除外して A を強調するという一種の譲歩レトリックだ。


3-2.予測、期待、推測、基準以上(以下)、以外をあらわす<も>

<より>つきの比較ではないが次のような<も>を使った言い方ある。

日本軍は食料が底をついていたが、それでもさらに三日も戦い続けた。
太郎は9時どころか、10時になっても起きてこない。
父は5万円どころか、10万円もくれた。
その用途なら10メートルもあれば十分だろう。

以上の発話内容は少しわかりずらいが、比較が働いている。それは予測、期待、推測、基準などに比較して実際の方長かったり(期間、寸法)、遅かったり、多かったりしている。これは例えば少ない場合や短い場合でもロジックは同じだ。

母は5万円どころか、1万円もくれなかった。
その用途なら10メートルあっても足りないだろう。

また<多少>、<早い遅い><長短>だけはなく、一般的に言えることが想像される。

英語に as much (many) as xxx という言い方がある。

as much as1,000 dollars.   <1,000ドルも>と訳して間違いないだろう。念入りに言うなら<1,000ドルまでも>。英語では as well as xxx という言い方があり、これは< xxx もまた>。 口語では xxx as well というのもよく聞く。これは追加だ。追加の言い方ではもっと一般的な in addition, plus, also, and  xxx  がある。 as much (many) as xxx は追加の意のある as well を使った比較表現と言える。


予測、期待、推測、基準以上(以下)、以外をあらわす<も> では形容詞、副詞に付いて次のような言い方がある。これは手元の辞書では独立して<主体にそう判断される事態であることを表す>という解説があるが、<主体>がなんだかわからない。
































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































早くも到着した。
折あしくも留守だった。
良くも悪くもこれでは致し方ない。

予測、期待、推測、ある基準と比較した状況、判断を示しているが、これらが主内容ではなく、付け加えている(追加)格好だ。比較と追加が一緒になったのが<も>と言えないか?


4.<サルも木から落ちる>(疑似譲歩)表現

<も>単独で使われる譲歩表現は

それは子どももわかる(できる)。
サルも木から落ちる。

以上の意味では

それは子どもでもわかる(できる)。
サルでも木から落ちる。

さらには

それは子どもでさえもわかる(できる)。
サルでさえも木から落ちる。

と<でも><でさえも>とした方がはっきりする。

上記の表現は結論ではない。

それは子どももわかる(できる)。-->のだから、おとなのお前にわからない(できない)はずはない。
サルも木から落ちる。-->のだから、1)木登りのへたな動物は(サルより)落ちることが多い。2)得意なことでもへまをすることがある。

右側 (--> 以降)が伝えたい言外の意味だ。

言葉で説明すると

言及内容の正しさを満足させる最低条件(子供、サル)を示し、その最低条件下でも言及内容になるので、他の条件下では当然言及内容になるというレトリック。ある種の譲歩表現と言える。

英語は

Even a child can understand it.
Even a monkey falls from a tree.

で、 even の一語でいい。正式な譲歩表現はeven if, even though だが、 even の一語で譲歩に似た表現になり、<も>と共通するところがある。


5.正式譲歩表現

正式譲歩表現は even if 構文だ。これは if や could(would) が出てきて高級英文法になる。

Even if Taro practices very hard in climbing a tree he could not climb as fast as a monkey (climb fast as (like) a monkey.

or

Even if Taro practices very hard in climbing a tree he would not be able to climb as fast as a monkey. 

太郎がいくら木登りを懸命に練習しても、サルのように速くは登れない。

このように譲歩表現は<xxx をするにもかかわらず、状況、結果が変わらない>ことを示すのだ。

上記日本語訳では<も>ではなく<ても>が出てくるが、やや古い言い方になるが<練習する>と<も>だけでもいい。

いくら頑張っても(頑張る)、できなかった(できず)。
いくら考えても(考える)、その数学の問題は解けなかった(解けず)。
いくら読んでも(読むも)、その小説の内容がわからなかった(わからず)。

<ても>は動詞の連用形につく。<頑張っても>は<頑張りても>促音便。<読んでも>は<ても>ではなく<でも>となっているがこれは<読みても>の音便。<ても>と<でも>は違うので注意。現代語では<も>の一語ではなく<ても>になっている。またこれまたやや古いいいかただが<とも>、<ども>も譲歩表現の助詞組み合わせだ。<も>の助詞組み合わせも重要なので後で検討する。

いくら考えようとも
いくら行けども


6.広がりを示す<も>。

以下は手元の辞書では<その中がさらにいくつかの部分(程度、段階)に分かれていることを表す>の前半にある例文に近い表現。

北も北、北のはずれ。
東京も東京、東京のど真ん中。

上の二例は<も>が体言(名詞)についているが、動詞についた似たような表現がある。

来も来たり、北の果て。
飲みも飲んだり、一升酒。

以上を言い換えると

 北はいろいろあるが、北はいろいろと程度あるが、
 東京はいろいろあるが、 東京はいろいろと場所があるが、
<来る>にはいろいろあるが、  <来る>にはいろいろと程度あるが、
<飲む>にはいろいろあるが、   <飲む>にはいろいろと程度あるが、

となり、不特定の仲間(程度)を加えることになる。いわば広がりを示す<も>と言える。さらに後半を考えると、これまた一種の譲歩レトリック。

これも<こじつけ法を>使えば

<も>には個々の構成員を<まとめる>働きがあるが、さらに<まとめた>構成員以外を除外する働きがる、

さらに

一旦 B を含めて(勘定にいれて、一緒にまとめて)から除外して A を強調するという一種の譲歩レトリックだ。

が適用できる。
 

8.慣用語句

特に調べていないのでもとの意味、成り立ち仮定がよくわからないが次のような慣用てきな<も>の使い方がある。

あたかも
おりしも
からくも
さしも
そもそも
もっとも

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<も>の単独使用の例の最後として<が>、<は>、<も>の比較をあらためてしてみる。文法上は<が>は主格助詞、<は>は係助詞、<も>は係助詞または副助詞となっている。

Aが太郎だ。

Aが話のなかで初めて出てくるときは<が>使われる。たくさん人がいる中でAを指摘するようの発話。<太郎はAだ>とも言えるが<太郎がAだ>とは言わない。

Aは太郎だ。

これは了解済みのAについての解説的な発話。上とは逆に<太郎がAだ>とも言えるが<太郎はAだ>とは言わない。

以上は<が>と<は>の違いの主要点。

Aも太郎だ。

A以外に(も)太郎がいて、Aを太郎グループに追加する、追加の<も>でいいだろう。助詞分類を考えると、<Aも太郎だ>の場合<も>が副詞的助詞=副助詞というもはどう説明したらいいのか。一方<Aも太郎だ>の<も>を<は>と同じ係助詞とすると。これまたどう説明したらいいのか。



B.  <も>の他の語との組み合わせ語

<も>の単独使用の例の解説が長くなってしまったが、他の語との結合語をしらべみる。

1. <も>の他の助詞との組み合わせ語

かも    かも知れない、かもしれないが

さえも   子供でさえも(知っている)

ても    とはいっても、そうはいっても、何といっても、それにしても、やってみても、読んでみても
遅くても(あすまでに)、早くても(三日後だ)

でも    それでも、なんでも、うそでも、読んでも(読みても)、少しでも、子供でも(知っている)、どう(に)でも

とも    少なくとも、多くとも、どこへ行こうとも、なにをしようとも、今後ともよろしく、遅くとも、

ども    しかれども

にも    仮にも、子供にも(できる)


疑問詞、不定詞 + <も>

日本語の疑問詞

何  が
誰  が
どこ が
いつ が
どれ が
どう(どのよう) にが

日本語の不定詞は基本的に疑問詞に<か>がつき規則的。また疑問は不定(未定)なので<は>ではなくが>がつく。<が><は>論争の一つの答。

何か がある。  something
誰か がいる。   someone, somebody
どこか  が具合悪い。 somewhere
いつか  やるとげる。 sometime
どれか  がが具合悪い。 something
どうにか、どのようにか  すませる。 someway


何(what)も、誰(who)も、どこ(where)も、いつ(when)も、どれ(which)も、いくつ(how many)も、いくら(how much)も、どうに(how)も

英語の方に<も>を含めて否定にすると

何も  ない   - nothing, none
誰も  ない         - no one, nobody
どこも  ない    - nowhere
いつも  ない    - never
どれも  ない    - nothing, none
いくつも   ない   - nothing, few
いくらも  ない  - nothing, little
どうにも  ない  - どんな(いかなる)方法も ない - no way

日本語も英語もやや不規則。意味としては基本的に全部否定になるがいくつか例外がある。

<ても>を含めると

何(what)が  ても      - whatever, no matter what
誰(who)が  ても   - whoever, no matter who
どこ(where)が、に  ても   - wherever, no matter where
いつ(when)  ても   - always, no matter when
どれ(which)が  ても  - whichever, no matter which
いくつ(how many)  ても - no matter how much
いくら(how much)  ても   - no matter how much
どう(how) でも    - however, no matter how


日本語はきわめて規則的。英語も no matter xxxx はきわめて規則的で、意味は譲歩句(文)をつくる。


<でも>に否定ではなく積極的な肯定(いい、OK)をつけると、


何(what)ても いい      - whatever, no matter what it is, it is OK.
誰(who)でも  いい   - whoever, no matter who it is, it is OK.
どこ(where)でも いい   - wherever, no matter where it is, it is OK.
いつ(when)でも いい   - no matter when it is, it is OK.
どれ(whichでも いい  - whichever, no matter which it is, it is OK
いくつ(how many)でも いい - no matter how much it is, it is OK.
いくら(how much)でも いい   - no matter how much it is, it is OK.
どう(how)でも    - no matter how it is, it is OK.

これまた日本語も英語も規則的だ。

これでも いい
太郎でも いい

この<でも>はある種の譲歩だ。受け入れる条件を下げる(譲歩する)のだ。

下記の<不定詞 + でも>の例では英語では any が現れ、規則的。


何でも(what)    いい  - any thing is OK.
誰でも(who) いい  - any one is OK.
どこでも(where) いい  any where is OK.
いつでも(always) いい   - any time is OK.
どれでも(which) いい   - any thing is OK
いくつでも(how many) いい  any amount, quantity, number is OK.
いくらでも(how much) いい  - any amount, quantity is OK.
どうにでも(how)   いい  - any way is OK.

これはどう説明したらいいのか?<も>には初めの方で述べたように<まとめた>構成員以外を除外する働きがる。

例外がある場合は

何でも(what) いいが、これだけはダメ。 - any thing is OK but only this one (is not OK).

となる。

<それでも>は副詞(句)のようだが、<それを除き>といった意味が内包されて(implied)いるが、譲歩の働きとしては、<それを除いた>たあとで(も)状況に変化がないことを明示する(explicit)のだ。英語では still が相当するが、おもしろいのは中国語で<还是>が相当。この<还>には<また>の意味があるようだ。


<まとめられる>構成員が不定、限定がない(なんでも、any)とすると、すべてを除外することになる。すべてを除外すると何も残らなくなってしまうが、<それでも>と同じく<すべてを除いた>たあとで(も)状況に変化がないことを明示するのが譲歩のレトリック。だが、上記の例(英語 any 相当 )は飛躍してすべて肯定することになる。


sptt