<かもしれない>は英語の翻訳由来だろう。日本語(文法)では推量の助動詞<らし(い)>がある。推量は可能ではなく可能性、<確定(断定)>に対して<不確定>を表す。<確定>と<不確定>の差は言語用言上大きな二大分類で、結果的に文法上大きな二大分類になり、別のポストで何度か書いた。
<かもしれない>のもとの英語
Maybe
- かもしれない。多分、おそらく、メイビー。
May be xxx.
- xxx
かもしれない。
Can be xxx.
- かもしれない。多分、おそらく。
Could be xxx.
- かもしれない。多分、おそらく。(can
be よりも確定度が低い)
Probably
- かもしれない。多分、おそらく。 Probability
は確率と訳される。
日本人は英語をしゃべるときに
Maybe
を多用しがちだ。日本語でも<メイビー>がそにままでてくることがある。
さて<かもしれない>だが、
これは分析すると
<か>+<も>+<しれ>+<ない>。
<か>は疑問の助詞。<も>は追加の助詞、<しれ>は<知れる>の未然形、<ない>は否定の形容詞。
<か>は疑問の助詞。これは疑問の余地がないだろう。
<も>はクセモノであとで検討する。
<しれ>は<知れる>の未然形。<知る>は五段活用で未然形は<知ら>。<知れる>は下一段活用。<否定は未然形につく>は日本語文法の大原則。ところでこの<知れる>だが、<知る>とどこが違うのか?
<知る>は他動詞で<xxxを知る>という。
太郎は花子の秘密を知らない、知らなかった、知ろうとした。
一方<知れる>は自動詞で<xxx
は(が)知れる>という。
花子の秘密は(みなに)知れている。
他動詞<知る>の受け身は<知られる>。
花子の秘密は太郎に知られている。
だが
花子の秘密は太郎に知れている。
花子の秘密は(みなに)知られている。
でもいいので、<知れる>と<知られる>の区別は微妙だ。ではなぜ<かも知れない>で<かも知られない>と言わないのか?能動者(知る主体)を言いたくない、能動者がわからない場合は<知れる>だ。能動者の存在、特化、受け身を強調する場合は<知られる>といえそう。<かも知れない>は高度に一般化された言い方(慣用句)で、能動者の存在、受け身を強調することがないケースだ。
さて問題の<も>について検討する。その前に<かも>を手もとの辞書で調べると<鴨>と古語の<xxx
かも>は出てくるが、現代語の<かもしれない>の<かも>は説明が出てこない。よく使われるが<かも>という<複合>助詞はないようだ。したがって<か>と<も>に分ける必要がある。
<も>は追加(足し増し)の助詞と見るのが普通のようだが、そう簡単ではない。
Bも欲しい
AがほしいがBもほしい。 (これはOK)
AはほしいがBもほしい。 (これは少し変だが、場合によってはこう言うだろう)
AもほしいがBもほしい。 (これもOKだが、ニュアンスが違う)
花子も行く
太郎が行くが花子も行く (これはOK)
太郎は行くが花子も行く (これもOKだが、ニュアンスがすこし違う)
太郎も行くが花子も行く (これもOKだが、ニュアンスがかなり違う)
AもBもCも
<AやBやCや>とは意味が違う。この<や>は列挙をあらあす。<AもBもCも>は<AもBもCもみなxxx>と続きそう。<AやBやCやがみなxxx>とは言えるが、<みな>の程度が弱そう。またA、B、C
以外にもまだありそう。一方<AもBもCも>の場合はA、B、C
以外にはもうなさそう。<AもBもCも行くが、D
は行かない>という場合、D
もいるが<AもBもC>の仲間ではない。
この<AもBもCも>の<も>は追加ではない。列挙でもなさそう。どうも<ひとまとめにする>意味、はたらきがあるようだ。
あれもこれも
これまた<あれやこれや>とは意味が違う。<あれもこれも>は<あれ>と<これ>の二つだけだが<ひとまとめになっている>感じだ。<あれもこれもそれも>ではさらに<ひとまとめになっている>感じがする。一方<あれやこれや>、<あれやこれやそれや>はバラバラの感じだ。したがってこのような使われ方の<も>は<ひとまとめ>の<も>と言えそう。漢語を使えば、<総括>の<も>か。
<も>には次のような使い方もある。
これも欲しい
は追加の<も>と言えるが、
a-1)
これは太郎が欲しがっているが、花子も欲しがっている。
b-1)
これは太郎も欲しがっているが、花子も欲しがっている。
a-2) 花子は太郎が好きだが、次郎も好きだ。
b-2) 花子は太郎も好きだが、次郎も好きだ。
a) b) とも後半の<も>は追加の<も>と言えるが、b)
の前半の<も>はどういう意味か?
a) b)
ともの<も>、あるいは<とも>は<ひとまとめ>の助詞と言えそう。
a-1)
これは太郎が欲しがっているが、花子も欲しがっている。
a-2) 花子は太郎が好きだが、次郎も好きだ。
<が>の場合は単純(すなお)な発話で、後半の<花子も欲しがっている>、<次郎も好きだ>の<も>は追加でいいだろう。
<も>の場合はそう単純(すなお)ではない。もう一度みてみる。
b-1)
これは太郎も欲しがっているが、花子も欲しがっている。
b-2) 花子は太郎も好きだが、次郎も好きだ。
前半の<も>はいわゆる譲歩の意味がないだろか?
<譲歩>は変な文法用語で、これまた英語の
concession
の訳ではないだろうか。<譲歩>は文字通りでは<歩を譲る>、<歩を>のない<譲る>でもいいだろう。文法用語の<譲歩>の意味は<とりあえず肯定するが、(疑問を残す、反対のことをいう、示唆する)>で、<譲歩>文の使用は複雑な心理を含んだ発話なのだ。上のb)
の二例ではよくわからないが(深層心理なのだ)、
これでもいいが、あれがいい。
太郎でもいいが、次郎がいい。
上の二例は明らかに<とりあえず肯定するが、(疑問を残す、反対のことをいう、示唆する)>の譲歩を含めた発話だ。
<も>には次のような使い方もある。
それもそうだが
太郎も太郎だが、花子も花子だ。
この<も>はいったいどういう意味か?この二例もまた<とりあえず肯定するが、(疑問を残す、反対のことをいう、示唆する)>の譲歩発話といえる。だがこの辺は微妙で
それはそうだが
も譲歩発話といえる。これからすると譲歩は<も>でなく<だが>の方にありそう。
話が相当こんがらかってきたので、
<かもしれない>のとりあえずのまとめをしておく。
<かもしれない>だが、
これは分析すると
<か>+<も>+<しれ>+<ない>。
<か>は疑問の助詞。<も>は譲歩の助詞、<しれ>は<知れる>の未然形、<ない>は否定の形容詞。
<かも>
疑問の助詞 + 譲歩の助詞
で<疑問>を譲歩、すなわち<疑問をとりあえず肯定するが、(疑問を残す、反対のことをいう、示唆する)>ということになる。これで一歩進んだようだ。
<譲歩>に似ているが非なる<も>に次のような言い方がある。
そんなことは子どもでも知っている。
英語では
Even a child (kid) knows this.
Even children (kids) know
this.
<そんなこと>は英作文では
such a thing
でないとX(バツ)をもらうかもしれないが
this が簡潔でいい。
逆に
Even a child knows this.
を英文和訳すると
それは子どもでさえ知っている。
と<さえ>が出てくるかもしれない。これは
それは子どもでさえも知っている。
と<も>をつけてもいい。
さらに<さえ>のない
それは子どもも知っている。 (だから、おとなは当然知っている、知っているべきだ。)
それはおとなでもできない。 (だから、子供は当然できない。子供ができるはずがない。)
でもいい。つまりは
<さえ>=<も>、 even
= <さえ>、<も>
なのだ。上の
even、<さえ>、<も>は譲歩、<とりあえず肯定するが、(疑問を残す、反対のことをいう、示唆する)>ではない。使われる心理状況は<主題よりも実行、実現、現実性の可能性の低いモノ、コトをとりあげで肯定(否定)して、それとの比較から主題の実行、実現、現実性を強く肯定(否定)する。これまたかなり複雑な心理での発話だ。いずれにしても(これは本来の譲歩を含むという意味)比較をからめた修辞方法。買い物するときのように比較は決定するための重要な要素だ。
<すら>も同じようなことがいえ、これまた<すらも>ともいう。
以前に<と>については別のポスト"<と>は日本語の大発明"
(2015年)でその重要性をのべたが、
以上は急ぎの分析だが、<と>と並んで<も>も大助詞であることがわかる。 別途検討予定。
sptt
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