Wednesday, January 2, 2019

<いじめ>と<いじ>について - 文法解析


<sptt やまとことばじてん>のほうで少し前に ”<いじめ>と<いやがらせ>について” というタイトルで書いているが、文法的には表面的な解析なので、もう少し文法的につっこんで書いてみる。sptt Notes on Grammar の前回のポスト ”<xx がる>についての考察 -5  いやがる、いやがらせ” と大いに関係がある。前回のポストでは<がる>にからめて<いやがる>と<いやがらせ>について書いたので、このポストでは<いじめ>について考えてみる。<sptt やまとことばじてん>のコピーになるが


A. <いじめ>について

<いじめ>は名詞(体言)で動詞が<いじめる>。<まる-める>動詞とすると、<いじまる>という自動詞があるはずだが、<いじまる>は聞かない。<いじめる>は<xx をいじめる>で純他動詞だ。

<まる-める>動詞の例では

からまる - からめる (からむ、からみ)
くるまる - くるめる (くるむ、くるみ)
たまる - ためる (たむ、ため) 溜(貯)める

があるが、片方しかない動詞もある。

XXX - 眺(なが)める (ながむ 、ながめ)
はさまる - XXX  (はさむ、はさみ)

<いじめる>は昔は<いじむ>と言っていたかもしれない。

さて<いじめる>の意味だが、<自分よりも弱いもの(動物、ひと)を力ずくで、いやがることをむりやり xx させてたのしむ>といった意味だ。<(相手が)いやがること>、<(自分が)たのしむ>があるのが特徴的だ。英語では to bully がほぼ相当するが、英語では名詞の<いじめ>も同形の bully だ。数えにくいし、直接目には見えず、さわることもできないので、文法的には不加算抽象名詞か。<いじめる>は人間特有の行為のようだ。心理的にもう少し詳しく言うと<自分よりも弱いもの(動物、ひと)を意図的に、意識して力ずくで、むりやり xx させてたのしむ>ということになる。

<いじ>関連では<意地が悪(わる)い>、<意地悪(わる)>がある。<意地悪をする> の行為は<いじめる>に近い。だが<いじめる>の<いじ>はこの<意地>に関連しているのか。<意地>は発音からすると漢語由来のようで、大和言葉ではなさそう。一方<いじむ>の<む>、<いじめる>の<める>に<悪(わる)>の意はない。おそらく<いじめる>は<意地悪(わる)>の<意地>とは関係ないのだろうか?

<意地>関連では<意地が汚(きたな)い>、<意地汚い>、<意地を張る>、<意地っ張り>があるはが否定的な意味合いだ。中立なのでは<意地を通す>、<(男としての)意地がある>がある。<意地>がないのは<意地ない>ではなく<意気地(いくじ)がない>、<意気地なし>だが、この場合の<意地>、<意気地>は肯定的な意味になっている。人の心理は複雑だが、<意地>を使った表現も複雑だ。



<意地(いじ>に関して、もう少しつっ込んで考えてみた。漢字の<意地>から漢語由来のよう、と書いたが、これは大和言葉だろう。したがって<意地>は当て字となる。<いじ>はのちほど検討することにして、まずは<いじめ>について。

さて<いじめる>の語源だが、語源またはもとの関連語は<いじる>だろう。<機械いじりが好き>の<いじる>だ。意味はこれまたのちほど検討することににして、この<いじる>は、これまた別のところで調べて書いたことがあるが、<xx じる>動詞の仲間だ。<xx じる>動詞を<あいうえお順>に書きだすと

いじる
いじくる  <くる>は<来る>ではなく<刳る>か?
おじる   古語。<おそれる>に近い。<おじけ>、<おじけづく>。
かじる
くじく   他動詞。自動詞は<くじける>だが意味のずれ、派生がある。
くじる  わたしは聞いたことも、したがって使ったこともないが、辞書によると<穴をほる、穴をほって取り出す>ような意味があるということだ。目玉をくじる。鼻くそをくじる。
こじる
とじる
なじる
ねじる
はじる
まじる
もじる
やじる
よじる

があり、<いじる>は少なくとも<かじる>、<こじる>、<なじる >、<ねじる >、<もじる>、<やじる >、<よじる> とにたようなところがある。共通しているのは

責任を自覚し、本格的に、気合をいれて一挙に<xxする>のではなく、様子をみながら少しずつ、(あれやこれや)してみる。

といういうな言動と言える。<xx じる>グループといってもいいだろう。<いじる>、<もじる>、<やじる>はこれに加えて<そしてたのしむ>ようなところがある。

注意したいのは

甘(あま)んじる
うとんじる
重(おも)んじる
軽(かろ)んじる
し損(そん)じる
そらんじる
やすんじる

は<xxxxずる(する)>由来だ。<しくじる>は調べていない。(別のポスと ”<xx  じる>動詞>” 参照)。

もう一つ注意したいのは、これは前回のポストでふれたが、

<いじめる>

<自分よりも弱いもの(動物、ひと)を力ずくで、いやがることをむりやり xx させてたのしむ

が一つの定義だが、これを第三者(はた)から見た場合には

<自分よりも弱いもの(動物、ひと)を力ずくで、いやがることをむりやり xx させてたのしがる、おもしろがる

となる。

<いじめる>の語源だが、語源またはもとの関連語は<いじる>だろう、と書いたが、<いじる>と<める>がどう結びつくのか。すこし無理に結びつけると

様子をみながら少しずつ、(あれやこれや)してみて、楽しむ + める

もちろん<たのしめる>ではない。<いじめる>は他動詞で目的語がいる。<いじめる>の場合は<いじめる>相手だ。

自分よりも弱いもの(動物、ひと)を力ずくで、いやがることを、様子をみながら少しずつ、(あれやこれや)むりやり xx させてみて、たのしがる、おもしろがる>

でなんとか意味がでるが、<いじめる>はこんなに複雑だろうか。 <いじける>を考えてみる。<いじける>は、手もとの辞書では

自信を失って積極的になれない

とある。古語<いじく>があって<いじける>になった。

古語<xx く> - 現代語<xx ける> のペア。

受く -> 受ける (他動詞)
透(す)く -> 透ける (自動詞)
負く -> 負ける (自動詞)

<xx く> (他動詞) -  <xx ける> (自動詞) のペア。

割(さ)く、裂(さ)く  - 割ける、裂ける
解(と)く - 解ける (可能の場合もある)

<xx く> (自動詞) -  <xx ける> (他動詞) のペア。

 開(あ)く - 開ける

<いじける>は自動詞だ。<いじく>があったとして<いじく>は自動詞、他動詞両方の可能性がある>

<おじる>という古語動詞がある。意味はほぼ<おそれる>だ。<おじる>の現代語は<おじける>。<おじる>は<xx をおじる>で他動詞、 <xx におじる>で自動詞。<おじける>は<xx におじける>で自動詞だ。

ありもしないお化けにおじけることはない。

<おじる>は<いじる>と発音がにている。<いじる>は上で述べたように<機械いじりが好きだ>の<いじる>が一般的だが、<おじる>がなまったか、または<おじる>よりもさらに古い古語<いじる>があった可能性はある。

おじる(怖じる) - おじける
いじる(怖じる) - いじける

当て字だが漢字で書くと、見た目には<おじる>と<いじる>の差がなくなる。

<おじける>、<いじける>もニュアンスの違いがあるが<おそれる>の意が基本にある。<おそれる>は他動詞で<xx を恐れる>と使うがやや翻訳調で、<xx は(が)おそろしい>と形容詞の方をよくつかう。心理的には<おそれ>は対象はあるが、対象に働きかけるというよりは、対象に発話者が働きかけられる(対象が発話者に働きかける)ので、自動詞が適当だろう。連用形の体言(名詞)用法の<おそれ>も日常語だ。

おじける = いじける

とすると、<いじめる>の説明がつきそうだ。

いじめる = <いじける>ようにさせる

<いじらしい>もむずかしい。<いじらしい>とう発話には同情がからんでいる。同情がらみの表現は<かわいそう>、<気の毒>のようにすぐには理解できない表現がある。<いじらしい>を上の<いじめる = <いじける>ようにさせる>に関連させると

<いじけた>様子をみて不憫(ふびん)に思う

とでもなるが、これではダメのようだ。<いじらしい>に似た表現に<いたいけな>、<けなげな>というのがある。大体こどもが対象のようだ。私は同情心が薄いためかほとんど使ったことはないが

<いたいけな>は同情の一種だが不憫(ふびん)の情が強いようだ。不憫は<あわれみ>に近い。
語源は

いたいけない -> いたいけな

<いたいけない>は<痛い気>+<ない>。<痛い気>は<痛い気持ち>とすると

痛い気持ち(が) + ない

とない、同情とは反対の意味になってしまう。

いっぽう<いたいけだ>とすると、これはいわゆる形容動詞になり<いたいけな>は連体形。これだと

痛い気持ちだ。 痛い気持ちの

で問題ない。だが<いたいけない>は無視できない。<けなげ>を考えてみる。これは

<け(気)>なし -> けなげ、けなげな

<なし>(現代語は<ない>)は形容詞、すくなくとも形容詞型の活用。

なくない、(なければ)ないで、ない、なければ

といった変テコなかつようだ。<なげ>の<な>はこの<なし、なげ>の語幹で<ない、不存在>の意をもっている。<なげ>の<げ>、<おぼろげ>、<おそろしげ>の<げ>で<xxのようだ、ように見える>といった意味の<げ>。したがって<なげ>は<ないようだ>、<ないように見える>。さらにしたがって、<けなげ>は<け(気)がないようにみえる>となる。だがこの<け(気)>は何か?

意味からすると<け(気)>を邪気(悪い、よこしまな気)とすると<けなげ>は<無邪気>になる。

けなげ = 無邪気

で意味が通る。

上で


<いたいけない>は<痛い気>+<ない>。<痛い気>は<痛い気持ち>とすると

痛い気持ち(が) + ない


として話を進めたが<いたいけ>を<邪気>(いたい->よくない)とすると

いたいけな、いたいけない - 邪気がない - 無邪気

となり意味が通る。<いたい-よくない>と説明なしで話を進めたが、これは

いたい -> 自分の心が痛い(傷む) -> よくないこと

で 意味が通る。この<いたい->自分の心が痛い(傷む)->よくないこと>は形を変えて同情表現にみられ、この種の言葉(感情表現)の派生状況を解くカギの一つだ。

<いじらしい>は次の ” B. <いじ>について” では<いじ>に関連して検討している。


B. <いじ>について

<意地>と漢字で書くと漢語(古代、中世中国語)にみえるが、すくなくとも現代中国語で日本語の<意地>の意味での<意地>はない。<意>を使った中国も<地>を使った中国も相当あり、また日常よくつかうが、日本語の<意地>はないとみる。

意 (yi)
意思
意见(見)
意外(<交通意外>は交通事故。)
诚(誠)意

地(いくつかの読み方があるようだが、一般的には di)

地下铁(鉄)
地面

音からは yi-di で<いじ>にかなり近い。だが<意地>はやまとことば<いじ>の発音をまねた(近い発音を探した)<当て字>だろう。近い発音を探す場合、現代中国語でもそうだが意味が入り込んでくる。たとえば英語の発音を中国語であらわす場合、コカ・コーラ 可口可可乐(楽)、ペプシコーラ 百事可乐(楽)とそれなりに意味を考えている場合が多い。西洋人に人名はできるだ発音できるだけ最優先で意味を持たないような字を使っている。

音だけであれば<yi >は<意>以外に(四声を無視して)一、以、 已、易 などいろいろある。<di> も<地>以外に第、低、弟 などいろいろある。

書き言葉の<意地>は<意地>を名詞(体言)としてある程度固定しまう働きがある。一方口語の<いじ>は柔軟なところ、不安定なとこころがある。<いじ>がつく動詞、形容詞をあげてみる。

動詞

いじめる  - 連用形に」名詞(体言)用法 - いじめ
いじける  - 連用形に」名詞(体言)用法 - いじけ
いじいじする

形容詞

いじらしい
いじけた (いじけ(る)+た)
いじきたない   (<ない>は形容詞型のかつようをする助動詞)。<いじきたない>で形容詞とも考えられる。)

形容動詞 (形式から)

いじわるだ(な)
いじっぱりだ(な)

おもしろい言葉が多い。

いじける - 辞書では<自信を失って前向き(積極的)になれない>とある。<いじいじする>はこの関連だ。<おじる>は関連がある。<何かを恐ろしく思って(恐ろしがって)、前向き(積極的)になれない。>

いじらしい - これはむずかしい。私は使った記憶がないが、多分意味が不確かなためだろう。 辞書では<非力でもがんばっている姿をみてあわれに思う>とある。同情の心境をあらわすようだ。
<いじけた人、おじけづいた人>を見て言うのは<いじらしい>ではなく、同情がなければ<いくじがない>、<なさけない>とか、少し同情があれば<気の毒だ>とかだろう。<いじらしい>は

いじ+らしい

となるが、これがどうして<いじらしい>になるのか?ここに大和言葉の<いじ>を解くカギがありそう。<らしい>は一般的には<xx のようにみえる>だが、別のグループがある。

少しまえのポスト ” 大和言葉<xxx らしい>と漢語<xxx (の)よう(様)だ>の対決” で次のように書いている。

このポストを書き始めたのは<xxx らしい>と<xxx (の)ようだ>の対比もあるが、前回のポスト "
長いがおもしろい形容詞 (xxxx しい)" と関連がある。前回のポストでは<xxxx しい>型形容詞について書いたが、いくつかは<xxxx らしい>で独立した形容詞になっている。

愛らしい (漢語由来)
あほらしい (関西方言)
いやらしい 
きたならしい (きたない)
にくらしい
ばからしい
わざとらしい
追加
かわいらしい

"

ここではこれ以上詮索していないが、今回は<いじらしい>の語源をさぐるため詮索してみた。

愛らしい -> 愛のようだ (X)
あほらしい -> あほのようだ
いやらしい   -> いやのようだ (X)
きたならしい -> きたないようだ (X)
にくらしい -> にくいようだ (X)
ばからしい  -> ばかのようだ
わざとらしい -> わざとのようだ
かわいらしい  -> かわいいようだ(X)

<いじらしい>は意味上<愛らしい>に似たところがある。<にくらしい>には兄弟(姉妹)の形容詞がある。

にくい
(にくらしい)
にくたらしい

<にくらしい>は<にくい>の強調、<にくたらしい>は<にくらしい>の強調と簡単にはいえない。ここがミソだ。 文法上、言葉上で<強調>という説明、解説をよく見かけるが少しよく考えると<強調>は文法、言葉の説明、解説になっていない。掘り下げ浅いのだ。これは<強調>の説明、解説が難しいためだ。

<にくい>と<にくらしい>は似ているうようだが、<にくらしい>は、<xxらしい>を<xx(の)ようだ>の意味とすると、<にくい+らしい>でどうもおかしい。手もとの三省堂辞書の<にくらしい>の解説は

にくらしい: にくいという気持ちを起こさせる

とある。これは短いが意味深長、さらには意味深遠(淵)な解説。<気持ちを起こさせる>は<がる>関連で書いたが、<駆る>、英語の to drive の意で、これを人の感情(気持ち)の当てはめると<気持ちを起こさせる>になる。この<xx(の)ようだ>でない<xxらしい>は<がる>(<駆る>、英語の to drive )に似たところがある。

愛らしい -> 愛のようだ(ダメ)       <愛情(愛のきもち)>を起こさせる
いやらしい   -> いやのようだ(ダメ)   <いや(だなあ)という感情(気持ち>を起こさせる
きたならしい -> きたないようだ(ダメ)  <きたない(なあ)、という感情(気持ち>を起こさせる
にくらしい -> いくいようだ(ダメ)    <にくい(なあ)、という感情(気持ち>を起こさせる
かわいらしい -> かわいいようだ(ダメ)  <かわいい(なあ)、という感情(気持ち>を起こさせる

という意味なのだ。ここが肝心。ちなみに<らしい>を<がる>で置き換えてみる。

愛らしい -> 愛しがる      あまり聞いたことはないが、<愛情(愛のきもち)>がおきている様子、ではなく、<そんなに愛しがらなくてもいいじゃないか>で意味が通じる。
いやらしい   -> いやがる   <いや(だなあ)という感情(気持ち>がおきている様子
きたならしい -> きたながる  <きたないなあ、という感情(気持ち>がおきている様子
にくらしい -> にくがる (聞いたことがない)、にくらしがる <にくいなあ、という感情(気持ち>がおきている様子
かわいらしい -> かわいがる  <かわいい(なあ)、という感情(気持ち>がおきている様子 (ダメ)

<がる>は自分自身ではなく相手、または第三者の人や動物の形容なので上のように訳した。この辺はやっかいだ。<にくらしがる>はいいが<愛らしがる>、<いやらしがる>、<きたならしがる>、<かわいらしがる>は基本的にダメだ。

さて、これを<いじらしい>に適応してみる。

いじらしい   -> いじのようだ(ダメ)   <いじ>という感情(気持ち>を起こさせる
いじらしい -> いじがる、いじらしがる (ダメ)  <いじ>という感情(気持ち>がおきている様子

どうもダメ。 <いじらしい>は以上の分析から逃れてしまう。<いじ>はいったい何んなのか?

一方、<にくたらしい>は<にく(い)+たらしい>だが、<たらしい>がつく言葉(形容詞)を書き出すと

いやみたらしい
貧乏たらしい
みじめったらしい
未練たらしい

で非難、批判の形容詞だ。構成は

<いやみ、貧乏、みじめ、未練>は名詞(体言) + <たらしい>

<にくたらしい>の構成は上で書いたが<にく(い)+たらしい>で

形容詞<にくい>の形容詞語尾<い>をとった形容詞語幹ともいえる<にく>+<たらしい>で別物だ。

これを<いじ>に応用したいが<いじらしい>はあるが<いじったらしい>はない。同じように<愛らしい>はあるが<愛ったらしい>もない。<いじらしい>、<愛らしい>は非難、批判の形容詞でないことが共通している。

さて、だいぶ脇道にそれたが、<いじ>はいったい何んなのか? 大和言葉なのか漢語なのか?<いじ>がわかると<いじめる>、<いじける>、<いじらしい>はもっとうまく説明ができるかもしれない。

欲と理

<欲>も<理>も漢語だ。二語であらわせば<欲望>と<理性>。<欲望>と<理性>の対比や関係は、少し突き詰めて考えると哲学や心理学となり、分析はそれこそゴマンとある。欲と理の大和言葉は何か。日本は哲学や心理学を西洋や中国のように目見に見えて発展はさせなかったが、<欲>も<理>に対する考え方は言葉、特に大和言葉に反映されているはずだ。

<いじ>は<理>からは遠く、<欲>にちかい。<いじっ張り>、<欲張り>は意味的に近く、口語の<つっぱり>も<意地っ張り>に近い。

(いじっ張り)
いじがきたない
いじが悪い
いじでもやる

というが

(欲張り)
欲がきたない
欲が悪い
欲でもやる

とはいわない。

欲に目がくらむ
欲得ずく (欲得に基づいて物事をすること。打算的なこと。そろばんずく。Goo インターネット辞典)
欲を出す
欲が出る
欲が深い

というが

いじを出す  (<くそいじを出す>は聞いたことがありそう)
いじが出る (意味がありそう)  せっぱつまって、苦境に立たされて<いじが出る> (これは<いくじ>ではダメのようだ。

がありそうなくらいで、他はない。

明らかに<いじ=欲>ではない。倫理的な良し(肯定的、positive)悪し(否定的、negative)、中立(neutral)を考えてみる。

いじっ張り (negative)
いじがきたない (negative)  <きたない>が negative で<いじ>は neutral か?
いじが悪い (negative)     <悪い>が negative で<いじ>は neutral か?
いじでもやる (neutral)

欲張り (negative)   <いじっ張り>より negative 度合が高い。
欲がきたない   (ダメ)  <欲はきたない>といえるので<欲>じたい negative だ。 
欲が悪い     (ダメ)  <欲は悪い>といえるので<欲>じたい negative だ。
欲でもやる (あまり聞かない)

<いじはきたない>、<いじは悪い>は必ずしも正しくないので<いじ>自体は neutral か?

欲に目がくらむ  negative 度合が高い。
欲得ずく      negative 度合が高い。
欲を出す      negative
欲が出る     neutral - positive
欲が深い            negative 度合が高い。

いじを出す    neutral - positive
いじが出る     neutral - positive

いじがある   neutral - positive
いじがない - いくじがない、いくじなし  negative

欲がある         negative - positive   (場合によりけり)   意欲はpositive だ。
欲がない    negative - positive   (場合によりけり)  意欲はpositive だ。

基本的に欲は negative、意欲はpositive だ。意欲の<意>も漢語だが、<いじ>の<い>との関連は否定できないか?

<意思(yi si、イース)>は現代中国口語では超頻度語だ。なぜなら<什么意思?>で<どういう意味>になるからだ。また最近よく聞くのは<不好意思>でこれは軽い<对不起>(ごめんなさい、もうしわけありませ)の意で<对不起>に取って代わりつつある。この意味、使われ方の変化は日本語の<気の毒>によく似ている。

<気の毒>は

それは気の毒だ。
それは気の毒なことだ。
それは気の毒なことをした。

で同情の表現の一つ。

それはお気の毒さま。

は場合によっては皮肉になる。 女性がよく使う表現だが男だと<ざまあ、見ろ。>になるか。

この<気の毒>は自分、発話者の気持ちのことをいっており<自分の気持ちが毒されている>、<不快だ、おもしろくない>、<気にさわる>と意味だった。これが<相手の気持ち>を察していう言い方に変わり

それは、不快なことでしょう。
それは、気にさわることでしょう。
(それは、気持ちが毒されていることでしょう)

の意味で使われるようになった。こうなると<気の毒だ>は同情の表現になる。

一方<不好意思>の方ももともとは<自分(発話者)の心持ちがよくない>の意だった。

そんなことをいわれれば、わたちの気持ちはよくない<(不好意思)。

と言った使われ方だった。<相手の気持ち>を察していう言い方に変わり、<もうしわけない>のような意味に変わっていた。これは最近のことだ。この新しい言い方は広東語(これは口語)から輸入されたようだ。広東語では<不>は<口吾>(これは口へんに吾の字の一字)で、発音記号は<ng>だが、日本語の<ム>に近い。また<意思>の方は北京語の<yi si、イース>ではなく
<yi si、イーシ>。この<シ>は日本語の<し>ではなく、英語の sister の<si>。 英語の<si>で<yi si、イーシ>は<いじ>にちかい。広東語は古い時代のある地域の発音を残しているといわれる。

もう一つ。中国語の<意思>に

<小意思>、<小小意思>という日常口語表現がある。中国版 Google あるいは Wiki の Baidu の解説。

“小意思,不成敬意”是中国人在送礼时的谦辞,意思是“这份礼品不足以表达对你的感激之情”

つまりは<つまらないものですが>という日本語にほぼ相当する。

一方、<意志>はほとんど聞かない、見ない。書面語か。うえで見たように<意思>はすくなくとも現代語では多義語だ。

中英辞典では<意思>には intention というのもある。これは日本語の<意思>に通じる。中英辞典では<意志>が will になっているが<意志>は中国語(口語)ではほとんど聞かない、見ない。書面語か。おそらく<意思>に intention の意があるので will の意もあるだろう。
<いじ>については結論めいたものが出ていないが、以上の<いじ>を漢語由来とし、大和言葉の<いじ>として独立していない<いじめる>、<いじける>、<いじらしい>の語幹を<いじ>として、切り離してて考えると、ある程度の謎(なぞ)は解ける。


sptt

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