Wednesday, January 16, 2013

日本語の自動詞、他動詞-3、移動動詞


以前に<場のアスペクト-<行く>と<来る>>というタイトルで移動動詞について書いた。

"
アスペクト(Aspect)を拡大解釈して移動動詞の場のアスペクトを考えてみる。

移動動詞を 移動に関係する動詞とすると<歩く>、<走る>、<飛ぶ>、<流れる>、<泳ぐ>、<移る>、<動く>、<運ぶ(他動詞)>などある。以上は方向性がない。さらにもっともよく使う<行く>、<来る>があり、<上(あが)る>、<下がる>さらには<入る>、<出る>がある。以上は方向性がある。

<上がる>、<下がる>、<入る>、<出る>も場のアスペクトの要素を持っているが、<行く>、<来る>が場のアスペクトの代表だろう。

 <行く>、<来る>の視点は英語の<to go>、<to come>とほぼ同じだ。<行く>、<来る>は純粋に移動だけを示す以外に<方向>が含まれている。
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場のアスペクトをさら検討してみる。ここでは中国語の趨勢補語を使わしてもらう。ここは中国語文法の正式な説明ではなく、勝手に使わしてもらう。動詞に見えるが 中国語文法ではすべて<補語>として扱われている。日本語文法では正式ではないが<複合動詞>と呼ばれているようだ。日本語の<場のアスペクト>は<複合動詞>の中の移動、方向関連の動詞が関連している。

1)中国語文法の単純型方向補語

来 -くる  to come 補語というよりは主動詞
去 -いく     to go  補語というよりは主動詞
 -上がる、のぼる。   英語では動詞ではなく方向を示す副詞<up, upward>が使われる。
 -下がる、くだる、降りる 英語では副詞<down, downward>が使われる。
 -入る。   英語では副詞<in, inward>が使われる。
 -出る。   英語では副詞<out, outward>が使われる。
 -戻る、返る、帰る。   英語では副詞back, backward>が使われる。
 -過ぎる、越す、渡る。   英語では副詞across, over>が使われる。 过马路 - 道を渡る。
 -起きる。   英語では副詞up, upward>が使われる。
开 -離れる・広がる。   英語では副詞apart、away>が使われる。


上記の中国語の補語に相当する日本語が<を>をとる自動詞かどうかを調べてみる。

簡単なチェック方法: <ここを>または<この道を>を動詞の前に置く。 

例えば、移動動詞の<移動>の<移る>と<動く>を例にとると

ここを移る、この道を移る
ここを動く、この道を動く

この道を移る>がややおかしいが、まあいいとして、

くる - ここを来る。この道を来る。 
いく -  ここを行く。この道を行く
上(あ)がる - ここを上がる。この道がる。
のぼ - ここをのぼ この道のぼ(屋根にのぼ
下(さ)がる -ここを下がる。 この道下がる
くだる -  ここをくだる この道くだる
降りる - ここを降りる この道降りる
入る - ここを入る この道入る(部屋に入る)
出る -  ここを出る この道出る
戻る - ここを戻る この道戻る
過ぎる - ここを過ぎる この道過ぎる
起きる - ここを起きる この道起きる。   - ダメ
離れる -ここを離れる この道離れる

少し変な表現もあるが、地図を見ながらの会話と思えばよい。ダメなのは<起きる>だ。起きる>は動作動詞だが、瞬間的な動作なので、移動動詞とは言いにくい。ただし<入る>、<出る>、<過ぎる>、離れる>も瞬間的な動作が意識にあり、時間の経過がからむ移動動詞とは言いにくい。したがって移動動詞とは<を>をとる自動詞というのは100%正しいわけではない。一方<屋根にのぼる>、<部屋に入る>に注目すると、これらは目的地がある。これに対し<を>とる自動詞は目的地が意識されていない。この方が重要なのではないか。

街をぶらつく。
街を歩く。
果てしなき道を行く。
角をまがる。
運動場のトラックを回る。

 sptt

Wednesday, January 9, 2013

日本語の自動詞、他動詞-2


日本語の自動詞、他動詞の区別は大きな問題だが、この区分の難しさは日本語に限ったことではないだろう。

英語文法では、図式的には

他動詞 + 直接目的語    I bought a book. I read a book.

自動詞 + 目的語がない        I walk.

自動詞 + 前置詞、副詞 +(間接目的語)   I go to school every day.  I (will) go back home now.

間接目的語は純粋の目的語ではないだろう。

英語では人称代名詞を除きほとんど名詞の格変化がなくなっているので、 直接目的語と間接目的語の区別は名詞を見ただけでは分からない。 
ドイツ語は名詞の格変化が残っているので対格をとる動詞が他動詞、目的語がない、あるいは名詞が与格をとる、あるいは<前置詞+名詞>の前に置かれる動詞が自動詞となる。
日本語は名詞の格変化はないが、ありがたいことに格助詞というものがあり、名詞の格を明確に示している。これは、繰り返しになるが、まことにありがたいことである。
中国語は名詞も動詞もまったく変化しない。 したがって、自動詞、他動詞の区別は英語、ドイツ語、日本語に比べ、かなりむずかしいのではないか。

日本語の他動詞の定義はほぼ欧米語(特に英語だろう)の定義を継承しているようで、対象に直接働きかけ、対象に何らかの変化をもたらす動詞ということになっている。そしてこの対象は名詞で直接目的語と呼ばれる。英語の場合上に述べたように、名詞は人称代名詞を除きほとんど名詞の格変化がなくなっているので、基本的に純文法の格変化では他動詞かどうかは決められず、目的語の位置(基本的に動詞のすぐ後に置かれる)以外に純文法から離れた動詞の<意味>に頼る場合があるようだ。



I take a book on the table.
I see a book on the table.
I read a book on the table.

to take、 to see、 to read は他動詞扱いだが、to take に比べ to see、 to read は<対象に何らかの変化をもたらす>というほどのことはない。

テーブルの上の本を取る。(英語の方もそうだが、実際こういう発話はまずない)
テーブルの上の本を見る。(実際こういう発話はまずなく、.... を見ている、.... を見て(ろ)、となる)。
テーブルの上の本を読む。(これも実際こういう発話はまずない)

一方日本語の方は格助詞<を>があるため、名詞の後に<を>があれば位置はそれほど重要ではなくなる。もっとも<を>がなくてもなんとか意味は通じる。

取る、テーブルの上の本を。(まずこうはいわないが間違いではない)
取る、テーブルの上の本。 (<を>がない。これもまずこうはいわないが間違いではない)

見る、テーブルの上の本を。
見る、テーブルの上の本。

読む、テーブルの上の本を。
読む、テーブルの上の本。

読む(読んだ)本はテーブルの上にある。

と言った場合には<を>が消える。これはどう説明したらいいのか?体言(名詞)のまえに付く場合は連体形という動詞の語尾変化だ。語順が入れ替わり、英語式の語順になる。ここでは<を>がないので語順が重要になる。

英語ではこの連体形的な用法はあまり使われず、関係代名詞の登場となる。

My seeing book (My having seen book) とはまず言わず
The book I see (the book I have seen, or I saw) is on the table.

ところが、文法には例外なく例外がある。いわゆる<移動動詞>というやつだ。

道を歩く。道の上を歩く。
街を歩く。(街を歩き回る。街を歩いて行く。街に歩いて行く。)
わが道を行く。
汽船が海を行く。 汽船が海の上をを行く。
長い道のりを来る。 (街を歩いてくる。街から歩いて来る。)
飛行機が空を飛んでいる。
トンボが空中を飛んでいる。
山を登る。(<山に登る> が普通)
階段を登る。階段を上がる(<階段に登る>、<階段に上がる> は特殊な状況以外は不可)
川を上(のぼ)る。
木を登る。(<木に登る>が普通)
山を下(お)りる。(<山から下(お)りる> も可能)
坂道をころがる。
階段を下りる。(<階段から下りる>は特殊な状況では可能)
川を下(くだ)る。
バスを降りる。(<バスから降りる>も可能)。<バスを乗る>はダメで<バスに乗る>。
そりで雪の上をすべる。
運動場を走る。運動場を走り回る。
トンネルをくぐる。トンネルをぬける。トンネルをくぐりぬける。
橋の下を通る。 橋の下を通って行く。
でこぼこ道を進む。暴風雨の中を進む。
魚は水の中を泳ぐ。(<魚は水の中で泳ぐ>も可能)。
川を渡る。 (<対岸に渡る>の<渡る>は明らかに自動詞)

<歩く>、<回る>、<行く>、<飛ぶ>、<登る>、<あがる>、<下(降)りる>、<下(くだ)る>、<すべる>、<走る>、<くぐる>、<ぬける>、<通る>、<進む>、<泳ぐ>、<渡る>は<を>をとる(またはとれる)が自動詞扱いだ。 <対象に直接働きかける>という意味では<見る>、<読む>とたいしてかわりはない。<対象に何らかの変化をもたらす>ことはしない、できないが<見る>、<読む>と同様直接的に<対象>は意識されている。

昔の日本語にはこの<を>はなかった。さらに時代が下ってからもかならずしも必要ではなかったようだ。現代でも<を>がなくてもだいたい意味は間違いなく伝わり、しかも簡潔だ。

道あるけば
街歩く時
わが道行けば
汽船海行く
長い道のり来りて
鳥空飛び
山登る
階段登れば
川上(のぼ)れば
木登りければ
山下(お)りし後(のち)
坂ころがりけり
階段下りれば
川下(くだ)りたり。
バス降りてから
そりにて雪の上すべりければ
戦場走り回りたれば、
トンネルくぐりぬけしとき
橋の下通りて行きければ
暴風雨の中進むはつらきことなり。
魚の水の中泳ぐはいとおかし。
川渡りて後

<を>の明確な、意識的な導入、使用は欧米語の対格、他動詞、自動詞の区別の影響があったのかも知れない。助詞<を>による直接目的語の明確化、他動詞、自動詞の区別の明確化。しかし、言葉の歴史の重さはいかんともしがたく、 欧米語を参考にしたときの自動詞であるにもかかわらず<を>をとる動詞があるため<移動動詞>みたいな説明が必要になってくる。

そこで、これをさらに進めて、格助詞<を>に前面に出てもらい、基本的には<を>をとれば、または<を>をとるときは<他動詞>、<を>をとらないときは自動詞としたらどうか?

<移動動詞>ではないが<を>をとる動作動詞。

家を出る。<家を入る>はダメ。
家にはいる。<家をはいる>ともいいそう。
家の中にはいる。<家の中をはいる>はまったくダメ。
トンネルをでる。 トンネルをぬける。
トンネルをはいる。(トンネルにはいる)
門をはいる。<門に入る>はダメのようだ。
門を出る。門から出る。
入り口をはいる。<入り口にはいる>はやや意味が違う。<入り口を出る>は理論的におかしい。<入り口からはいる>はもちろん<入り口から出る>もOK。
出口をでる。 <出口にでる>はやや意味が違う。<出口をはいる>は理論的におかしい。<出口からでる>はもちろん<出口からはいる>もOK。
玄関をはいる。<玄関にはいる>はやや意味が違う。<玄関から入る>はOK。
玄関を出る。<玄関に出る>はやや意味が違う。<玄関からでる>はOK。

相当複雑。上記のように<出る>、特に<はいる>は微妙で、大きな門や入り口以外は門や入り口に<はいる>ことは出来きないが玄関には<はいる>ことが出来る。

東京を発(た)つ。 東京を出発する。<東京から発つ(出発する)>は可能。

<出る>、<はいる>、<発つ>は動作動詞だがが<移動>をともなわないので<移動動詞>ではない。<移動>には短い長いの差はあるが時間の経過が必要だが、<出る>、<はいる>、<発つ>は瞬間的な動作で、<移動>は関与しない。したがって、<を>をとる理由を説明しなければならない。

もう一つ。<むく>だ。

西を向く。英語で to turn to east か?

実際の動作を正確に表現すると。

 西を向く --> 自分の体を西に向ける
 to turn to west   --> to turn oneself to west

で、日本語も英語も自動詞 --> 他動詞の変換がある。 これは文法上の検討課題で別途検討。

ほかにもあろう。

以上は簡単に、 <を>をとれば、または<を>をとるときは<他動詞>、<を>をとらないときは自動詞、としたらどうか。 
 ----

<を>が使えない動作動詞

座る - 椅子に座る。
ころぶ - 道(上)でころぶ。
床で踊る。床の上で踊る。 (<踊(おど)りを踊(おど)る>は可能)
舞台で舞う。(<舞を舞う>は可能)
家に帰る。<家を帰る>はダメ。
家にもどる。<家をもどる>もダメ。
家に着く。<家を着く>はダメ。 
学校で遊ぶ。<学校を遊ぶ>はダメ。
羽根突きで遊ぶ。<羽根突きを遊ぶ>はダメ。 この<で>は手段をあらわす。
ことはみな落ち着くところに落ち着く。

 <で>は動詞内容が起こる、行われる場所を示す助詞だが (羽根突きで遊ぶ、を除く)、<に>は必ずしも方向というよりは到着場所を示す助詞だ。ここで、いくつかの英語動詞との対比を見てみる。

英語は他動詞、日本語は自動詞

to reach - xxxに着く (to arrive は自動詞で to arrive at (in) となる)。
上記の
to touch - xxxにふれる(さわる)
to win (a game)- xxx勝負に勝つ (だれだれに勝つ、はまた別)
to lose (a game)- xxx勝負に負ける (だれだれに負ける、はまた別)

 こうみると、<に>は対格を示す助詞のようだ。
 ところで、<負ける>はおもしろいい動詞で<負かす>=<勝つ>だ。

自動詞と他動詞が組みの動作動詞

おりる - おろす   (車をおりる、車から荷をおろす)
出る - 出す      (家を出る、金を出す)
進む - 進める    (雪道を進む、歩を進める)
立つ - 立てる    (席を立つ、旗を立てる) 
起きる - 起こす   (床を起きる、会社を起こす)
曲がる - 曲げる   (角を曲がる、 針金を曲げる)
過ぎる - 過ごす   (2時を過ぎる、時を過ごす)
上がる - 上げる   (階段を上がる、手を上げる)
下がる - 下げる   (階段を下がる(おりる、が普通、手を下げる)
通(とお)る - 通す  (この道を通っていく、針の穴に糸を通す)
飛ぶ - 飛ばす    (飛行機が空を飛ぶ、紙飛行機を飛ばす)
流れる -流す     (大都会を流れる河川、水を流す)
めぐる - めぐらす  (古都をめぐる旅、堀をめぐらす)
落ちる - 落とす   (都を落ちる-都落ち、石を落とす)
おりる - おろす    (階段をおりる、屋根から雪をおろす)
転(ころ)がる - 転がす  (まりが下り坂を転がる、まりを転がす)

<まりが下り坂を転がり落ちる、転がり落ちて行く>はいいが、<まりが下り坂を落ちる>はダメのようだ。<まりが下り坂を転がって行く>はOK.<落ちる>は移動動詞のようだが<落ちて行く>で移動動詞になる。

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<移動動詞>、<動作動詞>以外

寒さを感じる。痛みを感じる。(<寒く感じる>、<痛く感じる>は目的語がないので明らかに自動詞) 

<見る>、<聞く>が他動詞、<感じる>が自動詞というのはおかしい。

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中国語は動詞<去(qu)>(行く)は動詞の後にすぐに目的語をとり<去東京>という。英語や日本語に慣れていると、<去東京>に慣れるまでには時間がかかる。東京を食べてしまうような感じなのだ。 不思議だが<去哪里(去哪儿)>はそれほど抵抗を感じない。 東京は<定>、去哪里(去哪儿)は<不定>だからだろう。

搬家(banjia)は名詞、動詞同型で、名詞であれば<引越し>の意、動詞であれば<引越しをする>だが、<搬家>を見たり、聞いたりすると、慣れないうちは自分で家を動かしているような感じだ。

英語も例外らしきものがある。to go、 to come は自動詞。

to go home
home は副詞として処理されている。

to go my way (going my way), to come this way
way は direction (方向)で名詞だ。

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他動詞そうで日本語では自動詞

Aに勝つ (Aを負かす)
Bにまさる (Bを越す、Bを越える)
Cにふれる(さわる)(Cに手をふれる、Cを手でさわる)

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英語は自動詞、日本語は他動詞

to wait for (to awiat) - xxxを待つ。 to awiat は他動詞
to look for (to search)- xxxを探す、求める。search は to search xx for yy のときは他動詞、to search for xxx では自動詞。<to search xx for yy > とは<泥棒は金目のモノを求めて部屋を探した>のような例だ。to seek も to search と同じような使われ方だ。
to ask for - xxxを尋ねる (ask の使い方は難しい)

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おもしろいのは<to find>で、

to find - xxxを探す、ではない。なぜなら

to have found -xxxを<探した>ではなく、<探し当てた>、<見つけた>だ。それでは

to find - は<探し当てる>、<見つける>か?どうも違うようだ。

中国語では

找 - 探す
找到 - 探し当てる(当てた)、見つける(見つけた) - めでたく成功、成就

買 - 買う
買得到 - 買える(買えた) - 成功、成就

戒煙 - タバコをやめようとする
戒得到煙 - タバコをやめることがきる(できた) - 成功、成就

の区別は厳格。


続く予定


sptt




Monday, January 7, 2013

日本語の自動詞、他動詞-1


日本語の自動詞、他動詞の区別は大きな問題であるので、何回かに分けて検討してみる。

前回のポスト "仮定形+<る>の可能、自発" の続きから始める。<自発>は他動詞-->自動詞の変換でもある。これは日本語動詞の特徴だ



解け+る    
可能-次郎はこの問題が解ける。 
自発-基礎知識があればこの問題は容易に解ける。

<解ける>は可能と自発の意があるが、<自発>は言い換えれば自動詞だ。対応する他動詞は<解く>。<次郎はこの問題が解ける>はいくつかの解釈が可能だ。

1) 次郎はこの問題解ける。 

これは翻訳調で自然な日本語ではないが、この場合<解ける>は他動詞<解く>の可能形(仮定形+る)と解釈できる。

2) 次郎はこの問題解ける。

<象は鼻が長い>に似た構造だが、<解ける>は形容詞ではなく動詞だ。<解ける>の主語は次郎か、あるいは<問題>か? 次郎が主語の場合は1)に似ているが、この場合<が>は対格の助詞としなければならない。<問題>が主語の場合は、次郎は主題になり、言い換えれば

2)-1) 次郎はこの問題解ける。
2)-2)次郎はといえばこの問題解ける。

となる。この場合<解ける>は自動詞になる。しかし<問題>が自発的(自動的)に<解ける>とみるこはできず、可能になるが、他動詞<解く>の可能形ではなく、可能を示す自動詞と言うことになる。英語では

This problem is solved by Jiro.

と他動詞 to solve の受身形になり、特に可能の意味はない。可能の意味を書示したければ、

 This problem can be solved by Jiro.

となる。だが、英語も <can = 可能(を表わす)>だけとはいえず

It can be (so).

は<(そう)かもしれない>の意でよく聞き、使う。英語も日本語も so (そう)は了解済みであれば言わない。可能は able を使った方が明確だ。

This problem is able to be solved by Jiro.  

だが、これも持ってまわった言い方で、

Jiro is able to solve this problem.

が簡潔でしかも<可能>を示す。


一 方日本語は、<解く> の受身は<解かれる>。(例)この問題はついに解かれた。ただし、<この問題はついに解けた>が普通だろう。また受身で<この問題は解かれる>とはあまり 言わない。この否定の<この問題は解かれない>とも言わない。これは間違いだろう。繰り返しになるが、日本語では主語が人(動物)でない場合<問題は解ける>、<問題は解けた>と自動詞を使うのが普通で、<問題が解かれる>、<問題が解かれた>と言う他動詞の受身形を使った言い方は翻訳調意外はおかしいのだ。これは気がつきにくい(気がつかれにくい)、あるいはもっと強調すべき(されるべき)日本語の特徴だ。なお、使役は<解かせる>。

可能、自発の問題は他動詞-->自動詞変換の問題を含んでおり重要だ。

<とける>は<解ける>以外に<溶ける>がある。漢字を使うと意味が違うように見えるが、耳で<とく、とける>と聞いたり、話したりするときには判然とした違いはない。<とく、とける>は大和言葉 では<解く(ける)>、<溶く(ける)>の両方の意味を含むもっと一般的な言葉だ。<氷が解ける(とける)>は自発の意味が強い。 <氷が水にとける>場合は<解ける>でも<溶ける>でもよさそう。


泣け+る    
可能-花子は思い切って泣ける。 
自発-美代子は(自然と)泣ける(泣けてきた)。

<泣ける>は自動詞。<泣く>も<花子が(は)泣く>、<太郎は花子の拒絶に泣く>で自動詞のようだが<何を泣いているのだ?>といえるので他動詞にもなりそ う。同じ発音で<(鳥が)鳴く>があるが、これも自動詞。<鳴ける>には自発がないようで、自発はヒトに関しての特有表現か。

使役的な他動詞<泣かす>の 受身は<泣かされる>だが、<太郎は花子に泣かされる>は単純な(物理的な)受身、被害になるが自発にもなりそう。未然形につく使役の助動詞<せる>。<させる>をつけて<泣かせる>、<泣かさせる>もあるが<泣かす>とは微妙に違う。<泣かせる>、<泣かさせる>は<泣かす>の未然形<泣かさ>+使役の助動詞<せる>、<させる>とも解釈できる。もっとも<泣かす>を使役的な他動詞としてではなく<泣く>の未然形<泣か>+使役の助動詞<す>とも解釈できる。<泣く>、<泣ける>、<泣かす>、<泣かせる>、<泣かさす>、<泣かさせる>、<泣かされる>が可能だが、間違わないで使っている。さらに<泣かれる>というのもあり、きわめて複雑。

よく例に出てくる<花子に泣かれて困った>の<泣かれる>は<未然形+れる>で迷惑、被害の受身のようだが、<困った>のは花子ではなく、困った主はかくれている。主(主語)は私でも太郎でもよく<私(太郎)は花子に泣かれて困った>となる。こうなるとかなり複雑だ。<困った>を抜いて<私(太郎)は花子に泣かれた>とすると、<困った>がないので意味がわかりにくくなるが迷惑、被害の感じはある。英語の I (Taro) was cried by Hanako. はダメではないが<花子になかされた>になってしまう。<困った>を加えれば I (Taro) was troubled by Hanako being cried. とでもなるが、こうはまず言わない。 I (Taro) was troubled as Hanako cried (was crying). ならよさそう。


読め+る    
可能-太郎は難しい漢字が読める。 
自発-太郎はこの謎が(自然と)読める(読めてきた)。

<読める>は自動詞。他動詞は<読む>。 <読む>の受身は<読まれる>。使役は<読ませる>。<太郎はこの謎が読める(読めてきた)>は上記の<解ける>と同じで、

太郎を主語とすると

 <太郎はこの謎読める(読めてきた)>と翻訳調にするか、または<が>を対格の助詞とみなす。太郎を主題、謎を主語とすると、

太郎にはこの謎が(自然と)読める(読めてきた)。

となり、<読める>は自発と言うよりは、可能の意の自動詞となる。


割れ+る    
可能-こんな薄い板なら子供でも割れる。
自発-花瓶が棚から落ちて割れる。

可能とした<こんな薄い板なら子供でも割れる>の主語は<板>か<子供>か? いくつかの言い換えが可能だ。

1)こんな薄い板は子供が割れる。

この場合主語は<子供>で <こんな薄い板は>は<は>がついている。<は>は主題を示すが、この場合他動詞<割る>の対象を示しており、対格の<は>ともみなせる。

2) 子供でもこんな薄い板は割れる。

これは<こんな薄い板なら子供でも割れる> の言い換えに近い。それでは

2)-1)  子供はこんな薄い板は割れる。

はどうか。<は>が 二つあり、あまり好ましい言い方ではないが、可能だ。この場合主語は板で、<割れる>は自動詞。子供によって割られるので、自発とは言いがたく、可能の自動詞ということになる。

一方、自発の<花瓶が棚から落ちて割れる>は自発の意の<割れる>は自動詞で、この場合可能の意はない。<割る>の受身は<割られる>。使役は<割らせる>。


抜け+る

可能-太郎は釘を(が)うまく(上手に)抜ける。
自発-この釘はよく(頻繁に)抜ける。

<抜く>は他動詞。自動詞は<抜ける>だが、他動詞の場合は可能の意。自発の意の場合は自動詞とみなせる。<釘を>は<釘が>で言い換えられ、この場合<が>は対格を示すことになる。
<抜く>の受身は<抜かれる>。使役は<抜かせる>、<抜かさせる>。


売れ+る

可能-太郎はこの品物を(が)うまく(上手に)売れる。
自発-この品物はよく(頻繁に)売れる。

<売る>は他動詞。自動詞は<売れる>。他動詞の<売れる>は可能、自動詞の<売れる>は自発の意があるが、少し考えるとモノが自発的(自然)に<売れる>と言うのは少しおかしい。 <売る>の受身は<売られる>。使役は<売らせる>。


切れ+る

可能-太郎はこの紐(ひも)を(が)うまく(上手に)切れる。
自発-この紐(ひも)はよく(頻繁に)切れる。

<切る>は他動詞。自動詞は<切れる>だが、可能と自発の意がある。  <切る>の受身は<切られる>。使役は<切らせる>。<このナイフはよく切れる>は可能のようだが、人が主語の<太郎はうまく切れる>とは違う。ナイフ何かを切るわけでない。ナイフ何かをきるのだ。英語は This knife cuts well. で to cut は自動詞。well は可能の副詞と言うよりは自動詞<切れる>の具合、度合いの程度を示す副詞だ。


釣れ+る

可能-太郎は鯛を(が)うまく(上手に)釣れる。
自発-この辺は鯛がよく(頻繁に)釣れる。

<釣る>は他動詞。自動詞は<釣れる>だが、鯛に<釣られる自発の意>があるというのはおかしい。 < この辺は鯛がよく釣れる>の<この辺>は場所を示す主題で、主語はやはり鯛と考えられる。そうすると、鯛に<釣られる自発の意>があるということになってしまう。他動詞<釣る>の受身は<釣られる>で<釣れる>ではない。ここは隠れたもう一つの主題-ひと(びと)-があると考え、変な日本語になるが<この辺はひと(びと)にとって鯛がよく釣れる>とする。こうすると<釣れる>はひと(びと)にとって可能になる。<釣る>の使役は<釣らせる>。


取れ+る
可能-太郎はこのボタンがうまく(上手に)取れる。
自発-このボタンはよく(頻繁に)取れる

<取る>は他動詞、<取れる >は自動詞。この場合(ボタンに)自発の意はない。  ただしこの場合<取る>、<取れる>は<外(はず)す>(to take out, off)、<外れる>(to come out, off)の意に近い。<取る>の受身は<取られる>。使役は<取らせる>。


一方英語の動詞を見てみる。

解く - to solve  他動詞のみ
溶く   - to dissolve 他動詞、自動詞(溶ける)の両方あり。<とろける>と言う自動詞もある。
泣く -  to cry  自動詞のみ。したがって受身表現はない
読む - to read 他動詞のみ
割る - to break 他動詞、自動詞(割れる)の両方あり。動詞変化は同じだが、自動詞の受身はない。Taro broke the door to get in. My brain breaks (has broken).
抜く - to pull out 他動詞のみ。<抜ける>は多分 to be pulled out. to go off 、to come off とも言える。
売る - to sell 他動詞、自動詞(売れる)の両方あり。Taro sells cars well. This product sells well.
切る - to cut 他動詞、自動詞(きれる)の両方あり。 Taro cuts the rope. This knife cuts well.
釣る  - to fish 他動詞のようだが辞書では used without object となっている。to fish fish とは言わない。
取る - to take  他動詞のみ。自動詞は<取れる >は多分 be taken off, to go off, to come off。

to dissolve、to break、to sell、to cut、また、to pull out、to takeに見られるように、日本語では自他を語尾変化で明確に分けており、分析(区別)が進んでいるといえる。これは日本語の大きな特徴で、もっと詳しく調べる価値がある。



sptt


Saturday, January 5, 2013

仮定形+<る>の可能、自発

受身、可能、の助動詞に<-れる(られる)>があり、動詞の未然形につく。 Japan wiki の日本語動詞活用未然形の説明は次のようになっている。


未然形: 打消の<-ない>、受身、可能などの<-れる(られる)>、使役の<-せる(さる)>、意思、推量の<-う>などに接続する形。


未然は<未(いま)だ然(しか)らず>で<まだxxない>の意だ。打消の<-ない>はこれでよいが、そのほかの受身、可能などの<-れる(られる)>、使役の<-せる(さる)>、意思、推量の<-う>などに接続を個別に見てみよう。

1)受身、可能などの<-れる(られる)>
2)使役の<-せる(さる)>
3)意思、推量の<-う>

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 カ行五段活用「書く」の例

1)受身、可能などの<-れる(られる)>

など>は自発、被害(迷惑)、尊敬だろう。

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以上は前に<日本語動詞活用-未然形>で書いた。さて、ここでは仮定形に付く可能、自発の<る>について考えてみる。



解け+る    
可能-次郎ならこの問題が解ける。 
自発-基礎知識があればこの問題は容易に(自然と)解ける。

泣け+る    
可能-花子は思い切って泣ける。 
自発-美代子は(自然と)泣ける(泣けてきた)。

読め+る    
可能-太郎は難しい漢字が読める。 
自発-太郎はこの謎が(自然と)読める(読めてきた)。

割れ+る    
可能-こんな薄い板なら子供でも割れる。
自発-花瓶が棚から落ちて(自然と)割れる。


以上を一般的な動詞の未然形+<-れる(られる)>で替えてみる。

け+る    
可能-次郎ならこの問題が解かれる。 
自発-基礎知識があればこの問題は容易に解かれる

泣け+る    
可能-花子は思い切って泣かれる。 
自発-美代子は(自然と)泣かれる(泣かれてきた)。

読め+る    
可能-太郎は難しい漢字が読まれる。 
自発-太郎はこの謎が読まれる(読まれてきた)。

割れ+る    
可能-こんな薄い板なら子供でも割られる
自発-花瓶が棚から落ちて割られる

ほぼ間違いに近い。少なくとも普通にはこうは言わない。

逆に言うと、仮定形に付く可能、自発の<る>どんな動詞にも付くというわけではないが、未然形+<-れる(られる)>もどんな動詞にも付くというわけではないということだ。


抜く  - 可能-太郎はうまく(上手に)抜ける、 自発-この釘はよく(頻繁に)抜ける
売る - 可能-太郎はうまく(上手に)売れる、 自発-この品物はよく(頻繁に)売れる
切る - 可能-太郎はうまく(上手に)切れる、 自発-この紐(ひも)はよく(頻繁に)切れる
釣る - 可能-太郎はうまく(上手に)釣れる、 自発-この辺は鯛がよく(頻繁に)釣れる
取る - 可能-太郎はうまく(上手に)取れる、  自発-このボタンはよく(頻繁に)取れる

以上を一般的な動詞の未然形+<-れる(られる)>で替えてみる。


抜く  - 可能-太郎はうまく(上手に)抜かれる、 自発-この釘はよく(頻繁に)抜かれる
売る - 可能-太郎はうまく(上手に)売られる、 自発-この品物はよく(頻繁に)売られる
切る - 可能-太郎はうまく(上手に)切られる、 自発-この紐(ひも)はよく(頻繁に)切られる
釣る - 可能-太郎はうまく(上手に)釣られる、 自発-この辺は鯛がよく(頻繁に)釣られる
取る - 可能-太郎はうまく(上手に)取られる、  自発-このボタンはよく(頻繁に)取られる


この仮定形+<る>は少なくともく可能>については、連用形+<える>だろう。-ki + eru、-ri +eru が -ke + ru、-re + ru に変わるのはよくある。

問題は自発だが、単純に<自発>が成立ためには<可能>であることが条件としておく。


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