Monday, January 7, 2013

日本語の自動詞、他動詞-1


日本語の自動詞、他動詞の区別は大きな問題であるので、何回かに分けて検討してみる。

前回のポスト "仮定形+<る>の可能、自発" の続きから始める。<自発>は他動詞-->自動詞の変換でもある。これは日本語動詞の特徴だ



解け+る    
可能-次郎はこの問題が解ける。 
自発-基礎知識があればこの問題は容易に解ける。

<解ける>は可能と自発の意があるが、<自発>は言い換えれば自動詞だ。対応する他動詞は<解く>。<次郎はこの問題が解ける>はいくつかの解釈が可能だ。

1) 次郎はこの問題解ける。 

これは翻訳調で自然な日本語ではないが、この場合<解ける>は他動詞<解く>の可能形(仮定形+る)と解釈できる。

2) 次郎はこの問題解ける。

<象は鼻が長い>に似た構造だが、<解ける>は形容詞ではなく動詞だ。<解ける>の主語は次郎か、あるいは<問題>か? 次郎が主語の場合は1)に似ているが、この場合<が>は対格の助詞としなければならない。<問題>が主語の場合は、次郎は主題になり、言い換えれば

2)-1) 次郎はこの問題解ける。
2)-2)次郎はといえばこの問題解ける。

となる。この場合<解ける>は自動詞になる。しかし<問題>が自発的(自動的)に<解ける>とみるこはできず、可能になるが、他動詞<解く>の可能形ではなく、可能を示す自動詞と言うことになる。英語では

This problem is solved by Jiro.

と他動詞 to solve の受身形になり、特に可能の意味はない。可能の意味を書示したければ、

 This problem can be solved by Jiro.

となる。だが、英語も <can = 可能(を表わす)>だけとはいえず

It can be (so).

は<(そう)かもしれない>の意でよく聞き、使う。英語も日本語も so (そう)は了解済みであれば言わない。可能は able を使った方が明確だ。

This problem is able to be solved by Jiro.  

だが、これも持ってまわった言い方で、

Jiro is able to solve this problem.

が簡潔でしかも<可能>を示す。


一 方日本語は、<解く> の受身は<解かれる>。(例)この問題はついに解かれた。ただし、<この問題はついに解けた>が普通だろう。また受身で<この問題は解かれる>とはあまり 言わない。この否定の<この問題は解かれない>とも言わない。これは間違いだろう。繰り返しになるが、日本語では主語が人(動物)でない場合<問題は解ける>、<問題は解けた>と自動詞を使うのが普通で、<問題が解かれる>、<問題が解かれた>と言う他動詞の受身形を使った言い方は翻訳調意外はおかしいのだ。これは気がつきにくい(気がつかれにくい)、あるいはもっと強調すべき(されるべき)日本語の特徴だ。なお、使役は<解かせる>。

可能、自発の問題は他動詞-->自動詞変換の問題を含んでおり重要だ。

<とける>は<解ける>以外に<溶ける>がある。漢字を使うと意味が違うように見えるが、耳で<とく、とける>と聞いたり、話したりするときには判然とした違いはない。<とく、とける>は大和言葉 では<解く(ける)>、<溶く(ける)>の両方の意味を含むもっと一般的な言葉だ。<氷が解ける(とける)>は自発の意味が強い。 <氷が水にとける>場合は<解ける>でも<溶ける>でもよさそう。


泣け+る    
可能-花子は思い切って泣ける。 
自発-美代子は(自然と)泣ける(泣けてきた)。

<泣ける>は自動詞。<泣く>も<花子が(は)泣く>、<太郎は花子の拒絶に泣く>で自動詞のようだが<何を泣いているのだ?>といえるので他動詞にもなりそ う。同じ発音で<(鳥が)鳴く>があるが、これも自動詞。<鳴ける>には自発がないようで、自発はヒトに関しての特有表現か。

使役的な他動詞<泣かす>の 受身は<泣かされる>だが、<太郎は花子に泣かされる>は単純な(物理的な)受身、被害になるが自発にもなりそう。未然形につく使役の助動詞<せる>。<させる>をつけて<泣かせる>、<泣かさせる>もあるが<泣かす>とは微妙に違う。<泣かせる>、<泣かさせる>は<泣かす>の未然形<泣かさ>+使役の助動詞<せる>、<させる>とも解釈できる。もっとも<泣かす>を使役的な他動詞としてではなく<泣く>の未然形<泣か>+使役の助動詞<す>とも解釈できる。<泣く>、<泣ける>、<泣かす>、<泣かせる>、<泣かさす>、<泣かさせる>、<泣かされる>が可能だが、間違わないで使っている。さらに<泣かれる>というのもあり、きわめて複雑。

よく例に出てくる<花子に泣かれて困った>の<泣かれる>は<未然形+れる>で迷惑、被害の受身のようだが、<困った>のは花子ではなく、困った主はかくれている。主(主語)は私でも太郎でもよく<私(太郎)は花子に泣かれて困った>となる。こうなるとかなり複雑だ。<困った>を抜いて<私(太郎)は花子に泣かれた>とすると、<困った>がないので意味がわかりにくくなるが迷惑、被害の感じはある。英語の I (Taro) was cried by Hanako. はダメではないが<花子になかされた>になってしまう。<困った>を加えれば I (Taro) was troubled by Hanako being cried. とでもなるが、こうはまず言わない。 I (Taro) was troubled as Hanako cried (was crying). ならよさそう。


読め+る    
可能-太郎は難しい漢字が読める。 
自発-太郎はこの謎が(自然と)読める(読めてきた)。

<読める>は自動詞。他動詞は<読む>。 <読む>の受身は<読まれる>。使役は<読ませる>。<太郎はこの謎が読める(読めてきた)>は上記の<解ける>と同じで、

太郎を主語とすると

 <太郎はこの謎読める(読めてきた)>と翻訳調にするか、または<が>を対格の助詞とみなす。太郎を主題、謎を主語とすると、

太郎にはこの謎が(自然と)読める(読めてきた)。

となり、<読める>は自発と言うよりは、可能の意の自動詞となる。


割れ+る    
可能-こんな薄い板なら子供でも割れる。
自発-花瓶が棚から落ちて割れる。

可能とした<こんな薄い板なら子供でも割れる>の主語は<板>か<子供>か? いくつかの言い換えが可能だ。

1)こんな薄い板は子供が割れる。

この場合主語は<子供>で <こんな薄い板は>は<は>がついている。<は>は主題を示すが、この場合他動詞<割る>の対象を示しており、対格の<は>ともみなせる。

2) 子供でもこんな薄い板は割れる。

これは<こんな薄い板なら子供でも割れる> の言い換えに近い。それでは

2)-1)  子供はこんな薄い板は割れる。

はどうか。<は>が 二つあり、あまり好ましい言い方ではないが、可能だ。この場合主語は板で、<割れる>は自動詞。子供によって割られるので、自発とは言いがたく、可能の自動詞ということになる。

一方、自発の<花瓶が棚から落ちて割れる>は自発の意の<割れる>は自動詞で、この場合可能の意はない。<割る>の受身は<割られる>。使役は<割らせる>。


抜け+る

可能-太郎は釘を(が)うまく(上手に)抜ける。
自発-この釘はよく(頻繁に)抜ける。

<抜く>は他動詞。自動詞は<抜ける>だが、他動詞の場合は可能の意。自発の意の場合は自動詞とみなせる。<釘を>は<釘が>で言い換えられ、この場合<が>は対格を示すことになる。
<抜く>の受身は<抜かれる>。使役は<抜かせる>、<抜かさせる>。


売れ+る

可能-太郎はこの品物を(が)うまく(上手に)売れる。
自発-この品物はよく(頻繁に)売れる。

<売る>は他動詞。自動詞は<売れる>。他動詞の<売れる>は可能、自動詞の<売れる>は自発の意があるが、少し考えるとモノが自発的(自然)に<売れる>と言うのは少しおかしい。 <売る>の受身は<売られる>。使役は<売らせる>。


切れ+る

可能-太郎はこの紐(ひも)を(が)うまく(上手に)切れる。
自発-この紐(ひも)はよく(頻繁に)切れる。

<切る>は他動詞。自動詞は<切れる>だが、可能と自発の意がある。  <切る>の受身は<切られる>。使役は<切らせる>。<このナイフはよく切れる>は可能のようだが、人が主語の<太郎はうまく切れる>とは違う。ナイフ何かを切るわけでない。ナイフ何かをきるのだ。英語は This knife cuts well. で to cut は自動詞。well は可能の副詞と言うよりは自動詞<切れる>の具合、度合いの程度を示す副詞だ。


釣れ+る

可能-太郎は鯛を(が)うまく(上手に)釣れる。
自発-この辺は鯛がよく(頻繁に)釣れる。

<釣る>は他動詞。自動詞は<釣れる>だが、鯛に<釣られる自発の意>があるというのはおかしい。 < この辺は鯛がよく釣れる>の<この辺>は場所を示す主題で、主語はやはり鯛と考えられる。そうすると、鯛に<釣られる自発の意>があるということになってしまう。他動詞<釣る>の受身は<釣られる>で<釣れる>ではない。ここは隠れたもう一つの主題-ひと(びと)-があると考え、変な日本語になるが<この辺はひと(びと)にとって鯛がよく釣れる>とする。こうすると<釣れる>はひと(びと)にとって可能になる。<釣る>の使役は<釣らせる>。


取れ+る
可能-太郎はこのボタンがうまく(上手に)取れる。
自発-このボタンはよく(頻繁に)取れる

<取る>は他動詞、<取れる >は自動詞。この場合(ボタンに)自発の意はない。  ただしこの場合<取る>、<取れる>は<外(はず)す>(to take out, off)、<外れる>(to come out, off)の意に近い。<取る>の受身は<取られる>。使役は<取らせる>。


一方英語の動詞を見てみる。

解く - to solve  他動詞のみ
溶く   - to dissolve 他動詞、自動詞(溶ける)の両方あり。<とろける>と言う自動詞もある。
泣く -  to cry  自動詞のみ。したがって受身表現はない
読む - to read 他動詞のみ
割る - to break 他動詞、自動詞(割れる)の両方あり。動詞変化は同じだが、自動詞の受身はない。Taro broke the door to get in. My brain breaks (has broken).
抜く - to pull out 他動詞のみ。<抜ける>は多分 to be pulled out. to go off 、to come off とも言える。
売る - to sell 他動詞、自動詞(売れる)の両方あり。Taro sells cars well. This product sells well.
切る - to cut 他動詞、自動詞(きれる)の両方あり。 Taro cuts the rope. This knife cuts well.
釣る  - to fish 他動詞のようだが辞書では used without object となっている。to fish fish とは言わない。
取る - to take  他動詞のみ。自動詞は<取れる >は多分 be taken off, to go off, to come off。

to dissolve、to break、to sell、to cut、また、to pull out、to takeに見られるように、日本語では自他を語尾変化で明確に分けており、分析(区別)が進んでいるといえる。これは日本語の大きな特徴で、もっと詳しく調べる価値がある。



sptt


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