Wednesday, April 9, 2014

<行く>と<来る>の方向性



だいぶ前のポスト<ドイツ語の副詞 hin と her>では次のように書いた。


いずれにしても、gehen、kommen、to go、 to come、行く、来る、去、来 は使用頻度が極めて高い重要動詞で、使われ方の分析は一筋縄ではいかない。上記の分析では、これらの動詞(運動、移動関連動詞)は元来方向性を備えている ようだが、その程度はまちまちで、ドイツ語 gehen、kommen、日本語 行く、来る、 は方向性が弱いことになる。



また別のポストでは接頭辞<durch->に関連して次のように書いた。


<durch->を調べているときに気づいたことがある。<durch-> 当然ながら<通る>という動詞を使った説明が多く出てくるが、<xx を通り過ぎる>、<xx を通り越す>と言う複合動詞もかなりの頻度で出てくる。少し長くなるが<xx を通り過ぎる>、<xx を通り越す>よりも<xx を通り過ぎて行く>、<xx を通り越して行く>という三つの動詞の複合動詞が日本語らしい。



日本語の<行く>、<来る>の方向性について考えてみる。


xx を通る
xx を通り過ぎる
xx を通り越す

以上3例は方向性がない。右へ、左へ、上へ、下へ、東(西、南、北)へ、などを加えれば方向性がでる。だが、よく使うのは発話者から見ての方向性だ。

xx を通る - xx を通って行く、xx を通って来る
xx を通り過ぎる - xx を通り過ぎて行く、xx を通り過ぎて来る
xx を通り越す - xx を通り越して行く、xx を通り越して来る

こうすると方向性が出るばかりか描写性が高まる。目にうかんでくるのだ。この意味でも<行く>、<来る>は重要性だ。

英語の<to go>と<to come>、日本語の<行く>、<くる>で辞書や文法書で普通に出てくる説明は

<to go>と <行く>は対象(話題の主(ぬし)が<発話者から遠ざかる>場合。<遠ざかって行く>といいたいが<行く>をあえて使わないでおく。

<to come>と <来る>は対象(話題の主(ぬし))が<発話者の方へ近づく>場合。これも<近づいて来る>といいたいが<来る>をあえて使わないでおく。

太郎が行く。
花子が来る。

 しかしながら、よく調べてみるとこの説明は間違いではないが、例外がかなりあり、一般性が低い。

1)発話者が太郎と花子の行動について話すとしよう。

太郎が花子のところへ行く。 Taro goes to Hanako's place.
太郎が花子のところへ来る。 Taro comes to Hanako's place.

この例で<発話者から見て> <離れる>、<近づく>は関係ない。

2)<行く>と<来る>の違い

太郎が行く。
花子が来る。

<花子が来る>の場合はかなりの確率で<花子が(私の方へ)来る>だが、<太郎が行く>の場合は<太郎が(私のところから)行く>の意で発話される確率はそれほど高くはない。<私のところから>の外に<あるところから離れる(離れて行く)>の意で発話される場合が少なくない。

<行く>と<来る>は同等に扱うことができなのだ。移動に関しては<行く>の方が<来る>よりも一般性が高いといえる。個別化、特殊化されない一般的な発話の場合(たとえば、辞書内での言葉の説明)<xx を通り過ぎる>、<xx を通り越す>だけの場合<xx を通り過ぎて行く>、<xx を通り越して行く>の方が<xx を通り過ぎて来る>、<xx を通り越して来る>よりも先に頭に浮かんで来るのだ。


3)四方八方、<行く>、<来る>

<四方八方へ(に)行く>はいわば<360度どの方向へでも>の意で、さらに言い換えれば<特定の方向無しにあるところから離れる(離れて行く)>ことだ。

 <四方八方から来る>も同じ。はいわば<360度どの方向からも>の意で、さらに言い換えれば<特定の方向無しにあるところへ近づく(近づいて来る)>ことだ。

この場合も<話者のところから四方八方へ(に)行く>場合もあれば<太郎のところから四方八方へ(に)行く>場合もある。また<話者のところに四方八方から来る>場合もあれば<花子のところへ四方八方から来る>場合もある。

以上から、一般的に<行く>=<あるところから遠ざかる>、<来る>=<あるところへ近づく>と言うことができる。これを方向性といえば <日本語の行く、来る、 の方向性は弱くはない>といえる。また<行く>の方が<来る>よりも一般的と言える。

4)英語の to bring と to fetch

to bring は<持って来る>と<持って行く>の両方に使える。また<持つ>と<来る>、<行く>の複合動詞だ。また to bring ほど頻繁には使わないが to fetch はさらに進化して<行って持って(帰って)来る>の意だ。これは英語が特殊(進化し過ぎ)と言えるだろう。
中国語はおそらく日本語とほぼ同じ。

推測

to bring

把xx拿来、 把xx拿去
xx拿来、 xx拿去
拿xx来、 拿xx去

to fetch

去yy把xx拿来
去yyxx拿来、
去yy拿xx来

to fetch は話者が<私>そして<私が行く>ことが前提に立っているが(大抵の辞書はこの前提に立っている)、to fetch はto bring と同じように<だれかが私のところへ来てxx持って(帰って)行く>にも使う。
また話者Aが、BがC(yy)のところに行ってxxを持って帰って来ること、を述べることも出来る。 そしてCの立場に立ってBがC(yy)のところにきてxxを持って帰って行くこと、を述べることも出来る。方向に関しては<話者、私>から独立しており一般化が進んでいる、と言えるか?

中国語の場合は日本語と同じだろう

推測

来yy把xx拿去
来yyxx拿去
来yy拿xx去


sptt






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