https://landofnu.com/2018/12/23/if-this-post-is-too-long-i-cant-say-i-wasnt-warned/
雉も鳴かずば撃たれまい
(Kiji mo nakazuba utaremai;
“Even the pheasant, if it doesn’t cry out, won’t be shot”)
相当長く詳しい、いい解説なのだが、<も>のところは
”
も (mo) in its emphatic role
”
と簡単だ。 また<“Even the pheasant>も苦心の訳で<譲歩>的な訳となっている。 だが<雉も鳴かずば撃たれまい>の<も>に譲歩的な意味をとるのは難しい。この英訳を日本語に直すと
雉でさえも、鳴かなければ、撃たれることはないだろう。
となり<雉も鳴かずば撃たれまい>にはならない。そもそもこの日本語はすんなり英語いならないのだ。
というわけで、私なりに挑戦してみた。
少し前に ” 譲歩の大助詞<も> ” というポストを書いたが、その中で<も>について考えて
”
菊もかおる季節 - これは少し難しい。菊以外にかおるものがあることを言外に表わしているだろうか?<バラがかおる、クチナシがかおる、キンモクセイがかおる>を言外に表わしているだろうか?
<菊もかおる季節>は<菊がかおる季節>、少し詩的に<菊かおる季節>と言えるが、<菊もかおる季節>は<菊かおる季節>に相当近い。上で<たり>で少しふれたが<余韻を残す>レトリックと言えないか。<余韻を残す>レトリックは歌によくつかわれる。<菊がかおる季節>は明確、間違いなくていいが、余韻が残らない。この明確さをさけて余韻を残す手法は詩や歌の歌詞に多い。多分作詞家も無意識のうちにやっているのだろう。
”
と書いた。<余韻を残す>では文法的でないので、もう少し大助詞<も>について文法的に検討してみることにした。
入れ替えやってみる。
雉が鳴かずば撃たれまい。
ほとんどまったくダメ、日本語としてナンセンスのようだ。
<雉が鳴かずば>は現代語では文脈がないので<雉が鳴かなければ>でも<雉が鳴かなかなかったならば>でもよさそうだ。後半は
<雉が鳴かなければ>であれば<撃たれないだろう>
<雉が鳴かなかなかったならば>であれば<撃たれなかったであろう>。続けてみると
雉が鳴かなければ撃たれないだろう。
まったくダメ、日本語としてナンセンス。<が>は一般論的な説明(この場合は教訓)にむかないのだ。
雉が鳴かなかなかったならば撃たれなかったであろう。
これは一般論的な説明ではなく<過去のできごとの言及>を想定させるので、<まったくダメ>というわけではない。だがこれもかなり日本語としてナンセンスだ。それは後半の<撃たれなかったであろう>が<過去のできごとの言及>ではなく、話者の現在の意見だからだろう。
雉が鳴かなかなかったならば、わたしは撃たなかった。
ならば後半も<過去のできごとの言及>でナンセンスでなくなる。これが<が>の用法で、<は>では
雉は鳴かなかなかったならば、わたしは撃たなかった。
となり、なにか変だ。変でなくするには
雉は鳴かなかなかったならば、わたしは撃たなかった、のに。
あるいは
雉は、鳴かなかなかったならば、わたしは撃たなかった。
でなんとかなるが、暗黙のうちに
(あの撃たれた)雉は鳴かなかなかったならば、わたしは撃たなかった、のに。
(あの撃たれた)雉は、鳴かなかなかったならば、わたしは撃たなかった、のに。
となる。一方上で述べた
雉が鳴かなかなかったならば撃たれなかったであろう。
は
あの撃たれた雉が鳴かなかなかったならば撃たれなかったであろう。
はやや変になる。これは<が>のなせるわざで、あえて<暗黙のうちに>にを加えると、
(特にどの雉とは言わないが)雉が鳴かなかなかったならば撃たれなかったであろう。
となるが、これも変だ。なぜ変かといいうと、撃たれてしまった雉は特定されているからだ。
現在形(正確には<一般叙述形>か)
雉が鳴かなかないならば、わたしは撃たない。
は文法的にはよさそうだが、意味的にはナンセンスだ。
鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。
鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス。
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス。
というのがあるが、言い換えをしてみると、
雉が鳴かぬなら殺してしまえ。
雉が鳴かぬなら鳴かせてみよう。
雉が鳴かぬなら鳴くまで待とう。
で問題ないようだ。<は>を使うと、
雉は鳴かぬなら殺してしまえ。
雉は鳴かぬなら鳴かせてみよう。
雉は鳴かぬなら鳴くまで待とう。
これはナンセンスのようだが、暗黙のうちに
(その)雉は鳴かぬなら殺してしまえ。
(その)雉は鳴かぬなら鳴かせてみよう。
(その)雉は鳴かぬなら鳴くまで待とう。
の意であればよさそう。しつこいが、これを<が>で置き換えてみると
その雉が鳴かぬなら殺してしまえ。
その雉が鳴かぬなら鳴かせてみよう。
その雉が鳴かぬなら鳴くまで待とう。
どういうわけか、これもよさそう。 <は>と<が>の違いはどこにある?文、言い方の切り方によるところもある。
(その)雉は、鳴かぬなら殺してしまえ。
(その)雉は、鳴かぬなら鳴かせてみよう。
(その)雉は、鳴かぬなら鳴くまで待とう。
その雉が鳴かぬなら、殺してしまえ。
その雉が鳴かぬなら、鳴かせてみよう。
その雉が鳴かぬなら、鳴くまで待とう。
さて
雉も鳴かずば撃たれまい 。
にもどって、<も>を検討してみる。
これも、撃たれてしまった雉について
雉も鳴かずば撃たれまい 。
-> 雉も鳴かなかったならば、撃たれなっか(のに)
といっているとも、一般的に(一般叙述形)
雉も鳴かずば撃たれまい 。
-> 雉も鳴かなければ、撃たれない。
といっているとも解釈できる。うえの英語訳はこの一般叙述形の訳だ。
雉が鳴かぬなら殺してしまえ。
雉は鳴かぬなら殺してしまえ。
と
雉も鳴かぬなら殺してしまえ。
を比較してみる。
雉が鳴かぬなら殺してしまえ。
の<雉>は基本的には特定されていない。暗黙のうちに
(どの雉でもいいが)雉が鳴かぬなら殺してしまえ。
(どの雉でもいいが)雉が鳴かぬなら、殺してしまえ。
雉は鳴かぬなら殺してしまえ。
の<雉>は基本的に特定されている。暗黙のうちに
(その)雉は鳴かぬなら殺してしまえ。
(その)雉は、鳴かぬなら殺してしまえ。
なのだ。だが
(どの雉でもいいが)雉は鳴かぬなら殺してしまえ。
でも変ではない。どうしたことか?これは
どの雉でもいいが鳴かぬ雉は殺してしまえ。
の意に近い。これは<が>で置き換えができない。
どの雉でもいいが鳴かぬ雉が殺してしまえ。
文法的にナンセンス。
どの雉でもいいが鳴かぬ雉がいたら殺してしまえ。
ならいい。 どうどうめぐりなりそうだが、これを<は>で置き換えてみる。
どの雉でもいいが鳴かぬ雉はいたら殺してしまえ。
はナンセンスのようだ。だが内容はまったく同じだが
どの雉でもいいが鳴かぬ雉は、いたら殺してしまえ。
とすると、 ナンセンスでなくなる。これは<は>に特徴といえる。つけたすと
どの雉でもいいが鳴かぬ雉は、いたらそれを殺してしまえ。
かなりしつこいが、これを<が>でお置き換える
どの雉でもいいが鳴かぬ雉がいたら、それを殺してしまえ。
で<は>と<が>に違いをしめしている。 日本語の<が>と<は>はどうなっているのか。収拾がつかなくなってきたので<も>にもどる。
雉も鳴かぬなら殺してしまえ。
はいったいどういう意味か?
(その)雉も鳴かぬなら殺してしまえ。
なら、同類の<も>でよさそう。 この短い文章では同類は他の雉とはかぎらず、殺された、あるいは殺される運命にある他の小動物でもよさそう。<その>がない
雉も鳴かぬなら殺してしまえ。
の<も>は
雉も鳴かずば撃たれまい。
の<も>に近い。
Even the pheasant, if it doesn’t cry out, shoot it.
Even the pheasant, if it doesn’t cry out, (it) won’t be shot.
の意ではない。Even をとってみると
The pheasant, if it doesn’t cry out, shoot it.
The pheasant, if it doesn’t cry out, (it) won’t be shot.
the は特定化の働きがあるが(だから定冠詞)、ここは、特に背景がないので
その雉は、鳴かぬなら、殺してしまえ。
その雉は、鳴かずば、撃たれまい。
というよりは
雉(というもの)は、鳴かぬなら、殺してしまえ。
雉(というもの)は、鳴かずば、撃たれまい。
の意に近い。 さて、<も>にこの二番目の特定化の働きがないだろうか?
雉も鳴かぬなら殺してしまえ。
雉も鳴かずば撃たれまい。
を
雉(というもの)は、鳴かぬなら、殺してしまえ。
雉(というもの)は、鳴かずば、撃たれまい。
と解釈するのだ。これは<同類>の意味がある。だがこの説明もまだ十分ではない。<同類>をもう少し広げて、上でふれた<殺された、あるいは殺される運命にある他の小動物>、さらには もっと広げて<(殺された、あるいは)殺される運命にある、この雉と同じような状況に(あった)ある他のモノ>として解釈するのだ。したがって
雉も、鳴かずば、撃たれまい。
は
雉も(そうだが、雉にかぎらず、撃たれる運命にある雉と同じような状況にあるモノはみな)、鳴かずば、撃たれまい。
ということになる。この<も>は( )内にあるような背景を背負った助詞といえる。 これで教訓性がでる。とりわけ雉でなくてもいいのだ。
これは、私の新発見か、と思って調べたが、残念ながらそうではない。” 譲歩の大助詞<も> ” のポストで紹介しているが、手もとの辞書<三省堂新明解>の助詞<も>の解説の一番目に
1) 類似した事柄を列挙したり、同様の事柄がまだあることを言外に表わしたり、する。
とあり、まさしくこの<同様の事柄がまだあることを言外に表わし>だ。英訳者の
”
も (mo) in its emphatic role
”
ではない。英訳者がこれを知っていれば
雉も鳴かずば撃たれまい
“Even the pheasant, if it doesn’t cry out, won’t be shot”
という訳にはならなかったはずだ。助詞は一語(一音節)が多いが、その働きからして大助詞が少なくない。
さて、以上を参考に
”
菊もかおる季節 - これは少し難しい。菊以外にかおるものがあることを言外に表わしているだろうか?<バラがかおる、クチナシがかおる、キンモクセイがかおる>を言外に表わしているだろうか?
”
をもう一度考えてみる。 <菊もかおる季節>は秋を想定させる。同類の範囲を狭めて、あるいは広げて
菊もかおる季節
菊も(そうだが、菊にかぎらず、秋に花を咲かせてかおる花々が)かおる季節
とならないか?
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