格助詞が<語と語の関係を示す>助詞であるのに対して、接続助詞は<句と文、文と文の関係を示す(句と句だと文にならない)>いわばロジック用の助詞だ。英語ではロジック用の語は接続詞だが、日本語では多くは接続助詞で間に合う。接続助詞はほとんど一語または二語(これまた一語助詞の組み合わせ)と簡単なため軽く見られがちだが、役割の重要性とを見た目やごく短い発音でごまかされてはいけない。
数学はロジック自体を扱うが物理、化学、医学などの科学は実験で客観的に因果関係を実証する学問。言語学は科学的に実証するというよりはある特定の言語の形態(様子)の分析学。ただ、数学にしても、物理などの純科学にしても、はたまた言語学自体、内容の記述、説明には主に言葉が使われる。記述、説明が論理的(ロジカル)でないと、聞き手、読者は混乱する。基本的なロジックは因果関係だが、その前に簡単だが重要なロジックからはじめる。
or と and
A or B A か B、A とか B、A や B、A または B、A あるいは B、A ないし(は) B
A and B A と B、A に B、A および B、A ならびに B、A かつ B、A なおかつ B
ロジックらしくくどくいえば
either A or B A か B か、A か あるいは B か、A かまたは B か、
A か B か のどちらか
both A and B A も B も(*)、A と B のどちらも
法律では、厳密さから(大金や命にかかわることがあるので誤解をさける)
A and/or B A あるいは B、ただし A も B も、を含む、とでもなるか?
という表現が多出する。英語も他の表現があるだろうが、日本語のほうが圧倒的に違った表現方法-助詞、接続詞-が多い。これはなにを意味するかというと、日本語の方が微妙なニュアンスを表現できるともいえるが、一方<か>、<と>、<や>、<に>、<も>の一語助詞の守備範囲が広すぎて曖昧だからとも言える。これらの一語助詞は助詞の特徴として語自体に特定の意味はない。
<か>、<と>、<や>、<に>は<並列助詞>、<も>は副助詞(指示助詞)(<は>も副助詞(指示助詞))という分類もある(*)。
(*)<も>と<は>の違い
<も>は別に何かがあることを暗示(to implicit)しており、いわば不定の助詞。
<A も B も>は<A かつ B>、<A と B のどちらも>と違い、A、B、以外に何かあることを暗示している。<A でも B でも)>とするとややはっきりする。すなわち<A も B も (C も)>、<A でも B でも((C も)>なのだ。
一方<は>は定の助詞で<Aは>、<Aでは>はA以外に何かあることは暗示しているをらず、すでに定まった<A>に限定してなにか言うのだ。
または - また + は
あるいは - ある + い + は。 <ある>は存在ではなく<ある日>などの不定の<ある>。<い>はなにか?
ないし ー 乃至、漢語由来
および - <及ぶ>から
ならびに - <並ぶ>から
かつ - 語源?
なおかつ - なお + かつ
エレクトロニクス、コンピュータのロジックでは
<OR 回路>
+ OR + = +
+ OR - = +
- OR + = +
- OR - = -
<AND 回路>
+ AND + = +
+ AND - = -
- AND + = -
- AND - = -
常識ではおかしそうなのがでてくるが、このように定義して話(デジタル信号)を進める。
すでに述べたが基本的なロジックは因果関係だ。コンピュータプログラムで多出するののは
If xx then yy
これでコンピュータプログラムは進む。コンピュータプログラムはある意味で因果関係を使った人工的な創造だが物理学は自然界のかくれた因果関係をつきとめる学問で多くのひとが魅せられている。
さて 接続助詞の話にもどる。再三述べているように基本的なロジックは因果関係だ。
1.因果関係
a)理由、原因を示す - xxので、xxから、xxだから (<だからxxx>の<だから>は接続詞)
<ので>は<の>+<で>。 <で>一語でも理由、原因を示せる。
太郎はわがままさで花子にふられた。(太郎はわがままなので花子にふられた、が普通)。
次郎はまじめさで美代子に気に入られた。(次郎はまじめなので美代子に気に入られた)。
しかし<で>は方法、手段をあらわす。
太郎は歩きで(徒歩で)学校に通った。
太郎は手紙で花子に愛を告げた。
したがって
太郎はわがままさで花子にふられた。
次郎はまじめさで美代子に気に入られた。
の二例も方法、手段あるいは<どのように>をあらわす、とも解釈できる。
ところでこの<で>だが、由来は<て>だろう。
太郎は歩きで学校に通った。 <-- 太郎は歩きにて(歩いて)学校に通った。
太郎は手紙で花子に愛を告げた。 -- 太郎は手紙にて花子に愛を告げた。
太郎はわがままさで花子にふられた。 -- 太郎はわがままさにて花子にふられた。
次郎はまじめさで美代子に気に入られた。 -- 次郎はまじめさにて美代子に気に入られた。
<にて> --> <で>は音便化
この音便化は次の例で見られる。
読みて --> 読んで
悲しみて -->悲しんで
死ぬ --> 死んで
<それで.....>は接続詞。
さて<ので>の接続は
名詞(体言) - Aなので (Aで、も場合によっては可)。<な>は助動詞<だ>の連用形<な>だが、<な>は発音からして<なり>由来だろう。
形容詞 - 忙しいので、ないので
形容動詞 -静かなので (静かで、でもいい)
動詞 - 見るので、読むので、行くので
助動詞 - 見たので、読んだので、行ったので (助動詞<た>)
ところで<ので>の<の>は外国人にはヤッカイのようで、以前にそこそこ日本語を話す台湾人が
Aで、忙しいで、見るで、読むで、行くで、見たで、読んだで、行ったで、と言っていた。
この<の>は形容詞、動詞に関しては名詞(体言)化の働きがある。
ヒマ(なの)より忙しいのがいい。
見るのと聞くのとでは大違い。
<xxから>の<から>は二字で一語のようだが、<か>と<ら>に分けられなくもない。<か>は <A か B>の<か>だろう。ただし<ら>は不詳。
<から>は格助詞として from の意がある。 ラテン語に奪格(Ablative case)というのがあり、日本語の訳語からすると<xxから奪う>の意からきているようだが、ラテン語格の中ではもっとも多様化が進んでしまっており、何がなんだかわからない状況で分析不可能に近い。(脚注)
日本語の<から>は格助詞として
身から出た錆)さび)
東京から出る(離れる)
今日から始める
AをBから切り離す
のように使う。理由、原因を示す接続助詞としての<から>は<xxから出る>に由来しているようで<xxから出る(出た)結果>の意だ。
太郎が何に気なしに言ったことからこの問題が発生した。
すぐ行くから待っていてくれ。
財布を忘れたから取ってくる。
上記の例の<ことから>、<から>は<ので>で置き換えられるが、<から>の方が<ので>より口語的。
<だから>、<それだから>、<であるから(して)>、<これから(して)>、<それから>、<あれから>は接続詞。 <何(なん)だから>とわけのわからない言い方もある。
b)条件を示す - 名詞(体言)、動詞、形容詞の終止形+xxと、xxとすると、xxなら、動詞、形容詞の連用形+xxたら (<するとxxx>の<すると>は接続詞)
i)仮定条件を示す - 動詞、形容詞の仮定形+ば、
<ば>が仮定条件を示すように見えるが、<行くば>、<来るば>、<するば>、<見るば>、<寝るば>はだめで<行けば>、<来れば>、<すれば>、<見れば>、<寝れば>と動詞が仮定形になる必要がある。動詞の仮定形というと仮定用専用化かというとそうではない。
急いで来て見ればだれもまだ来ていない。
よく見れば山田ではなく鈴木だった。
これだけあれば、十分。
仮定条件とともに確定条件を示す<仮定形+ば>として文法書にはこのような例がでてくる。この<見れば>仮定を表していない、ように見えるが、
急いで来たがだれもまだ来ていない。
急いで来て見たがだれもまだ来ていない。 (<見た>は単純な過去)
と比較してみると<見れば>に仮定ではないが仮定らしき感じがある。<xx (し)てみる>の<みる>は<見る>ではなく、<試(ため)す>の意があり、現実を表す他の多くの動詞とは違った見方、扱い方が必要だ。そうすると、<見た>は単純な過去、とはいいきれなくなる。
急いで来たがだれもまだ来ていない。
急いで来ればだれもまだ来ていない。
はどうか?
<急いで来ればだれもまだ来ていない> は<(あざわざ)急いで来たのにだれもまだ来ていない>、<急いで来なくてもよかった>のニュアンスがある。これもなにか仮定が含まれている感じがある。
これだけあれば、十分。
はどうか?
確定条件を表すように見えるが、
これだけあるので、十分。
とは違う。<これだけあれば>は仮定ではないが、これまた仮定が含まれている感じがある。暗黙のうちに、まったくないか十分でない場合と比較しているのだ。
a) この十万円があれば、xx が買える。
b) この十万円があるので、xx が買える。
はどうか?
十万円は実際に手元にあるのに、b)にたいしてa)はなにか仮定が含まれている感じがある。
しかし、ちなみに
a’) もしこの十万円があれば、xx が買える。
は<この>で示されるように十万円は実際に手元にあるので、文法違反だ。
一方<動詞が仮定形+ば>以外にも仮定はあらわせる。
上記の<条件を示>とした
名詞(体言)、動詞、形容詞の終止形+xxと、xxとすると、xxなら、動詞、形容詞の連用形+xxたら (<するとxxx>の<すると>は接続詞)も、<もし>を頭につけると、
もし xxと、xxとすると、xxなら
もし xxたら
で仮定条件を示すことになる。
<と>も上述の<ば>と同じようなところがある。<と>は仮定形でなく終止形をとる。
急いで来て見るとだれもまだ来ていない。
よく見ると山田ではなく鈴木だった。
これだけあると、十分。
これだけあるので、十分。
この十万円があると、xx が買える。
この十万円があるので、xx が買える。
<余談>
一昔まえ、<たら、れば、じゃ話にならん> という言い方があった。つまり、仮定の話ばかりで現実的でないということだ。<にら、レバ>というご飯のおかずにかけた言い方だったと思う。
<たら>は仮定をあらわすとして、<れば>は何かというと、これも<xx(す)れば>で仮定をあらわすが、この<れ>はなにか?
行けば (五段)
立てば (五段)
座れば (五段)
見れば (上一段)
起きれば (上一段)
寝れば (下一段)
捨てれば (下一段)
仮定形は上一段、下一段は<れ>がつくが五段は必ずしも<れ>がつかない。五段活用の場合、<仮定形 + る>は可能を示す。
読める
書ける
行ける
言える
この可能の意を維持したまま仮定形(れ)にすると
読めれば
書ければ
行ければ
言えれば
となる。
また<<たら>は仮定をあらわすとして>と書いたが、これも<た>は過去(完了)の助動詞であり、仮定といっても単なる仮定ではなく現実に反する仮定、いわば強い仮定だ。したがって、<たら、れば>は強い仮定の<たら>と可能の仮定<れば>で<まったく現実離れした話>ということになる。
結果を示す - xxたので、 xxたから
<た>は過去、完了の助詞なので結果を示すが、実際のところ、この結果は理由、原因を示すことになる。
太郎は、テスト結果が予想以上にわるかったので、悩んだ。
太郎が遅れたので、皆の出発が遅れた。
<余談>おわり
ii)確定条件
上述の<因果関係 - a)理由、原因を示す>の項参照。
2.<反>因果関係
通常の因果関係に反する場合の表現として逆接(逆説ではない)がある。
逆接は接続助詞<が>で
太郎は努力したがダメだった。
正しいと思っていたが間違いだった。
しかし
太郎は失敗したが花子は成功した。
太郎は行くが花子は行かない。
の<が>は逆接ではない。
また<余談>の前に書いた<ば>や<と>似たような意で接続もする。
急いで来て見たが(見れば、見ると)だれもまだ来ていない。
よく見たが(見れば、見ると)山田ではなく鈴木だった。
これだけあるが(あれば、あると)、十分。
はダメで
これだけあるが、十分でない(不十分)。
と逆接になる。
逆接が活躍するのは<も>だ。
やや古い言い方だが
努力するも無駄に終わった。
惜しくも二番めだった。
xx(名詞(体言)、形容詞、形容動詞)+でも
ダメでもいいからやってみる。
バカな太郎でもできる。リコウな花子でもできない。
美代子はきれいでも、みにくい花子に運動ではかなわない。(あまり論理的ではない)
この家は静かでも、駅から遠く不便だ。 (これもあまり論理的ではない)
xx 動詞の連用形+ても
この部屋は道路に面していても静かだ。
こんなに早くついても一番のりではなかった。
もう三時だ。どんなに急いでも間に合わない。
<も>が活躍するのは ”<も>と<は>” の違いでのべたように、<も>は別に何かがあることを暗示(to implicit)しており、いわば不定の助詞と関係がある。
何でも(だれでも、どこでも、いつでも、どれでも)いい。
どのようにでも(どうでも)してくれ。
あれも、これも
どれも、これも
これでもか、これでもか
<別に何かがあることを暗示して>いれば、予想外、普通の因果関係から外れた結果が出る可能性は高い。
<しかも>、<それでも>は接続詞。
sptt
<脚注>
奪格(ablative case)
From wiki
Ablative of place
Active motion away from a place is only one particular use of the ablative case and is called the ablative of place from which. Nouns, either proper or common, are almost always used in this sense with accompanying prepositions of ab/ā/abs, "from"; ex/ē, "out of"; or dē, "down from". E.g. ex agrīs, "from the fields"; ex Graeciā ad Italiam navigāvērunt, "They sailed from Greece to Italy."The whole to which a certain number belongs or is a part. E.g. centum ex virīs, "one hundred of the men"; quīnque ex eīs, "five of them."
Ablative of separation
A closely related construction is called the ablative of separation. This usage of the ablative implies that some person or thing is separated from another. No active movement from one location to the next occurs; furthermore, ablatives of separation sometimes lack a preposition, particularly with certain verbs like cáreō or līberō. E.g. Cicerō hostēs ab urbe prohibuit, "Cicero kept the enemy away from the city"; Eōs timōre līberāvit, "He freed them from fear."Ablative absolute
The circumstances surrounding an action. E.g. Urbe captā, Aenēās fūgit, "With the city having been captured, Aeneas fled." This is known as the ablative absolute.Ablative of personal agent
The agent by whom the action of a passive verb is performed. The agent is always preceded by ab/ā/abs. E.g. Caesar ā deīs admonētur, "Caesar is warned by the gods." This is known as the ablative of personal agent.Instrumental ablative
Some uses of the ablative descend from the Proto-Indo-European instrumental case.Ablative of instrument
The means by which an action was carried out. E.g. oculīs vidēre, "to see with the eyes". This is known as the ablative of means or of instrument, and is equivalent to the instrumental case found in some other languages. Special deponent verbs in Latin sometimes use the ablative of means idiomatically. E.g. Ūtitur stilō literally says "he is benefiting himself by means of a pencil"; however, the phrase is more aptly translated "he is using a pencil."Ablative of manner
The manner in which an action was carried out. The preposition cum (meaning "with") is used when (i) no adjective describes the noun E.g. cum cūrā, "with care," or (ii) optionally after the adjective(s) and before the noun E.g. magnā (cum) celeritāte, "with great speed." This is known as the ablative of manner.Ablative of attendant circumstances
Of kindred nature to this is the ablative of attendant circumstances "magno cum clamore civium ad urbem perveniunt" ("they reach the city to the great clamour of the populace")Ablative of accompaniment
With whom something was done. Nouns in this construction are always accompanied by the preposition cum. E.g. cum eīs, "with them"; Cum amīcīs vēnērunt, "They came with friends." This is known as the ablative of accompaniment.Ablative of agent
The ablative of personal agent can be more generalized when the agent is an inanimate object. In this case, the preposition ab/ā/abs is not used. E.g. rex a militibus interfectus est "the king was killed by the soldiers" with personal agents, but impersonally it reads rex armis militum interfectus erat "the king was killed by the weapons of the soldiers." This is known as simply the ablative of agentLocative ablative
Some meanings of the ablative descend from the Proto-Indo-European locative case.Ablative of time
The time when or within which an action occurred. E.g. aestāte, "in summer"; eō tempore, "at that time"; Paucīs hōrīs id faciet, "within a few hours he will do it." This is known as the ablative of time when or within which.Other ablatives
Other known uses of the ablative include the ablatives of cause, of comparison, of degree of difference, of description, of place where, and of specification. It is important to note that not all ablatives can be categorized into the classes mentioned above.Prepositions
Some Latin prepositions, like pro, take a noun in the ablative. A few prepositions may take either an accusative or an ablative, in which case the accusative indicates motion towards, and the ablative indicates no motion. E.g. in casā, "in the cottage"; in casam, "into the cottage".[1] The mnemonics "PASS DICE" and "SIDSPACE" help us to remember all of the common prepositions that use the ablative. They are: pro, ab, sub, sine, de, in, cum, and e(x).sptt