Wednesday, June 4, 2014

日本語の自動詞、他動詞-13 <休む>自動詞、他動詞 ?


<休む>は手もとの辞書(三省堂)では(自他)、すなわち<自動詞かつ他動詞>となっている。残念ながら、用例はあるが自他が分けられていない。<休む>の自他の区別はけっこう難しい文法上の課題のようだ。

私(花子)は今日会社(学校、仕事)を休む。

で<を>をとるので他動詞のようだ。この場合の<休む>の意味は、<通常行くべきところへ行かない>、または<通常すべきことをしない>。ただし<仕事を休む>は自営業以外は< 会社を休む>と同じような意味だ。<行く>、<行かない>は自動詞だ。英語では

I do not go to work (school) today.
Hanako does not go to work (school) today.

だろう。

他動詞そうなのは<休ませる>だ。

風邪気味なので花子学校休ませる。

だが<休ませる>は他動詞のようだが、他動詞と言うよりは使役形だ。

疲れたので体休ませる。

これは特殊で自分自身に対する使役形。何か変な感じで、結局のところ使役感は薄く<体休ませる>は<休む>と同じような意味になる。ところで、なぜ<何か変な感じ>なのかというと、普通は<休める>を使って

 疲れたので体休める。

と言うからだ。 <休める>は使役性が弱い他動詞で対応する自動詞は<休まる>。いわゆる<まる-める>の<自動詞-他動詞>対応だ。

<他動詞に使役をたすと自動詞化する?>という文法上の問いがあったが、以上はこの問いの回答の一つだ。

休まる - 休める
からまる - からめる
高まる - 高める (<高い>は形容詞)
弱まる - 弱める (<弱い>は形容詞)
(いくらでもある)

自動詞<休まる>は

しばらく横になると体休まる。

のように使う。

会社(学校、仕事)が休まる。

とは言わない。<休む>は<休ます>が、<休まる>は<休める>が対応し意味が違うようだ。

会社(学校、仕事)を休む。

に対して、会社(学校、仕事)が主語の

会社(学校、仕事)(は)休む。

は明らかにナンセンスで、自動詞ではないようだ。自動詞と他動詞の見分け方法の一つに受身形にするというのがある。

花子に会社を休まれて(は)困る。

これは意味はあるので<休む>は他動詞のようだが、この場合休む対象である会社は主語ではない。

会社は花子に休まれる。

はナンセンスだ。 したがって<休む>は自動詞か? ところで

会社は花子に休まれては困る。

の主語は何か? 誰が困るのか? 会社のようでもあり、会社に関係する誰か(人)のようでもある。

花子に花瓶を割られた。
花瓶は花子に割られた。(翻訳調)

も受身と言うよりは被害、迷惑の感じがある。
 
花子に花瓶を割られた。



花子が(は)花瓶を割った。

の被害、迷惑表現で、<花子が(は)花瓶を割った>でも<花瓶は花子に割られた>でも被害、迷惑感が出ない。もっとも<花子に花瓶を割られた>も<花子が(は)花瓶を割った>も<花瓶は花子に割られた>も事実は同じだ。

ところで<割る>は他動詞。自動詞は<割れる>だ。

花瓶が割れた。

落語(現実ばなれした話)みたいになるが、普通の状況では花瓶が自分で自然に、あるいは自分の意思で、割れるわけではない。だが

地震でガラスがたくさん割れた。

は現実ばなれした話ではない。

日本語の受身は往々にして被害、迷惑を表わし、自動詞も受身形になる、と言う大きな特徴がある。

太郎に突然来(こ)られて困った。

<来る>は自動詞。<長い道のり来る>という言い方があるが、これはいわゆる<を>をとる移動動詞(自動詞)、ということになっている。<を>をとる移動動詞については前々々回のポスト<日本語の自動詞、他動詞-12、移動動詞-2>でかなり長い中間報告をしておいた。

さて話は

会社(学校、仕事)を休む

に戻って、<休む>の反義語は<働(はたら)く>、<動く>だ。 <動く>は

ここ動くな

のように<を>をとることがあるが、自動詞。 <ここ動くな>は<ここから動くな>と言え、また<ここを(から)離れるな> と同じような意味だ。一方<働く>は<休む>と似たようなところがあり(自他)のようだ。<働く>は

私は(が)会社で働く。 (自動詞)
この箇所に力が働いている(力学)。 (自動詞)
悪事を働く。  (他動詞か?)

<休む>はいくつか違った意味があるが、基本的な意味は<働かない>、<働かなくなる>で否定表現になってしまう。これは<働く>を<休む>より基本的と見なしている。また<働かない>よりは<働かなくなる>が正確だ。なぜなら<休む>は<休む>前は<働いている>のが前提となっている表現だからだ。これは<止まる>、<止める>にも言えることで<止まる>、<止める>前は<動いている>ことが前提となっている表現だ。ここが<終わる>、<終える>と違うところだ。途中で<終わる>、<終える>のが<止まる>、<止める>だ。

動きが止まる。
機械が止まる。
時計が止まる。
車が止まる。

以上のうち<車が止まる>はやや複雑で、

自分が運手にしている車は<止まる>ではなく<止める>になる。だが、きわめて危険なことだが止めようともしないのに<止まる>ことがまれにある。いわゆる<エンコする>だ。 <エンコ>の語源は<エンジンが故障>するか?

関連する動詞としては漢語由来では<中止する>、<停止する>。大和言葉では

やめる (他動詞)
やむ (自動詞)  雨がやむ(止む)。 騒音がやむ。<やまる> は方言か。
よす (口語的、他動詞、自動詞?)

がある。

<やすむ>、<やめる>、<やむ>は音韻上も関係がありそう。

ya-mu
ya-me-ru
ya-(su)-mu
ya-(su)-ma-ru
ya-(su)-me-ru

さて再び<休む>の話にもどって、手もとの辞書から察せられるように<休む>は自他の区別が難しいが、<休む>の内容からしてなにか対象に働きかける感じは薄く、<休む>は自動詞性が高い。

会社(学校、仕事)を休む

を<を>をとる自動詞として解釈するには< 会社(学校、仕事)>を直接目的語的な対象とするのではなく場所と見るのだ(仕事はここでは仕事場と解釈する)。変な日本語になるが、

 会社(学校、仕事)休む

と解釈する。そして<休む>のは自分自身。<自分自身を休める>のだ。<自分自身を休める>と言うのも変な表現だが、<休める>決定をするのは自分自身でこの場合の<休める>は普通の他動詞、または上で述べた使役形と様相が違う。そこで<自分自身を休める>を自動詞とみなす。または再帰(自)動詞としてもいい。そして、下手な手品みたいになるが<自分自身を休める>を<休む>でおきかえることが出来るとする。これを言い換えれば

会社(学校、仕事)<自分自身を休める(=休む)

となる。だが、まだ変だ。下手な手品はまだ続いて<で>を<から>に換えてみると、

 会社(学校、仕事)から<自分自身を休める>。

になる。これは何とか意味が通じる。

会社(学校、仕事)を休む。

と比べると雲泥の差があるように見えるが、深層心理的には

会社(学校、仕事)を休む =  会社(学校、仕事)から離れて自分自身を休める

なのだ。

これで<休む>を自動詞とみなしておかしくなくなる。<離れて>の<離れる>は<xx から離れる>以外に

家を離れる
ここを離れる

のように日本語ではごく自然に<を>をとる自動詞だ。


(参考)

相良大独和辞典には次の例文がある。

mit etwas aufhören - あることをやめる(中止する、の意だろう) 

mit der Arbeit aufhören - 仕事をやめる(終わりにする、中断する、の意だろう) 

aufhören は自動詞。



sptt








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