2012年9月に<形容動詞の分類 - 3 xxそうな、xxような、xxらしい-第三のリトマス試験紙>というポストを書いている。形容動詞シリーズのひとつであまりまとまった内容でではないが形容動詞を中心に書いている。当時は<そうだ>、<ようだ>、<らしい>が助動詞扱いされているとは気づかなかった。<助動詞か?シリーズ>の三番目として<そうだ>、<ようだ>、<らしい>をとりあげて調べて見る。<xxx 第三のリトマス試験紙>のなかで<xxそうな>で
”
動詞につく - しそうな、やりそうな、来そうな、行きそうな、食べそうな
動詞の連用形につく。
”
と書いているが、<な>を断定の助動詞<だ>(終止形)に変えて
しそうだ、やりそうだ、来そうなだ、行きそうだ、食べそうだ
としておく。
<そうだ>は終止形について<連用形につく>場合と違った意味になる。
するそうだ、やるそうだ、来るそうだ、行くそうだ、食べるそうだ
連用形につく場合は<様子、様態>でもいいが<可能性(可能ではない)>、<推量>でもよさそう。一方終止形につく場合は<伝聞>。この違いは日本語動詞の活用の美しさと言える。伝聞は<xxと聞いている>といった意味だが、(暗に)不確かさを示している。この。伝聞<xxと聞いている>はおもしろい表現で、中国語では
听说(北京語)
聴講 (広東語)
でよく使われる。今再勉強中のイタリア語では
sentire dire
という表現がある。調べてみたが英語では<to hear say> というのが昔はあったようだ。
さて英語では likely というよく使われる形容詞、副詞がある。もとの like は動詞のto like <xxを好く>(こう言い方は日本語ではしないが、他動詞であるのを強調)のほか<xx のような(だ)、xx らしい>という意味もあり、 <そうだ>、<ようだ>、<らしい>すべてをカバーするスーパーワードだ。
1) Taro is likely to come here soon. (He seems to come here soon)
2) Taro likely comes here soon. (He seems to come here soon)
太郎はすぐ来るようだ、すぐ来るだろう。
2)-a) Taro likes driving a car.
2)-b) Taro likes chocolate.
3) Taro is just like a child. Taro behaves like a child.
太郎はまったく子どものようだ。 太郎は子どものようにふるまう。この3)の like は英語では前置詞扱いになっている。後に名詞(形)がつくからだ。Taro behaves as if he is a child. という言い方もある。
<そうだ>、<ようだ>、<らしい>の一つでも分析はやっかいそうだだが、ここでは敢えてまとめて三つに挑戦する。かなり長くなりそうだ。
<そうだ>、<ようだ>、<らしい>は見た目では助動詞らしくない。なぜなら対応する古語を調べてみると
そうだ <-- そう+だ <-- さう+だ <-- さ+う+だ
<さ>は大和言葉で、<さよなら>は<さ+よう+なら> 由来。<さ+よう+なら>は<その+よう+なら(ば)>といった意味で、<さ>は<こそあど>の<そ>に相当。<そう>は<そ+の+よう>の短縮形だろう。
そうだ <-- よう+だ <-- やう+だ <-- 様(yang)+だ
<よう>は9割がた漢語の<様>由来だろう。大和言葉では<さま>がある。
<綺麗だ>が形容動詞扱いされているので、類推さらには<綺麗で、綺麗だ、綺麗な>と同じような活用なので<ようだ>は形容動詞でもよさそう。
大和言葉の<そうだ>も<ようだ>の類推から形容動詞でもよさそう。
残る<らしい>は英語のlikely の意味と<らしくない、らしい、らしい、らしければ>の活用から形容詞でもよさそう。
だが以上が外見上のこと。内容、使われ方を検討しないといけない。
先ず接続についてだが、英語の助動詞の定義(助動詞かどうかを決める)の一つに助動詞の後に一般動詞の原形(不定詞)が付くというのがある。
I can go. I could go
I must go.
I will (shall) go. I would go.
I may go. I might go.
これは大原則で
I need to go. (I need go. はダメ)
I have to go.
の need、have to は意味としてはmust, should にちかく意味を重視した modal verbs (助動詞)という場合は助動詞扱いされる場合もあるようだが、助動詞の定義の一つは<一般動詞の原形(不定詞)がつく>動詞というのが明確でいい。意味は決して<助>ではないが形態上は主動詞の一般動詞に<to>なしで直接つくので<助動詞>というようだ。英語はある意味では特殊な西洋語で、動詞の原形(infinitive)は独立性が弱く、辞書の見出しではこの原形が出てくるが、辞書以外ではふつう動詞<to go>、<to move>、<to do>、<to have>、etc.、etc. と言ったり、書いたりする。これは<to 不定詞(infinitive)>という。これは<go、move、do、have>が名詞として使われることがあるためだろう。他の西洋語、ドイツ語、フランス語、イタリア語などでは原則として動詞の原形(infinitive)がそのまま(はだかのまま)で名詞で使われることはないため原形(infinitive)が、わざわざ断ることなく、そのまま動詞ということで使え、使われる。助動詞は<一般動詞の原形に直接付く>というのは英語だけでなくドイツ語、フランス語、イタリア語などでも同じ。I need to go. I have to go. 以外では
I am able to go. (able 動詞ではなく形容詞)
I want to go.
I like to go.
I desire to go.
I am obliged to go.
I ought to go.
I am likely to go. (likely 動詞ではなく形容詞)
などがある。modal という意味から離れれば
After walking fast I stopped to take a rest.
I stopped walking.
<to stop>という動詞のあとに<to 不定詞>がつく場合と動名詞(xxing>がつく場合の意味の違いは英文法で出てくる。英文法では出てこないが
I walked and stopped.
という単純なのがあろ。日本語では<歩いて(た)(そして)止まった>。
英語では動詞に直接つくから<助>動詞なのだが、日本語ではこの大原則はまあったく適用されない。 日本語では一般動詞が一般動詞にそのままついて<複合動詞>をいくらでも作れてしまうのだ。<複合動詞>は調べてみるとおもしろく、だいぶ前にいくつかのポストをかいた。
一般動詞が一般動詞にそのままついて<複合動詞>を作ると書いたが、活用をみると
1)歩いて止まる <歩く>の連用形+て+(もう一つの)動詞
と
2)歩き止まる <歩く>の連用形+(もう一つの)動詞
2)が複合動詞で1)は複合動詞ではない。どこが違うかというと、見れば(聞けば)あきらかだが、2)は
動詞の連用形 + 動詞
日本語の動詞には原形(不定詞、不定形)というのはないといっていい。終止形は活用の一つで<終止> を示す活用で原形ではない。語幹というのがある。<あるく>の活用をしない<ある>の部分のことだが、これは<動詞>の原形(不定詞、不定形)とは言えない。
<歩き止まる>はほとんど聞いたことがないので複合動詞とは言い難いが
言い止(と)まる(やめる)
雨が降り止まる(降りやむ)
は複合動詞と呼べるようだ。<止まる>は必ずしも言動の終結ではなくどちらかというと中断、中止。<終結>がらみの意の動詞は
終わる、終える -言い終わる、言い終える、し(やり)終わる、(し、やり)終える
食べ(飲み)終わる、食べ(飲み)終える、読み終わる、読み終える
やむ、やめる -言いやむ、言いやめる、とりやめる
尽きる、尽くす -言い尽きる、言い尽くす、読みつくす
切る -言いきる、やりきる、食べきる、読み切る
<とめる>はやや複雑で
<言い止める>、<せき止める>、< 射止める>の<<止める>は微妙に意味が違う。
<書き留める>は<書き止める>とは違うが関連語。<とどまる>、<とどめる>も関連語。このように日本語(大和言葉)は芋づるのようにからみ合っている。
一方<開始>がらみの動詞は
始まる、始める -言い始まる、言い始める、し(やり)始まる、(し、やり)始める
食べ(飲み)始まる、食べ(飲み)始める、読み始まる、わかり始まる
かける -言いかける、食べかける、 飲みかける、読みかける、わかりかける
出す -言い出す、しゃべりだす、し(やり)だす、食べだす、読みだす、わかりだす
上記のうち<尽(つ)きる>、<尽(つ)くす>、<切る(きる)>、<かける>、<出す(だす)>は元の意味から少しずれがあり<慣用用法>といえる。さらに意味が立てばどんな一般動詞にもつく。ここで注目したいのは
xx(動詞)連用形+きる
xx(動詞)連用形+だす
という<動詞+動詞>の複合動詞の構造と<元の意味から少しずれた慣用用法>、さらに<意味が立てばどんな一般動詞にもつく>ことで、<尽きる>、<尽くす>、<切る>、<かける>、<出す>は<ようだ>、<らしい>よりも動詞らしい助動詞候補だ。このような動詞は日本語ではけっこうあり、わたしは興味があって、少し調べいくつかポストを書いた。
私の手元の辞書(三省堂、新明解国語辞典)の巻末に助動詞(活用)表があり、この中に<そうだ>、<ようだ>、<らしい>がある。上記の<尽きる>、<尽くす>、<切る>、<かける>、<出す>の動詞らしい助動詞候補は辞書内では本動詞<尽(つ)きる>、<尽(つ)くす>、<切る(きる)>、<かける>、<出す(だす)>の説明の最後の方に<接尾語的に>という見出しで解説と例文が記載されている。<接尾語的に>は苦心の末の表現だろう。<的に>は<のように>という意味だろう。したがって<接尾語>とは言い切っていないのだ。以前のポストを参考にしてもいいが、今回は新しい発見があるかもしれないので、参考にせずに話をすすめる。
この<的に>は副詞形だが
<xx的で(ある)>で連用形
<xx的だ>で終止形
<xx的な>で連体形
で<xxのようだ>と同じ活用。だが直接動詞の連体形(*)にはつかない。
行くようだ、するようだ、来るようだ、起きるようだ、考えるようだ
行く的だ、する的だ、来る的だ、起きる的だ、考える的だ (ダメ)
(*)<よう>はもともと<名詞<様>なので、終止形ではなく連体形。
<接尾語的に>動詞はかなりある。以前のポストを参考にしてもいいが、今回は新しい発見があるかもしれないので、参考にせずに話を進める。
そこなう
もともとの意味は<損なう(害する、損傷させる、傷つける>。
やりそこなう、勝ちそこなう、成功しそこなう
過ぎる
やり過ぎる、行き過ぎる、使いすぎる、食べ過ぎる、飲み過ぎる、働きすぎる
足りない <足りる>の否定形(打消し)
やり足りない、食べ足りない、飲み足りない
残す
やり残す、食べ残す、言い残す
なおす(直す、治す)
もともとの意味は<損なわれたもの(こと)をもとの正常な状態に戻す>。
やりなおす、言い直す、食べなおす、飲みなおす
逃(のが)す
やり逃す、見逃す、聞き逃す、言い逃す
違う、違える
言い違う、行き違う、
言い違える、行き違える、聞き違える、見違える(*)、取り違える
(*)<見違える>は別の慣用的な意味もある。
かわる、かえる(代わる/える、変わる/える、替わる/える、換わる/える、返る)、
入れかわる、生まれかわる
言いかえる、取りかえる、着かえる、住みかえる、書きかえる、差しかえる、引きかえる、生きかえる
立つ、立てる
そそり立つ、
言いたてる、がなり立てる 、仕(し)立てる、泣き立てる
modal verb 的なのは<得(え)る>
<得る>は<xxを得る>で独立した一般動詞がある。<接尾語的に>動詞としては
言いえる - 言うことができる
まちがいえる - まちがう可能性がある。まちがえるかもしれない。<まちがう>、<まちがえる>という言い方がある。
勝ち得る - 勝つことができる
負けえる - 負けることがありえる(うる)
かねない <かねる>の否定形(打消し)。 <かねる>は漢字で<兼ねる>と書くので<xxを兼ねる>は<xxもする、でもある>と言った意味だ。
しかねない - するかもしれない、する恐れがある
言いかねない - いうかも知れない、言う恐れがある
負けかねない - 負けるかも知れない、負ける恐れがある
(ひょっとすると)勝ちかねない - (もしかすると)勝つかもしれない
<xxを兼ねない>はこの元の意味を維持しており、<動詞連用形+かねない>は相当進んだ慣用用法。
(*)<見違える>は別の慣用的な意味もある。
まだまだあるのだがここで<接尾語的に>について考えてみる。<接尾語>というと<何かの後につく語>ということで、さらに<接尾語>のあとには何かが続かず、それで終わりの感じがする。一方上で見てきた複合動詞の
一般動詞の連用形 + 一般動詞の慣用用法
の後半の<一般動詞の慣用用法>は<接尾語>の<語>というよりは<動詞>で、さらにそれで終わりといことはない。
やりそこなう -> やりそこなってしまった。
聞き逃す -> 聞き逃すことのないように。
言い違える -> 言い違えたのに気づいたら言い直せ。
したがってこれらの慣用用法の動詞はあくまで動詞で、<接尾語>とも<接尾語的に>(使われる)とも言い難い。問題はこれらは動詞で、動詞に直接つき、本動詞の意味に補助的な意味を加えるので、これらを助動詞と言えるか?だ。これまた助動詞とは言えないだろう。しかしながら、<そうだ>、<ようだ>、<らしい>はそれ以上に助動詞とは言えないのではないか。
まだ終わりではない。<らしい>は形容詞型だが、形容詞型の<接尾語的に>(使われる)語があるのだ。
がたい(難い)
言い難い
にくい
言いにくい、やりにくい、とっつきにくい、わかりにくい、行きにくい、見つけにくい
やすい
言いやすい、やりやすい、とっつきやすい、わかりやすい、行きやすい、見つけやすい
<にくい / やすい>は大体どんな動詞の連用形につき、意味も modal 的なところがある(可能 / 不可能)。
<にくい / やすい>の働き、使われ方はかなり<らしい>に近く、<らしい>が助動詞であれば、これらも助動詞といえるのではないか? だが、助動詞というよりは形容詞だ。
-----
動詞の連用形につく形容動詞型の<接尾語的に>語でおもしろいものに
xx がちだ(な)
がある。be likely to do でも表せるようだ。
動詞の連体形につく形容動詞型の<接尾語的に>(使われる)語でおもしろいものに
xx はずだ これまた be likely to do の意に近い。これは <xx はずな>とはならず xx はずの>なる。辞書では<形式代名詞的に>となっている。
がましい
押しつけがましい
<言い訳がましい>という言い方があるので<押しつけ>は<押しつける>の連用形ではなく、連用形の体言(名詞)用法か。
sptt
”
動詞につく - しそうな、やりそうな、来そうな、行きそうな、食べそうな
動詞の連用形につく。
”
と書いているが、<な>を断定の助動詞<だ>(終止形)に変えて
しそうだ、やりそうだ、来そうなだ、行きそうだ、食べそうだ
としておく。
<そうだ>は終止形について<連用形につく>場合と違った意味になる。
するそうだ、やるそうだ、来るそうだ、行くそうだ、食べるそうだ
連用形につく場合は<様子、様態>でもいいが<可能性(可能ではない)>、<推量>でもよさそう。一方終止形につく場合は<伝聞>。この違いは日本語動詞の活用の美しさと言える。伝聞は<xxと聞いている>といった意味だが、(暗に)不確かさを示している。この。伝聞<xxと聞いている>はおもしろい表現で、中国語では
听说(北京語)
聴講 (広東語)
でよく使われる。今再勉強中のイタリア語では
sentire dire
という表現がある。調べてみたが英語では<to hear say> というのが昔はあったようだ。
さて英語では likely というよく使われる形容詞、副詞がある。もとの like は動詞のto like <xxを好く>(こう言い方は日本語ではしないが、他動詞であるのを強調)のほか<xx のような(だ)、xx らしい>という意味もあり、 <そうだ>、<ようだ>、<らしい>すべてをカバーするスーパーワードだ。
1) Taro is likely to come here soon. (He seems to come here soon)
2) Taro likely comes here soon. (He seems to come here soon)
太郎はすぐ来るようだ、すぐ来るだろう。
2)-a) Taro likes driving a car.
2)-b) Taro likes chocolate.
3) Taro is just like a child. Taro behaves like a child.
太郎はまったく子どものようだ。 太郎は子どものようにふるまう。この3)の like は英語では前置詞扱いになっている。後に名詞(形)がつくからだ。Taro behaves as if he is a child. という言い方もある。
<そうだ>、<ようだ>、<らしい>の一つでも分析はやっかいそうだだが、ここでは敢えてまとめて三つに挑戦する。かなり長くなりそうだ。
<そうだ>、<ようだ>、<らしい>は見た目では助動詞らしくない。なぜなら対応する古語を調べてみると
そうだ <-- そう+だ <-- さう+だ <-- さ+う+だ
<さ>は大和言葉で、<さよなら>は<さ+よう+なら> 由来。<さ+よう+なら>は<その+よう+なら(ば)>といった意味で、<さ>は<こそあど>の<そ>に相当。<そう>は<そ+の+よう>の短縮形だろう。
そうだ <-- よう+だ <-- やう+だ <-- 様(yang)+だ
<よう>は9割がた漢語の<様>由来だろう。大和言葉では<さま>がある。
<綺麗だ>が形容動詞扱いされているので、類推さらには<綺麗で、綺麗だ、綺麗な>と同じような活用なので<ようだ>は形容動詞でもよさそう。
大和言葉の<そうだ>も<ようだ>の類推から形容動詞でもよさそう。
残る<らしい>は英語のlikely の意味と<らしくない、らしい、らしい、らしければ>の活用から形容詞でもよさそう。
だが以上が外見上のこと。内容、使われ方を検討しないといけない。
先ず接続についてだが、英語の助動詞の定義(助動詞かどうかを決める)の一つに助動詞の後に一般動詞の原形(不定詞)が付くというのがある。
I can go. I could go
I must go.
I will (shall) go. I would go.
I may go. I might go.
これは大原則で
I need to go. (I need go. はダメ)
I have to go.
の need、have to は意味としてはmust, should にちかく意味を重視した modal verbs (助動詞)という場合は助動詞扱いされる場合もあるようだが、助動詞の定義の一つは<一般動詞の原形(不定詞)がつく>動詞というのが明確でいい。意味は決して<助>ではないが形態上は主動詞の一般動詞に<to>なしで直接つくので<助動詞>というようだ。英語はある意味では特殊な西洋語で、動詞の原形(infinitive)は独立性が弱く、辞書の見出しではこの原形が出てくるが、辞書以外ではふつう動詞<to go>、<to move>、<to do>、<to have>、etc.、etc. と言ったり、書いたりする。これは<to 不定詞(infinitive)>という。これは<go、move、do、have>が名詞として使われることがあるためだろう。他の西洋語、ドイツ語、フランス語、イタリア語などでは原則として動詞の原形(infinitive)がそのまま(はだかのまま)で名詞で使われることはないため原形(infinitive)が、わざわざ断ることなく、そのまま動詞ということで使え、使われる。助動詞は<一般動詞の原形に直接付く>というのは英語だけでなくドイツ語、フランス語、イタリア語などでも同じ。I need to go. I have to go. 以外では
I am able to go. (able 動詞ではなく形容詞)
I want to go.
I like to go.
I desire to go.
I am obliged to go.
I ought to go.
I am likely to go. (likely 動詞ではなく形容詞)
などがある。modal という意味から離れれば
After walking fast I stopped to take a rest.
I stopped walking.
<to stop>という動詞のあとに<to 不定詞>がつく場合と動名詞(xxing>がつく場合の意味の違いは英文法で出てくる。英文法では出てこないが
I walked and stopped.
という単純なのがあろ。日本語では<歩いて(た)(そして)止まった>。
英語では動詞に直接つくから<助>動詞なのだが、日本語ではこの大原則はまあったく適用されない。 日本語では一般動詞が一般動詞にそのままついて<複合動詞>をいくらでも作れてしまうのだ。<複合動詞>は調べてみるとおもしろく、だいぶ前にいくつかのポストをかいた。
一般動詞が一般動詞にそのままついて<複合動詞>を作ると書いたが、活用をみると
1)歩いて止まる <歩く>の連用形+て+(もう一つの)動詞
と
2)歩き止まる <歩く>の連用形+(もう一つの)動詞
2)が複合動詞で1)は複合動詞ではない。どこが違うかというと、見れば(聞けば)あきらかだが、2)は
動詞の連用形 + 動詞
日本語の動詞には原形(不定詞、不定形)というのはないといっていい。終止形は活用の一つで<終止> を示す活用で原形ではない。語幹というのがある。<あるく>の活用をしない<ある>の部分のことだが、これは<動詞>の原形(不定詞、不定形)とは言えない。
<歩き止まる>はほとんど聞いたことがないので複合動詞とは言い難いが
言い止(と)まる(やめる)
雨が降り止まる(降りやむ)
は複合動詞と呼べるようだ。<止まる>は必ずしも言動の終結ではなくどちらかというと中断、中止。<終結>がらみの意の動詞は
終わる、終える -言い終わる、言い終える、し(やり)終わる、(し、やり)終える
食べ(飲み)終わる、食べ(飲み)終える、読み終わる、読み終える
やむ、やめる -言いやむ、言いやめる、とりやめる
尽きる、尽くす -言い尽きる、言い尽くす、読みつくす
切る -言いきる、やりきる、食べきる、読み切る
<とめる>はやや複雑で
<言い止める>、<せき止める>、< 射止める>の<<止める>は微妙に意味が違う。
<書き留める>は<書き止める>とは違うが関連語。<とどまる>、<とどめる>も関連語。このように日本語(大和言葉)は芋づるのようにからみ合っている。
一方<開始>がらみの動詞は
始まる、始める -言い始まる、言い始める、し(やり)始まる、(し、やり)始める
食べ(飲み)始まる、食べ(飲み)始める、読み始まる、わかり始まる
かける -言いかける、食べかける、 飲みかける、読みかける、わかりかける
出す -言い出す、しゃべりだす、し(やり)だす、食べだす、読みだす、わかりだす
上記のうち<尽(つ)きる>、<尽(つ)くす>、<切る(きる)>、<かける>、<出す(だす)>は元の意味から少しずれがあり<慣用用法>といえる。さらに意味が立てばどんな一般動詞にもつく。ここで注目したいのは
xx(動詞)連用形+きる
xx(動詞)連用形+だす
という<動詞+動詞>の複合動詞の構造と<元の意味から少しずれた慣用用法>、さらに<意味が立てばどんな一般動詞にもつく>ことで、<尽きる>、<尽くす>、<切る>、<かける>、<出す>は<ようだ>、<らしい>よりも動詞らしい助動詞候補だ。このような動詞は日本語ではけっこうあり、わたしは興味があって、少し調べいくつかポストを書いた。
私の手元の辞書(三省堂、新明解国語辞典)の巻末に助動詞(活用)表があり、この中に<そうだ>、<ようだ>、<らしい>がある。上記の<尽きる>、<尽くす>、<切る>、<かける>、<出す>の動詞らしい助動詞候補は辞書内では本動詞<尽(つ)きる>、<尽(つ)くす>、<切る(きる)>、<かける>、<出す(だす)>の説明の最後の方に<接尾語的に>という見出しで解説と例文が記載されている。<接尾語的に>は苦心の末の表現だろう。<的に>は<のように>という意味だろう。したがって<接尾語>とは言い切っていないのだ。以前のポストを参考にしてもいいが、今回は新しい発見があるかもしれないので、参考にせずに話をすすめる。
この<的に>は副詞形だが
<xx的で(ある)>で連用形
<xx的だ>で終止形
<xx的な>で連体形
で<xxのようだ>と同じ活用。だが直接動詞の連体形(*)にはつかない。
行くようだ、するようだ、来るようだ、起きるようだ、考えるようだ
行く的だ、する的だ、来る的だ、起きる的だ、考える的だ (ダメ)
(*)<よう>はもともと<名詞<様>なので、終止形ではなく連体形。
<接尾語的に>動詞はかなりある。以前のポストを参考にしてもいいが、今回は新しい発見があるかもしれないので、参考にせずに話を進める。
そこなう
もともとの意味は<損なう(害する、損傷させる、傷つける>。
やりそこなう、勝ちそこなう、成功しそこなう
過ぎる
やり過ぎる、行き過ぎる、使いすぎる、食べ過ぎる、飲み過ぎる、働きすぎる
足りない <足りる>の否定形(打消し)
やり足りない、食べ足りない、飲み足りない
残す
やり残す、食べ残す、言い残す
なおす(直す、治す)
もともとの意味は<損なわれたもの(こと)をもとの正常な状態に戻す>。
やりなおす、言い直す、食べなおす、飲みなおす
逃(のが)す
やり逃す、見逃す、聞き逃す、言い逃す
違う、違える
言い違う、行き違う、
言い違える、行き違える、聞き違える、見違える(*)、取り違える
(*)<見違える>は別の慣用的な意味もある。
かわる、かえる(代わる/える、変わる/える、替わる/える、換わる/える、返る)、
入れかわる、生まれかわる
言いかえる、取りかえる、着かえる、住みかえる、書きかえる、差しかえる、引きかえる、生きかえる
立つ、立てる
そそり立つ、
言いたてる、がなり立てる 、仕(し)立てる、泣き立てる
modal verb 的なのは<得(え)る>
<得る>は<xxを得る>で独立した一般動詞がある。<接尾語的に>動詞としては
言いえる - 言うことができる
まちがいえる - まちがう可能性がある。まちがえるかもしれない。<まちがう>、<まちがえる>という言い方がある。
勝ち得る - 勝つことができる
負けえる - 負けることがありえる(うる)
かねない <かねる>の否定形(打消し)。 <かねる>は漢字で<兼ねる>と書くので<xxを兼ねる>は<xxもする、でもある>と言った意味だ。
しかねない - するかもしれない、する恐れがある
言いかねない - いうかも知れない、言う恐れがある
負けかねない - 負けるかも知れない、負ける恐れがある
(ひょっとすると)勝ちかねない - (もしかすると)勝つかもしれない
<xxを兼ねない>はこの元の意味を維持しており、<動詞連用形+かねない>は相当進んだ慣用用法。
(*)<見違える>は別の慣用的な意味もある。
まだまだあるのだがここで<接尾語的に>について考えてみる。<接尾語>というと<何かの後につく語>ということで、さらに<接尾語>のあとには何かが続かず、それで終わりの感じがする。一方上で見てきた複合動詞の
一般動詞の連用形 + 一般動詞の慣用用法
の後半の<一般動詞の慣用用法>は<接尾語>の<語>というよりは<動詞>で、さらにそれで終わりといことはない。
やりそこなう -> やりそこなってしまった。
聞き逃す -> 聞き逃すことのないように。
言い違える -> 言い違えたのに気づいたら言い直せ。
したがってこれらの慣用用法の動詞はあくまで動詞で、<接尾語>とも<接尾語的に>(使われる)とも言い難い。問題はこれらは動詞で、動詞に直接つき、本動詞の意味に補助的な意味を加えるので、これらを助動詞と言えるか?だ。これまた助動詞とは言えないだろう。しかしながら、<そうだ>、<ようだ>、<らしい>はそれ以上に助動詞とは言えないのではないか。
まだ終わりではない。<らしい>は形容詞型だが、形容詞型の<接尾語的に>(使われる)語があるのだ。
がたい(難い)
言い難い
にくい
言いにくい、やりにくい、とっつきにくい、わかりにくい、行きにくい、見つけにくい
やすい
言いやすい、やりやすい、とっつきやすい、わかりやすい、行きやすい、見つけやすい
<にくい / やすい>は大体どんな動詞の連用形につき、意味も modal 的なところがある(可能 / 不可能)。
<にくい / やすい>の働き、使われ方はかなり<らしい>に近く、<らしい>が助動詞であれば、これらも助動詞といえるのではないか? だが、助動詞というよりは形容詞だ。
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動詞の連用形につく形容動詞型の<接尾語的に>語でおもしろいものに
xx がちだ(な)
がある。be likely to do でも表せるようだ。
動詞の連体形につく形容動詞型の<接尾語的に>(使われる)語でおもしろいものに
xx はずだ これまた be likely to do の意に近い。これは <xx はずな>とはならず xx はずの>なる。辞書では<形式代名詞的に>となっている。
がましい
押しつけがましい
<言い訳がましい>という言い方があるので<押しつけ>は<押しつける>の連用形ではなく、連用形の体言(名詞)用法か。
sptt
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