Monday, December 17, 2018

大和言葉<xxx らしい>と漢語<xxx (の)よう(様)だ>の対決


前回のポスト<長いがおもしろい形容詞 (xxxx しい)>で<xxx しい>形容詞を調べてみたが、調べてみているうちに<xxx らしい>と<xxx よう>との違いを調べたくなった。手元の三省堂辞書の末尾にある<助動詞>表では推量の<助動詞>として

xxx らしい (終止形)
xxx ようだ (終止形)  漢字の<様>の字がないので、純日本語(大和言葉)のように見える。

そのほかに

xxx べし (終止形)  <べし>は漢文でよく出てくるので漢語(中国語)のように聞こえるが、れっきとした大和言葉だ。 べからず(未然形)-べき(連用形)-べし(終止形)-べき(連体形)-べければ(仮定形、古語の已然形か?)という変形活用だ。
xxx まい (終止形)
xxx みたいだ (終止形)

が取り上げられている。<xxx みたいだ>は少し長いので<純>助動詞ではなく助動詞句>というべきか。辞書では<見たような>がなまって<みたい>になったとある。<みたい>の<い>に注目しよう。形容詞語尾ともいえる。そして<だ>がついた。

あなた、こどもみたい。
おまえ、こどもみたいだ。

<だ>はなくてもいい。これは<xxx ようだ>にもいえる。

まるで夢のよう。
まるで夢のようだ。

<だ>は断定というよりは付け足しのようだ。これはひとつのポイント。<xxx らしい>との対決のひとつのポイントだ。(ポイント-1)。

<xxx らしい>は古語<xxx らし>に現代語の形容詞語尾ともいえる<い>がついたものだ。一方<xxx (の)ようだ)>は上述のように漢語<様>由来。大和言葉では<さま>という読み方がある。<さま>は<様子(ようす)>の意に近い。<様>も<様子>も現代中国語でよく使われる。昔もよく使われていただろう。<らしい>は、意味的には<xxx しい>形容詞に似ているところがある。形容詞には<純>形容詞>ともいえる

白い、黒い、赤い、青い (昔は白し、黒し、赤し、青し、といった。)
長い、短い、高い、低い、大きい、小さい (昔は長し、短し、高し、低し、小さし、といった。<小さき家、とは言うが<大きき家>とは言わない。<大きなる家>か? これは<大きい>の<き>が形容詞連体形語尾<き>と続き語呂が悪いためだろう。)

などがあり、これらは直接的な形容で<xxx らしい>、<xxx のよう(な)>という間接的な形容ではない。直接的な形容の<純>形容詞>は簡単に間接的な形容になる。

白いらしい、黒いらしい、赤いらしい、青いらしい
長いらしい、短いらしい、高いらしい、低いらしい、大きいらしい、小さいらしい

白いようだ、黒いようだ、赤いようだ、青いようだ
長いようだ、短いようだ、高いようだ、低いようだ、大きいようだ、小さようだ

もちろん<白い>と<白いらしい>、<白いようだ>は意味が違う。<白い>が直接的な形容、<白いらしい>、<白いようだ>は間接的な形容だ。<間接的な形容>というのはあとででくるが、<xx にふさわしい>、<xx ににつかわしい)>、<xx に似ている>、<xx にほぼひとしい、同じ>といった意味を含んだ形容のことだ。

助動詞<らしい>、<ようだ>は動詞について

太郎は行くらしい。
太郎が行くらしい。
花子は来るらしい。
花子はが来るらしい。

これは文法用語では<推定>ということになっているが。辞書では<伝聞>の助動詞として<xxxそうだ>があるが、<らしい>は<伝聞>でもよさそう。<伝聞>は<伝え聞くところ(によると)>といった意味になる。<推定>も<伝聞>も背景には不確定、さらに一般化すると<不定>がある。<行く><来る>は動詞で、<らしい>は動詞の終止形(連体形かも)についている。<白いらしい>も<伝聞>といえるが、動詞ほどの<伝聞性>はなく<推定>、<不確定>の方がよさそう。接続では<らしい>は形容詞の場合も終止形(連体形かも)につく。

いっぽう<xxx ようだ> は

太郎は行くようだ。
太郎が行くようだ。
花子は来るようだ。
花子が来るようだ。

 微妙なところ(または個人差)があるが伝聞性が<らしい>より薄いか?しかし

(聞くところによると)太郎は行くらしい。
(聞くところによると)太郎が行くらしい。
(聞くところによると)花子は来るらしい。
(聞くところによると)花子はが来るらしい。

(聞くところによると)太郎は行くようだ。
(聞くところによると)太郎が行くようだ。
(聞くところによると)花子は来るようだ。
(聞くところによると)花子が来るようだ。

で問題ない。<聞くところによると>が伝聞を表わしてしまっているが、<ようだ>はこれと折が合わないというわけではない。

<らしい>については上で<終止形形(連体形かも)>と書いたが、<ようだ>についても同じようなことが言える。これは調べておく必要があるが、これは後まわしにする。やっかいなのは動詞も形容詞も終止形と連体形はほとんど同じことだ。また形容詞の場合

白らしい、黒らしい、赤らしい、青らしい

といえるが

長らしい、短らしい、高らしい、低らしい、大きらしい、小さらしい

はダメだ。

たとえば<白、黒、赤、青>+形容詞語尾<い>と分解できるが<なが、みじか、たか、おおき、ちいさ>+<い>は基本的に分解はだめだ。<なが、みじか、たか、おおき、ちいさ>は独立しておらず、名詞(体言)ではなく語幹といえる。一方<ようだ>の方は

白ようだ、黒ようだ、赤ようだ、青ようだ



長ようだ、短ようだ、高ようだ、低ようだ、大きようだ、小さようだ

もダメで

白いようだ、黒いようだ、赤いようだ、青いようだ
長いようだ、短いようだ、高いようだ、低いようだ、大きようだ、小さいようだ

と形容詞の終止形(または連体形)につく。

白ようだ、黒ようだ、赤ようだ、青ようだ

はダメだが

白のようだ、黒のようだ、赤のようだ、青のようだ

とは言える。これは<しろ>(名詞、体言)+<の>(助詞)+よう((名詞、体言)+だ

と分解できるだろう。一般には<AのB>(A、Bは名詞)で<Aの>+<助動詞>とは考えにくい。ここはひとつのポイント。(ポイント-2)

一方

形容詞の終止形、同じ形の連体形

長いのようだ、短いのようだ、高いのようだ、低いのようだ、大きいのようだ、小さいのいようだ

は外国人が言いそうだが、日本人としてはダメだ。これからすると形容詞の終止形、連体形は<の>につかない。外国人が言いそうなのはこれに関連している。

語幹+ようだ、語幹+のようだ

長(なが)ようだ、短(みじか)ようだ、高(たか)ようだ、低(ひく)ようだ、大きようだ、小さようだ

長(なが)のようだ、短(みじか)のようだ、高(たか)のようだ、低(ひく)のようだ、大きのようだ、小さのいようだ

これは全部ダメだ。

形容詞の連用形+(の)ようだ

白く(の)ようだ、黒く(の)ようだ、赤く(の)ようだ、青く(の)ようだ、
長く(の)ようだ、短く(の)ようだ、高く(の)ようだ、低く(の)ようだ、大きく(の)ようだ、小さく(の)ようだ、

で全部ダメ。形容詞の連体形の名詞(体言)化が働いていないようだ。

<白、黒、赤、青>+形容詞語尾<い>と分解できるが<なが、みじか、たか、おおき、ちいさ>+<い>は基本的にだめだ。<なが、みじか、たか、おおき、ちいさ>は独立しておらず、名詞(体言)ではなく形容詞の語幹といえる。

<らしい>は名詞(体言)にもつき

太郎らしい。
太郎は男らしい。
花子らしい。
花子は女らしい。

こんなバカなことをするとは(いかにも)<太郎らしい>。
(いかにも)<花子らしい>のは一年間遅刻なしであることだ。
次郎にはまだ<こどもらしい>ところがある。
美代子はまだ小さいこどもだが<おとならしい>ところがある。
三郎の行いは英雄らしい。
春子の立ち振る舞いは女王らしい。

以上は<推定>とも<伝聞>とも違う。言い換えになってしまうが<xx にふさわしい>、<xx につかわしい>、<xx にひとしい>、<xx に似ている>、<xx と(に)ほぼ同じ>といった意味だが、一般的に考えられている(想定されている)もの、ことと比べての表現だ。<xx に似ている>、<xx と(に)ほぼ同じ>以外は形容詞で、この場合の<らしい>は一般化された形容詞に近い(追記参照)。英語では childish と child-like の区別があるが、日本語では<こどもらしい>となる。<こどもじみた>はchildish に近い。

<(の)ようだ>に置き換えてみる。

太郎のようだ。。
太郎は男のようだ。
花子のようだ。
花子は女のようだ。

どうも<らしい>とは意味がちがってくる。続ける。

1.こんなバカなことをするとは(いかにも)<太郎ようだ>、<太郎のようだ>。
2.(いかにも)<花子ような>、<花子のような>のは一年間遅刻なしであることだ。
3.次郎にはまだ<こどもような>、<こどものような>ところがある。
4.美代子はまだ小さいこどもだが<おとなような>、<おとなのような>ところがある。
5.三郎の行いは<英雄ようだ>、<英雄のようだ>。
6.春子の立ち振る舞いは<女王ようだ>、<女王のようだ>。

<ようだ>はすべてダメ。<のようだ>は1と2はだめだが3-6はOK.これは<のようだ>には<xx にふさわしい>、<xx に似ている(につかわしい)>の意が自分自身には適用されないためだろう。

以上をまとめて やまとことば<xxx らしい>と漢語<xxx (の)様(よう)>の対決の結果をだすと。
 
ポイント-1

<xxx ようだ>の<だ>はなくてもいい。。

まるで夢のよう。
まるで夢のようだ。

<だ>は断定というよりは付け足し(のよう)だ。

少しややこしくなるが<きれい>という言葉がある。最後に<い>があるので形容詞のように見える(聞こえる)。

花子きれい。
花子は(が)きれい。
花子はきれいだ。

花子うつくしい。  (昔は<花子うつくし>と」言っていた。)
花子は(が)うつくしい。

上記例はどれもまちがいなさそうだ。だが<うつくしい>が形容詞の終止形であるのに対して、<きれい>はいわゆる形容動詞で<きれいだ>が終止形なのだ。しかし<きれい>は漢語の<綺麗>で中国語では名詞にも形容詞にもなる。輸入した日本では形容動詞の語幹といえ<静かだ>の<静か>相当。だが名詞(体言)としても意味をなす。<花子=綺麗(美)>と言ったところだ。 これに<だ>がつくと、この場合は<花子=綺麗(美)なのだ>と断定、強調が加わる。一方<うつくしいだ>はあきらかにまちがい。

<よう>、<ようだ>の方は、繰り返しになるが

まるで夢のよう。
まるで夢のようだ。

<だ>は断定というよりは付け足し(のよう)だ。

付け足しだ。



付け足しのようだ。

の違いは< 付け足しのようだ>の方は<付け足し、にほぼ同じ、等しい>といった意味だ。<付け足しだ>の<だ>は断定でもいいが断定の意は薄い。これは<ほぼ同じ、等しい>という内容も影響しているようだが、<ようだ>が形容動詞になっていて<ようだ>の<だ>は形容動詞の終止形語尾になっているといえないか。日本語では<綺麗だ>も形容動詞だが<綺麗>の意が強く残っているのに対しで<よう>はもとの漢語<様>の意が<綺麗>ほど強く残っていない。<様>は現代中国語では

A和B一様。 AはBと同じ。AはBに等しい。 または、AはBと同じようだ。

中国の常(つね)で<一様>は名詞にも形容詞にもなるが、形容詞とすると日本語では<AはBに等しい>が対応する。

ポイント-2

白のようだ、黒のようだ、赤のようだ、青のようだ

とは言える。これは<しろ>(名詞、体言)+<の>(助詞)+よう((名詞、体言)+だ

と分解できるだろう。一般には<AのB>(A、Bは名詞(体言))で<Aの>+<助動詞>とは考えにくい。

<らしい>はこのような分解ができない。

白らしい (白のらしい-ダメ)
白いらしい <白いのらしい>はいいが、<の>は助詞ではなく<モノ、コト>を示すいわば代名詞だ。

逆に言うと<らしい>は助詞<の>なしでスムーズにつながるということだ。 大和言葉<xxx らしい>と漢語<xxx (の)ようだ>を対決と考えると、<らしい>は<(の)ようだ>にかなり浸食されてはいるがそこそこがんばっているといえる。すみ分けはうかがえるが、そのまま置き換えができる重なる部分は少なくない。

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追記

このポストを書き始めたのは<xxx らしい>と<xxx (の)ようだ>の対比もあるが、前回のポスト "
長いがおもしろい形容詞 (xxxx しい)" と関連がある。前回のポストでは<xxxx しい>型形容詞について書いたが、いくつかは<xxxx らしい>で独立した形容詞になっている。

愛らしい (漢語由来)
あほらしい (関西方言)
いやらしい 
きたならしい (きたない)
ばからしい
わざとらしい

また、上でも書いたが、全般的に<xx い>型の<純>形容詞が直接的な形容であるのに対し<xxxx しい>型形容詞は全般的に間接的な形容だ。<間接的な形容>というのは具体的には<xx にふさわしい>、<xx につかわしい>、<xx にひとしい>、<xx に似ている>、<xx と(に)ほぼ同じ>、<よう>をつかえば<xxxx のようなだ>といった意味を持った形容のことだ。一部例をあげれば(あ行のみ)

あぶなっかしい (あぶない)
あらあらしい  (荒い、粗い)
いさましい
いそがしい
いたいたしい
いたましい
いとわしい
いまいましい
いまわしい
いらだたしい
うたがわしい
うらめしい
うらやましい)
おそろしいおとなしい
おもおもしい


AはB(だ)。AがB(だ)。

は基本的に

A = B

で<コプラ(copula)。<繋辞>という漢語があり、いわば<つなぎの語>。日本語では英語と違って<A is B>と一語(is)で<=>を表せない。<は>は助詞。<だ>は助動詞。英語の is (be) は動詞だ。一方<xxx らしい>と<xxx ようだ>は助動詞だが、<AはBらしい>、<AはBのようだ>は<Aほぼ=B>。英語では

A is almost B.
A is almost same as B.
A is almost equal B.
A is almost equal to B.
A is almost equivalent to B.
A is like B.
A is similar to B.
A is analogous to B.

などがあるが、is のあとはlike を除き形容詞だ。almost はその形容詞を修飾する副詞。same は<xx と同じ>と訳すが same の後は as になる。same は形容詞。like はそのまま使える。like は前置詞ということになっている。その他の形容詞は equal を除くとあとに to がつく。 なぜこんなことを言うのかというと、<xxx らしい>、<xxx (の)ようだ>は助動詞だが、意味としては<xxxxしい>型の形容詞に近い、ということを言いたいためだ。


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