Monday, September 20, 2021

ロシア語と日本語の相違 -2 発音 (日本語の拗音とロシア語の軟子音)

<ロシア語と日本語の相違>(2013年ポスト)の始めに


1)発音

似ているとはいえないが、 ロシア語の子音と母音で日本語の発音はほぼ出来る。逆はダメで、L(л) と R(Р) の区別がある。F(ф)、V(B)の発音がある。 (  ) 内はロシア文字。

ロシア語はソフトな濁音が多い。

ざ、じ、ず、ぜ、ぞ
だ、ぢ、づ、(ぜ)、(ぞ)
じゃ、じゅ、じょ
ぢゃ、ぢゅ、ぢょ

ラヂオはラヂオ(радио)。 英語の<di>はなく、<ぢ>に近い音となる。日本語と同じく英語の<du>、<ti>、<tu>の発音はなく、それぞれ

du - <じゅ>、<ぢゅ>にに近い音
ti -  <ち>に近い音
tu - <ちゅ>に近い音

となるようだ(後日再検討)

時間が相当経過しているが、<後日再検討>する。最近またロシア語をかじり始めた。 発音は文字で書いたものを読むのは非効率で、間違いも多い。耳で聞く方がよっぽど効率がいい。これは、私の経験から、<中国語の発音を日本で本を読んで理解しようとしていた>のと<実際中国に来て(行って) 生(なま)の中国語の発音を<耳で聞いて真似(まね)する>のとを比較すると効率、正確さで雲泥のさがある。ロシア語も同じだと思うが、ロシア語圏の国に行く機会はないので、ロシア語辞典(露英-英露辞典)の説明と<録音再生を聞いて>を参考に話を進める。

上で<ロシア語はソフトな濁音が多い(. . . . となるようだ)>と書いているが、今度調べてみたら大雑把には間違いはないようで、安心している。Berlitz の露英-英露辞典(Berlitz Compact Dictionary (Russian-English/English-Russian)の始めにアルファベットと発音の解説がある。ロシア語の場合英語を知っていてもロシア語のアルファベットと発音の理解にはあまり役立たない。場合によっては発音は日本語が助けになるようだ。今回この<日本語が助けになる>らしきものを発見した。

Berlitz の露英-英露辞典では(他の解説も多分同様だろう)ロシア語の発音にはハード(hard)とソフト(soft)があると書いてある。ネットで少し調べてみたが、Wiki日本語版は、硬音、軟音が出てくるがあまり参考にならない。 


東京外国語大学言語モジュール-ロシア語

の子音の解説の始めに (http://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/ru/pmod/practical/01-02-00-01.php)


ロシア語の子音は34個ありますが,子音を表す文字は21個しかありません。その理由は34個の子音のうち24個が,「硬子音」・「軟子音」というペアをつくっていて,各ペアに1つの文字しか与えられていないからです。
1.1で,ロシア語の母音は5つしかないのに,母音を表す文字は10個あり,硬母音字と軟母音字という2つの系列があると述べたことを思い出してください。硬子音は,子音字の後に硬母音が綴られるか,子音の前ないし語末ならば後に何も綴られないことによって表されます。それに対して軟子音は,子音字の後に軟母音字が綴られるか,子音の前,ないし語末ならばь(軟音記号)が綴られることによって表されます。例えば,таや-т は硬子音を表しますが,тя や-тьは軟子音を表します。(ここがわかりにくい方は末尾(注)参照) さて,今まで「硬子音」,「軟子音」と何の説明なくお話しをしてきましたが,硬子音,軟子音とは一体どのような音なのでしょうか。硬子音をいわば「普通の子音」とすると,軟子音は「イの音色を帯びて発音される子音」のことを指します(硬子音はそのような音色を帯びずに発音される子音です)。日本語には「拗音(ようおん)」という音のグループがあり,マに対してミャ,ナに対してニャ(ミャ,ニャが拗音)という対立があります。直感的に分かりやすいように,この日本語の拗音の発音を,ロシア語の軟子音の発音と考えてみましょう。日本語のミャ,ニャを発音してみて下さい。マ,ナを発音する時より舌が上あごの方に盛り上がっているのがお分かり頂けると思います。ロシア語の軟子音も同じように,舌を上あごの方に盛り上げて発音します。子音にイの音色を帯びさせるのが,この舌の盛り上げです。
なお,以下の練習問題で使われている単語の母音の上には ´ という記号がついていることがありますが,これは1.5で説明するアクセント記号です

” 

と書いてある。この説明はわかってしまえばいい説明なのだが、わかりにくい人にはアンチョコのような追加説明が必要だ。

<拗音>は聞きなれない言葉だが、何のことはない

マに対してミャ,ナに対してニャ(ミャ,ニャが拗音)

のことなのだが、これは日本語の隠れた特徴といえる。このポストの読者もそうだと思うが、私が小学生低学年のときに、

あいうえお、かきくけこ . . . . .  (行)

あかさたな、はまやらわ . . . . . (列、段)

に加えて

(イャ、イュ、イョ、これは<ヤ、ユ、ヨ>になる)
キャ、キュ、キョ
シャ、シュ、ショ
チャ、チュ、チョ
ニャ、ニュ、ニョ
ヒャ、ヒュ、ヒョ
ミャ、ミュ、ミョ
(ヤ、ユ、ヨ)
リャ、リュ、リョ 
(ウィャ、ウィュ、ウィョ、これは練習しなかったと思う)

さらには濁音もある。

ギャ、ギュ、ギョ
ジャ、ジュ、ジョ
(ヂゃ、ヂュ、ヂョ これは上の<ジャ、ジュ、ジョ>と区別がなくなっているので、練習させられなかったと思う)
ビャ、ビュ、ビュ

さらに

ピャ、ピュ、ピュ

を念仏のように唱えさせられた記憶がある。この念仏ののような口(くち)練習だけで、なぜか例語の発音練習をした記憶はなく、<発音ができればよし>だったようだ。今考えると、教科書かプリント(副教材)にはあるが。先生もなぜこんな練習させるのかよくはわかったなかったのではないか。 

上で<ロシア語の軟子音も同じように,舌を上あごの方に盛り上げて発音します。子音にイの音色を帯びさせるのが,この舌の盛り上げです。>とある。

<イ>音は舌(後部あるいは奥部))に力を加えて上に持ち上げるのでやや<ハード>な(きつい)発音だが、耳に聞こえるのが<ソフト>な音なのか?

 Wikiで追加説明すると

Wiki日本語



口蓋化(こうがいか、: palatalization)または硬口蓋化とは、子音調音点調音されると同時に、前舌面が硬口蓋に向かって盛り上がって近づく現象のことである。母音[i](イ)と調音器官の形が似ている。

  この図は中国語版Wiki


(中略)

口蓋化が起きる原因は、口蓋化の起きる音に続く音による。一般的には、i/e の前で口蓋化が起きやすい。口蓋化は世界中の言語で見られる現象である。

特にスラヴ語派(ロシア語はスラブ語派、sptt注)では、ほぼ全ての子音で口蓋化音(軟音)と非口蓋化音(硬音)が対立した別音素であり、またこの語派の大きな特徴のひとつである。キリル文字では、母音を伴う口蓋化した子音を表すのに軟母音を用い、母音を伴わない口蓋化した子音を表すのに軟音符を用いる。昔のひとは耳がよかったといえるが、言葉を増やすためにはこのような区別が有効なのだ。

(中略)

日本語

日本語では、母音 /i/ が後続する子音および拗音の子音で口蓋化が常に起きる。言い換えれば、五十音表でイ段になる仮名に口蓋化が発生する。具体的にいえば、「キ」、「シ」、「チ」、「ニ」、「ヒ」、「ミ」、「リ」、「ギ」、「ジ」、「ヂ」、「ビ」、「ピ」といった仮名(「キャ」「シュ」「チョ」などの拗音も含む)では、その子音が常に口蓋化している。なお、サ行、タ行とそれらの濁音では、口蓋化が進んだ結果として口蓋化子音は非口蓋化子音とは別の音素になっており、ダ行の口蓋化子音はさらにザ行の口蓋化子音へと合流する変化が起きている。

日本語の口蓋化(サ行の例)

母音/a//i//u//e//o/ 口蓋化していない サ /sa/ スィ /si/ ス /su/ セ /se/ ソ /so/ 口蓋化している シャ /ɕa/ シ /ɕi/ シュ /ɕu/ シェ /ɕe/ ショ /ɕo/


1)<Berlitz の露英-英露辞典>では palatalization = soft と説明されている。

2)紛(まぎ)らわしいのは<口蓋化または硬口蓋化>でここでは<硬>の字が使われている。

3)特にスラヴ語派(ロシア語はスラブ語派、sptt注)では、ほぼ全ての子音で口蓋化音(軟音)と非口蓋化音(硬音)が対立した別音素であり、またこの語派の大きな特徴のひとつである。

という説明がある。ここが大きなポイント。ロシア語学習ではこれを理解し、聞き分け発音できるようにしないとけない。

上の表では

シャ /ɕa/シ /ɕi/シュ /ɕu/シェ /ɕe/ショ /ɕo/

となっているが、小学校での練習は

シャ、シュ、ショ

で<シェ>がない。

シャ - 漢字では者、社、車、斜、謝などがある。シャクだと借、尺、釈などがる。シャボン玉というのがある。<シャックリ>というのもある。これは辞書によれば<しゃくる(シャクル)>由来。擬態語っぽいのでは<シャシャリ出る>、<ムシャクシャする>、<シャンとする>、<シャキットとする>というのがある。擬態語ではシャンシャン、シャキシャキがある。外来語ではシャツ、キャベツ、シャンペン、シャンデリア。

日本語の<シ>は軟音で、これに対する硬音は<si>(<スィ>ではない)で、これは日本語にない。英語の sister は<シスター>ではない。英語の think を<シンク>と発音すると、通(つう)じるが英語母国語人には耳障りだろう。気取って<sink>(<スィンク>ではない>と発音すると、これは<沈
む>の意味になってしまう。
<シ>は<サ、シ、ス、セ、ソ>の<サ行>のなかでは例外。厳密にいえばサ行ではなく、シャ、シ、シュ、シェ、ショ>の<シャ行>の<シ>なのだ。 これは後から出て来る<タ行>の<チ>と<ツ>にも当てはまる。
中国語でよく聞き、よく使う語に<是>があるが北京語(普通語)の発音は shì でかなりの硬口蓋化音の<シー>だ。だが南方や台湾ではあらたまなければ<スー>と発音する。中国語圏の<スースー弁>と言える。 個人差もあろうが、私の耳にはこの<是、スー>は聞きずらい。

シュ: 漢字では主、種、手、酒、取などがある。シュウだと周、州、集、修などがある。シュクだと宿、祝、淑などがある。シュツだと<出>がある。出発は<シュッパツ>となる。シュンだと瞬、春、俊などがある。

シェ: 日本語漢字ではこの音はなさそうだ。だから小学校では練習しないのだろう。シェフはフランス語か。中国語の<謝謝>はシェ―シェ―だがピンインはshìeshìe ではなく xièxie で<shi>と<xi>は微妙に違う。<x>は英語のエックスとは関係ない。

ショ: 漢字では初、所、書、諸、暑などがある。ショウだと小。商、称、賞などがある。ショクだと食、植、触、職などがある。ションは日本語漢字ではこの音はなさそうだ。<小便>のなまりの<ション便>、<立ちション>というのがある。擬音語ではビショビショ。擬態語ではワッショイワッショイ、ヨッコイショ。 

以上は日本語の口蓋化(サ行の例)の例だが、ロシア語でもこれらがある。上の日本語の説明はややこしいが、このような音は、口蓋音、拗音、ソフト音として意識しては使っていないが、かなりあるので、ロシア語の hard音 と soft (palatalization) 音の区別に役立つ。

この<サ行>のパターンが一般的なものかどうか調べてみる。

<サ行>の濁音<<ザ行>

ジャ、ュ、

で<ジェ>がない。

ジャ: <じゃー、また>という言い方ある。この<じゃー>は<ではまた>の<では>のなまり。漢字では蛇、邪がある。<者>はにごると<ジャ>になる。忍者、賢者。惹起は<ジャッキ>と読む。ジャクだと<弱>がある。ジャンでは麻雀の<雀>、ジャンケンの<ジャン>がある。<ジャンケン>の語源は不明。擬態語ではジャンジャンがある。<オジャンになる>という言い方もある。パチンコ台の音は<チンジャラ>。ジャラジャラ。ジャリジャリは砂利(ジャリ)由来だろう。モジャモジャ。外来語ではジャック、ジャンプ、ジャングル。<ジャガイモ>は多分<ジャガタライモ>で<ジャガタラ>はジャカルタのようだ。

日本語の<ジ>は軟音で、これに対する硬音は<zi>(<ズィ>ではない)で、これは日本語にない。英語の zinc は<ジンク>ではない。

ジュ: 漢字では樹、需、受、授などがある。ジュウだと十、充、従、住、重、銃などがある。ジュクだと<熟する>、(半)熟>、がある。ジュツだと術、述がある。ジュンだと純、準、順、潤などがある。外来語ではジュース、ジュリエット。

日本語の<ジ>はは軟音。

ジェ: 日本語漢字ではこの音はなさそうだ。外来語ではジェット機、ジェスチャー、ジェネラルマネ(-)ジャーなどがある。これは昔は<ゼネラルマネ(-)ジャー>と言っていた。<ゼネラル>とい長い歴史の会社がある。<ジャ、ュ、ョ>の練習では<ジェ>音がない。

<ザ、ジ、ズ、ゼ、ゾ>では<ジ>だけが軟音でこれは<サ、シ、ス、セ、ソ>と同じ。

ジョ: 漢字では序。徐、女、助などがある。ジョウだと上、状、乗、城、情、場などがある。ジョクだと<侮辱>の<辱>がある。ジョンは日本語漢字ではこの音はなさそうだ。<津軽じょんがら節>というのがある。外来語でジョン(男の名前)。擬態語では<ジョキジョキ切る>があるがこれは<ヂョキヂョキ>が正しいようだ。

以上は日本語の口蓋化(サ行の例)の例だが、ロシア語でもこれらがある。うえの日本語の本語の<拗音>の説明はややこしいが、このような音は、口蓋音、拗音、ソフト音として意識しては使っていないが、かなりあるので、ロシア語の hard音 と soft (palatalization) 音の区別に役立つ。

この<サ行、ザ行>のパターンが一般的なものかどうか調べてみる。

口蓋化、カ行、ガ行の例

キャ、キュ、(キェ)、キョ

キャ: 漢字では<キャ>だけの漢字はなく、脚、客(キャク)の<キャ>などがある。<却下>は<キャッカ>で<キャッ>になる。擬態語ではキャーキャー、キャンキャンがある。外来語ではキャンデー(ディー)、キャラメル。キャメラ(カメラ)、キャプテン。

<キ>は軟音。

キュ: 漢字では<キュ>だけの漢字はなく、<キュー、キュウ>で、九、級、急、球などがある。<キュク><キュン>と読む漢字はない。擬態語ではあまり聞かないがキューキュー、キュンキュンがある。外来語ではキューピット、キュート。

キェ: 日本語漢字ではこの音はなさそうだ。擬態語でも外来語でもに見あたらない。だから小学校では練習しないし、しなくてもいい。漢字の読みも含めて、<キェ>の発音は日本語に存在しないようだ。

キョ: 漢字では巨、居、拠、挙などがある。キョウだと<今日>がある。これは漢語由来か大和言葉か?<今日>以外では共、教、京などがある。キョクだと曲、極、局がある。キョンは日本語漢字ではこの音はなさそうだ。擬態語では<キョロキョロする>がある。

濁音

ギャ、ぎュ、(ギェ)、ギョ

ギャ: 漢字では<ギャ>だけの漢字はなく、<ギャク>は逆、虐がある。擬態語ではギャーギャーがある。外来語ではギャング、ギャンブル、ギャル(Gal <- Girl)

日本語の<ギ>は軟音。

ギュ: 漢字では<ギュ>だけの漢字はなく、<ギュー、ギュウ>で牛がある。<牛耳る>は<ぎゅうじる>と読むが、<うしの耳>は何か?<ギュク>、<ギュン>と読む漢字はない。擬態語ではギューギュー(詰め)。

ギェ: 日本語漢字ではこの音はなさそうだ。擬態語でも外来語でも見あたらない。漢字の読みも含めて、<ギェ>の発音は日本語に存在しないようだ。

ギョ: 漢字では魚、漁、(制)御がある。ギョウだと行、業、暁、凝などがある。ギョクだと玉がある。ギョンは日本語漢字ではこの音はなさそうだ。擬態語では<ギョロギョロ見る>、ギョロ目がある。 

口蓋化、タ行、ダ行の例

タ行は

タ(ta)、チ(chi)、ツ(tsu)、テ(te)、ト (to)

タ(ta)、ティ(ti)、トゥ(tu)、テ(te)、ト (to)

と比較するとチ(chi)、ツ(tsu)が曲者(くせもの)。

チ(chi)が口蓋音(硬口蓋音、拗音、soft音)。ツ(tsu)はかなりの特殊音で、私が住む香港の香港人(広東語が母国語)の多くは<富士通>の<通、つう>を<チュウ、chu))と発音する。ツ(tsu)は舌の位置チェックしてみると


 

ではない。

チャ、ュ、(ェ)、 

チャ: 漢字では茶がある。炒飯を<チャーハン>と言うが<炒麺>は<チャーメン>ではなく<焼きそば>になる。<チャク>では<着>がある。<チャウ>、<チャン>はない。擬態語らしいのでは<チャンとする>、チャンチャンコ。チャンバラ、チャンチャンバラバラしわクチャ、クチャクチャ、グチャグチャ、ピチャピチャ、メチャクチャ、ムチャクチャ。 外来語ではチャンピオン、チャンス、チャレンジなど。

日本語の<チ>は軟音。

チュ: 漢字では<チュ>だけの漢字はなく、<チュー、チュウ>で中、注、駐、忠などがある。<チュク>、<チュン>、と読む漢字はない。擬音語ではチューチュー(ネズミ)、チュンチュン(スズメ)。擬態語ではクチュクチュ(くすぐる)がある。外来語ではチューリップ。

チェ: 日本語漢字ではこの音はなさそうだ。擬音語、擬態語では<チェ(-)、それだけか>と言う。外来語ではチェンジ、チェック。チェス。

チョ: 漢字では貯、著などがある。チョウだと長、超、蝶、庁、兆、腸などがある。チョクだと直、勅がある。<チョクチョク(来る)>は擬態語か。<チョン>の音は日本語漢字ではなさそうだ。<ちょんまげ>の<チョン>は語源不詳。<チョンボ>は麻雀用語という。<バカチョン>は<バカでも、チョンでも>の略だが、この<チョン>は中国語か韓国語由来だろう。擬態語ではチョロチョロ、チョビチョビ、ビチョビチョ(ビショビショのなまり)、グチョグチョがある。

濁音

ヂャ、ヂュ、(ヂェ)、

これは

ジャ、ュ、ジェ)、

と区別がつかなくなっている。 


口蓋化、ナ行の例

ニャ、ニュ、ニェ)、

ニャ: <ニャー>、<ニャウ>、<ニャク>、<ニャン>と読む漢字はない。擬音語で<ニャーニャー、ニャンニャン(ねこ)>がある。コンニャクという食べ物があ。外来語もなさそう。猫の鳴き声を出すためと<コンニャク>と言うために<ニャ、ニュョ>の<ニャ>発音練習をするのか。 

<ニ>は軟音。

ニュ: 漢字では<ニュ>だけの漢字はない。<ニュウ>では入、乳、<柔和<の<柔>がある。<ニュク>、<ニュン>と読む漢字はない。擬態語で<首をニューと出す>と言う言い方がある。外来語でニューヨーク、<おニュウ(new)の服>。

ニェ: 日本語漢字ではこの音はなさそうだ。擬音語、擬態語もなさそう。外来語もなさそう。

ニョ: <ニョ>と読む漢字はない。<ニョウ>では尿がある。<ニョク>、<ニョン>と読む漢字もない。擬態語では<ニョキニョキ伸びる>

口蓋化、マ行の例

ミャ、ュ、ェ)、

ミャ: <ミャー>、ャウ>と読む漢字はないャク>は脈がある。ャン>と読む漢字もない。<ミャ>の擬音語、擬態語も見当たらない。外来語ではミャンマー(国名)がある。これまたなぜ<ミャ、ミュョ>の発音練習をするのか。脈>を発音するためか?

<ミ>は軟音。

ミュ: 字では<ミュ>だけの漢字はない。<ミュウ>、<ミュク>、<ミュン>と読む漢字もない。<ミュ>がつく擬音語、擬態語もみつからない。外来語でミュージック、カミュ(人名)がある。

ミェ: 日本語漢字ではこの音はなさそうだ。擬音語、擬態語もなさそう。外来語もなさそう。

ミョ: <ミョ>と読む漢字はない。<ミョウ>ではは神妙(シンミョウ)の<妙>、苗字(ミョウジ)の<苗>、明神は<ミョウジン>、漢字がわからないが<ミョウガ>という野菜がある。<ミョク>、<ミョン>と読む漢字もない。<ミョ>がつく擬音語、擬態語もみつからない。外来語もなさそう。

口蓋化、ハ行の例

ヒャ、ヒュ、ヒェ)、ヒョ

ヒャ: <ヒャー>、ヒャウ>と読む漢字はないヒャク>は百がある。ヒャン>と読む漢字もない。<ヒャ>の擬態語では東京(下町)方言と思われる<ひゃっこい>(<つめたい>の意)がある。これは<ひやひや>と関連がありそう。外来語は見あたらない。

<ヒ>は軟音。

ヒュ:漢字では<ヒュ>だけの漢字はない。<ヒュウ>では日向(ヒュウガ、地名)があるがこれは、日本語のなまり。元来<ヒュウ>、<ヒュク>、<ヒュン>と読む漢字はないだろう。<ヒュ>がつく擬音語では<風がヒューヒュー>がある。擬態語もみつからない。外来語でヒューマニズム、ヒュ―ストン(地名)がある

ヒェ: 日本語漢字ではこの音はなさそうだ。擬態語では驚きを示す<ヒェー>というのがある。外来語もなさそう。

ヒョ: <ヒョ>と読む漢字はない。<ヒョウ>では表、票、評、豹などがある。<ヒョク>、<ヒョン>と読む漢字はない。<ヒヨコ>を<ヒヨッコ>という。<ヒョ>がつく擬態語では<ヒョンなことから>というのがある。外来語はなさそう。

口蓋化、バ行の例

ビャ、ビュ、ビェ)、ビョ

日本語ではバ行はハ行の濁音ということになっているが、ロシア語(他の外国語もほぼ同じ)では、<ぱ行(Voiceless、無声音)>の対比として<ば行(Voiced、有声音)>になっている。この方が理にかなっている。ロシア語の子音リストでは普通この b 有声音が初めにきて、二番目がf の有声音のv となっている(後述)。日本語のハ行

ハ、ヒ、フ、へ、ホ

はかなり特殊な発音の行。 ローマ字を使うと

ha、hi、hu、he、ho

で外国人泣かせだろう。ロシア語では、これまたややこしが<x>の文字がこれに相当するが、同じではない。そしてあまり使われない、かなりマイナーな発音だ。英語で対比すると

hat の ha  <hat>は<ハットする>の<ハット>では通じずらい。

his (him) の hi

Henry の he

Holland の ho

でなんとかなるが、

hu(フ)がやっかいだ。富士山はHujisan だがMount Fuji と発音しやすいようになっている。日本語に<f>の発音がないのは大きな欠点とは言わないが大きな特徴だ。<f>を<h>でカーバーしようとするとかなり無理がある。

さて

ビャ、ビュ、ビェ)、ビョ

に戻ると。

ビャ - <ビャー>、ビャウ>と読む漢字はないビャク>は百(ひゃく)の濁音、三百(サンビャク)がある。ビャン>と読む漢字はない。外来語は見あたらない。

<ビ>は軟音。

ビュ - 漢字では<ビュ>だけの漢字はない。<ビュウ>では<誤謬(ゴビュウ)>の<謬>がある。<ビュク>、<ビュン>と読む漢字はないだろう。<ビュ>がつく擬音語では<風がビュービュー吹く>、<鞭(むち)をビュンビュン振り回す>というのがある。外来語で<ビューティーサロン>。

ビェ - 日本語漢字ではこの音はなさそうだ。擬音語、擬態語、外来語ともなさそう。

ビョ -  <ビョ>と読む漢字はない。<ビョウ>では秒、病、廟、鋲などがある。<ビョク>、<ビョン>と読む漢字はない。<ビョ>がつく擬音語、擬態語はなさそう。外来語もなさそう。

ピャ、ピュ、ピェ)、ピョ

ピャ - <ピャー>、ピャウ>と読む漢字はない。ピャク>は百(ひゃく)の濁音、六百(ロッピャク)がある。ピャン>と読む漢字はない。外来語は見あたらない。

<ピ>は軟音。

ピュ - 漢字では<ピュ>だけの漢字はない。<ピュウ、<ピュク>、<ピュン>と読む漢字はないだろう。<ピュ>がつく擬音語では<風がピューピュー吹く>というのがある。外来語では<ピュア―な>。

ピェ: 日本語漢字ではこの音はなさそうだ。擬音語、擬態語、外来語ともなさそう。

ピョ: <ピョ>と読む漢字はない。<ピョウ>では票、表の音便がある。一票(イッツピョウ)、発表(ハッピョウ)<ピョク>、<ピョン>と読む漢字はない。<ピョ>がつく擬音語では<ピョンピョン跳ぶ>がある。外来語もなさそう。

よくわけのわからない擬音語、擬態語がおもしろい。

シャキットとする   <キ>は拗音
パチンコ台の音は<チンジャラ>  <チ>は拗音
ピチャピチャ、ビチャビチャ   <ピ>、<ビ>は拗音
ビショビショ、ビチョビチョ  <ビ>は拗音 

 

さて、ロシア語の話をしないといけないのだが、このポストが長くなってきたので、次回のポストでする予定。

 

(注) 


硬子音は,子音字の後に硬母音が綴られるか,子音の前ないし語末ならば後に何も綴られないことによって表されます。それに対して軟子音は,子音字の後に軟母音字が綴られるか,子音の前,ないし語末ならばь(軟音記号)が綴られることによって表されます。例えば,таや-т は硬子音を表しますが,тя や-тьは軟子音を表します。

 下線部がわかりずらいが、くどくなるが、

硬子音は,子音字の後に硬母音が綴られるか,子音が子音の前ないし語末ならば後に何も綴られないことによって表されます。それに対して軟子音は,子音字の後に軟母音字が綴られるか,子音が子音の前,ないし語末ならばь(軟音記号)が綴られることによって表されます。

ということだ。 


子音が子音の前(にある)ということが子音が重なることで、例えば英語では

street   <スト(sutoリート>ではない。

group  <グルー(guru-)プ>ではない。

また<子音が語末ならば後に何も綴られない> 


street   <ストリート(to)>ではない。

group  <グループ(pu)>ではない。

ロシア語もここは英語と同じで<子音+子音>、<子音止め>がある。

sptt

 

 

 

 

 


 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

Thursday, September 9, 2021

<と>は接続法助詞

 
<と>についてはかなり前に ” <と>は日本語の大発明 ” というポストを書いている。今回のポストはその補足。

少し前のポスト ”<これはペンです>に動詞はないのか?” で

"
デカルトの Cogito, ergo sum. (われ思う、ゆえに我あり)という有名な言葉がある。 英語版は I think, therefore I am. Cogito, ergo sum. はあとでまたでてくるが、哲学は別として文法上、さらには言語上、検討する価値がある。

"

と書いた。このときは<と>の役割については考えていなかったが、<われ思う、ゆえに我あり>は、考えてみると、ややこしくなるが

 <われ思う、ゆえに我あり>とデカルトは言った。

で<と>が使われる。これは ” 引用の<と>” と言える。ところで、デカルトになってみると

私は考える <われ思う、ゆえに我あり>と。
<われ思う、ゆえに我あり>と私は考える。

でこれまた<と>がでてくるが、これは ” 引用の<と>” ではない。これは<私>が考えていることの内容の表明で、日本語では<われ思う、ゆえに我あり>の箇所はそのままだ。英語も

I think that I think, therefore I am.  

だが、おそらく

I think,   that I think, therefore I am.   

のように言わないとわかりずらいだろう。だが< I think, therefore I am. > の部分はそのままだ。

一方フランス語、イタリア語、ドイツ語などでは接続法というのがあって、<考える>内容を表明するときは接続法を使うことになっている。なぜかというと、<考える>内容は事実でないからだ。接続法に慣れるまでは<変な感じ>だが、反対に慣れてしまうと接続法を使わない方が<変な感じ>になる( たぶんウソをついてるという罪悪感も含まれる)だろう。たとえば、いま再勉強中のイタリア語では

From Reveso English - Italian (Dictionary)

I don't think it likely   penso che sia improbabile
I don't think it can be done   non penso che si possa fare
I think (that) you're wrong   penso che tu abbia torto

Reveso なので Italian-English (Dictionary) で penasare も調べてみたが、適当な例文があまりないので Italian-English (Context) の方も調べてみた。

penso che sia colpa sua   I think it is his fault o that he is to blame  (Dictionary)

以下Context から。

Inizio a pensare che sia indistruttibile.
I'm starting to think that he might be undestroyable.

distruttibile = distruttibile.
to destroy = distruggere (destroyed = distrutto)

Mi piace pensare che Darwin avrebbe davvero apprezzato questo.
I love to think that Darwin would have really appreciated this.

Farle pensare che stia sorprendendo te.
Let her think she's sneaking up on you.  

sorprendere: to surprise, to sneak up on someone to surprise
to sneak up on someone: To approach someone or something in a sneaky, furtive manner so as not to be noticed.

例文をみると、英語の方も英語の接続法とも言うべき、would や might が使われている。このようなう英語、接続法的 would や could が使えれば英語のlevel はかなり高いといえる。

さて日本語にもどって、<xxxx と考える>を考えてみる。<考える>はややあらたまった言い方で、ふつうは<xxxx と思う>。デカルトも<われ考える、ゆえに我あり>と言ったはずだが、日本語では<われ思う、ゆえに我あり>になっている。

日本語に接続法はないが、

多分、おそらく xxxx と考える(思う)
xxxx ではないかと考える(思う)
xxxx と考えられる(思われる)
xxxx と言われている。
(確かではないが)xxxx と聞いている。

は接続法的な言い方(修辞)だ。しかし

I don't think it likely   penso che sia improbabile

私はそうではないと思う(考える)。私はそうとは思はない。
私はそうじゃないと思う。
私はそうなるとは思わない。私はそうならないと思う。

I don't think it can be done   non penso che si possa fare 

私はそれがなされるとは思わない(考えない)。

I think (that) you're wrong   penso che tu abbia torto 

私は君が間違っていると思う。‐ これはなぜか<考える>ではかなり変な日本語だ。

以上の日本語の例文を何度か読んでいると、<と>自体に接続法のニュアンスがあるように思えてくる。

xx 軍が勝つ(もの)と信じている。
xx 軍がまけるようなことはないと信じている。 

も同様だ。

接続法に反するような断定の<だ>がついた場合はどうか?

私はそうだとは思はない(考えない)。
私はそれがなされるのだとは思わない(考えない)。
私は君が間違っているのだと思う。

変ない方もあるが断定の<だ>の意味はほとんど感じられない。<だ>を強調していっても大して変わらないようだ。<私は>と<と思う>と除いてみる。

そうだ。
それがなされるのだ。 ->それなされるのだ。
君が間違っているのだ。

で断定の<だ>の意味が出て来る。日本語ではごくふつうに<わたしは>は省かれる。

そうだとは思はない(考えない)。
それがなされるのだとは思わない(考えない)。
君が間違っているのだと思う。

これまた断定の<だ>の意味はほとんど感じられない。

以上もっともらしいが、都合のいい<と>だけをとりあげたので、正しくはないだろう。日本語の接続法については、時間があれば、再度検討する予定。


sptt

 



 

Sunday, September 5, 2021

行くか?行くのか?行かないのか?-<の>の正体

 前回の、前々回のポストで強調構文<なのだ(のだ)>を取り上げ、強調構文での構成要素としての<の>の可能性をチェックしたが、結論は出なかった。だがチェック中に大発見をした。

行くか?

行くのか?

の違いはなにか?<行くか?>はいわば単純疑問文。<行くのか?>は<の>があるので強調疑問文か?強調というほどのことはないが<行くか?>とは違う。どこが違うのか?<の>は<こと>の代わりに使われる。

離れるのはつらい。
勉強するのはつまらない。
遊ぶのは楽しい。

以上は動詞につく<の>で無意識のうちによく使う。

<の>は<もの>の代わりにも使われる。

もっと大きいのはないか?
もっと安いのがいい。

以上は形容詞につく<の>でこれまた無意識のうちによく使う。

形容動詞は

掃除機静かなのがいい。

<なの>になる。 

だが単純に

の = こと
の = もの 

ではないだろう。


さて<行くか?>と<行くのか?>の違いにもどると、<の=こと>とすると

行くことか?

となって、日本語にならない。

行くのはいいが . . . . .

でれば

行くことはいいが . . . . .

で日本語にはなるが、  <行くのはいい>と同じではない。同じではないが違いは微妙だ。どこが違う?

行かないのか? 

をチェックしてみる。

行かないか? 

は単純否定疑問だが、実際には<誘い>だ。一方

行かないのか? 

は<行かない>ことを尋ねているようだが、実際には<行かないこと>の<確認>の問いだ。場合によっては遺憾(残念)の表明。

これを参考にすると

<行くのか?>は<行くこと>の<確認>の問いになる。答えが見えてきたような気がする。キーワードは<確認>だ。<確認>は文字通りでは<確かめて、認める>。英語に to identify という動詞がある。日本語では<自己同一化>なんというのがあるが、なんだかよくわからない。 to identify = 確認 =確かめて、認める。 これでもよくわからないが、ID カード(Identification Card) の使われ方は、ID カードを見て<本人>であることを確認する(見て、確かめて、認める)ことだ。これを<行くのか?>に適用すると<行くこと>が本当かどうかを確かめる問いといえる。一方<行かないのか?>は<行かないこと>が本当かどうかを確かめる問いといえる。したがって

いくか?


行くことか?

ではなくて

行くことは確かか?

行くことはその通りか?

となる。<その>は<行くこと>だ。長いが下線部が<の>なのだ。

この最後の<なの>は ”<長いが下線部が<の>” を意味し、<だ>が断定。

上でふれた

行くのはいいが . . . . .


行くことはいいが . . . . .

の微妙な違いは

 <行くのはいいが>は<行くことは確認済み>

 <行くことはいいが>は<行くことの確認は関係ない>

で、気づきにくいが大きな違いだ。 これが一音節の助詞<の>の正体なのだ強調構文に使われる<の>-<のだ>、<なのだ>は断定の助動詞<だ>を抜きにして、<の>自体に<ほかでもない>といった強調されるコト、モノ(それ)の identification (同一化)が働いていると考える。

 

sptt 

 

 

 

Saturday, September 4, 2021

<xx なので(ので)>と<xx だから(から)>の違い

 

前回のポスト<日本語の強調構文- yyyy なのは(のは)xx だ>の最後で


xx なので(ので)

という言い方がある。だいたい理由述べる時に使う

xx だから(から)

という言い方もある。これもだいたい理由述べる時に使う。

<xx なので(ので) >はややあらたまった感じ、<xx だから(から)>は軽い感じだ。この違いをもう少しよく調べてみると、強調構文の<なのだ(のだ)>がもっとよくわかるかもしれない。このポストが長くなってきたので次回に続く。

"

と書いたので、この違いをもう少しよく調べてみる。

もう宿題を終(お)えたから遊びに行くよ。
もう宿題を終えたので遊びに行くよ。

<ので>はこどもの発話らしくない。

もう宿題を終えたから遊びに行ってもいい。
もう宿題を終えたので遊びに行ってもいい。

これは大差ないようだ。

間違いなく返すから100万円貸してくれ。(貸してもらいたい。)
間違いなく返すので100万円貸してもらいたい。(貸してくれ)

<ので>の方が丁寧で、 何かをしてもらいたい場合の理由説明には適切だ。

財布を家に置き忘れたから取りにもどる。
財布を家に置き忘れたので取りにもどる。

これも大差ないようだ。  

原因-結果の場合

雨が降ったから道がぬれている。
雨が降ったので道がぬれている。

これも大差ないようだ。

太郎はよくうそをついたから花子にきらわれた。
太郎はよくうそをついたので花子にきらわれた。

<から>は少し変だ。過去のこと。

太郎はよくうそをつくから花子にきらわれる。
太郎はよくうそをつくので花子にきらわれる。 

この<から>も少し変だ。現在のこと。

この<から>の<変さ>はどこからきているのか

これはたまたま再勉強中のコンピュータ用語のロジックが参考になる。

コンピュータロジックでは

1)組み合わせロジック(Combinational Logic と2)時系列ロジック (Sequential Logic)がある。

<から>は時系列ロジック (Sequential Logic)と大いに関係がありそう。

太郎はよくうそをつくから花子にきらわれる。

では太郎は<繰り返しうそをつく>ので時系列ロジックが少し崩されているのだ

次郎はよく授業をさぼるから落第する。

は少しおかしいが

次郎はよく授業をさぼったから落第した。 - 時系列が相当意識されている。
次郎はよく授業をさぼるから落第するだろう。 - 時系列が相当意識されている。

これも次郎は<繰り返し授業をさぼる>だが時系列ロジックはがはっきりしている。

一方<ので>の方は時系列ロジックではなく<原因-結果>の純ロジックなので

次郎はよく授業をさぼるので落第する。- 純ロジック発話。
次郎はよく授業をさぼったので落第した。 - 純ロジック発話。 時系列はあまり意識されない。
次郎はよく授業をさぼるので落第するだろう。 - 純ロジック発話。 時系列はあまり意識されない。

<原因-結果>とはいっても大体は時系列が入り込んでくる。ほぼ間違いなく原因が先で、結果は後になる。純数学ロジックは時系列が入ってこないが物理や実際のコンピュータでは時系列がはいってくる。歴史はもちろん政治、経済のロジックも大体は時系列がからんでくる。この辺はややこしい。

 <xx なので(ので)>と<xx だから(から)>の違いはここまで。つぎは<ので(なので)>と<のだ(なのだ)>の関係。

<で>は断定の助動詞<だ>の連用形ということになっている。前回のポスト<日本語の強調構文- yyyy なのは(のは)xx だ>でチェックしたが、

体言(名詞) - ばかなのだ

形容詞 - 美しいのだ

形容動師 - きれいなのだ

 動詞 - 行くのだ

となる。 これはそのまま<ので(なので)>にあてはまる。

体言(名詞) - ばかなので

形容詞 - 美しいので

形容動師 - きれいなので

 動詞 - 行くので

あたりまのようだが、例外のないみごとな対応だ。<ので(なので)>は<原因(理由)-結果>の純ロジックの<原因、理由>を述べるのだが(ことになるのだが)ロジックが成立する(ロジックを成立させる)ためには内容が確かでないといけない。<内容が確か>とは、少なくとも内容が断定されないといけない。そこで断定の助動詞<だ>の連用形<で>使われるのだ(ことになるのだ)。

これが結論だが、これまたあたりまえだ(のことだ)。下線を引いたが<のだ>は無意識で相当使われる。

 

sptt

 

Friday, September 3, 2021

日本語の強調構文- yyyy なのは(のは)xx だ。

前回のポスと<吾輩は猫。吾輩は猫なのである。>で<吾輩は猫なのである>を取り上げ、そのなかで<のである>の<の>の説明で使いたかったがあえて使わなかったのが強調構文

このポストは、上の最後の下線部の<のが強調構文>の<の>は強調構文の構成語といえるのではないか、というもの。強調構文は強調表現でもいいのだが、強調構文のほうが文法的だ。強調構文は日本語文法ではでてこず、英文法の中級程度のところで出て来る。強調構文は英文法の難関の一つである関係代名詞がわかり、使えれば、強調構文を使うのは何のことはない。むしろ使い過ぎると強調効果がうすれる。Oxford 英漢(英英兼用)辞典に当たってみたが、<it> の見出し語で最後の方に簡単な説明(to emphasize という語が使われている)があるが構文というほどのことはない。強調構文は日本の英語の先生が作った英文法用語だろう。

英語の強調構文は

It is xx that yyyy.

で、that は人の場合は who でもいい。日本語では、強調構文と意識はしていなが、

yyyy なのは(のは)(まさしく、ほかでもない)xx だ。

が強調構文といえるだろう。英文の強調構文もおおかたこう訳されるだろ。

1、体言(名詞)の場合。ここでは<太郎>が強調の対象になる。

バカなのは太郎だ。

平叙文の

太郎はバカだ。

と比べると語順が違うが、単純に語順を変えたのとはちがう。単純に語順を変えたのは

バカは太郎だ。

<バカは太郎だ>と<バカなのは太郎だ>とどこがちがう?

<だ>は断定の助動詞で、中立の断定もあるが、強調の断定もあるようなので、<だ>を除いてみる。

太郎はバカ。
バカは太郎。

で、中立の断定と言える。断定の助動詞<だ>はないが、十分断定と言える。したがって<だ>は断定の助動詞というのがうかがわしくなってくる。

太郎はバカ。 - <太郎がバカ>でもいい。さらには<太郎がバカだ>とすると強調になるが、この場合強調されているのは<バカだ>の<バカ>ではく<太郎>だ。

一方

バカは太郎。 - <バカが太郎>はまれで、ごく特殊な場合だ。<バカは太郎だ>では強調されているのは<太郎>だ。

かなりややこしいので整理すると

太郎はバカだ。 - 中立断定、表明。

太郎がバカだ。 - 太郎の強調。あるいは<だれがバカだ?>にたいする答え。<太郎の強調>とすると、<が>は強調の助詞か?

バカは太郎だ。 - 太郎の強調

最後の例文からは<だ>は強調の断定の助動詞と言えそう。こう見ると

バカなのは太郎だ。

は強調だが<なの>は<おまけ>の口調のようなものになる。

 

2.形容詞 - 形容詞には<だ>がつかない。

美しいのは花子だ。

の平叙文は

花子は美しい。   <花子が美しい>では花子が強調されている。<が>は強調の助詞か?

<美しい>を強調しようとすると

花子は美しいのだ。

で、これまた<の>がでてきて、さらに断定の<だ>がつく。上で ” 形容詞には<だ>がつかない ” と書いたが、<のだ>は形容詞に<だ>をつける方法だ。<だ>は上で ” 中立の断定もあるが、強調の断定もあるようなので " と書いたが、これで強調になる。

 

3.形容動詞

形容詞の<美しい>に似て非なるのにの形容動詞の<きれいだ(終止形)>がある。

美しいのは花子だ。 

に対して

<きれいのは花子だ>はダメで<<きれいのは花子だ>になる、これは上で書いた体言(名詞)<バカ>に準ずる。もっとも<バカ>も

バカで、バカに、バカだ、バカな

と形容動詞的な使い方がある。だが

バカは太郎だ。

と言え体言(名詞)」になるが、<きれい>は

きれいは花子だ。

はダメで、<きれい>は体言(名詞)になれない(純)形容動詞の<語幹>だ。形容動詞の名前が定着しているが、形容動詞<きれいだ(終止形)>は<きれい+だ>と解釈でき、強調構文の

きれいなのは花子だ。
花子はきれいなのだ。花子がきれいなのだ。

が体言(名詞)の場合と同じなので<名詞型形容詞>、<xx な、xx だ>という変な語尾変化はしない、<な><だ>は助詞、助動詞とすれば<形容名詞>という文法分類名も考えられる。 


4.動詞

yyするのは(まさしく、ほかでもない)xx だ。

たとえば

It is Taro who made a mistake.
ミスをしたのは太郎だ。

It is Taro who made a mistake, not me.
ミスをしたのは私ではなく、太郎だ。

日本語では

yyyy したのは xx 

別に過去形でなくてもいい。

It is Taro who always makes a mistake, not me.
いつもミスをするのは私ではなく、太郎だ。

It is Taro who will make a mistake, not me.
ミスをするのは私ではなく、太郎だろう。

以上は表面的なことで、このポストで話を進めるのは、<なのは、のは xx だ>の<の>がなぜ強調構文に絡むのか、ということだ。上で

バカなのは太郎だ。

は強調だが<なの>は<おまけ>の口調のようなものになる。

と書いたが

美しいのは花子だ。美しいのが花子だ。
きれいなのは花子だ。きれいなのが花子だ。
ミスをしたのは太郎だ。 <ミスをしたのが太郎だ>はまれだ。

の形容詞、形容動詞、動詞では<の>、<なの>がないと文にならない。 

美しいは花子だ。 美しいが花子だ。
きれいは花子だ。 きれいが花子だ。
ミスをしたは太郎だ。 ミスをしたが太郎だ。

<の>は幾つかの意味があるが、その一つに体言化(名詞化)がある。正確には体言化(名詞化)というよりは<こと>、<ひと(もの=者)>、<とき>、<場所>を表わす。

美しいひとは花子だ。 美しいひとが花子だ。
きれいなひとは花子だ。 きれいなひとが花子だ。
ミスをしたひとは太郎だ。 ミスをしたひとが太郎だ。

これでは<ひと>ばかりだが

その話を花子にしたのがそもそも間違いなのだ
その話を花子にしたことが間違いなのだ。 (二番目の<なのだ>も強調)

注意したのは昨日(きのう)なのに今日(きょう))また遅刻だ。
注意したときは昨日(きのう)なのに今日(きょう))また遅刻だ。(二番目の<なのに>はまた別だ)

昨日行ったのは東京で大阪ではない。昨日行ったのは大阪ではなく、東京だ。
昨日行ったところは東京で大阪ではない。昨日行ったところは大阪ではなく、東京だ。

確かに<の>は<こと>、<ひと(もの=者)>、<とき>、<場所>を表わが、強調構文の構成語というほどのことはない。

少しもどって

その話を花子にしたのがそもそも間違いなのだ
その話を花子にしたことが間違いなのだ。 (二番目の<なのだ>も強調)

 の<二番目の<なのだ>も強調>について考えてみる。これから<なの>を除くと

その話を花子にしたのがそもそも間違いだ。

<が>を<は>に代えてみる。

その話を花子にしたのはそもそも間違いだ。

比較してみると<その話を花子にしたのが>は強調になっている。この強調は<の>ではなく<が>に由来しているようだ。断定の助動詞<だ>を除いてみる。

その話を花子にしたのがそもそも間違い。
その話を花子にしたのはそもそも間違い。

やはり<その話を花子にしたのが>は強調になっている。

その話を花子にしたのはそもそも間違い。 

は平叙文に近い。<の>のない

その話を花子にしたがそもそも間違い。 

はナンセンスな文なので<の>に働きがあることになる。言い換えると<xx のが>と<xx のは>に違いがあることになる。

働くばかりでなく、ときどき休むのがいい。
働くばかりでなく、ときどき休むのはいい。

<いい>の方を強調すると

働くばかりでなく、ときどき休むのがいいのだ。
働くばかりでなく、ときどき休むのはいいのだ。 (これは間違いではないが、何か変だ)

これは一般性がありそう。

太郎がいいのだ。太郎がダメなのだ。太郎がよくないなのだ。
太郎はいいのだ。太郎はダメなのだ。太郎はよくないなのだ。

花子が静かなのだ。花子が行くのだ。花子が行ったのだ。花子が来ないのだ。
花子は静かのだ。花子は行くのだ。花子は行ったのだ。花子は来ないのだ。

法則性はあるようだ。これからすると

xx が yy なのだ。

は強調構文と言えそう。<xx>人でなくてもいい。

ことしの7月はとても暑かったのだ。(少し変だが、いいとして、平叙文)

ことしの7月がとても暑かったのだ。(何か変だ)

ことしは7月はとても暑かったのだ。(<は><は>と続くので聞きづらいが、まったくダメということはない)

ことしは7月がとても暑かったのだ。(強調)

だが<の>のなぞはまだとけていない。

xx なので(ので) 

という言い方がある。だいたい理由述べる時に使う、

xx だから(から)

という言い方もある。これもだいたい理由述べる時に使う。

<xx なので(ので) >はややあらたまった感じ、<xx だから(から)>は軽い感じだ。この違いをもう少しよく調べてみると、強調構文の<なのだ(のだ)>がもっとよくわかるかもしれない。このポストが長くなってきたので次回に続く。

 

sptt

 

 


Thursday, September 2, 2021

吾輩は猫。吾輩は猫なのである。


夏目漱石の小説の題名は<吾輩は猫である>だが他の言い方もある。

吾輩は猫。- これでも十分通じるが、そっけない。動詞がない。
吾輩は猫だ。- <断定>の助動詞<だ>があるので、<吾輩は猫である>に通じるところがある。断定というよりは宣言だ。<吾輩は猫だ>も動詞がない。
吾輩は猫である。 - これは<で+ある>で、<ある>は動詞だ。<ある>は<xx がある>で存在を示すが、<吾輩猫である>でも<吾輩猫である>も存在を示しているわけではない。<で+ある>がくせものだ。<ある>は存在を示すとして、<で>はなにか?

<で>は<xx でする>では、<xx>は道具、方法だ。

電車で行く、箸(はし)で食べる

<xx である>の<xx>は

体言(名詞)の場合は

猫である、バカである、のろまである、石である、机(つくえ)である

で<xx>は主語ではなく表明の対象だ。だが<で>は<表明の対象を示す>といえるか?対象はどうも具合が悪いので<表明される主体を示す>はどうか?さらに、ここが肝心なのだが、主体の属性も示している。単に猫、バカ、のろま、石、机を示しているのではなく、<で>があることにより<猫というもの>、<バカというもの>、<のろまというもの>、<石というもの>、<机というもの>だといっているようだ。この説明はわかりにくいが、英語 identity、to identify を思い起していただきたい。これは次の<状況、状態 (形容動詞)>に関連してくる。

状況、状態 (形容動詞)

きれいである、静かである、好きである、嫌いである

で形容動詞はいい。だが形容詞、動詞はだめだ。

美しいである、長いである
行くである、来るである、するである

体言(名詞)、 形容動詞ではいいが形容詞、動詞ではダメなところに注意したい。次<xx なのだ、なのである>。

吾輩は猫なのだ。 吾輩は猫なのである。

これは<なの>がむずかしい。意味としては

(ほかでもない)吾輩は猫なのだ。
(残念ながら)吾輩は猫なのだ。
(そもそも)吾輩は猫なのだ。 

などが考えられる。 <なの>に関しては

体言(名詞)

バカなのだ(である)、のろまなのだ(である)、石なのだ(である)である、机(つくえ)なのだ(である)

形容動詞
きれいなのだ(である)、静かなのだ(である)、好きなのだ(である)、嫌いなのだ(である)

はいいが

形容詞
美しいなのだ(である)、長いなのだ(である)

動詞
行くなのだ(である)、来るなのだ(である)、するなのだ(である)

でこれまた体言(名詞)、 形容動詞はいいが、形容詞、動詞またダメだ。これまた注目すべきところだ。どこが注目すべきところかというと、形容動詞の名詞性(体言性)だ。これは後で検討する。形容詞、動詞の場合<な>がない

美しいのだ(である)、長いのだ(である)
行くのだ(である)、来るのだ(である)、するのだ(である) 

ならいい。<なの>の<な>と<の>は何か?

1)<なの>の<な>は何か?

太郎はバカだ。(太郎がバカだ、はまれ)

太郎はバカなのだ。太郎がバカなのだ。

はどこが違う。<なのだ>は強調といえるが、<強調とは何か>の問題があり、これは別途検討。

きれいなのだ(である)

<きれいな>は<きれいな花>で形容動詞の連体形、ということになっている。未然形は

きれいでない

で<きれいで>か?だが、<猫でない>にならうと<きれい>が未然形といえる。

連用形は

きれいです

から<きれいで>のように見えるが、<読む><書く>の連用形は<読んで(読みて)いる>、<書いている>からすると<で>のない<きいれ>とも見える。

終止形は<きれいだ>だが、あきらかに<きれい>+断定の助動詞<だ>に見える。<だ>が<である>とすると<きれいである>で問題ない。

順序からすると、次は連体形だが、連体形は上で述べたように

<きれいな>は<きれいな花>で形容動詞の連体形、ということになっている。だがこれも

きれい+な+体言(名詞)

で<な>は形容(修飾>のための助詞とみなすこができる(後述)。

以上から、<きれい>は未然形、連用形、終止形、連体形になり、活用がないことになる。活用がないのは体言(名詞)だが、日本語では<きれい>は体言(名詞)になっていない。

きれいはいいことだ。

はダメで

きれいなことはいいことだ。

になる。さらには

きれいなのはいいことだ。

でもいい。これは、上の<きれいな>は<きれいな花>で形容動詞の連体形に相応する。<な>のない

きれいのはいいことだ。

はダメだ。<きれい>は意味があるが、日本語では独立した体言(名詞)になれないのは決定的なことだ。

以上からすると<な>は<きれい>と名詞(体言)-花、<の>、<こと>の橋渡し、関係づけ、さらには<名詞(体言)を修飾(形用)するための助詞>のような働きだ。<な>は古語の<なり>由来だろう。


きれいならず、きれいならば(未然形)
きれいにてあり (連用形) <きれいなリてあり>でもOKか? 
きれいなり (終止形)
きれいなる (連体形)
きれいなれば (已然形)

2)<なの>の<の>は何か? 

きれいなことはいいことだ。

きれいなのはいいことだ。

を比較すると、 <こと=の>だ。これから<の>は体言(名詞)化の働きがある。しかし形容詞、動詞の場合は

美しいのだ(である) ー> 美しいことだ(である)
長いのだ(である) ー> 長いいことだ(である)
行くのだ(である)  ー> 行くことだ(である)
来るのだ(である) ー> 来ることだ(である)
するのだ(である) ー> することだ(である)

となり右と左は同じではない。 左も右も断定、表明を示すが、左側は主体、主語(何が、だれが)が必要。しかも格助詞の<が>がでも係助詞の<は>でもいい。一方右側は説明、解説内容の主語、主題が必要だ。助詞は<は>が適当のようだ。

花子が美しいのだ(である)。花子は美しいのだ(である)、でもいい。
太郎の話は長いのだ(である)。太郎の話が長いのだ(である)、でもいい。
次郎が行くのだ(である)。次郎は行くのだ(である)、でもいい。 

花子の利点は美しいことだ(である)。 <が>はダメ。
太郎のスピーチの欠点は長いことだ(である)。<が>はダメ。
今重要なのは行くことだ(である)、来ることだ(である)、することだ(である)。<が>はダメ。

<なの>はここでも出て来る。 今重要なことは行くことだ(である)、でもいい。。そして<なの>のない<今重要は行くことだ(である)>とは言わない。<重要>と<重要なの>(重要なこと)>はどこが違う。<重要>は漢語で昔輸入した時に<重要は行くことなり>といったいたか?上で書いた

<きれい>は意味があるが、日本語では独立した体言(名詞)になれないのは決定的なことだ。

と似たようなところがある。

 

sptt

明日は学校がある、とは何か?

 <明日は学校がある>は文字通りで解釈すると、とんでもないことになる。なぜこんな言い方になるのか?これは文法上の大きな問題だ。直訳の

A school will exist tomorrow.

はまずだめだ。少し英語っぽい

We will have (a) school tomorrow.  

は何とか通じそうだが、これも文字通りで解釈すると、とんでもないことになる。

日本語では<ある>の特殊用法、英語では<to have >の特殊用法と言えそうだが、<特殊用法>を説明するのは難しそう。

 

sptt