Thursday, September 2, 2021

吾輩は猫。吾輩は猫なのである。


夏目漱石の小説の題名は<吾輩は猫である>だが他の言い方もある。

吾輩は猫。- これでも十分通じるが、そっけない。動詞がない。
吾輩は猫だ。- <断定>の助動詞<だ>があるので、<吾輩は猫である>に通じるところがある。断定というよりは宣言だ。<吾輩は猫だ>も動詞がない。
吾輩は猫である。 - これは<で+ある>で、<ある>は動詞だ。<ある>は<xx がある>で存在を示すが、<吾輩猫である>でも<吾輩猫である>も存在を示しているわけではない。<で+ある>がくせものだ。<ある>は存在を示すとして、<で>はなにか?

<で>は<xx でする>では、<xx>は道具、方法だ。

電車で行く、箸(はし)で食べる

<xx である>の<xx>は

体言(名詞)の場合は

猫である、バカである、のろまである、石である、机(つくえ)である

で<xx>は主語ではなく表明の対象だ。だが<で>は<表明の対象を示す>といえるか?対象はどうも具合が悪いので<表明される主体を示す>はどうか?さらに、ここが肝心なのだが、主体の属性も示している。単に猫、バカ、のろま、石、机を示しているのではなく、<で>があることにより<猫というもの>、<バカというもの>、<のろまというもの>、<石というもの>、<机というもの>だといっているようだ。この説明はわかりにくいが、英語 identity、to identify を思い起していただきたい。これは次の<状況、状態 (形容動詞)>に関連してくる。

状況、状態 (形容動詞)

きれいである、静かである、好きである、嫌いである

で形容動詞はいい。だが形容詞、動詞はだめだ。

美しいである、長いである
行くである、来るである、するである

体言(名詞)、 形容動詞ではいいが形容詞、動詞ではダメなところに注意したい。次<xx なのだ、なのである>。

吾輩は猫なのだ。 吾輩は猫なのである。

これは<なの>がむずかしい。意味としては

(ほかでもない)吾輩は猫なのだ。
(残念ながら)吾輩は猫なのだ。
(そもそも)吾輩は猫なのだ。 

などが考えられる。 <なの>に関しては

体言(名詞)

バカなのだ(である)、のろまなのだ(である)、石なのだ(である)である、机(つくえ)なのだ(である)

形容動詞
きれいなのだ(である)、静かなのだ(である)、好きなのだ(である)、嫌いなのだ(である)

はいいが

形容詞
美しいなのだ(である)、長いなのだ(である)

動詞
行くなのだ(である)、来るなのだ(である)、するなのだ(である)

でこれまた体言(名詞)、 形容動詞はいいが、形容詞、動詞またダメだ。これまた注目すべきところだ。どこが注目すべきところかというと、形容動詞の名詞性(体言性)だ。これは後で検討する。形容詞、動詞の場合<な>がない

美しいのだ(である)、長いのだ(である)
行くのだ(である)、来るのだ(である)、するのだ(である) 

ならいい。<なの>の<な>と<の>は何か?

1)<なの>の<な>は何か?

太郎はバカだ。(太郎がバカだ、はまれ)

太郎はバカなのだ。太郎がバカなのだ。

はどこが違う。<なのだ>は強調といえるが、<強調とは何か>の問題があり、これは別途検討。

きれいなのだ(である)

<きれいな>は<きれいな花>で形容動詞の連体形、ということになっている。未然形は

きれいでない

で<きれいで>か?だが、<猫でない>にならうと<きれい>が未然形といえる。

連用形は

きれいです

から<きれいで>のように見えるが、<読む><書く>の連用形は<読んで(読みて)いる>、<書いている>からすると<で>のない<きいれ>とも見える。

終止形は<きれいだ>だが、あきらかに<きれい>+断定の助動詞<だ>に見える。<だ>が<である>とすると<きれいである>で問題ない。

順序からすると、次は連体形だが、連体形は上で述べたように

<きれいな>は<きれいな花>で形容動詞の連体形、ということになっている。だがこれも

きれい+な+体言(名詞)

で<な>は形容(修飾>のための助詞とみなすこができる(後述)。

以上から、<きれい>は未然形、連用形、終止形、連体形になり、活用がないことになる。活用がないのは体言(名詞)だが、日本語では<きれい>は体言(名詞)になっていない。

きれいはいいことだ。

はダメで

きれいなことはいいことだ。

になる。さらには

きれいなのはいいことだ。

でもいい。これは、上の<きれいな>は<きれいな花>で形容動詞の連体形に相応する。<な>のない

きれいのはいいことだ。

はダメだ。<きれい>は意味があるが、日本語では独立した体言(名詞)になれないのは決定的なことだ。

以上からすると<な>は<きれい>と名詞(体言)-花、<の>、<こと>の橋渡し、関係づけ、さらには<名詞(体言)を修飾(形用)するための助詞>のような働きだ。<な>は古語の<なり>由来だろう。


きれいならず、きれいならば(未然形)
きれいにてあり (連用形) <きれいなリてあり>でもOKか? 
きれいなり (終止形)
きれいなる (連体形)
きれいなれば (已然形)

2)<なの>の<の>は何か? 

きれいなことはいいことだ。

きれいなのはいいことだ。

を比較すると、 <こと=の>だ。これから<の>は体言(名詞)化の働きがある。しかし形容詞、動詞の場合は

美しいのだ(である) ー> 美しいことだ(である)
長いのだ(である) ー> 長いいことだ(である)
行くのだ(である)  ー> 行くことだ(である)
来るのだ(である) ー> 来ることだ(である)
するのだ(である) ー> することだ(である)

となり右と左は同じではない。 左も右も断定、表明を示すが、左側は主体、主語(何が、だれが)が必要。しかも格助詞の<が>がでも係助詞の<は>でもいい。一方右側は説明、解説内容の主語、主題が必要だ。助詞は<は>が適当のようだ。

花子が美しいのだ(である)。花子は美しいのだ(である)、でもいい。
太郎の話は長いのだ(である)。太郎の話が長いのだ(である)、でもいい。
次郎が行くのだ(である)。次郎は行くのだ(である)、でもいい。 

花子の利点は美しいことだ(である)。 <が>はダメ。
太郎のスピーチの欠点は長いことだ(である)。<が>はダメ。
今重要なのは行くことだ(である)、来ることだ(である)、することだ(である)。<が>はダメ。

<なの>はここでも出て来る。 今重要なことは行くことだ(である)、でもいい。。そして<なの>のない<今重要は行くことだ(である)>とは言わない。<重要>と<重要なの>(重要なこと)>はどこが違う。<重要>は漢語で昔輸入した時に<重要は行くことなり>といったいたか?上で書いた

<きれい>は意味があるが、日本語では独立した体言(名詞)になれないのは決定的なことだ。

と似たようなところがある。

 

sptt

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