Friday, September 3, 2021

日本語の強調構文- yyyy なのは(のは)xx だ。

前回のポスと<吾輩は猫。吾輩は猫なのである。>で<吾輩は猫なのである>を取り上げ、そのなかで<のである>の<の>の説明で使いたかったがあえて使わなかったのが強調構文

このポストは、上の最後の下線部の<のが強調構文>の<の>は強調構文の構成語といえるのではないか、というもの。強調構文は強調表現でもいいのだが、強調構文のほうが文法的だ。強調構文は日本語文法ではでてこず、英文法の中級程度のところで出て来る。強調構文は英文法の難関の一つである関係代名詞がわかり、使えれば、強調構文を使うのは何のことはない。むしろ使い過ぎると強調効果がうすれる。Oxford 英漢(英英兼用)辞典に当たってみたが、<it> の見出し語で最後の方に簡単な説明(to emphasize という語が使われている)があるが構文というほどのことはない。強調構文は日本の英語の先生が作った英文法用語だろう。

英語の強調構文は

It is xx that yyyy.

で、that は人の場合は who でもいい。日本語では、強調構文と意識はしていなが、

yyyy なのは(のは)(まさしく、ほかでもない)xx だ。

が強調構文といえるだろう。英文の強調構文もおおかたこう訳されるだろ。

1、体言(名詞)の場合。ここでは<太郎>が強調の対象になる。

バカなのは太郎だ。

平叙文の

太郎はバカだ。

と比べると語順が違うが、単純に語順を変えたのとはちがう。単純に語順を変えたのは

バカは太郎だ。

<バカは太郎だ>と<バカなのは太郎だ>とどこがちがう?

<だ>は断定の助動詞で、中立の断定もあるが、強調の断定もあるようなので、<だ>を除いてみる。

太郎はバカ。
バカは太郎。

で、中立の断定と言える。断定の助動詞<だ>はないが、十分断定と言える。したがって<だ>は断定の助動詞というのがうかがわしくなってくる。

太郎はバカ。 - <太郎がバカ>でもいい。さらには<太郎がバカだ>とすると強調になるが、この場合強調されているのは<バカだ>の<バカ>ではく<太郎>だ。

一方

バカは太郎。 - <バカが太郎>はまれで、ごく特殊な場合だ。<バカは太郎だ>では強調されているのは<太郎>だ。

かなりややこしいので整理すると

太郎はバカだ。 - 中立断定、表明。

太郎がバカだ。 - 太郎の強調。あるいは<だれがバカだ?>にたいする答え。<太郎の強調>とすると、<が>は強調の助詞か?

バカは太郎だ。 - 太郎の強調

最後の例文からは<だ>は強調の断定の助動詞と言えそう。こう見ると

バカなのは太郎だ。

は強調だが<なの>は<おまけ>の口調のようなものになる。

 

2.形容詞 - 形容詞には<だ>がつかない。

美しいのは花子だ。

の平叙文は

花子は美しい。   <花子が美しい>では花子が強調されている。<が>は強調の助詞か?

<美しい>を強調しようとすると

花子は美しいのだ。

で、これまた<の>がでてきて、さらに断定の<だ>がつく。上で ” 形容詞には<だ>がつかない ” と書いたが、<のだ>は形容詞に<だ>をつける方法だ。<だ>は上で ” 中立の断定もあるが、強調の断定もあるようなので " と書いたが、これで強調になる。

 

3.形容動詞

形容詞の<美しい>に似て非なるのにの形容動詞の<きれいだ(終止形)>がある。

美しいのは花子だ。 

に対して

<きれいのは花子だ>はダメで<<きれいのは花子だ>になる、これは上で書いた体言(名詞)<バカ>に準ずる。もっとも<バカ>も

バカで、バカに、バカだ、バカな

と形容動詞的な使い方がある。だが

バカは太郎だ。

と言え体言(名詞)」になるが、<きれい>は

きれいは花子だ。

はダメで、<きれい>は体言(名詞)になれない(純)形容動詞の<語幹>だ。形容動詞の名前が定着しているが、形容動詞<きれいだ(終止形)>は<きれい+だ>と解釈でき、強調構文の

きれいなのは花子だ。
花子はきれいなのだ。花子がきれいなのだ。

が体言(名詞)の場合と同じなので<名詞型形容詞>、<xx な、xx だ>という変な語尾変化はしない、<な><だ>は助詞、助動詞とすれば<形容名詞>という文法分類名も考えられる。 


4.動詞

yyするのは(まさしく、ほかでもない)xx だ。

たとえば

It is Taro who made a mistake.
ミスをしたのは太郎だ。

It is Taro who made a mistake, not me.
ミスをしたのは私ではなく、太郎だ。

日本語では

yyyy したのは xx 

別に過去形でなくてもいい。

It is Taro who always makes a mistake, not me.
いつもミスをするのは私ではなく、太郎だ。

It is Taro who will make a mistake, not me.
ミスをするのは私ではなく、太郎だろう。

以上は表面的なことで、このポストで話を進めるのは、<なのは、のは xx だ>の<の>がなぜ強調構文に絡むのか、ということだ。上で

バカなのは太郎だ。

は強調だが<なの>は<おまけ>の口調のようなものになる。

と書いたが

美しいのは花子だ。美しいのが花子だ。
きれいなのは花子だ。きれいなのが花子だ。
ミスをしたのは太郎だ。 <ミスをしたのが太郎だ>はまれだ。

の形容詞、形容動詞、動詞では<の>、<なの>がないと文にならない。 

美しいは花子だ。 美しいが花子だ。
きれいは花子だ。 きれいが花子だ。
ミスをしたは太郎だ。 ミスをしたが太郎だ。

<の>は幾つかの意味があるが、その一つに体言化(名詞化)がある。正確には体言化(名詞化)というよりは<こと>、<ひと(もの=者)>、<とき>、<場所>を表わす。

美しいひとは花子だ。 美しいひとが花子だ。
きれいなひとは花子だ。 きれいなひとが花子だ。
ミスをしたひとは太郎だ。 ミスをしたひとが太郎だ。

これでは<ひと>ばかりだが

その話を花子にしたのがそもそも間違いなのだ
その話を花子にしたことが間違いなのだ。 (二番目の<なのだ>も強調)

注意したのは昨日(きのう)なのに今日(きょう))また遅刻だ。
注意したときは昨日(きのう)なのに今日(きょう))また遅刻だ。(二番目の<なのに>はまた別だ)

昨日行ったのは東京で大阪ではない。昨日行ったのは大阪ではなく、東京だ。
昨日行ったところは東京で大阪ではない。昨日行ったところは大阪ではなく、東京だ。

確かに<の>は<こと>、<ひと(もの=者)>、<とき>、<場所>を表わが、強調構文の構成語というほどのことはない。

少しもどって

その話を花子にしたのがそもそも間違いなのだ
その話を花子にしたことが間違いなのだ。 (二番目の<なのだ>も強調)

 の<二番目の<なのだ>も強調>について考えてみる。これから<なの>を除くと

その話を花子にしたのがそもそも間違いだ。

<が>を<は>に代えてみる。

その話を花子にしたのはそもそも間違いだ。

比較してみると<その話を花子にしたのが>は強調になっている。この強調は<の>ではなく<が>に由来しているようだ。断定の助動詞<だ>を除いてみる。

その話を花子にしたのがそもそも間違い。
その話を花子にしたのはそもそも間違い。

やはり<その話を花子にしたのが>は強調になっている。

その話を花子にしたのはそもそも間違い。 

は平叙文に近い。<の>のない

その話を花子にしたがそもそも間違い。 

はナンセンスな文なので<の>に働きがあることになる。言い換えると<xx のが>と<xx のは>に違いがあることになる。

働くばかりでなく、ときどき休むのがいい。
働くばかりでなく、ときどき休むのはいい。

<いい>の方を強調すると

働くばかりでなく、ときどき休むのがいいのだ。
働くばかりでなく、ときどき休むのはいいのだ。 (これは間違いではないが、何か変だ)

これは一般性がありそう。

太郎がいいのだ。太郎がダメなのだ。太郎がよくないなのだ。
太郎はいいのだ。太郎はダメなのだ。太郎はよくないなのだ。

花子が静かなのだ。花子が行くのだ。花子が行ったのだ。花子が来ないのだ。
花子は静かのだ。花子は行くのだ。花子は行ったのだ。花子は来ないのだ。

法則性はあるようだ。これからすると

xx が yy なのだ。

は強調構文と言えそう。<xx>人でなくてもいい。

ことしの7月はとても暑かったのだ。(少し変だが、いいとして、平叙文)

ことしの7月がとても暑かったのだ。(何か変だ)

ことしは7月はとても暑かったのだ。(<は><は>と続くので聞きづらいが、まったくダメということはない)

ことしは7月がとても暑かったのだ。(強調)

だが<の>のなぞはまだとけていない。

xx なので(ので) 

という言い方がある。だいたい理由述べる時に使う、

xx だから(から)

という言い方もある。これもだいたい理由述べる時に使う。

<xx なので(ので) >はややあらたまった感じ、<xx だから(から)>は軽い感じだ。この違いをもう少しよく調べてみると、強調構文の<なのだ(のだ)>がもっとよくわかるかもしれない。このポストが長くなってきたので次回に続く。

 

sptt

 

 


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