Thursday, September 9, 2021

<と>は接続法助詞

 
<と>についてはかなり前に ” <と>は日本語の大発明 ” というポストを書いている。今回のポストはその補足。

少し前のポスト ”<これはペンです>に動詞はないのか?” で

"
デカルトの Cogito, ergo sum. (われ思う、ゆえに我あり)という有名な言葉がある。 英語版は I think, therefore I am. Cogito, ergo sum. はあとでまたでてくるが、哲学は別として文法上、さらには言語上、検討する価値がある。

"

と書いた。このときは<と>の役割については考えていなかったが、<われ思う、ゆえに我あり>は、考えてみると、ややこしくなるが

 <われ思う、ゆえに我あり>とデカルトは言った。

で<と>が使われる。これは ” 引用の<と>” と言える。ところで、デカルトになってみると

私は考える <われ思う、ゆえに我あり>と。
<われ思う、ゆえに我あり>と私は考える。

でこれまた<と>がでてくるが、これは ” 引用の<と>” ではない。これは<私>が考えていることの内容の表明で、日本語では<われ思う、ゆえに我あり>の箇所はそのままだ。英語も

I think that I think, therefore I am.  

だが、おそらく

I think,   that I think, therefore I am.   

のように言わないとわかりずらいだろう。だが< I think, therefore I am. > の部分はそのままだ。

一方フランス語、イタリア語、ドイツ語などでは接続法というのがあって、<考える>内容を表明するときは接続法を使うことになっている。なぜかというと、<考える>内容は事実でないからだ。接続法に慣れるまでは<変な感じ>だが、反対に慣れてしまうと接続法を使わない方が<変な感じ>になる( たぶんウソをついてるという罪悪感も含まれる)だろう。たとえば、いま再勉強中のイタリア語では

From Reveso English - Italian (Dictionary)

I don't think it likely   penso che sia improbabile
I don't think it can be done   non penso che si possa fare
I think (that) you're wrong   penso che tu abbia torto

Reveso なので Italian-English (Dictionary) で penasare も調べてみたが、適当な例文があまりないので Italian-English (Context) の方も調べてみた。

penso che sia colpa sua   I think it is his fault o that he is to blame  (Dictionary)

以下Context から。

Inizio a pensare che sia indistruttibile.
I'm starting to think that he might be undestroyable.

distruttibile = distruttibile.
to destroy = distruggere (destroyed = distrutto)

Mi piace pensare che Darwin avrebbe davvero apprezzato questo.
I love to think that Darwin would have really appreciated this.

Farle pensare che stia sorprendendo te.
Let her think she's sneaking up on you.  

sorprendere: to surprise, to sneak up on someone to surprise
to sneak up on someone: To approach someone or something in a sneaky, furtive manner so as not to be noticed.

例文をみると、英語の方も英語の接続法とも言うべき、would や might が使われている。このようなう英語、接続法的 would や could が使えれば英語のlevel はかなり高いといえる。

さて日本語にもどって、<xxxx と考える>を考えてみる。<考える>はややあらたまった言い方で、ふつうは<xxxx と思う>。デカルトも<われ考える、ゆえに我あり>と言ったはずだが、日本語では<われ思う、ゆえに我あり>になっている。

日本語に接続法はないが、

多分、おそらく xxxx と考える(思う)
xxxx ではないかと考える(思う)
xxxx と考えられる(思われる)
xxxx と言われている。
(確かではないが)xxxx と聞いている。

は接続法的な言い方(修辞)だ。しかし

I don't think it likely   penso che sia improbabile

私はそうではないと思う(考える)。私はそうとは思はない。
私はそうじゃないと思う。
私はそうなるとは思わない。私はそうならないと思う。

I don't think it can be done   non penso che si possa fare 

私はそれがなされるとは思わない(考えない)。

I think (that) you're wrong   penso che tu abbia torto 

私は君が間違っていると思う。‐ これはなぜか<考える>ではかなり変な日本語だ。

以上の日本語の例文を何度か読んでいると、<と>自体に接続法のニュアンスがあるように思えてくる。

xx 軍が勝つ(もの)と信じている。
xx 軍がまけるようなことはないと信じている。 

も同様だ。

接続法に反するような断定の<だ>がついた場合はどうか?

私はそうだとは思はない(考えない)。
私はそれがなされるのだとは思わない(考えない)。
私は君が間違っているのだと思う。

変ない方もあるが断定の<だ>の意味はほとんど感じられない。<だ>を強調していっても大して変わらないようだ。<私は>と<と思う>と除いてみる。

そうだ。
それがなされるのだ。 ->それなされるのだ。
君が間違っているのだ。

で断定の<だ>の意味が出て来る。日本語ではごくふつうに<わたしは>は省かれる。

そうだとは思はない(考えない)。
それがなされるのだとは思わない(考えない)。
君が間違っているのだと思う。

これまた断定の<だ>の意味はほとんど感じられない。

以上もっともらしいが、都合のいい<と>だけをとりあげたので、正しくはないだろう。日本語の接続法については、時間があれば、再度検討する予定。


sptt

 



 

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