<と>についてはかなり前に ” <と>は日本語の大発明 ” というポストを書いている。今回のポストはその補足。
少し前のポスト ”<これはペンです>に動詞はないのか?” で
"
デカルトの Cogito, ergo sum. (われ思う、ゆえに我あり)という有名な言葉がある。 英語版は I think,
therefore I am. Cogito, ergo sum.
はあとでまたでてくるが、哲学は別として文法上、さらには言語上、検討する価値がある。
"
と書いた。このときは<と>の役割については考えていなかったが、<われ思う、ゆえに我あり>は、考えてみると、ややこしくなるが
<われ思う、ゆえに我あり>とデカルトは言った。
で<と>が使われる。これは ” 引用の<と>” と言える。ところで、デカルトになってみると
私は考える <われ思う、ゆえに我あり>と。
<われ思う、ゆえに我あり>と私は考える。
でこれまた<と>がでてくるが、これは ” 引用の<と>” ではない。これは<私>が考えていることの内容の表明で、日本語では<われ思う、ゆえに我あり>の箇所はそのままだ。英語も
I think that I think, therefore I am.
だが、おそらく
I think, that I think, therefore I am.
のように言わないとわかりずらいだろう。だが< I think, therefore I am. > の部分はそのままだ。
一方フランス語、イタリア語、ドイツ語などでは接続法というのがあって、<考える>内容を表明するときは接続法を使うことになっている。なぜかというと、<考える>内容は事実でないからだ。接続法に慣れるまでは<変な感じ>だが、反対に慣れてしまうと接続法を使わない方が<変な感じ>になる( たぶんウソをついてるという罪悪感も含まれる)だろう。たとえば、いま再勉強中のイタリア語では
From Reveso English - Italian (Dictionary)
I don't think it likely penso che sia improbabile
I don't think it can be done non penso che si possa fare
I think (that) you're wrong penso che tu abbia torto
Reveso なので Italian-English (Dictionary) で penasare も調べてみたが、適当な例文があまりないので Italian-English (Context) の方も調べてみた。
penso che sia colpa sua I think it is his fault o that he is to blame (Dictionary)
以下Context から。
Inizio a pensare che sia indistruttibile.
I'm starting to think that he might be undestroyable.
to destroy = distruggere (destroyed = distrutto)
Mi piace pensare che Darwin avrebbe davvero apprezzato questo.
I love to think that Darwin would have really appreciated this.
Let her think she's sneaking up on you.
sorprendere: to surprise, to sneak up on someone to surprise
to sneak up on someone: To approach someone or something in a sneaky, furtive manner so as not to be noticed.
例文をみると、英語の方も英語の接続法とも言うべき、would や might が使われている。このようなう英語、接続法的 would や could が使えれば英語のlevel はかなり高いといえる。
さて日本語にもどって、<xxxx と考える>を考えてみる。<考える>はややあらたまった言い方で、ふつうは<xxxx と思う>。デカルトも<われ考える、ゆえに我あり>と言ったはずだが、日本語では<われ思う、ゆえに我あり>になっている。
日本語に接続法はないが、
多分、おそらく xxxx と考える(思う)
xxxx ではないかと考える(思う)
xxxx と考えられる(思われる)
xxxx と言われている。
(確かではないが)xxxx と聞いている。
は接続法的な言い方(修辞)だ。しかし
I don't think it likely penso che sia improbabile
私はそうではないと思う(考える)。私はそうとは思はない。私はそうじゃないと思う。
私はそうなるとは思わない。私はそうならないと思う。
I don't think it can be done non penso che si possa fare
私はそれがなされるとは思わない(考えない)。
I think (that) you're wrong penso che tu abbia torto
私は君が間違っていると思う。‐ これはなぜか<考える>ではかなり変な日本語だ。
以上の日本語の例文を何度か読んでいると、<と>自体に接続法のニュアンスがあるように思えてくる。
xx 軍が勝つ(もの)と信じている。
xx 軍がまけるようなことはないと信じている。
も同様だ。
接続法に反するような断定の<だ>がついた場合はどうか?
私はそうだとは思はない(考えない)。
私はそれがなされるのだとは思わない(考えない)。
私は君が間違っているのだと思う。
変ない方もあるが断定の<だ>の意味はほとんど感じられない。<だ>を強調していっても大して変わらないようだ。<私は>と<と思う>と除いてみる。
そうだ。
それがなされるのだ。 ->それはなされるのだ。
君が間違っているのだ。
で断定の<だ>の意味が出て来る。日本語ではごくふつうに<わたしは>は省かれる。
そうだとは思はない(考えない)。
それがなされるのだとは思わない(考えない)。
君が間違っているのだと思う。
これまた断定の<だ>の意味はほとんど感じられない。
以上もっともらしいが、都合のいい<と>だけをとりあげたので、正しくはないだろう。日本語の接続法については、時間があれば、再度検討する予定。
sptt
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