If I were a bird, (I would fly to you)
は英文法の教科書や参考書にでてくるが、現実離れしているので(使うことはない)真剣に考えたことはなかった。後半はいろいろバリエイションがあると思うが<I would fly to you>も当然現実ばなれしている。
なぜ If I am a bird ではいけないのかと言うと、現実的に<鳥ではないし、鳥になることもできない>からで、現実と区別するため、と言えよう。
日本語では、後半部を少し変えて
もし鳥なら、飛べる。
で仮定の話になる。だがここで注意したいのは、 現実的に<鳥ではないし、鳥になることもできない>から仮定なのであって、言葉上は仮定とは限らない。たとえば<私がすでに鳥なっている>場合はまったく仮定ではなく
私は鳥なので、飛べる。
と言える。
鳥なら、飛べる。
鳥であれば、飛べる。
の場合も仮定ではなく、 <鳥ではないし、鳥になることもできない>を無視した純理論的な発話で、これは可能。前半部は普通<条件文>という。<もし>をつけた場合は
もし鳥なら、飛べる。
もし鳥であれば、飛べる。
となり、仮定っぽくなるが、仮定文ではなく、まだ条件文だ。前半部をさらに仮定っぽく変えてみる。
もし鳥だったなら、飛べる。
もし鳥であったならば、飛べる。
前半部は過去形、完了形になっているので、 現実離れした仮定の雰囲気がでてくる。だが後半部が現実にとどまっているので、おかしい。後半部を変えてみる。
もし鳥だったなら、飛べるのに。
もし鳥であったならば、飛べるのだが。
<だが>はいかにも反語で<実際には鳥でないので、飛べない>が言外で言おうとしていることだ。チェックしていないが<のに>も<だが>と似たようなものだろう。
日本語の話が長くなってしまったが
If I were a bird, I would fly to you. は普通
もしも私が鳥だったら、私はあなたの所へ飛んでいくのに。
と訳される。文法的には
<もしも>、<だったら>、<いくのに>が重要だ。
<もしも>は<もし>の強調版で
もし私が鳥だったら、私はあなたの所へ飛んでいくのに。
とすると、仮定度が弱まり、まじめに仮定していない感じだ。
<だったら>はかなりの頻度で耳にし、私も使う。また言葉に出さなくても<だったら>は頭の中では相当の頻度で使っている。<もし>なしでもいい。
いま金持ちだったら
あのとき金持ちだったら<だ>は断定の助動詞だ。いずれも<だったら>で問題ない。
いま金があったら
あのとき金があったら
<ある>は存在、所有をあらわす動詞だ。これもいずれも<あったら>で問題ない。普通の動詞はどうか?
いま行ったら、間にあうのに。
あのとき行ったら、間にあったのに。
2番目は少し変で
あのとき行っていたら、間にあっていたのに。
の方がいい。
あのとき金持ちでいたいたら
あのとき金があっていたら
はダメだ。形容詞のな場合はどうか。
いま美しかったら、モデルになるのに(ところだ)。
あの時美しかったら、モデルになっていたのに(だろうに、ところだ)。
あの時美しかったいたら
あの時美しかっていたら
あの時美しくあっていたら、
はダメだ。
形容詞もいずれも<美しかったら>でいい。
したがって、まとめると
断定の助動詞<だ>の場合
いま金持ちだったら
あのとき金持ちだったら
存在、所有の<ある>の場合
いま金があったら
あのとき金があったら
形容詞の場合
いま美しかったら
あの時美しかったら
<ったら>で仮定法過去、仮定法過去完了をカバーする。<ったら>は促音便だ。
一方動詞の場合は
いま行ったら、間にあうのに。
あのとき行ったら、->あのとき行っていたら、間にあっていたのに。
仮定法過去完の場合は<行っていたら>と<いた>がつく。
以上は大きな違いだ。これはおもしろい論議で、別途検討予定。また後半は<もし>なしで仮定文を使っているが、仮定の気分 (mood) は十分でている。
If I were a bird に似ているのに I wish I were a bird. というのがある。これも内容は現実離れしているので変テコな仮定形 were が使われている。
sptt
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