Monday, May 10, 2021

逆接と譲歩のあいまいさ-4、all the same、やはり

しつこいが<逆接と譲歩のあいまいさ>はまだ続く。前回のポスト” 譲歩の大助詞<も>” で助詞<も>、そして<ても>、<でも>、<とも>の譲歩がらみの助詞句をとりあげたが、このポストでは 譲歩句を調べてみる。


別のブログ<sptt やまとことばじてん>の方のポスト<まく、巻く、撒く(蒔く)、相手を(煙)に巻く>で次にように書いている。


さて、この<巻く>だが、たいそう広範囲に活躍する。


任(まか)す、賄(まかな)う、は漢字で書くと見えにくくなるが、まかす(ma-ka-su)、まかなう(ma-ka-na-u)で<まく(ma-ku)>と関連がある。この場合の<まく>は<巻く>の<まく>だ。<巻く>とはどういうことかというと、上述のように<あるモノ(コト)のまわりを何かが一まわり以上する、何かで一まわり以上させる>ことで、特に他動詞の場合は<あるモノ(コト)の>に制限、拘束をくわえることを意味する。<巻く>を<(ぐるぐる)しばる、しめる>とすればこの意味が鮮明になる。但し、<しばる、しめる>や<巻きつける>にくらべると<巻く>は制限、拘束の度合いが弱く、<あるモノ(コト)>は動く自由がある。動く自由があるが、制限、拘束をくわえれれている、ということだ。これは重要なことで、大げさに言えば、法治国家、民主主義にかかわってくる。こう説明すれば、任(まか)す、賄(まかな)う、が<巻く>と関連があることが推測できよう。

任(まか)す - あるモノ(コト、ある人)にある程度の自由をあたえてxx させる、の意だ。
賄(まかな)う - あるモノ(コト、ある人)からにある程度の自由をあたえられてxx する、の意だ。

(中略)

<巻く>から離れるが、この意味では<囲む>も<巻く>に似ており、囲まれた<あるモノ(コト)>は動く自由がある。動く自由があるが、制限、拘束をくわえれれている。これは意識上、したがって言語上(言語は意識を反映している)の重要なコンセプトだと思う。



この内容は逆説、譲歩に関連がある。特に最後の部分が肝心だ。今度は辞書や文法にあまりとらわれず、実際よく耳にする、使う言葉から始めて、文法にもどることにする。タイトルの<逆接と譲歩のあいまいさ>のようにあいまいだが、逆接も含むが譲歩表現と思われるものを並べてみる。

1)それでも

<それでも>は譲歩句の代表だろう。

道はけわしいが、それでも進む

歌の文句に

嵐も吹けば 雨も降る 女の道よ なぜ険し 君を頼りに 私は生きる ここに幸あり 青い空

というのがある。 これでは譲歩表現にならないが

嵐も吹けば 雨もふる。 女の道はけわしいが、それでも君を頼りに生きれば幸がある。

で譲歩表現にはなる。幸(さち)は海の幸、山の幸で現実的すぎ少し具合がわるいが、まったくダメというわけではない。普通は<しあわせ>と解釈されるのだろが、<さち>はすぐには<しあわせ>に結びつかない。言葉足らずなのだ。

道はけわしいが、進む

<xxxxが>だけでは逆接だが、内容からは

道はけわしいが、それでも進む

の譲歩表現ともとれる。ここがあいあいなところなのだ。だが<それでも>があると譲歩がはっきりする。<それでも>は

それ+で+も

簡単な言い方だが、英語でいえば、nevertheless、notwithstanding、in spite of、despite に相当する。 nevertheless、in spite of、despite には

道はけわしいが、それにもめげず (それにもかかわらず) 進む

の意がある。 

 

2)にもかかわらず(それにもかかわらず)

これは日本語(大和言葉)らしくない。というのはこれは多分に上にあげた英語 nevertheless、notwithstanding、in spite of、despite の翻訳調だからだろう。英語ではさらに regardless of、あまり聞かず使わないが all the same というのがある。

regardless of xx は<xx に関係なく>で<xx にもかかわらず>とは少しニュアンスが違う。大和言葉では<xx におかまいななく>というがあり、こちらの方が regardless of xx に近いか。<少しニュアンスが違う>と書いたが、どこがどう違うかというと<xx にもかかわらず>は譲歩ぎみ、<も>がない<xx にかかわらず>、<xx に関係なく>、<xx におかまいななく>は譲歩性が薄いと言えるか。だが<も>のなせるわざで<xx もおかまいななく>とすると譲歩ぎみになる。

雨降りにかかわらず、出かけた。
雨降りにもかかわらず、出かけた。
雨降りにおかまいなく、出かけた。
雨降りもおかまいなく、出かけた。 

その他ではregardless of xx、<xx に関係なく>に似た表現では

xx はさておいて
xx はとにかく (<とにもかくにも>という慣用表現があるが<xx はとにかく>とは違う)
xx は別にして
xx は別にしても (これもまた<も>がつくとニュアンスが違ってくる。

前回の」ポスト” 譲歩の大助詞<も>” で引用したが

手もとの辞書の<も>の解説の一番目

1) 類似した事柄を列挙したり、同様の事柄がまだあることを言外に表わしたり、する。

手もとの辞書の<たり>の解説。

ある動作を例示的にあげ、関連する他の場合を言外に暗示することを表わす。

の<同様の事柄がまだあること>を表わしており、予想の反対を単純に表わす逆接ではなく譲歩話法と言える。

<かまう>や関連語の<かまける>はおもしろい大和言葉だが、ここではこれ以上触れず(末尾注) all the same の日本語を探してみる。 この all the same は最近の<逆接と譲歩>シリーズではこれまで説明していない。

3)all the same、やはり

all the same の例文と解説、同義語

in spite of this; nevertheless.
"she knew they had meant it kindly, but it had hurt all the same"

synonyms: in spite of that/everything, nevertheless, nonetheless, even so, however, but, still, yet, though, be that as it may, for all that, despite that/everything, after everything, having said that, just the same, at the same time, in any event, come what may, at any rate, notwithstanding, regardless, anyway, anyhow, still and all, howbeit, withal, natheless

同義語がやたら多いが、けっして同じ意味、同じ使われ方というわけではない。最後の方のいくつかは覚えなくてもいいだろう。

https://dictionary.cambridge.org/dictionary/english/all-the-same

all the same

despite what has just been said: 
It rained every day of our holiday - but we had a good time all the same.


https://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/all-the-same-just-the-same

all the same/just the same

phrase
You can say all the same or just the same to introduce a statement which indicates that a situation or your opinion has not changed, in spite of what has happened or what has just been said.
 
The payment was a private arrangement. All the same, it was illegal.
He was unable to pay attention to the papers. Just the same, he started to examine them.
Matt is weak and dependent, but you love him all the same.
...jokes that she did not understand but laughed at just the same.

日本語との比較はこれからするが、イタリア語との比較もおもしろい。

Reverso  Context (Englush-Italian)

But I scored 40 points all the same.   -    Ma sono 40 punti lo stesso.

Possibly not, but you should know it, all the same. -  Probabilmente no, ma dovreste saperla lo stesso.

Actors and actresses, we need you all the same.  -   Attori e attrici, abbiamo ugualmente bisogno di voi.

We might not witness those results, but they happen all the same.  -  Potremmo non essere testimoni di quei risultati, ma accadono ugualmente.

We must leave all the same, Fulvio.  -  Noi dobbiamo partire lo stesso, Fulvio.

Thanks all the same... but I can't tell you.  -  Grazie comunque... ma non posso dirtelo.

イタリア語の方は

lo stesso - 同じこと
ugualmente  - 同じように、変わらずに
comunque は難しいが、however, no matter what (how), anyway  など意味がある。

さて日本語だが、意外だが簡単にみつかった。<やはり>だ。日常口語では<やっぱり>、さらには認知されていないようだが<やっぱし>、<やっぱ>というのもある。気がつかないがそれだけ多く使っているからだろう。<やっぱし>は<やはり>+<しかし>由来ではないか。<やはり>と言ったり、思ったりするときに、無意識だが予期(予想、はず)に反した逆接<しかし>が頭の片隅にあるようだ。

しかし(しかしながら)、やはり . . . .

はごく自然な言い方だ。では<やはり>は譲歩表現で使われるのか?

それでも、やはり /  やはり それでも

も自然な言い方だ。<それでも>は<にもかかわらず>相当で譲歩表現で使われる。上の英語のall the same 例文をチェックしてみる。

"she knew they had meant it kindly, but it had hurt all the same."

彼女は彼らが親切からしたこと(いったこと)なのはわかっていたが、やはり心が傷(きず)ついた。

それでも心が傷(きず)ついた。
それでもやはり心が傷(きず)ついた。
やはりそれでも心が傷(きず)ついた。 

わかっていたなら、心が傷(きず)つくことはなかったのだが、それでもなお心が傷(きず)ついた。

で予期(予想、はず)に反した逆接、といえる。<彼女は彼らが親切からしたこと(いったこと)なのはわかっていたにもかかわらず>というほどのことはない。英語の all the same は<変わらずに同じ>というニュアンスだ。あるいは<わかっていても、わかっていないのと変わらず、同じように心が傷(きず)ついた>と言ったニュアンスか?

It rained every day of our holiday - but we had a good time all the same.

休暇中は毎日雨降りだった。それでも私たちは楽しく過ごした。

休暇中は毎日雨降りだった。(それ)でもやはり私たちは楽しく過ごした。

は少しくどい感じだ。

休暇中は毎日雨降りだったが、やはり私たちは楽しく過ごした。

もなにかおかしい。<やはり>は具合がわるい。おそらく、この all the same には譲歩の意味合いがあり、 

休暇中は毎日雨降りにもかかわらず、私たちは楽しく過ごした。

<雨が降ろうが降るまいが、変わることなく、楽しく過ごした>という意味ではなく、<雨が降っても、降らないのと同じように(降らないのと変わることなく)、楽しく過ごした>ならいい。英語の all the same にくらべると、日本語の<やはり>は出る幕ははるかに多い。

<やはり>を手もとの辞書で調べてみた。

1. 時間の経過にもかかわらず、以前のままの状態がみとめられる様子。

<かかわらず>と<以前のままの状態>に注目。

1)今でもやはり米屋をやっている。

2)前から変だと思っていたが、やはりどこかおかしい。

1)は<今でも>が<時間の経過にもかかわらず>に相当するようだが、そうではない。したがってかならずも譲歩ではない。逆接でもない。むしろ順接だ。<米屋をやっていない>状況が暗示されていないのだ。

時間は経過しているが

時間は経過しているが、それにもかかわらず、今でも xxxx だ。 (変化の予測、期待がある)

なら譲歩

時間は経過しているが、 今でもxxxx だ。 (変化の予測、期待がなく、単なる叙述)

むしろ

時間は経過しているが、 今でxxx だ。

時間は経過しているが(遅れたが)、 今でxxx だ (変化の予測、期待があった)

 となる。だがこれは譲歩でない。そして予測(期待)した通りの何らかの変化を表わしている。<以前のままの状態>ということであれば

今でもまだ米屋をやっている。

だ。

今でもやはりまだ米屋をやっている。

は<以前のままの状態>がはっきりするが、くどくなる。


2. 他の可能性も考えられないではなかったが、当初予測(期待)した通りのことが認められる様子。

<他の可能性>の存在に注目。

1)一縷の望みをいだいていたが、やはり助からなかった。

2)やはり彼が犯人だった。

3.  他の可能性も考えられたものの、最終的な結論としては、同様のものと変わりない状態が認められる様子。

 <他の可能性も考えられたものの>、<同様のものと変わりない状態>に注目。

1)何といっても、やはり母親は強い。

2)やはり名人のやることはちがう。 

3)りこうそうでも、やはり子供だ。

4)わたしたもやはり反対だ。

5)皆が行くなら、やはりわたしも行くことにしよう。

6)やはり言ったとおりになった。

1)何といっても、やはり母親は強い。

は解説とあわない。 <何といっても>に<他の可能性も考えられたものの>の意がないのだ。<同様のもの>は<母親一般>か?

2)やはり名人のやることはちがう。 

これも<同様のもの>は<名人一般>で、話題にしているいる個別の名人は、<他の可能性も考えられたものの>、<名人一般>と同じということに落ち着いた、というニュアンスがある。 この例文はっ次の3)とちがって具体的に<他の可能性>を明示してはいない。

3)りこうそうでも、やはり子供だ。

これも<同様のもの>は<子供一般>で、話題にしているいる個別の子供が<他の可能性=この場合は ” 大人のようにりこうであること、も考えられたものの>、<子供一般>と同じように ” まだ大人のようにりこうではないこと” がわかった、というニュアンスがある。この例文は<りこうそうでも>で<他の可能性>を明示している。

4)わたしたもやはり反対だ。

はこのままでは<他の可能性も考えられたものの>意は読み取れない。したがって譲歩の意はない。また<同様のもの>が明示されていない。

5)皆が行くなら、やはりわたしも行くことにしよう。

もこのままでは<他の可能性も考えられたものの>意は読み取れない。<皆が行くなら>は後半の結論の仮定の理由で、譲歩、逆接の事情ではない。<同様のもの>は<皆>で明示され、また<同様のものと変わりない状態>になっている。

 

<やはり>の語源

説得力のある語源解説がないので語源不詳だろう。

私説<やはり>の語源

<やはず(矢はず)という古い言葉がある。弓をひくひと(アーチェリーをする人)には説明するまでもないだろうが、ネット辞典では

https://www.weblio.jp/content/ヤハズ

や‐はず【矢×筈】

矢の末端の弓の弦(つる)を受ける部分。矢柄を直接筈形に削ったものと、竹・木・金属などで作って差したものとがある。

模様の名。また、紋所の名。1の形を図案化したもの。

竹や棒の先が二股になった、掛物を掛ける道具。

矢筈の画像

矢筈(1)の位置


と詳しい説明がある。

それぞれの部分はそれぞれ役目があるが、<やはず>は矢を弓の弦(つる)に<固定>する。相撲の<ハズ押し>はこの<矢ハズ>由来。手を筈形にして相手を押すことだ。このあたりの日本語は発達していて、”<やはず>は矢を弓の弦に<固定>する>” ことを<矢をつがえる>という。<つがえる>はすぐには漢字がでてない純大和言葉だ。今はほとんど聞かないが、<言葉をつがえる>とは<約束する>という意味だ。

<固定>は言い換えると<定>で、<変わることなし>の意に通じる。<xx のはず>もこの<ハズ>由来ではないか? - 私説<はず>の語源

 <やはり>の語源

やはずのようにあり(動かない、変化がない) ->  やはずあり  -> やはり

 

末尾注

<かまう>や関連語の<かまける>はおもしろい大和言葉だが、ここではこれ以上触れず . . . . .

<かかわらず>関連の言葉を調べてみた。なぜかこの辺の大和言葉は発達している。



1)関係する

かまう、かまける

かかわる 、かかわりあう
かかずらう、かかずりあう
かかる(掛かる、係る)
ひっかかる

2)影響する

影(かげ)を落とす
ひびく(響く)
効(き)く   
動かす、動かされる
さしつかええる <- つかえる (つかえて進まない)。この<つかえる>もすぐには漢字が出てこない。
わずらわす

3)阻害する

さえぎる   (<さえぎる>は<遮る>ではなく<先切る>で、<先を切ると進まない>がおおもとの意味だ。
とめる(止める)
さしとめる

純大和言葉ではないが

邪魔(じゃま)する 

4)停滞する

とどまる
とどこおる - つまる、つかえる

5)断念する (進むのをやめる)

やめる
あきらめる
ひるむ (これもすぐには漢字が出てこない)
めげる
負ける
敗(やぶ)れる
しりぞく(退く)

6)憂慮する、心配する

気にかける
かえりみる
恐(おそ)れる
迷(まよ)う 

とまどう
まどう、まどわす


以上のうち<かかわらず>の置き換えをためしてみた。

たとえば、<雨に(も)かかわらず出かけた>

雨にかまわず、雨 もかまわず、出かけた。

雨にわずさわれること(も)なく、雨にもわずさわれることなく、出かけた。

雨にさえぎられること(も)なく、雨にもさえぎられることなく、出かけた。

雨に止められること(も)なく、雨にも止められることなく、出かけた。

雨にひるむことなく、雨にもひるむことなく、出かけた。

雨に負けず、雨にも負けず、出かけた。

またたとえば、<困難にもかかわらず、やりとげた。>

困難にさえぎられず、やりとげた。困難にもさえぎられず、やりとげた。
困難にさえぎられること(も)なく、やりとげた。困難にもさえぎられることなく、やりとげた。

困難にさえぎられること(も)なく、やりとげた。困難にもさえぎられることなく、やりとげた。

困難にとどこおること(も)なく、やりとげた。困難にもとどこおることなく、やりとげた。

困難にもあきらめることなく、やりとげた。

困難にひるむこと(も)なく、やりとげた。困難にもひるむことなく、やりとげた。

困難に負けることなく、やりとげた。困難にも負けるむことなく、やりとげた。

困難を気にかけること(も)なく、やりとげた。


もちろん 他の可能性もある。

 

sptt

 

 

 

 


 

  

 

 

 

 



 

 

 

 

 

Sunday, May 2, 2021

譲歩の大助詞<も>、<も>は大助詞-2


最近譲歩表現をいろいろ調べているうちに<も>が大活躍しているのを発見した。<も>は列挙や追加の副助詞というのがまず思い浮かぶが、譲歩の観点からすると<も>は日本語の大助詞だ。<も>なしでは譲歩のレトリックが大きく限られる。見方を変えると、日本語は意識したレトリックはあまり活躍しないが無意識のうちにレトリックを使っている。もっともよく使われる無意識のうちのレトリックは譲歩で、この譲歩表現に<も>がきわめてよく使われる。念のため<も>を手もとの辞書(三省堂新明解)で調べてみた。いろいろ書いてあるが、どうも的を得ていないというか、少なくとも譲歩の働きについては明確に書いていない。 もっと掘り下げが必要のようだ。もっとも辞書の限られたスペースを考えると、ベストを尽くしているのかもしれない。辞書の解説と例文は次の通り。

1) 類似した事柄を列挙したり、同様の事柄がまだあることを言外に表わしたり、する。

あなたが行けば、わたしも行く
本も買った
菊もかおる季節
あれもこれもと願う親心
海も山も人で一杯
雨もふるし、風も強い

<類似した事柄を列挙したり、同様の事柄がまだあることを言外に表わしたり、する。>は<たり>があるため明確な説明ではない。<たり>は余韻を残し<同様の事柄がまだあること言外に表わす>、または無意識のうちに<表わしていまう>。<たり>の辞書の解説は大いに参考になるのだが、後回しにする。

例文の中には<類似した事柄の列挙>がないようだ。

AもBもCもDもみ同じようなものだ。AもBもCもDも類似している。
花子もいく。太郎も行く。美代子もいく、次郎も行く。
花子も太郎も美代子も次郎も行く。

が<類似した事柄の列挙>の例だ。

あなたが行けば、わたしも行く

は列挙とは言いがたい。もっと複雑だ。

<類似した事柄を列挙したり>で <類似した事柄の列挙>以外では

 類似した事柄を追加するがある。

花子に加えて、太郎も行く。 

<あれもこれもと願う親心>と<海も山も人で一杯>の<も>は列挙にみえるが、単純な列挙ではなく同様の事柄がまだあることを言外に表わし>ている。

<同様の事柄がまだあることを言外に表わす>はレトリック話法ではきわめて重要。<言外に表わす>だけに言葉で説明するのは難しい。聞き手の個人差もある。<あなたが行けば、わたしも行く>は言外に表す内容はないようだが、その他は言外に表わす内容がある。

本も買った - 本以外の買ったものがあることを言外に表わす。

菊もかおる季節 - これは少し難しい。菊以外にかおるものがあることを言外に表わしているだろうか?<バラがかおる、クチナシがかおる、キンモクセイがかおる>を言外に表わしているだろうか?

<菊もかおる季節>は<菊がかおる季節>、少し詩的に<菊かおる季節>と言えるが、<菊もかおる季節>は<菊かおる季節>に相当近い。上で<たり>で少しふれたが<余韻を残す>レトリックと言えないか。<余韻を残す>レトリックは歌によくつかわれる。<菊がかおる季節>は明確、間違いなくていいが、余韻が残らない。この明確さをさけて余韻を残す手法は詩や歌の歌詞に多い。多分作詞家も無意識のうちにやっているのだろう。

例: 

雨にも負けず、風にも負けず
嵐も吹けば、雨も降る
海も荒いが、気も荒い
若い希望も夢もある
なだれは消える花も咲く

意地に裂(さ)かれる恋もあり、夢に消される意地もある (これは<やまとことばじてん>の方の<傷だらけの人生>というポストで詳しく論じている)

(追加予定)

あれもこれもと願う親心

は<類似した事柄(子どもに対する願い)の列挙>と言えないこともないが、<あれもこれも>は一種の熟語で<あれとこれ>に限らずいろいろあることを示唆している(言外に表わしている)。

あれも欲しい、これも欲しい; あれもこれも欲しい

あれやこれやで忙(いそが)しい、という表現もある。

さらには

だれもかれも
どこもかしこも
どれもこれも

みごとな整然さだ。

海も山も人で一杯

は念を押して<海も山も、どこもかしこも、人で一杯>と言い換えられる。

も<海、山>に限らずどこも(実際はある特定の場所)人で一杯といったニュアンスがある。したがって<海も山もどこも(実際にはある特定の場所)人で一杯>で、上の<あれとこれ>に限らずいろいろあることを示唆している(言外に表わしている)、と同類だ。上の辞書にある<雨も降るし、風も強い>

は上にあげた

雨にも負けず、風にも負けず
嵐も吹けば、雨も降る

とは少し違う。これは<雨が降るのに加えて、風も強い>で打ち切れる。 たとえば<カミナリも鳴る>を付け足せるが、<カミナリが鳴る>ことを示唆している(言外に表している)わけではない。これは、追加、添加、<おまけ>の<も>と言える。だが後半の<風も強い>の<も>はこれでいいが前半の<雨も降るし>の<も>は何か?<雨が降るし、風も強い>、<雨は降るし、風も強い>はなんとなく語呂が悪いので語呂合わせの<も>か。

さて、例を一つ一つ検討していると大事なことを見逃しそうだ。大事なことは<1) 類似した事柄を列挙したり、同様の事柄がまだあることを言外に表したり、する。>の下線部分だ。

さて、始めの方で

<たり>は余韻を残し<同様の事柄がまだあること言外に表わす>、または無意識のうちに<表わしていまう>。<たり>の辞書の解説は大いに参考になるのだが、後回しにする。

と書いたので<たり>を調べてみる。 手もとの辞書の<たり>の解説。

ある動作を例示的にあげ、関連する他の場合を言外に暗示することを表わす。

<たり>は主に動詞につくので<動作>が使われている。この<たり>を頭の隅に置いて

1) 類似した事柄を列挙したり、同様の事柄がまだあることを言外に表わしたり、する。

を読み直すと

<も>は<言外に表わすこと>を<言外に暗示する>などとなる。

でわけがわからなくなる。

面白いといえば面白い。


手もとの辞書の解説2)は

2)極端な場合を取り上げて、そのものが例外でないことを示す。(例をあげ他はもちろんということを示す)


子どもにもわかる
猿も木から落ちる
あいさつもしない
わたしでもできますか
どこも満員だ
何もない
一つもない
一度も来ない

 <極端な場合を取り上げて、そのものが例外でないことを示す>の<そのもの>が何だかよくわからないし、例文で何が<極端な場合>なのかもよくわからない。カッコ内の<例をあげ他はもちろんということを示す>の方がわかりやすい。<示す>というよりは<暗示する>だ。この部分は重要で、言い換えて

例をあげ他はもちろんということを暗示する

とすると<他があることが前提で>1)の<同様の事柄がまだあることを言外に表わす>と同じことと言える。これが<も>の深い意味なのだ。

子どもにもわかる
猿も木から落ちる
あいさつもしない

私でもできますか 

以上は<子ども><猿>、<あいさつ>、<私>があげらえている例で<他のものはもちろん>の<他>は言葉で示されておらず、暗示されるのだが、容易に察しがつく。だが場合によりけりで、<暗示されること>はいろいろだ。これが暗示の作用で、余韻ともなる。定ではないがまったく不定というわけでもない。

子どもにもわかる -> 大人にわからないはずはない。大人のお前にわからないはずはない。

猿も木から落ちる -> 佐藤のような達人でも失敗することがある。

あいさつもしない -> (あいさつもしないくらいだから)電話してくるはずはない、謝(あやまり)りに来るはずはない。

私でもできますか  -> これは上の三例と少し違う。<私でもできます>なら -> もちろんあなたにはできます、だれでもできます、などが暗示される。 では<私でもできますか?>は何なのか?<もちろんあなたにはできますか?>、<だれでもできますか?>の暗示ではない。<私>は極端な場合でもない。<私>を例としてあげ、<他はもちろん(できます)か?>ということを暗示するわけでもない。これは先取りすることになるが辞書の3番目にでてくる

3)予期される限度をこえていたり、限界に達していたりすることを表わす。

があてはまりそうだ。この説明でもまた<たり>がでてくる。堂々巡りになりそうなので、次へ進む。

どこも満員だ
何もない
一つもない
一度も来ない

以上の四つは<例をあげ他はもちろんということを示す>では説明できない。<どこ>、<何>、<一つ>、<一度>は例ではない。根本的に違う。

どこも満員だ

の<どこ>は例にならない。 <どこ = where>は疑問(代名)詞、または不定、不特定(代名)詞だ。どこ = where の他に

何=what、だれ= who、どれ = which、いつ= when、どう(どのように)= how 

がある。疑問(代名)詞は疑問文に使われるが、当然ながらまだ定まっていないので不定、不特定だ。これらに一語、一音節ながら<も>がつくと、俄然(がぜん)様子が変わる。

どこも、どこにも、どこでも、どことも

なにも、なんにも、なんでも、なんとも

だれも、だれにも、だれでも、だれとも

どれも、どれにも、どれでも どれとも

いつも、(いつにも)、いつでも、いつとも

(どうも)、どうにも、どうでも、どうとも

これだけでは、整然さはわかるが、意味がよくわからない。例文を作って意味をチェックすると、<も>の特性がかなりわかる。

<どこも満員だ>にならうと

だれも間抜けだ
いつも間違える、いつも正しい答えを出す

は例外のないことを示す(または暗示している)。 2)極端な場合を取り上げて、そのものが例外でないことを示す。(例をあげ他はもちろんということを示す)、でないことは確かだ。

<何もない>にならうと

どこもない。わるいところはどこもない。
(だれもない) だれもいない。だれもしない。
(どれもない) どれでもない。
いつもない、いつもいない。
どうもない、この機械はどうもない(この機械の具合はどうもない)。胃の調子はどうもない。

<ない>がつくので否定だが、前面否定で例外がない。 見方をかえると、<例外がない>ということは言外に何かを暗示することがない、余韻を残さない、ということなのだ。言い換えると<も+ない>で<言外に何かを暗示する、余韻を残す><も>を否定、すなわち全面否定することで、きわめて明確、整然としている。きわめて理論的とも言える。しつこくなるが、タイトルの ” 譲歩の大助詞<も>”  にからめてさらに言い換えると

<言外に何かを暗示、余韻を残>したり、一歩譲って例外を認める譲歩の<も>を否定すると、全面的にこれらの譲歩の意味が消える。

といえる。 

一つもない
一度も来ない

もあえて説明を加えれば、最低の<一> の存在をも否定することで全面否定(=0)となるので、数学的な厳格さがある


さて次は上で先取りした3番目

3)予期される程度をこえていたり、限界に達していたりすることをあらわす。

上にあげた2)にある例

私でもできますか 

をもう一度考えて見る。これは<私もできますか>に<で>の一字を加えたものだが意味はまったく違ってくる。したがって<も>と言うよりは助詞熟語の<でも>のはたらきだ。日本語では<でも>は大活躍する。辞書でも<でも>で独立した説明がある。この辞書の説明を利用して<でも>については少し前のポスト<"even" は英語の奇妙な発明>で詳しく検討している。

さて辞書の3)の説明は、繰り返しになるが

予期される程度をこえていたり、限界に達していたりすることをあらわす。

例文は

雨は三日も降り続いてようやくやんだ
なにを思ったのか、私に十万円もくれた
少なくも千円はある
高くも一万円以上はしない
一週間もあればできます 

最初のニ例は<予期される程度をこえて>で説明でき<予期>が必要。

第3例以下は<予期>は関係ない。<程度をこえている>は言い換えると<以上>、英語ではややこしい言い方があるが(not less than か)、数学用語のミニマム(minimum)。 <限界に達している>は<以上>と<以下、マクシマム(maximum)。<以上>と<以下>は<限界以上、限界以下>で、方向は逆だが同じこと(限界を越えない)をいっている。

少なくも千円はある ->千円以上ある

高くも一万円以上はしない -> <高くも一万円はしない>でもいい。 -> 一万円以下。<一万円以上>の否定だ。

一週間もあればできます  -> 一週間以内(以下)

さて、このグループの<も>に譲歩の意味がある表現はあるか?<予期される程度をこえる>は<予期に反して>だが、これは通常<逆接>で譲歩ではない。

<予期される程度をこえていたり、限界に達していたりすることをあらわす>で<たり>は余韻を残し<同様の事柄がまだあること言外に表わす>のだが、例文を見るかぎり

予期される程度をこえている、限界に達している、以外に<同様の事柄がまだあること言外に表わし>ていることはなさそうだ。

ところで

少なくも千円はある  -> 少なくとも千円はある
高くも一万円以上はしない   -> 高くとも一万円以上はしない 

 のニ例は<も>を<とも>で置き換えても、同じような意味になる。同じような意味だが微妙に違う。

<少なくとも千円はある>は<多くはないが>といった言外の意味が考えられる。
<高くとも一万円以上はしない>は<安くはないが>といった言外の意味が考えられる。

<多くはないが>、<安くはないが>は一種の譲歩だ。だがこれは<とも>を使った場合で、<も>単独ではなく<とも>がなせるわざだ。手もと辞書によると

<とも>

1)接続助詞

前件に述べた仮定にかかわらず、後件が成立することをあらわす。

どんなことがあろうとも、動いてはいけない
つらくとも、がまんしよう
何は無くとも、楽しい我が家

解説も以上の三例も譲歩表現だ。

2)終助詞

疑い、反対の余地なく強く断言する。

もちろん行きますとも。
ああそうだとも。
いいとも、いいとも。 

口語表現だが<余地なく>は<譲歩なく>になり、おもしろい対称だ。

3)副助詞

およその限界を表わす。

遅くとも十時までには帰る。
多少とも関係がある。
すくなくとも千円はかかるだろう。

 <およその限界を表わす>は正確でない。上記の<も>3)<予期される限度をこえていたり、限界に達していたりすることをあらわす>の方がいい。だが

多少とも関係がある。

はこれでは説明がつかない。 これは

少なくとも関係がある。

の意ではない。 <多少とも関係がある>は<(けっして多くはないが)関係がある>の意で譲歩表現だ。


次に移る。

4)主体にそう判断される事態であることを表わす。

この説明だけでは何をいっているのかわからない。辞書にある例文を見てみる。

運悪くも見つかってしまった。
惜しくも敗れた。
辛(から)くも逃(のが)れた。 

例文は譲歩表現といっていい。言外の暗示の例を( )内に示すと

(見つかるとは思ってもみなかったが)運悪くも見つかってしまった。
(勝つと期待していたが、勝つはずだったが)惜しくも敗れた。
(逃れられるチャンスはごくわずかだったが)辛(から)くも逃(のが)れた。 

<主体にそう判断される事態であることを表わす>という説明の中に譲歩表現が出てこない。

運悪く、惜しく、辛く

が<判断される事態>ということになるのだが、以上は形容詞<(運)悪い>、<惜しい>、<辛い>の連用形だ。事態を示すということであれば

運悪くて (運悪い事態で、運悪い状態で)
惜しくて (惜しい事態で、惜しい状態で)
辛くて  (辛い事態で、辛い状態で)

となるが、これでは

運悪くて見つかってしまった。
惜しくて敗れた。
辛(から)くて逃(のが)れた。 

で意味が違う、または意味をなさない。したがって<主体にそう判断される>を理解して直さないといけない。

運悪いことと判断するが、見つかってしまった。
惜しことと判断するが、敗れた。
辛(から)いことと判断するが、逃(のが)れた。

で意味が通じる。だがこうは決して言わないだろう。


次(つぎ)

5)その中がさらに幾つかの部分に分かれていることを表わす。


東京も西のはずれ
二十世紀も初めのころ
書きも書いたり
学者にもいろいろなタイプがあるが

の1、2、4番の例は<その中がさらに幾つかの部分に分かれていることを表わす>で説明できる。というか、むしろ上の解説はこれらの例文用の解説だ。

東京は(広くて幾つかの部分に分かれているが、その)西のはずれ
二十世紀は(長くて幾つかの時期に分かれているが、その)初めのころ

となる。これは一種の<譲歩>といえる。言い換えると

1) 類似した事柄を列挙したり、同様の事柄がまだあることを言外に表わしたり、する

の<同様の事柄がまだあることを言外に表わす>で

東京は、(広くて幾つかの部分に分かれているが)、その)西のはずれ
二十世紀は、(長くて幾つかの時期に分かれているが、その)初めのころ 

のカッコ内(言外)の下線部が<同様の事柄がまだあることを言外に表わす>に相当する。

学者にもいろいろなタイプがある

はこの例文自体<同様の事柄=学者がまだあること>という内容だ。 

書きも書いたり

はどう説明したらいいか?

<書きも書いたり>は<書きに書いたり>ともいえ、いずれも<たくさん書いたこと>をいっている。<書きも書いたり>の方が特に<書いた中がさらに幾つかの部分に分かれていることを表わして>いるわけではない。また<書きも書いたり>だけでは譲歩の意味は特には引き出せない。

書きも書いたが、内容は乏(とぼ)しい。

で譲歩の意味が出るが<中がさらに幾つかの部分に分かれている>は関係してこない。また実際にこのように言うことはまずないだろう。<書きも書いたり>は慣用表現と見た方がいい。この<たり>は動詞の連用形につく完了の助動詞<たり>。古い表現では<書き書きたり>で<書き>が繰り返され、調子がいい。<xx も xx たり>で一種の<掛かり言葉>ではないか。


次(つぎ)

6)そのものの場合を一応肯定することを表わす。

飯(めし)も飯だがまず酒だ。
( 飯を食いたいのもやまやまだが)というのがカッコ付きで添えてある。
子どもも子どもだが親も親だ。 

二つの例文は上の<書きも書いたり>と同じように同じ言葉が繰り返されており、。<xx も xx だが>で慣用的な表現だ。<だが>は逆説の熟語助詞で<xx も xx だが>で<そのものの場合を一応肯定することを表わす>で<も>が<そのものの場合一応肯定することを表わす>わけではない。この場合も逆説と譲歩は未分化のところがあり、<一応肯定して、それとは反対のことを言う>のは譲歩表現だ。<一応肯定して>は<一歩譲って>だ。

 

まとめ

長くなってきて、まとまりがないようだが、ポイントは、ほぼ繰り返しになるが

1) 類似した事柄を列挙したり、同様の事柄がまだあることを言外に表わしたり、する。

大事なことは<1) 類似した事柄を列挙したり、同様の事柄がまだあることを言外に表したり、する。>の下線部分だ。 

2)極端な場合を取り上げて、そのものが例外でないことを示す。(例をあげ他はもちろんということを示す)

 例をあげ他はもちろんということを示す ‐ 暗示する、言外に表わす。言い換えて

例をあげ他はもちろんということを暗示する

とすると<他があることが前提で>1)の<同様の事柄がまだあることを言外に表わす>と同じことと言える。これが<も>の深い意味なのだ。

3)予期される限度をこえていたり、限界に達していたりすることをあらわす。

例文では明確ではないが<予期される程度や限界>がポイント。

4)主体にそう判断される事態であることを表わす。 

この説明は何をいっているのかわからないが、例文

運悪くも見つかってしまった。
惜しくも敗れた。
辛(から)くも逃(のが)れた。 

に言外の背景を加えると

(見つかるとは思ってもみなかったが)運悪くも見つかってしまった。
(勝つと期待していたが、勝つはずだったが)惜しくも敗れた。
(逃れられるチャンスはごくわずかだったが)辛(から)くも逃(のが)れた。

 で典型的な譲歩表現だ。

5)その中がさらに幾つかの部分に分かれていることを表わす。

これも例文に言外の背景を加えると

東京は、(広くて幾つかの部分に分かれているが)、その)西のはずれ
二十世紀は、(長くて幾つかの時期に分かれているが、その)初めのころ 

のカッコ内(言外)の下線部が<同様の事柄がまだあることを言外に表わす>に相当する。

6)そのものの場合一応肯定することを表わす。

この説明内容自体譲歩の意味がある。

まとめのまとめ

以上をさらにまとめると

<も>の大きな働きとして

1)列挙、追加、添加

2) 同様(同類)の事柄がまだあることを言外に表わす

3)譲歩表現そのもの

(見つかるとは思ってもみなかったが)運悪くも見つかってしまった。
(勝つと期待していたが、勝つはずだったが)惜しくも敗れた。
(逃れられるチャンスはごくわずかだったが)辛(から)くも逃(のが)れた。

 1)と2)は関係があるのはすぐわかる。too, also

3)は<にもかかわらず> in spite of、<それでも> even so、<そうだとしても> even if

で1)2)とは関係なさそうだが、< 同様(同類)の事柄がまだあるが、それでも>、さらには<反対の、あるいは対抗する事柄がまだあるが、それでも>で譲歩表現になる。

結論を述べると、わかってみるとどうということはないのだが、1)2)3)に共通しているところは、 1)と2)、それに3)も話題にしている<それ>以外に<それ以外の可能性(のモノ、コト)がある>と言うことだ。1)と2)は単に<それ以外の可能性(のモノ、コト)がある>ことだけを示す、暗示するだけだが、3)の譲歩は<それ以外の可能性(のモノ、コト)がある>ことは認めるが、<それでも>話題にしている<それ>を主張するレトリック(修辞法)なのだ。ここがポイントで、日本語では1)2)3)とも<も>が活躍する。イタリア語では<も>相当の anche がでてくる。しかし英語では3)の譲歩表現には also やtoo、as well は出てこず still (それでも)、even (それでも)、anyway (それでも、とにかく)が使われるのが特徴的だ。

前回のポスと ” 逆説と譲歩のあいまいさ -3 イタリア語 anche、日本語<も>” 参照。

ーーーーー

関連することば、表現

よくもわるくもない

にもかかわらず - 行くにもかからず、行ったにもかかわらず、雨にもかかわらず

<も>がない<にかかわらず>は明かに、意味、ニュアンスが違う。

でも - 行くけれども、行ったけれども、雨でも

ても - 行っても、言っても(ムダ)、雨がふっても

とも - 行くとも、雨(が)ふるとも

ども - 行けども、 雨(が)ふれども

それで、それでも

<それで>は順接だが<も>の一字を加えた<それでも>は逆説、譲歩で大活躍する。

 


sptt


Saturday, May 1, 2021

逆接と譲歩のあいまいさ -3 イタリア語 anche、日本語<も>


このポストは前回のポスト< 逆接と譲歩のあいまいさ -2 イタリア語 comunque>の続編。前回のポストの終わりの部分から始めることにする。 

 "

話は<も>にもどって

それで 順接
それでも 逆接、譲歩

で簡単、単純だが<も>の働きをよく示している。さてもう一つの発見はこの<も>がらみでこれまたイタリア語になるだが、anche だ。

 anche

      cong  
a      (pure)    also, too  
e va anche a Roma      and he's going to Rome too, and he's also going to Rome  
parla inglese e anche italiano      he speaks English and Italian too o as well  
vengo anch'io!      I'm coming too!  
sono stanchissimo! - anch'io!      I'm really tired! - me too!  
gli ho parlato ieri -- anch'io      I spoke to him yesterday -- so did I  
anche oggi non potrò venire      I won't be able to come today either  
potrebbe anche cambiare idea, ma...      he may change his mind, but ...  
avresti anche potuto avvertirmi      you could have let me know  
b      (perfino)    even  
lo saprebbe fare anche un bambino      even a child could do it  
anche se        (ipotesi)    even if,   (nonostante)    although  
anche se dovesse piovere      even if it rained  
me lo ricordo anche se avevo solo sei anni      I remember it, although I was only six  
anche volendo, non finiremmo in tempo      however much we wanted to, we wouldn't finish in time 

下の方に anche se = also if の例文がいくつかある。また anche だけで however much の意味がある。 文字通りでは anche se = also if  だが even if (仮にxxでも)、although (xxでも)の意になる。

イタリア語: anche = もまた(also, too 
 
日本語: でも、それでも逆接、譲歩 の<でも>、さらには単純に<も>

の関係はどうなっているのか?
 
"

(以上は前回のポストのコピー/ペイスト)
-----
 
日本語: でも、それでも逆接、譲歩 の<でも>、以外に<とも>、<ても>がある。これらは
基本的に熟語副助詞だ。also, too の意味では<も>、<また>、<もまた>があるが、さらにしかも>がある。
 
しかし  逆接
しかも  順接、追加
 
<しかし>の<しか>は、<然(しか)り>の<しか>で

しからば (しかあらば) 順接
しかして (そうして)  順接

と活躍する。 <しかし>は<しかしながら>の短縮形だろう。

しか+しながら

<しながら>は

せまいながらも楽しい我が家 (貧しいながらも楽しい我が家、でもいいだろう)
 
これは <も>がない
 
せまいながら楽しい我が家 (貧しいながら楽しい我が家)
 
でもいい。
 
<しながら>の<し>は<する>の連用形の<し>。<xx ながら>同時進行の<食べながら歩く>という言い方もあるが
 
どぎまぎしながら(も)なんとか答えた
四苦八苦しながら(も)完成させた(生活した)
 
で逆接、さらには譲歩の意味がある副助詞。したがって
 
しか+しながら (しかしながら)
 

 
しか<する>だが(にもかかわらず)
 

 
そうするが、そうするのではあるが ‐> そうではあるが、そうであるにもかかわらず
 
のような意味になる。
 
さて順接、追加の<しかも>の語源はなにか。いろいろ考えたが、単純に
 
しかして(そうして) 順接 + 追加の<も> -> しかしても -> しかも
 
あるいはもっと単純に

しか + 追加の<も>  -> しかも
 
こう考えると<も>の強さが目立つ。 <も>を手もとの辞書(三省堂新明解)で調べてみた。いろいろ書いてあるが、どうも的を得ていないようだ。次回のポストで検討予定。
 
sptt