Thursday, April 30, 2015

<xx げ>と<xx よう>の比較


前回のやや長いポストの日本語の<xx がる>について調べている間に気がついたのだが、<xx げ>は気づきにくいがかなり使っている。しかし、おそらく英語教育が影響しているのか、<xx のよう>に置き換えられつつありようだ。このポストは<xx げ>の擁護論。

<げ>は手もとの辞書では<接尾辞で、主に形容詞につく>とあり、<そのような様子>というごく簡単な意味の解説がある。<げ>は<がる>と関係があり大和言葉の可能性が高いが、<よう>は<様子>の<様>で漢語由来だ。したがって<そのような様子>というのは少しおかしい解説になる。

よく聞く<xx げ>の例を思いつくまま調べてみる。

おぼろげ   <おぼろい>、<おぼろしい>という形容詞はなく、形容動詞<おぼろだ、おぼろな>の語幹、あるいは<おぼろ>という形容体言(こんな文法用語はない)につく。

悩(なや)ましげ  <-- 悩ましい  <悩ましい>は<悩む>の意味から少しずれている。<なやましい>とカナで書いた方がよさそう。<なやましい姿>は<悩む、悩んでいる姿>そのものではない。

貧(まず)しげ  <-- 貧しい
みすぼらしげ  <-- みすぼらしい

もの欲(ほ)しげ  <もの欲しい>という形容詞は聞いたことがない。<もの欲し顔>と言いそうだが、<もの欲しげな顔>が普通だろう。<欲しい>は形容詞で、<太郎は xx が欲しい>で<象は鼻は長い>と同じ構造になる。

まずごく一般的な形容詞を調べてみる。

赤い - 赤げ
青い - 
黒い - 
白い - 
小さ - 小さ
大きい - 大きげ
遠い - 
近い - 近げ
速い - 速げ
早い - 早げ
遅い - 遅
のろい - のろ
熱い - 熱
冷たい - 冷たげ
暑い - 暑
寒い  - 寒
暖かい  - 暖か
涼しい  - 涼しげ      (例) 涼しげな浴衣(ゆかた)
暗い - 暗
明るい - 明る
うまい - うま
まずい - まずげ      (例) 色がまずげな卵焼き
薄い  - 薄
難(むずか)しい - 難しげ     (例) 難しげな顔をしている
やさしい - やさしげ
優(やさ)しい - しげ
 

以上の<xx げ>はまったくダメ と言うわけではないが、上に書いた以外は例がすぐにはうかばない。したがって単純に<げ>=<そのような様子>ではなさそう。

まだあだあろうがキリがないので、前回のポスト<がる>で使った形容詞をあたってみる。

A グループ (動詞がある)

悲(かな)しい - 悲しむ - 悲しがる --> 悲しげ
苦しい(精神的に)  - 苦しむ  - 苦しがる  --> 苦しげ
憎(にく)い  - 憎む - 憎がる   --> 憎(にく)げ
くやしい  - くやむ - くやしがる  --> くやしげ
惜(お)しい - 惜しむ - 惜しがる  --> おしげ
いとおしい - いとおしむ - いとおしがる  --> いとおしげ
羨(うらや)ましい - 羨む - 羨ましがる  --> 羨(うらや)ましげ
あやしい  - あやしむ - あやしがる   --> あやしげ

----
B グループ (動詞がない)

さびしい - (さびしむ)(*) - さびしがる  --> さびしげ
おそろしい - (おそろしむ) - おそろしがる  --> おそろしげ
こわい - (こわむ) - こわがる  --> こわげ
ありがたい - (ありがたむ) - ありがたがる  --> ありがたげ
つらい - (つらむ)(**) - つらがる  --> つらげ


問題がないことから<がる>と<げ>の強い関係がわかる。<げ>=<そのような様子>なので言い換えてみる。

 A グループ

悲しげ   -  悲しいような様子
苦しげ   -  苦しいような様子
憎げ    -  憎いような様子
くやしげ  -  くやしいような様子
おしげ   -  おしいような様子
いとおしげ  -  いとおしいような様子
羨ましげ   -  羨ましいような様子
あやしげ   -  あやしいような様子

----
B グループ

さびしげ   -  さびしいような様子
おそろしげ  -  おそろしいような様子
こわげ   -   こわいような様子
ありがたげ  - ありがたいような様子
つらげ   -   つらいような様子

意味上の違いはほとんどないが<げ>の経済性を考えると、<げ>の使用をすすめたい。始めにとりあげたよく聞く<xx げ>の例はどうか。

おぼろげ     -  おぼろ(の)ような様子
悩ましげ     -  悩ましいような様子
貧しげ      -  貧しいような様子
みすぼらし   -  みすぼらしいような様子
もの欲しげ   -  もの欲しいような様子

以上はすこし解説が必要のようだ。

おぼろげ     -  おぼろ(の)ような様子

<おぼろ(の)ような様子> は変だ。<おぼろ>がイメージしにくいのだ。<おぼろな様子>の方がいい。もちろん<おおろげ>の方がもっといい。

悩ましげ     -  悩ましいような様子

<悩ましいような様子> は変だ。<悩ましい様子>の方がいい。

 貧しげ      -  貧しいような様子

 <貧しいような様子> は変だ。<貧しそうな様子>の方がいい。< 貧しげ>の方がさらにいい。

みすぼらしげ   -  みすぼらしいような様子

<みすぼらしいような様子> は変だ。<みすぼらしい様子>の方がいい。 <らしい>に<ような>の意がすでにある。<みすぼらしげ>が一番いい。

もの欲しげ   -  もの欲しいような様子

<もの欲しいような様子> は変だ。<もの欲しそうな様子>の方がいいが、<もの欲しげ>にはかなわない

<げ>接尾辞だが

<おぼろげない>で未然形(?)、<おぼろげ xx する(動詞)>連用形、<おぼろげ>終止形、<おぼろげ xx 体言(名詞)>で連体形、<おぼろげならば>で仮定形とみなせ、で形容動詞のように使える。


(調査、検討継続予定)


sptt






Monday, April 20, 2015

<xx がる>についての考察 (動詞語尾<xxがる>について-2)


日本語の<xx がる>については、言語上、文法上おもしろいので、これまでも何度も考えてきた。sppt Notes on Grammar でも書いたことがあるが(例えば ” 動詞語尾<xx がる>について ”)、今回は少しまとめてみる。

話がかなり長くなりそうなので結論の一部を述べておく。<がる>は形容詞と大いに関係がある。形容詞の大きな特徴は

1)修飾用法と叙述用法

修飾用法 - an interesting book   おもしろい本
叙述用法  - This book is interesting. この本はおもしろい。(完結文)

の二つの用法があり、これは英語も日本語も基本的に同じ。 ここで注意したいのは<完結文>で、表面的な意味は<文として完結して(終わって)いる>だが、隠された(目に見えない)が意味は発話として<断定されている>ことが重要。<断定の作業>の前には普通<評価の作業>があり、これも重要。

2)比較

英語には発音の短い形容詞には比較級、最上級というのがあって、語尾が変化する。発音の長い形容詞の場合、形容詞は語尾変化しないが more、the most が形容詞の前につく。比較対象の前に品詞が何だかよくわからない than がつく。その他の西欧語も同じようだ(詳細は未確認)。日本語の場合には、比較級については

修飾用法では、翻訳調になるが

より xx (形容詞)、  もっと xx (形容詞)      より美しい、もっと美しい

日本語では形容詞の比較級変化はなく、<より>、<もっと>、<よりもっと>が形容詞の前におかれる。これらは形容詞を修飾するので副詞とみなされるが、<より>は元来<yy より>で形容詞の修飾とういうよりは体言(名詞)につく助詞として比較をあらわす。<より xx (形容詞>が翻訳調になるのはこの借用用法ため。否定も同じようなことが言え、

より xx (形容詞の連用形)ない      より美しくない

は翻訳調で、<yy ほど xx で(は)ない zz>が普通の日本語。

叙述用法では

yy より(も) xx (形容詞)、  yy より(も)もっと xx (形容詞)  <yy より(も)美しい。>、< yy より(も)もっと美しい。>

否定では

yy ほど xx ではない

が使われる。ただし、日本語では形態上修飾用法と叙述用法に大きな差はない。形容詞の終止形(叙述用法)と連体形(修飾用法)は基本的に同じなのだ。

<比較>にも当然評価作業がともなう。

問題の多い形容動詞についてはこれまでにかなり書いたが、形容詞については断片的に書いてきただけだ。このポストでは形容詞について再検討するが、対象が大きすぎるので、できるだけ<がる>がらみに限るようにする。

前回のポスト<形容詞の体言(名詞)化>で<広がる>について、そしてついでに<xx がる>についてもごく簡単に次のように書いた。このポストは<がる>の話しなのでかなりの部分省略。また下線は今回つけた。

<形容詞の体言(名詞)化>


3)<がり>、<まり>、<め>

<さ>、<み>以外もまだある。<広がり>の<がり>、<広まり>、<高ま り>の<まり>、<高ぶり>の<ぶり>で、これらは形容詞からではなく動詞(広がる、広まる、高まる、高ぶる)由来だ。<広がり>、<広まり>、<高ま り>、<高ぶり>は、響きも含めて、いい大和言葉だと思う。

広い --> 広がる、広げる --> 広がり
広い --> 広まる、広める --> 広まり、広め
狭(せま)い --> 狭(せば)まる、狭(せば)める --> 狭まり(<広がり>ほどではないが可能だ)、狭め(<広め>ほどではないが可能だ)。

他の形容詞をあたってみる。

(省略)

一方<がり>の方は少数派で、以上の例では<広がり>以外では

寒がり
暑がり
強がり
暗がり
悪がり
新しがり

だけだ。 <暗がり >はやや<広がり>のような抽象化があるが(<暗がる>と<暗がり>は意味的に結びつかないないので、<暗がり>は<暗い>の語幹<くら>+(<がる>とは関係のない)<がり>かもしれない。寒がり、暑がり、強がり、悪がり、新しがりは抽象化とは関係のない特殊な意味になっている。<広がり>はいい言葉(大和言葉)だが、仲間が少ないことになる。

<ぶり>も多くはない。<高ぶり>はかなり抽象化されているが、これ以外では

悪ぶる  - 悪ぶり(ダメ)、、 <悪がる>も使う。 
偉(えら)ぶる  - 偉ぶり(ダメ))、 <偉がる>も使う。
忙しぶる - 忙しぶり(ダメ)、  <忙しがる>の方がよく使うようだ。

があるが体言(名詞)の<悪ぶり>、<偉(えら)ぶり>は間違いではないがほとんど聞かない。これらは形容詞の語幹につく、悪(わる)、偉(えら)、忙(いそが)し。

体言(名詞)につく例

かまととぶる - かまととぶり
男ぶる - 男ぶり
りこうぶる - りこうぶり
金持ちぶる - 金持ちぶり


(引用終り)

寒がる、暑がる、強がる、悪がる、新しがる、とはどういうことか。手もとの辞書(三省堂、新明解、第6版)の<がる>は<語尾、五型>(動詞活用がある語尾なのだ)として第一義は


いかにもそのような状況にあるという印象を与えるような言動をする。


第二義は


いかにもそうであるかのようにふるまう。



となっている。第二義は<xx ぶる>に近い。もっとも第一義にも近いが<状況にあるという印象を与えるような>が大きな違いと言えよう。いずれにしても,第一義、第二義とも<意図>がある。だが一体誰の<意図>か? また<いかにもそのような>、<いかにもそうであるかのように>は本当とウソの二つがあることに関連してくる、ことを示している。いわば<本当とウソの二重構造>だ。この二重構造に加えて、言葉には事実(本当)と表現の二重構造が必然的にある(さらには心理の二-三重構造や意識-無意識もある)ので、とにかく<がる>はやっかいなのだ。

ウソは言い換えれば<仮(か)り>で、<がる>、<がり>はこの<仮(か)り>由来の可能性が高い。だが<仮(か)り>は大和言葉ではなく、漢語の可能性が高い。<仮りの>とか<仮に>という言い方はあるが<仮る>という動詞はない。これが大和言葉でない理由のひとつ。<仮り>は借り物なのだ。<借り物>の<借りる>(古語は<借(か)る>か)が<仮り>と意味的にも関係ありそうだが、おそらくこれは似て非なるモノだろう。<仮>は現代北京語では假とかき<jia>と発音するが(四声は無視)、広東語では<ka>だ(これも6声だか7声は無視。かなりハイピッチの<ka>だ)。おそらく、昔輸入したころは<ka>に近かったのだろう。これが大和言葉でない理由の二つ目。また ”<がり>の方は少数派で、以上の例では<広がり>以外では寒がり、暑がり、強がり、暗がり、悪がり、新しがり、だけだ。"と 書いたが、これは<がる>が人の<言動、振る舞い>に関連した表現だからだ。形容詞は人の<言動、振る舞い>に関連した言葉とは限らない。

一方<xx ぶる>は同じ辞書で第一義は


自五(自動詞、五段活用)
誇るべきものを持っているという様子を人に見せつける。


で例として

ぶる人はきらいです。

の一つだけ記されている。その他の例を作れば

 ぶるのはよくない。

がある。どちらも<ぶる>は体言(名詞)につく連体形。終止形では

花子はぶる。

も可能だが、あまり一般的ではない。比較的新しい用法かもしれない。

第二義は


造語、五型
そういう素質をもっていることを人に見せつけるようにふるまう。


で例として

えらぶる、高尚ぶる、学者ぶる

が記されている。

<造語>というのは、おそらく体言(名詞)、形容詞の語源(<えらい>の<えら>)につく助動詞もどきの語のようだ。助動詞は基本的に動詞につく。例外的に、断定、指定の<だ>は体言(名詞)、形容詞の語源につく。この助動詞<だ>はこのポストでたびたび登場する重要語だ。造語の方の説明にも<人に見せつける(ように)>がでてくる。基本的な意味は第一義の<>がなく、一般化が進んでいる。また独立した動詞としての自動詞と造語の違いだ。<ぶる>は<ふりをする>が原意で、<よそおう>というのもある。英語でいえば to pretend (to pretend as xx なので自動詞だろう)だが、これには<>の意はないので第二義のほうだ。第一義を英語にすると to behave with an excessive pride とでもんるか? 日本語では第一義、第二義とも好ましくない言動だ。

<ぶる>は<がる>ほど意味、使い方は広がっていない。したがって、使用頻度も<がる>に比べて格段にすくないと思われるのは大体<好ましくない言動>にかぎられるからだろう。ちなみに上記の<体言(名詞)につく例>を検討してみる。

かまととぶる - かまととぶり       <花子のかまととぶりは鼻持ちならない>はOKで、<かまととぶる>の意味がのこっている。

男ぶる - 男ぶり   <男ぶる>はあまり聞かないが<花子はとかく(ときどき)男ぶる>は可能。一方<男ぶり>はここでの<ぶる>由来の<ぶり>と意味が違う。本来の<ぶる>の意味の<花子の男ぶり>も可能だが、<太郎の男ぶり>に比べれば、使うことはまずないだろう。

りこうぶる - りこうぶり  <りこうぶり>は間違いではないがほとんど聞かない。<りこうの程度(ほど)>の意味になりかねないが、そこまでは変化しきって(ズレきって)いないようだ。

金持ちぶる - 金持ちぶり <金持ちぶり>もあまり聞かないが、<太郎の金持ちぶりは一様ではない(すごい)>は意味が<ぶる>と違うというか、ズレてきている。<太郎の金持ちぶりには閉口する>とはまず言わず、<太郎が金持ちぶるのには閉口する>となるだろう。

<ぶる>は<ふりをする>という本来の意味からの変化(ズレ)過程にあると言えそう。


さて、本題のやっかいな<がる>の話にもどる。

寒がる、暑がる、強がる、悪がる、新しがる、は大体この辞書の解説内容に合うようだ。ただし<寒がり>、<暑がり>という人の性格、特徴、<状況>をさすので意味が少しズレてくる。<寒がり>、<暑がり>の人が<いかにもそのような状況にあるという印象を与えるような言動をする>たり<いかにもそうであるかのようにふるまう>とは限らない。またあとでのべるが、感情、性格、特徴、<状況>さらには傾向、クセをあわわすのが人関連の形容詞だ。ここがポイント。

また元来<寒い>、<暑い>は気温、天候のことで人のことではない。しかし、人は<寒い>、<暑い>を感じるわけで、ここで人との関連ができてくる。言い換えると<暑さ>、<寒さ>は人(の感覚)に刺激を与えるので、人との関連ができてくる。<痛い>とか<かゆい>も同じで、五感関連の形容詞と言えよう。味覚関連(人の舌への刺激)では甘い、辛い、塩辛い(しょっぱい)、すっぱい、がある。

思いつくままに分類して話を進める。


A. 感情表現 - 一人称、二人称、三人称

日本語の感情表現の大きな特徴の一つに次のような表現がある。

A-1)  一人称 の場合

形容詞を使った場合

I am happy.
You are happy.
Taro is happy.
私は幸(しあわ)せ(だ)、うれしい、たのしい。
あなた(君)は幸せ(だ)、うれしい、たのしい。
太郎は幸せ(だ)、うれしい、たのしい。

happy は <幸せ(だ)>(注3)、<うれしい>、<たのしい>に訳せるようだが、

私は幸せ。
私は幸せだ。
私はうれしい。
私はたのしい。

には違いがある。

文法的には<うれしい>、<たのしい>が純形容詞であるのに対して、<幸せ(だ)>は<幸せ>という体言(名詞)に、これまでにも出てきた断定の助動詞<だ>がついたもの、あるいは<幸せな>という形容動詞の終止形<幸せだ>とも扱える。

私は幸せ。


 
私は幸せだ。

は一語<だ>のあるなしの違いだが、大きな違いがある。すでに幾度か述べたように<だ>は断定(指定)の助動詞ということになっている。この<だ>を勘定に入れてよく比較してみよう。まず<だ>のない、

私は幸せ。

<幸せ>は体言(名詞)だ。しかし<私=幸せ>は変だ。形容詞をしたがえた

私はうれしい。
私はたのしい。

とは違う。

外は静かだ。

の<静かだ>は形容動詞<静かな>の終止形。

外は静か。

という発話は尻切れトンボだ。 これは形容詞と形容動詞の大きな違いではないか?(別途検討)。しかし

私は幸せ。

という発話は普通成り立つ。<私は幸せ>は<だ>がないので断定でないとすると何か?単に自分自身の心情、心的状況を表現した発話か? 一方

私は幸せだ。

は自分自身の心情、心的状況を断定した(結果の)発話か? 大した差はないようだ。発話には無意識でも断定が必要ではないか? そもそも断定とはなにか? 漢語遊びのようになってしまうが、<断>は判断の<断>、<定>は決定の<定>、といえそうだ。順序も<判断>-><決定>だ。それでは<判断>とはなにか? <判>は<判じる>で評価することだろう。判定は<判じて(評価して)決定する>。<断>はこれまた<断定>。こおれでは堂々巡(めぐ)りになりそう。<判断>には決定する前に<評価>という過程がある、ところが肝心。漢語ばかり並べたので、英語で置き換えてみる。

評価 - evaluation
判断、断定、決定 - decision
行動、実行 - action

<言動>というが<言>すなわち発話にも、意識的にせよ無意識にせよ、評価->判断、断定、決定ー>発話のプロセスがある。

私は幸せかどうかわからない。

と言う断定がなさそうな発話内容でも、意識的にせよ無意識にせよ、なんらかの断定は必要ではないか? この場合は<わからない>。

さて、

私は幸せ。私は幸せだ。



私はうれしい。
私はたのしい。

の違いを考えてみる。大きな違いは

 私は幸せ。私は幸せだ。

上に書いたようには断定文と言える。 一方

私はうれしい。
私はたのしい。

も自分自身の心情、感情、心的状況を断定して、表現したモノと言える。ところで、断定の<だ>をつけた
 
私はうれしい
私はたのしい

は明らかに変だ。もっとも最近は

私はうれしいです
私はたのしいです

は普通に使われており、

私はうれしい。
私はたのしい。

の丁寧語として扱われているようだ。したがって、学校の国語の先生は知らないが親は

私はうれしいです
私はたのしいです

と言えといっているかもしれない。また外国人の日本語学習者はこの表現が好きだ。(この<好きだ>も検討対象) おそらく、日本語の先生から習うのかもしれないが、<日本語は敬語が大切>を必要以上に忠実に実行しているようだ。しかし、<です>が<だ>の丁寧語とすれば

私はうれしいです
私はたのしいです

も変なのだ。 もちろん<です>の前が体言(名詞)ならいい。

私は幸せです。ここに

私は幸せ。私は幸せだ。



私はうれしい。
私はたのしい。

の大きな違いがある。ここでのポイントは<だ>がなくても、あるいは正しくは<だ>なしで

私はうれしい。
私はたのしい。

も自分自身の心情、感情、心的状況を断定して、表現したモノと言える。そして、断定の前には評価過程がある。これが形容詞の特徴なのだ。この<評価、断定>過程を考えると、形容詞はきわめて重要な品詞ということになる。繰り返すが、形容詞には基本的に断定の助詞<だ>は不要なのだ。

日本語の大きな特徴として<ない>(古語形は<なし>)があるが、これは単なる否定辞(英語の not )ではなく形容詞なのだ。あるい動詞の未然形につく場合は助動詞扱いだが、当然形容詞型の活用をする。昔は動詞の未然形につく<ず>と言う否定の助動詞があったが<なし>、<ない>で置き換えられた(別の検討課題)。

さて、話はどんどん重箱の隅をつつくようになるが、

私はうれしい。



私はたのしい。

の違いをチェックしてみる。後で(検討中に)気がつたのだが英語の happy という形容詞がよく使われるだけあって、相当の多義語なのが、これがこの論議をややこしくしているようでもある。

a happy birthday (New Year)  -  幸せな誕生日(新年)、は変だ。たのしい誕生日(新年)、も少し変だ。うれしい誕生日(新年)、子どもならよさそう。この happy は人の直接的な感情から少しずれているようだ。

(to have) a happy time  -  幸せな時、は変ではないが少し白々しい。たのしい時、はよさそう。うれしい時、は変だ。<うれしい時には笑顔が出る>ならいい。

<たのしい>と<うれしい>の違いはここにありそう。 <たのしい>と<うれしい>はいずれも人の感情をあらわすようだが、これは正しくない。もっともかならずしも間違いではないが。

<たのしい時>は表面上<人>が出てこない。<うれしい時には>の方は<誰々がうれしい時>だ。<時>体言ではなく副詞。<時には>はあきらかに副詞。<時>自体が<うれしい>わけではない。一方<たのしい時>は<時>自体が<たのしい>のだ。もちろん隠れた(本当の)意味としては<誰々をたのしませる時>で、人はからんでくる。pleasing time は体言(名詞)として<たのしい時>で、場合によっては<うれしい時>にもなりそうだが、正確には<(誰々を)うれしがらせる時>の意だ。ところで、

<たのしがらせる>は<うれしがらせる>ほど一般的ではない。もちろん、もとの<たのしがる>は<うれしがる>ほどほど一般的ではない。<たのしむ>という動詞はあるが<うれしむ>はない。

以上から<うれしい>のほうが<たのしい>よりも形容詞的と言えそう。 少なくとも人の心情、感情、心的状況を叙述するには<うれしい>の方が正しい。ここに、<たのしがる>は<うれしがる>ほどほど一般的ではない、理由がありそう。

<たのしむ>という動詞はあるが<うれしむ>はない。(<たのしみ>という体言(名詞)はあるが<うれしみ>はほとんど聞かない。)

これは形容詞分類のリトマス試験紙として使えるのでないか。試してみる。

A グループ

私は、悲(かな)しい - 悲しむ - 悲しがる 
私は、苦しい(精神的に)  - 苦しむ  - 苦しがる
<苦しい>は比喩でなければ感覚になる。 反義語は<らく>で<らくな、らくだ、etc >で形容動詞扱い。

私は、憎(にく)い  - 憎む - 憎がる
私は、くやしい  - くやむ - くやしがる
 <くやむ>と<くやしい >、<くやしがる>では意味が少しずれている。

私は、惜(お)しい - 惜しむ - 惜しがる
私は、いとおしい - いとおしむ - いとおしがる
コンピュータワープロでは<愛おしい>と読めそうもない漢字が出てくるが<惜しい>の関連語だ。

私は、羨(うらや)ましい - 羨む - 羨ましがる
私は、あやしい  - あやしむ - あやしがる

----
B グループ

私は、さびしい - (さびしむ)(*) - さびしがる
私は、おそろしい - (おそろしむ) - おそろしがる
私は、こわい - (こわむ) - こわがる
私は、ありがたい - (ありがたむ) - ありがたがる
私は、つらい - (つらむ)(**) - つらがる

----
(*)<さびしむ>という動詞はほとんどまったく聞かないが、<ひとりさびしむ>という歌の文句がありそう。
(**) <つらむ>という動詞もほとんどまったく聞かないが、<うらみ、つらみ>という常套句がある。<つらみ>は語呂合わせのようだが、<連(つら)なる>の連想があり、<うらみ、たくさん>だ。

まだまだあろうが、これくらいにして話を進める。上記のようにこのリトマス試験紙を使った検討では一応二分類ができた。

A グループ

私は、悲しがる。 
私は、苦しがる。
私は、憎がる。
私は、くやしがる。
私は、惜しがる。
私は、いとおしがる。
私は、羨ましがる。私は、あやしがる。

B グループ

私は、さびしがる。
私は、おそろしがる。
私は、こわがる。
私は、ありがたがる。
私は、つらがる。

以上はA、B グループとも基本的に変だが、否定文にしてみる。

私は、悲しがらない。 
私は、苦しがらない。 
私は、憎がらない。 
私は、くやしがらない。 
私は、惜しがらない。 
私は、いとおしがらない。 
私は、羨ましがらない。 私は、あやしがらない。  やや変 <私は、あやしまない>となる

B グループ

私は、さびしがらない。
私は、おそろしがらない。
私は、こわがらない。
私は、ありがたがらない。
私は、つらがらない。

以上はA、B グループとも否定文は基本的に問題ない。これはどうしたことか?

<xx む>という動詞がある<A グループ>は<xx い感情>を抱くことができる。<B グループ>の方も、<xx む>という動詞はないが、<xx (し) い感情、感覚>を抱くことができる。しかし、<A グループ>の方はどちらかと言うと<内から湧(わ)いてくる>感情。<B グループ>の方は何らかの外部からの刺激で<出て来る、出されて来る>感情といえないだろうか?その他では次のような違いがある。

<A グループ>の形容詞は修飾用法は次のようになる。

a)<悲(かな)しいコト、モノ、人>は、発話者が<悲しむ、悲しんでいるコト、モノ、人>になる。ただし、人の場合、<悲(かな)しい人>は発話者に<悲しそうに見える人>にもなる。

b)<苦しいコト、モノ、人>は、発話者が<苦しむ、苦しんでいるいコト、モノ、人>になる。ただし、人の場合、<苦しい人>は発話者に<苦しそうに見える人>にもなる。

c)<憎(にく)いコト、モノ、人>は、発話者が<憎む、憎んでいるコト、モノ、人>になる。
d)<くやしいコト、モノ、人>は、発話者が<くやしむ、くやしんでいるコト、モノ、人>になる。
e)<惜(お)しいコト、モノ、人>は、発話者が<惜しむ、惜しいんでいるコト、モノ、人>になる。
f)<いとおしいコト、モノ、人>>は、発話者が<いとおしむ、いとおしんでいるコト、モノ、人>になる。
g)<羨(うらや)ましいコト、モノ、人>は、発話者が<羨む、羨んでいるコト、モノ、人>になる。
h)<あやしいコト、モノ、人>は、発話者が<あやしむ、あやしんでいるコト、モノ、人>になる。

<動詞>生きていると言えそう。

一方<B グループ>の形容詞は

a)<さびしいコト、モノ>はは発話者に<さびしいという感情をいだかせるコト、モノ、になる。
<さびしい人>は発話者に直接関係がないが<さびしいそうに見える人>になる。
<さびしむ>、<さびしんでいる>という言い方はない。以下同じ。

b)<おそろしいコト、モノ、人>は<おそろしいという感情をいだかせるコト、モノ、人>になる。
c)<こわいコト、モノ、人>は<こわいという感情をいだかせるコト、モノ、人>になる。
d)<ありがたいコト、モノ、人>は<ありがたいいという感情をいだかせるコト、モノ、人>になる。
f)<つらいいコト、モノ、人>は<つらいという感情をいだかせるコト、モノ、人>になる。

----
  
<私は悲しい>という発話は可能だが、<私は花子の死が悲しい> とも発話する。<私は悲しい>の<悲しい>の主語は<私>とみなせるが、<私は花子の死が悲しい>の<悲しい>の主語は<私>ではなく<花子の死>だ。<象は鼻が長い>と同じ形だ。これを上記の例に当てはめてみる。

A グループ

私は悲(かな)しい -  私は yy が悲しい。
私は苦しい  -  私は yy が苦しい。
私は憎(にく)い  -  私は yy が憎い。
私はくやしい    -  私は yy がくやしい。
私は惜(お)しい  -  私は yy が惜しい。  - これは少し変だ。 <私は yyを惜しむ>
私はいとおしい   -  私は yy がいとおしい。
私は羨(うらや)ましい   -  私は yy が羨ましい。
私はあやしい。   -  私は yy があやしい。これは変だ。 <私は yyをあやしむ>

B グループ

私はさびしい - 私は yy がさびしい。  - これは少し変だ。
私はおそろしい   -  私は yy がおそろしい。 
私はこわい  -  私は yy がこわい。 
私はありがたい  -  私は yy がありがたい。 
私はつらい -   -  私は yy がつらい。

以上主語を変えたにもかかわらず、ほとんど問題ない。さらに、注意してみると、<私>が主語の形容詞単独文(完結文)では、A グループ、B グループにかかわりなく<ダメ(意味として不完全>)なるのがある。ダメの程度は微妙なところがあり、何か理由がありそう。(別途検討予定)

A グループ

私は悲(かな)しい
私は苦しい
私は憎(にく)い  ダメ
私はくやしい
私は惜(お)しい   ダメ
私はいとおしい  ダメ
私は羨(うらや)ましい  ダメ
私はあやしい。   ダメ

B グループ

私はさびしい 
私はおそろしい
私はこわい
私はありがたい  ダメ
私はつらい

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A-2)二人称、三人称の場合

A グループ

a)あなたが(太郎が)<悲がっているコト、モノ、人>でも
あなたが(太郎が)<悲しんでいるコト、モノ、人>でもいい。

b)あなたが(太郎が)<苦しがってるコト、モノ、人>でも
あなたが(太郎が)<苦しんでいるコト、モノ、人>でもいい。

c)あなたが(太郎が)<憎がっているコト、モノ、人>とはあまり言わない。
あなたが(太郎が)<憎んでいるコト、モノ、人>でいい。

d)あなたが(太郎が)<くやしがっているコト、モノ、人>でいい。
あなたが(太郎が)<くやしんでいるコト、モノ、人>とはあまり言わない。
あなたが(太郎が)<くやんでいるコト、モノ、人>はいい。
 
e)あなたが(太郎が)<惜しがっているコト、モノ、人>になる>とはあまり言わない。
あなたが(太郎が)<惜しんでいるコト、モノ、人>ともあまりいわないが、こちらの方がよさそう。

f)あなたが(太郎が)<いとおしがっているコト、モノ、人>とも
あなたが(太郎が)<いとおしんでいるコト、モノ、人>とも言いそうだ。

g)あなたが(太郎が)<羨まししがっているコト、モノ、人>とも
あなたが(太郎が)<羨んでいるコト、モノ、人>とも言いそうだ。

h)あなたが(太郎が)<あやしがっているコト、モノ、人>とはあまりいわない。
あなたが(太郎が)<あやしんでいるコト、モノ、人>はいい。

 ここに<がっている(がる)>が出て来る。 しかし微妙なところがかなりある。

比較に<B グループ>の<がる>を試してみる。

あなたが(太郎が)<さびしいがる、さびしいがしがっているコト、モノ、人>。 
あなたが(太郎が)<おそろしがる、おそろしがっているコト、モノ、人>。
あなたが(太郎が)<こわがる、こわがっているコト、モノ、人>。
あなたが(太郎が)<ありがたがる、ありがたがっているコト、モノ、人>。
あなたが(太郎が)<つらがる、つらががっている人>、はあまり聞かないが意味はある。
あなたが(太郎が)<あつかいにくい、あつかいにくがっている人>がやや近いようだ。

<B グループ>は問題なく<がる>がつくことになる。

次に<A グループ>と<B グループ>の差を英語を通して比較してみる。一部繰り返し。

A グループ (内から湧(わ)いてくる感情)

悲(かな)しい (sad、sorrowful) - 悲しむ(to have sadness, to feel sad、to be (feel) sorry) - 悲しがる

I am sorry. は英語圏では<ごめんなさい>と同じくらいの頻度で<私は心が痛む、悲しむ>の意で使われる。
 
日本語の<痛む> は<どこどこが痛む>で、<私が(は)痛む>とは言わない。<病(や)む>なら<私が(は)痛む>といえるが、<いたむ>とは意味が違う。
 
苦しい(suffering) - 苦しむ(to suffer) - 苦しがる
憎(にく)い (hateful) - 憎む (to hate) - 憎がる
くやしい  (regretable, regretful)(*)  - くやむ (to regret)  - くやしがる

<くやしい>は日本語特有の形容詞で次の<惜(お)しい>とは違うが、よく使われる。

惜(お)しい (regretable, regretful) - 惜しむ (to regret) - 惜しがる
いとおしい (lovely)- いとおしむ (to love) - いとおしがる
羨(うらや)ましい(envious)- 羨む (to envy) - 羨ましがる

さびしい (lonely) - (さびしむ)(*) - さびしがる

<くやしい>は日本語特有の形容詞で<惜しい>とは違う。

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B グループ (何らかの外部からの刺激で<出て来る、出されて来る>感情)

さびしい (lonely)- (さびしむ)(*) - さびしがる
憎(にく)らしい (hateful) - (憎らしむ) - 憎らしがる
おそろしい(frightening、fearful、scaring)- (おそろしむ) - おそろしがる
こわい(frightening、fearful、scaring)- (こわむ) - こわがる
ありがたい(thankful、appreciating)- (ありがたむ) - ありがたがる
つらい(hard、painful) - (つらむ)(**) - つらがる

英語で特徴的なのは

1)<xx がる>に相当する語がないことだ。見方を変えれば、これは日本語の、日本語の感情関連表現の大きな特徴ということになる。英語で訳そうとすると、上で述べたが、形容詞の場合は

to pretend xx(形容詞)
to pretend to be xx(形容詞)

になるが、 かなりの程度<xx がる>に相当しない。to pretend xx(形容詞)は<xx(形容詞)のふりをする>なのだ。

名詞を使えば

to show (off)  xx(名詞)

になり、 場合によってはかなりの程度<xx がる>に相当する。<場合によっては>は検討課題だ。

2) <xx ing>がやや目立つ。<xx ing>は純形容詞ではなく動詞に<ing>がついたいわゆる動名詞を形容詞として流用したものと見ることができる。この仲間は多い。frightening、scaring、interesting 以外では

disappointing   <-- to disappoint
pleasing   <--  to please
delighting   <-- to delight
surprising   <-- to surprise
disgusting   <-- to disgust
satisfying   <--  to satisfy
confusing     <--  to confuse

以上の<xx ing>形容詞は修飾用法(名詞の前につく)にも叙述用法(to be、to seem、to look、など)の後につき文(話)を終わらせることができる。to seem xx(形容詞)、to look xx(形容詞)は日本語では

xx しく見える     美しく見える
xx そうにみえる   忙しそう見える
xx いように見える  つらいように見える
xx らしく見える    憎らしく見える

などと訳され<xx がる>はあまり使われないが、場合によっては可能だ。 日本語は<がる>以外に以前別のポストで取り上げたが<xx そうな>、<xx (の)ような>、<xx らしい>がかなり頻繁に使われる。(注4) これは日本語の大きな特徴。

<xx ing>形容詞(用法)は一般形容詞と同じで

修飾用法 - an interesting book
叙述用法  - This book is interesting.

がある。ところで英語の方は、上記の<xx ing>はすべて人がらみで使え、受身形を使って次のようになる。

frightening   <-- to frighten    --> I am (Taro is)frightened.
scaring    <-- to scare  --> I am (Taro is)scared..
interesting    <-- to interest  --> I am (Taro is)interested.
disappointing   <-- to disappoint  --> I am (Taro is)disappointed.
pleasing   <--  to please  --> I am (Taro is)pleased.
delighting   <-- to delight   --> I am (Taro is)delighted.
surprising   <-- to surprise   --> I am (Taro is)surprised.
disgusting   <-- to disgust    --> I am (Taro is)disgusted.
satisfying   <--  to satisfy   --> I am (Taro is)satisfied.
confusing     <--  to confuse   --> I am (Taro is)confused .

きわめて規則的だ。このまま単独でもいいが、<xxxx ed>の後ろに by、with、in xx をつけて詳細を加える。

一方日本語の場合も受身形の使用ができる。

動詞形がある<A グループ>

悲(かな)しい  - yy が(は)悲しまれる。   yy が(は))悲しがられる
苦しい  - yy が(は)苦しまれる。       yy が(は))苦しがられる
憎(にく)い - yy が(は)憎まれる。       yy が(は))憎がられる
くやしい  - yy が(は)くやしまれる。      yy が(は))くやしがられる
惜(お)しい - yy が(は)惜しまれる。      yy が(は))惜しがられる
いとおしい  - yy が(は)いとおしまれる。   yy が(は))いとおしがられる
羨(うらや)ましい  - yy が(は)羨まれる。   yy が(は)羨しがられる
あやしい。  - yy が(は)あやしまれる。     yy が(は))あやしがられる

 <がられる>は<がる>の受身形。元来<がる>には


いかにもそのような状況にあるという印象を与えるような言動をする。



と言う意味(第一義)があり、<印象を与えるような>で能動的な意味があるので受身形は可能だが、かなり回りくどい言い方になる。

英語に戻る。英語では、さらに規則的なのは次の様に能動形が使われることだ。日本語に直訳すると変な日本語になるためか、日本語の英語のテキストではあまり出てこないようだが、かなり頻繁に使われる。

I am (Taro is)frightened.  --> xx(単数)frightens me (Taro).
I am (Taro is)scared..  --> xx scares me (Taro).
 am (Taro is)interested.  --> xx interests me (Taro).
I am (Taro is)disappointed. --> xx disappoints me (Taro).
I am (Taro is)pleased.  --> xx pleases me (Taro).
I am (Taro is)delighted.  --> xx delights me (Taro).
I am (Taro is)surprised.  --> xx surprises me (Taro).
I am (Taro is)disgusted.  --> xx disgusts me (Taro).
I am (Taro is)satisfied.  --> xx satisfies me (Taro).
I am (Taro is)confused .  --> xx confuses me (Taro).

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さらに話を進める。

I am sad.
You are sad.
Taro is sad.
私は悲(かな)しい。
あなた(君)は悲しい。
太郎はは悲しい。

I am lonely. I feel lonely.
You are lonely. You feel lonely.
Taro is lonely.
私はさびしい。
あなた(君)はさびしい。
太郎はさびしい。

<私は悲しい>、<私はさびしい>も実際ほとんど使わないだろう。少なくとも I am sad. 、I am lonely. に比べればはるかに少ない。もっとも実際の感情表現では<私はxx(だ)>の場合<私)>は日本語にはめずらしく<私>がでてくるが、 <は>が出てくることが少ないようだ。とくに女性の場合。

 私、悲しい。
 私、さびししい。

<私は幸(しあわ)せ(だ)、うれしい、たのしい>、<私は悲しい>、<私はさびしい>と<は>がついた場合、実際口から発せられのを聞いた場合、感情が表現される、伝わる前に<シラケてしまう>のでないか? なぜか? この場合、問題(理由)の一部は<は>にあるようで、<は>は解説口調の(係、または副)助詞なのだ。

地球が回る。
地球は回る。

を比較すると<地球が回る>は<地球が回る、回っている>事実を報告するのに対して<地球は回る>は<地球は回る、ものなのだ>と解説口調になる。その他の例は省略。

したがって、

きみ、私幸せ(だ)、うれしい、たのしい)、と言っているのだよ。
きみ、私悲しい、のだよ。
きみ、私さびしい、のだ。

ならばいいようだ。解説口調の助詞<は>以外に、断定の助動詞<だ>にも注目したい(注1)。だが、ほかにも理由がありそう。

二人称の場合はさらにシラケの度合がたかまる。英語ではそれがない(と思っていいる)。

三人称の場合は少しシラケル程度のようだが、日本人であれば、

太郎は太郎はうれし(たのし)、そうだ。 /  太郎は太郎はうれしい(たのしい)、ようだ。
太郎は悲し、そうだ。 /  太郎は悲しい、ようだ。
太郎はは悲し、そうだ。  /  太郎はは悲しい、ようだ。

というだろう。

英語では Taro is happy. でも Taro seems (looks) happy. でもよさそう。私もそうだが、日本人ならTaro seems (looks) happy. あるいは I think (that) Taro is happy. を使いたがる(使う傾向がある)のではないか。こちらの方が Taro is happy.より発話者は心の安らぎが得られるのだ。発話者に太郎が抱いている感情(気持ち)はわからないのが事実だろう。Taro is happy. は日本人にとっては何かシラケル、白々しい言い方なのだ。ここがポイントの一つ。ここで<がる>の辞書の解説を思い出そう。

第一義は


いかにもそのような状況にあるという印象を与えるような言動をする。



これは言い換えれば


いかにもそのような状況にあるというような言動を見せる。



となる。 手品のようだが<印象を与える>を<見せる>に換えたようなものだ。手品はさらに続いて、<見せる>を<見える>に換えてみる。


いかにもそのような状況にあるというような言動が見える。これぞ英語の Taro seems (looks) happy.  だ。もう少ししつこく調べてみる。また疑問の繰り返しになるが、

<私は幸(しあわ)せ(だ)、うれしい、たのしい>、<私は悲しい>、<私はさびしい>と<は>がついた場合、実際口から発せられのを聞いた場合、感情が表現される、伝わる前に<シラケてしまう>のでないか? なぜか? この場合、問題(理由)の一部は<は>にあるようで、<は>は解説口調の(係、または副)助詞なのだ。

一人称なら、発話者が己(おのれ)が抱いている感情(気持ち)をあらあすのだから、このシラケや白々しさがないはずなのだが、上で述べたように聞き手はシラケてしまうのだ。なぜか?これは立場を換えて考えてみれば察しがつく。

二人称は最悪で聞き手が発話者の目の前にいるだけに、<お前に俺の気持ちがわかるか?>、<あなたに私の気持ちがわかるの?>と聞き手に思われる、感じられる、さらには言われかねないのは自然の成り行きのように思える。(しかし、英語では You are happy. You are sad. You are lonely. で済ましてしまうのだ。聞く方も<お前に俺の気持ちがわかるか?>、<あなたに私の気持ちがわかるの?>という感情は、明らかに間違っているとか、仲が悪い状態でなければ、起きないようだ。)

それでは

私は幸(しあわ)せがる、うれしがる、たのしがる。
私は悲しがる。
私はさびしがる。

はどうか? これまた変だ。おのれの感情をそのまま(直接的に)表現するのに<がる>はおかしい。しかし

幸(しあわ)せがる、うれしがる、たのしがる、のは xx 。
悲しがる、のは xx 。
さびしがる、、のは xx 。

と視線をかえて、自分の感情を間接的、客観的に <私xxx がる、、)体言化し、<xx はyy>と解説口調で言う場合は問題なくなる。

----
 I am frightened.
 私はこわい(おそろしい)。

これも< 私はこわい(おそろしい)>という発話(<は>入り)はまれで、奇異、シラケタ感じだ。英語の frightened は形容詞ともみなせるが、基本的には動詞 frighten の過去分詞で be + 過去分詞は受動態(受身形)。直訳すれば<私はこわがらされている><私はおそろしがらされている>となる。かなり込み入った言い方だ。ここに<こわがる>、<おそろしがる> と<がる>がでてくる。< 私はおそれている>というのも独立して使えるが、これは<私はxx をおそれている>の省略で<おそれる>という他動詞を使った表現。 I am frightened.、<私はこわい(おそろしい)>とは違う。<私はこわい(おそろしい)>を使うと<私はxx こわい(おそろしい)>に変わり、この方が日本語らしい。<こわい(おそろしい)>は動詞ではなく形容詞だ。この場合<象は鼻が長い>と同じで、<xx>が主語。<私>は主語ではなく主題だ。

この< 私はこわい(おそろしい)>については、また以前のポスト ” 動詞語尾<xxがる>について ” から引用する。


以前私の住む香港である大人が<怖がって(なにかにおびえている)いる犬>をみて<彼(あの犬のこと)はとても怖い(広東語で<好驚>)> という言い方を聞いたことがある。広東語で<わたし(は)怖い>は<驚>、<君は怖くないか?>は<你驚驚?>。他の言い方もあるのだろうが、この発話者が、主語は<あの犬>だが、<怖い>をその犬の立場になっての発話ならばおかしくはない。Taro feels very frightened. の言い方に近い。Taro feels very frightening.ではない。また日本語感覚ではTaro seems very frightened. となる。



こういう発話、こういうモノの見方が日本以外では普通のようなのだ。普通が普遍性(正しさ)を意味するとは限らない。日本語では<彼(あの犬)はこわがっている>で、間違っても<彼(あの犬)はとても怖(こわ)い>とは言わない。

<驚>に<こわがる>の意味があるとすると、<驚>は<私はこわがる(こわがっている)>となる。日本語では、これまた間違っても<私はこわがる(こわがっている)>とは言わない。しかし、特殊な場合はあるうる。

きみ、<私こわがる(こわがっている)>ようにみえますか?

この発話が変でないのは、自分の心情(感情)の様子を客観的に対象化していること。客観視しないとこの発話(疑問)はなりたたない。

同じような意味の

きみ、<私こわがる(こわがっている)>のがわかりますか?

でもいいが、この<わかりますか>は<見えますか?>の意に近い。<目でみてわかりますか、認めら(見留めら)れますか、認識できますか?>だ。一方

きみ、<私こわい>のがわかりますか? でもいいが

きみ、<私こわい>のがわかりますか? はダメ。

<私がこわいの>で次の<が>の主語になっているのだ。<の>は体言(名詞)化の働きがある。<私こわい>あるいは<私こわい>という内容(一応事実としておく)そのものを聞いて(問い正して)いるのだ。

ただし、微妙なところもあり、

<私こわい>は<私こわい>の<こわい>意で使われれば(父はこわいが母はやさしい)、<私こわい>のがわかりますか?、は成り立つ。

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形容詞もどきを使った場合

 I am angry.
 私はおこっている。

英語の angry は形容詞。 日本語の<おこっている>は<怒(おこ)る>の連用形<怒って>+<いる>だ。<私はおこっている>もややシラケタ感じがする。

I am shy.
私は内気だ。<私ははずかしい>ではない。<私ははずかしい>状況にもよるが大体 I am ashamed. でよさそう。<私は内気だ>は、問題ない日本語だ。ここでも<だ>に注目。内気の意味では<はずかしがる>という<がる>表現があるが

私ははずかしがる。
あなた(きみ)は恥ずかしがる。

もシラケル発話だ。特殊な場合を除きこうは言わない。特殊の場合とは

私はよくはずかしがる。
あなた(きみ)よくはずかしがる。

いわば習慣化、傾向化した言動をあらわす場合だ。これは<がる>の特徴の一つだ。<がる>は、辞書の二つの解説以外に、習慣化、傾向化をあらわすようだ。大和言葉を使えば

第三義


ある特定の性格、言動になりがちであることをあらわす。ある特定の癖(くせ)があることわらわす。



とでもなるか? 英語では easily と言う副詞を使った、日本語の<xx がち>、<xx やすい>に近い表現がある。なぜか easily は受身に、そして<がち>は<勝ち>由来にもかかわらず否定的、消極的なことばにつく。 (検討課題)

こわれやすい   easily broken
だまされやすい   easily cheated
飽(あき)きやすい  easily bored
疲れやすい   easily tired

病気がち
休みがち
なまけがち
滞(とどこお)りがち

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B. 日本語の羨望、欲望表現

うらやましい、好ましい、欲しい、xx したい

I envy XX.
私は XX がうらやましい。

英語は<私は XX をうらやむ>で他動詞を使った表現が普通。日本語は<象は鼻が長い>の形式。<うらやましがる>よく使うが<私はうらやましがる>、<私がうらやましがる>は基本的におかしい。

好ましい -  好む  - (好みがる)、(好ましがる)

I want XX.
私は XX がほしい。

英語は<私は XX を欲する>で他動詞を使った表現が普通。<ほしい>は形容詞。したがって、これも<象は鼻が長い>の形式。<ほしがる>よく使うが<私はほしがる>、<私がほしがる>はおかしい。

I want to XX (verb) .
私は XX がしたい。

<動詞の連用形(<し>は<する>の連用形)+たい>で<たい>は形容詞(昔は<たし>)。したがって、これも<象は鼻が長い>の形式とみなせる。<xx したがる>よく使うが<私はxx したがる>、<私がxx したがる>はおかしい。

形容詞というと<美しい>というのが代表のようでもあるが、残念ながら<美しい>は実際ほとんど使わないし、したがってほとんど聞かない。気がついていない が、(特に子どもが)それこそ休みなく使っている形容詞は<たい>だろう。<欲(ほ)しい>という形容詞もある。この世の中なにかと要求が多いのだ。

遊びに行きたい。
今日は学校を休みたい。

<行き>は<行きて>で連用形のようだが、現代口語の連用形は<行て>になる。音便。
<休み>も<休みて>で連用形のようだが、現代口語の連用形は<休で>になる。音便。
連用形の体言化(名詞)というのがあり、

<行き>はよいよい
<休み>をとる

となる。 <行きたい>、<休みたい>の<行き>、<休み>は体言(名詞)とみなすこともできる。これは<がる>が形容詞の語幹につくのと並んで、特徴的な文法法則だ。

おもちゃ欲しい。 <このおもちゃ欲しい>は間違い。

形容詞<たい>、<ほしい>は<がる>と相性がいい。<xx (し)たがる>、<欲しがる>は<がる>があるので傾向、性癖(くせ)を表わすようだが、羨望、欲望はクセになりやすいのか?

太郎は遊びに行きたがる。
花子は、何かと言うと、学校を休みたがる。
おもちゃ欲しがる。 <欲しがる>は<を>をとるので他動詞ということになる。

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 C. 身体、生理、感覚表現

すでに一部取り上げたが、身体、生理表現は感情表現とやや違う。

痛い   頭が痛い。<私は頭が痛い>は<象は鼻が長い>の表現形式。<痛い>もちろんは<頭>に限らない。
 
痛(いた)い (painful) - 痛む(to have pain) - 痛がる

痛ましい - (いたましむ) - (痛ましがる)

悩(なや)ましい  - (悩ましむ)、悩む - (悩ましがる)、(悩みがる)
    やましい - 病(や)む -  (やみがる)、(やましがる)
 <やましい>と<病む>は相当意味がずれている。

苦しい(肉体的に)  - 苦しむ  - 苦しがる
眠(ねむ)い - 眠る  - (眠がる)(眠がらない)
 <眠たがる>、<眠たがらない>が普通

寒い  <私は寒い>とはいう。<私は涼しい>は少し変だが可能。
暑い  <私は暑い>とはいう。<私はあたたかい>は少しが可能。
気持ちいい - comfortable  これは<気持ちいい>と <が>をつけてもいいが、これだと変な形容詞になる。 - 気持ちよがる

おなかがすいている - hungry (注5)  (おなかがすきがる)
喉(のど)が渇(かわ)いている  - thirsty  (のどが渇きがる)

<気持ちよがる>は聞くが<気持ちよがる>、<おなかがすきがる>、<喉が渇きがる>は語呂が悪すぎる。<おなか>、<のど>は人ではない。この場合、比喩以外は<が>という助詞があると<がる>はつかない。

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D. 人が感じる状況

忙(いそが)しい (busy)- (忙しむ) - 忙しがる   (急ぐ - 急がす、急がせる、は動詞形列)

よく使うが<忙しい(busy)>はやや特殊な形容詞で、英語と日本語にはあるが、ドイツ語にはないようだ。

Taro is busy.   太郎は忙しい。 Taro hat viel zu tun.
The shop is busy.  店は忙しい。 belept   <-- beleben
The town (street) is busy. 街はにぎやかだ。 belept   <-- beleben
The line (telephone line) is busy. 電話はふさがっている。  beschäftig (注6)

おもしろい(interesting)- (おもしろむ) - おもしろがる
むずかしい(difficult)- (むずかしむ) - むずかしがる
やさしい (easy) - (やさしむ) - やさしがる


E. 人がする判断

正しい - (正しむ) - 正しがる(?)
<間違い>の形容詞が見当たらない。<間違った>は修飾用法、<間違っている>修飾用法、叙述用法の両方がある。

よい - (よむ) - (よがる)
悪い - (わるむ) - 悪がる

めずらしい  - (めずらしむ) - めずらしがる
大和言葉の反義語形容詞が見当たらない


同じ  <同じな>、<同じの>ともいうので、<同じ>は純形容詞ではない。<yy と同じ>のように使う。
違う  <違う>は自動詞だろう。<yy と違う>、<違った>、<違っている>

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(注1)
断定の助動詞<だ>についてはかなり気合を入れて書いた別のポスト ” 断定、指定の助動詞<だ> ” を参照。

(注2) 
<寒がり>、<暑がり>の広東語
ちなみに私の住む香港の広東語では<寒がり>は<怕凍>(寒さをおそれる)といい、、<私は寒がりだ>は簡単に<我怕凍>という。(注2)

(注3)
<幸せ>の語源は<し合わす>でハーモニーが入り込んでくる。音痴の私にはハーモニーがなんだかよくわからないが<耳に心地よい>音だろう。この意味を広げれば(拡大解釈)すれば<心に気もちよい>だろう。<気もちよい(いい)>は<気持ちがよい>が進化した準純形容詞で、<おなかがすいた(hungry)>、<のどがかわいた(thirsty)>、<準備ができた(ready)>の<が>が残っている表現に比べれば形容詞化度に差があるのがわかる。

(注4)
かなり前のポスト<そうな、ような、らしい>参照

(注5)
これもかなり前のポスト<hungry, thirsty, ready - 日本語にない形容詞>を参照

(注6)
beschäftigt
   be•schäf•tigt      adj  
a    busy  
mit dem Nähen/jdm beschäftigt sein      to be busy sewing/with sb  
mit sich selbst/seinen Problemen beschäftigt sein      to be preoccupied with oneself/one's


sptt

Friday, April 17, 2015

形容詞の体言(名詞)化


形容詞の体言(名詞)化の様子を調べてみる。

1)形容の度合、程度(ほど)を示す<さ>

暑い-寒い  --> 暑さ、寒さ
高い-低い  --> 高さ、低さ
強い-弱い   --> 強さ、弱さ
速い-遅い(のろい)   --> 速さ、遅さ(のろさ)
早い-遅い    --> ?
大きい-小さい   --> 大きさ、小ささ
暖(あたた)かい - 涼しい  --> 暖かさ、涼しさ
広い-狭い  --> 広さ、狭さ
長い-短い  --> 長さ、短さ
明るい-暗い  --> 明るさ、暗さ
良い-悪い  --> 良さ、悪さ
遠い-近い  --> 遠さ、近さ
重い-軽い  --> 重さ、軽さ
古い-新しい  --> 古さ、新しさ
深い-浅い  --> 深さ、浅さ
粗(あら)い-細(こま)かい  --> 粗さ、細かさ
太い-細(ほそ)い   --> 太さ 、細(ほそ)さ
厚い-薄い   --> 厚さ 、薄さ
多い-少ない  --> 多さ、少ささ

赤い - 赤さ
青い - 青さ
黒い - 黒さ
白い - 白さ
黄色い - 黄色さ(ダメではない)

と日本語では見事な対応(すべて<さ>でいい)がある。英語はどうか?

暑い (hot) - 寒い (cold)  --> 暑さ (hotness ? heat)、寒さ (coldness)
高い (high) - 低い (low)  --> 高さ (height, highness)、低さ (lowness)
強い (strong) - 弱い (weak)  --> 強さ (strength、strongness ?)、弱さ (weakness)
速い (fast, rapid) - 遅い(のろい) (slow)   --> 速さ( fastness, rapidness, rapidity)、遅さ(のろさ)(slowness)
早い (early) - 遅い (late)   --> 早さ?(earliness ?) 、遅い (lateness ?)
大きい (big, large) - 小さい (small, little)  --> 大きさ (size、largeness ?)、小ささ (smallness ?)
暖(あたた)かい (warm) - 涼しい (cool) --> 暖かさ (warmness)、涼しさ (coolness)
広い (wide, spacious) - 狭い (narrow, ?) --> 広さ (widthspace、wideness ?)、狭さ (narrowness ?)
長い (long)  - 短い (short)  --> 長さ (length, longness ? longevity)、短さ (shortness)
明るい (bright) - 暗い (dark)  --> 明るさ (brightness)、暗さ (darkness)
良い (good) - 悪い (bad)  --> 良さ (goodness)、悪さ (badness ?)
遠い (far) - 近い (near, close) --> 遠さ (distance、farness ?) 、近さ (nearness ?)
重い (heavy)  - 軽い (light)   --> 重さ ( weight、heaviness ? )、軽さ (lightness)
古い (old) - 新しい (new)  --> 古さ (age、oldness)、新しさ (newness)
深い (deep) - 浅い (shallow) --> 深さ (depth、deepness)、浅さ(shallowness)
粗い (rough) - 細(こま)かい(fine)  --> 粗さ (roughness)、細かさ (fineness)
太い (thick) - 細(ほそ)い (thin)  --> 太さ (thickness) 、細さ(thinness)
厚い (thick) - 薄い (thin)   --> 厚さ (thickness) 、薄さ (thinness)
多い (many) - 少ない (a few, few)  --> 多さ (quantity, manyness ?)、少なさ (fewness ?)

コ ンピュータワープロのスペルチェックでは strongness、longness、farness、manyness は間違い。総じて、xx ness は英語版の形容詞の名詞化、日本語では<さ>ではなく<xx こと>(熱いこと、etc)に近く、抽象化が進んだ xxxth の height、strength、width、 length、depth が<xx さ>に近い。heat、size、space、weight、 age、quantity はさらに抽象化が進んでいるが、もとの形容詞とは系統が違う語だ。ここで抽象化とは<高い (high)-低い (low)>などの程度の差を越え、ある特定の形容全体をとらえた表現ということである。日本語の<さ>は見事な対応に加えて、heat、size、 space、weight、age、quantity ほどではないが抽象化がすすんでいるといえる。

英語だけでは片手落ちなので中国語を調べてみる。中国語(中国人)は特に詩に見られるが<対比>が好きだ。

大小 - サイズを意味する
多少 - 疑問(いくら、いくつ)以外にナンバーを意味する。<你的电话号码(是)多少?> これは慣れるのに時間がかかる。
多大? どれくらい大きい? (年齢もこれでたずねる)

あまり自信はないが

多長?  どれくらい長い?
多重?  どれくらい重い?
多遠?  どれくらい遠い?

となるのではないか?

特別でないかぎり、多小?、多短?、多軽?、多近?とはいわない。これは英語に通じるものがある。

多長?  どれくらい長い?  - 短いものでも How long ?
多重?  どれくらい重い?   - 軽いものでも How heavy ?
多遠?  どれくらい遠い?   - 近いところでも How far ?

続けると

低くても How high ?
弱くても How strong ?
遅(のろ)くても How fast ?
小さくても How big ?
新しくても How old ?
浅くても How deep ?
少なくても How many ?

と言うのが普通。<対比のある形容詞>では両極端(Max - Min)の間にいろいろ程度(ほど)があることに注意したい。そしてMaxの方の言葉はある特定の形容全体をあらわすことが多いということだ。たとえば <大きい-小さい>のサイズ全体を名詞(体言)であらわす場合、言語上(英語、中国語、そして日本語も)Min の<小ささ>ではなくMax の<大きさ>、how big ? 多大?、が使われる傾向があるということだ。

<さ>の抽象化の度合、加減、程度(ほど)をはかる目安として、<xx さがある>を使ってみる

暑い-寒い --> 暑さがある、寒さがある (暑さがのこる、寒さがのこる、は聞く)
高い-低い --> 高さがある、低さがある(ダメ)
強い-弱い  --> 強さがある、弱さがある
速い-遅い(のろい)  --> 速さがある、遅さ(のろさ)がある(ダメ)
早い-遅い  --> 早さがある(ダメ)  この<早い-遅い>、は<まだ早い>、<もう遅い>、<早すぎる>、<遅すぎる>などのように、基本的にある基準との比較でよく使われる。
大きい-小さい  --> 大きさがある、小ささがある(ダメ)
暖(あたた)かい-涼しい --> 暖かさがある、涼しさがある (比喩用法が主)
広い-狭い --> 広さがある、狭さがある(ダメ)
長い-短い --> 長さがある、短さがある(ダメ)
明るい-暗い --> 明るさがある、暗さがある
良い-悪い --> 良さがある、悪さがある(ダメ)
遠い-近い --> 遠さがある(ダメ)、近さがある(ダメ)
重い-軽い --> 重さがある、軽さがある(ダメ)
古い-新しい --> 古さがある、新しさがある
深い-浅い --> 深さがある、浅さがある(ダメ)
粗(あら)い-細(こま)かい  --> 粗さがある、細かさがある
太い-細(ほそ)い  --> 太さがある 、細(ほそ)さがある(ダメ)
厚い-薄い  --> 厚さがある 、薄さがある(ダメ)
多い-少ない --> 多さがある(ダメ)、少ささがある(ダメ)

 <ダメ>の判断は個人差があろう。以上のうち

暑さ、寒さ, 高さ、強さ、速さ、大きさ、広さ、長さ、深さ、太さ、厚さ、は単に度合、程度(ほど)をあらわすから進んででおり、抽象度がやや高い。この判断も個人差があろう。<ダメ>の判断については以下同じ(個人差がある)。


2)<xx み>

形容詞の抽象化では<さ>以外に<み>があるが、<さ>が<程度>の意味があるに対して<み>は程度の意味が薄く、抽象化がさらに進んでいるといえる。だだ し、<み>は<さ>のようにどの形容詞にもつくというわけではない。日本語の抽象化の程度(ほど)を考えた場合これは残念なことであるとともに、どうしてこうなるのかはいい検討課題だ。

暑い - 寒い  --> 暑み(ダメ)、寒み(ダメ) 
高い - 低い  --> 高み(OK)、低み(OK、辞書にある)
強い - 弱い   --> 強み(OK)、弱み(OK)
速い - 遅い(のろい)   --> 速み(ダメ)、遅み(ダメ)、のろみ(ダメ)
大きい - 小さい   --> 大きみ(ダメ)、小さみ(ダメ)
暖(あたた)かい - 涼しい  --> 暖かみ(OK)、涼しみ(ダメ)
広い - 狭い  --> 広み(ダメ)、狭み(ダメ)
長い - 短い  --> 長み(ダメ)、短み(ダメ)
明るい - 暗い  --> 明るみ(OK)、暗み(ダメ)
良い - 悪い  --> 良み(ダメ)、悪み(ダメ)
遠い - 近い  --> 遠み(よさそう)、近み(よさそう)
重い - 軽い  --> 重み(OK)、軽み(特殊だがOK)
古い - 新しい  --> 古み(特殊だが可能のようだ)、新しみ(OK)
深い - 浅い  --> 深み(OK)、浅み(ダメ)
粗い - 細(こま)かい  --> 粗み(ダメ) 、細かみ(ダメ)
太い - 細(ほそ)い   --> 太み(ダメ) 、細み(ダメ、細身というのがあるが、これは別)
厚い - 薄い   --> 厚み(OK) 、薄み (ダメ)
多い - 少ない  --> 多み(ダメ)、少なみ(ダメ)
美しい - 醜(みにく)い   --> 美しみ(ダメ)、 醜み(ダメ)

3)<がり>、<げ>、<まり>、<め>

<さ>、<み>以外にもまだある。<広がり>の<がり>、<広まり>、<高まり>の<まり>、<高ぶり>の<ぶり>、で、これらは形容詞からではなく動詞(広がる、広まる、高まる、高ぶる)由来だ。<広がり>、<広まり>、<高まり>、<高ぶり>は、響きも含めて、いい大和言葉だと思う。さらには<がる>、<がり>の派生とみられるの<げ>がある。

広い --> 広がる、広げる --> 広がり、広げ
広い --> 広まる、広める --> 広まり、広め
狭(せま)い --> 狭(せば)まる、狭(せば)める --> 狭まり(<広がり>ほどではないが可能だ)、狭め(<広め>ほどではないが可能だ)。

他の形容詞をあたってみる。

暑い --> 暑がる --> 暑がり、暑げ
暑い --> 暑まる(ダメ)、暑める(ダメ) --> 暑め(ダメ)、<熱め>はいい
寒い --> 寒がる --> 寒がり、寒げ
寒い --> 寒まる(ダメ)、寒める(ダメ) --> 寒め (可能)、<冷ため>はいい
高い --> 高がる、高ぶる --> 高がり(ダメ)、高げ(可能)、高ぶり 
高い --> 高まる、高める --> 高まり、高め
低い --> 低がる、低ぶる --> 低がり(ダメ)、低げ(可能)、低ぶり(ダメ) 
低い --> 低まる、低める --> 低まり (ほぼダメ)、低め
強い --> 強がる --> 強がり
強い --> 強まる、強める --> 強まり (可能)、強め
弱い --> 弱がる --> 弱がり弱げ
弱い --> 弱まる、弱める --> 弱まり、弱め
速い --> 速がる --> 速がり (可能)、速げ 可能)
速い --> 速まる、速める --> 速まり、速め
おそい --> おそがる --> おそがり(可能)、おそげ
おそい --> おそまる、おそめる --> おそまり (ほぼダメ)、おそめ
のろい --> のろがる(ダメ) --> のろがり (ダメ)、のろげ
のろい --> のろまる、のろめる --> のろまり (ほぼダメ)、のろめ
大きい --> 大きがる --> 大きがり (可能)、大きげ(可能)
大きい --> 大きまる、大きめる --> 大きまり(ダメ)、大きめ
小さい --> 小さがる --> 小さがり (可能)、小さげ(可能)
小さい --> 小さまる、小さめる --> 小さまり(ほぼダメ)、小さめ
長い --> 長がる --> 長がり (ダメ)、長げ(可能)
長い --> 長まる、長める --> 長まり(可能)、長め
短い --> 短がる --> 短がり (ダメ)、 短げ(可能)
短い --> 短まる、短める --> 短まり(可能)、短め
明るい --> 明るがる (ダメ)  --> 明るがり (ダメ)、明るげ
明るい --> 明るまる、明るめる --> 明るまり ほぼダメ) 、明るめ
暗い --> 暗がる (ダメ)  --> 暗がり、暗げ
暗い --> 暗まる、暗める --> 暗まり(ダメ) 、暗め
よい --> よがる --> よがり (ダメ)、よげ (心地よげ)
よい --> よまる、よめる --> よまり(ダメ)、よめ(ほぼダメ)
悪い --> 悪がる、悪ぶる --> 悪がり、悪げ、悪ぶり
悪い --> 悪まる、悪める --> 悪まり(ダメ)、悪め
遠い --> 遠がる --> 遠がり (ダメ)、遠げ (ダメ)
遠い --> 遠まる、遠める --> 遠まり(ほぼダメ)、遠め
近い --> 近がる --> 近がり (ダメ)、 近げ
近い --> 近まる、近める --> 近まり、近め
重い --> 重がる --> 重がり (ダメ)、重げ
重い --> 重まる、重める --> 重まり(ほぼダメ)、重め
軽い --> 軽がる --> 軽がり (ダメ)、軽げ
軽い --> 軽まる、軽める --> 軽まり(ダメ)、軽め
古い --> 古がる --> 古がり (ほぼダメ)、古げ
古い --> 古まる、古める --> 古まり(ほぼダメ)、古め
新しい --> 新しがる --> 新しがり、新しげ
新しい --> 新(あらた)まる、 新(あらた)める --> 新(あらた)まり、新(あらた)め、新しめ
粗(あら)い --> 粗がる、粗ぶる --> 粗がり (ダメ)、粗げ、粗ぶり
粗い --> 粗まる、粗める --> 粗まり(ダメ)、粗め
細(こま)かい --> 細かがる --> 細かがり (ダメ)、 細げ
細い --> 細かまる、細かめる --> 細かまり(ダメ)、細かめ
太い --> 太がる --> 太がり (ダメ)、 太げ
太い --> 太まる、太める --> 太まり(可能)、太め
細(ほそ)い --> 細がる --> 細がり (ダメ)、細げ
細い --> 細まる、細める --> 細まり、細め
厚い --> 厚がる --> 厚がり (ダメ)、厚げ
厚い --> 厚まる、厚める --> 厚まり(ダメ)、厚め
薄い --> 薄がる --> 薄がり (ダメ)、薄げ
薄い --> 薄まる、薄める --> 薄まり、薄め
多い --> 多がる --> 多がり (ダメ)、多げ
多い --> 多まる、多める --> 多まり(ダメ)、多め
少ない --> 少ながる --> 少ながり (ダメ)、少なげ
少ない --> 少なまる、少なめる --> 少なまり(ダメ)、少なめ
美しい  --> 美しがる --> 美しがり、美しげ
美しい  --> 美しまる、 美しめる  --> 美しまり(ダメ)、美しめ
醜(みにく)い --> 醜がる --> 醜がり、  醜げ
醜(みにく)い --> 醜まる、 醜める  --> 醜まり(ダメ)、醜

<め>は<xx める>由来かどうかわからないが、<さ>と同じく見事な対応で、ほとんどすべて<め>がつく)がある。意味は<どちらかと言うと xx(形容詞)>と言う意味の体言(名詞)だ。一方<がり>の方は少数派で、以上の例では<広がり>以外では

寒がり
暑がり
強がり
暗がり
悪がり
新しがり
美しがり
醜がり

だけだ。 <暗がり >はやや<広がり>のような抽象化があるが(<暗がる>と<暗がり>は意味的に結びつかないないので、<暗がり>は<暗い>の語幹<くら>+(<がる>とは関係のない)<がり>かもしれない。寒がり、暑がり、強がり、悪がり、新しがりは抽象化とは関係のない特殊な意味になっている。<広がり>はいい言葉(大和言葉)だが、仲間が少ないことになる。しかし<えげ>は<がり>にくらべて一般化が進んでおり、大体の形容詞につく。<xx げな>、<xx げだ>のように使われるが、<xx げがいい>、<xx げが好きだ、きらいだ>のようにつかえるので、体言(名詞)化と見てもいいだろう。

<ぶり>も多くはない。<高ぶり>はかなり抽象化されているが、これ以外では

悪ぶる  - 悪ぶり(ダメ)、、 <悪がる>も使う。 
偉(えら)ぶる  - 偉ぶり(ダメ)、 <偉がる>も使う。
忙しぶる - 忙しぶり(ダメ)、  <忙しがる>の方がよく使うようだ。

があるが体言(名詞)の<悪ぶり>、<偉(えら)ぶり>は間違いではないがほとんど聞かない。これらは形容詞の語幹につく、悪(わる)、偉(えら)、忙(いそが)し。

体言(名詞)につく例

かまととぶる - かまととぶり
男ぶる(?) - 男ぶり
りこうぶる - りこうぶり
金持ちぶる - 金持ちぶり


4)xxx 過ぎる --> xxx 過ぎ

<xxx 過ぎる>は英語の <too xxx>の訳としてよく使われる。

動詞の場合は

行き過ぎる
話しすぎる,しゃべり過ぎる

のように連用形につくが、形容詞の場合は語幹につく。

暑い-寒い  --> 暑過ぎる、寒過ぎる
高い-低い  --> 高過ぎる、低過ぎる
強い-弱い   --> 強過ぎる、弱過ぎる
速い-遅い(のろい)   --> 速過ぎる、遅過ぎる(のろ過ぎる)
早い-遅い    --> 早過ぎる、遅すぎる
大きい-小さい   --> 大過ぎる、小さ過ぎる
暖(あたた)かい - 涼しい  --> 暖過ぎる、涼し過ぎる
広い-狭い  --> 広過ぎる、狭過ぎる
長い-短い  --> 長過ぎる、短過ぎる
明るい-暗い  --> 明る過ぎる、暗過ぎる
良い-悪い  --> 良過ぎる、悪過ぎる
遠い-近い  --> 遠過ぎる、近過ぎる
重い-軽い  --> 重過ぎる、軽過ぎる
古い-新しい  --> 古過ぎる、新し過ぎる
深い-浅い  --> 深過ぎる、浅過ぎる
粗(あら)い-細(こま)かい  --> 粗過ぎる、細か過ぎる
太い-細(ほそ)い   --> 太過ぎる 、細(ほそ)過ぎる
厚い-薄い   --> 厚過ぎる、薄過ぎる
多い-少ない  --> 多過ぎる、少さ過ぎる
美しい - 醜(みにく)い --> 美し過ぎる、醜過ぎる

上記の例を見るかぎり例外はない。<近過ぎる>は<近く過ぎる>でもよさそう。

<xxx 過ぎ>は<暑過ぎ、寒過ぎは体(からだ)によくない>のように使え、体言(名詞)と言えそうだが、これは<xxx 過ぎる>の連用形<xxx 過ぎ>の体言(名詞)化で、規則的だ。下記参照。

5)連用形

動詞には連用形の体言(名詞)化と言う文法法則がある。

行く - 行き
帰る - 帰り

行きはよいよい帰りはこわい。

<行き>は<行くこと>、<帰り>は<帰ること>ではない。<行くこと>、<帰ること>も抽象化と言えるが、<行き>、<帰り>は別の意味を持った抽象化だ。

この法則は形容詞にもあてはまるか?

暑い-寒い --> 暑く、寒く
高い-低い --> 高く、低く
強い-弱い  --> 強く、弱く
速い-遅い(のろい)  --> 速く、遅く
早い-遅い  --> 早く、遅く
大きい-小さい  --> 大きく、小さく
暖(あたた)かい-涼しい --> 暖く、涼しく
広い-狭い --> 広く、狭く
長い-短い --> 長く、短く
明るい-暗い --> 明るく、暗く
良い-悪い --> 良く、悪く
遠い-近い --> 遠く、近く
重い-軽い --> 重く、軽く
古い-新しい --> 古く、新しく
深い-浅い --> 深く、浅く
粗(あら)い-細(こま)かい  --> 粗く、細かく
太い-細(ほそ)い  --> 太く 、細く
厚い-薄い  --> 厚く 、薄く
多い-少ない --> 多く、少なく

<古く>は xx、<新しく>は yy
朝早くはいい。夜遅くはだめ。
xx の<多く>は

は体言(名詞)のようだが、<は(係り助詞)>を<が(格助詞)>に換えてみる。

<古く>が xx、<新しく>が yy、はダメ。
<朝早くがいい>はOK。<夜遅くがだめだ>は別の意味になる。 
 xx の<多く>が、はOK。

体言(名詞)化は不十分。少なくとも文法上規則になっていない。連用形の副詞化は規則性がありそう。

文語の形容詞の活用は

種  類  例 語  語 幹  未然形  連用形  終止形  連体形  已然形  命令形


 ク 活用  高し  高  -から  -く  -し  -き  -けれ  -かれ


 -かり  -かる


 シク活用  悲し  悲  *  -しく  -し  -しき  -しけれ  -しかれ 


 -しから  -しかり  -しかる










で、連体形の<xx き>、<xx しき>は体言(名詞)として使われる。

暑い-寒い --> 暑き、寒き
高い-低い --> 高き、低き
強い-弱い  --> 強き、弱き
速い-遅い(のろい)  --> 速き、遅き
早い-遅い  --> 早き、遅き
大きい-小さい  --> 大きき(?)、大きかる、小さき
暖(あたた)かい-涼しい --> 暖き、涼しき
広い-狭い --> 広き、狭き
長い-短い --> 長き、短き
明るい-暗い --> 明るき、暗き
良い-悪い --> 良き、悪き(あしき)
遠い-近い --> 遠き、近き
重い-軽い --> 重き、軽き
古い-新しい --> 古き、新しき
深い-浅い --> 深き、浅き
粗(あら)い-細(こま)かい  --> 粗き、細かき
太い-細(ほそ)い  --> 太き 、細き
厚い-薄い  --> 厚き 、薄き
多い-少ない --> 多き、少なき

文語         口語

夏の暑きは -  夏の暑いのは、 夏の暑いこと
山の高きは -  山の高いのは、山の高いことは 
etc

口語の方は、<の>が<こと>の意の体言なので<xx い>は連体形。


継続調査予定。



sptt

Thursday, April 16, 2015

<はず>の英語


日本語<はず>は英語に訳すとどうなるか?

<はず>を使った例文

こうなるハズだが(ならないのはどういうわけか?)
こんなハズではなかった。
花子が来るハズだが(まだ来ていない。)
花子なら(きっと、必ず)来るハズだ。
花子は来るハズだったが(来なかった。)

そんなハズ(は)ない。(否定)
太郎がそう言ったハズだ。
花子なら(きっと、必ず)こう言うハズだ。(<こう>はこれから述べることになる場合がある)
花子なら(きっと、必ず)こう言ったハズだ。
花子なら(きっと、必ず)こうするハズだ。
花子なら(きっと、必ず)こしたハズだ。

太郎が知らないハズはない。 (二重否定)
太郎がそんなに早く来るハズがない。 (否定)


以上は大体 should, should have +過去分詞、should not, should not have +過去分詞でよさそう。逆にshould, should have +過去分詞、should not, should not have +過去分詞は教科書では大体規則的に

should - べきだ
should have +過去分詞 - べきだった
should not - べきでない
should not have +過去分詞  - べきでなかった

となるようだが、<べき>はやまとことばだが少し漢文調なので、もっとやまとことばらしい<はず>をもっと使ったらどうか?

ところで、<はず>と言う語(体言、名詞)が modal verb の should になる(にほぼ等しい)ということは日本語と英語のとんでもなく大きな違いだ。これは大いに検討の余地がある。

sptt

Tuesday, April 14, 2015

<だけ>の意味はonlyだけか?


かなり前のポストで ”only の意味は<だけ>だけか?” というのを書いた。今回は ”<だけ>の意味はonky の意味だけか?” を調べてみる。結論からいうと、 ”<だけ>の意味はonly だけではない” となる。

これは前回のポスト ”<ほど>とはいったい何か?” で<ほど>を調べているときに発見した。

好きなだけ取りなさい。

英訳:You can take as much as you want.

英訳に only は出てこない。そのかわりに as much as がでてくる。only も as much as も限定を示す。You can take only what (how much) you want. といえるが、意味は<好きなだけ取りなさい>と同じではない。<好きなだけしか取れない>となるのだ。ただし You can take just what (how much) you want. と just ならよさそう。


sptt

Monday, April 13, 2015

<ほど>とはいったい何か?


<ほど>は漢字で<程>と書くが、大和言葉のようなので<ほど>の方がいいだろう。意識はしていないが<ほど>ほど良く使う語はそう多くないだろう。

<ほど>ほど良く使う語はそう多くない。

はかなり込み入っている。 <ほど>が重なってしまうが

<ほど>ほど良く使う語はそれほど多くない。

とも言える。英語で言うと

We do not have so many words we frequently use other than "hodo." または

We do not have so many other words we frequently use than "hodo." 

とでもなるか?

否定と比較が使われているが、二番目の下線付きほどに直接相当する英語の語はない。否定と比較に吸収されているようだ。さらには so も使われてている。あるいは

We do not have so many words like "hodo" which we frequently use.

でもよそう。like "hodo" は ”ほど” のように、となる。 ”ほど” は名詞みたいだが、like に相当する<ように>は副詞だ。<ほど>は副詞の働きもあるようだが like にそのままは相当しない。<ほど>とはいったい何か?すこし考えてみたが、これは極めておもしろい日本語の問題だ。<ほど>はこなれた日本語だけに慣用例も多い。

<ほど>の慣用例

なるほど <--- <なる>+<ほど>がなぜ<なるほど>の意味になるのか? この<ほど>はどういう意味か? こどもの遊び言葉に<なるへそ>というのがある。これは、なるほど-->なるほぞ-->なるへそ、の変化だろう。<ほぞ>>は<へそ>の古語だ。<ほぞをかむ>という表現がある。<なるへそ>はそれなりにおもしろいが、おとなになったら使わない方がいい。

ほどなく  <--- <ほど+(が)+ない>がなぜ<ほどなく>の意味になるのか? この<ほど>はどういう意味か?

ほどよい、ほどよく  <--- <ほど+(が)+よい>で、漢語での言い換えになってしまうが、具合がいいと、程度がいい、加減がいい、といった意味だ。

よほど <--- <よ+ほど>で、この<よ>は<よい>の<よ>も考えられるが、漢語の余(よ)だろう。漢語の余(よ)とすると<余程>は重箱読みになる。もっとも、<ほど>は、あとで検討するように、純大和言葉でない可能性もある。

ほどほど <--- <ほど>+<ほど>だが、前の<ほど>と後ろの<ほど>は意味が違うようだ。前の<ほど>は漢語を使ううことになるが<ある種の程度>を表わしているのに対し、後の<ほど>は何らかの限定を表わしているようだ。これからすると<ほどほどに>は<ある種の程度に何らかの限定を加えて>という長たらしい説明になるが、<ほどほど(に)>は<その程度が行き過ぎない(ように)>といった意味だ。副詞として使う場合は<ほどほどに>と<に>がつくようなので<ほどほど>は名詞(体言)か。<ほどほど>はこれ以外に

わたしの英語(の能力)はほどほどです。

という言い方がある。 <良くも悪くもない>といった意味のようだが、状況によってかなり能力の範囲に差がある。範囲は限定されているがかなり広範囲だ。言い換えると<範囲は広い>のだ。重宝で就職の面接向きと言えるが、いい加減とも言える。

<ほど>は漢字を使う場合<程>になるが、むしろ<度(ど)>の方が<ほど>に近い。過程、工程、旅程からは<ほど>が出てこない。一方、温度、高度、強度、速度、度量からは<ほど>が出てきそうだ。これらは物理学では大切な概念だ。<ほど>の<ど>はこの<度(ど)>の可能性がある。<ほ>がよくわからないが、接頭語、 接頭辞で処理はできる。大和言葉の形容詞を使えば

暖(温)かさ(暑さ、寒さ、熱さ)のほど
高さのほど
強さのほど
速さのほど
大きさのほど

になる。

ところで大和言葉では暖(温)かさ、高さ、強さ、速さ、大きさはもとの形容詞の暖(温)かい、高い、強い、速い、大きい、に<さ>がついて程度(ほど)をあらわす。したがって

気温のほど --> あたたかさ(暑さ、寒さ)
高さのほど --> 高さ
強さのほど --> 強さ
速さのほど --> 速さ
大きさのほど --> 大きさ

に簡素化できる。しかし<(の)ほど>は単なる飾りにみえるが、<高さ>と<高さのほど>は<ほど>がある分、意味がやや違う。漢語による言い換えになってしまうが<高さのほど>は<高さの程度、具合、加減>で、<程度>で代表すれば<高さのほど>は程度に注目(程度を強調)した言い方だ。形容全体をあらわす場合はいいとして、両極端(Max - Min)の間のいろいろな程度(ほど)がある。

テーブルの上にりんごが20ほどある。(20前後)

これは

テーブルの上にりんごが20くらいある。(20前後)
テーブルの上にりんごが20ばかりある。(20前後)
テーブルの上にりんごが20あたりある。(20前後)
テーブルの上にりんごが20あまりある。(20以上)
 テーブルの上にりんごが20たらずある、とはまず言わないが可能だろう(20以下)

で言い換えられる。 これは形容詞ではなく特定の数(量)につく<ほど>だが、ある範囲を示している。<あたり>は<当たる>からすると<ちょうど20>になりそうだが、この<あたり>は<火、陽光(ひ)、ストーブにあたるの<あたる>だ。

数(量)の形容詞は<多い-少ない>だ。

<xx は多いほどよい>という表現はよく使う。英語は変な表現になる。

XX、the more the better.

the がよくわからないが、きわめて万能の as を使うと

as more as better

になるが、これは聞いたことがない。しかし、たとえば

Money, as we have more, it will be better (for us).  (金は多いほどいい)

とはいえそう。比較は残る。<ほど>からすぐには、あるいはそのままでは比較が出てこない。<ほど>には隠された<比較>があるようだ。だが内容を少し詳しくみると、形式上は比較級がでてくるが、more と better の二つがあり、単純にAとBを比較するというよりは一方(A)と他方(B)の関係、相関関係をあらわしていると見ることができる。一方が増える(形容詞を使えば、多くなる)と、それに関連して他方も増える(多くなる)関係(この場合は比例関係)だ。the はもともどうして使われるようになったか調べていないが、相関関係を示す語/詞(副詞、接続詞)の意味を担(にな)っており、見た目と違って冠詞用法ではない。<ほど>はこの相関関係を一語であらわすのだ。

金は多いほどいい。

は念をいれて

 金は多ければ多いほどいい。

と言う。これは<ほど>を使った慣用的な言い方だ。<多ければ>は口語では仮定形だ。動詞でも変わらない。

行けば行くほど、道がわからなくなった。

形容動詞の場合は

静かならば静かなほどいい。

<ほど>は体言(名詞)で連体形がつくので、形式化すれば

xx(形容詞、動詞 、形容動詞)仮定形 +<ば>、 xx (連体形)+<ほど>

となる。

金は山ほどある。



金は山のようにある。

はどこがちうがう。 <金は山ほどある>の方がこなれた日本語だろう。<金は山のようにある>は比喩表現でやや翻訳っぽい。<ように>を使うのでいわゆる直喩だ。一方<金は山ほどある>は単純に比喩表現とはいえないが比喩表現のようでもある。<ほど>のなかに比喩が隠されていると言えそう。この<山ほど>は<山のように大きな量>を暗示している。しかもこの<ほど>にはある種の<広がり>が感じなれないだろうか。そしてその<広がり>は<ほど>がある範囲の限定をあらわすとはいえ、それほどきつい限定ではないことによる。山より大きくても言いわけなのだ。この<ほど>の<広がり>に注目したい。

金はたまったが目標にはほど遠い。

これは

金はたまったが目標にはかなり遠い。

の意味に近いようだ。あるいは<広さのある遠さにある>とでもなるが、これは<かなり遠い>可能性が高い。<近い>といえば

その店は駅にほど近い。

という言い方がある。 <かなり近い>でも<すぐ近くにある>でもなく、<広さのある近さにある>の意のようだ。

今度の試験(の結果)のほどはどうですか?

 という言い方がある。

今度の試験(の結果)はどうですか?

よりも直接的でなくなる。これは<ほど>の<限定範囲の広さ>によるようだ。

<ほど>は範囲を限定する言葉だが範囲は相当<広い>。

真偽(生死)のほどはわからない。

この<ほど>は範囲の限定というよりは二者択一がらみだが、真(生)に近いほうの範囲と偽(死)に近いほうの範囲と幅(広さ)を持たせると範囲の限定にならないこともない。

 誠意(熱意、感謝)のほどを示す。

これも範囲でいいだろう。

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<こそあど>に付けてみる。

これほど
それほど、さほど
あれほど
どれほど

<このほど>は慣用語で<このたび>に近く時間に関した表現。さほどの<さ>は<さう>で<そう>の古語。例:されば=そうであれば)。 その他の<ほど>は大体<程度>をあらわすようだ。

これほど - こんなに
それほど - そんなに
あれほど - あんなに
どれほど - どんなに

と言い換えられそうなので<ほど=なに(何)> となるが、そうすると<ほど>は不定を示すことになる。この不定は細かく言えば<不定の程度>、<不定の量>だ。<どれほど>は<どれ>自体が不定(疑問は不定だ)。

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さて、<ほど>について大分ヒントがえられたので、始めの方の疑問に挑戦してみる。

疑問-1
なるほど <--- <なる>+<ほど>がなぜ<なるほど>の意味になるのか? この<ほど>はどういう意味か?

答え

<なる>は<xx が yy になる>で生成、変化をあらわす。生成、変化、特に変化は予想、予測に反する場合が少なくない。<予想、予測>と<現実>の差の範囲が<広い>ことを表現しているのではないか?


疑問-2
ほどなく  <--- <ほど+(が)+ない>がなぜ<ほどなく>の意味になるのか? この<ほど>はどういう意味か?

答え

これは<時間の広さ>に及んだ表現だ。<時間の広さ、広がり>が<ない>で<ほどなく>になる。

別途検討-1
<ほど>ほど良く使う語はそう多くない。
日本語の<さ>は見事な対応に加えて、heat、weight、quantity ほどではないが抽象化がすすんでいるといえる。 ほどではないは別途検討。

検討結果

これはかなりややこしい、あるいはややこしく説明できる。

太郎は花子ほどかしこく(は)ない。

 Taro is not so bright (clever*) as Hanako.  (clever は往々にして<ずるがしこい>の意がある)

日本人ではなかなか口に出てこないが

Taro is as bright as Hanako.

という言い方がある。 <太郎は花子と同じようにかしこい>、<太郎は花子と同じくらいかしこい>、<太郎は花子と同じほどかしこい>と変な日本語で訳される。

文法用語では、覚える必要はないが、<同等比較>とういのがある。これが<同等比較>だ。<のように>、<くらい>、<ほど>は似ているが違いもある。(これも別途検討)

Taro is not so bright as Hanako.

 はこの<同等比較>の否定なのだ。否定はややこしい。so があるが<太郎は花子ほどそうかしこく(は)ない>でもいい。肯定の同等比較は比較対象を入れ替えることができる。

太郎は花子と同じようにかしこい。 --> 花子は太郎と同じようにかしこい。
太郎は花子と同じくらいかしこい。  --> 花子は太郎と同くらいかしこい。
太郎は花子と同じほどかしこい。  --> 花子は太郎と同ほどかしこい。

入れ替えることはできるが、間違いでないということで、言っている内容は違ってくる。当たり前のことだが、<同等比較>の否定ではこうはいかない。

太郎は花子ほどかしこく(は)ない。 --> 花子は太郎ほどかしこく(は)ない。

さて、この<同等比較の否定>の<ほど>の意味はないか?言い換えてみる。

太郎のかしこさはは花子のかしこさほどではない

これは<太郎のかしこさ>と<花子のかしこさ>と比較している。さらにはこれは<太郎のかしこさの程度>と<花子のかしこさの程度>を比較している、といえる。数、量的な比較は数えたり、計ったりしてできる。<かしこさ>の比較もテストの成績でできそう。こんどは<ほど>を使わずに言い換えてみる。

太郎のかしこさはは花子(のかしこさ)には及ばない

<及ぶ>、<及ばない>は重要な観念でバカにできない。<及ぶ>、<及ばない>は対象がないといけない。この場合の対象は花子だが、正確には<花子のかしこさ>、さらには<花子のかしこさの程度>、またこの場合、さらに正確にいおうとすれば<花子のかしこさの程度の高い方の限度、Max>を対象とした比較ということになる。これだけの意味が<ほど>にあることになる。


別途検討-2

 <のように>、<くらい>、<ほど>は似ているが違いもある。(これも別途検討)

検討結果

<のように>の<よう(古語はやう>は漢語の<様>由来だ。大和言葉では<さま>というのがある。<同じように>は<同じさまに>となる。<さま>は範囲を示すというよりは<目に見える様子>をあらわす。<山のようにある金>と<山ほどある金>の違いは上でのべた。

<くらい>は<おおよそ>の意では、<20くらい>と<20ほど>はほぼ同じような意味になる。程度の比較の意では

太郎くらいバカなやつはいない。
太郎ほどバカなやつはいない。

も大体同じような意味になる。<太郎のバカさの程度>基準にした発話だ。<ほど>も<広い範囲>というよりは<程度>だ。<ない>と否定になっているのがクセモノで、否定対象が<広い範囲>だと否定効果が薄くなるようだ。 少し言い換えてみる。

太郎くらいのバカはいない。 ほぼダメ。
太郎ほどのバカはいない。 OK。

太郎くらいのバカはいくらでもいる。 OK。
太郎ほどのバカはいくらでもいる。 ほぼダメ。

この違いはどこからくるのか?

<こそあど>に付けてみる。

これほど - こんなに   OK
これくらい - こんなに   ダメ

それほど - そんなに   OK
それくらい - そんなに   ダメ

あれほど - あんなに   OK 
あれくらい - あんなに   ダメ

どれほど - どんなに   OK 
どれくらい  - どんなに  ダメ

kの<こそあど>では<ほど>は範囲とともに限度を示しているのに対して<くらい>は範囲は示せるが限度は示せないことをしめしている。<ほど>は英語で言えば no matter how xx に対応するのだが、<くらい>にはこの対応がない。


sptt

Saturday, April 11, 2015

否定の語<ない>について


否定のことば(語、詞)<ない>について考えてみる。手元の辞書(三省堂、新明解、第6版)では助動詞と形容詞に分けている。

1.助動詞の<ない>

<ない>は動詞の未然形をさがすのによく使う。助動詞なので基本的には動詞につくことになる。

書(か)ない (5段活用)
ない (上一段活用)
ない (下一段活用)
ない (か行変格活用)
ない (さ行変格活用)

いくつか例外があるのが文法で

愛さない - <愛する>は<愛>+<する>で、<する>が<さ行変格活用>であるとすると<愛しない>となるはずだが<愛さない>となる。受身、尊敬は<愛れる>、使役は<愛せる>となり、<する>の五段活用。可能は<愛される>はほぼダメで<愛れる>となるようだが、少し変だ。私は<愛れる>ではなく少し長くなるが<愛することができる>といいそうだ。

実行する - <愛する>と同じようだが、可能は<実行せれる>と言う人はごく少数派で<実行できる>が多数派だろう。<実行することができる>は長すぎる。一方<愛できる>はダメ。なぜダメかはおもしろい課題だが<ない>の話を進める。

上記の動詞につく<ない>は文法で<打消し>の助動詞ということになっている。 <打消し>は<否定>でもよさそうだが、日本語文法では大和言葉を使って<打消し>が主流だ。

助動詞<ない>に相当する古語は<ず>でやはり未然形につく。

書(か)




ない>は<しず>ではなく<せず>になる。上記の<愛する>の場合、<愛さず>と<愛せず>は意味に違いがある。<愛さず>は単純(中立)否定または意思否定。<愛せず>は可能の否定(不可能)だ。

意味は微妙なところがある。上記の5例

(太郎は)書(か)かない
(太郎は)起きない
(太郎は)染めない
(太郎は)こない
(太郎は)しない

の場合をみると単純(中立)否定と意思否定が考えられる。可能の否定(不可能)は

(太郎は)書(か)ない 已然形(仮定形)。書かれない、書かられない、とは言わない。
(太郎は)起きられない 未然形+<られ>か?
(太郎は)起きれない  も聞く。未然形+<れ>または已然形(仮定形)
(太郎は)染められない 未然形+<られ>か?
(太郎は)染めれない  も聞く。未然形+<れ>かまたは已然形(仮定形)

<(太郎は)こない>は已然形(仮定形)(くれば)を使うと<(太郎は)くれない>だが、こうは言わず<(太郎は)こられない、これない>、となる。  

<(太郎は)しない>はやっかいで、已然形(仮定形)(すれば)を使った<(太郎は)すれない>はダメ。<(太郎は)せれない>もダメ。<する>を使うと<(太郎は)することができない>となるが、これは<することが>を省略して<(太郎は)できない>というのが普通。だが、これでは<する>がなくなってしまう。この省略は意外と重要なことのようだ。


助動詞<ない>の活用(Japan Wiki) - 活用は形容詞型

未然形   なかろ
連用形   なかっ、なく  (xx なかった、xx なくて)
終止形   ない
連体形   ない
仮定形   なけれ



動かなかろう (忙しかろう)
動かなかった、動かなくなる (忙しかった、忙しくなる)
動かない (忙しい)
動かないもの、こと、時 (忙しいもの、こと、時)
動かなければ (忙しければ)

<動かなくない>は二重否定だが、最後の<ない>は動詞の未然形につくので、その前にある<なく>は未然形になる。<忙しくない>の<しく>は形容詞<いそがしい>の未然形ではなく連用形だろう。昔は<いそがしからず>で未然形だ。


2.形容詞の<ない>

これはやっかい。 なぜ形容詞なのか? <ない>は<れっきとした>というか重要な<存在を示す>動詞<ある>の反対語だが、<存在を否定する>動詞ではなく形容詞なのだ。

テーブルの上に砂糖がある。
テーブルの上に砂糖がない。

動詞<ある>を助動詞<ない>で否定する(打ち消す)と<ある>の未然形は<あら>なので

テーブルの上に砂糖があらない

となるが、こうは言わず

テーブルの上に砂糖がない

となる。 <あらない>の<あら>が消える、あるいは省略されるのだ。上の例にならえば

テーブルの上に砂糖があることがない

だが、<あることが>省略がされるのだ。問題はこの時点で助動詞<ない>が形容詞<ない>に変わることだ。なぜ形容詞なのか?助動詞<ない>の活用は形容詞型となっている。形容詞<ない>の活用はもちろん形容詞型だ。基本的には両者同じ。

未然形 - なかろう、なくない (二重否定)

連用形 - なかった、なく

終止形 - ない、なし(古語)

連体形 - ないとき、ないこと、ないとき

依然(仮定)形 - なければ

したがって、<ない>が形容詞である、または形容詞扱いされるのは形容詞型の活用のためだろう。活用は文法上分類のための重要な要素だ。しかし、助動詞または形容詞のどちらかに統一できないものか?

いくつかの例

1)おもしろくない本

<おもしろい>(形容詞) + <ない>(連体形) + 本

この<ない>は形容詞<おもしろい>の連用形<おもしろく>につき、これを否定修飾(形容)し、さらに本を修飾(形容)している。いわば否定の関係代名詞だ。

2)この本はおもしろくない。

この<ない>も述語形容詞<おもしろい>の連用形<おもしろく>についてこれを否定修飾(形容)し、活用は終止形で文を終わらせている。

3)この本をおもしろくなく読む。

実際翻訳調以外にこうは言いそうもない。この<なく>は<おもしろい>の副詞と思える<おもしろく>についてそれを否定し、かつうしろの動詞<読む>を修飾している。活用は連用形だが働きとしては副詞。いわば否定の関係副詞だ。

4)この本はおもしろみがない。

この<ない>は<おもしろみ>の存在を否定している。

5)この部屋は静かでない。

文法上<静かで>は形容動詞<静かな>の連用形。<ない>は形容動詞<静かな>を否定修飾(形容)しており、<ない>の活用は終止形。

文法上特徴的なのは<ない>が動詞に付く場合(助動詞扱い)と違って未然形ではなく連用形につくのが多いことだ。

以上のように形容詞の<ない>はかなり混乱している。

ちなみに<あることが>を挿入してみる。

1)おもしろくあることがない本
2)この本はおもしろくあることがない。
3)この本をおもしろくあることがなく読む。
4)この本はおもしろみがあることがない。
5)この部屋は静かであることがない。

<が>が重なるので聞きづらいへ変な日本語が多いが、以上のうちの内4)が<おもしろみ>という具体的なコトになっている以外は<おもしろい>、<静かな>という状態、状況の体言化の否定という構造になっている。<ない>は否定の形容詞と言うよりは存在の否定語だ。


sptt