Saturday, April 11, 2015
否定の語<ない>について
否定のことば(語、詞)<ない>について考えてみる。手元の辞書(三省堂、新明解、第6版)では助動詞と形容詞に分けている。
1.助動詞の<ない>
<ない>は動詞の未然形をさがすのによく使う。助動詞なので基本的には動詞につくことになる。
書(か)かない (5段活用)
起きない (上一段活用)
染めない (下一段活用)
こない (か行変格活用)
しない (さ行変格活用)
いくつか例外があるのが文法で
愛さない - <愛する>は<愛>+<する>で、<する>が<さ行変格活用>であるとすると<愛しない>となるはずだが<愛さない>となる。受身、尊敬は<愛される>、使役は<愛させる>となり、<する>の五段活用。可能は<愛される>はほぼダメで<愛せれる>となるようだが、少し変だ。私は<愛せれる>ではなく少し長くなるが<愛することができる>といいそうだ。
実行する - <愛する>と同じようだが、可能は<実行せれる>と言う人はごく少数派で<実行できる>が多数派だろう。<実行することができる>は長すぎる。一方<愛できる>はダメ。なぜダメかはおもしろい課題だが<ない>の話を進める。
上記の動詞につく<ない>は文法で<打消し>の助動詞ということになっている。 <打消し>は<否定>でもよさそうだが、日本語文法では大和言葉を使って<打消し>が主流だ。
助動詞<ない>に相当する古語は<ず>でやはり未然形につく。
書(か)かず
起きず
染めず
こず
<しない>は<しず>ではなく<せず>になる。上記の<愛する>の場合、<愛さず>と<愛せず>は意味に違いがある。<愛さず>は単純(中立)否定または意思否定。<愛せず>は可能の否定(不可能)だ。
意味は微妙なところがある。上記の5例
(太郎は)書(か)かない
(太郎は)起きない
(太郎は)染めない
(太郎は)こない
(太郎は)しない
の場合をみると単純(中立)否定と意思否定が考えられる。可能の否定(不可能)は
(太郎は)書(か)けない 已然形(仮定形)。書かれない、書かられない、とは言わない。
(太郎は)起きられない 未然形+<られ>か?
(太郎は)起きれない も聞く。未然形+<れ>または已然形(仮定形)
(太郎は)染められない 未然形+<られ>か?
(太郎は)染めれない も聞く。未然形+<れ>かまたは已然形(仮定形)
<(太郎は)こない>は已然形(仮定形)(くれば)を使うと<(太郎は)くれない>だが、こうは言わず<(太郎は)こられない、これない>、となる。
<(太郎は)しない>はやっかいで、已然形(仮定形)(すれば)を使った<(太郎は)すれない>はダメ。<(太郎は)せれない>もダメ。<する>を使うと<(太郎は)することができない>となるが、これは<することが>を省略して<(太郎は)できない>というのが普通。だが、これでは<する>がなくなってしまう。この省略は意外と重要なことのようだ。
”
助動詞<ない>の活用(Japan Wiki) - 活用は形容詞型
未然形 なかろ
連用形 なかっ、なく (xx なかった、xx なくて)
終止形 ない
連体形 ない
仮定形 なけれ
”
動かなかろう (忙しかろう)
動かなかった、動かなくなる (忙しかった、忙しくなる)
動かない (忙しい)
動かないもの、こと、時 (忙しいもの、こと、時)
動かなければ (忙しければ)
<動かなくない>は二重否定だが、最後の<ない>は動詞の未然形につくので、その前にある<なく>は未然形になる。<忙しくない>の<しく>は形容詞<いそがしい>の未然形ではなく連用形だろう。昔は<いそがしからず>で未然形だ。
2.形容詞の<ない>
これはやっかい。 なぜ形容詞なのか? <ない>は<れっきとした>というか重要な<存在を示す>動詞<ある>の反対語だが、<存在を否定する>動詞ではなく形容詞なのだ。
テーブルの上に砂糖がある。
テーブルの上に砂糖がない。
動詞<ある>を助動詞<ない>で否定する(打ち消す)と<ある>の未然形は<あら>なので
テーブルの上に砂糖があらない。
となるが、こうは言わず
テーブルの上に砂糖がない。
となる。 <あらない>の<あら>が消える、あるいは省略されるのだ。上の例にならえば
テーブルの上に砂糖があることがない。
だが、<あることが>省略がされるのだ。問題はこの時点で助動詞<ない>が形容詞<ない>に変わることだ。なぜ形容詞なのか?助動詞<ない>の活用は形容詞型となっている。形容詞<ない>の活用はもちろん形容詞型だ。基本的には両者同じ。
未然形 - なかろう、なくない (二重否定)
連用形 - なかった、なくて
終止形 - ない、なし(古語)
連体形 - ないとき、ないこと、ないとき
依然(仮定)形 - なければ
したがって、<ない>が形容詞である、または形容詞扱いされるのは形容詞型の活用のためだろう。活用は文法上分類のための重要な要素だ。しかし、助動詞または形容詞のどちらかに統一できないものか?
いくつかの例
1)おもしろくない本
<おもしろい>(形容詞) + <ない>(連体形) + 本
この<ない>は形容詞<おもしろい>の連用形<おもしろく>につき、これを否定修飾(形容)し、さらに本を修飾(形容)している。いわば否定の関係代名詞だ。
2)この本はおもしろくない。
この<ない>も述語形容詞<おもしろい>の連用形<おもしろく>についてこれを否定修飾(形容)し、活用は終止形で文を終わらせている。
3)この本をおもしろくなく読む。
実際翻訳調以外にこうは言いそうもない。この<なく>は<おもしろい>の副詞と思える<おもしろく>についてそれを否定し、かつうしろの動詞<読む>を修飾している。活用は連用形だが働きとしては副詞。いわば否定の関係副詞だ。
4)この本はおもしろみがない。
この<ない>は<おもしろみ>の存在を否定している。
5)この部屋は静かでない。
文法上<静かで>は形容動詞<静かな>の連用形。<ない>は形容動詞<静かな>を否定修飾(形容)しており、<ない>の活用は終止形。
文法上特徴的なのは<ない>が動詞に付く場合(助動詞扱い)と違って未然形ではなく連用形につくのが多いことだ。
以上のように形容詞の<ない>はかなり混乱している。
ちなみに<あることが>を挿入してみる。
1)おもしろくあることがない本
2)この本はおもしろくあることがない。
3)この本をおもしろくあることがなく読む。
4)この本はおもしろみがあることがない。
5)この部屋は静かであることがない。
<が>が重なるので聞きづらいへ変な日本語が多いが、以上のうちの内4)が<おもしろみ>という具体的なコトになっている以外は<おもしろい>、<静かな>という状態、状況の体言化の否定という構造になっている。<ない>は否定の形容詞と言うよりは存在の否定語だ。
sptt
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