”
I am hungry. = 我饿了。
極めて短い。<了>は何らかの発話者の<気持ち>含める語気助詞なので、特に<気持ち>を含めない、中立的な発話では主語を含んでもたかだか二語の<我饿>でいい。英語より短い。
私の住む香港の広東語は<肚饿>で<主題>の<おなか>の意の<肚>を示すのが普通。ただしこれも<肚(to)>は一音節。
広東語の I am hungry. = 我肚饿(了)。
これぞまさしく、<わたしはお腹(なか)がすいている>で主語、主題、形容詞がそろっている。
<饿>に関連しては<ひもじい>、<飢(う)えている>という大和言葉があるが、いまは<お腹(なか)がすいている>の意味はなくなっている。
ドイツ語では Es mich hungert. (または Ich habe Hunger. か)
と言い、また違った表現方法だ。これ以外にもまだありそう。
(中略)
2)意味を正しく伝えるためには主語、主題(おなか、のど、食事、私)が必要。ただしこれは、日本語の方が分析的な表現、一般的、汎用的、抽象的、高度化された表現になっているのに対して、英語や中国ごは主語、主題まで含めた狭義、特殊化された表現と見ることもできる。
”
関連した動詞 to feed にも同じようなことが言える。、英語の to feed は他動詞で直接目的語は人や動物になり、食べもの(えさ)ではない(食べ物でも間違いではないようだが)。<食べもの(えさ)をやる>の中国語は<喂(wei)>の一語で日常よく使い、これも他動詞で普通は直接目的語は人や動物だ(英語と同じく例外はある)。慣れるまでは少し変だ。
孩子们喜欢给鸭子喂面包。The kids love feeding bread to the ducks.
你给鸡喂玉米吗?Do you feed your chickens corn ?
これは基本的に to feed や<喂>一語の中にに<食べもの(えさ)>の意が含まれている、内包されている(implied)ということ。一方日本語にこのような一語の動詞はなく<xx に食べもの(えさ)をやる>あるいは<xxの腹を満たす>となり、一般的、分析的なのだ。
sptt
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