Monday, March 11, 2019

イタリア語の分詞構文


<分詞構文と日本語の連用形、連体形>というポストを以前に書いたが、<分詞構文>というのは暗黙のうちに<英語の分詞構文>ことだ。今(といってもここ2-3年)イタリア語の文法を勉強しなおしているが、イタリア語では<xx a (e) + endo>が gerundio、 英語の gerund (現在分詞)に相当し、これが分詞構文になる。主語のない過去形でも節として独立した分詞構文になるだろう。



Sbagliando s'impara.

まちがいをして人は(まちがって学ぶ)。

イタリア語では動詞がが単複人称を示す(s'impara は三人称単数)が英語は主語が必要で

A man or a woman learns by making a mistake.

日本語は<分詞構文と日本語の連用形、連体形>でも書いたが<x て>が普通で<xx>は動詞の連用形がくる。主語はあえていらないが、単複人称男女は状況次第だ。文法について書くと<分詞構文と日本語の連用形、連体形>と同じような内容になりそうなので、ここでは文法からはなれた話をする。あまり自信はないが

百聞は一見に如かず。

Vedendo una volta è sentiendo cento volte. 

英語では Seeing is believing. というのがあり、これも分詞形だ。To see is to believe. は聞かないが、これもいいはず。ただし、客観的というか中立的というか、いまいち説得力が薄い。一方イタリア語の Vedere è credere. はよさそう。なおcredere のアクセントは一音節目の cre のとこところにある。

I hear, I forget.
I see, I remember.
I do, I understand.  
(これは孔子の言葉)

最後は Facendo è capendo. だが Facendo s'impara. でもいいだろう。

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以上を書いたのち、辞書にあってみたが、おもしろい発見をした。


Sbagliando s'impara. は Facebook で見たようながするが、そのあとで手元のBerlitz 英辞典にあったてみたら<Sbagliando s'impara.>そのものが例文にある。一方もう一つ手元のCollins 英辞典の最後についているイタリア語文法解説のgerund の項目にもこれがあるが、

Sbagliando si impara.

となっていて sbagliasi gerund の場合Sbagliando si>というか形もとる例文としてとりあげているのだ。<impararsi>というのはCollins 英辞典のもBerlitz 英辞典には載っていない。


 sptt

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