Thursday, March 14, 2019
<はず>は単なる形式名詞か?
手元の辞書(三省堂新明解、6版)では<はず>は形式名詞となっており、意味を主にした<ちがいないと判断する>といった説明がある。まず<はず>の使われ方を調べてみる。
太郎は行くはず。
太郎は行くはずだ。
最後の<だ>がない場合は名詞(体言)止めになるが、ごく普通に使われる。 <だ>はないがかなりの判断、断定度だ。<ちがいない>は断定に近い。時制は現在だが、内容は未来のことだ。過去は
太郎は行くはずだった。
となり、意味は実際<太郎は行かなかった>ことを示唆している。ここは<はず>のおもしろいところで、<太郎は行くにちがいないと判断していた>ことも示唆している。そして実際はこの判断に反して<太郎は行かなかった>のだ。言い換えると<はずだった>は実際には<はず>の内容<太郎は行く>の否定が実現されたことを言外に示唆している。示唆が何度もでてきたが<はず>は示唆、すなわち言外に内容の広く、深い意味を伝える働きがるようだ。
<はず>単純に未来形を加えると
太郎は行くはずだろう。
になるが、こうはまず言わない。
これは<はず>が未来に関連しているからだろう。だが<だろう>は未来というよりは推量、推測とで<はず>も実現確率は高いが、推量、推測のことばといえる。予想というのもあるが、文法書にはないので推量、推測としておく。このため<はずだろう>が変に聞こえるのだ。だが
太郎は行くはずだろう?
と疑問ではOKだ。また
太郎は行くはずないだろう。
太郎は行くはずがないだろう。
とは言える。 この<だろう>はここでも未来というよりは推量、推測だ。否定は<だろう>を取り払って
太郎は行くはずない。
太郎は行くはずがない。
となり、推量、推測が消えてかなり強い<否定>になる。ここで注意したいのは、すでに触れたが
太郎は行くはず(が)ない。
は
太郎は行かないはず(だ)。
の意味のことで、<太郎が行かないこと>を<ちがいないと判断する>ことの表明になるのだ。つまりは<はず>の内容を否定し(太郎は行かない)、それを<はず>として表明することなのだ。そしてこれは強い<否定>になる。これは<はず>に<ちがいないと判断する>という強い<肯定>の意があるからだろう。この<はず>の否定を単純否定
太郎は行かない。
と比べてみるとどうか?
実際、<はず>は強い<肯定>というよりは<確定度がかなり高い推量、推測>のようだ。<確定度がかなり高い推量、推測>が否定されるわけではなく<はず>の内容の否定が<確定度がかなり高い推量、推測>になるのだ。
時制をもう少し調べてみる。
太郎は行くはず。
太郎は行くはずだ。
太郎は行っているはず。
太郎は行っているはずだ。
太郎は行ったはず。
太郎は行ったはずだ。
太郎は行くはずだった。
太郎は行っているはずだった。
太郎は行ったはずだった。
否定形ももう少し調べてみる。
太郎は行かないはず(だ)。
太郎は行くはずない。
太郎は行くはずではない。
太郎は行っていないはず(だ)。
太郎は行っているはずない。
太郎は行っているはずはない。
太郎は行かなかったはず(だ)。
太郎は行かないはずだった。
太郎は行っていないはずだった。
太郎は行かなかったはずだった。
否定はやや複雑だが、いずれも可能で意味が区別できる。自由度が高いとうか、融通が利く。また実際の利用度、使用度は相当高いのが<はず>だ。
次に意味を調べてみる。辞書の説明<ちがいないと判断する>を言い換えると<確定の判断>ともなるが、<確定>は客観的、<判断>は主観的だ。
花子は来る。
花子は来ている。
花子は来た。
花子は来ていた。
<花子は来る>を除けば<確定>だ。<花子は来る>は少しやっかいで、
花子は毎日ここに来る。
はかなりの<確定>だが
花子は明日ここに来る。
は推量、推測がはいり、可能性は90%くらいか?
花子は明日ここに来だろう。
と推定の<だろう>を加えると可能性は70-80%くらいになるか?
それでは<はず>を加えた
花子は明日ここに来るはず(だ)。
はどうか?<はず>を<ちがいないと判断する>の意とすると、可能性は95-98%くらいか?<はず>は<相当高い実現の可能性>をあらわすのだ。ところで可能性は副詞でもあらわせる。実現可能性の高い方から低い方に
花子はまちがいなく明日ここに来る。
花子はまちがいなく明日ここに来るだろう。
花子は確かに(きっと)明日ここに来る。
花子は確かに(きっと)明日ここに来るだろう。
花子は多分(たぶん)明日ここに来る。
花子は多分明日ここに来るだろう。
花子はおそらく明日ここに来る。
花子はおそらく明日ここに来るだろう。
花子はもしか(ひょっと)すると(して)明日ここに来る。
花子はもしか(ひょっと)すると(して)明日ここに来るだろう。
となる。以上の例文は話者の<判断>を含んでいるといえる。また<だろう>を加えると実現可能性は低(ひく)まる。または話者の<判断>度合が低まる、といえる。
<はず>は副詞ではなく<形式名詞>。<形式>とはいえ<名詞>が実現可能性を示すといえる。これはある意味では画期的なことだ。 可能性は<できる>の<可能>ではなく、蓋然性(probability)のことなのだが、英語はこの辺があいまいで
can: 1)<できる>の<可能>、2)<xxてもいい>の<許可>
could: 、蓋然性(probability)
さらには
may: 1)<xxてもいい>の<許可>、2)蓋然性(probability)
might: 蓋然性(probability)
がある。<できる>の<可能> can の過去形は基本的に could ではなく was able to となる。英語で蓋然性を示すよく使われる口語的な言い方は likely を使ったものだ。
Hanako is highly likely to come here tomorrow.
は
花子は明日ここに来るはず(だ)。
花子はまちがいなく明日ここに来る。
花子は確かに(きっと)明日ここに来る。
に相当する。英語の can、could、may、might (さらには、will、would、shall、should)は英文法では modal auxiliary verb (モーダル助動詞)と呼ばれる。日本人は<多分>の意味で maybe を多用(たよう)しがちだが can be、could be、highly likely を使うともっと英語らしくなる。さらに、most likely, hardly likely、unlikely などのバリエーションがある。英語を引き合いに出したが、これがこのポストの眼目(がんもく)に関連している。結論を言うと<はず>は単なる形式名詞ではなく<modal(モーダル)機能名詞>と呼べるのではないか?ということなのだ。肝心なのは<名詞>で、名詞はもちろん動詞でも助動詞でもない。だがこの名詞<はず>は英語のモーダル助動詞の意味、働きに相当するスゴイ名詞なのだ。
<はず>は名詞 probability に近いが、数学に出てくる probability ほどあらたまった言葉ではなく日常口語だ。うえに取り上げた likely に関連させれば名詞形の likelihood になるが likelihood は日常口語ではない。
そのはず(だ)。
<ちがいないと判断する>を示唆する。
1)そんなはずはない。
2)そなんことはない。
2)は<そんなことはないはず>の意。<ちがいないと判断する>を示唆する。
3)ほぼ確定で、推量、推定度がないか相当低い。 推量、推定度を高めるには<そなんことはないだろう>とでもなる。この<こと>は形式名詞と言えそうだが<はず>ほどの含蓄(ふくみ)はない。
そんなはずないだろう。
こんなはずではなかった。
以上否定が多いが、いずれも高使用頻度の日常表現といえる。
日本語文法では蓋然性をあらわす助動詞がけっこうある。手元の辞書の最後の助動詞一覧表があり、
推量
らしい
べし
まい
ようだ
みたいだ
というのが載っている。<ようだ>、<みたいだ>は助動詞といえるか疑問だが、ここでは詮索しない。この表には載っていないが、上の例文で取り上げた<だろう>は、<だろう>の項目の解説で
だろ(<だ>の未然形)+<う>
となっている。<だ>の未然形<だろ>が疑問だが、これもここでは詮索しない。可能性度合はどうか?個人差はあろうが
らしい - 60-70%
べし - <推量>の意としては現代口語ではほとんど聞いたことがない。
まい - これは<まい>の中に否定の意がふくまれていて、いい日本語だ。(否定の可能性度合)70%
ようだ - 50-70%
みたいだ- 50-70%
だろう - 70-80%
伝聞助動詞というのがある。
そうだ - 伝聞なので自分の<判断>は入っていないが、 60-70%。
一方<はず>は上にも書いたが、<ちがいないと判断する>、<相当高い実現の可能性>の意とすると、可能性は95-98%くらいか?
さて<はず>の語源だが、これは<ちがいないと判断する>から推量して<たがはず(違(たが)わず)>の<たが>が落ちたものだろう。
来るたがはず -> 来るはず
この語源は否定はできないが、間違いない可能性は50%以下で、”<はず>の語源は<たがはず>のはずだ” とは言えない。
もう一つ
<はずれない>の<れない>が落ちたもの。否定の<ない>が落ちてしまっているが<はず>は否定を引きずっている。この可能性は低いか?
追記
<はず>を調べているうちにおもしろい言葉を発見した。<おもわく>と<おそらく>だ。
<おもわく>は<はず>に似ているが、期待(このましいことが起こると思うこと)にかなり限定される。一方<おそらく>は副詞だが、そこそこ可能性があることをしめす。ところで<おそらく>の語源だが、手元の辞書でが<おそる(おそれる)>の未然形<おそら>に接尾語の<く>がついたもの、となっている。 <おそる(おそれる)>は<こわがる>の意もあるが<失敗をおそれる>のように<このましくないことが起こることを心配する>といった意味もある。<おもわく>の語源は、これまた手元の辞書では、<おもふ(う)>の未然形<<おもは(わ)>に接尾語の<く>がついたもの、となっている。さらに<いわく>だが、これは<いふ(う)>の未然形<いは(わ)>に接尾語の<く>がついたもの、なのだ。<いわく>は<(孔)子曰(いわ)く>が思い浮かぶが、<いわくがありそう>、<いわく、因縁>、<いわく、言い難し>と言った表現があるが、これらは<言うこと、言ったこと>が確定、明らかではないこと、言いにくいこと、あえて言わないことなどを意味している。つまりそこそこの確定、事実の可能性を指しているのだ。さらに<のたまわく>、<けけまく>と言った関連古語がある。Wiki-Japanに<ク語法(クごほう)>という項目があり、詳しい説明がある。
Wiki-Japanに<ク語法(クごほう)>(一部)
”
ク語法(クごほう)とは、日本語において、用言の語尾に「く」を付けて「~(する)こと/ところ/もの」という意味の名詞を作る語法(一種の活用形)である。ほとんどの場合、用言に形式名詞「コト」を付けた名詞句と同じ意味になると考えてよいが、記紀歌謡などにおいては「モノ」の意味で現れているとおぼしき例も見られる。
上代(奈良時代以前)に使われた語法であるが、後世にも漢文訓読において「恐るらくは」(上二段ないし下二段活用動詞「恐る」のク語法、またより古くから存在する四段活用動詞「恐る」のク語法は「恐らく」)、「願はく」(四段活用動詞「願ふ」)、「曰く」(いはく、のたまはく)、「すべからく」(須、「すべきことは」の意味)などの形で、多くは副詞的に用いられ、現代語においてもこのほかに「思わく」(「思惑」は当て字であり、熟語ではない)、「体たらく」、「老いらく」(上二段活用動詞「老ゆ」のク語法「老ゆらく」の転)などが残っている。
”
相当役に立つ解説だ。
さらに調べていくと、またまた手元の辞書では古語とか神社用語になるが<かけまくも>もク語法(クごほう)だ。<かけまくも>は<<かけまくも、かしこき>というセットフレーズがある。<かけまく>は<(こころに)かける>の未然形<かけ>に古語の助動詞の<む>(推量・意志・適当・勧誘・婉曲・仮定の意味をもち、四段型の活用で、活用語の未然形につく。とある)の未然形<ま>に、さらに<く>がついたもののようだ。
<まさか>は<正、真さ(まさ)>に<か>がついたもので<か>は接辞
となっている。残念ながら<く>ではなく、また前半の<まさ>もどうしの未然形ではない。だが<まさか>が<まさくは>が変化したものとすると意味が出てくる。<まさか>は probability の可能性の関連語だ。
さらに<もしか(すると)>も浮かんでくる。<もしか>を<もしくは>が変化したものと考えることはできる。これまた<もし>は動詞の未然形ではないが<もしか>も probability の可能性の関連語だ。
また<長らく>はなんと<長い>+<しばらく>の合成語。<しばらく>に<く>があるが<しばる>の未然形<しばら>に<く>がついて<しばらく>になる。なぜ<しばる>のク語法(クごほう)による名詞化の<しばらく>の意になるのか?ここは想像を働かせる必要がある。<しばしば>は<しば>をかさねた強調語法とすると<しば>は時間、頻度に関連した語だ。<しばる>は大体幾つか棒状、筒状、縄状、線状のものを幾つか束ねることがおおもとの意味だ。束ねるとその個所は<すぼまり>、筒状のものでは中の気体、液体などの流れがそのしばられた個所でとどこおる、とだえる、休むことにる。これは一種の<流れの中の一部の一時的中断>だ。<しば>は<流れの中の一部の一時的中断>することをあらわす、といえないか?
sptt
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