Friday, May 28, 2021

よじのぼる (隠れた再帰動詞)

 

<よじのぼる>はあまり使わないが、<自分自身のからだをよじって、よじりながら、のぼる>という意味だ。つまりは<よじる>と<のぼる>の複合動詞。また言葉には現れないが<自分自身のからだを>が文法上のポイント。いわば隠れた再帰動詞なのだ。具体的には

太郎は木をよじのぼる。 

これは

太郎は木によじのぼる。 

でもよさそうだ。これは

木をのぼる
木にのぼる

の違いで、<よじる>は関係ないだろう。ところで<よじる>とはどういうことか?<よじる>は<ねじる>に似ている。<身をよじる>と<身をねじる>は大差ないようだ。だが少し詳しくみると、<ねじり飴>はあるが<よじり飴>は聞かない。<ひねり飴>はありそうだが、これも聞かない。<身をよじる>は大体半回転で反対方向に<よじる>のを繰り返すことを含むようだ。したがって<木を(に)よじのぼる>はこのような動作をしながらのぼる(上に進む)だ。水泳のクロールは、水面で横になっているが、このような動作に腕、手の動きを加えて前に進む。一方<ねじり飴>は大体同じ方向に<ねじって>つくるようだ。似たような言葉は日本語に多く

くじく、くじき
くじる、くじり - しくじる
こじる、こじり - こじらす
ひねる、ひねり - ひとひねり
ひねくる、ひねくりまわす
ひねくれる

洗濯もの、ぬれた衣服、布を手で水をくきるのを<しぼる>というが、これも普通は<ねじる>動作だ。

大体両端を反対方向に回す(力をくわえる)ことよってモノを変形する(to deform)ことのようだ。

少しずれるが、<ほじる>といういうのがあり、これから<ほじくる>、<ほじくりまわす>というのがある。<くる>自体<まわす>動作だ。上の<ひねる>、<ひねくる>、<ひねくりまわす>もこの類だ。

これも少しずれるが、<よじる>に似た動作に<くねる>というのもある。ヘビは自分の体をくねらしながら前に進む。川も大きくくねりながら流れていくようだ。<ヘビはくねりながら進む>は隠れた再帰動詞と言える。<自分の体をくねらす(他動詞)> - くねる(自動詞)。<体をくねらす>は他動詞だが<体をくねる>は正しい言い方か。一方<川がくねる>、<ヘビがくねる>は自動詞。<よじる>は<体をよじる>、<体をよじらす>でともに他動詞だ。

よくみると<じる>系と<ねる>系がある。

 

太郎は高い壁のそばにある木をよじのぼって壁を越えて中に入った。

これは、壁をのぼるが難しいからだ。だが高い壁をのぼっていければ、木をよじのぼる必要はない。だが壁をのぼれるのは虫や、ヤモリ、スパイダーマンの類だ。植物ではツタが壁を<這(は)いあがって>いく。<這(は)いあがっていく>ツタをよく見ると吸盤があり、壁の表面に吸い付いてずり落ちないない仕組みになっている。ヤモリ、スパイダーマンも吸盤を使っているようで、これだと表面がつるつるしたガラスのような壁ものぼれる。虫は、よく観察したことはないが、吸盤方式でないとガラスの壁はのぼれないのがいるだろう。普通壁は<よじのぼる>ではなく<這いのぼる>だろうが、あまり聞かない。これは人が壁を<這いのぼれない>からだろう。<這いあがる>は比喩的、慣用的に使われる。実際人が<壁をはいあがっていく>のは難しい。<這う>は<床を這う>、<床の上を這う>で他動詞のようだが、<床の上で這う>ともいえ、基本的には<歩く>と同じで自動詞。使役のようだが他動詞は<這わせる>。上のいわば隠れた再帰動詞の見方をすれば<這いあがる>は<自分自身を這わせて、這わせながらあがっていく>となる。それほど高くない壁で、また身軽であれば、人は壁を<駆(か)けのぼって><駆(か)けあがって>越えることができるかもしれない。一方これは隠れた再帰動詞の見方ができず、<自分自身を駆けさせて、駆けさせながらあがっていく>とは考えずらい。

<よじのぼる>はなんでもない動詞のようだが、これは<よじる>と<のぼる>を簡単に並べて複合動詞ができる日本語の大きな特徴による。英語ではそう簡単にいかない。<身をよじりながらのぼる>といった言い方になるか、to crawl up とでもう言うか? <よじのぼる>の前半の<よじ>は<よじる>の連用形で、これは<這いあがる>、<駆けのぼる>も同じく前半の動詞は連用形で、文法法則だ。

 

sptt

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