Tuesday, July 3, 2012

見る、 見える、見せる、見止める、見なす


文法的には、<見る>は他動詞、<見える>は自動詞だが自発、可能の意味もある、<見せる>は使役に見えるが、英語の to show 相当で、<見る>とは別の意味の他動詞。<見る>の使役は<見らせる>、<見らさせる>とは言わず<見さす、見させる>だが、これは一方英語の to show 相当の他動詞<見せる>とほぼ同じ意味になる。一方<見せる>の使役も可能で<見させる>。<見せさせる>は可能だが、ほとんど聞かない。とにかくややこしい。

聞く、嗅ぐ、味わう、感じるなどの他の感覚動詞と違い、<見る>は活躍場が大きい。<感じる>は大和言葉がないようだが、<覚える>が相当しよう。<覚える>は<思う>と同じグループだろう。<見る>と<見える>は認識の大和言葉といえよう。<XXを見る>ではなく<XXと見る>や<XXと見なす>は、見たことを考え、分析してから、結果や評価や判断を示すことであるから、きわめて深くかつ広く認識にかかわる大和言葉だ。認識の<認>が<認める>に当てられるが、<見止める>あるいは<見留める>がもとの大和言葉であることからも、 <見る>と<見える>は認識の大和言葉だ。

<見る><見える>はあるモノが存在することを認識することだ。見なくても、あるいは見えなくても物理的には<あるモノはある>のが事実だが、人が少なくとも生きていくためには認識は必要だ。この世が認識に過ぎないとすれば、<見る>はきわめて重要だ。

<話が見えない>は<話がわからない> ということだから、<見る>は<わかる>と同じようにも使われる。英語の<I see.>=<I understand.>と同じだ。純粋の認識を意味する言葉としては<知る>、<わかる>がある。<わかる>は<分かる>、<分ける>で、すなわち分析的な思考をさしているのは日本語の特長といえる。

英語では<to look>と< to see>が代表の二つだが、ほかに to watch (しっかりと見つづける)、 to gaze (しっかりと見つづけるだが、ただし驚きや尊敬の念が加わる)、to stare (じろじろ見る)、 to peep (のぞく)、to glance (ざっと見る)などがある。<見える>は to seem、 to appear、 <見せる> to show などとなる。<to look>と< to see>の違いをのべると英語の話が長くなるのでやめる。

中国語は<見>は二次的で、<再見>はあるが、<看>が主役だ。<看>と<見>の組み合わせで<<看得見>(見える)、<看不見>(見えない)となる。<看到>は<見つかる>、<看不到>は<見つからない>だ。<看><見>以外に、観、視、望、瞧(日本語ではほとんど使わないが中国語の口語だ)。観、視、望はどちらかというと文章語か? 香港の広東語では<望>は<注視する>の意味で口語としよく使われる。

<再見>は<また見ましょう>というよりは<また会いましょう>で、英語でも<See you again>だ。 <見る>は<会う>の意ではあまり使われない。おもしろいのは、<to see a doctor>でこれは<医者を見る>ではなく医者に見てもらう>の意だが、日本語のほうが分析的で正確だ。 <to be seen by a doctor>でもない。中国語は英語と同じで<看医生>だ。日本語の<見る>の受身<見られる>は自発の意味もあり(XXと見られる)ほかに、被害、迷惑の意もあり、<to be seen by a doctor>の直訳く医者に見られる>は特殊な状況での発話になる。

日本語の<見る>は多義語だ。<ながめる>、<のぞむ>、<のぞく>が<見る>関連の大和言葉としてあるが<見る>に比べる と使用頻度ははるかに少ない。一方英語は日本語に比べて、<見る>の分析が進んでいる。<見る>にもいろいろ違った見方があるのだ。ただし、日本語の<見 る>は後ほど見るように他の語、特に他の動詞との組み合わせでさまざまな意味を生み出せる。日本語では、<見極める>、<見越す>、<見通す>、<見抜く>など積極的、肯定的な語もあるが、<見あやまる>、<見失う>、<見落とす>、<見違える>、<見逃す>など否定的な語も多い。これは<見ること>、すなわち認識のむずかしさや限界を示している。<見抜く>は英語の insight とともにいい言葉だ。

さて日本語の<見る>だが、多義語としては次のような本来以外の意味ががある。

新聞を見る (to read ) -ただし、じっくり読むというよりは、ざっと読む(目を通す)こと。
面倒を見る (to take care of, to look after)
できばえを見る (to evaluate)
痛い目を見る (to experience)

以上は <XXを見る>だが<XXをYYと見る>あるいは<XXを形容詞(く, に)+見る>では、
評価結果を示すことになる。

Aを犯人とみる。
事態を重く(おおげさに)見る。

<XX(し)て見る>は <to do and see>だが < to try>の意味になる。

言ってみる、書いてみる、やってみる、etc.

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以下は興味と時間がある人は読み続けてください-大和言葉の面白さと味わい。

1)<見る>+他の動詞 (あいうえお順)

方向関連は文字通りのいみでは、方向を示す副詞が前にくる。比喩的な意味では、<見る>の後に方向動詞が来る形で組み合わされる。

上(の方)を見る - 見上げる
下(の方)を見る - 見下げる、見下す、見落とす
前(の方)を見る
後ろ(の方)を見る - 見返る
はすに(はすの方)見る
横を見る
わきを見る
まわりを見る - 見まわす
XX越しを(に)見る - 見越す
XXを通して見る  - 見通す、見抜く
前から見る
後ろから見る
横から見る
わきから見る
上から見る - 見下げる、見下す、見落とす
下から見る - 見上げる


<見る>は<取る>とならんで他の動詞との形で組み合わさで実にさまざまな意味が生まれる。

見合う - 文字通りの<見て会う>、<お見合い>のほかに<つりあう>の意がある。<会う>は<合う>と同じで、<近づいてひとつになる>といった原義だ。

見上げる - <尊敬の念で見る>の意味がある。<見上げたやつだ>は上位が下位をややさめた目でみた評価だ。

見当たる - <見つかる>の意に近いが、通常<見当たらない>。

見あやまる -  見違う、見違える、見そこなう、見くびるなど、<見る>を用いた評価の失敗表現は多い。

見合わせる - 文字通りの<見てあわせる>のほかに<やめておく>、<延期する>の意がある。

見い出す - 見えない(かくれた)もの、ことを見つけようとする感だが、日本語ではさほど積極性はない。

見入る - <じっと見る>という感じ。

見受ける - <印象を持つ>といった意味。ただし<受ける>から受身だ。さらに<XXが見受けられる>でますます受身だ。

見失う - 通常<なくす><なくなる>でもよさそうだが、<見失う>に特別な意味もある。<見続けていたものが視界から消える>といった意味だ。

見えすく - <隠そうとしても見える>といったやや複雑な意味。見えすいたうそ。

見える - <xxが見える>で自動詞。自発(xxが見えてくる)、可能の意もある。可能は<見+得る>。聞こえる、嗅げる(嗅ぎえる)、味わえる。

見送る - <送る>はモノを<運びとどける>以外に<人を送る>がある。後者の<送る>は<人を運びとどける>の意ではなく、去っていく人に目的地またはある地点までついて行く>の意だ。英語では<to see you off>以外に<to see you home>という表現があり、これは<家で会う>ではなく、<家まで送る>の意だ。

見おさめる - <見終える>(完了)の意。もっぱら名詞<見おさめ>が使われる。

見落とす - 見るべきもの(こと)を見ない。<見過ごす>、<見のがす>というのもあるが、使われ方は違う。

見おろす - 文字通り<下を見る>で、比喩的な意味では<見くだす><見下げる>が用いられる。
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見返す - <見られた>ので<見返す>の意がある。これ以外に<見下げ>られていた人が立場が変わり(あがり)かつて<見下げ>ていた人を今度は<見下げる>といったやや複雑な心理下で使われる。

見返る - 通常<振り返る>で、<見返る>はもっぱら名詞<見返り>が使われ、<見る>意味は薄れている。<見返り>とは担保とか返礼、さらには賄賂の意味だ。<見返り>を期待して賛成する。

見限る - めんどうを見ていくのをやめる。

見かける - ときどき<目にする><目にした>というような意味。 名詞の<見かけ>は<見かける>の意味薄くなっている。

見かねる  - これはややこしい。通常<見るに見かねる>で使われる。<かねる>は<兼ねる>で原義は<二つのもの(こと)を同時にうまくやること>だ。<二つのもの(こと)を同時にうまくできない>は本来否定の<兼ねない>だ。<見かねる>は<見る><見ない>を両立できるということだ。ところが、どこでロジックが混乱したのか<<見かねる><見る><見ない>を両立できないという否定の意味で使われている。そして、しからばどちらを選ぶかというと、<見る>の方だ。 同じような論法で<言いかねる>、<言いかねない>、<聞きかねる>はどういういみか?

見交わす - 互いに見る。

見切る - <見る>のをやめるが原義だが、通常は<適当なところでやめる>の意だ。<見きりをつける>が普通だ。<見限る>とも近い。

見極める - チェックする。さらには良し悪しを判断する。必ずしも<目で見る>ことはない。

見下す - 劣っていると見なす(時にそれを示す)。

見くびる - <くびる>は<くびれる>で<首>と関連がある。太いところの一部が<首>のように細くなっていることだ。<見くびる>の意味は、本来は<太い>ものの一部に力を加え(押し)てくびれさせて見る。過小評価だ。<見る>を用いた否定的な評価語の一つ。 <見下す>に近い。

見越す - 障害を越して前を見る、予測するの意味。<見る>は<前を見る>のが当たり前のためか、あえて前、先(さき)を使った語が少ない。先見(漢語)の明。大和言葉では下見がある。

見こぼす - <見落とす>とほぼ同じだが使用頻度は低い。

見込む - できるもの(実現可能)と見なす。将来に何かを<期待する>

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見下げる - 文字通りの<下を見る>以外に、比喩用法としては<見下す>に近い意味で用いられるが、主観的よりどちらかというと客観的。見下げ果てたやつ。

見定める - 評価して決める。判断する。

見知る - 文字通りでは<見て><知る>で、視覚器官(目)と通して感知する(知る)ことだが、通常慣用的に<見知らぬ>や<お見知りおき>として用いられる。

見知りおく - 文字通りでは<見て><知る><置く(変えずに残しておく)。通常<お見知りおき>で使われる。

見すかす - <見えすく>の他動詞的用法。 隠そうとしているもの、ことを見る。 <見抜く>ほど良い意味はない。努力もあまりいらない。容易に見すかせる。

見過ごす - <見る>を時間的に継続している行為として、あるモノを<見る>、<認める(見とめる)>のに失敗してしまうことだ。同じような言葉に<見逃す>があるが微妙に違う。<見過ごす>には<うっかりして>といった意が内包されて(implied)いる。一方<見逃す>の方は継続している見るという行為の意は薄く、<うっかりして>という内包され意も薄い。むしろ<注意はしていたが>というが内包されている。

例文
疲れていたので(集中力に欠け)この間違いを見逃してしまった。
疲れていたので(集中力に欠け)この間違いを見過ごしてしまった。

また意識して<見逃す>、<見過ごす>場合もある。

今回の間違いは見逃してください。
今回の間違いは見過ごしてください。

この場合の<見過ごす>は<やり過ごす>の状況に似ている。この<見逃す>、<見過ごす>の違いはかなりこみ入っている。


見捨てる - <見限る>に近い。めんどうを見ていくのをやめる。<見限る>の方は決定までの時間が長いようだ。

見すます - 見続けてはっきりさせる。はっきりするまで見る。

見せる - 冒頭で書いたが、英語の 他動詞 to show 相当。だが<おれに見せろ>、<私にみせて>は<見る>の使役形とも言える。XXの様相を見せる、という言い方もある。

見せかける - XXのふりをする。 XXのように見せる。

見せつける - 見たくない人に無理やり見せる。

見せびらかす - 自慢げに見せる。

見そこなう - <見あやまる>、<見違える>に近いが、評価が高すぎたことを示す。

見そびれる - <言いそびれる>、<聞きそびれる>はまれに聞くが<見そびれる>はほとんど聞かない。 <そびれる>は<しようとして実際はしない>の意。
 
見そめる - <そめる>は<染める>ではなく、<書初め>の<そめ>で<はじめる>の意だろう。言うまでもなく、<すきになる>、<愛し始める>(動詞重箱読み)。

見それる - 通常<お見それ>で使われる。<それる>は<外れる>に近いが、<見当たる>はあるが<見外れる>はない。
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見だす - <見出し>はあるが、この意味の動詞はない。 <見出しをつける>になる。

見立てる - 評価語。 XXをYYと見る、仮定する。<みたて>と言う茶道用語がある。

見違う - <見間違う>の意。 XXをYYと誤って見る。

見違える - 本来は<見違う>と同じ、<XXをYYと誤って見る>だが、意味は変化し、<見違える>、<見違えるような>で、以前の評価より現在の状態が大きく良くなっていることを示す。

見つかる - <見つける>の」自発、可能。

見つくろう - これはやや難しい。<身繕う>ではない。<つくろう>は<ととのえる>、<きれいにする>、<よく見せる>の意味だが、<見つくろう>は<適当に選んで、取りそろえる>の意になっている。ただし見ることが前提になっている。<よく見て、適当に選んで、取りそろえる>だが、結果としては <取りそろえ>られたものは<よく見える> ことになろう。

見つける - <探し出す>の意。 結果は<見つかった><見つからない、見つからなかった>と自発、可能になる。英語は<to find out or to try to find>結果は<to have (not) found, (not) found>、中国語は<找>,<找 到 、找不到>になる。 <見つける>の原義は<見る>+<つける>で、鷹が獲物を<見つけるような>見る動作、行動(フォーカスして行く)だろう。 英語では to spot がある。

見つめる - <見入る>、<じっと見る>に近いが、対象が人でもよいことから、心理的な要素が加わる場合もある。

見積もる - 評価語。 <XXを見積もる>は主に価格(金銭的価値、評価)を決めて示す。

見通す - 障害を越えて(突き抜けて)先を見る。

見とがめる - 文字通り<見て>+<とがめる>。

見とどける - 最後まで<見る>。結果をはっきりするまで<見る>の意。

見とめる(認める) - 評価語としての<見る>の代表。 XXを<見とめる>はあるもの(こと)の存在、あることに対する賛成、同意をを示す。  XXをYYと<見とめる>は評価、判断、決定だ。

見取る - 本来は<見て、理解する>の意で、<見取り図>はこの意が残っている。 <病人を見取る>は<めんどうを見る>、さらには<最期までめんどうを見る>の意になる。

見とれる - <見取られる>、<見てとらえられる>の意だろう。
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見直す - 以前にした評価を評価しなおすために再度<見る>。 <見方を変える>の意もある。

見なす - 見とめる(認める)とともに<見る>を用いた評価語の代表。 XXを<見なす>という用法はなく、もっぱらXXをYYと<見なす>になる。

見習う - 文字通り<見て(見ながら)>+<習う>だが、変化して<すぐれた人の真似をする>という意味でよく使われる。<ひとのふり見て我がふり直せ>というのもある。本来の意味の<見習い>は通常<見習い>中の人。

見抜く -  味わい深い大和言葉。

見逃す - 見るべきもの(こと)が見ないうちに去ってしまう。また意識して<見逃す>場合もある。

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見はからう - 見て検討してから適当に決める。 <見つくろう>に近いが<繕う>よりは<はからう(<--はかる>の方が客観的、科学的だ。<チャンスを見て>というのがあるが、<ころあいを見はかっらて>といういい日本語がある。

見果てる - 通常<見果てぬ>で使われる。

見放す - <見限る>、<見捨てる>に近い意味でも使われるが、場合によっては<束縛を除いて自由を与える>という意味でも使われる。

見晴らす - 遠くを見る。ながめる。

見張る - ひとところにとどまって状況に変化がないかを見続ける。
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見まう - <見舞う>の<舞う>はおかしい。

見まがう - <見間違う>に近い。(下記)。

見間違う - 違ったものとしてみる。XXをYYと<見間違う>。

見守る - 保護する目的で見続ける。

見回す - あたりを見る。

見回る - <見て(見ながら)>+動き<まわり>ながら状況に異常、変化がないかを見る。

見向く - ある特定の方向をチラッと見る。

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見やる - 遠くを前を見る。ながめる。

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見られる - 受身、被害、迷惑

見分ける - 見て区別をつける。区別がつけられるまで見る。

見渡す - <見晴らす>に近い。



2) <見る>+形容詞 (あいうえお順)

見劣る - 見優れる(X)、見勝る(X)
見苦しい - 見楽しい(X)、見らく(X)
みすぼらしい
みっともない - 見とうもない (見たくもない)
見づらい - 見楽しい(X)、見らく(X)
見にくい (見難い、醜い)
見やすい (見易い)
見よい - 見悪い(X)。 ただし<見よい>はあまり使われない。<見よい>と<よく見える>は違う。

 (X)は通常使われないの意味。


3)擬音語、擬態語+ <見る> (あいうえお順)

さっと見る
ざっと見る
じっと見る
しっかり見る
じっくり見る
じっと見る
じろじろ見る
そっと見る
ちらっ見る
ぱっと見る


4)<見る>関連の名詞(大和言葉)

<目>は発音からは<見る>と関連がありそう。
<店>は<見せる>からだろう。
<見世物>は<みせる>+<もの>。
<見事>は<見る>べき価値のある事。 お見事。見事なできばえ。
見え(見栄)、見覚え、見おさめ、見返り、見かけ、見方、見ごたえ、見殺し、見さかい、見せかけ, 見せしめ、見せ場、見出し、見た目、見どころ、見取り図、見習い、見場、見ばえ、見開き、見本(湯桶読み)、見目、見もの、見よう見まね。/ 下見、よそ見、わき見。



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