ドイツ語の接頭辞<ab->相当の日本語動詞-1
少し前の少し長めのポスト"ドイツ語の接頭辞(prefix)- 10 <ab->"で次のように書いた。
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次に多いのが down だ。down は動詞でいえば<落ちる>、<落とす>、<おりる(降りる、下りる)>、<おろす(降ろす、下ろす)>に相当するが、これらの動詞は意外と多義なのだ。言い換えれば、根が深い、奥が深い(底が深い)のだ。(別途検討予定)
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<落ちる>、<落とす>について検討してみる。
1. <落ちる>、<落とす>
言うまでもないが<落ちる>は自動詞、<落とす>は他動詞。動詞だけを見ると<あるモノが上から下へ動く、動いていく(動かす、動かしていく)>ことで、物理学では引力、重力が関係し、数式で表わせる。しかし昔の人はそこまでは考えなかった。言い換えればモノが<落ちる>のは自然現象で力(ちから)は見えなかったのだ。もっとも今でも力は見えない。さて、言葉の方にもどる。"ドイツ語の接頭辞(prefix)- 10 <ab->"でも少し書いたが、 <落ちる>、<落とす>には物理的な<上から下への動き>以外の意味もある。今回は辞書を調べてみた。予想外に長い説明がある。
三省堂新明解辞典(2000年ごろ発行のもの)
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<落ちる>
(1)高い位置である状態を保っていた物が、支えとなる物(それ自体を支える力)を失って下方に移動する(その結果、好ましくない事態に至ることを含意することがある)。
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かなり念の入った説明のようであるが、少し考えると変な説明だ。<ある状態を保っていた>とあれば<その状態がxxに変化する>というのが普通だろう。<状態が下方に移動する>のではなく、<物が下方に移動する>のだ。<それ自体を支える力>は<支えとなる物>ほど具体的ではなく<それ自体を支える力>の<力>の意味がはっきりしない。もっとも<力>は目に見えないので説明は簡単ではない。物理的なこのような動きは、英語でいえば to fall (move) down (downward) になる。down は上から下方への動きを表わす副詞で<落ちる>と呼応する。
<落とす>
(1)高い位置である状態を保っていた物を、支えとする物をなくして(力を無くさせて)下方へ移動させる(結果として、意図しないのにそうなる意にも用いられる)。
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これもかなり念の入った説明のようであるが、 <落ちる>と同じでよく読むと変な説明だ。この説明に続いて例がある。
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例:皿を落として割ってしまった。財布を落とした。枝を切って木の実を落とす。ご飯の上に卵を落とす(卵の殻を割って中身をご飯にかける)。風呂の湯を落とす。暖炉の火を落とす。腰を落とす。肩を落とす。射落とす。打ち落とす。
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<皿を落として割ってしまった>、<財布を落とした>は<結果として、意図しないのにそうなる意にも用いられる>の例だろうが、少し考えるとおかしい。
<皿を落として割ってしまった>の<落とす>にもともと<落とす>意図はまったくないので、<結果として、意図しないのにそうなる>という説明は何か変だ。ではどう説明すればいいのか。
誤解をまねきそうなので説明を加えておく。些細なことか、きわめて重要なことかわからないが、 <意図しないのにそうなる>という表現には意図が関与しているといえる。意図がまったく関与していない表現ならば意図という言葉は出てこないのだ。意図に反して、思いがけず、思いのほか、といった表現には大小にかかわらず意図や<おもい>がからんでいる表現なのだ。
<皿を落として割ってしまった>は実際のところ 、なぜかあまり聞かない。長すぎるのだ。<皿を落としてしまった>とか、もっと普通には<皿を割ってしまった>だろう。<皿が落ちて割れてしまった>とも言いそうもない。<皿が落ちてしまった>も言いそうもない。<皿が割れてしまった>は言いそうだ。わざわざ<皿を割るために落とす>ことは特別の場合を除けばない。<落とす>も<割る>も他動詞だ。一方<落ちる>、<割れる>は自動詞だ。 <皿を割ってしまった>が発話される状況と<皿が割れてしまった>が発話される状況は違う。<皿を割ってしまった>が発話されるのは発話者が非を認めている場合(たとえば”不注意で”)場合、さらには深層心理的には<あやまる>、<許しを請う>、<意図した行為ではないことを暗示させる(<皿を割ってしまった>は明示だが、<意図して>の意はないだろう)場合だ。したがって、家の主人がメイド(家政婦)に、料理屋の主人が見習いの店員に <皿を割ってしまった>とは言わないだろう。
<財布を落とした>はどうか。これ深層心理的には<意図した行為ではないことを暗示させる(<財布を落とした>は明示だが、これも<意図して>の意はないだろう)で、端的に言えば<責任のがれ>の発話なのだ。だが、これは考えすぎで深層心理などを持ち出す必要はなく、<財布を落とした>は<財布をなくした>のだ。<財布をなくした>の<なくす>も他動詞で、意図的に<財布をなくす>ことはまずない。これでは堂々めぐりだ。だが、英語でも意図がないが他動詞 to lose を使って I lost my wallet (purse). と言う。また次に出てくる<大事な試合を落とす>も We (They) lost an important game. だろう。<財布を落とした>は物理的には<財布が落ちた>のだが、物理的な動き(財布が持ち主から落ちて離れる)はほとんど問題ではなく、問題なのは財布が<なくなった>、<見えなく>なったことなのだ。おもしろいのは私が住む香港の広東語で<財布を落とした>はほぼ間違いなく<(我)口吾見口左銀包>という。我(wo)=私だが、必ずいるわけではない。<口吾>(借音語)は一語で m と発音し not の意。<見(kin と発音)>は見る。<口左>も借音語の一語で cho と発音し、いわば過去、過去完了の助動詞だ。銀包(ngan bao と発音)は財布。まとめると
(我)口吾見口左銀包 (wo m kin cho ngan bao)で、文字通りの意味は<財布が見えなくなった>だ。
慣れないうちは変な言い方だが、少し考えれば広東語表現の方が理にかなっているともいえる。
調べていないが普通語(北京語)も<看不见 >とか何とか言うのだろう。
<風呂の湯を落とす>、<暖炉の火を落とす>は明らかに解説内容(下方への移動)とは関係ない。むしろ<なくす>ことに目が向いている。
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<落ちる>
(2)今まであった(あることが期待される)物がそこに認められない状態になる。
”
哲学の認識、不認識の説明のようだが、簡単にいえば<見えなくなる>か。英語で言えば to disappear があるが、基本語を使えば to go away や to go off も相当する。
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<落とす>
(2)今まであった物をそこに認められない状態にする(結果として、意図しないのに、そこにあることが期待される物を無くしてしまう意にも用いられる)。
例:大事な試合(命、信用、単位)を落とす。聞き落とす。読み落とす。下枝を落とす。汚れを落とす。贅(ぜい)肉を落とす。飛車角を落とす。端を切り落とす。
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これまた解説と例の内容を一致させる必要がある。 <今まであった物をそこに認められない状態にする>は簡単に言えば<見えなくする>、<なくす>だろう。
大事な命を落とす、信用を落とす、下枝を落とす、汚れを落とす、贅(ぜい)肉を落とす、端を切り落とす、はこれだろう。
大事な試合を落とす、大事な単位を落とす、は試合、単位を<見えなくする>、<なくす>ではない。<結果として、意図しないのに、そこにあることが期待される物を無くしてしまう意にも用いられる>が適用できそうだが、回りくどい。言い換えになってしまうが、簡単に言えば<失敗する>。<失う>でもいいだろう。だが、上にも書いたが英語では普通 We (They) lost an important game. と言うだろう。
<飛車角を落とす> はやや特殊のようだが<なくす>、<ない状態にする>でいいだろう。
ここでのポイントは<見えなくする>、<なくす>。一般化すれば、<落とす>の意味は<なくする>、<なくす>だろう。これは気がつきにくい。英語でいえばいくつか候補はあるが基本語を使えば to take off (取り去る)が相当しよう。
”
<落ちる>
(3)それまでの(期待される)程度を維持することができず(急激に)悪い状態になる。
例:売れ行き(生産、成績、うで)が落ちる。 人気が落ちる。評判が落ちる。味が落ちる。
”
例はもっと簡単に、売れ行き(生産、成績、うで、人気、評判、味)が落ちる、でよさそうだ。
量の場合は<減(へ)る>、質の場合は<悪くなる>が相当しよう。英語で言えば量の場合は to decrease (自動詞)があるが、基本語を使えば to go down がかなり相当する。質の場合は to deteriorate と言うのがある。
”
<落とす>
(3)それまでの状態を維持しようとせず程度を下げる(結果として、意図しないのにそうなる意にも用いられる)。
例:評判を落とす。スピードを落とす。体重を落とす。声を落とす。
”
英語で言えば to decrease (他動詞)があるが、基本語を使えば to make (something)down がかなり相当する。
<(急激に)>の説明は特になく実際は<目に見えて>ぐらいの意味だろう。
評判を落とす、は<結果として、意図しないのにそうなる意にも用いられる>に当てはまりそうだが、自動詞<落ちる>と比較してみる。
評判をおとす - 評判が落ちる
具体的な例としては
俳優のAは麻薬常習である(二号がいる)ことがわかり、評判を落とした。
俳優のAは麻薬常習である(二号がいる)ことがわかり、評判が落ちた。
大体同じような意味で、<評判を落とした>に<結果として、意図しないのにそうなる意>はあまり感じられない。むしろ、<評判を落とした>の方は他動詞性が出て、<俳優のAは麻薬常習である(二号がいる)こと>が原因だ、と言う意味が強まる。言い換えると、
俳優のAは、麻薬常習である(二号がいる)ことの判明が評判を落とした。
俳優のAは、麻薬常習である(二号がいる)ことの判明で評判が落ちた。
<俳優のAは>はどちらも主題、主語は一方は<麻薬常習である(二号がいる)ことの判明>、もう一方は<評判>が主語。
体重を落とす - 体重が落ちる
これはやや微妙なところがある。
<三十過ぎて太り気味なので体重を落とす>の<体重を落とす>は明らかに意図がある。
一方
<今年は夏が長く、食欲不振が続いて体重を落とした>の<体重を落とした>は明らかに<体重を落とす>意図はない。
また自動詞<落ちる>を使うと
<今年は夏が長く、食欲不振が続いて体重が落ちた>となるが、こちらは意図はまったく関係ないのだ。
したがって
<今年は夏が長く、食欲不振が続いて体重を落とした>と<今年は夏が長く、食欲不振が続いて体重が落ちた>とは意味が微妙にというか、むしろ明らかに違う。
<今年は夏が長く、食欲不振が続いて体重を落とした>は意図がないのではなく、<意図に反して> なのだ。あるいはもっと正確には
<今年は夏が長く、食欲不振が続いて体重が落ちた>は意図と無関係な表現。
<今年は夏が長く、食欲不振が続いて体重を落とした> は意図が関係する表現なのだ。
この辞書の解説にはなぜか
結果として、意図しないのに、そこにあることが期待される物を無くしてしまう意にも用いられる
結果として、意図しないのにそうなる意にも用いられる
それまでの(期待される)程度
と言う解説が繰り返しでてくる。 <意図する>、<期待する>は、文法で言えばいわば仮定法、接続法がらみの表現だ。この辞書の編集者がどこまで調べ、考えてこのような解説を書いたのかはわかないが、ここには文法上の検討課題がある。検討の前に、辞書からの引用を続ける。
他動詞<落とす>は以上で終わっているが、自動詞<落ちる>まだ続く。
”
<落ちる>
(4)必要とされる基準(期待される程度、段階)に達していない(資格がとれていない)状態にある。
例:試験に落ちる。選挙に落ちる。品質が落ちる。
”
(3)それまでの(期待される)程度を維持することができず(急激に)悪い状態になる、と似ているが
(3)は<状態になる>、(4)は<状態にある>だ。
試験に落ちる、選挙に落ちる、は状態にある>ではなく<状態になる>だろう。
”
<落ちる>
(5)それまでの事態が維持できず(維持することなく)新たな状態に変わる。
例:城から落ちる。都から落ちる。百万円で落ちる。手形が落ちる。
”
百万円で落ちる、手形が落ちる、は確かに<新たな状態に変わる>ことだが、<それまでの事態が維持できず(維持することなく)>という状況はそぐわない。むしろ結果、決着のほうに目が向いている。
さて
<今年は夏が長く、食欲不振が続いて体重が落ちた>は意図と無関係な表現。
<今年は夏が長く、食欲不振が続いて体重を落とした> は意図が関係する表現なのだ。
の仮定法、接続法がらみの表現の話に戻る。
大事な試合を落とす
大事な単位を落とす
評判を落とす
試験に落ちる(試験をおとす、ともいえる)、選挙に落ちる(選挙を落とす、ともいえる)
も意図や期待がらみの表現だ。
問題はなぜ意図や期待に反する結果を表現する、あるいは結果が意図や期待通りにならないのを表現するのに<落とす>や<落ちる>が使われるのかだ。
自動詞<落ちる>の基本的な意味は<ある位置にある物が、支えとなる物(それ自体を支える力)を失って下方に移動する>ことだ。
他動詞<落とす>の基本的な意味は<ある位置にある物を、支えとする物をなくして(力を無くさせて)下方へ移動させる>ことだ。
<支えとなる物>は大体目に見えるが、力学的には目に見えない重力に対抗する力が働いている。したがって、いずれにしても目に見えない力<がなくなる>、力<をなくす>ことが<物が落ちる>、<物を落とす>に関係するのだ。昔の人はこの力学的な認識がなかったが、ニュートンにははるかに及ばないものの、<落ちる>、<落とす>には<なくなる>、<なくす>ことが関係することは感ずいていた。したがって、<落ちる>、<落とす>のキーワードは<なくなる>、<なくす>ということになる。
これで大体説明がつくのではないか。
意図、期待は目に見えないモノだが、意図している、期待している結果を支えている。この意図、期待が<なくなれば>、何かが<落ちる>、何かを<落とす>のだ。何かを<落とす>は他動詞を使っているが、意図、期待が<なくななっている>という心理状態がある。
いつもは複合動詞から始めるのだが、今回は辞書の解説の引用から始めたので後回しになった。<落ちる>、<落とす>がつく複合動詞をチェックしてみる。
<落ちる>
落ち着く
落ちのびる
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かけ落ちる ---> <駆け落ち>と名詞(体言)で使うのが普通。
ころがり落ちる
すべり落ちる
<落とす>
落としいれる(陥れる)
落としめる(貶める)
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射(い)落とす
洗い落とす
うち落とす
えぐり落とす (*)
追い落とす
掻(か)き落とす (*)
聞き落とす(**)
切り落とす (*)
くどき落とす
けずり落とす(*)
蹴(け)り落とす
こすり落とす(*)
すすぎ落とす
擦(す)り落とす (*)
剃(そ)り落とす(*)
たたき落す
取り落とす(**)
泣き落とす
ねじり落とす (*)
はさみ落とす (*)
引き落とす
振り落とす (*)
巻き落とす(巻き落とし-相撲用語)
見落とす (**)
剥(む)き落とす (*)
揺(ゆ)り(揺すり)落とす (*)
一般的には<xx して落とす>の意だが、
(*)をつけたものは<取りさる>(to take off, to take away)意で使われる。数の多さからして<落とす>には<取りさる>(to take off, to take away)意が内含されている(implied)と言える。
(**)をつけたものは<失敗する>といった意味で別のグループになる。
落語は別名<落とし話>と言うようだが、肝心なのは<落ち(おち)>だ。この<落ち>はなにかというと、大体は予期せぬ結末だ。期待している結末(結果)とは違う(期待している結末がなくなって)結末で話が終わるのだ。
sptt
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