Wednesday, October 22, 2014

<なくす>、<なくなる>について

ドイツ語の接頭辞<ab->相当の日本語動詞-4

<なくす>、<なくなる>という動詞があるのは日本語の大きな特徴だ。<なくなる>は自動詞で<あるモノが本来あるべきとこ ろから離れて行く>でいいが、<なくす>は他動詞だが意味はやはり<あるモノが本来あるべきところから離れて行く>(離れて行かす、ではない)ことなのだが、<離れて行く>は自動詞 だ。何かおかしい。<なくす>に相当する英語は to lose で他動詞/自動詞の両刀使い。We lost the game to (against) the opponent. の to lose は他動詞。We lost to the opponent. の to lose は自動詞。

例を挙げて検討してみる。

財布をなくした。
I lost my wallet (purse).

この to lose は他動詞。何がおかしいかと言うと、英語を話す人々でも日本人でも99.99%方なくそうとして財布をなくす人はいないのに他動詞が用いられていることだ。99.99%方にしたのは何事のも例外があるからだ。

日 本語の場合には<財布を落とした>ともごく普通に言う。<落とす>も他動詞で、自動詞は<落ちる>。<財布がなくなった>はいいが<財布が落ちた>はダメ だ。<財布を落とした>の<落とす>は物理的に<あるモノを下に落とす>の意ではなく<なくす>の意であるのに対して<財布が落ちた>の<落ちる>は物理 的に<あるモノが下に落ちる>ことなのだ。別のところで書いたが、<財布を落とした>は中国語(広東語)では


(我)口吾見口左銀包 (wo m kin cho ngan bao)で、文字通りの意味は<(私は)財布見なかった、見なくなった>だが、日本語らしい表現は<財布が見えなくなった>だ。(注:<口吾>は口偏に吾でで発音は<m>。 <m>は広東語の本では大体 <ng> と書かれるが耳で聞く限りは<mu>の<u>がない<m>で<n>ではない。>は口偏にで発音はcho

慣れないうちは変な言い方だが、少し考えれば広東語表現の方が理にかなっているともいえる。

普通語(北京語)も<xx不见了 >と言う。

” 

つ まり<なくす>は<見えなくなる>ことで<見えなくする>ではない。<見えなくなる>は自動詞だ。それでは<財布をなくした>と<財布がなくなった>はどこが違う。 この違いの説明はいくつかあると思うが、これまた別のところで書いたが、<私(太郎でもいい)は財布をなくした>を次のように考えるのだ。

私(太郎)は財布がなくなった。

これは何も、誰も関与しないで自動的に<なくなった>の意。

一方、

私(太郎)は財布をなくした。

は何か、誰が関与して他動的に<なくなった>、言い換えれば何か、誰が関与して<財布なくさせた>の意が暗黙のうちにあるのだ(implied)。私(太郎)は主語のようで、実際主語としても間違いなさそうだが、<なくした>が他動詞、<私(太郎)>主語とすると、<私(太郎)>が意識的に(他動詞的に)<財布をなくした>ことになり、おかしい。この矛盾は

何か、誰かが私(太郎)財布をなくさせた。

と考えると、解決する。もう一つ例を検討しよう。

日本語文法では、<は>は主語を示す格助詞ではなく、主題を示す係り助詞(本によっては副助詞)。<太郎は>をあえて訳すと<私(太郎)についていえば>で、

私(太郎)についていえば、何か、誰かが私(太郎)財布をなくさせた

で文法的にもつじつまがあう。

11月になると庭の木は(が)葉を落とし始めた。

何か詩的な感じがしないだろうか?

葉を落とし始めた。

でも

葉を落とし始めた。

でもよさそう。

詩的でないのは

11月になると庭の木は(が)葉落ち始めた。

だ。 なぜ詩的でないかと言うと,この文は現象をそのままあらわしているからだ。一方

11月になると庭の木は(が)葉落とし始めた。

は、 <葉を落とし>で

目的語<葉>+<を>+他動詞<落とす>

の構成になっている。 他動詞<落とす>が使われているが<木>は主語に見えるが主語ではない。<木>が意思をもって<葉を落としている>わけではないので、これは

何か、誰かが木葉を落とさせている。

と解釈する。<何か、誰か>は明示されていない。繰り返しになるが、<木>が意思をもって<葉を落としている>のではないので、いわば暗黙のうちに(言外で、implied)、さらには大体無意識で<何か、誰か>を想像していることになる。これが詩的な感じがする理由だ。

<なくす>、<なくなる>の語源は<ない>(昔あるいはあらたまれば<なし>)という言葉でこれは否定の助詞ともいわれるが、<なし>は形容詞のように活用するので形容詞ともいえる。

なくない (うつくしくない)
なくて  (うつくしくて)
ない  (うつくしい)
なければ (うつくしければ)

<なくす>、<なくなる>したがって形容詞<ない(なし)>の動詞化ということになる。

<なくす>は<ない>の未然形<なく>+<す>で

<泣かす>が自動詞<泣く>の未然形<泣か>+<す>で他動詞化したものとみなせるように<なくす>は形容詞<ない>の他動詞化したものとみなせる。

一方<なくなる>は

赤い-->赤くなる、大きい-->大きくなる、のように形容詞<ない>の自動詞化とみなせる。

英語の not は否定辞となっているようだが、 not の動詞化はない。

<xx をなくす>には to lose 以外の意味がある。 to lose 以外に to make something disappeared (unseen) (見えなくする)、to erase (消す)が使えそう。

 <xx がなくなる>には自動詞としての to lose は使えない。 to disappear (消える)、to be missed (to be missing) (なくなっている)が使えそう。


sptt

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