<in spite of>はいわゆる idiom (熟語)で、 spite の意味を詮索せずに<in spite of xx>=<xx にもかかわらず>と覚えて、英語のテストででてきたら、こう訳してマルがもらえる。 spite の意味を詮索してみると spite の意味と熟語<in spite of>の意味の違いはおもしろい謎だ。少し調べてみたが初級、中級ではない高級辞書にも説明がない。ネットで調べてみたが、この謎に挑戦しているのはすぐには見つからい。この謎に挑戦してみた。
spite は<in spite of>以外ではほとんど聞かない、見ない。形容詞の spiteful をごくたまに見る程度。spiteful と同じような意味でよく見聞きする形容詞は malicious だ。spite は純英語、 maliciousはラテン語系の語で、もとの名詞は malice でこれが名詞 spite に相当するがこれはほとんど見聞きしない。
spite、malice の基本的な意味はだいたい<悪意>に相当するがそう簡単ではない。英語の辞書ではネットで一番目に出て来るのをコピー / ペイストすると
”
spite
"
で同義語がやたらある。 やたらにあるが<in spite of>のspite の置き換えができるものはない。また<in spite of xx>の <in> を<の中で>、<という状況で>と訳して
xxの悪意の中でxxの悪意という状況で
となるが、これでは<xx にもかかわらず>の意にまったくならない。<xx にもかかわらず>の<かかわる>は<関係する>の意に近いが、<xx に関係なく>はそのまま<xx にかかわらず>にならない。<xx 関係なく>相当の英語熟語 に
regardless of
がある。 <regardless of xx> と<in spite of xx>ではやはり意味が少しちがう。<regardless of xx>の方はかなり客観的な<xx とは関係なく> 。
天気(天候)に関係なく運動会は行われる。
とはいう。
悪天候に関係なく運動会は行われる。
ともいうが
悪天候にかかわらず運動会は行われる。
というのが普通だ。これは悪天候が運動会を行うことをさまたげる(反対する、反抗する)という状況がある。ここが重要なのだが、詳しくは後述。
悪天候にもかかわらず運動会は行われる。
というのが、英語訳の」影響からか、もっと普通だ。 微妙なところだが、これは in spite of の訳語としての方がふさわしいようだ。<も>の論議はここではしないが、<も>はいくつかの意味がある大助詞で(副助詞か。関係だけを示す格助詞とは違う)、ややこしいいわゆる文法用語の<譲歩>がからんでくる。これまたここが重要なのだが、詳しくは後述。<譲歩>の英語には
although xx
though xx
no matter what, how xxxx(形容詞)
<in spite of>はこれらの<譲歩>の英語で入れ替えが可能だ。だがニュアンスは違うようだ。
although xx、though xx は基本的には<xx だが>の逆説で、xx には予想されることとは反対になる、あるいは予想されることが実現するにををさまたげる条件、内容が示される。
悪天候だが運動会は行われる。 (悪天候だと運動会は行われないことが予想されるが、運動会は行われないはずだが、それでも(なぜか)運動会は行われる。客観的事実)
悪天候でも(の場合でも)運動会は行われる。 ここでも<も>が出て来る。これは
even though という言い方があり、<譲歩>が強まる。この英語の even
は曲者(くせもの)で、よく、くわしく理解して使っている人は少ないだろう。だが大体は間違いなく使っている。このクセモノ even
については別途検討予定。
客観的な<xx とは関係なく>を使った
悪天候に関係なく運動会は行われる。
と比べてみると
悪天候だが運動会は行われる。 = 悪天候に関係なく運動会は行われる。
は成り立ちそうだ。<かかわる>は<関係する>とは違う。 <かかわる>は大和言葉でコンピュータワープロでは<拘わる>、<関わる>、<係る>と出て来る。<関わる>は<係る>の漢字が意味するものは基本的には客観的な<xx に関係なく>の<関係>だ。 <拘わる>の<拘>は拘束、拘泥で<拘わる>は別のようだ。だが大和言葉の<かかわる>は<関係する>も<拘束する、拘泥する>も含んでいる。口語だが<ひっかかる>という言い方がある。<かかわる>や<にもかかわらず>はなにか<ひっかかる>ところがある。しかしながら、<拘束する、拘泥する>の<かかわる>としても<悪意>の spite とは依然まったく関係ない。ちなみに中国語ではどういうかというと
英語-中国語ネット辞典
尽(儘)管(jǐnguǎn)
◎ 儘管 jǐnguǎn
(1) [feel free to;not hesitate to]∶表示不必考慮別的,放心去做,相當於“只管”
有困難儘管說
(2) [always;all the time] 〈方〉∶老是;總是
她儘管笑,不愛說話
(3) [although;while;when]∶表示姑且承認某種事實,下文往往轉折 (轉折=逆接)
儘管費了好大力氣,也沒成功
尽(儘)管 - xx を管理できるかぎり、xx を顧慮できるかぎり、xx を処理できるかぎり
even though は<xx でも>、<xx にかかわらず>、<xx にもかかわらず>の意になる。この<も>は意味がある。<AもBも>で並列、列挙、<AだけでなくBも>で追加、添加の意味がある。添加は too、also だが even B は<Bさえも>になり、単純な添加ではない。
中国語
中国語は日本語よりも英語に近い。
<儘管>の中に<譲歩>を示す語はない。上でかなり強引な訳をしているが、
儘管 - xx を管理できるかぎり、xx を顧慮できるかぎり、xx を処理できるかぎり
xxの管理(顧慮、処理)の制限なく。
で、 <譲歩>を示すような<でも>、even 相当の語がないのだ。<儘管>の二語に<譲歩>の意味はない。 <譲歩>の意味は表面に出てこず内包(implicit)されているのだ。これと同じように<in spite of>に<譲歩>の意味は表面に出てこず内包(implicit)されている。ここが肝心なところ。
儘管 -> xx をできるかぎり処理する
として、実際使われる場面では
<xx をできるかぎり処理する (限度までやったとして)>、さらには<限度までやっても>の意があるのだ。なにが<も>になるかというと<できるかぎり>、<限度まで>なのだ。<できるかぎり>、<限度まで>の意が<儘>にはある、内包されている。ここが一つのポイント。譲歩はある意味で<限度>との比較から出てくる。ここがもう一つのポイント。
中国語では<儘管>以上に<虽(雖 )然>が逆説、譲歩として使われる。そして逆説と譲歩の違いはかならずしも明確ではない。(末尾参照)
日本語の文構成は助詞が使われるため分析的で明瞭だ。<譲歩>は表現され内包はない。
悪天候にもかかわらず運動会は行われる。
中国語の<儘管>にならえば
最悪の天候になって(も)運動会は行われる。天候の悪さが限度になって(も)運動会は行われる。
中国語では<も>は表明にでてこない。これは上でいま説明した=内包。
これから<にも>や<も>をとってしまうと
悪天候かかわらず運動会は行われる。最悪の天候になって運動会は行われる。
天候の悪さが限度になって運動会は行われる。
でわけが分からなくなるが、これが中国語式なのだ。中国語は助詞が未発達とうか、助詞をほとんど使わずに発達してきた言語だ。その分、語順と修辞、そして内包が大きな役割をする。
遠回りしたようだが、ここまで来ると<in spite of>の spite の謎が解ける。
1)中国語の<儘管>と同じく<in spite of>自体には譲歩の意味はなく、逐語訳では
xxの悪意の中で
xxの悪意という状況で
となる。だが譲歩の意味合いが内包されているとすると、
xxの悪意の中でも
xxの悪意という状況でも
2)次に<悪意>の意味を少しよく考えて見ると、
spite = a desire to hurt, annoy, or offend someone.
悪意 = 誰かを傷つける、悩ます、攻める
で大体は(良いと思って)xx しようとするのに対抗してくる、xx しようとするのを(悪意を持って)さまたげようとすること、さらにはそのようなことをする目に見えない力だ。こうすると
xx という(悪意を持って)さまたげようとする目の見えない力があっても
xx という(悪意を持って)さまたげようとする目の見えない力が加わっている状況の中(in)も
で説明できる。おまけとしてさらに中国語の<儘管>の意を加えれば
xx という(悪意を持って)さまたげようとする目の見えない最大の力があっても
xx という(悪意を持って)さまたげようとする目の見えない力が加わっている最悪の状況の中(in)でも
といったことになる。 これが<in spite of>で、しかも spite(悪意)の意味も強く残っている。
notwithstanding
<in spite of>と似たのに notwithstanding というにがあり、これまたnot も withstanding も関係なく<にもかかわらず>と訳すと英語のテストでマルがもらえる。だがこちらの方は<xx にもかかわらず>の前置詞熟語ではなく。文、節のあとに<にもかかわらず>と独立して使われる接続詞。withstanding は動名詞で、動詞は to withstand。この to withstand はそのまま上で述べた<対抗する>、<抵抗する>の意味があり、<in spite of>の意味に関連する。直観的にはこの関連がわかるが、 notwithstanding を直訳すると<抵抗なく、抵抗なしに>で<にもかかわらず>の意味にはならない。<にもかかわらず>の意味を持たせようとすると
against withstanding
だが、not = against ではけっしてない。not を使うとすれば not being withstood となる。これからすると、notwithstanding はnot being withstood の間違った言い方というか、not being withstood の意識が潜在的にあるが、出てくる言葉はnotwithstandingということだ。言葉、特に口語ではこういうのはけっこうある。
nevertheless
nevertheless もこれまた notwithstanding と同じ<にもかかわらず>の意味をもつ独立した接続詞。nevertheless は上の notwithstandingのような説明がすぐには思いうかばないので別途検討する予定。
xxのくせに
上で<この英語の even は曲者(くせもの)で>と書いたが、曲者(くせもの)の<くせ>も曲者だ。
太郎は男のくせに勇気がない。
花子は女のくせにめったに涙をみせない。
これはやや翻訳調になるが
太郎は男にもかかわらず勇気がない。
花子は女にもかかわらずめったに涙をみせない。
と言い換えられる。<くせ>はいくつか違った意味があるが、中毒に似た意味がある。
<くせ>自体は中立のようで
良いくせをを身につける。
悪いくせは直す。
というが、実際には <悪いくせ>が主だ。中毒とは
xxするのは悪い、やめたほうがいいと、わかっているがやめられない。xxであるのは悪い、直したがいいと、わかっているが直せない。
この中毒、中毒症状は悪意(spite)がなせるわざと言えないことはない。悪意(spite)は意地がわるく、人がいいことをしようとするのをさまたげるのだ。
太郎は男のくせに勇気がない。
を言い換えると、
太郎は本来の男のように勇気があるのがいいとわかって入るが、勇気がない。
だが spite = くせ、ではない。ここは言葉のおもしろいところで、何かのヒントになりそうだ。
末尾
https://dictionary.cambridge.org/dictionary/english-chinese-simplified/though
虽然,尽管 She hasn't called, even though she said she would. 虽然她说过要打电话,可还没打。
sptt
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