Friday, October 3, 2025

おもしろい日本語の自動詞、他動詞<受ける>、自動詞<受かる>ー2

日本語の自動詞はおもしろい。前回のポスト<手すりをつかむ、手すりにつかまる>では

他動詞<つかむ>に対する自動詞<つかまる>を四苦八苦しながら検討した。また最近のポストでは<ヘンテコな動詞>シリーズでは

ヘンテコな動詞<さばく (裁く)>、<さばける>
ヘンテコな動詞<そむく>、<そむける>
ヘンテコな動詞<捉 (とら) える>、<とらわる>、<とらわれる> 
ヘンテコな動詞<つかむ>、<つかまる>、<つかまえる> 
ヘンテコな他動詞<たずさえる>、自動詞<たずさわる>
ヘンテコな動詞<耐える>ー 自動詞、他動詞?
ヘンテコな他動詞<受ける>、自動詞<受かる>

を取りあげたが、ヘンテコな、おもしろい自動詞はまだまだありそう。 このシリーズは

ヘンテコな他動詞<受ける>、自動詞<受かる>

から始まっているが、いまだに他動詞<受ける>と自動詞<受かる>の関係、自動詞<受かる>の意味、語源がよくわかっていない。

ポスト ” ヘンテコな他動詞<受ける>、自動詞<受かる>" のコピー、ペイスト。

 ”
他動詞<受ける> 試験を受ける
自動詞<受かる> 試験に受かる 

他動詞<受ける>は<試験を受ける>以外に、例えば<試練を受ける>、<いじめを受ける> があるが、<試練に受かる>はほぼダメ、<いじめに受かる>はダメだ。自動詞らしいのは<xxが受かる>だが、例がすぐに思いうかばない。 <試練に受かる>がほぼダメというのは、試験はもともとある意味では試練だからだ。(今回追加<試練に受かる>はこじつければ<試練に耐えて、OKとなる>の意がある。)

ところで

自動詞<受かる> 試験に受かる 

は<を>をとらないので自動詞か?

試験が受かる

なら自動詞でいいが、こうはいわない。<試練が受かる>、<いじめが受かる>もダメ。

<受ける>は<を>をとるので他動詞だが、やや特殊で、意味としては<与えられる>で受身的だ。

A ーー 試験 ーー> B

Aは与える。Bは与えられる。またはBは<受ける>

受身は対象が主語で

試験が与えられる 

これからすると

<受ける>は<を>をとるから他動詞といえるか? 少なくとも能動的に<試験に働きかける<わけではない。

英語で<受ける>は to receive で、to receive xx で他動詞。だが 

<試験を受ける>は to receive an exam とはいわず、to take an exam.

to receive も to take も他動詞だが、英語でも to receive は受身的だ。

An exam is taken. はなんとかなるが、An exam is received.とはまず言わないだろう。A gift is received. ならいい。

つまるとこころは<試験を受ける>がおかしいようだ。さらには<試験に受かる >はややこしい。

このポストでは疑問は出ているが、結論が出ていない。訂正するところはなさそうだが、再度挑戦。

試験を受ける

は英語と比較すればおかしいが、日本語としては変ではない。<受ける>の古語は<受く>で

学研全訳古典辞典

 う・く 【受く】

他動詞カ行下二段活用

活用{け/け/く/くる/くれ/けよ}

① 受け止める。受け取る。

出典万葉集 一九六六

「風に散る花橘(はなたちばな)を袖(そで)にうけて」

[訳] 風に散る橘の花を袖に受け止めて。

以下略

 

<以下略 >としてあるが、略した<以下の解説、例文>もすべて他動詞用法で自動詞用法はない。つまりは

古語  うく 【受く】 他動詞

が現代語の<受ける>に変わっていったと見ることができる。また活用は 

カ行下二段活用

活用{け/け/く/くる/くれ/けよ}

で<け>の字がある。

問題は<に>をとる<受かる>。上の活用では<か>の字がない。 

ザっとネットでチェックした限りでは、古語に<受かる>はない。現代語の<受かる>は

デジタル大辞泉 

うか・る【受かる】 
 
[動ラ五(四)]試験などに合格する。及第する。「検定試験に―・る」⇔落ちる
[類語]合格パス及第

 

という簡単な解説で、しかも<合格する>、<及第する>を使った飛躍した説明で<受く>、<受ける>との関連が出てこない。

<受かる>からは可能の意味が感じられるが、<受ける>の可能形は<受けられる>。

(明日、ここで) 試験が受けられる

または

試験が受けれる

が普通で

試験を受けられる
試験を受けれる 

とは言わない。しいて言えば翻訳調になる。

<られる>、<られる>は可能以外に受身形成助動詞でもあるが

試験が受けられる
試験が受けれる

は受身にならない。しいて文を作れば

試験は太郎によって受けられる

というとんでもない文になる。 

試験は太郎によって受けれる

は全くダメといっていい。

試験が受けられる
試験が受けれる

から受身の意味をくみ取るのは難しい。これは、上記で引用した

<受ける>は<を>をとるので他動詞だが、やや特殊で、意味としては<与えられる>で受身的だ。

 ”

に関連するかも知れない。さて

<受かる>からは可能の意味が感じられる

に関連しては、<ける>-<かる>コンビでは

カネをもうける ー カネがもうかる
鍵をかける ー 鍵がかかる
壁に絵をかける ー 壁に絵がかかる
価格をまける ー 価価がまかる

などは<xxかる>が可能の意になる。

カネをかける ー カネがかかる

の<カネがかかる> は可能の意味がない。<カネがかかる>は一般的な自動詞表現だ。

また、これまで再三にわたり検討してきた<まる>-<める>コンビでは

炒める ー 炒まる
染める ー 染まる
求める ー  求まる
休める ー 休まる
ゆるめる ー ゆるまる

などがある。<xxまる>は 一般的な自動詞表現と可能表現が可能だ。この中では<求まる>がおもしろい。だがこれらの<xxかる>、<xxまる>は

yyが xxかる、yyが xxまる

yyにかる、yyにxxまる

ではない。<受かる>は

試験に受かる

で、<に>をとる。ところで<試験に受かる>は<木を見て、森を見ず>で

試験に受かる

わたしは / が 試験に受かる
太郎は / が 試験に受かる 

が<森の>言い方だ。<受かる>のは<試験>ではなく<わたし / 太郎>だ。

試験が受かる

ではないのだ。

上で<受かる>には可能の意があると書いた。だが<受ける>の可能、つまりは<受けられる、受けれる>ではない。ここがややこしい。<受かる>を<受けいれられる>と考えたらどうか>

わたしは / が受かる ー> わたしは / が受けいれられる
太郎は / が受かる   ー> 太郎は / が受けいれられる

<受けいれられる>はいかにも長たらしい。<受かる>にこの意味があれば、こちらの方が簡潔でいい。だが、まだ問題が残る<試験に>だ。

わたしは / が試験に受けいれられる
太郎は / が試験に受けいれられる 

はダメだ。上で<試験に>の<試験>はある意味では自動詞<受かる>の対象。自動詞の対象というのは変なようだが、<私は学校に行く>の<学校>は<行く>の対象だ。ところで、<受けいれられる>は自動詞ではなく他動詞<受けいれる>の受身形。受身形では、能動形の対象 (目的語) が主語になる。

わたしを受けいれる
太郎を受けいれる  

ここでは<試験に>がない。

わたしを試験に受けいれる
太郎を試験に受けいれる 

ダメだが

わたしを試験で受けいれる
太郎を試験で受けいれる  

ならいい。<試験で>は対象を示しているわけではない。いわば<受けいれる>判断材料、道具だ。

わたしは / が 試験で受かる
太郎は / が 試験で受かる

は変な言い方だが可能だ。ところで、<成功する>は<受かる>と似たようなところがある。

エベレスト登頂に成功する。(エベレスト登頂を成功する、とは言わない)
青色 LED の発明に成功する。

<成功する>は自動詞だが、<エベレスト登頂>、<青色 LED の発明> はいわば達成目標で、かなり鮮明に対象化されている。

このような場合には<に>が使われるようだ。 これに関連しては、大和言葉では

xxに合う   試験 (の要求) に合う 
xxにかなう (叶う)  試験 (の要求) に叶う (試験の要求を叶える)
xxにそぐう  試験 (の要求) にそぐう

がある。

 

sptt

 

 


 

手すりをつかむ、手すりにつかまる

 

これは少し前のポスト

ヘンテコな動詞<つかむ>、<つかまる>、<つかまえる>

でザっとチェックしたことがあるが、目的は<へんてこさ>を示すことで、深入りはしていない。ここでは少し<深入り>してみる。

<つかむ>は他動詞、<つかまる>は自動詞で

手すりをつかむ
手すりにつかまる

と言う。<つかむ>、<つかまる>はやっかいだ。<まる><める>の<つかめる>は可能。だが、これらは<掴む>、<掴まる>、<掴める>が想定されている。<つかまる>には <とらえられる>の<つかまる>があり、漢字を使って書けば<捕まる>でもいい。<つかむ>の受身<つかまれる>というのもある。ここでは<掴まる>、<捕まる>の話ではなく

手すりをつかむ
手すりにつかまる

の話。<手すりをつかむ>の<つかむ>は<を>をとるので他動詞。一方<手すりにつかまる>の<つかまる>は<に>をとるので自動詞。だが、そう簡単ではないだろう。まず

行為、行動として 

手すりをつかむ
手すりにつかまる

はどこが違うのか?

手すりをつかむ
手すりにつかまる

は同じ行為、行動とい言える。

では、このような行為、行動をする人の意図はどうか?

意図は<手すりをつかむ>の方がが強そうだが、<手すりにつかまる>も意図がある。第三者の行為、行動の描写とすると

太郎は手すりをつかむ
太郎は手すりにつかまる 

になるが、これも大差ない。だが、他動詞、自動詞の差は大差だ。

対象、ここでは<手すり>の認識はどうか?

太郎は手すりをつかむ

の対象認識は直接的だ。言い換えると<手すり>は<つかむ>の直接対象といえる。一方

 太郎は手すりにつかまる 

も<つかまる>対象は<手すり>で、<つかむ>ほど直接的ではないが、<手すり>は<つかまる>の対象だ。<学校に行く>の<学校>は自動詞<行く>の対象とすれば同じことだ。つまり対象は直接目的語でなくてもいい。間接目的語というのがあり

Taro sent flowers to Hanako.

太郎は花子に花を送った。

で<Hanako>、<花子> は間接目的語。<flowers>、<花>は直接目的語。この場合<sent、to send>、<送った、送る>は他動詞で直接目的語と間接目的語がとれる。繰り返しなるが

太郎は手すりをつかむ

の<つかむ>は他動詞で、<手すり>は直接目的語。一方

太郎は手すりにつかまる 

の<つかまる>は自動詞で、<手すり>は間接目的語と見なせるが、上の<Hanako>、<花子>の間接目的語とは異なると言えよう。<つかまる>は自動詞、<to send>、<送る>は他動詞なのだ。だが<行く>の対象が<学校>、<つかまる>の対象が<手すり>とは言える。

話が少しずれるが

手すりにさわる
手すりに触 (ふ) れる 

という言い方は普通で、おかしくない。<さわる>、<触れる >は英語の to touch 相当で、to touch は他動詞。一方、日本語の<さわる>、<触れる >は<を>をとらず

手すりをさわる
手すりを触れる  

とは言わない。<手を>を加えると

手すりに手をさわる

はダメだが

手すりに手を触れる

は問題ない。<手を触れる>は<を>があるが、<手>は<触れる>の目的語でなく

 手すりに手を触れる

の<触れる>は依然として自動詞だろう。対象<手すり>があり。<を>があるのだがしつこく自動詞だ。この場合

手すりに手を触れる

手すりに手を触れさせる

が意味内容だ。 また<手で>を加えた 

手すりに手でさわる
手すりに手で触れる

はどちらも問題ない。<さわる>、<触れる>を他動詞とした

手すりを手でさわる
手すりを手で触れる

は間違いだろう。

手すりを手でつかむ

はいいが

手すりを手でつかまる

はダメだ。

<つかまる>と<さわる> / <触れる> はある意味では似たような動作だが、<つかまる>は<つかむ>と結びついており、軽いタッチではない。<軽いタッチ>ではないが、<軽くつかむ>ほどの動作といえないか。この説明はこじつけがましいが、さらにコジツケを進める。

対象をかえて運動場にある<鉄棒>とすると

鉄棒をつかむ
鉄棒につかまる 

とすると、様子が違ってくる。

鉄棒をつかむ

<鉄棒をつかむ>こと自体が動作の目的であることが想像される。一方

鉄棒につかまる 

は<鉄棒につかまる>こと自体が動作の目的ではななく、何か他のことをすることが想像されないだろうか。この違いを気にすると (意識すると) 

手すりをつかむ
手すりにつかまる

に差が出てくるのではないか。 

手すりにさわる
手すりに触 (ふ) れる 

も同じことが言えそう。つまり、何か他のことをすることが想像されないだろうか。

<手すり>に戻るが

手すりを拭 (ふ) く
手すりを磨 (みが) く

この例は<手すりを拭く、磨く>こと自体が動作の目的であることが想像される。

 

 sptt