夏目漱石の小説《三四郎》の中で<まよえる子羊 (こひつじ) >というのが出てくる、そして stray sheep の訳と出てくる。
ところで、<まよえる子羊 (こひつじ) >は<まよう子羊>ではだめか?<まよえる子羊 / まよう子羊>。どこがどう違う?
<まよえる>は<まよう>の可能の意味にもなるが (注)、状況からして<まようことができる子羊>はおかしい。子羊が<まよっている>と形容する場合は<まよう子羊>、<まよっている子羊>でもいいだろう。 場面は忘れたが
あなたは (三四郎のこと) はまよう子羊よ。
あなたははまよっている子羊よ。
で意味は通じるだろう。
ではなぜ<まよえる子羊 >になっているのか?
<まよえる>の<える>は可能の意味以外に何か意味はないか?
文法的には
<まよう>は
未然形 まよわない, 未然形-2 まよおう
連用形 まよいて ー> まよって
終止形 まよう
連体形 まようひと
仮定形 まよえば
未然形-2 まよおう
でワ行五段活用 (あるいはワア行五段活用)。
一方<まよえる>は<まよう>由来だが
未然形 まよえない
連用形 まよえて
終止形 まよえる
連体形 まよえるひと
仮定形 まよえれば
未然形-2 まよえよう
連体形 まよえる
がある。 だがなぜか連体形以外は使いそうにない。
従 (したが) う、従える
牧童に従 (したが) う子羊、牧童に従っている子羊
はいいが
牧童に従える子羊
は何かおかしい。
<従う>は
未然形 従わない
連用形 従いて ー> 従って
終止形 従う
連体形 従うひと
仮定形 従えば
未然形-2 従おう
でワ行五段活用 (あるいはワア行五段活用)。
一方<従える>は<従う>由来だが
未然形 従えない
連用形 従えて
終止形 従える
連体形 従えるひと
仮定形 従えれば
未然形-2 従えよう
とりえずの結論として
まよえる子羊 = まよう子羊
ーーーーーー
(注)
<五段活用 -> 下一段活用>変換で可能動詞になる、というルールがある。
sptt
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