Sunday, July 7, 2013

xx(し)始める、xx(し)かける


<xx(し)始める>と<xx(し)かける>、自動詞でいえば<xx(し)始まる>と<xx(し)かかる>は似て非なる意味だ。似たような意味では<とりかかる>というのがあるが<とりかける>はない。


<xx(し)かける>は<xx(し)始める>を兼ねるが、逆の<xx(し)始める>は<xx(し)かける>の意にならない。言い換えれば、<xx(し)始める>は<xx(し)かける>で言い換えられるが、逆はダメな場合がある。

太郎が勉強しかけたところに次郎がやってきた。
太郎が勉強し始めたところに次郎がやってきた。

これはよさそう。それでは

太郎は勉強しかけたが次郎がやってきたのでやめた。
太郎は勉強し始めたが次郎がやってきたのでやめた。

この場合細かいことを言えば<し始めた>はダメだ。なぜなら、太郎は勉強し始めたが、次郎がやってきたときにまだ勉強しているとは限らないからだ。一方、勉強しかけた太郎は次郎がやってきたときにまだ勉強しているのだ。英語には一つの動詞でこのような言い方がないため普通は to start, to begin が使われ、訳は<xx(し)始める>となるが、日本語では<xx(し)かける>が普通の言い方だ。

日本語では<言いかけて><やめる>という言い方ができるが、この意味で<言い始めて><やめる>とはまず言わない。

<かける>は多義語だが(別のポスト<かける, 掛ける、懸ける、 駆ける、賭ける、掻く、書く>参照)、この場合<始める>だけでなく、始めたことが進行中であることを表わすようだ。

<仕掛(しかか)り(品)>は中間製品だ。当たりまえだが、つくり始めないと中間製品にはならない。<かかる>と言うとどこかに<かかっている>、<ひっかかっている>感じで、<始めた>ことが意識されていないように聞こえるが、<始め>を引っ掛けて進行していると考えたらどうか。とにかく、<かける>は多義語なのだ。<かける>、<ひく>は力をかける必要があるが、物理の法則からも、静止しているモノを動かし<始める>にも力をかける必要があるのだ。’無意識うちに物理学的な見方をしており、それが言葉に反映してるのではないか?


sptt

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