Monday, October 23, 2023

おもしろい補助動詞

 
前回のポスと ” 接続助詞<て>は超汎用 (Super Versatile) 助詞 ” で、接続助詞<て>に関連して中学生向けの<補助の関係 (補助動詞)>の解説をそのまま紹介した。特に恥ずかしいくはないので、<はずかしながら>とは言わないが、これはこれまで知らなかった。

 
” 
(前略)
A 犬を飼う。
B 犬を飼ってみる。

Aの文とBの文を比べてみたとき,Bのほうには「試しに飼う」という意味が添えられていることがわかります。「みる」という語には本来「見る」という意味がありますが,Bではその本来の意味が薄れ,「試しに~する」という意味を「飼って」に添えています。このとき「飼って」と「みる」は補助の関係であるといいます。

「みる」以外にも,補助の関係をつくることができる動詞(補助動詞と呼ぶことがあります)として,以下のようなものがあります。
「あげる」・・・勉強を【教えて・あげる】
「くれる」・・・にっこりと【笑って・くれる】
「いる」・・・病気が【悪化して・いる】
「おく」・・・ちょっと【ほうって・おく】
「ある」・・・そこに【置いて・ある】

(以下略、全文は前回ポストで引用)
 
” 

この中学生向けの<補助の関係 (補助動詞)>の解説には書かれていないのだが、肝心なのは<xxてyy><xxしてyy>と<て>が使われることが条件になっていることだ。単純に<動詞の連用形 + 見る>などでは複合動詞になる。
 
Wiki にはこのことが書いてある。また他の補助動詞も紹介している。

Wiki - 補助動詞
 
"

補助動詞(ほじょどうし)とは、日本語などにおいて、別の動詞に後続することにより文法的機能を果たす動詞で、それ自体の本来の意味は保っていない(前の動詞との組合せで意味を持つ)ものである。類似の補助形容詞などもあるので、合わせて補助用言ともいう。
形式上の補助動詞
普通は、別の動詞(または国文法でいう「助動詞」などが後続したもの)の連用形に、接続助詞」を介して後続する動詞を、補助動詞と称する。これは言語学上の助動詞に当たる(国文法でいう「助動詞」とは異なる)。
「知っている」「掛けてある」「笑ってしまう」「見ていく」「変わってくる」「代わってくださる」「行ってもらう」などの太字の部分。 例えば、「行く」は、「途中で彼女と落ち合って行きます」という場合には「どこかへ移動する」という意味で使われる。しかし「これから見て行くように…」という場合には空間的に移動する意味はなく、時間的変化または近未来の行為を示している。後者の「行く」が補助動詞であるが、これはひらがなで「いく」と表記することが多い。この表記によって例えば「箱を開けて見る」(中を見る)と「箱を開けてみる」(試しに開ける)のような異なる意味を区別することもできる。

  • 状態や動作の態様を表し、時間的意義などを含む(言語学的にはに当たる)「いる」「ある」「いく」「くる」「しまう」「おく」
  • 受益表現の「くれる」「やる」「あげる」「もらう」
  • その他:「みる」「みせる」
  • この他、希望を表す「ほしい」などの補助形容詞も同様の性格を持つ。
 "

<xxている>、<xxてある>、<xxてみる>は はごく最近、<xxておく>、<くれる>、<やる>、あげる>、<もらう>についても以前に取りあげて書いたことがある。だが<補助の関係 (補助動詞)>は知らなかったので、ばらばらに書いている。
さて、引用が多くなったので、以下にspttの解説を試みる (してみる)。調べてみると、いろいろおもしろい。

ポイントは、上に書いたが

肝心なのは<xxてyy><xxしてyy>と<て>が使われることが条件になっていることだ。単純に<動詞の連用形 + 見る>などでは複合動詞になる。そして、<て>は接続助詞と分類されており、補助動詞の場合はまさしく、<て>の前の動詞と<て>の後の補助動詞を接続している。<動詞の連用形 + 動詞>の複合動詞(無限と言えるほどある、つくれる)との違いはなにか。

<動詞の連用形 + 動詞>の複合動詞では単独で使われた場合と意味が変わるが、意味の

変化は個々の複合動詞次第で様々。例えば

見上げる -これは文通りの<空を見上げる>と皮肉だが<見上げたやつだ>と言った比喩用法がある。

見誤る
見かぎる
見下す
見過ごす

など、など、たくさんあり、複合動詞としての新しい意味の構成に特に規則性はない。一方補助動詞の方は

犬を飼ってみる

見る、見せる

<見る>の場合。<見る>の複合動詞は多いが、多いのは

見合う
見上げる
見誤(あやま)る 

などのように<見(み) >が前にくる複合動詞動詞だ。これはたくさんある。上の3例は<見>のあとに<あ>から始まる動詞に過ぎない。<見る>が後ろにくるのはすぐには見つからない。これはどうしたことか? <見つかる>も複合動詞だ。
 
中学生向けの<補助の関係 (補助動詞)>の解説には、試験解答対策として、


補助動詞であるかどうか(補助の関係であるかどうか)を見分ける方法としては,ほかの表現や英語に置き換えて考えるという方法があります。

[英語に置き換えて考える例]
(3)勉強を教えてあげる。
(4)プレゼントをあげる。
 →(4)の「あげる」は「give」の意味がありますが,(3)は本来の意味が薄れているので「give」ではありません。(3)が補助の関係です。


という解説があるので、応用してみる。 

補助動詞としての<xxてみる>は<試す>to try to do (動詞の原形あるいは to 不定詞という) の意に近い。<見る >の to see, to look (at) とはまったく関係ない。
 

<見せる>の場合。

<みせる>は英語では to show で、これも<見る >の to see, to look (at) とはまったく関係ない。<みせる>は

xxしてみせる
やってみせる
書いてみせる
踊ってみせる

などでは<見せる>の意が残っているので補助動詞といえるか。ところが

今回は失敗したが、次は必ずxxしてみせる (やってみせる)

to show の意味はないので補助動詞といえる。英語でいえば

I failed this time. But I will surely do it well next time.

とでもなるか。

ところで、日本語では、<医者に見せる>、<医者に見てもらう>という独特の言い方がある。

医者に見せる ー to show you (your body) to a doctor
医者に見てもらう ー to let a doctor see you (your body)

上の英語は直訳に近く、英語ではこんな言い方はしない。英語で簡単に

to see a doctor (医者を見る)

中国語も、英語由来なのか、これと同じで

 看医生

これはよく耳にする。<見てもらう>の<もらう>は補助動詞。また<見て>の<見る>は医者が<見る>のだが、実際には目で見るだけではない。<見る>は多義語だ。もっとも
 to see a doctor、看医生の方は患者が医者を見るのだが、これも実際には目で見るだけではない。<Hello>、<你好>を言いにに医者を見に行くわけではない。

<xxてみる> にもどるが、調べているうちに大きな発見をした。これは Wiki の解説にはない。

知ってみる
わかってみる

が<試しに知る>、<試しにわかる>にならない。よく使うのは

知ってみると
わかってみると

で<みる>は<見る>の意ではない。また英語にすると

after having known it
after having understood it

で to see は出てこない。したがって<見る>の補助動詞用法の<みる>と言うことになる。.ポイントとはなぜこうなるか。結論を言うと、これは<知る>、<わかる>認識、認知のは意味を持つやや特殊な動詞だからだ。

認識してみると
認知してみると

とはあまり言わないので、大和言葉<知る>、<わかる>が<xxてみる>と相性がいいということになる。また認識、認知の動詞とは言っても五感動詞はダメで

見てみる
聞いてみる
嗅(か)いでみる
味わってみる
さわってみる

<試しに見る>、etc になるので補助動詞。<知る>、<わかる>が例外となるのは知的、観念的認識、認知の動詞だからとした方がいいだろう。知的、観念的認識、認知の動詞だけかと言うとそうでもない。

<成功してみせる>はいいが<試みる>としての<成功してみる>はダメ。<成功してみると>ならいい。これは内容からくるためで、観念上、または頭の中だけとはいえ<成功してしまったら試みる>意義はないのだ。

さて、

知ってみる
わかってみる

が<試しに知る>、<試しにわかる>にならないのは<xxて>の場合の<て>の意味だ。これはやや難しいが、この<て>の一文字に

ある事柄が確定し、間違いないものと認める (見なす) という主体の判断を示す。
 
働きがあるからだ。たとえば 

犬を飼ってみる。

は近未来のことなのだが、話者の頭の中では<犬を飼うことが確定してると認める判断>がなされているのだ。ところが知的、観念的認識、認知の動詞の<知る>、<わかる>だと

知ってみる
わかってみる 

だとへんてこなことになる。

<知ることが確定してると認める判断>、<わかることが確定してると認める判断>はナンセンスで<知っていることが確定してると認める判断>、<わかっていることが確定してると認める判断>ならナンセンスにならないが、これだと

知っててみる
わかっててみる

となりこれが

<試しに知ってみる>、<試しにわかってみる>になるのだ。だがこんな言い方はしない。これがなぜおもしろいかと言うと、上の

この<て>の一文字に

ある事柄が確定し、間違いないものと認める (見なす) という主体の判断を示す。

という主張を裏付けるからだ。わかりにくい方でわかりたいと思う人、そしてヒマのある人は前々回のポスト

助動詞<た>と接続助詞<て>の関係

を参照していただきたい。

だいぶ長くなってきたのと、他の<いる><ある>、<いく>くくる>なども長くなりそうなので次回以降のポストで独立させてチェックすることにする。

一方その他の補助動詞を探しているのだが、簡単にはみつからない。

<やる>は受益表現での意味は<あたえる>、to give だがもともとは遣唐使の<遣(や) る>のようだが、これから派生した意味がいくつかあり多義語だ。

<xxしてやる>の補助動詞以外に

今回は負けたが、次は勝ってやる。

という言い方があり、補助動詞も多義のようだ。別途検討。

<のける>

簡単にやってのける 

の<のける>は補助動詞といえそうだが、手元の三省堂辞書では<接尾語的に>と簡単に説明している。

 

sptt


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