Monday, October 2, 2023

<xxている>と<xxてある>。<xxている>は現在進行形とは限らない。



前々回のポスト " 中国語の<着>と日本語の<xxている> " ではいくつかの< 後日検討>とした課題が残った。

課題の一つは<xxている>と<xxてある>の違いについて、改めてこのポストで検討する。前々回のポストから抜き出すと


ととのえる
ととのえている
ととのっている ( <ととのう>は自動詞。)
ととのえてある

(中略)

ところで、<xxている>と<xxてある>の違いだが、少しチェックしたところ
自動詞と他動詞の違いがあるようだ。

他動詞
掛けるー掛けているー掛けてある、掛けられているー掛けられてある
間違うー間違っている(間違えている) ー  以下受け身形は省略
書くー書いているー書いてある
読むー読んでいるー読んである
食べるー食べているー食べてある
見るー見ているー見てある


自動詞
掛かるー掛かっているー掛かってある
行くー行っているー行ってある
歩くー歩いているー歩いてある
寝る―寝ているー寝てある

他動詞の <xxてある>は

掛けてある
間違ってある(間違えてある)

書いてある
読んである
食べてある
見てある

は<間違ってある> を除けば

<(もうすでに)xxてある>の意になる。<間違ってある>がダメなのは<間違っている>が形容詞的になっていて、よく使われるためだろう。<間違えてある>なら動詞性がのこり、<(もうすでに)xxてある>。文法法則がありそうなので再検討予定。




というわけで、再検討してみる。実際個々の動詞にあたってみると、いろいろある。

ととのえる
ととのえている
ととのっている ( <ととのう>は自動詞。)
ととのえてある
花子は部屋をととのえる。 中立、習慣的反復行為、近未来
花子は部屋をととのえている。 現在進行
花子の部屋はととのっている。 状態の形容。 <ととのう>は自動詞。
花子の部屋はととのえてある。 状態の形容。 <ととのえる>は他動詞。

<花子の部屋はととのっている>も<花子の部屋はととのえてある>も状態の形容だが、一方は自動詞、もう一方は他動詞だ。これがニュアンスの違いを生んでいる。

<花子の部屋はととのっている>は状態の静的形容で<花子の部屋はきれいだ>に近い。 注意は<部屋の状態>に移っている。

花子の部屋はととのえてある。

の方は

(花子があるいは誰かが) 部屋をととのえた、そしてその状態がいままで続いている

のニュアンスが強い。<部屋をととのえた>の意が残っている。

<ととのえる>は他動詞なので、受身表現が可能だ。

花子の部屋はととのえられる。 中立、習慣的反復行為、近未来

花子は部屋をととのえられている。 状態の形容。 <ととのえられる>は他動詞<ととのえる>の受身形。これは

花子の部屋はととのっている。 状態の形容。 <ととのう>は自動詞。

とほぼ同じ。 他動詞が受け身になると自動詞的になる、ということか。

花子の部屋はととのえられてある。 まずこうは言わないが、無理じいすれば<花子の部屋はととのえられた、そしてその状態にある>で状態が強調されているようだ。


他動詞


するーしている―してある、されるーされている―されてある

<している (ところ) >で現在進行形

<してある>と<されている>は意味内容は似ているがニュアンスは違う。また用法、助詞の使い方が違う。

その仕事をしている(ところだ)ー 現在進行形

その仕事はもうしてある。ー 発話者あるいは第三者がした、そしてその状態 / 結果がいまも続いている。発話者がした可能性が高い。

その仕事はもう私がしてある。

その仕事はもうされている。普通は<その仕事はもうなされている>か。ー 誰がしたかは重要でないが、発話者がした可能性は低い。その仕事はもうだれかよってなされている。

宿題はもうしてある。

の場合は、発話者がした、そしてその状態 / 結果がいまも続いている。宿題が第三者によってなされる可能性は低い。したがって<宿題はもうされている / なされている>はほとんど聞かないだろう。


掛けるー掛けているー掛けてある、掛けられているー掛けられてある

カギをかけている (ところだ) ー現在進行形

だが、<カギをかける>動作は, 問題がなければ、ふつうは短時間ですみ、<カギをかけつづける>のはごくまれ。まれだが、<カギを掛けている (ところだ) >はありうる。

カギがかけてある。

<カギを
けてある>はダメだが、まったくダメでもなさそう。一種の強調構文の時だ。

この部屋 (に) はカギをかけてある。 (例えば、泥棒がはいって問題があった部屋。あるいは、他の部屋は別として、この部屋 (に) は。さらに、ややこしいが、この場合

この部屋 (に) はカギをかけている。

でもいい。

この部屋 (に) はカギをかけてある。と

この部屋 (に) はカギをかけている。

の違いは

この部屋 (に) はカギをかけてある。ー 常時<カギがっかかっている>。<カギをかけたままにしてある>。

この部屋 (に) はカギをかけている。ー 習慣的な反復く行為で、例えば、<夜は、この部屋 (に) はカギをかけている。>

簡単なようだが、いろいろある。<カギ>以外の例がこれから出てくるが、ポイントは

<カギをかける>動作は, 問題がなければ、ふつうは短時間ですむ

というところだ。 一時的な動作、行為で、その動作、行為がもたらす変化の結果が、その後も代わらず続く、というところだ。<xxている>という表現は、いまのところ

1) 動作、行為が進行形可能の場合

2) 動作、行為が進行形可能でない場合、言い換えると<一時的な動作、行為>の場合

に区別できる。このポストのタイトルの後半

<xxている>は現在進行形とは限らない。

はこのことを言っている。


受身形

カギがかけられている

は<されている>と同じく、誰がしたか (あるいはいつされたか) は重要ではなく、<カギがかけられている>状態を述べている。

カギが掛けられてある

はダメ。


壁に絵をかける ー 中立、近未来

壁に絵をかけている

1)現在進行形、そして
2)習慣的行為(いろいろな絵を壁にかける)の結果の状態

をあらわす。2) は<カギをかける>と違うところだ。この例としては

壁にたくさんの絵がかけてある ー 壁にたくさんの絵がかけられている (受け身)

同じような意味になるが 、やはりニュアンスが違う。

壁にたくさんの絵がかけてある ー 誰かが壁にたくさんの絵をかけてきた (多分に一時にではない) 、そしてその結果がいまの状態になっている。

壁にたくさんの絵がかけられている (受け身) ー 誰がしたか 、いつどのようにされたかは重要ではなく、<壁にたくさんの絵がかけられている >状態を述べている。まだある。

メガネを掛けている。

という言い方があり、これは<xxをyyている>という言い方だ。

今ちょうどメガネを掛けているところだ。

は現在進行形になるが、こういう場面や発話は現実離れしている。

メガネを掛けている。

は普通は現在進行形にならない。<メガネをかけた、そしてその掛けた状態が今もつづいている>と言うような表現だ。このパターンには
耳にイヤリングをつけている
腕まくりをしている
風をひいている
足を痛めている

がある。(追加予定)


間違うー間違っている(間違えている) ー 間違えてある、
間違えられるー間違えられているー間違えられてある

太郎は計算を間違える ー 中立。習慣。近未来の意はない。

太郎は計算をよく間違える ー 習慣、反復的行為

太郎は計算を間違っている、間違えている ー 現在進行形ではない。

間違えた、そしてその結果の状態にある。その結果の状態が続いている、とはニュアンスが違う。その結果の状態が続いているニュアンスを出そうとすると

太郎は計算を間違えて、そのままにしている。(間違えはすぐに / できるだけ早く訂正すべきもの、という意識があるためか)

<間違える>は一過性のできごと、行為で普通は進行形はない。また一般的には意図的にする行為ではない。

普通は<もうすでにxxしてある>と言いう言い方だが、この<間違う>は

太郎はもうすでに計算を間違えている。

が普通。

太郎はもうすでに計算を間違えてある。

も可能。だが、これもまたニュアンスが違う。

太郎はもうすでに計算を間違えている。 は<またぞろ間違えた>というニュアンス。

太郎はもうすでに計算を間違えてある。は<またぞろ間違えて、そにまにしてある>というニュアンスか。

動詞はゴマンとある。いろいろあるのだ。

結論としては

 
<xxている>は現在進行形とは限らないのだ。 
 
ーーーーー

以上はかなり長いが前置き。

他動詞

書くー書いているー書いてある、書かれるー書かれているー書かれてある
読むー読んでいるー読んである、読まれるー読まれているー読まれてある
食べるー食べているー食べてある、食べられるー食べられているー食べられてある
<食べられる>受け身にも可能にもなる。最近は可能は<食べれる>が普通のようだ。

見るー見ているー見てある、見られるー見られているー見られてある
聞くー聞いているー聞いてある、聞かれるー聞かれている―聞かれてある

<見られる>、<聞かれる>は受け見の他に<xxが見られる。xxが聞かれる>という言い方がある。受け身には被害的受け身がある。
 
彼は姿を見られた(てしまった)。ー 受け身、被害的受け身
内緒話を聞かれた(てしまった)。ー 受け身、被害的受け身

考えるー考えているー考えてある、考えられるー考えられているー考えられてある

<考えられる>は受け身と言うよりは可能。これも<xxが考えられる>という。

思う―思っている―思ってある、思われるー思われているー思われてある 

言うー言っているー言ってある、言われるー言われている―言われてある
呼ぶー呼んでいる―呼んである、呼ばれるー呼ばれているー呼ばれてある
 
考えられる>、<思われる>、<言われる>、<呼ばれる>は、<xxが見られる。xxが聞かれる>に似た
 
xxと考えられている
xxと思われている
xxと言われている
xxと呼ばれている

という言い方があり、よく耳にする。英語でも It is thought that, It is said that という言い方はあるが、日本語ほどは使われないので、日本語を訳す場合あまり使わない方がいい。They think that, They say that の方が英語的だ。

 
置くー置いているー置いてある、置かれるー置かれている―置かれてある
押す―押している―押してある、押される―押されている―押されてある
引くー引いている―引いてある、引かれる―引かれている―引かれてある

済ますー済ましているー済ましてある、済まされるー済まされているー済まされてある

<済まされる>はやや特殊。<そう簡単にすまされる問題ではない>では可能か。

始める―始めているー始めてある、始められる―始められている―始められてある 

<始められる>は受け身と言うよりは可能。これも最近は可能は<始めれる>が普通のようだ。自動詞<始まる>

終えるー終えている―終えてある、終えられる―終えられている―終えられてある

<終えられる>は受け身と言うよりは可能。これも最近は可能は<終えれる>が普通のようだ。自動詞<終わる>。

よごすーよごしているーよごしてある 、よごされる―よごされている―よごされてある

<よごされる>は受け身と言うよりは被害相。 


かくすーかくしているーかくしてある、かくされるーかくされているーかくされてある


自動詞

行くー行っているー行ってある
帰るー帰っているー帰ってある
歩くー歩いているー歩いてある
寝る―寝ているー寝てある

泣く―泣いている―泣いてある
笑うー笑っている―笑ってある

済むー済んでいるー済んである  (他動詞<済ます>)
始まる―始まっているー始まってある (他動詞<始める>)
終わるー終わっている―終わってある (他動詞<終える>)
かくれるーかくれているーかくれてある (他動詞<かくす>)


個々の動詞にあたっていると焦点がぼけるので、<xxている>と<xxてある>にしぼって話を進める。

1.他動詞のパターン


書くー書いているー書いてある、書かれるー書かれているー書かれてある

<書く>は他動詞で対応する自動詞がない。

字を書く   中立、習慣的反復行為、近未来

字を書いている   現在進行

字が書いてある   (誰かが) 字を書いた、そしてその状態(字が書かれている状態)がいままで続いている。だが、これは書かれた字の方に注意が向いている。他動詞は対象があるの。そのためこの注意が向く対象が<書く>から<書かれたもの>に移行するのだろう。

上の<部屋をととのえる>でも、<ととのえた>後は注意は<ととのえる>から<ととのえたもの>に移行している。<ととのえて>は過去形の<ととのえた>の連用形だ。

受け身表現

字が書かかれる   中立、習慣的反復行為、近未来

字が書かかれている   (誰かが) 字を書いた、そしてその状態(字が書かれている状態)がいままで続いている。状態の形容。これも書かれた字の方に注意が向いている。

これは<字が書いてある>とほぼ同じ。 他動詞が受け身になると自動詞的になる、が適用できよう。<字が書いてある>と<字が書かかれている>をもう少し詳しくチェックしてみる。

字が書かかれてある   まずこうは言わない。

こうは言わないが、<字>が主語、主体とすると<字が書かかれてある>の方が<字が書いてある>より理論的と言えないか。<書いて>は<書きて>で<書く>は他動詞。<誰かが字を書いて、その書いた字が残っている>ということなので<字が書いて>はおかしい。<字を書いて>が正しそうだが<字を書いてある>とはいわない。これは<xxがyyしてある>という語法から来ているのだろう。

冒頭の引用では

<(もうすでに)xxてある>の意になる。

と書いたが、これは一つのパターン。< もうすでに字が書いてあるてある>はほとんど使わないがもうすでに作文は書いてある。
もうすでに手紙は書いてある。
もうすでに請求書は書いてある。

とはいう。

読むー読んでいるー読んである、読まれているー読まれてある

その小説を読む ー 中立、近未来

その小説を読んでいる ー 現在進行

その小説は読んである ー もうすでにその小説は読んである、の意が普通。読み終えてある、とも少し違う。

受け身形

その小説は読まれている ー 中立、状況、なぜか習慣的反復行為や近未来にならない

その小説は読まれてある ー まずこうは言わない。

その本>を<新聞>に変えてみる。

新聞を読む ー 中立、習慣的反復行為や近未来

新聞を読んでいる ー 現在進行

新聞は読んである ー (もうすでに)新聞は読み終えている。新聞は読み終えてある、でもい。<新聞は読み終えている>、<新聞は読み終えてある>も微妙に違う。<新聞は読み終えている>は<新聞は読み終わっている>に近く、現在との関連が薄いが<新聞は読み終えてある>現在との関連を残す。<新聞は読み終えてあるから、持って行ってもいい>。<新聞は読み終わってある>とはあまりいわない。

新聞は読まれている。 ー 中立、状況、習慣的反復行為や近未来にならない。

新聞は読まれてある。 ー まずこうは言わない。


考えるー考えているー考えてある

考える ー 中立、<近未来>にならない。

すぐ考える。明日考える。は <近未来>にならない。近未来は

すぐ考えてみる、みます。 / 明日考えてみる

<考えている>は<今考えている (ところだ) >で現在進行形になるが、<毎日考えている>は習慣的、反復的頭脳行為になる。

<もう考えてある>はよく使う。<もう考えられている>は<もう考えてある>ではない。

思う―思っている―思ってある、思われるー思われているー思われてある 

思う ー 中立、<近未来>にならない。 <毎日思う>とは言うので習慣的反復行為にはなる。

思っている ー 現在進行にならない。

<xxと思った>は過去形で<思う>は一時的頭脳行為。
<xxと思っている>は<xxと思った、そしてその思ったこと、思った内容が現在まで続いている>。

思ってある ー は<もうすでに思ってある>になりにくい。

言うー言っているー言ってある、言われるー言われている―言われてある 
 
<文句、苦情を言う>は他動詞で
 
太郎は今役場の職員に文句 (苦情)を言っている(ところだ)。
 
で現在進行形になる。だが<xxと言っている>は
 
太郎は今 " これは本当の話だ。" と言っている(ところだ)。
 
はどうもおかしい。<xxと言っている>の<言う>自動詞ではないか。だが<xxと言われている>という受け身の言い方がある。(*)
 
(*) <言う>は自動詞、他動詞?
 
と言うポストを書いている。(2015年)
 
言ってある ー これはもうチャンと言ってあるじゃないか。
 
xxと言われている - これはよく使われる言い方だ。
 
 
 呼ぶー呼んでいる―呼んである、呼ばれるー呼ばれているー呼ばれてある
 
 <呼ぶ>は多義語だ。
 
a) 花子を呼べ。 
b) 次回の会合では次郎を呼ぼう。
c) xxをyyと呼ぶ (言う) 。
 
 <呼ぶ>は一度限りの行為のようだが、<何度んでもまだ来ない>という言い方あるので<一度限り>とは限らない。
 
今花子を呼んでいるところだ。
 
は現在進行形か? 継続、連続進行形ではないが、断続進行形か? (*1)
 
 もうすでに今花子を呼んでいる。
 
とはあまり言わず
 
もうすでに花子を呼んである。

になる。これは
 
カギはかけている。カギはかけてある。 
 
とは違う。<カギをかける>は断続進行形にならないのだ。一方
 
カギは毎日かけている。
 
は習慣的、反復行為をあらわす。まただがだが、こういえるのは<毎日>という語があるからで、
 
カギはときどきかけている。
カギはたまにかけている。 
 
は何と言ったらいいのか。またまた<だが>だが、 
 
花子を毎日呼んでいるところだ。
 
は何と言ったらいいのか。これが断続進行形か? (*2)
 
電車に乗って学校へ行く。 
帰宅後家で勉強する。  
 
などは
 
文法書では<習慣的、反復行為をあらわす>という表現がよくでてくるが、これは<?>マークだ。後日検討予定。
 
 
置くー置いているー置いてある、置かれるー置かれている―置かれてある
押す―押している―押してある、押される―押されている―押されてある
引くー引いている―引いてある、引かれる―引かれている―引かれてある

以上は<xxてある>が一般的には<もうすでにxxてある>にならず、他動詞の対象の現状をの述べている。

おやつがテーブルの上に置いてある。
ハンコが押してある。
カーテンが引いてある。

以上は下記のように他動詞ー>受け身表現が可能で、見事なパターン化だ。

おやつがテーブルの上に置いてある。ー> おやつがテーブルの上に置おかれている。
ハンコが押してある。ー>ハンコが押されている。
カーテンが引いてある。ー>カーテンが引かれている。

<ある>から<いる>の変化にも注目したい。

済ますー済ましているー済ましてある、済まされるー済まされているー済まされてある

今宿題を済ましているところだ。
 
<済ます>は一時的な行為で進行形にならないので、基本的にダメ。だがまったくダメというわけでもない。
 
今宿題を
ましているところだから、もう二、三分まってくれ。
 
だが<もうすでにましている>も可能で
 
もう宿題を済ましているから、すぐ行く。
 
さらには<ましてある> も可能。
 
宿題はもう済ましてあるから、すぐ行く。
 
ニュアンスの違いはある。
 
<済ます>は他動詞で 

済まされるー済まされているー済まされてある
 
の受け身形があるが、純受け身形はあまりきかない。他動詞<済ます>に対応する自動詞は<済む>。
 
もう宿題は済んでいるから、すぐ行く。
 
ダダでは済まされない。 ー タダでは済まない。 

<済ます>、<済む>は多義語だ。
 
 
始める―始めているー始めてある、始められる―始められている―始められてある
 
<済ます>に似たようなところがある。
 
今宿題を始めているところだ。
 
始める>は一時的な行為で進行形にならないようだが
 
今宿題を始めているところだから、もう二、三時間待ってくれ。
 
だが<もうすでに始めている>も可能で
 
もうすでに宿題を始めているから、今は行けない。
 
さらには<始めてある> も可能。
 
宿題はもう始めてあるから、一、二時間待ってくれ。終わったらすぐ行く。
 
 

終えるー終えている―終えてある、終えられる―終えられている―終えられてある

 
<終える>も<済ます>、<始める>に似ている。
 
今宿題を終えているところだ。 現在進行形
 
今宿題を
終えているところだから、もう二、三分まってくれ。
 
だがこの場合<終える> の連用形<終え>でもいい。
 
今宿題を終えるところだから、もう二、三分まってくれ。
 
これと比較すると<今宿題を終えているところ>とはどういう状況か?
 
<もうすでに終えている>も可能で
 
もう宿題を終えているから、すぐ行く。
 
これまた<終え>でもよく
 
宿題はもう終えるから、すぐ行く。
 
 <終えてある> も可能。
 
宿題はもう終えてあるから、すぐ行く。
 
宿題はもう終えあるから>はダメで<宿題はもう終えるから>になる。
 
<終える>は他動詞でだが受け身は
 
終えられるー終えらているー終えられてある
 
だが、これら純受け身形はあまりきかない。<終えられる>は可能形になるが、今は<終えられる>、<終得ることができる>が普通。他動詞<終える>に対応する自動詞は<終わる>。
  
もう宿題は終わっているから、すぐ行く。
 
これまた
 
もう宿題は終わるから、すぐ行く。
 
ともいう。
 
 
よごすーよごしているーよごしてある 、よごされる―よごされている―よごされてある

これは " 中国語の<着>と日本語の<xxている> " で取り上げた。



空気がひどくよごれている。
空气污染很厉害。

 <よごれた、そしてよごれている>。<よごれる>は<動きが静かな動詞>ということになる。他動詞の<よごす>も

自動車の排気が空気をひどくよごしている。

<よごした、そしてよごしている>。<よごす>も<動きが静かな動詞>か。

だが、よく見ると

他戴着眼镜
彼はメガネを掛けている。
 
動作の結果の状態を表している場合、メガネをかけたそしてその結果の状態が今まで続いている>
 
とは違う。 <よごれ続けている>、<よごされ続けている>のだ。<よごれた / よごされた、そしてその結果の状態が今まで続いている>ではないので、<動きが静かな動詞>ではない。これもチェックしてみると
 
よごすーよごしているーよごしてある、よごされているーよごされてある
よごれるーよごれているーよごれてある

で<よごしてある>が <よごした、そしてその結果の状態が今まで続いている>になる。しかし<空気がひどくよごしてある>はかなり特殊な状況だ。 一方<よごしている>は、<自動車の排気が空気をひどくよごしている>は現在進行形で<進行中>が重点。<よごした>、<よごし始めた>は念頭にない。また受け身形を使うと<空気がよごされている>で<xxている>になる。

よごしてある(他動詞)ー よごされている(他動詞の受け身)ー よごれている(自動詞)と言う図式だ。 


かくすーかくしているーかくしてある、かくされるーかくされているーかくされてある
 
かくす>は一度的な、あるいは習慣的で断続的な行為なので、<かくしている>は現在進行形にならない。
 
今太郎はお金を机の中にかくしているところだ。
 
はまったくダメではないが、あまり使われる機会はないだろう。
 
一度的な、あるいは習慣的で断続的な行為の場合は
 
かくして、そしてその結果の状況が今も続いているの意。つまり
 
太郎はお金を机の中にかくしてある。 
 
お金は机の中にかくしている>との違いは、後者が<一度的な、あるいは習慣的で断続的な行為>、行為そのものを表しているのに対して<太郎はお金を机の中にかくしてある>はその行為がもたらした結果の方に注意が向いている
 
太郎はお金を机の中にかくす。
 
は中立、一度的な、あるいは習慣的で断続的な行為、または状況により近未来になる。<かくす>結果には関係ない。ロジック的には
 
太郎がお金を机の中にかくすと、あるいは太郎がお金を机の中にかくしていると、あるお金は机の中にある (かくされる) ことになるのだが、結果の示唆はない。結果の示唆があるのは
 
太郎はお金を机の中にかくしてある。
 
お金は机の中にかくされている
お金は机の中にかくされてある
 
 
2.自動詞のパターン

座っている。
車が止まっている。
電気がついている。
花が咲いている。

<xxした(自動詞)、そして今もその状態がつづいている>。

自動詞の場合<xxている>と<いる>が使われ、<xxてある>は基本的にダメ。
行ってある。
済んである(ダメ) 済ましてある。 <済ます>は他動詞。
ただし例外もある。
十分寝てある。
<十分寝ている>でもいい。

<xxした(自動詞)>ことはあまり念頭になく、現状の状態を述べている。自動詞は他動詞と違って対象がないため、注意が
対象に移ることはない。
 
感情、 心情をあらわす動詞

おこるーおこっている 自他動詞  おこられるーおこられている

<しかる>と<おこる>は違う。

しかるーしかっている  他動詞  しかられるーしかられている

<しかっている>は
自動詞の<おこっている>のように感情、 心情の状態を示しているわけではない。これは自他兼用動詞の自他の区別に使えそう。
<いかる>もまた違う。
いかる―いかっている 自動詞  いかられるーいかられている(ダメ)
他動詞にはならない、と言うことか。<xxをいかる>はダメ。だが<xxにいかる>で<いかる>対象を持てる。
<いかっている>(自動詞)は感情、 心情の状態を示している

よろこぶーよろこんでいる  自他動詞  よろこばれるーよろこばれている (これは単純な受け身ではない)
よろこばすーよろこばしている 他動詞(使役) よろこばされるーよろこばされている 

落ち込むー落ち込んでいる

悩むー悩んでいる  自他動詞  悩まれるー悩まれている(ダメ)
<xxを悩む>、<何を悩んでいるのだ>と言うので他動詞にもなりそうだが、受け身はダメだのようだ。後日検討とする。
 
悩ますー悩ましている 他動詞(使役)  悩まされるー悩まされている


まとまりがよくないので、機会があれば、後日再々検討、あるいは追加、削除、書き換え予定。


動詞により、まさにいろいろあるが、とりあえずのまとめとしては


他動詞<xxてある>は受け身形<xxされている>と大体同じ意味になる。

花子の部屋はととのえてある。 状態の形容。 <ととのえる>は他動詞。
花子の部屋はととのっている。 状態の形容。 <ととのう>は自動詞。

ーーーーー

<xxている>は現在進行形とは限らない。

<xxている>という表現は

1) 動作、行為が進行形可能の場合 ー>現在進行形

例)食べている


2) 動作、行為が進行形可能でない場合 一時的な動作、行為の場合

例)カギがっかっている、メガネを掛けている。

3) a )現在進行形、そして場合によっては b )習慣的行為(いろいろな絵を壁にかける)の結果の状態をあらす。

例)壁に絵をかけている
 
ーーーーー

<xxてある>という表現は
 
カギがかけてある  (カギがかけている。はダメ)
 
xxした、そしてその状態が今も続いていることの確認と言えるか。
 
カギかけている。は現在進行にならない。また<xxした、そしてその状態が今も続いている>にもならない。
 
カギかけてある
 
は<xxした、そしてその状態が今も続いていることの確認の強調、一種の強調構文、といえるか。
 

ーーーーー
追記
 
課題のすっきりした解決にならず、逆に課題がふえてしまったようだ。これが文法か?


 
sptt

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