Saturday, November 18, 2023

漢語由来の形式名詞、様(よう)、段(だん)、etc.

 

大和言葉の形式名詞の代表は<こと><もの><ところ>だが、いろいろあり、形式名詞もどきのものを加えると相当ある。さらに漢語由来の形式名詞もいろいろある。ネットで調べてみると


精選版 日本国語大辞典 「形式名詞」の意味・読み・例文・類語

けいしき‐めいし【形式名詞】

〘名〙 国文法で、名詞下位分類の一つ。松下大三郎用語。それ自体には実質的意義が薄く連体修飾語を受けて名詞句を作る。和語では「こと・もの・あいだ・うち・とおり・とき・せい・はず・かた・ほど・よし・ふし・ところ・ゆえ」など、漢語では「件・儀・体(てい)・方(ほう)・点・段・分」などがある。「事(こと)重大である」「そんなことをいうと為(ため)にならぬぞ」など、単独に用いられる場合は特に「実質名詞」として区別される。〔標準日本口語法(1930)〕
 
1930年はかなりな昔で、 
 
件・儀・体(てい)・方(ほう)・点・段・分」などがある。
 
となっている。
 
上記の中で
 
「そんなことをいうと為(ため)にならぬぞ」
 
と言うのがあるが、これは<そんなこと>の<こと>を言っているとすると、これは単独で用いられているわけではない。単独使用の場合は
 
 「ことをいうと為(ため)にならぬぞ」
 
になるが、これは意味をなさない。<こと>は基本的に主語になれないのだ。だから形式名詞なのだ。だが
 
ことは急ぎだ。ことがことだけに、
 
という言い方があるが、これは例外扱い。あるいは <そのこと>の<その>、英語の the 相当が省略されているとみれば、やはり<こと>は基本的に単独では主語になれないのだ。
 
一方、例にはないが為 (ため) のことを言っているとすると、<為 (ため) にならぬぞ>となるが、この為 (ため) は頭にきているが主語ではない。<xxは為 (ため) にならぬぞ>の<xxは>が省略されているとみなせる。つまりは
 
「そんなことをいうと、それは為 (ため) にならぬぞ」
 
がフルセンテンスだ。
 
さて、上記の解説の<など>がくせもので、他にも少しあるのか、あるいはもっとたくさんあるのか不明なので調べてみた。おもしろいのがたくさんある。また上では一語の漢語の例しか挙げていないが、二語の漢語の形式名詞、形式名詞もどきもけっこうありそう。漢語の、漢語由来の形式名詞をチェックしてみる。
 
件:ほぼ<こと>相当。
 
明日行く件については
その件につては佐藤君に聞いてくれ。
<くだんの件>とは何の件か。
 
儀:これは古語っぽいがまだ聞く。ほぼ<こと>相当。
 
体 (てい):ほうほうの体 (てい)で、様子
 
方(ほう):
 
xxする方がいい。
その方、この方がいい
どっちの方がいい?
 
でいづれも問題ない。<方>は
 
方はxxx、方がxxx
 
と言えず、そのままでは主語になれないので’純形式名詞だ。<方>は他の言葉では何に相当するか? 上の例文からすると、選択がらみのモノ、コトだ
 
xxする方がいい。
その方、この方がいい
 
は選択後のあるもの、あること。
 
どっちの方がいい?
 
は選択前のあるもの、あること。これは英語の which thing 相当か。
 
選択後のあるもの、あること。
 
は something selected になるが、日本語では<選ばれた何か>、<選ばれたモノ>、<選ばれたコト>になるが、<方 (ほう)>の一語に比べてとんでもなく長い。<方 (ほう)>は形式名詞のチャンピオンではないか。
 
<方 (ほう) を使った二字漢語では
 
方法、方角、方便がある。
 
方法>は 

xxする方法、方角、方便
この方法、方角、方便
どの方法、方角、方便

いずれも問題ない。
 
方法、方角、方便はある。 
 
と、いずれも主語になれる。 だが<方便>は少し違うようだ。
 
方法、方角が違う。

はいいが

方便が違う。
 
とはまず言わない。<やり方 (かた)、し方 (かた)>というのがある。
 
xxするやり方
このやり方
どのやり方
 
やり方が違う。
 
とそのままで主語になれるので<やり方 (かた) >、<し方 (かた) >は形式名詞もどきだ。だが <やりかた>の<やり>は<やる>の連用形の名詞詞用法で<名詞+名詞>の造語。<方>だけで独立させないいけない。<し方 (かた) >も同じ。

xxする方 (かた)
この方 (かた)
どの方 (かた)
 
は方法の意味<かた>はダメだ。<か>だけでは方法の意味にならない。だが人の場合は問題ない。 だが

方がいる
方が違う
 
はダメで、 人の<方>は単独では主語になれない。一方<人 (ひと) >は単独で主語になれる。
 
人がいる
人が違う
 
この<人 (ひと) >は抽象化が進んでいる。<人 (ひと) >は形式名詞だ。
 
  
 
点:ほぼ前に出てきた<ところ>相当。<箇所><そのところ>
 
いつもさぼりたがる点が問題だ。
その点がよくのみ込めない。よくのみ込めないのはその点だ。 
 
 <点>かなり具体化されている。 <その点だ>の言い方に注目。
  
<箇所>は<そのところ>相当で、<その>があるため抽象化が十分進んでいない。そのためか
 
いつもさぼりたがる箇所が問題だ。
 
はいいが
 
問題はいつもさぼりたがる箇所だ。
 
は変だ。一方
 
問題はいつもさぼりたがる点だ。
 
は問題なく> の方が抽象化、形式名詞が進んでいる。さぼりたがる>の言い方に注目。だが

よくのみ込めないのはその箇所だ。

は問題ないが、<その>がついて特定化されている。
 
段: <こと>相当、<とき>相当。
 
金を払う段になると、いつもどこかにいなくなる。
 
段階
 
xxする段階
この段階
どの段階
 
は問題ない。段階はそのままでは主語になれない。
 
段階は言い、わるい。(ダメ)
段階は重要だ。(ダメ)
 
従って<段>と同じく純式名詞名詞と言える。
 
 
(ぶん):これはいろいろある。おもしろい漢語由来の形式名詞の一つ。
 
花子がする分にはいいが、おまえだと .....
この分だと、太郎は時間通り来そうにもない
どの分が欲しい? 
 
(ぶん)は単独で主語になれない。
 

ーーーーー

< 様>は<よう>と書くと形式名詞あつかいになるようだが、漢語由来だ。
 
 
するようだ
このように
どのように
 
は問題ない。
 
ようが/はxx
 
はダメで主語になれない。純形式名詞だ。
 
様子 (ようす) は現代中国語でも<这样子 >はよく使われる。

する様子
この様子だと
どんな様子だ?

だが
 
どうも様子がおかしい。

で主語になれるので 形式名詞もどきだ
 
<様子>に似たのに<具合>がある。
 
具合 (ぐあい) は重箱読みだ。 

今は具合が悪い。
 
で主語になるので純形式名詞ではない。だが
 
そんな具合だと
どういう具合で、どんな具合だ? 

だが、<xxする具合>とは言わず<xxし具合>、<乗り具合>、<取り組み具合>、<戦い具合>と連用形になるが
 
xxしている具合
乗っている具合
取り組んでいる具合
戦っている具合
 
とは言う。これはどうしたことか? 
 
<xxし具合>、<乗り具合>などの連用形は<連用形の名詞化>で
 
名詞+具合 (名詞)
 
の組み合わせ。 

<xxしている具合>、<乗っている具合>などとどこがちがうか? これは少し前の<補助動詞>シリーズで検討してあるのを流用すると


 
<xxている>という表現は
 
1) 動作、行為が進行形可能の場合 ー>現在進行形
 
例)食べている
 
2) 動作、行為が進行形可能でない場合 一時的な動作、行為の場合
 
例)カギがかっている、メガネをかけている。  
 
3) a )現在進行形、そして場合によっては b )習慣的行為(いろいろな絵を壁にかける)の結果の状態をあらす。
 
例)壁に絵をかけている


と書いている。<xxしている具合>、<乗っている具合>などは現在進行とみなせる。
 
 
<様>は訓読みでは<さま>になる。殿様、佐藤様の使い方、<様になる>という言い方がある。
 
様になる
 
の<様>は主語ではない。
 
様変わり
 
 
様が変わる
 
で<様>は主語だが、<様が変わる>、<様が変わった>とはまず言わない。
 
 <様 (さま) >は大和言葉で横道にそれるので、これ以上追及しない。
 

<気>はおもしろい

する気がない。
その気になる。
どんな気でいるんだ?
 
<気が変になる>、<気が変わる>という言い方があるので形式名詞もどきだ。<気>に上の<分>を加えると<気分>になる。<気持ち>に似ているが、<気持ち>は重箱読み。<気分>は二字とも音読みだが、和製漢語のようだ。
 
する気分になる。する気分にならない。
その気分なる。
どんな気分だ? 
 
今日は気分が悪い。
 
で主語になるので純形式名詞ではない。
 
気持ち
 
する気持ちがない
その気持ちが大切だ。
どんな気持ちだ?
 
気持ちが悪い。
 
で主語になるのでこれも形式名詞もどきだ。<気>、<気分>、<気持ち>それぞれ意味が似ている場合と違う場合がある。詳細はここでは省く。
 
場合

<場合>もおもしろい。<場合>は二字とも訓読みで純大和言葉だが、大和言葉らしくない。二字でわずか三音節だからだろう。
 
xxする場合
この場合
これはどの場合に相当するか?
 
で問題ない。さらに基本的に主語にならない。
 
場合が場合だけに

と言う変な言い方があり、この場合、初めの<場合>は単独で主語だが、これは例外としていいだろう。

場合が / はいい、わるい。
場合が / は重要だ。
 
とは言わない。
 
したがって<場合>は純形式名詞と言える。今回発見したが、<場合>の英語は case でこれは<ケース>として和製英語化して、よく使われている。<ケース バイ ケース>>もよく使われる。この和製英語化した<ケース>は<場合>と同じく純形式名詞なのだ。
 
xxするケースでは
このケースでは、このケースの場合、ともいう
これはどのケースに相当するか?
 
で問題ない。また
 
ケースが / はいい、わるい。
ケースが / は重要だ。
 
はダメで、単独で主語になれない。まさしく純形式名詞だ。これは大発見ではないが、忘れないうちに、次のポストで、もう少しチェックして、もっと詳しく書く予定。
 
<立場>は<場合>と同じく二字とも訓読みで純大和言葉で、三音節だが、なぜか大和言葉らしく聞こえる。
 
 xxする立場になると
この立場から見ると
どっちの立場に立ってものを言っているんだ? 
 
立場がいい / 悪い
 
とはあまり言わないが
 
立場が違う
 
とはいうので主語になれる。
 
似たような意味で純漢語に近いのに<状況>、<事情>がある。
 
この複雑化する状況では
その状況から判断すると
どんな状況になっても
 
状況がいい / 悪い
 
は問題なく、主語になれる。
 
似てはいるが<事情>と言うのがあり、これは大和言葉がかっている。
 
 xxする事情を聞いてみると
 
この<事情>は<分け>、<理由>に近い。
 
この事情 (から) 、その事情、あの事情
 
とはあまり言わない
 
どんな事情があっても

とは言うが
 
事情がいい / 悪い
 
とは言わない。
 
事情が許さない

とは言うが、ここで気をつけないといけないのは、この<事情>は独立し<事情>ではないことだ。どんな事情かと言うと、言葉には出てこないが、the つき、特定の事情だということだ。一般的、不特定、さらには抽象化された事情ではないのだ。言葉には出して言えば
 
この事情が許さない(のだ。)
 
ここが肝心。
 
これも<場合が場合だけに>同じように<事情が事情だけに>という。この言い方はおもしろい。形式名詞の判断のモノサシにならないか?
 
コトがコトだけに
モノがモノだけに
人が人だけに、人物が人物だけに
時が時だけに
場所が場所だけに
 
はよく聞く
 
話はややこしくなるが  
 
事情が事情だけ
 
の前の事情は一般的な、不特定の、抽象化された<事情>。後の事情は特定の<事情>でそのあとに<だけ>があるので特定が強調されている。例文の<コトがコトだけに>以下も同じ。さらにおもしろいのは抽象化が進み過ぎると、この言い方ができないのだ。
 
モノゴトがモノゴトだけに
諸事情が事情だけに
 
はまずダメだ。 

このところは新発見、新しい見方ではないか? 後日再検討。
 
 まだありそうだが、長くなってきたのでこれまで。いくつかおもしろい課題が残った。
 
 
 
sptt
 
 
 
 
 

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