Saturday, July 29, 2023

今からでも遅くない。今からでもがんばろう。<でも>の正体

<今からでも遅くない>は前々回のポスト ”レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも> ー続篇<でも> ”でかなりしつこく検討したが、結論がでず宿題となっている。おもしろいので、さらに検討することにした。<でも>の正体がわかるかもしれない。

手元のかなり古い辞典 (三省堂) では副助詞としての解説

1.許容される最低の場合を例示する。

簡単で。例として

1)子供の足でも十分あれば行ける。
2)忙しくて日曜日でも遊んでいられない。
3)今からでも遅くない。
4)これだけでも持って行きなさい。

 <許容される最低の場合を例示する>は、少しチェックすればわかるが、間違いとも言える。

4)これだけでも持って行きなさい。

は<だけ>があるので<許容される最低の場合>といえそうだが<だけ>のない

これでも持って行きなさい。

の<これ>は <許容される最低の場合>にはならない。<子供の足>、<日曜日>もすぐには<許容される最低の場合>にならない。

 <子供の足>は一例であって、<許容される最低の場合>とは言えない。長くはなるが

足が弱って杖をついた老人の足でも十分あれば行ける。
ハイヒールを履いた女の足でも十分あれば行ける。

でもいい。 

<日曜日>はやや特殊で、この場合は、少しよく考えると、<許容される最低の場合>というよりは<許容される最善、最適の場合>だろう。普通一番遊べる時間のある、遊ぶのに最も都合のいいのは日曜日なのだ。<その日曜日でも . . . .>となる。

3)今からでも遅くない。

はややこしい。 <今からでも遅くない>からどうなのだ?

 今からでも遅くない。だから今始めよう(行こう)。

この場合<今始めよう (行こう) >が、言う言わないは別として、言いたいことなのだ。 <今から>が<許容される最低の場合>とするにはかなりの条件が必要だ。たとえば

一時間前ならまったく遅くはなかったのだ、今からでも遅くはない。

が考えられ、これは変ではない。時間が違う< 遅くない>と<遅くない>を比較しているのだ。一方、<なら>を使った

一時間前ならまったく遅くはなかったのだ、今からなら遅くはない。

は変だ。

一時間前ならまったく遅くはなかったのだ、今からでも遅くはない。

で言葉に出てこない部分は

 一時間前ならまったく遅くはなかった。今からではもう遅いようだが、今からでも遅くはない。

の下線部で、実際にはくどくなるので言わないが、文法的には逆接だ。さらには

<今から>が<許容される最低の場合>になるには<今からでないともう遅い>、<許容される最低の場合>と対比させると<遅くならない許容される最も遅い時間>でないといけない。

今からでも遅くない。

もう遅くなりかけているが、今からでも遅くはない。

にはこの差し迫った状況が感じられない。 

もう遅くなりかけているが、今からなら遅くはない。

と<なら>を使うと 差し迫った状況が少し感じられる。

もう遅くなりかけているが、今からでさえ遅くはない。

と<でさえ>を使うと これまた差し迫った状況が少し感じられる。<なら>、<さえ>と違って、<でも>にはこの差し迫った状況が感じられない。 さらには

今からでも遅くはない。一時間後からでも遅くない。

とさえ言える。これでは<許容される最低の場合>とは言い難い。

これでも、あれでも、どれでもいい。

は<でも>がの許容度の高さを示している。

今からなら遅くはない。一時間後からなら遅くない。

はダメ。

 今からでさえ遅くはない。一時間後からでさえ遅くない。

はいい。なぜいいかというと、<さえ> には添加の意があるのだ。

 

デジタル大辞泉 (小学館) では

係助]断定の助動詞「だ」の連用形係助詞「も」から》名詞または名詞準じる語、助詞に付く。4っつの解説があるが2番目は

別のもののようにみえる事柄が、他の一般場合と同じであるという意を表す。たとえ…であっても。「強いといわれている人—病気には勝てない」「今から—がんばろう

 で

今からでもがんばろう。

というのがある。だが、これまた<別のもののようにみえる事柄が、他の一般場合と同じであるという意を表す>は

「強いといわれている人でも病気には勝てない」

では説明がつくが

今からでもがんばろう。

は説明がつかない。<今から>が<別のもののようにみえる事柄>としても、<他の一般>とはどういうことか。

今からでもがんばろう。

の<今から>が特別のモノのように見える事柄で

午後からがんばろう。
明日からがんばろう。

の<午後から>、<明日から>が<他の一般の場合>では説明がつかない。また、<他の一般の場合>の<午後から>、<明日から>が<今から>の場合と同じとはどういうことだ。

さらに、同義語として<たとえ…であっても>があげられていて 

たとえ強いといわれている人であっても病気には勝てない

はいいが

たとえ今からであってもがんばろう

となる。まずこんな言い方はしないが、たとえば

もう遅いかもしれないが
これまではがんばっていなかったが

といった背景では言いそうだ。しかし <今から>が特別のモノのように見える事柄で、しかも、他の一般場合と同じであるという意を表す

とはどういうことか?

<たとえ…であっても>逆接 (譲歩) 仮定語法だ。

たとえ雨であっても、出かける。

だが

たとえ今からであっても、がんばろう

にはこの逆接 (譲歩)がすぐには成り立たない。

 

デジタル大辞泉 (小学館) の1番目は

物事一部分挙げて、他の場合はまして、ということ類推させる意を表す。…でさえ。「子供—できる」「昼前気温三〇度ある」

で、これがあてはまるか。

今からでもがんばろう。

は、<今からでもがんばろう>が< 物事一部分挙げて>になる。他の場合は、例えば

午後からがんばろう。
明日からがんばろう。
来年からがんばろう。

だが、類推される<まして> にはならない。

すでに上で取り上げたが、手元の三省堂の辞典では

 今からでも遅くない。 

が<許容される最低の場合を例示する>の例になっている。似て非なるものようだが、これが適用されるかどうかチェックしてみる。

今からでもがんばろう。

の<今から>が すぐには<許容される最低の場合を例示する>にならない。そして、レトリック的にはデジタル大辞泉 (小学館)の解説 にあるように、<他はまして>が類推、連想されないといけない。この発話が考えられる状況としては

もう遅いかもしれないが (それでも) 譲歩
これまではがんばっていなかった (だから) 順接

今からでもがんばろう。

だが

午後から、明日から、来年から

は<まして>にならない。

 もう遅いかもしれないが 、それでも、今からでもがんばろう。

は<でも>が重複して具合がわるい。この短縮版が

もう遅いかもしれないが 、今からでもがんばろう。譲歩

逆説の場合は

もう遅いかもしれない。しかし、今からでもがんばろう。逆説、譲歩
これまではがんばっていなかった。しかし、今からでもがんばろう。逆説。やや変。脈略が薄い。<でも>をと取った

これまではがんばっていなかった。しかし、今からがんばろう。

は変ではない。

どうもこの辺に<今からでもがんばろう>の 正体がありそうだ。<でも>は譲歩がからんでくる。

ところで、<でも>と相性のいい副詞がある。

とりあえず

とりあえず、xxxとでも言っておけ。
とりあえず、あやまりにでも行っておくか。
客が来るから、とりあえず、掃除でもしておくか。

かなり許容度の高い言い方だ。また

とりあえず、今からでも遅くない。
とりあえず、今からでもがんばろう。

とはいえる。 

これまた、この辺に<でも>の正体がありそう。

 

 sptt

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも> ー続篇ー2<さえ>

 

<さえ>については " レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも>" で検討したが、 その後<でも>と並行して<さえ>をもう少しよく検討してみた。前回のポストで煮えきらなかった<でも>との違いもチェックした。

<さえ>は手元のかなり古い辞典 (三省堂) では副助詞としての解説。ネット辞典の

デジタル大辞泉(小学館)(https://www.weblio.jp/content/%E3%81%95%E3%81%88)

の方も副助詞で、はじめに

[副助]動詞「そ(添)う」(下二)の連用形「そえ」から生じたという》名詞活用語連体形または連用形助詞など種々の語に付く。

というう解説があり、語源が推測されている。これは示唆するところは多い。また助詞分類としては

 [補説] 「さえ」は、古く格助詞の上にも下にも付き、「さへも」「さへこそ」のように係助詞にも先行するところから副助詞とする。

という解説がある。

今回はデジタル大辞泉 (小学館) の解説から始める。

 さえ〔さへ〕

すでにあるものの上に、さらに付け加える意を表す。…までも。「風が吹き出しただけでなく、降りだした」

ある事柄強調的に例示し、それによって、他の場合は当然であると類推させる意を表す。…だって。…すら。「かな文字読めない

仮定表現伴い)その条件満たされれば十分な結果生じる意を表す。せめて…だけでも。「これ—あれば鬼に金棒だ」「覚悟ができて—いれば、心配はない」→すら →だに →まで

解説の後に例文があるが、例がすくないので、解説では説明がつくような例文をのせているのだろう。

一方、手元の古い辞典 (三省堂) では

1.だれにでもわかる例を示し、ましてそれ以上 (以下) の場合はどうであるか言うでもなかろう、という意を表す。

これはデジタル大辞泉 (小学館) の2に相当する。例文は

1)子供にさえわかる
2)専門家の彼さえ知らなかった
3)自分の名前さえ書けない

子供、専門家の彼、自分の名前が<だれにでもわかる例>になるのだが、やや変だ。デジタル大辞泉ではこの部分は<ある事柄強調的に例示>と苦心作となっている。

かな文字さえ読めない

<強調的に>は苦心の解説だが、その前の<ある事柄>も大事で、これは不特定のことがらで、<かな文字>は必ずしも<かな文字でなくてもいい>ニュアンスがある。しかし<強調的に>というと何か特定化されているような感じだ。

大切なのは後半で

デジタル大辞泉 (小学館) 

それによって、他の場合は当然であると類推させる意を表す。

手元の古い辞典 (三省堂) 

だれにでもわかる例を示し、ましてそれ以上 (以下) の場合はどうであるか言うでもなかろう、という意を表す。

<当然であると類推させる意>は<言うでもなかろう、という意>に相当する。実際<さえ>にこのような意があるわけではなく、そういう働きがあると言った方が正しい。これは一種のレトリック作用とも言える。

例を作ってみた。

一万円さえない

の場合<一万円>が< ある事柄強調的に例示し>

<十万円>、<千円>が他の場合の例になるのだが、<当然である>とは何か。

 十万円はありそうにないが、千円はあるのかないのか? 九千円はどうか?

この場合話者が伝えたいのは<一万円さえない>ではなく

十万円(金額は2-3万円以上であればいい)はありそうにない

の方で、千円や九千円を類推させようとしているのではない。だが説明としては<他の場合は当然であると類推させる>はやや大雑把と言える。問題は<他の場合>の<他>で、まったく不特定の他>ではなく話者、聞き手が類推するある程度限定された<他>でないといけない。ここが肝心。この<一万円さえない>の場合は三省堂の辞書

だれにでもわかる例を示し、ましてそれ以上 (以下) の場合はどうであるか言うでもなかろう、という意を表す。

の方が適当だ。<一万円>が<だれにでもわかる例>は問題だが、一万円以上が類推対象となる。<だれにでもわかる例>は<話して、聞き手がわかる例>の方がいいだろう。あるいはもっと細かく言うと<話して、聞き手の類推を助ける例>としたらどうか。<子供>、<専門家の彼>、<自分の名前>、<かな文字>、<一万円>はこの簡単なレトリックに使われている いわば<だし>で、レトリックが働けばいい程度の例なのだ。前回のポストで取り上げた<でも>はもっと顕著で

1)子供にでもわかる
2)専門家の彼でも知らなかった
3)自分の名前でも書けない(これはおおかたダメ)自分の名前も書けない、ならいい

かな文字でも読めない(これもおおかたダメ)かな文字も書けない、ならいい
一万円でもない (これもおおかたダメ) 一万もない、ならいい

この<おおかたダメ>の理由はなにか。<も>+<ない>が関係しているだろう。

1)子供にでもわかる
2)専門家の彼でも知らなかった

に関しては<でも>は<すら>よりも不特定度が高く、<強調的に>は成り立ちにくい。これは<でも>と<さえ>の違いと言える。

<さえ>は英語では大体 even が相当するが、<でも>の方は場合によっては even xxx or someone、even xxx or something になる。

 

デジタル大辞泉 (小学館)  

仮定表現伴い)その条件満たされれば十分な結果生じる意を表す。せめて…だけでも。「これ—あれば鬼に金棒だ」「覚悟ができて—いれば、心配はない」→すら →だに →まで

これさえあれば鬼に金棒だ。
覚悟ができてさえいれば、心配はない。

手元の古い辞典 (三省堂) 

(さえXXXば、さえXXXたらの形で)その条件だけが満たされれば,他には問題がないことを表す。

練習しさえすれば、上手になるよ。
金さえあれば、なんだってできる。
汚くなければ、どれでもいい。

英語では大体 only if が相当する。

おもしろいのは<でも>との比較で

これさえあれば鬼に金棒だ。      
これでもあれば鬼に金棒だ。 

覚悟ができてさえいれば、心配はない。 
覚悟ができてでもいれば、心配はない。

練習しさえすれば、上手になるよ。   
練習でもすれば、上手になるよ。

金さえあれば、なんだってできる。   
金でもあれば、なんだってできる。

汚くさえなければ、どれでもいい。   
汚くでもなければ、どれでもいい。(おおかたダメ)

<汚くでもなければ、どれでもいい>以外は意味が大きく違ってくるが、意味は通る。

<でも>の方は only if ではダメ、if だけでいい場合もあるが、これは難しい。<でも>の方は他の条件でも<十分な結果が生じる、他には問題がないこと>が示唆されている。

英語では

if xxx, for instance

で何とかなるか。 


デジタル大辞泉 (小学館)  

  すでにあるものの上に、さらに付け加える意を表す。…までも。「風が吹き出しただけでなく、降りだした」

 風が吹き出しただけでなく、雨さえふりだした。

手元の古い辞典 (三省堂) 

添加を表す

雨が降ってきただけでなく、雷さえ鳴りだした。

英語ではおなじみの

not only xxxx,  but also yyyy

xxxx. In addition yyyy 

の but also、in addition 相当。

これは<でも>では置き換えられない。ということは<でも>にはこのような添加の意の働きがないということか。

 

sptt




Friday, July 21, 2023

レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも> ー続篇<でも>

 

<でも>については " レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも>" で検討したが、 その後<でも>をもう少しよく検討してみた。

<でも>は手元のかなり古い辞典 (三省堂) では副助詞としての解説しかないが、ネット辞典の

デジタル大辞泉 (小学館)(https://www.weblio.jp/content/%E3%81%A7%E3%82%82)

では 接続詞、連語、接続助詞、係助詞で説明されている (副助詞はない) 。両方とも解説の後に例文があるのだが、例文は解説では説明がつかないものが少なくない。いわば辞書の<あらさがし>をすることになるが、解説の難しさを示しているともいえる。<あらさがし>は概して長くなるが、このポストもかなり長くなりそう。副助詞と係助詞の違いも検討する予定。

手元のかなり古い辞典 (三省堂) では副助詞としての解説

1.許容される最低の場合を例示する。

1)子供の足でも十分あれば行ける。
2)忙しくて日曜日でも遊んでいられない。
3)今からでも遅くない。
4)これだけでも持って行きなさい。

 2.考えられる消極的な条件がともかく成立するさまを表わす。

1)お茶でも飲もう。
2)こんな時木村君でもいてくれたらなあ。
3)けがでもさせたら大変だ。
4)明日にでも来てもらおう。

3.(不特定の指示語について)消極的な意味で無制限に成立することを表わす。

1)そんなことだれでも知っている。
2)どこへでもついていこう。
3)何年でも待ちましょう。
4)いつでもかまわない。

 繰り返しになるが

1.許容される最低の場合を例示する。

1)子供の足でも十分あれば行ける。
2)忙しくて日曜日でも遊んでいられない。
3)今からでも遅くない。
4)これだけでも持って行きなさい。

どの例も <許容される最低の場合を例示する>ではすぐには説明がつかない。<子供の足>、<日曜日>、<今から>が<許容される最低の場合>とは思えない。<これだけ>は一見<許容される最低の場合>のようにみえるが<だけ>がない<これでも持って行きなさい>だと<これ>は<許容される最低>にはならず、<これ>は一例で、他にも持って行くものがありそう。

1)子供の足でも十分あれば行ける。

つまりは<子供の足>は一例であって、特定の<許容される最低の場合>ではない。例えば

足の弱った老人の足でも十分あれば行ける。
ハイヒールを履いた女の足でも十分あれば行ける。

は他の例だ。

2)忙しくて日曜日でも遊んでいられない。

これは、例えばカッコ内の次のような状況であれば、日曜日が<許容される最低の場合>になりうる。
 
(日曜日は他の曜日に比べて遊べる時間が多い、のだが)  忙しくて(その) 日曜日でも遊んでいられない。

<のだが>は逆接で使われる。<許容される最低の場合>というからにはこのような発話されない部分の状況が必要で、そうでないと<許容される最低の場合>と言えるわけではない。だがこの場合は、少しよく考えると、<許容される最低の場合>というよりは<許容される最善、最適の場合>だろう。一番遊べる時間のある、遊ぶのに最も都合のいい (最も機会のある) のが日曜日なのだ。

遊ぶのには日曜日が一番いいのだが、忙しくて(その) 日曜日でも遊んでいられない。

で問題ない。

3)今からでも遅くない。

<今から>が最低ということはどういうことか。 最低というからには、言葉に出す、出さないば別として、比較がないといけない。もっと具体的に言い換えると 

一時間後では (すでにもう) 遅い、今からでも遅くはない。

これは少し変だ。<なら>を使って

一時間後では (すでにもう) 遅い、今からなら遅くはない。

は変ではない。この違いはどこから来ているのか。比較を考えてみると

一時間後では (すでにもう) 遅い、今からでも遅くはない。

これは< (すでにもう) 遅い>と<遅くない> を比較していることになり、簡単な比較ではない。あるいは比較にならない。

一時間後では (すでにもう) 遅い、今からでも (もう) 遅い。

これは意味は違うが、変ではない。< (すでにもう) 遅い>と<(もう) 遅い>で時間が違う<遅い>を比較しているのだ。

さらには、時間軸を考えると

一時間前ならまったく遅くはなかったのだ、今からでも遅くはない。

も考えられ、これは変ではない。時間が違う< 遅くない>と<遅くない>を比較しているのだ。一方、<なら>を使った

一時間前ならまったく遅くはなかったのだ、今からなら遅くはない。

は変だ。

また

今からでも遅くはない。30分後でもまだ遅くない。

とはいえる。一方、<なら>を使ってみると

 今からなら遅くはない。30分後ならまだ遅くない。

といえないので、<なら>に比べて<でも>は許容度が大きい。したがって 、<でも>は<許容される最低 (あるいは限度) の場合を例示する>にはならないのだ。これは上の

1)子供の足でも十分あれば行ける。

でも示されている。

<3)今からでも遅くない>については重複を無視してさらに続けるが(以下が読みとばしても問題ない)

<今から>が<許容される最低の場合>になるには<今からでないともう遅い>、<許容される最低の場合>と対比させると<遅くならない許容される最も遅い時間>でないといけない。

今からでも遅くない。

もう遅くなりかけているが、今からでも遅くはない。

にはこの差し迫った状況が感じられない。 

もう遅くなりかけているが、今からなら遅くはない。

と<なら>を使うと 差し迫った状況が少し感じられる。

二例とも<が>があるが、逆接ではない。だが順接とも言いがたい.。普通の逆説、順接の接続詞を使ってみると

もう遅くなりかけている。しかし、今からでも遅くはない。ー OK
もう遅くなりかけている。それで (だから) 今からでも遅くはない。ー ダメ

もう遅くなりかけている。しかし、今からなら遅くはない。ー OK
もう遅くなりかけている。それで (だから) 今からなら遅くはない。ー OK

なので、上の<が>は逆接のようだ。譲歩の接続詞をつか使ってみる。

もう遅くなりかけている。にもかかわらず、今からでも遅くはない。

これは少し変で、因果関係がないのだ。

もう遅くなりかけている。それでも、今からでも遅くはない。

これは<でも>が二度でてくるので具合が悪い。

もう遅くなりかけている。それでも、今から遅くはない。

とは言える。

もう遅くなりかけているが、今からでも遅くはない。


もう遅くなりかけている。それでも、今から遅くはない。

比較してみると、ニュアンスを含めてほぼお暗示で、前者は後者の短縮版とも言える。

もう遅くなりかけている。にもかかわらず、今からなら遅くはない。

これも少し変だが、<でも>ほど変ではない。特に因果関係はないが、<なら>は元来因果関係はあまり関与しない。むしろ

 もう遅くなりかけている。にもかかわらず、もし今からなら遅くはない。

の仮定の意が強いのだ。

 

一時間後では (すでにもう) 遅い、今からならまだ遅くはない。

さらには、変な言い方だが

一時間前ならまったく遅くはなかったのだ、それでも今からならまだ遅くはない。

という状況での発話かもしれない。<なら>は簡単な二音節の仮定だ。<でも>を使うと

一時間前ならまったく遅くはなかったのだ、それでも、今からでも遅くはない。

になるが<でも>が続けてでてくるので語呂がわるい。

これまた二例とも<が>があるが、逆接ではない。だが順接とも言いがたい。

ふつうの順接は

一時間前ならまったく遅くはなかった (問題なかった) 。だから、今からでも遅くはない。
一時間前ならまったく遅くはなかった (問題なかった) 。だから、今からなら遅くはない。

 はロジカルでない。

一時間後、 一時間前と比べて<今から>が<許容される最低の場合>というのは意味が通じない。というよりは、 一時間後、 一時間前(比較対象)と比べて、<それでも>といった逆接 (譲歩ということもある) の意味が<でも>にはあるのではないか。他の箇所で相当詳しく検討したことがあるが、逆接と譲歩は似ているようで違う。違いはかなり複雑。英語を参考にすると

今からでも遅くない。

Doing it now is still not too late.
It is still not too late to do it now.

英語では from now は <今から>とやや意味が違い、from now on の意味になりそう。

一時間後では (すでにもう) 遅い、今からならまだ遅くはない。

It will be too late if you do it one hour later but it is still not too late to do it now.

一時間前ならまったく遅くはなかったのだ、それでも今からならまだ遅くはない。

It was not too late at all if you do it one hour before but (even though) it is still not too late to do it now.

さて、時間軸を考えてこまかく言うと、<今から>が<許容される最低の場合>になるには

<今からでないともう遅い>という条件が必要だ。だが、<今からでも遅くない>にはこのような差し迫った状況は感じられない。

(今からでないともう遅い)  今からでも遅くない。

これはそのままではつながりや因果関係がない。順接、逆接の因果関係をつけると

(今からでないともう遅い。だから) 今からでも遅くない。- 順接
(今からでないともう遅い。しかし) 今からでも遅くない。ー 逆接

となるが、どちらもおかしい。<も>がない

(今からでないともう遅い。だから) 今から遅くない。- 順接
(今からでないともう遅い。しかし) 今から遅くない。ー 逆接

ではおかしさがへる。したがって。この<でも>は<で>+<も>とも見なせる.<も>の働きは何か?

この<も>は追加の感じがあり、<今からでないともう遅い>という差し迫った、ぎりぎりの、最低限の状況とは馬が合わないのだ。

<最低>というからには比較が必要だ。

明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。 

を使ってみると

(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。だが)  今からでも遅くない。

はやや変だが、よしとする。この場合<なら>を使った 

(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。だが)  今からなら遅くない。

とも言え、むしろこちらの方が普通のようだ。どうしたことか。 この場合、<今からでも遅くない>では比較が意識されているが、<今からなら遅くない>には、他の場合と比較している意識が薄いようだ。これまた、どうしたことか。言い方を少し変えて

(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。でも)  今からでも遅くない。
(明日からではもう遅い。一時間後ではもう遅い。でも)  今からなら遅くない。

どちらも言いそうだが、上は<でも>、<でも>と重なるので 語呂がわるい。一番目の<でも>のない場合は

(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。)  今からでも遅くない。
(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。)  今からなら遅くない

これもどちらも言いそうだが、<なら>の方はつながりが、因果関係が薄いのだ。この違いは

それでも xxxする。逆説、譲歩
それなら xxxする。このままでは順接。

外は大雨だ。それでも出かける。
外は大雨だ。それなら出かけない。

話がそれかけて、長くなっているが、 <今からでも遅くない>にもどると、<でも>には逆説、譲歩の働きが付随すると言えそう。したがって

今からでも遅くない。

の<今から>は<許容される最低の場合>というよりは

明日からではもう遅い。一時間後 (から) ではもう遅いのだが、(それでも) 今から遅くない。

という言い方,逆接、譲歩で、背景には<今から>と<明日から>、<一時間後から>、一般的には<今から後>との比較が念頭にありそう。また

(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。)  今からでも遅くない。
(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。)  今からなら遅くない

を比較すると

この場合<なら>は仮定とも言える。一方<でも>は仮定とみなされない。この部分だけをとると、<もし今からなら>とは言うが<もし今からでも>はダメだ。

以上、結論が出ていない、というのが本音だ。

4)これだけでも持って行きなさい。

<これだけ>は<だけ>があるので、<これだけでも>は一見<許容される最低の場合>のようにみえる。<だけ>をとってみると

 これでも持って行きなさい。

となり、この場合<でも>は<許容される最低の場合> とはかけはなれ、後から述べる<2.考えられる消極的な条件がともかく成立すりさまを表わす>のグループに入ることになる。

以上から、 <でも>=<許容される最低の場合を例示する>は特化された説明で、もっと一般的には

逆接 (譲歩ということもある) の働きがある。

といえるが、この場合、言葉に出す、出さないば別として比較、対比を考えないといけない。

1.許容される最低の場合を例示する。

の例がでてくるのは、デジタル大辞泉 (小学館) では

係助]断定の助動詞「だ」の連用形係助詞「も」から》名詞または名詞準じる語、助詞に付く。

別のもののようにみえる事柄が、他の一般場合と同じであるという意を表す。たとえ…であっても。「強いといわれている人—病気には勝てない」「今から—がんばろう

 で

今からでもがんばろう。

というのがある。だが、これまた<別のもののようにみえる事柄が、他の一般場合と同じであるという意を表す>は

「強いといわれている人でも病気には勝てない」

では説明がつくが

「今からでもがんばろう

は説明がつかない。<今から>が<別のもののようにみえる事柄>としても、<他の一般>とはどういうことか。

今からでもがんばろう。

の<今から>が特別のモノのように見える事柄で

午後からがんばろう。
明日からがんばろう。

の<午後から>、<明日から>が<他の一般の場合>では説明がつかない。また、他の一般の場合>の<午後から>、<明日から>が<今から>の場合と同じとはどういうことだ。

さらに、同義語として<たとえ…であっても>があげられていて 

たとえ強いといわれている人であっても病気には勝てない

はいいが

たとえ今からであってもがんばろう

となる。まずこんな言い方はしないが、たとえば

もう遅いかもしれないが
これまではがんばっていなかったが

といった背景では言いそうだ。しかし <今から>が特別のモノのように見える事柄で、しかも、他の一般場合と同じであるという意を表す

とはどういうことか?

<たとえ…であっても>逆接 (譲歩) 仮定語法だ。

たとえ雨であっても、出かける。

だが

たとえ今からであっても、がんばろう

にはこの逆接 (譲歩)がすぐにはないりたたない。

 

一方、デジタル大辞泉 (小学館) では、助詞ではなく接続詞の<でも>の解説がある。

[接]《「それでも」の略》

前の事柄を一応肯定しながら、それがふつう結果として予想されるものに反す内容を導くときに用いる語。にもかかわらず。それでも。しかし。「がんばった。—負けた」「その時風邪ぎみだった。—私は休まなかった」

 これは<逆接>と呼ばれる。これは大いに参考になる。

 

手元の辞典 (三省堂) の副助詞に戻って、2番目を見てみる。

 2.考えられる消極的な条件がともかく成立すりさまを表わす。

1)お茶でも飲もう。
2)こんな時木村君でもいてくれたらなあ。
3)けがでもさせたら大変だ。
4)明日にでも来てもらおう。

<考えられる消極的な条件がともかく成立すりさまを表わす>は、言い方からして、苦心した後の解説だろう。しかし、これまた<お茶>、<木村君>、<けが>、<明日に>のいずれも<考えられる消極的な条件>とは思われない。同じような例がでてくるデジタル大辞泉 (小学館) では、係助詞の<でも>の解説がある。

 [係助]断定の助動詞「だ」の連用形係助詞「も」から》名詞または名詞準じる語、助詞に付く

  物事をはっきりと言わず一例として挙げる意を表す。「けが—したら大変だ」「兄に—相談するか」

1)お茶でも飲もう。
2)こんな時木村君でもいてくれたらなあ。
3)けがでもさせたら大変だ。
4)明日にでも来てもらおう。

の例は大体この< 物事をはっきりと言わず一例として挙げる意を表す>で何とか間に合いそう。仰々しい<考えられる消極的な条件がともかく成立すりさまを表わす>がむなしく見える。だが< 物事をはっきりと言わず一例として挙げる意を表す>は文法的な説明ではない。

お茶でも飲もう。

という言い方については以前に検討したことがある。 さらに似たような例をつくると

ひまなら将棋でも指そう。
今日の午後はひまだから パチンコ屋にでも行ってこよう。

以上いずれも<お茶を飲む>、<将棋をする>、<パチンコ屋に行く>とは限らない。仮定、想定だ。あるいはほかの選択肢を残した言い方で、断定的な言い方ではない。英語や中国語にも似たような言い方ある。

Let's go for drinking some coffee or something.

她也许只是遇到交通堵塞什么的。 
She's probably just stuck in a traffic jam or something. (Collins)

肝心なのは、<でも>が使われる場合、言葉に出す、出さないば別として定、想定、あるいはほかの選択肢があること、だ。

2)こんな時木村君でもいてくれたらなあ。

「兄にでも相談するか」ー デジタル大辞泉 (小学館)

木村君にでも相談してみよう。

必ずしも木村君や兄でなくもいいのだが (他の選択肢がある) 、すくなくとも木村君 (兄) を<思いついて>の発話だ。

3)けがでもさせたら大変だ。

「けがでもしたら大変だ」ー デジタル大辞泉 (小学館)

これは少し難しい。<けが>以外のことは思い浮かんでいない、他の選択肢がない場合の発話と思われる。デジタル大辞泉 (小学館)の< 物事をはっきりと言わず一例として挙げる意を表す>でも説明がつかない。

ころばせでもしたら大変だ。
死なせでもしたら大変だ。

これも<ころぶ>、<死ぬ> 以外のことがすぐには思い浮かばない。したがって< 物事をはっきりと言わず一例として挙げる意を表す>では説明がつかない。この<でも>は、<お茶でも飲もう>とは違って、他の選択肢を残しての言い方ではなく、<けがをさせ>、<ころばす>、<死なす>ことが想定されて、言葉にでてきているのだが、その想定から出てくる結果 (大変だ) の印象、度合に違いはないか。 だが<でも>のある / ないで比較してみると

もしけがでもされては大変だ。
もしけがをされては大変だ。

で、<大変だ>の程度に大した違いはない。では想定、仮定の程度に違いはないか。

もし、万が一けがでもさせたら大変だ。
もし、万が一けがをさせたら大変だ。

これもほぼ同じ印象だ。特に違いはない。 あきらめずに、しつこく続ける。

<もし、万が一>に似ている言い方に、口語っぽいが<もしかして>というのがある。

もしかしてけがでもさせたら大変だ。

はまあいいが

もしかしてけがをさせたら大変だ。

はおかしい。

<けがをさせる>とデジタル大辞泉 (小学館) の「けがでもしたら (大変だ)」は違う。<けがでもしたら>で試してみると

もしかしてけがでもしたら大変だ。
もしかしてけがをしたら大変だ。

で同じようなことが言える。 <もしかしてけがをしたら大変だ>はおかしい。

<もし、万が一>と<もしかして>はどこがちがう。これも難しい。<もし、万が一>はやや硬い言い方。これに対し<もしかして>は口語っぽい。さらには<もし、万が一>はどちらかというとか客観的な言い方。<もしかして>はどちらかと言うと、心配した主観的な言い方だ。さらに進めてみると、こらまた比較的新しい口語だが<とか>というのがある。元来<とか>は<Aとか、Bとか、Cとか>といういくつかの例を挙げるときに使う。比較的新しい口語だが<とか>は

昨日の夜電話をしたら、家にいなかったけど、デートとかしていたの?

という言い方だ。この場合<とか>を使っているが、< デート>は念頭にあるが他の選択肢はないと考えられる。したがって、<けがでもさせたら>と同じだ。この<とか>を使ってみると、

けがとかさせたら大変だ。
けがでもさせたら大変だ。

でどちらも問題ない。 この<とか>は手元のかなり古い(20年以上前)辞典 (三省堂)にのっていて<最近に若い人が婉曲に言う場合に使う>と書いてある。この<とか>は今では中年以上の人が使うのを聞いたことがあるので定着しているようだ。おそらく<けがでもさせたら大変だ>の回答はこの辺にありそう。<婉曲に言う>というのは直接的、あからさまに言うのを避けたいいかた。相手の心情を配慮する場合や意識的、無意識的に責任回避するときに使われる。

 

手元のかなり古い辞典 (三省堂) の副助詞に戻って、3番目を見てみる。

3.(不特定の指示語について)消極的な意味で無制限に成立することを表わす。

1)そんなことだれでも知っている。
2)どこへでもついていこう。
3)何年でも待ちましょう。
4)いつでもかまわない。

この説明<消極的な意味で無制限に成立することを表わす>もかなり仰々しくて、よくわからない。言い換えるとどういう意味か。<だれ>、<どこ>、<何 (年) >、<いつ>は不特定の指示語だ。デジタル大辞泉 (小学館)は係助詞の4番目として

 不特定をさす語「なに(なん)」「だれ」「いつ」「どこ」などに付いてすべてのものにあてはまる意を表す。「なん—食べるよ」「だれ—知っている

がある。<すべてのものにあてはまる>が<無制限に成立する>に相当する。<消極的な意味で>という言及はない。<消極的な意味>と<積極的な意味>とはどういうことか。<消極的な意味で無制限に成立することを表わす>があるとすると<積極的な意味では無制限に成立しない (無制限には成立しない) 、しないことがある>ことになる。

そんなことだれでも知っている。

は<消極的な意味で無制限に成立する>ようだ。一方

そんなことだれもが知っている。 

は<積極的な意味で無制限に成立する>になるか。

2)どこへでもついていこう。
3)何年でも待ちましょう。
4)いつでもかまわない。

は<積極的な意味で無制限に成立する>言い方が見つからない。2)3)4)はすでに<積極的な意味で無制限に成立する>言い方ではないか。部分否定は

2)どこへでもついていこう、というわけではない。
3)何年でも待ちましょう、というわけではない。
4)いつでもかまわない、というわけではない。

になるが、これでは<消極的な意味で無制限に成立する>にはならない。

手元の辞典 (三省堂) の副助詞はデジタル大辞泉 (小学館) の係助詞に相当するが、手元の辞典 (三省堂) の副助詞は三つの解説、デジタル大辞泉 (小学館) の係助詞には四つの解説がある。デジタル大辞泉 (小学館)は係助詞でまだとるあげていないのは一番目で

物事一部分挙げて、他の場合はまして、ということ類推させる意を表す。…でさえ。「子供—できる」「昼前気温三〇度ある」

例文の「子供でもできる」を参考にすると、これは手元の辞典 (三省堂) の副助詞では

1.許容される最低の場合を例示する。

1)子供の足でも十分あれば行ける。

に相当する。両方とも一番目にでてくるのでこれが<でも>の代表的な使われ方だろう。

物事一部分挙げて、他の場合はまして、ということ類推させる意を表わす>の<類推させる>は重要でレトリック作用があることになる。これは "レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも>" で書いた。

子供でもできる。(だからおとなはできて当然。)
昼前でも気温が30度ある。(だから午後ではもっと暑くなるだろう。)

カッコ内が強調して言いたいことなのだ。

 デジタル大辞泉 (小学館)で上で取り上げなかったのは

 で‐も

[接]《「それでも」の略》

前の事柄を一応肯定しながら、それがふつう結果として予想されるものに反す内容を導くときに用いる語。にもかかわらず。それでも。しかし。「がんばった。—負けた」「その時風邪ぎみだった。—私は休まなかった」

前述事柄に対して、その弁解反論などをするときに用いる語。しかし。「試験落ちました。—、勉強したんですよ」


 で‐も

連語

【一】格助詞「で」+係助詞「も」》…においても。「これはあの店—売っている」

【二】打消し接続助詞「で」+係助詞「も」。動詞未然形に付く》…なくても。「言わ—のこと」

【一】[接助]接続助詞「ても」が、ガ・ナ・バ・マ行の五段活用動詞に付く場合の形》「ても」に同じ。「死ん死にきれない」「いくら呼ん—返事がない」

 

最後の接続助詞は重要で、意味というか (助詞自体に意味はない) 助詞としての働きは逆接。

上の接続詞<でも>の解説

前の事柄を一応肯定しながら、それがふつう結果として予想されるものに反す内容を導くときに用いる語。にもかかわらず

を参考。 

やっかいなのは<でも>と使われるがこれは音便で、ガ・ナ・バ・マ行の五段活用動詞に付く場合が<でも>でもとは<ても>なのだ。動詞部は東京語では促音便になるのが多い。

会っても 会う
買っても 買う
書いても 書く
行っても 行く
足しても 足す
打っても 打つ
来ても (これは五段活用ではない)
しても (これは五段活用ではない)
売っても 売る 

<それでも>は逆接の接続詞だが。もとは<それ>+<でも>だが、この<でも>は<ても>の濁音化ではない。多分<それ>+<で>+<も>。<で>は断定の助動詞<だ>の連用形。助動詞<だ>に<も>が付いているのがクセモノ。

死んでも死にきれない。(昔は<死にても>)
いくら呼んでも返事がない。 (昔は<呼びても>)

例はいくらでも作れる。

取っても取っても取りきれない
生きていても死んでいるのと同じだ。
いまさら悔やんでももう遅い。

ほぼ無意識で逆接を使っている。 おもしろいというか、大いに参考になりるのは次のデジタル大辞泉 (小学館)の<とも>の文法的な解説だ。

ても

[接助]接続助詞「て」+係助詞「も」から》動詞・形容詞一部助動詞連用形に付く。ガ・ナ・バ・マ行の五段活用動詞に付く場合は「でも」となる。

未成立の事柄仮定条件として述べ、その条件から考えられる順当な結果対立する内容の文へ結びつける意を表す。たとえ…したとしても。「失敗しあきらめはしない」「煮—焼い—食えない

既定的な事柄述べ、その条件から考えられる順当な結果対立する内容の文へ結びつける意を表す。…たにもかかわらず。「知ってい—知らぬ顔をする」

多くにしても」「としても」の形で)ある事柄仮定条件として認めて、下の文の叙述起こす意を表す。「自信があるにし—、試験を受けるのはいやな気分だ」

[補説] 接続助詞としての「ても」は中世以降用いられ近世になると、逆接確定条件を表す助詞「ては」に対応して仮定条件表現する「ても」が話し言葉領域多く用いられるようになり、それが現代語へと引き継がれた。「ても」はこのほか、「なんとしても」「どうしても」「とても」など、多く慣用語つくった

 

 [接助]接続助詞「て」+係助詞「も」から》動詞・形容詞一部助動詞連用形に付く。ガ・ナ・バ・マ行の五段活用動詞に付く場合は「でも」となる。

はすでに紹介したが

接続助詞「て」+係助詞「も」から》の接続助詞の<て>は

動詞の連用形に付いて

行きて ー 行って  <XXに行ってから、<XXに行って、それから>
言いて ー 言って <XXと言ってから>、<XXに言って、それから>
来て ー <ここに来てから>、 <ここに来て、それから>
書いて  ー <書いてから>、 <手紙、Eメールを書いて、送った>

は順接だ。したがって逆接の働きは<も>にある。<も>は大助詞だ。

  未成立の事柄仮定条件として述べ、その条件から考えられる順当な結果対立する内容の文へ結びつける意を表す。たとえ…したとしても。「失敗しあきらめはしない」「煮—焼い—食えない

<その条件から考えられる順当な結果と対立する内容の文へ結びつける意を表わす(働きをする> は二つの段階がある。

1)その条件から考えられる順当な結果を想定する
2)その想定と対立する内容を想定する。

例文

失敗してもあきらめはしない。

― 普通は失敗するとあきらめるが、あきらめない。

煮ても焼いても食べられない。

ー ふつうは煮たり焼いたりすると食べられるが、(これは) 食べられない。

後半部が否定になっているが、前半部が否定の場合は

失敗しなくても反省する。

 ー ふつうは失敗すると反省するが、(彼は)失敗しなくても反省する。

煮たり焼いたりしなくても食べられる。

ー ふつうは煮たり焼いたりしないと食べられないが、(これは) 食べられる。 

相当長くなったので、とりあえずここまで。初めの方で書いた<副助詞と係助詞の違いも検討する予定>は取りやめ、後日検討とする。

 

sptt

 


Tuesday, July 18, 2023

<増す>の派生語

 

前回のポスト ” レトリック副詞について ” の中で


この<ますます>は<増す>由来の語で、後で出てくるが<まして>、<ましてや>も関連語だ。見方を変えて<増す>の派生語とみると、語の派生、発展の面白さがある。

大げさだが

ますますよくなっている。
ますます悪くなっている。

動的 (ダイナミック) な表現と言える。


と書いた。 <増す>はおもしろい言葉で、だいぶ前に ”<ますます>減る- to decrease more and more” というポストを書いている。<増す>の派生語を調べてみる。

まし <増す>の連用形名詞 (体) 用法

日ましに

<日が増すごとに>の意だろう。<日がたつごとに>は平板だ。

割り増し
水増し

太郎は次郎よりましだ。
これより少しでもましなものはないのか? 

この<まし>はネガティブな感じだが、もとは<増す>ー><増し>からしてポジティブな意であったろう。ポジティブまたはニュートラルな意味では

ましな = もっといい

だ。この意味というか含蓄 (connotation) の変化葉<ますます>にも見られる。 ”<ますます>減る- to decrease more and more” というポストでは,はじめに

<ますますふえる>とは言うが<ますます減る>は変だ。しかし<ますます多くなる>はもちろん<ますます少なくなる> もさほど変ではない。<ますます>はもともと<増す増す>だろうから、ふえる、多くなる、大きくなる、など positive なモノ、コトに付いて<減る>、<少なくなる>、<小さくなる>など negative なモノ、コトに付くにはおかしいわけだが、どういうわけかそうではなさそう。

と書いている。 これは、ポジティブからニュートラルへの変化といえるだろ。おもしろい現象だ。

ましな = もっといい

<もっと>は日本語の比較表現で頻繁に使われる、超多頻度使用語だ。<もっと>の語源はわかっていないようだが、昔は使っていなかったので比較的新しい言葉だ。ネット辞書(https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/16817/meaning/m0u/)では<もっと>関連で

更に 【副】
▽風が更に強くなった ▽更に発展することを期待する
もっと 【副】
▽もっと大きいのがほしい ▽もっと頑張っておけばよかった
ますます 【副】
▽飲酒運転のうえに無免許ときているからますますいけない ▽老いてますます盛んだ

が出ている。

<さらに>は古い言葉で<いうもさらなり>というレトリック的な言い方がある。(注)

もっと大きいのがほしい
もっと頑張っておけばよかった

が普通の言い方で

さらに大きいのがほしい
さらに頑張っておけばよかった

はあらたまった言い方だ。

上の場合<ますます>は

ますます大きいのがほしい
ますます頑張っておけばよかった

で、残念ながらダメだ。ダメだが使う人が出てきて、増えていけば市民権をえるだろう。

<ずっと>という口語がある。

ずっと大きいのがほしい

まあいいが

ずっと頑張っておけばよかった

は意味が違ってくる。 <ずっと>は半人前だ。

 

xxにもまして

いつにもまして
何にもまして - 最上級表現だ。何よりも

英語の the best xxx は普通、あるいは教科書では<もっともxxx>となるが、翻訳調なので

いちばんxxxな
何にもましてxxxな 

をもっと使った方がいい。

まさる

<まさる>はコンピュータでは<勝る>と出てくるが<増さる>由来だろう。<まさる>には<増す>の意識がある。

水かさが増す。
水かさが増してきた。

方言または人によっては

水かさが増さる。
水かさが増さってきた。 

というようだ。

太郎は次郎よりも遊びにかけてはまさっている。
勉強にに関して花子は美代子にはまさるとも劣らない・

 

まして (や)

<まして>は<いわんやxxxをや>の代わりに

ましてxxxは、では、なら

で使う。

こんなこと、子どもでもわかる。まして大人は、大人なら

これは一種のレトリック表現で、<子どもでもわかる>はダシで、<まして (や) 大人は、大人なら>が言いたいことだ。

 

(注)<いうもさらなり>

太郎がバカなのは<いうもさらなり>

言へばさらなり ー もし言えば<もっと> になる ー>言うまでもない。

sptt

 



Monday, July 17, 2023

レトリック副詞について ー いわんや、まして、なおさら

 

日本語のレトリック助詞について書いてきたので、つぎに日本語のレトリック副詞について調べてみる。

古い言い方だが<いわんやxxをや>というのがある。<いわんや>は ネット辞典 (https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%B3%81%E3%82%93%E3%82%84/) では


 副詞。 (動詞「いう(言)」の未然形に、推量助動詞「む」と反語の助詞「や」とが付いてできた語) 下文の文頭において、上文の叙述からすれば、下文で叙述することは、ことばでいう必要があろうか、いうまでもなく、自明のことであるという意味を表わす。なおさら。まして。

” 

とある。<いわんや>は副詞で、このレトリック的表現に使われる。

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。

は<いわんや>レトリック表現の代表の一つだろう。逆説の疑問 / 反語とも言えるレトリックだ。

現代でも

いわんやxxをやだ

とか、簡素化して

いわんやxxだ

<だ>をつけて使いそうだ。

 ネット辞典の最後にある、同義語と思われる<なおさら>、<まして>もおもしろい言葉で、これらも副詞だ。<まして>は<ましてや>で

善人なおもて往生をとぐ、 ましてや悪人をや。

と言えそう。だが<なおさら>の方は

善人なおもて往生をとぐ、 なおさら悪人をや。

は具合がわるい。だが

善人なおもて往生をとぐ、 悪人ならなおさらなり。
善人なおもて往生をとぐ、 悪人はなおさらなり。

ならよさそう。

 <なおさら>はネット辞典 (https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%B0%9A%E6%9B%B4/) では

 [副詞]物事の程度が前よりいっそう進むさま。ますます。いちだんと。「風がないので、—暑く感じる」


と簡単な説明だ。 <なおさら>は<なお>+<さら>の合成語だ。

風がないので、なおさら暑く感じる。

はちょっと考えると、ちょっと変な感じがする。<前よりいっそう進むさま>の<前の程度>、比較対象がないのだ。

(少し前までは風があったが、今は)風がないので、なおさら暑く感じる。

でロジカルになる。

<なおさら>の<なお>は、<なお>だけで副詞で, ネット辞典 (https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%AA%E3%81%8A/) をコピー / ペイストすると


以前状態がそのまま続いているさま。相変わらず。やはり。まだ。「今も―健在だ」「昼―暗い」

状態程度がいちだんと進むさま。さらに。もっと。いっそう。「君が来てくれれば―都合がいい」「会えば別れが―つらい」

現にある物事に付け加えるべきものがあるさま。「―検討余地がある」「―10日の猶予がほしい」


と多用途語だ。大体言葉が短いと多用途語になる。2,3は似かよっていて、3の例は<さらに>で置き換えられる。<もっと>、<いっそう>で置き換えると、意味が違ってくる。

さらに検討の余地がある。さらに10日の猶予がほしい。

「なお10日の猶予がほしい」の方は<もっと>、<いっそう>では具合がわるい。

もっと検討の余地がある。もっと10日の猶予がほしい。
いっそう検討の余地がある。 いっそう10日の猶予がほしい。

<いっそう>は<なおいっそう>という強調表現があり語呂もいい。

なおいっそう検討の余地がある。

は問題ない。

上で<2,3は似かよっていて、3の例は<さらに>で置き換えられる>と書いたが、英語で置き換えてみると意外なことが出てくる。

  以前状態がそのまま続いているさま。相変わらず。やはり。まだ。「今も―健在だ」「昼―暗い」

の<なお>は英語では still が使われる。

今もなお健在だ。

は、状況によるが

Even now (he) is still active.

が一例。

昼なお暗い。

Even day time (it is) still dark (here).
Even day time the (that) place is still dark .

などで still は欠かせない。

状態程度がいちだんと進むさま。さらに。もっと。いっそう。「君が来てくれれば―都合がいい」「会えば別れが―つらい」

君が来てくれればなお都合がいい。

It would be even better if you come.

会えば別れがなおつらい。

これは<状態程度がいちだんと進むさま>では説明しにくいが、それはこれまた<前より状態や程度のいっそう進むさま>の<前の状態や程度>、比較対象がないからだろう。

会えば別れは、会う前よりなおつらい。

とすればロジカルになりそうだが、どっこい<会う前に別れること>はできない。したがってこれは<会う前の、会いたいが会えないつらさ>と<あったの後の別れのつらさ>との比較だとロジカルになる。<会う前より>言わずもがなか。

It is more painful to depart from you after meeting you than before meeting you.

 いぜれも英語では比較級表現になる。

  現にある物事に付け加えるべきものがあるさま。「―検討余地がある」「―10日の猶予がほしい」

この<なお>は英語では と同じ still だ。これはおそらく<余地>、<猶予>に関連しているかもしれない。

なお検討の余地がある。

There is still some room for study (examination, checking, etc).
Some room still remains for further study.

英語では further、furthermore という語がある。

また上にもっどて、上で<2,3は似かよっていて、3の例は<さらに>で置き換えられる>と書いた。つまりは

なお検討余地がある。ー> さらに検討余地がある。
なお10日の猶予がほしい。ー> さらに10日の猶予がほしい。

なのだが、この<さらに>は further、furthermore だ。

さらによく検討してみると

なお検討の余地のがある。

は still で<まだ何か足りない>の意識がある。一方

さらに検討の余地のがある。

は further, furthermore で、<まだ何か足りない>の意識は薄く、足りていてもさらに検討しよう、の意味が濃い。<なお>と<さらに>は違うのだ。<もっと>、<いっそう>も<まだ何か足りない>の意識は薄い。

 

<なおさら>の<さら>は<さらに>が副詞でネット辞典 (https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%9B%B4%E3%81%AB/) では


  同じことが重なったり加わったりするさま。重ねて。加えて。その上に。「―一年の月日が過ぎた」「―こういう問題もある」

  今までよりも程度が増すさま。前にも増して。いっそう。ますます。「―きれいになった」「事態は―悪くなった」

  (あとに打消しの語を伴って)いっこうに。まったく。少しも。「―覚えがない」「反省するようすは―なく」


とこれまた多用途語だ。昔は<いうもさらなり>という込み入った言い方があった。<これ以上いうことはないだろう>という反語の意味か。

 善人なおもて往生をとぐ、 悪人はさらなり。 

で意味が通じるだろう。

  同じことが重なったり加わったりするさま。重ねて。加えて。その上に。「―一年の月日が過ぎた」「―こういう問題もある」

は少し問題がある。

さらにこういう問題もある。

は<同じことが重なったり加わったりするさま>ではない。同じ問題が重なったり加わったりするさま、ではない。別の、もう一つの問題が重なったり加わったりするさまだ。

 重ねて。加えて。その上に

は英語では in addition、in addition to this、additionally

があり、日本人はよく使うようだ。

さらに一年の月日が過ぎた。

Another one year has passed。

で<さらに一年> の意がつたわる。直訳に近い

Furthermore one year has passed。

はおかしい。

今までよりも程度が増すさま。前にも増して。いっそう。ますます。「―きれいになった」「事態は―悪くなった」

実際には

さらにきれいになった。いっそうきれいになった。

はややあらたまった言い方で、ふつうは

ますますきれいになった。

で、こちらの方が日本語らしい。というか、 個人的にはこれがいいと思う。<事態はさらに悪くなった>も同じで<事態はますます悪くなった>がいい。<ますます>は口調がいいし、<程度が増すさま>を生き生きと伝えている。この<ますます>は<増す>由来の語で、あてで出てくるが<まして>、<ましてや>も関連語だ。見方を変えて<増す>の派生語とみると、語の派生、発展の面白さがある。

おおげさだが

ますますよくなっている。
ますます悪くなっている。

動的 (ダイナミック) な表現と言える。

  (あとに打消しの語を伴って)いっこうに。まったく。少しも。「―覚えがない」「反省するようすは―なく」

打消し(否定) がつくと話はややこしくなる。

(同じことが)重なったり加わったりするさま

の否定とすると<重なったり加わったりす>がないことにない、<これ以上ない>の意になる。完全否定、余地のない否定と言える。したがって<まったくない>、<少しもない>。だが

さらに一年の月日が過ぎなかった。
さらにこういう問題はない。 

はナンセンスだ。

今までよりも程度が増すさま。前にも増して。いっそう。ますます。「―きれいになった」「事態は―悪くなった」

の否定とすると、<増すさまがない>ことで打ち止め的な否定。これまた<これ以上ない>の意になり、完全否定、余地のない否定と言える。だが

さらにきれいにならなかった。
事態はさらに悪くならなかった。 

もナンセンスとは言わないまでも、何か変で、<完全否定、余地のない否定>にはならない。<さらに>とすると

さらにはきれいにならなかった。
事態はさらには悪くならなかった。

 で<変さ>は減るが、<完全否定、余地のない否定>というほどのことはない

さらにはきれいになることはなかった。
事態がさらには悪くなることはなかった。 

とすると打ち止め的な否定になる。.

 では、どういう場合に

(あとに打消しの語を伴って)いっこうに。まったく。少しも。

 になるのか。

さらに覚えがない。
反省るようすはさらになく。

はナンセンスではない。他の例をさがしてみる。<さらにない>は<まったくない>の意のセットフレーズのようで

きれいになることはさらになかった。
事態が悪くなることはさらなかった。

で <完全否定、余地のない否定>に近づく。

さらに覚えがない。

<覚えはさらにない>がもとで、<覚え>は短いので、<さらに覚えがない>と言っても変ではない、と解釈する。

するつもり(言うつもり)はさらさらない。

は<するつもり (言うつもり) はさらにない>口語的言い方だ。

 

<まして (や) >は<増す>由来。 これまたネット辞典 (https://www.weblio.jp/content/%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%A6) では

前の場合でさえそうなのだから、この場合はもちろんそうだという気持ちを表す語。なおさらいわんや。「大人でも大変なのだから、—子供には無理だ

いっそう。さらに。もっと。

大人でも大変なのだから、まして (や)子供には無理だ。

に似た例文は、少し前のポスト ”レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも>" で出てきた。

例: 子どもでも知っています。/ 即使小孩子也知道。

これは<子どもさえ 知っています>と同じ。

さらに

子どもさえ知っています

だからおとなは知っていて当然だ。

が言外にある。だが、<だからおとなは知っていて当然だ>が特に強調されているわけではないのでレトリック度は弱い。

と書いた。

大人でも大変なのだから、まして (や) 子供には無理だ。

の<でも>自体に

前の場合でさえそうなのだから、この場合はもちろんそうだという気持ちを表す語。

言い換えると

前件の場合でさえそうなのだから、後件の場合はもちろんそうだという気持ちをあらわす語。(この場合<もちろんそうだ>は<子供には無理なのはもちろんだ>になる、<まして (や)>がない。)

の意がある。

大人でも大変なのだから、子供には無理だ。

は特に強調はないが 

大人でも大変なのだから、まして (や) 子供には無理だ。

では<子供には無理だ>が強調されている。だが、対比による強調としては弱い。それは<大変だ>=<無理だ>でないからだ。

大人でも無理なのだから、まして (や) 子供には無理だ。
大人でも大変なのだから、まして (や) 子供には (なおさら) 大変だ。

さらによく検討すると

前半は<でも>なので

大人でも無理なのだから、まして (や) 子供では無理だ。
大人でも大変なのだから、まして (や) 子供では (なおさら) 大変だ。 

とすると対比が強まる。<は>は対比の (格) 助詞。

で後半部がかなり強調される。 この副詞<まして (や)>の言い方は強調のレトリックと言えるか? これは " レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも> " でも書いたが、こう詳しく言ってしまうとレトリック度が薄れ、

大人でも大変なのだから、まして (や) 子供では。

とすると、結論、強調される部分を<言っていない>ー><言うまでももない>、<いわんや>でレトリック的になる。 

 

<おまけ>

当然はレトリック論議では重要な語なのだが

当然 ー> 当て字で<当前>。これが大和言葉の<あたりまえ>の語源という。

 

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何が何でも、是非とも

 
これまで日本語のレトリック助詞をみてきたが、日本語のレトリックはおもしろいので、しばらく続けることにする。このポストは中休みで、非レトリック、非ロジックな表現を取り上げる。
 
なにが何でもやりとげる。
 
英語に直訳すると
 
Even what is whatever I will finish it.
 
とでもなるか。ふつうは
 
Whatever happens I will finish it.
No matter what happens I will finish it.
 
というだろう。<なにが何でも>は非レトリック、というか非ロジックない方だ。
 
是非ともやりとげたい。
是非ともこれだけは聞いてほしい。
 
も非レトリック、というか非ロジックな言い方だが、よく聞く。 
 
是は yes, 非は no、または correct / wrong.、good / bad  で、これまた英語に直訳すると
 
Even yes / no I want to finish it.(please listen to this.)
Even correct / wrong I want to finish it. 
Even good  / bad  I want to finish it.
  
とでもなるが、ナンセンスなので、言い換えると
 
Even either yes or no (correct or wrong, good or bad) I want to finish it. (please listen to this.)
No matter whether it becomes yes or no
(correct / wrong, , good or bad I want to finish it. 
 
これでもまだ通じにくいだろう。ふつうは
 
Though (Although) I do now know whether it becomes success or failure I want to finish it. 
Though (Although) I do now know whether it is good or bad for you please listen to this.
 
是非とも>は<是が非でも>の略というが、<是が非でも>は even yes is no  となり、これまた何だかよくわからない。<でも>は別のところで詳しく検討したが、譲歩の働きがある。是が非でも>は言い換えると
 
是が非であることはありえない、のだが)たとえ是が非であっても
Yes が No であることはありえない、のだが)たとえYes が No であっても
 
になるが。これがなぜ
 
何としてでも
何ががあっても

の意になるのか。

是が非であることはありえない、のだが)たとえ是が非であっても

はこれまた言い換えると
 
たとえありえないがあったとしても 

は<何が起ったとしても>の意にはなる。
 
 
< 何が何でも>、<是非とも>はそのままの意味だとまず非ロジックない方、ナンセンスだ。では非レトリックかというと、レトリック助詞で取り上げたが <でも>、<とも>はレトリック助詞といえるので、レトリック的な言い方といえるか。レトリック的な言い方の一つに逆説があり、これは常識、ロジック的な類推とは反対のことを言って。聞きて、読み手の注意をひく言い方だ。
 
急がば回れ
損して得 (とく) とれ
 
老子は逆説をよく使っている。
 
大直若屈,大巧若拙,大辯若訥。

文字どりでは<大いなる真っすぐは屈するがごとし、大いなる巧(たくみ)は拙(つたな)きがごとし、大いなる弁はドモリ、訥弁のごとし>で意味は通じる。のようによ読めば逆説のレトリックが使われていることになる。(その他の解釈もある)
 
だが上の<何が何でも>、<是非とも>の例文は逆レトリックの表現ではないが、非ロジックな言い方から、聞き手の注意をひくかもしれない。
 
いづれにしても<何が何でも>、<是非とも>は外国人泣かせの日本語だろう。
 
 
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