Saturday, July 15, 2023

レトリック助詞についてー4、比喩表現<とも>

レトリックは日本語では修辞法で、修辞法をネットで調べてみると、

比喩表現 明喩、隠喩 (暗喩)

強調表現

倒置表現

誇張表現

があげられている。ここにはないがレトリック的な言い方の一つに逆説があり、これは常識、ロジック的な類推とは反対のことを言って。聞きて、読み手の注意をひく言い方だ。

 
急がば回れ
 
老子は逆説をよく使っている。
 
大直若屈,大巧若拙,大辯若訥。

文字どりでは<大いなる真っすぐは屈するがごとし、大いなる巧(たくみ)は拙(つたな)きがごとし、大いなる弁はドモリ、訥弁のごとし>で意味は通じる。のようによ読めば逆説のレトリックが使われていることになる。(その他の解釈もある)
 

これまでとり上げたレトリック助詞はいずれも強調表現のためのものだ。特に<こそ>は強調表現用の助詞といえる。比喩表現には明喩と隠喩 (暗喩)がある。


直喩法:シミリー(simile)

「まるで〜ようだ」「〜みたい」「ごとし」「似たり」

<まるで>は副詞、<ようだ>、<みたい>、<ごとし>、<似たり>の品詞は混乱していて、よくわからない。<ようだ>、<みたいだ>は手元の辞書 (三省堂) では推量、比喩の形容動詞型活用の助動詞となっている。<ごとし>も助動詞一覧表にはないが、形容詞型活用の助動詞となっている。

<xxのようだ> 、<xxのごとし>の<の>

<xxに似たり> の<に>  (下手な考えやすむににたり)

は助詞だが直接比喩には関係ない。

隠喩法:: メタファー(metaphor)

でも助詞は使われるが直接比喩に関係しているわけでない。

比喩表現の助詞はなさそうだ。とあきらめていたが、<とも>を見つけた。<とも>は<と>と<も>の合成で助詞だ。

山とも言える高い波。
血の海とも言える戦場あと。
この作品、ゴミとも言える駄作だ。

<とも>だけでは 比喩と言い難いが<xxとも言える>で比喩になる。またレトリックの一つの誇張表現でもある。<も>がない

山と言える高い波。
血の海と言える戦場あと。
この作品、ゴミと言える駄作だ。 

でもよさそうだが、余韻がないのでレトリック性が薄くなるようだ。レトリックには、このとらえどころのない余韻が重要のようだ。そして、この余韻(レトリック)は<も>からきていうるようだ。

今の花子は若いころの母とも見える。(のように見える)
太郎は強がるが、よく観察すると実際は臆病とも見える。

これまた<とも>だけでは 比喩と言い難いが<xxとも見える>で比喩になる。<も>がない

今の花子は若いころの母と見える。
太郎は強がるが、よく観察すると実際は臆病と見える。

でもよさそうだ、断定に近い表現だ。もっとも<見える>自体は断定をさけた言い方だ。

私は太郎は臆病と見る。- <だ>はないが断定的な言い方だ。
太郎は臆病と (に) 見える。- 断定をさけた言い方 

<見るだ>、<見えるだ>という言い方はない。

 <xxxとも言える>、<xxxとも見える>は汎用性がある。

Wiki には<とも>の相当詳しい説明がある。Wiki の説明のうち一番目にでてくる接続助詞の<とも>を調べてみる。

” 

とも

接続助詞

  1. (接続助詞として)動詞・形容動詞終止形、形容詞・助動詞「ず」の連用形に付き、「〜かもしれないが、それでも」の意味を表す。
    • 醫者がなんとはうとも筆を持ちながらたおれればわたしは本望だ。(岡本綺堂『近松半二の死』)
    • 彼の名前などは言わずとも好い。僕はただ彼の友だちだった。(芥川龍之介『彼 第二』)
    • 先生の剣道は封建時代の剣客に勝るとも劣らなかつたであらう。(芥川龍之介『本所両国』)

最後の

勝 (まさ) るとも劣らなかつた

は対比がありレトリックぽい。 <劣る>は<まさる>の反対語だが、否定されており<まさる>の意だ。

剣客に勝る、勝る (劣らない)

で、<まさる>が強調されている。

一番目の

醫者がなんとはうとも

は<なん>+<とも>で

だれが来ようととも
どこへ逃げ隠れしようとも
いつ来ようととも
どのように言っても
どれを選ぼうとも

で規則的だ。


言わずとも知れたこと。(言わずと知れたこと、の強調)
来 (こ) ずとも電話ぐらいしろ。

これは否定形に<とも>がついているが、上記の

助動詞「ず」の連用形に付き、「〜かもしれないが、それでも」の意味を表す。  

で説明できる。

 「(〜かもしれないが、) それでも」の意味だ。いわゆる譲歩表現だ。中国語では、前々回とりあげた<でも>で

b) 此外,「でも」與疑問詞呼應時,表示全面的肯定,意為「無論…都…」。

これは聞いたことはあるが、使ったことはない。  <無論…都>で呼応がある。さらに<疑問詞呼應>とあるにので二重の呼応といえる。

 

という箇所がある。呼応が二つもあり、かなりレトリック的な言い方だ。Wiki を続けると


副助詞

とも

  1. (副助詞として)量や程度を表す形容詞の連用形や副詞に付き、限度を表す。
    • 早ければ明日、遅くとも一ヶ月とはかからないこの街の運命の日が近づいている。(坂口安吾『白痴』)
    • 山へ登るには多少とも労苦を伴う。(松濤明『山想う心』)

終助詞

  1. (終助詞として)文の末尾に付き、強い断定を表す。
    • さうとも、さうとも。おれが引受けた。(太宰治『お伽草紙』)
    • ペンキ屋「はあ、それでようございましょうか。」/爾薩待「ああ、いいとも、立派にできた。(宮沢賢治『植物医師 郷土喜劇』)

複合助詞

とも

  1. (格助詞+の複合助詞)格助詞「」の機能に他の可能性もあるニュアンスを加える。
    • 俺は強くならうともしない。弱くならうともしない。(宮沢賢治『〔蒼冷と純黒〕』)
  2. (格助詞+の複合助詞)(終助詞的に)他の候補もあるときの説明や、他の可能性もあるときの伝聞を表す。「ともいう」の略。
    • 読みは「これかた」とも
    • その後消息不明に。海外に渡ったとも

終助詞<とも>

 文の末尾に付き、強い断定を表す。 


複合助詞<とも>

(格助詞+の複合助詞)格助詞「」の機能に他の可能性もあるニュアンスを加える。
 
(格助詞+の複合助詞)(終助詞的に)他の候補もあるときの説明や、他の可能性もあるときの伝聞を表す。「ともいう」の略。
 

 は相反する。面白いところだ。<と>も<も>も大助詞でどちらも多様な意味、働きがある。(注)

例文を作って検討してみる。

終助詞 ー(終助詞として)文の末尾に付き、強い断定を表す。

(もちろん)そうだとも。
おれはもちろん行くとも。

<もちろん>と相性がいいようだ。 <もちろん>は<勿論>で<むろん=無論>と同じく

論じない ー>論ずるまでもなく ー> 言うまでもなく

以上は相手があっての発話だ。<と>自体は引用によく使われ 

太郎はxxxと言った。
xxxと聞いている。

<強い断定>とは結びつない。

xxxとなる、xxxとなった

ウソがまこととなる。

は成就、変化の成就

雨が降ると地 (じ) が濡れる。
風が吹くと木の葉がゆれる。
風が吹くと桶屋がもうかる。 

以上は因果関係を表しており、後半部は<強い断定>ほどではないが、確実性が高く、断定できる可能性は高い。したがって

雨が降ると地が濡れるのだ。
風が吹くと木の葉がゆれるのだ。

と言え、そして断定的になる。これは

xxxとyyyと(に)なる

という言い方だ。 

一方<も>の方は、これまた大助詞だが

A も B も C も (列挙、D、E, F, etc もありそう)
AB 以外に C もある (D、E, F, etc もありそう)
花子も行く(他の誰かが行くことが前提)(追加)

といった使い方 (言外にもまだる、追加) で、ある特定のモノ、コトを断定する言い方に使われそうもない。

花子も行くのだ。

では、<だ>により<も>の追加の意が強調されているようだ。

太郎もか。
あれもダメ、これもダメ。

かなりコジツケになるが

上記の<と>の因果関係の断定的な言い方にこの<も>の追加的強調用法を合わせる (合成する) と

(もちろん)そうだとも。ー>(もちろん)そうなるとも。
おれはもちろん行くとも。ー> おれはもちろん行くになるとも。

で、何とか<末尾に付き、強い断定を表す>の説明がつく。 

 

一方、複合助詞<とも>は

複合助詞<とも>

(格助詞+の複合助詞)格助詞「」の機能に他の可能性もあるニュアンスを加える。
  • 俺は強くならうともしない。弱くならうともしない。(宮沢賢治『〔蒼冷と純黒〕』)
(格助詞+の複合助詞)(終助詞的に)他の候補もあるときの説明や、他の可能性もあるときの伝聞を表す。「ともいう」の略。 
  • 読みは「これかた」とも
  • その後消息不明に。海外に渡ったとも
 
は説明はいらないだろう。

 (格助詞+の複合助詞)格助詞「」の機能に他の可能性もあるニュアンスを加える

行こうともしない、来ようともしない。

でかなりレトリックな言い方だ。 だが、意味は<格助詞「」の機能に他の可能性もあるニュアンスを加える>というよりは

こうともしない、来ようともしない。 ー> 何もしない。
ミスをしたのはあきらかなのに、謝ろうともしない 。(けしからん)

でかなりの非難口調、レトリック的な言い方だ。

 

(格助詞+の複合助詞)(終助詞的に)他の候補もあるときの説明や、他の可能性もあるときの伝聞を表す。「ともいう」の略。 
  • 読みは「これかた」とも
  • その後消息不明に。海外に渡ったとも

 <他の候補もあるときの説明や、他の可能性もあるときの伝聞を表す>は、場合によっては、かなり責任回避的な言い方で使われる。

xxxとも言う。
xxxとも言うが、ほかの読み方もある。 

xxxとも聞いている。
xxxとも聞いているが、確かではない。

ーーーー

その他の<とも>

そうとも言えるが、こうとも言える。(<そうも言えるが、こうも言える>より他の可能性がある度合いが高いか)

買うとも買わないともまだ決めていない。

中国語では<とも>がなく

卖不卖没决定。(買う買わない,未決定)

と簡潔だ。日本語kら見ると、言外に<とも>があるのだ。英語では

To buy or not to buy、 (I have) not decided yet.
(I have) not decided yet.,whether I will bu or not.

で or の一語ですましているが、<either xx or yy> という言い方もある。

Either to buy or not to buy、 (I have) not decided yet. 

<とも>が二度も使われるが、日本語が一番修辞的と言える。

夏休みともなると、この浜辺は海水浴客でいっぱいになる。
鮎解禁ともなると、この川のこの場所にはたくさんの釣り人がくる。

これはどう説明したらいいか。<とも>を使わないと

夏休みになると、この浜辺は海水浴客でいっぱいになる。
鮎解禁になると、この川のこの場所にはたくさんの釣り人がくる。

で印象が平板になる。

これは、上で述べた

xxxとyyyと(に)なる (雨が降ると地 (じ) が濡れる。因果関係)

という言い方に似ているが、この場合、特に因果関係はない。

一方<も>の方は、<言外にもまだる、追加>で使われる。したがって

夏休みともなると、この浜辺は海水浴客でいっぱいになる。

は、言外に<夏休み以外には海水浴客でいっぱいにならない>といった言及が隠されているようだ。一方

夏休みになると、この浜辺は海水浴客でいっぱいになる。

ではこの隠された言及がない。したがって、<とも>にはレトリック作用があると言えよう。

(注)

”<も>は大助動詞 ”、"<と>は大助動詞 " というポストをだいぶ前に気合を入れて書いている。

 

 sptt

 

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