前回のポスト ” レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも> “ の最後で
"
(それは) 子どもでさえ知っています。おとな(が知っているの)は言うまでもない。
(それは) 子どもでも知っています。おとな(が知っているの)は言うまでもない。
とすると、文が長くなってしまうが、これは前半部との対比があり、後半部が強調されているので、レトリックといえるだろう。対比、比較はレトリックだ。
"
と書いた。長すぎるので短くすると
子どもでさえ知っています。おとなは言うまでもない。
子どもでも知っています。おとなは言うまでもない 。
で、これ<子ども>と<おとな>の対比からくるレトリックだ。では比較からくる、比較の助詞によるレトリックはあるか。前回と同じく中国語版Wikiの日本語の助詞をチェックしてみると
格助詞
比較
[より]接在體言後,表示肯定的比較對象,以為「比」
例: りんごはみかんより甘いです。/ 蘋果比橘子甜。
というのがある。
<です>のない
りんごはみかんより甘い。
が日本語らしいが、それは別として、中国語の比較文構造がおもしろい。英語では
でこれまた文構造が違う。個人的には<蘋果比橘子甜>が簡潔で一番いいと思う。形容詞<甜>に英語の比較級変化はなく<原型>。動詞も基本的に動詞変化がない。形容詞、動詞に語尾変化がないのが中国語の大きな特徴だ。品詞は調べていないが<比>という一語と語順で比較を簡潔に表している。さて日本語にもどると、
リンゴはミカンより甘い。
とはいうが、教科書、外国人向け日本語文法書のなかの日本語だ。日常では
リンゴはミカンに比べて甘い。
で中国語のような言い方になる。例文を作ると
花子は太郎より背が高い。
次郎は太郎より速く走る。
A社はB社より業績がいい。
取り立ててレトリックではない。<より>は格助詞。
<もっと>という言葉あるが<もっと高い>、<もっと速い>、<もっといい>で形容詞の比較表現だが格助詞<より>が必要だ。特に比較対象がなければ<より>はいらない。
もっとくれ。
もっと早くこれないのか。
もっとゆっくり話してくれ。
もっと静かにしてくれ。
日常では<より>に比べると<もっと>は多頻度使用語だ。 <より>を使ったレトリック表現は特にないようだ。
比較の否定は、英語では
Orange is no so sweet as apple.
以外に、なじみはないが
Orange is less sweet than apple.
という奇妙ないいかたがある。慣れてしまうと便利な言い方だ。日本語では
ミカンはリンゴより甘くない。ミカンはリンゴに比べて甘くない。
とはまず言わない。
ミカンはリンゴほど甘くない。
で<xxほどyyない>となる。 <ほど>は程度に関した副助詞でこれも多頻度使用語だ。
学業では太郎は次郎ほどのことはないが、運動ではまけない。
それほどまでいうなら。言えば言うほどボロが出てくる。
馬鹿を言うにもほどがある。
責めるのはほどほどにしておいた方がいい。
<より>の例文を作ってみると
こうなってはやるよりほかはない。
負けがわかっていても、経験のため、挑戦しないよりは挑戦した方がいい。
どうも比較だけではレトリックにならないようだ。
sptt
No comments:
Post a Comment