前回のポストで<こそ>をレトリック助詞として取り上げたが、これ以外にレトリック助詞はあるか。
<こそ>は昔も今も動詞の特定形(已然形、仮定形、未然形)との呼応がある、文法的におもしろい。
中国語版Wikiの日本語の助詞をチェックしてみると副助詞の中で<さえ>、<でも>は中国語の方は一語対応でなく係り結び的な二語対応になっている。
副助詞(副詞的な助詞)
1)さえ
接體言後,表示程度之甚,意為「(甚至)連…都…」。
これは聞いたことも、使ったこともある。
例: 病気で水さえ飲むことができない。/ 病得甚至連水也不能喝。
子どもさえ知っています。/ 連小孩子都知道。
<さえ>は<も>をつけて<さえも>でもいい。
病気で水さえも飲むことができない。/ 病得甚至連水也不能喝子どもさえも知っています。/ 連小孩子都知道。
我都 (也) 知道
は<わたしも知っている>なので
連=さえ
都 (也) = も
の対応ともいえる。
英語は even の一語が対応し、<も>はない。
Even a child knows it.
Even children know it.
still も可能か?
A child still knows it.
Children still know it.
これだと<まだ知っている、忘れないでいる、おぼえている>の意味にもなるか。
<さえ>を使った表現はレトリックか?
病気で水さえも飲むことができない。
だから食べることは (なおさら) できない。
が言外にある。
子どもさえ知っています
だからおとなは 知っていて当然だ。
が言外にある。だが<だから食べることは (なおさら) できない>、<だからおとなは 知っていて当然だ>が特に強調されているわけではないのでレトリック度は弱い。
2)でも
a) 接體言後,表示讓步條件,意為「即使…也…」
これは聞いたことも、使ったこともない。
- 即使は<jí shǐ>と発音する。 <即使…也…>の呼応のところは、上の<連…都 (也)>と同じだ。
例: 子どもでも知っています。/ 即使小孩子也知道。
これは<子どもさえ 知っています>と同じ。
今からでも遅くはありません。/ 即使從現在開始也為時不晚。
<為時>は<時は>といった意味だ。これは<さえ>で置き換えにくい。
今からさえ遅くはありません。
はダメ。
今からでさえ遅くはありません。
これもやや変だ。
b) 此外,「でも」與疑問詞呼應時,表示全面的肯定,意為「無論…都…」。
これは聞いたことはあるが、使ったことはない。 <無論…都>で呼応がある。さらに<疑問詞呼應>とあるにので二重の呼応といえる。
例: だれでも知っています。/ 無論誰都知道。
どこへでも行きます。/ 無論哪都去。
日本語では
だれでも
どこでも
なんでも
いつでも
どれでも
どのようにでも
英語では
whoeverwherever (you go)
whatever (you do)
whenever (you go)
whichever (you like)
となるが
だれでも知っています。/ 無論誰都知道。
はwhoever knows はダメで
anyone knows
everyone knows
また、日本語の場合
だれでも知っています。
は< (私は、彼は) だれでも知っています。>の意味にもなる。
前半部<a) >は<さえ>と同じく
子どもでも知っています
は言外に<だからおとなは知っていて当然> があるが、これまた<だからおとなは知っていて当然>が強調されているわけではないのでレトリック度は弱い。
ところで漢語で
xxx、いわんや yyy をや!
という言い方がある。
前件に述べたことから考えて、後件については言うまでもなく自明ことであるという気持ちを表す。
というような説明がある。 <いわんや>は<言わんや>で<言うまでのことがあろうか、いや、いや言うまでのことはない>の反語で、レトリックだ。これをあてはめると
(それは) 子どもでさえ知っています。おとな(が知っているの)は言うまでもない。
(それは) 子どもでも知っています。おとな(が知っているの)は言うまでもない。
とすると、文が長くなってしまうが、これは前半部との対比があり、後半部が強調されているので、レトリックといえるだろう。対比、比較はレトリックだ。
sptt
No comments:
Post a Comment