日本語のレトリック助詞について書いてきたので、つぎに日本語のレトリック副詞について調べてみる。
古い言い方だが<いわんやxxをや>というのがある。<いわんや>は ネット辞典 (https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%B3%81%E3%82%93%E3%82%84/) では
”
副詞。 (動詞「いう(言)」の未然形に、推量の助動詞「む」と反語の助詞「や」とが付いてできた語) 下文の文頭において、上文の叙述からすれば、下文で叙述することは、ことばでいう必要があろうか、いうまでもなく、自明のことであるという意味を表わす。なおさら。まして。
”
とある。<いわんや>は副詞で、このレトリック的表現に使われる。
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
は<いわんや>レトリック表現の代表の一つだろう。逆説の疑問 / 反語とも言えるレトリックだ。
現代でも
いわんやxxをやだ
とか、簡素化して
いわんやxxだ
<だ>をつけて使いそうだ。
ネット辞典の最後にある、同義語と思われる<なおさら>、<まして>もおもしろい言葉で、これらも副詞だ。<まして>は<ましてや>で
善人なおもて往生をとぐ、 ましてや悪人をや。
と言えそう。だが<なおさら>の方は
善人なおもて往生をとぐ、 なおさら悪人をや。
は具合がわるい。だが善人なおもて往生をとぐ、 悪人ならなおさらなり。
善人なおもて往生をとぐ、 悪人はなおさらなり。
ならよさそう。
<なおさら>はネット辞典 (https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%B0%9A%E6%9B%B4/) では
”
[副詞]物事の程度が前よりいっそう進むさま。ますます。いちだんと。「風がないので、—暑く感じる」
”
と簡単な説明だ。 <なおさら>は<なお>+<さら>の合成語だ。
風がないので、なおさら暑く感じる。
はちょっと考えると、ちょっと変な感じがする。<前よりいっそう進むさま>の<前の程度>、比較対象がないのだ。
(少し前までは風があったが、今は)風がないので、なおさら暑く感じる。
でロジカルになる。
<なおさら>の<なお>は、<なお>だけで副詞で, ネット辞典 (https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%AA%E3%81%8A/) をコピー / ペイストすると
”
1 以前の状態がそのまま続いているさま。相変わらず。やはり。まだ。「今も―健在だ」「昼―暗い」
2 状態や程度がいちだんと進むさま。さらに。もっと。いっそう。「君が来てくれれば―都合がいい」「会えば別れが―つらい」
3 現にある物事に付け加えるべきものがあるさま。「―検討の余地がある」「―10日の猶予がほしい」
”
と多用途語だ。大体言葉が短いと多用途語になる。2,3は似かよっていて、3の例は<さらに>で置き換えられる。<もっと>、<いっそう>で置き換えると、意味が違ってくる。
さらに検討の余地がある。さらに10日の猶予がほしい。
「なお10日の猶予がほしい」の方は<もっと>、<いっそう>では具合がわるい。
もっと検討の余地がある。もっと10日の猶予がほしい。
いっそう検討の余地がある。 いっそう10日の猶予がほしい。
<いっそう>は<なおいっそう>という強調表現があり語呂もいい。
なおいっそう検討の余地がある。
は問題ない。
上で<2,3は似かよっていて、3の例は<さらに>で置き換えられる>と書いたが、英語で置き換えてみると意外なことが出てくる。
1 以前の状態がそのまま続いているさま。相変わらず。やはり。まだ。「今も―健在だ」「昼―暗い」
の<なお>は英語では still が使われる。
今もなお健在だ。
は、状況によるが
Even now (he) is still active.
が一例。
昼なお暗い。
Even day time (it is) still dark (here).
Even day time the (that) place is still dark .
などで still は欠かせない。
2 状態や程度がいちだんと進むさま。さらに。もっと。いっそう。「君が来てくれれば―都合がいい」「会えば別れが―つらい」
君が来てくれればなお都合がいい。
It would be even better if you come.
会えば別れがなおつらい。
これは<状態や程度がいちだんと進むさま>では説明しにくいが、それはこれまた<前より状態や程度のいっそう進むさま>の<前の状態や程度>、比較対象がないからだろう。
会えば別れは、会う前よりなおつらい。
とすればロジカルになりそうだが、どっこい<会う前に別れること>はできない。したがってこれは<会う前の、会いたいが会えないつらさ>と<あったの後の別れのつらさ>との比較だとロジカルになる。<会う前より>言わずもがなか。
It is more painful to depart from you after meeting you than before meeting you.
いぜれも英語では比較級表現になる。
3 現にある物事に付け加えるべきものがあるさま。「―検討の余地がある」「―10日の猶予がほしい」
この<なお>は英語では 1 と同じ still だ。これはおそらく<余地>、<猶予>に関連しているかもしれない。
なお検討の余地がある。
There is still some room for study (examination, checking, etc).Some room still remains for further study.
英語では further、furthermore という語がある。
また上にもっどて、上で<2,3は似かよっていて、3の例は<さらに>で置き換えられる>と書いた。つまりは
なお検討の余地がある。ー> さらに検討の余地がある。
なお10日の猶予がほしい。ー> さらに10日の猶予がほしい。
なのだが、この<さらに>は further、furthermore だ。
さらによく検討してみると
なお検討の余地のがある。
は still で<まだ何か足りない>の意識がある。一方
さらに検討の余地のがある。
は further, furthermore で、<まだ何か足りない>の意識は薄く、足りていてもさらに検討しよう、の意味が濃い。<なお>と<さらに>は違うのだ。<もっと>、<いっそう>も<まだ何か足りない>の意識は薄い。
<なおさら>の<さら>は<さらに>が副詞でネット辞典 (https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%9B%B4%E3%81%AB/) では
”
1 同じことが重なったり加わったりするさま。重ねて。加えて。その上に。「―一年の月日が過ぎた」「―こういう問題もある」
2 今までよりも程度が増すさま。前にも増して。いっそう。ますます。「―きれいになった」「事態は―悪くなった」
3 (あとに打消しの語を伴って)いっこうに。まったく。少しも。「―覚えがない」「反省するようすは―なく」
”
とこれまた多用途語だ。昔は<いうもさらなり>という込み入った言い方があった。<これ以上いうことはないだろう>という反語の意味か。
善人なおもて往生をとぐ、 悪人はさらなり。
で意味が通じるだろう。
1 同じことが重なったり加わったりするさま。重ねて。加えて。その上に。「―一年の月日が過ぎた」「―こういう問題もある」
は少し問題がある。
さらにこういう問題もある。
は<同じことが重なったり加わったりするさま>ではない。同じ問題が重なったり加わったりするさま、ではない。別の、もう一つの問題が重なったり加わったりするさまだ。
重ねて。加えて。その上に
は英語では in addition、in addition to this、additionally
があり、日本人はよく使うようだ。
さらに一年の月日が過ぎた。
Another one year has passed。
で<さらに一年> の意がつたわる。直訳に近い
Furthermore one year has passed。
はおかしい。
2 今までよりも程度が増すさま。前にも増して。いっそう。ますます。「―きれいになった」「事態は―悪くなった」
実際には
さらにきれいになった。いっそうきれいになった。
はややあらたまった言い方で、ふつうは
ますますきれいになった。
で、こちらの方が日本語らしい。というか、 個人的にはこれがいいと思う。<事態はさらに悪くなった>も同じで<事態はますます悪くなった>がいい。<ますます>は口調がいいし、<程度が増すさま>を生き生きと伝えている。この<ますます>は<増す>由来の語で、あてで出てくるが<まして>、<ましてや>も関連語だ。見方を変えて<増す>の派生語とみると、語の派生、発展の面白さがある。
おおげさだが
ますますよくなっている。
ますます悪くなっている。
動的 (ダイナミック) な表現と言える。
3 (あとに打消しの語を伴って)いっこうに。まったく。少しも。「―覚えがない」「反省するようすは―なく」
打消し(否定) がつくと話はややこしくなる。
1 (同じことが)重なったり加わったりするさま
の否定とすると<重なったり加わったりす>がないことにない、<これ以上ない>の意になる。完全否定、余地のない否定と言える。したがって<まったくない>、<少しもない>。だが
さらに一年の月日が過ぎなかった。
さらにこういう問題はない。
はナンセンスだ。
2 今までよりも程度が増すさま。前にも増して。いっそう。ますます。「―きれいになった」「事態は―悪くなった」
の否定とすると、<増すさまがない>ことで打ち止め的な否定。これまた<これ以上ない>の意になり、完全否定、余地のない否定と言える。だが
さらにきれいにならなかった。
事態はさらに悪くならなかった。
もナンセンスとは言わないまでも、何か変で、<完全否定、余地のない否定>にはならない。<さらには>とすると
さらにはきれいにならなかった。
事態はさらには悪くならなかった。
で<変さ>は減るが、<完全否定、余地のない否定>というほどのことはない
さらにはきれいになることはなかった。
事態がさらには悪くなることはなかった。
とすると打ち止め的な否定になる。.
では、どういう場合に
3 (あとに打消しの語を伴って)いっこうに。まったく。少しも。
になるのか。
さらに覚えがない。
反省るようすはさらになく。
はナンセンスではない。他の例をさがしてみる。<さらにない>は<まったくない>の意のセットフレーズのようで
きれいになることはさらになかった。
事態が悪くなることはさらなかった。
で <完全否定、余地のない否定>に近づく。
さらに覚えがない。
は
<覚えはさらにない>がもとで、<覚え>は短いので、<さらに覚えがない>と言っても変ではない、と解釈する。するつもり(言うつもり)はさらさらない。
は<するつもり (言うつもり) はさらにない>口語的言い方だ。
<まして (や) >は<増す>由来。 これまたネット辞典 (https://www.weblio.jp/content/%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%A6) では
””
大人でも大変なのだから、まして (や)子供には無理だ。
に似た例文は、少し前のポスト ”レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも>" で出てきた。
例: 子どもでも知っています。/ 即使小孩子也知道。
これは<子どもさえ 知っています>と同じ。
さらに
子どもさえ知っています
だからおとなは知っていて当然だ。
が言外にある。だが、<だからおとなは知っていて当然だ>が特に強調されているわけではないのでレトリック度は弱い。
と書いた。
大人でも大変なのだから、まして (や) 子供には無理だ。
の<でも>自体に
前の場合でさえそうなのだから、この場合はもちろんそうだという気持ちを表す語。
言い換えると
前件の場合でさえそうなのだから、後件の場合はもちろんそうだという気持ちをあらわす語。(この場合<もちろんそうだ>は<子供には無理なのはもちろんだ>になる、<まして (や)>がない。)
の意がある。
大人でも大変なのだから、子供には無理だ。
は特に強調はないが
大人でも大変なのだから、まして (や) 子供には無理だ。
では<子供には無理だ>が強調されている。だが、対比による強調としては弱い。それは<大変だ>=<無理だ>でないからだ。
大人でも無理なのだから、まして (や) 子供には無理だ。
大人でも大変なのだから、まして (や) 子供には (なおさら) 大変だ。
さらによく検討すると
前半は<でも>なので大人でも無理なのだから、まして (や) 子供では無理だ。
大人でも大変なのだから、まして (や) 子供では (なおさら) 大変だ。
とすると対比が強まる。<は>は対比の (格) 助詞。
で後半部がかなり強調される。 この副詞<まして (や)>の言い方は強調のレトリックと言えるか? これは " レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも> " でも書いたが、こう詳しく言ってしまうとレトリック度が薄れ、
大人でも大変なのだから、まして (や) 子供では。
とすると、結論、強調される部分を<言っていない>ー><言うまでももない>、<いわんや>でレトリック的になる。
<おまけ>
当然はレトリック論議では重要な語なのだが
当然 ー> 当て字で<当前>。これが大和言葉の<あたりまえ>の語源という。
sptt
No comments:
Post a Comment